日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

601声 第600声記念特別企画「尾瀬の寅さん相い合い傘」中編

2009年08月23日

・一寸、プライベートな話になりますが、なんでも、マドンナが現れたとか。
なんで、知っているんですか!?
・ちと、ひょんな所で情報を掴みまして。
そうなんですよ。
実は、マドンナが現れたんです。
・やはり、そうでしたか。
野暮な質問ですが、お二人の出会いのきっかけは、何処でどの様なものだったんですか。
お互いが関東と関西を中心に、人の笑顔が好きでボランティア活動をやっていたので、
その活動を通して知り合いました。
・お互いのどんな点に、意気投合したのですか。
出会った瞬間から、ずっと昔から知っていた様な不思議な感覚をお互いに感じました。
それが運命だったのか、話して行くにつれ、
「たくさんの人の笑顔のために人生を捧げたい」
と言う同じ夢があったと言う点に、意気投合しました。
・そうですか。
お互い、運命の糸で結ばれていたんですね。
そして、8月某日、六合村で、「男はつらいよ」フリークの念願を果たされたとか。
情報が早いですね。
そうなんです、8月20日に六合村のバス停で、
寅さんとリリーの再会の名場面を、夫婦で再現した記念写真を撮ってきました。
・それは凄い。
第25作「寅次郎ハイビスカスの花」の、伝説的名場面ですね。
是非拝見したいのですが、その模様は、どちらかに掲載する予定はありますか。
はい。
SNS「男はつらいよ 寅ファン全員集合」にて、その様子をお伝えする予定です。
しかし、悲しい事に、そのSNSは8月末で閉鎖されるみたいです。
・それは、寂しいですね。
はい、寂しい限りです。
ともあれ、マドンナの事を話す原田さんは、終始、浮かれていた。
浮かれて、一反木綿の如く、ふわふわっと、窓から飛び立ってしまいそうだった。
幸せな人を前すると、こちらまで、なんだか嬉しく、温かな心持になる。
明日は今後の展開に迫る、後編。
では、明晩。

600声 第600声記念特別企画「尾瀬の寅さん相い合い傘」前編

2009年08月22日

日刊「鶴のひとこえ」第600声を祝し、今回は記念特別企画を敢行。
今回の出演者は、登場2回目となる「尾瀬の寅さん」こと、
「原田直文」さん。
しかし、現在は尾瀬の寅さんとしての活動を休止され、
別の舞台で奮闘努力の日々を送られている。
今回は、活動休止中にも関わらず、押し掛けインタビュー。
と言うもの私、途轍もない情報を掴んだからなのである。
さて、その情報の真偽とはいかに。
(抜井)・お久しぶりです。原田さんは現在、「尾瀬の寅さん」としての活動は、
休止されていると伺いましたが、いつから休止されたんですか。
(原田)昨年の11月からです。
活動の殆どを休止しました。
・そうでしたか。活動休止のきっかけは、どんなものだったんですか。
きっかけは、3年間の活動の結果、
若い時に貯めていた貯金が、遂に底を尽きてしまったからなんです。
・活動を休止された現在でも、原田さんの元に、様々な声が寄せられているとか。
はい、そんなに多くはないですが、福祉施設などから「また来てください」と言われます。
お付き合いのある車椅子の人達からも、「また旅に一緒に行きたい」と言われますね。
・惜しまれつつの休止ですね。
そうですね、声を掛けて下さった方々には感謝しています。
・活動休止中の現在、主なお仕事は。
住宅メーカーの営業マンをやっています。
・それはまた、「寅さん」らしかなぬ、華麗な転身ですね。
以前、経験あるお仕事だったのですか。
はい。
以前、勤めていたところと同じ会社なんです。
・お仕事に復帰された現在、職場でも「寅さん」と呼ばれる事はありますか。
みんなから「寅さん」と呼ばれています。
名刺にも、愛称「寅さん」と入れさせてもらっているんです。
会社の社長就任披露パーティーで、会長さんから「余興をやれ」と言われました。
その時は、寅さんの格好をして、会社の商品(住宅)の叩き売りパフォーマンスをやりました。
・それは凄い。
住宅まで叩き売りましたか。
しかも、サラリーマン世界にとっては、一世一代の大舞台。
ところ変われど、「寅さん」は「寅さん」ですね。
明日は、掴んだ情報の真相にふれる中編。
ご期待あれ。

599声 軽食指南

2009年08月21日

先月中旬、ウイルス性胃腸炎を患い、その影響で体重が減った。
具体的には、3日で約3キロ減。
それを取り戻す様に、食欲は、日々じわりじわりと増進して行った。
一ヶ月を経た現在。
体重は元に戻ったのだが、食欲増進の歯止めが利かない状態である。
このままでは、大幅体重増の懸念が生じてしまう。
今日の昼も、ラーメン。
だけで止せばいいものを、ラーメンを大盛りにして、サイダー、だんご2本。
立て続けに注文してしまった。
しかも、躊躇せず大盛りにしてしまう。
結局、食べ過ぎると言う始末。
これには、本日暖簾をくぐったのが、軽食屋だった事も起因している。
「軽食屋とは何ぞや」
思った人は、駄菓子屋以上食堂未満の店と考えて欲しい。
本日の軽食屋は、ラーメンを主軸として、だんご、かき氷、あんみつなどを展開する、
老舗の軽食屋である。
勿論、価格も安いので、ついつい、駄菓子屋感覚で、過剰注文してしまいがち。
サイダーを飲みながら食べる、素朴な醤油ラーメンなんてのは、
ちと、味を超えた「旨味」がある。
軽食屋には軽食屋にしかない、「憩い」がある。
この点は、銭湯と同じだと思う。
だから私は、暖簾をくぐるのだ。
この店は、いずれ「名店のしきたり」に掲載しようと考えている。

598声 サマー・ライダー

2009年08月20日

「夏休み」
社会人になってからは、遠い昔の思い出の日々である。
運転中、脂汗を拭いながら、温い缶珈琲を啜っていると、沿道。
楽しそうに自転車を漕いで行く、こんがりと日焼けした中学生と思しきカップル。
自らの、遠い夏の記憶と相まって、回顧的かつ感傷的な気持ちになる。
清々しい彼等。
缶珈琲と二日酔いで、胸やけの私。
それぞれの夏。
毎年、夏になると、沿道で頻繁にすれ違うのは、この手のカップルだけで無く、
バイカーたちである。
それは、県内でも特に山間部が多い。
大型バイクを沿道に停車し、地図などを眺めている。
野営道具を後部座席に括りつけてられており、ナンバープレートは、遥か彼方の住所。
そのサングラスをかけたバイカーは、今、まさに、旅路の途中なのである。
そんな人たちとすれ違う際、無意識に羨望の眼差しを送っている。
ボキャブラリーの無い私は、直ぐに、映画「イージーライダー」のイメージと直結する。
映画冒頭部分、これから主人公の二人、長い旅路に出る際、
ハーレーに跨ったピーター・フォンダが、付けていた腕時計を外し、キスして投げ捨てる。
地面に落ちた腕時計のワンショットが映る。
次のカットは、排気音を轟かせながら、砂埃の荒野に走り去って行く、
ピーター・フォンダとデニス・ホッパーの後姿。
そして、ステッペンウルフ。
お馴染みのギターリフが炸裂。
自由へ向って疾走していた意識は、右ポケットの振動で呼び戻される。
ポケットから取り出すのは、携帯電話。
運転席の窓を開けて、「ポイッ」
ってのが、当然、出来る訳も無く、慌てて耳へひっ付け、
「はい、抜井です」
と言う具合になる。
自由への道のりは遠い。
Yeah Darlin’ go make it happen

597声 彼等のリズム

2009年08月19日

「賜物」がどうのこうのと述べていたら、鶴のひとこえ600声記念まで、
残すところ、もうあと3日。
こりゃ、堪ったもんじゃない。
今日は、文章のキレもいまいち。
と言うもの、今日はちと疲れた。
しかし、疲労が文章に影響しているのでは無く、
疲労を緩和すると言う名目で、普段より余計に飲んだ缶麦酒が影響している。
疲労の要因の一つとして、車の運転が挙げられる。
本日は、朝から晩まで、群馬県内をアタフタイソイソ右往左往。
運転席と尻がくっ付いてしまうのではないかと言う程、
運転しっ放しの一日だった。
仕事柄、良くある事なのだが、今日は特に走行距離が出ていた。
車を長時間運転するってのは、肉体的にも精神的にも、疲労する。
その疲労の具合は、何だか「生気」を奪われるとでも表現したくなる様な、
体の芯の部分から、疲労が波状的に広がって浸透してゆく感覚がある。
もっとも、長時間歩行と比べれば、肉体的な負担は格段に少ないだろう。
それでも、長時間運転の方が、疲労感が強く感じる。
その原因は、リズムだと思う。
徒歩ってのは、人間の生体リズムに合った移動手段で、
運転ってのは、それとは異なった移動手段。
だから、徒歩よりも総体的な疲労感が大きい。
一日中運転していた日は、神経が高ぶっていて、寝付きが悪い。
だから、飲む。
一日中歩行していた日は、足は棒になっているが、寝付きが良い。
だけど、飲む。
「結局飲むんか」と、自ら突っ込みを入れてしまった。
それじゃあ、イカンのである。
網戸越しに、蛙の声。
夜っぴいて鳴いている彼等は、さぞや疲れるだろう。
とは思わない。
とても小気味良いから、リズムが。

596声 上州は利根川の賜物 後編

2009年08月18日

昨日のつづき
その行程の中から、一つ例を挙げる。
そぞろ歩きで、ふらりと立ち寄った、市内に在る土着の中華食堂。
店に入り、注文したラーメンを啜ると、手打ちの縮れた平麺。
コシが強く、醤油スープと良く合って美味い。
私の地元では、中々お目にかかれないラーメンだが、何処かで食べた事のある味。
その後、館林の情報通の方に、このラーメンの話を伺ったところ、館林は栃木県に隣接している為、
栃木の佐野ラーメン系統の流れを組む店が、多くあると言うのだ。
成程、あのラーメンの味は、佐野ラーメンだったのだ。
そして、近年、徐々にその勢力を拡大し、今や県内南東部では珍しく無いらしい。
気になって、先程まで色々と東毛地区の事を調べていた。
この佐野ラーメン系統が分布する、群馬県内南東部から栃木県は、
「両毛デルタ地帯」と呼ばれているのだ。
それにしても、「デルタ地域」とは壮大な印象を受ける。
この言葉を意識したのは、社会科の授業で習って以来である。
「エジプトはナイル川の賜物」
で有名な、ナイル川の三角州であるナイル・デルタや、エジプト文明などが思い出される。
それを踏まえて言うならば、
「上州は利根川の賜物」
話は一杯のラーメンから、文明にまで飛躍する。
だから、街歩きは面白いのかも。

595声 上州は利根川の賜物 前編

2009年08月17日

群馬県は、古来、「上毛野国」と呼ばれていた。
上毛があれば下毛もあって、栃木県がその「下毛野国」であった。
その名残は現在でも、群馬県の新前橋駅と栃木県の小山駅を結ぶ、
「両毛線」の名に見られる。
その「毛」の国、群馬県では、県内を東西に分けて、
「東毛(とうもう)地区」、「西毛(せいもう)地区」と呼んでいる。
それと同じ方式で、北の部分は「北毛(ほくもう)地区」、
県庁所在地の前橋市がある中央部分は「中毛(ちゅうもう)地区」となっている。
その由来までは、此処では述べない(見栄を張っているが、つまりは浅学)。
そして特に、東毛と西毛地区。
この二つの地区に土着する人が会する場所ではしばしば、
「文化の差異」が話題になり、やがて論戦になる。
その戦いは、どちらかと言うと、私の私見だが、あまり友好的な結末を得ない。
双方が、手を取り合うと言う平和的解決に、一度も出会った事が無い。
必ず、「アイツよりオレの方が」と言う、平行線を辿る様な試合展開になる。
そして、「オマエの力は借りない」だとか、「コッチはコッチ、ソッチはソッチで」、
と言う様に、お互いに背を向けてる有様。
古来からこの調子(見た訳ではないので、多少推測)。
この地区には、交わる事無く、独自に発展した相反する文化がある。
街歩きなどをしていて、それを感じる時が面白い。
私は西毛地区の高崎市出身(旧群馬町)なので、
東毛地区の街歩きでは、地元地域との文化の差異を感じる。
先日、「第9回ワルノリ俳句ing」で行った、館林市でも、それを存分に体感して来た。
長話も何なので、明日へ続けてみる。

594声 夏の寂寞

2009年08月16日

夏の日差しから逃れる様に、近所の図書館へ行った。
館内で、黒沢映画を観賞していたら、肩を叩かれた。
目を覚まして、ヘッドフォンを取って振り返ると、図書館の人。
いつの間にか寝てしまって、閉館時間が来てしまったのだ。
いつもは7時だが、今日は休日で5時までなのを、すっかり忘れていた。
ビデオテープを返却して、図書館から出る。
満車だった駐車場には、ポツンと私の車が一台。
余程疲れていたのだろうか、ひと眠りしたら、
疲労感が一気に増大した感覚がある。
全身倦怠感を背中にしょって帰宅。
自宅にて、麦酒を飲みながら、昨日の俳句を見返しているのだが、
現在時刻20時だと言うのに、もう睡魔の奴がお呼びである。
机の前の網戸からは、「リリリリり」、秋虫の声が聞こえる。
時折カーテンを揺らす風には、もう乾いた涼しさがある。
遠くの闇に、花火の音。
そこはかとなく、寂寞。

593声 残響する蝉時雨

2009年08月15日

朝夕の風韻は、もう秋の兆し。
しかし、日中はまだまだ日盛りの酷暑。
本日開催された、第9回ワルノリ俳句ingを終え、今しがた帰宅。
ややあって、どうにか終電に転がり込んで、帰って来れた。
館林の街、商店、文化施設、銭湯、ビアガーデン、そして、下町夜市。
そのどれもが、刺激的であり面白味満点であった。
特に下町夜市は、地元商店街による、実に軽妙酒脱で活気あるイベントだった。
その模様は、五・七・五に写して来たので、以降のクレインダンス情報に発表する。
心地よい疲労感に包まれつつ、寝床に就く。
思い出されるのは、生麦酒の喉越しと、耳の奥に残響する、蝉時雨。

592声 都会美人or田舎美人

2009年08月14日

PCモニターを睨みつつ、腕組みする事、45分。
一向に、更新に値する内容を着想しない。
随筆家が、創造に窮して回想から着想を得ようとする時は、
こんな気持ちではなかろうか。
なので、昨日を引きずる。
方言、つまり上州弁以外にも、共感を得ない地域文化がある。
まず、食に関してその最たる物が、「焼きまんじゅう」だと思う。
露店などで焼きまんじゅうを焼いていると、漂ってくる煙に、
私などは懐かしい匂いだと感じるが、東京人に言わせれば、得体の知れぬ匂い。
「味噌だれが焼ける香ばしい匂い」と言う意識が無いから、尚更である。
そして、大抵の人が、餡子の入った饅頭が串に刺してあると思うらしい。
中には餡子の入っている焼きまんじゅうもあるが、基本形は餡子無しである。
しかも、まんじゅうと言っても、焼きまんじゅう特有である、
中身ふかふかの素まんじゅうである。
それに、甘い味噌だれをたっぷり付けて、焦げ目が付くまで焼く。
見た目にも、食感にも、さぞ面妖な食べ物だと感じるのだろう。
焼きまんじゅうの本場は、前橋市以南の東毛地区だとされる。
私の住んでいる高崎市は、西毛地区。
焼きまんじゅう文化の熱にも、若干の差異がある。
地域に焦点を当てれば、パスタかと思う。
高崎市は、パスタの店、消費量共に多く、全国でも屈指だと言う。
特筆すべきはその量で、多くのパスタが、通常メニューで山盛り。
これらのパスタは、近年、「高崎パスタ」として括られ、
新たな郷土名物として、名乗りを挙げている。
私も、子供時分からこの高崎パスタを食べて来た。
其れは未だ、パスタなんて洒落た呼び方で無く、
スパゲッティと呼ぶのが主流だった頃。
他の地域で外食した際、注文したパスタの量が少ないと感じていた。
そして、高崎のパスタは味が濃いとも、高崎外パスタとの比較で感じた。
思えばこれも、軽いカルチャーショックである。
現在でも偶に、首都圏に展開するパスタチェーン店などで注文すると、
この差異を感じ事がある。
さしずめ、東京のパスタは、洗練された都会美人。
群馬のパスタは、心優しい田舎美人。
どちらも魅力的で、末永くお付き合いしたい。

591声 方言なんさぁ

2009年08月13日

内では普通だと思っていた事が、外では通用しない。
良くある話で、私の体験では、言葉。
高校を卒業し、初めて県外で暮らしたのだが、友人になった東京都出身者に、
「それ、群馬県の方言なの」と尋ねられた。
どうやら、私の話し言葉の語尾に、矢鱈と「さぁ」が付くらしい。
例えば、
「この前さぁ、土曜の朝にさぁ、電車に乗ったんさぁ、そしたらさぁ」
と言う具合に、「さぁ」の連結が甚だしいのである。
それまで、18年間に及び、自分が標準語を話していると思っていた観念は、
この時に打ち砕かれた。
所謂、カルチャーショックと言うヤツだ。
以降、数ヶ月、自らの上州弁を意識しながら、慎重に会話していた。
群馬県人に戻った今となっては、自らの上州弁濃度は、随分と濃い。

590声 酔いどれvs牛蛙

2009年08月12日

台風が去り、やっと、夏らしい気候が戻って来た。
しかし、こう暑いと、おしぼりで額の汗を拭いながら飲むビールが、
当然ながら美味い。
だから、酒量が増えていけない。
近頃、どうも生き急ぐ様な飲み方をしてしまう。
と言っても、酔っ払いの模糊たる感覚なので、其処まで切迫した状況でも無いのだが、
自然と飲むペースが速くなる。
生麦酒を1、2杯飲むと、もう焼酎やらウイスキーやら何やら、重量級の酒へ手が伸び、
決まって痛飲し、二日酔いになる。
それまでは、じっくりと麦酒を飲み、かつ肴をつまみつつ、
ゆっくりと焼酎方面へ移行して行った。
そう言う飲み方は、心地良く酔いが回り、酒の抜けも良い。
一頻り飲んで家路につく。
最終的に、田圃の用水路脇で独りうずくまり、涙目になっている事態が、
この夏、度重なっている。
広大な田圃の闇夜に鳴く、数万匹の蛙。
なんだか全員から罵倒を浴びせられている様な、心持になる。
「うるせってんだ」
などと、此方も酔いどれて反撃する。
「オーン」
すると、何処からともなく牛蛙。
落ち着き払った低音の声で、世にも些細な紛争を制す。
「オーン」
ふらふらと、電燈の下まで行って、振り返る。
「オーン」
電燈の灯、滲んで見える。
「オーン」
「るせってんだ、まったく」
「オーン」
苦笑いで、和睦。

589声 うどん屋さんのお休み

2009年08月11日

正午過ぎ、私は上野村にいた。
川の畔をほっつき歩いていると、前から歩いて来た男に声を掛けられた。
「うどん屋さん、お休みですか」
成程、此処は、往来沿いに在るうどん屋から、直ぐ下の川だ。
私の事を、地元の人間と思い、声を掛けたのだろう。
「定休日は水曜の筈ですが、やっていませんでしたか」
今日は火曜である。
「名店のしきたり」に掲載させて頂いたうどん屋なので、定休日は知っていた。
「それが、やっていないみたいなんです」
川の畔から、往来へ上り、店先まで来てみると、「本日休業」の看板。
「残念でしたね、臨時休業みたいです」
「はい、また次回、来てみます」
その男は、がっくりと肩を落とし、脇に止めてある大型バイクへ戻る。
ナンバープレートを見ると、「豊橋」から来ている様だ。
バイクを見送って、また川の方へ引き返すと、
背にバイクの排気音が近付いて来た。
先のバイクが戻って来たかと振り向くと、別のバイク。
250ccの小柄なアメリカンタイプのバイクで、
シートには野営道具と思しき一式が括りつけてある。
私を発見すると、近くまで徐行して来て停車し、
エンジンをかけたまま、ヘルメットのカウルを上げ、大声で尋ねる。
「うどん屋さん、お休みですか」
「残念でしたね、臨時休業みたいです」
すると、その青年は、肩をがっくり落とし、また、来た路を戻って行った。
ナンバーは「青森」だった。
敷地の脇に在るベンチに腰かけ、
炎天下に響く、涼やかなせせらぎの音に、暫く耳を傾けていた。
すると、坂の下から、今度は2台。
しかし、うどん屋さんは、お休みである。

588声 カラカラ鳴るまで

2009年08月11日

台風19号の影響で、終日、雨。
夕方に雨は上がったのだが、明日、午前中には本州に接近する模様。
よって、また明日も雨。
これによって、東北地方の梅雨明けが無くなった。
梅雨明けが無くなる。
ってのも、耳慣れない言葉だが、ずれ込んでいた梅雨明けが見込めないまま、
雪崩式に秋に突入して行くらしい。
兎も角、そう言う事になってしまった様である。
関東地方の今年の夏は、梅雨明け宣言以降も雨続きで、
例年と比べ、随分と日照時間が少ない。
お天道様の目を逃れてか、各マスコミで報道するニュース記事も、
連日、世情不安を感じさせるものばかりである。
そう言えば今年、さんざめく蝉時雨を耳にしていない気がする。
これも、日照時間の減少に比例するものであろうか。
昔、私が住んでいた部屋は、アパートの3階だった。
ベランダの目の前には、銀杏の大木が聳え立っており、
丁度良い具合に、日除けになってくれた。
しかし、利あれば害あるもので、朝っぱらから狂い鳴く、蝉たちに悩まされた。
こいつ等はしばしば、網戸にしがみ付いて、「ミーンミーン」をやる事がある。
当時、夜型人間だった私には、まさに拷問の如き仕打ちだった。
しかしそれも、毎年お盆過ぎ、日暮れに涼やかな秋風吹く頃に、大部落ち着く。
落ち着くのは良いのだが、力尽きて落ち行く蝉が後を絶たないのだ。
暫く見ない間に、ベランダが蝉の死骸で埋め尽くされている。
その、カラカラになって息絶えている蝉たちを、箒で掃く、あの乾いた感触が、
秋の夕暮の物悲しさを感じさせる。
ような気にさせた。

587声 醍醐味行路

2009年08月09日

ホテルで朝食を食べていた。
安ホテルの朝食は、おしなべて、簡易的なバイキング形式である。
しかし、私などは、それでも十分に満足する。
旅中で食べる朝食は、美味しく感じる。
そして、普段よりも食が進む。
欲張っていつも、取り過ぎ食べ過ぎで、苦しむ破目になる。
これで、二日酔いさえなければ、今少し、快食できるのだろう。
私の斜向かいの席に、朝から賑やかな一団がいる。
60年配の夫婦が2組に、80年配のお婆さんが1人。
歓談している声が、明瞭に聞こえるのは、
その声量ではなく、方言の為だと思う。
その一団から聞こえてくるのは、関西弁だったのである。
その抑揚のある言葉尻を聞いていると、自らが旅の空に居る事を、
改めて感じる。
没個性型のバイキングよりも、聞こえてくる言葉の方に、
どうやら旅の醍醐味があった。
即ち、味覚では感じられなかった。
安ホテルなので仕方ないと割り切るが、それも少し、寂しい気がする。
群馬に戻って来て、ひょんな事から、
知り合いの小学4年生になる女子の、お誕生日会に参加した。
ケーキに立つ蝋燭は、10本。
彼女もとうとう、10代の大台に乗った。
これから、人生の醍醐味を味わって行く筈。
前途に並んでいる、色とりどりの料理。
焦らず、欲張らず、美味しそうなヤツを、選べよ。

586声 信州上田から名店に感謝

2009年08月08日

「第1回ぐんまの名店めぐり」から、一夜明けた。
今朝、起床した際、枕もとに空の麦酒缶が2本、立っていた。
枕もとに立たれるってのは、いささか気分が悪い。
おまけに、深酒の余韻が胸に残っており、身体的にも気分が悪い。
しかしながら、深酒の余韻は、昨晩の快宴に比例する。
めぐった名店は2軒。
どちらでも、非常に心地良く、酒食と歓談が楽しめた。
それに、往来から聞こて来る八木節の音頭が加わる、
これはもう痛快であった。
「居心地の良さ」
まずそれを客に提供するのが、
名店を名店たらしめる重要な条件だと感じる。
現在、小難しい顔をして、途切れ途切れな昨夜の記憶を引き揚げている。
そして、断片をつなぎ合わせて、本日、これを記載している場所は、
古びたホテルのタバコ臭い小部屋なのである。
場所は、信州の上田市。
何故か、上田に来てしまった。
今朝、枕もとに麦酒缶が2本立っていた事は、前述した。
その後、麦酒缶を退けて、寝床から這い出す際に、
床に散乱している本が目に入った、著者、池波正太郎。
そう言えば、昨晩深い時刻、太宰治論議を首に青筋を立てながら、交わしていた。
話を戻す。
記憶の引き揚げ作業は、稀に、思いがけぬも記憶を引き揚げてしまう事もある。
そう言えば、上田市街地に在る「池波正太郎・真田太平記記念館」は、
非常に見応えがあると、知人から聞いた。
時刻は未だ午前中。
其処で思い立ち、一寸、二日酔いの緩和も兼ねて、
足を延ばす事にしたと言う訳なのだ。
上田市街地は、七夕祭りの最終日。
夕方から、小雨が降り出し、山向こうに雷も聞こえる。
人通りも疎らで、街は落ち着いている。
今宵、桐生の名店に負けない店と、出会えれば良いんだけどなぁ。

585声 夏休みの味噌汁

2009年08月07日

本日夕刻より、「第1回ぐんまの名店めぐりin桐生」に出掛けようと思う。
夕刻の予定なので、是を書いている現在時刻は午前7時。
珍しく、早朝に書いている。
天気は生憎で、灰色の空は小雨模様。
子供時分の夏休み、朝7時と言えば、
近所の公民館で行われているラジオ体操から、丁度、帰って来る時刻。
その後はいつも、雪崩式に友達の家に紛れこんで、朝飯を食べていた。
他所の家の味噌汁と言うのは、面白いと、その時から思っている。
その友人宅の味噌汁は、具が大抵、ほうれん草だった。
赤味噌仕立てで、味付けは随分と塩辛い物で、それが普通だと言う。
しかし、汗をかいた後と言う事もあり、我家の白味噌で薄い味付けの味噌汁よりも、
一層旨く感じた。
しかし、家族の多い友人宅であったから、いつも賑やかな卓を囲んで食べていたから、
旨く感じていたのかもしれない。
などと、回想の中を回遊している。
そして、本日夕刻である。
実は私、本企画の最終的な参加者人数を知らない。
果たして、何人、来てくれるのか。
カウンターしかない店で焼き鳥を突いたって、やはり、
賑やかな方が旨いのではないだろうか。
特に夏は、そう思う。

584声 世知辛人の侵入を禁ず

2009年08月06日

80代の半ばに差し掛かる私の祖母祖父は、田舎で静かに暮らしている。
不精をして、余りか顔を出してなかったのだが、
先日、お盆も近い事だし、行ってみた。
暫く見ない内間に、また一回り小さくなった印象を、特に祖母から受けた。
最近は、めっきり足腰が弱り、外へ出るのが億劫だと言う。
「ちっとんべぇだけど」
そう言って、もういい歳になった私に、いつも、小遣いをくれる。
数年前から、気掛かりな事がある。
今回の訪問も、半ば、それが気になって、足が向いた。
それは、体調も然りなのだが、金銭の問題なのだ。
近年は、振り込め詐欺だとかで、高齢者を狙った詐欺が横行している。
祖母祖父、振り込め詐欺には引っ掛からないが、
細かい詐欺や、高齢者を狙った悪徳商法には幾度となく遭っている。
電気ブレーカー交換においての、過剰な代金請求。
通信販売の、怪しげな健康薬品。
訪問販売の、粗悪品の数々。
私が知るのは、氷山の一角である。
つい先日は、テレビの調子が悪く、電気屋を自宅まで呼んだ。
数分、異常箇所を見てもらっただけで、帰る時、
ガソリン代として約五千円取られたそうだ。
勿論、部品交換も何もしていない。
後で話を聞くと、何も異常は無く、単に、
リモコンボタンの押し間違えによる、勘違いだったらしい。
勘違いするほうも悪いが、それにしても、出張料金五千円は、
ちとボリ過ぎではないか。
この手の、商売以上詐欺未満ってのが、本当に多い。
世知辛い人には、あまり近づいてもらいたくないのだが、
中々、此方の思う様にはならない。
田舎も暮らしにくい。
とは、思いたくないのだが。