日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

572声 国政アルバイト

2009年07月25日

「いらっしゃいませ」
偶に行くラーメン屋の入口の扉を開けると、店内に元気の良い声が踊る。
私が席に着くと、声の主は直ぐに飛んで来て、水とメニューを笑顔で置いて行った。
女子高生のアルバイトだろう、兎に角良く動き、機転が利いて、礼儀正しい。
夏休み期間のこの頃は、街中の飲食店などで、高校生のアルバイト店員を見かける。
部活と掛け持ちの、短期アルバイトなのだろうか、こんがりと日焼けした彼等には、
活力が漲っている。
それと対照的なのは、スーツ姿のサラリーマン。
二日酔いか、はたまた熱中症か、血色の悪い顔をして、だらりと店内に入って来て、
崩れる様に席に座る。
このラーメン屋店内にも、私を含め、そんなダラリーマンが数名見受けられる。
皆一様に、「つけめん」だとか「冷やし中華」と、冷たい麺類を注文し、
アイスコーヒーか何かを、ストローでちゅーちゅーやっている。
そして、食べ終わっても、だらだらと新聞を読んで、中々、店を後にしないのである。
活力無い事、甚だしい。
私の前席で新聞を読んでいる、おやっさん。
その一面記事は、衆院選。
どうだろうか、永田町に一人か二人、夏期短期アルバイトの学生議員なんてのは。
活が入るかも。

571声 夏休みのエスカレーター

2009年07月24日

夕方のスーパーマーケット店内。
買い物籠片手に、夕食の買い物と思しき、勤め帰りの奥さん、数人。
皆、その齢が、自分と近い。
そう感じる事に、一寸感慨。
このスーパーは、複合型スーパーで、私の住んでいる街では老舗に当たる。
大規模小売店舗立地法が制定される以前、平成初期の郊外では未だ珍しい、
大型ショッピングセンターである。
隆盛を極めていた当時、2階建ての店内には、
スーパー、玩具屋、本屋、電気屋、薬屋、生活雑貨屋、服装飾屋、ゲームセンターなどなど、
様々な店舗があった。
生活必需品から娯楽まで網羅する、驚異の品揃えを実現していたのだ。
このスーパーが街の自慢だったし、或る種、寄り処と言った感覚さえ持っていた。
それが今、非常に元気が無い。
時代は流れ、大規模小売店舗立地法が制定された2000年以降は、
郊外に新手のショッピングモールが続々と立ち並び、集客に陰りが見え始めてきた。
私等が子供時分、夏休みともなれば、小学生たちが、蜜に群がる蟻の如く、
わさわさと朝からゲームセンターに蠢いていた。
昼になれば家に帰って食事を済まし、午後になるとまた、どこからともなく、
涼しい店内へ戻ってくる。
鬼ごっこをして、店員さんに怒られる奴もあれば、
こづかいをメダルゲームで使い果たし、友達にタカっている奴もいる。
その光景は何だか、学校で無い学校の様相。
偶に、自分の親と鉢合わせになって、げんこつをもらって泣いている奴も、
必ず一人は見かけた。
私は、一階と二階を結ぶ下りエスカレーターに右腕を掛け、
「シューッ」と滑って行くのが、得意であった。
そのお陰で、随分、鬼ごっこの時は重宝したが、店員さんにも良く怒られた。
そのスーパーに、今、子供等は居ない。
ゲームセンターは在るが、遊んでいる子は、殆ど見受けられない。
子供が居ないゲームセンターは、酷く、褪せて見えた。

570声 小さいカブトムシ

2009年07月23日

先の月曜日、海の日の休日。
沼田へ行っていた。
朝、時刻は9時頃であった。
駐車場に停めてある車に戻って来ると、
何やら、小さく黒い物体が蠢いている。
腰を屈めて、覗くと、カブトムシである。
角を掴んで、目の高さまで持ち上げると、
元気に体を捩って足を振り回す。
子供時分に見ていたカブトムシよりも、一回り小さく感じたが、
愚鈍な動きと力強さは、あの頃と同じだ。
持ち帰って、近所の子にあげようかしら。
と思ったが、止めた。
きっと、此処が良いに決まってる。
「飛んでけ」
淡い期待を込めて、軽く畑の空へ放り投げてみた。
カブトムシはそのまま、畑の土へ落下して、もがく。
もがいているが、空は掴めない。

569声 ダブルチョーキング

2009年07月22日

本日、自分が以前から好きだったギタリストの訃報が、Yahooニュースに載っていた。
学生時分、俄かにロックを聴く様になり、自分でも演奏する様になった際に、
多大な影響を受け、更にのめり込む切っ掛けとなった、
「THEE MICHELLE GUN ELEPHANT」と言うバンドの、ギタリストだった。
つまりは、憧れの存在である。
今年に入って、偉大なミュージシャンの他界が多い。
2009年は、日本ならずとも世界の音楽史にとって、悪夢の年である。
そしてまた、様々な形で展開される「追悼」によって、
故人の偉大な足跡を再認識するのだろう。
しかしそれは、生きている私たちの驕りでもある。
姿が無くなって、今後の作品が聴けないのは残念であるが、
自らの記憶と、過去の作品は、しっかりと残っている。
いつでも其処に、音楽と、在る。
そして時々、驕った私たちは、夜な夜な酒場の隅などに集まって、
あなた方の偉大な功績で、一杯やる心積もりだ。
皆既日食の日。
夜半の虚空に黙祷。

568声 思考回路変更レバー

2009年07月21日

川柳と俳句。
兄弟の様だけれども、相反する性質を持つ。
如何なる点が異なるか、それを順に列挙して述べる。
と言う様な芸当は、素人の私には出来ない。
しかしそれは、句作してみれば感ずる。
使用する思考回路が、全く違うのだ。
先日、相川考古館で行われた川柳会に参加し、それを改めて痛感した。
席に着き、眉間に皺寄せ腕組んでも、一向に気の利いた句が出来ない。
しかし、一寸した俳句はぽつりぽつりと浮かんでくる。
俳句回路から川柳回路へ、思考回路変更レバーを切り替えないと句作が困難である。
それが、如何せん素人な私、容易には切り替えられない。
そして、最近一寸、心に留めている事がある。
それも、その川柳会で再確認したのだが、
川柳が上手い人ってのは、その人柄自体が川柳の様な人である。
つまりは、川端に立って、風にそよいでいる柳の如く、
「ふらふら、くねくね、そよそよ」
とまぁ、変幻自在で掴み処が無い。
そんな人ほど、良い川柳を詠む。
気がするなぁ。

567声 瓦礫

2009年07月20日

昨日、昼間の事である。
高崎駅付近を車で走行中、沿道風景に絶句してしまった。
其処に在った筈の銭湯が、無い。
工事用の柵と、瓦礫の山から察するに、現在解体作業進行中。
江木橋湯。
と言う名の銭湯が、其処で営業しており、私も2度訪れた事がある。
高崎駅からも、頑張れば足を延ばせる距離にあり、旧街道沿いの情緒ある銭湯だった。
私が行った際は、いつも賑わっており、浴室内の撮影は後回しにしていた。
今夏、それも来週末辺り、もう一度訪れて、浴室内を撮影しようと思っていただけに、
非常に、心残りである。
この状況に直面し、一日経った今になって、其れが心に及ぼす影響を感じている。
街から、見慣れていた建物、それも歴史的建造物が、
忽然と消失する様を目の当たりにすると、一時、感受性は停止する。
「良い」とも、「悪い」とも、感ぜず、其処に「無い」と言う事だけ感じる。
そして徐々に、その建物に関連する事象に思いを巡らせ、「残念」と思う。
勿論、思わない人も多くいる。
やがて、街に住む人たちの記憶と共に、風化して行く。
其れは、市井生活を、少なからず無感動にさせる。

566声 時代無き浴衣

2009年07月19日

昨日、一寸した席で手持ち無沙汰だったので、隣席の女性(30代)に会話を振ってみた。
「昨日は、テレビで鬼平犯科帳のスペシャルやってましたね」
「えっ、何それ」
「時代劇です。火付け盗賊改め方、長谷川平蔵、ってご存知無いですか」
「えっ、誰それ」
「池波正太郎の・・」
「・・・・」
存在証明をする根気が無く、会話断絶。
柳家紫文さんの弾く、「ベンベン」と言う三味線の音色が、頭の中に反響。
思えば私、その女性が浴衣だから、時代劇の話を選定したのだ。

565声 何をくよくよ川端柳

2009年07月18日

本日、川柳をやるべく、七夕祭りにさんざめく伊勢崎市に出掛けた。
会場である相川考古館へ入場した時分には、
既にコの字型の机に参加者全員が着席し、短冊にペンを走らせていた。
急いで席に着き、冷汗を拭いつつ、荒っぽく捻り出した句を認めてゆく。
今回は川柳選手権なので、各賞が設けられている。
私は最優秀賞こそ逃したものの、相川考古館賞を受賞出来た。
相川考古館には、現存する群馬県内最古の茶室「觴華庵」があり、
茶道には縁の薄い私でも、眺めているだけで、感覚的な歴史的興趣が湧く。
この日も、茶人で賑わいを見せていた。
その後は、街中の七夕祭りを漫ろに観賞。
沿道の夜店からは、胃を刺激する香ばしい煙が漂ってくる。
から揚げに焼きそばにたこ焼きにお好み焼きにいか焼きにじゃがバター。
胃腸が本調子ならば、一網打尽にしてやるところだが、
今日のところは勘弁してやる。
そして夜半、三亀松の都々逸流れる中、寄り合い。
胃腸を案じ、この場でも断酒。
飲まないと居らんなくて、早々にお暇。
飲まないと居らんない。
と言う強迫観念を回避する為、飲むのかもしれん。
などと考えを巡らせつつ、帰宅。
異常を記述して就寝。

564声 夏の影

2009年07月17日

「素麺なんかで、さらっと」
だとか、
「あぁ、鰻の蒲焼きで活力を」
揚げ句には、
「ついでに、良く冷えた麦酒で一杯」
などと、往来の飯屋が目に入ると、考えてしまう。
と言う事は、大分、先の胃腸炎の病状も回復してきたと言う事だろう。
飯屋の看板よりも目に付いたのが、本日、終業式を終え、
嬉々として夏休みに突入して行く、学生等である。
ランドセルを揺らし、飛び跳ねながら帰る小学生。
県大会優勝を目指し、仲間と一緒に走って帰る中学生。
受験の瀬戸際に立ち、小難しい顔をして足早に行く高校生。
中には、就職の内定が決まらず、項垂れながら歩く大学生なんてのもいる。
皆、それぞれの夏が来る。
翻って考えるに、青白い顔して、力弱く素麺を啜っている私には、
どんな夏がくるのだろうか。
そう言えば明日、伊勢崎市は七夕祭り。
夏の願を短冊に認めてこようかしら。
しかし、私の事だからきっと、相川考古館で川柳でも作っている方が性に合う。
ともあれ、夏の病は始末が悪い。
なんだか、夏は影が濃いから。

563声 ウイルス様への嘆願書

2009年07月16日

七転八倒。
まさに、身を持って体験した状態である。
「畜生!未だ断続的に腹が痛てぇ」
などと、悪態がつけるまでに回復したが、昨日などは一日中、
便所に籠って半べそかきながら、悲痛な呻き声を上げていた。
便所から、這いつくばって寝床へ戻る。
途中でまた、冷汗かいて便所へ引き返すと言う始末。
やっと寝床へ戻って、徐にテレビなんぞ付ければ、
かき氷の早食いなんかやってやがって、それでまた、腹がご機嫌斜めになる。
しょうがねぇ、ってんで、蒲団を引っ被って寝よう、ったて、熱が39度も出て、
目が回って寝れやしねぇ。
全く、「ウイルス性胃腸炎」って事だが、一遍で良いから、
そのウイルスとやらの面を拝んで見たいものである。
面拝んだんだら、どうしても一言だけ言ってやらないと気が済まない。
「どうかひとつ、その、お手柔らかに、お願い致します」

562声 絆創膏レシート 後編

2009年07月15日

一昨日の続き。
直ぐに思い当たった。
飲み屋のレシートである。
それも、キャッシュレジスターから発行された売上明細書では無く、
スナックバーなどで見る、絆創膏サイズの紙に、手書きで金額が記載されたレシート。
そう言えば、コンビニなどで貰うレシートは、レジ横の回収箱に入れてくるのだが、
あの絆創膏レシートは、金額を確認すると、ぐしゃっと丸めて、ポケットに捩じ込む。
だから、店を出た後も、忘れてポケットの中で丸まっている事が、度々ある。
思い返せば、あれも面白い光景である。
会計を頼むと、店のママが絆創膏レシートを出す。
カウンターの男は、そのレシートに書かれている金額を「チラッ」と見る。
ここは皆、必ずチラ見である。
眉間に皺寄せ、まじまじと見る人は見掛けない。
そして内心の、「あれ、結構いくなぁ、何がそんなにどうして…」、
などと煮え切らない気持ちは露も見せず、
澄まし顔で、二、三、静に小さく頷き、素直に財布から札を引っ張り出す。
会計を済ませ、思ったよりふら付く足取りを悟られない様に、そそくさと店を出る。
少し歩いて電信柱の薄明かりの下、ポケットからまたレシートを出し、まじまじと眺める。
また、ぐしゃっと丸めて、ポケットに捩じ込み、歩道の小石を蹴りながら帰る。
洗濯を終えたジーンズ。
どうやら、絆創膏レシートが何枚も入ってた様で、未だ、紙屑まみれである。

561声 ウイルス性胃腸炎

2009年07月14日

と言う診断が私に下ったのが、本日の昼下がり。
今は病床に臥せっている。
なので、昨日の続きは、また明晩。
これ以上書いてると、読者にうつるかもしないので、これにて。

560声 絆創膏レシート 前編

2009年07月13日

伊勢崎市では、本日の最高気温37.2度を観測。
永田町では、麻生首相が衆院解散を遂に決断。
そして此処、高崎市の外れで、私は今宵も煩悶。

いくら煩悶しても、半熱中症気味の頭では良い内容など思いつきそうにも無いので、
恥を忍びつつ、今朝の愚行をひとつ。

こう暑いに日に、洗濯機の蓋を開けて、ぐるぐる回る洗濯槽を眺めていると、
思わず、自らも洗濯物と一緒にジャブジャブと戯れたくなる。
「はっ」と我に返り、悔恨の念を込めた哀しい視線を、洗濯槽から外す。

極単純な不注意で、ジーンズのポケットに紙切れを入れたまま、洗濯機で洗ってしまった。
仕出かした事のある人なら、察しが付くと思うが、これは豪い目にあう。
脱水が終わった洗濯機の蓋を開けると、異変に気付いた。
洗濯槽にへばり付いて縮じんでいるジーンズに、びっしり、
紙屑がこびり付いているではないか。
紙屑を一つづつ取って、確認すると、どうやらレシートの様である。

さて、何のレシートだったかは、また明日。
暑い夏は、小まめに水分、小まめに更新。

559声 ふぐりと淑女

2009年07月12日

「梅雨の雨音は、夏本番前のドラムロールであろうか」
などと、きざっぽい事を書いて、苦笑。
然しながら、この日刊「鶴のひとこえ」にも、時折、詩的な部分を覗かせねば、
数少ない読者諸氏も、飽きてしまうのではないか。
と言う危惧が、そこはかとなく、私を急くのである。
何故、その打開策が詩的に至ったかは、指摘しないで欲しい。

この様に、毎度、安直なギャグで得意気になり、うらぶれた飲み屋のカウンターで、
背を丸めながら焼き鳥など突いて、瓶麦酒をチビリチビリ。
この様な、矮小かつしみったれた男と言う著者像が、
幾度と無く読者に刷り込まれている。
これでは、チト上手くない。

先日、有楽町のガード下を通った時などは、未だ夕方の浅い時刻だと言うのに、
銀座を闊歩していそうな、所謂、妙齢の淑女が、ガード下の飲み屋で一杯やっていた。
焼き鳥屋の煙渦巻く店内で、ジョッキの取っ手を掴んでいるではないか。
その三越あたりで買ったであろう、ブランドのバッグに、醤油染みでも出来たらと、
見ている此方が気を揉む始末。
その光景を今思い出し、このインターネット界において、場末サイトのコンテンツであるが、
「もしや」、と言う淡い期待の表れ。
それが、冒頭文に反映されている。
煙で匂いの付く心配も無ければ、醤油が飛ぶ心配も無い。
ガード下の焼き鳥屋よりは、気軽に立ち寄れる筈なのだ。

思い立って、裏の田圃の畦道を散歩。
道端に群生するコバルトブルーの可憐な花。
もう初夏であるのに、春の花が健気に頑張って咲いているではないか。
上手い具合に見付けた、牧歌的であり、かつまた詩的なその情景を写真に収め、
早速自宅に戻り、図鑑と照らし合わせる。
「おおいぬのふぐり(ごまのはぐさ科)」
犬のふぐリを想像したら、何だか馬鹿馬鹿しくなり、牧歌も詩的も、
妙齢の淑女も、直ぐに辞めちまった。

558声 中山道中膝栗毛

2009年07月11日

今日は、何の用事がある訳でないのだが、埼玉県に行ってみた。
埼玉と言うと、群馬からは隣の県で、馴染みの深い県と言える。
地理情報も知らない訳では無いので、別段目的地は定めず、出発した。

交通手段は、電車で行きたい所だったが、偶には気分を変えて、車で行く事にした。
私は道路事情に疎いので、国道17号線を東京方面へと上る、非常に単純な経路をとる。
住んでいる高崎市を出て、上里町、本庄市と、車を駆って国道17号沿いの街を、
次々通過して行く。
順調に走行して、北本市、桶川市も通過。
車窓の外は、徐々に都会風景になってゆく、沿道風景。
風景は良いのだが、はて、途中で見るべき所を発見出来ぬ儘、
随分と上って来てしまった。
考えている間にも車は進んで、上尾市を通過して、
さいたま市に差し掛かろうかと言う所。
是はちと不味い展開、脳裏には怪しい雲の気配漂う。
更に進めば川口市、その先はもう、東京都北区ではないか。
別に、行っても良いのだが、外は夕暮れ時、日帰りが困難になる。
其れより何より、先程から交通渋滞で、甚だしい混雑に巻き込まれている。

目的地も定まらぬまま、さいたま市まで来てしまった。
出て来た道路の分岐は、大宮駅方面と東京方面を示す。
咄嗟に、駅方面へ左折し、大宮駅前ロータリーでUターン。
とうとう、目的地を見付けられぬまま、帰路に着く破目になってしまった。
寄ったのは、途中のコンビニだけである。
しかし、目的地が自宅に定まった事で、皮肉だが、
妙な安心感を覚えつつ、渋滞の中を進む。
戻って来る途中、前橋市街地の交差点で信号待ちをする、夥しい人数の青年男女たち。
中には浴衣を着ている者も多数、見受けられる。
「そうか、前橋は、七夕祭り、だったか」
呟いて、通過、夜半に帰宅。

557声 一日の執行猶予

2009年07月10日

さて、夕焼けは綺麗だし、丁度仕事も終わったし、酒場に出掛けるとするか。
そう思い立って足取りも軽く玄関へ行き、サンダルを履いて「よっこらしょ」。
ってな瞬間に、間が悪い事に、記憶の片隅にある引出しから、
「ぽろっ」と小さな用事が転がる。
その用事には、「日刊鶴のひとこえ」と、刻まれている。

刹那、サンダル履きの足に幻影。
鉄の足枷がしっかりと嵌めてあり、枷から伸びている鉄の鎖は、
しっかりと部屋のパソコンに結ばれているではないか。
「万事休す」
今度は足取りも重く、玄関から部屋へ戻り、背中を丸めてパソコンへ向かう。
如何にかこの足枷を外して、束の間の自由を味わいたいのである。
煩悶しながらも何某かの文章を書き殴り、もとい、キーボードを叩き殴り、
やっとの思いで一日分を更新する。
そして、逃げる様な心持で、そそくさと家から出て酒場に転がり込む。
一日の執行猶予を肴に、いかさしか何かで、一杯やる。

556声 2009年のカンカン帽

2009年07月09日

服飾の流行には、近年めっきり疎くなってしまった。
雑誌やテレビなども、関心が薄れているので、服飾関連は流し見ている。
今年の流行色も知らない様な有様なので、当然、服など季節毎には購入しない。
仮に購入しても、場当たり的に錆びついたセンスで選んで、
頓珍漢な物を選んでしまう傾向が強い。
そんな私でも、稀に、と言うより偶然、流行を先取りしたファッションを、
取り入れる事もある。

つい先日、いつもの様に流し見ていたテレビは、朝の情報番組である。
立て続けに短いコーナーが続き、偶さかにファッションのコーナーになった。
若い女性ファッションモデルが、今夏の流行を紹介している。
次の瞬間、朝食のパンを千切る私の手が止まってしまった。
モデルが被っているのは、今夏に流行間違いないと紹介されている、麦藁帽子。
それはまさに、「カンカン帽」ではないか。

何故、今夏にカンカン帽が流行ると、私が驚かねばならないのか。
それは、とこの調子で、のんべんだらりと説明していると、
陽が昇って来て仕舞いそうなので、詳細は省く。
兎も角、私は去年の夏、中之条町役場公式HPにある「なかのじょうタイムス」やら、
中之条町歴史民俗資料館のポスターやらで、「地蔵峠とカンカン帽」と言うものをやった。
「やった」と言うのは、作・演出・出演であるが、急ぎ足で先へ進む。
この、「地蔵峠」と「カンカン帽」とは、そう言う呼称の二人なのだが、
私はその「カンカン帽」の方で出演した。
当然、いつもカンカン帽を被っているから、カンカン帽と呼ばれている。
そう、今夏流行間違いなしと太鼓判が押されている、カンカン帽である。

その企画以降も、私はこのカンカン帽を気に入って、プライベートでも頻繁に被っていた。
計らずとも、流行を先取っていた事になる。
Tシャツとジーンズにカンカン帽と言う、或る種奇抜な格好に、
去年から今年にかけて、街ではいささか冷やかな視線を感じていた。
したがって今夏、流行最先端であるこのカンカン帽を被り、大手を振って、
街の目抜き通りを闊歩するつもりである。

「地蔵峠とカンカン帽」

http://www.town.nakanojo.gunma.jp/~nakanojo-times/200906/kitetokusyu.htm

555声 ナメクジとの関係

2009年07月08日

今日はゾロ目。
それはさて置き。
古今亭志ん生じゃないが、この時期になると、奴と出くわす機会が増える。
それも、自宅の中での事。
どうせ、宵闇に紛れて迷い込んでしまい、自棄を起こしているのだろう。
洗面台や、玄関のタイル壁などに、大威張で踏ん反り返っている。
その姿ときたら、ふてぶてしくも一寸ひょうきんである。
まったく、ナメクジって奴は。
中には、見つけ次第、即刻、塩振りかけの刑に処する。
なんて判決を下す、無慈悲な人も多いと聞くが、それではあまりに可哀想ではないか。
思えばつくづく可哀想な奴で、田畑で人間に見付かろうものなら、
目の敵にされ、即刻死刑執行。
民家の家屋内で見付かっても、同じ。
ましてや、人の目を掻い潜ったとて、陽の高くなる頃には行き倒れているのが関の山。
なかんずく、子供等に見付かった奴などは、
火あぶりや、水攻め、炭酸攻めなどの拷問刑に処せられ、惨たらしい死を迎える事も多い。
しかしながら私、どうも、ナメクジに対しては、
嫌悪感と言うよりもむしろ、親近感を覚える。
それは、私と言う人間が、ナメクジに対し、何処か通ずる部分があるからだろう。
確かに、この梅雨季節、朝の寝床で目が覚めてからも、もぞもぞやって、
中々夜具を剥げない様は、或る種、ナメクジに通ずる部分があるのでは。
などと、雨振りの朝に考えている節があるのだ。
では、そんなナメクジの気持ちが分かる私が、
自宅の、例えば、深夜の洗面台で、出くわしたらどう対処するか。
答えは簡単、箸で摘んで外へポイ。
後は野となれ山となれ。
しかし、朝の寝床で私の体を、箸で摘んでポイと外へ出してくれる存在は無い。
この点では、私よりも、ナメクジの方に歩があると言う事になる。