日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

637声 新型騒動における小田原評定

2009年09月28日

「もしや、新型」
などとこの時期、ついつい思考が直結してしまうのが、インフルエンザ。
朝起きて、少々の倦怠感を覚える。
普段よりもなんだか、食欲も薄い。
そして止めは、テレビのニュース。
「大都市圏での新型インフルエンザの流行が深刻化」
なんて言うテロップが、始終出ている。
「これは、罹ってしまったかな」
と思うのだが、喉の痛みや咳は出ない。
しかし、私も社会人のはしくれ。
一抹の不安を抱きつつも、家を出て勤め先へ行き、仕事をこなさなければならない。
本来なら、新型インフルエンザの疑いがある場合は、
まず、各地域の発熱外来へ行かなければならないらしい。
要は、感染の拡大を防ぐ為、病院に行く前に保健所へ行ってから、
然るべき病院を指示されると言う具合になっている。
現在は、どうにかこうにか一日を終え、いつもの事ながら、これを夜半に書いている。
結局、症状から見るに、新型の可能性は薄く、きっとインフルエンザでは無く、
疲れが出た程度だろう。
こう言う、素人判断が危険だと分かりつつも、判断は出来るのだが決断が出来ない。
決断せずにないがしろにする、その油断が、大変な事態を招く。
とは分かりつつも、結局、脳内会議は小田原評定。

636声 幻のちんちん電車

2009年09月27日

「フウォーン」
と、あれはおそらくSL「奥利根号」の音であろう。
この列車は、高崎駅と水上駅間を行く、臨時列車だと記憶している。
住まいのある旧群馬町で聞こえるので、
新前橋駅から前橋駅あたりを走行中の汽笛と思われる。
車が行き交い、住宅が立ち並んだ現代でも、音は随分と響くものである。
それらが未だ整備されておらず、周囲が田ばかりの、SLが現役で動いていた時代には、
さぞや遠くまで響き渡っていた事だろう。
群馬県内において、明治から昭和時代を生きた人程、
鉄道を身近に感じていたのかも知れない。
逆に言えば現代、若者ほど鉄道離れが進んでいると言う事である。
鉄道離れと言えば、私が「東武伊香保軌道線」の存在を知った時は、衝撃を受けた。
私が住んでいる生活圏に、過去、路面電車が走っていたのである。
この伊香保軌道線は、明治から昭和初期の間、高崎駅と前橋駅前から、
渋川を経由して伊香保までを結んでいた路面電車。
その存在を、全く知らないで生活して来た。
現在、この幻の路面電車がもし残っていれば、
これほど観光資源になる路線は県内に類を見ない。

635声 流れ作業のかがり火効果

2009年09月26日

夜、近所の日帰り温泉へ行った。
行きつけの日帰り温泉なので、風呂場での行動は慣れたものだ。
浴室へ、入ってから出るまで、風呂を楽しむと言うよりは、
流れ作業式に、一連の動作を黙々とこなすと言う感がある。
体を洗ってから、サウナへ入る。
サウナから水風呂へ入り、またサウナ。
幾度かこの往復を繰り返して、露天風呂へ入る。
露天風呂から内湯へ浸かり、最後に体を軽く流して出る。
三度の食事を取る様に、あるいは顔を洗って歯を磨く様に、
生活の一部である風呂場での行動は、自然とその所作に無駄が無くなる。
公衆浴場で、良く見掛ける常連客を見ると、皆一様に、流れ作業式入浴方法である。
その流れ作業の中で、ふと千思万考の機会を得るのが、露天風呂へ浸かっている時。
此処の露天風呂には、温泉から出る天然ガスを利用したかがり火がある。
夜空の下、生き物の如く揺らめく炎を見つめ、滔々と湧き出る湯の音を聞きながら、
湯に浸かる。
物を考えるには打って付けの環境なのである。
しかし、どう言う訳か、揺らめく炎を裸で見つめていると、どうも、太古の人間の心持になる。
太古の人間の心持がどう言うものかは分からないが、
つまりは、本能を刺激される様な心地である。
若干ではあるが、野性的な思考回路になる。
そして風呂上がり、銭湯では無いので、腰に手を当て瓶牛乳とは行かない。
決まってコーラを飲む。
今日も例外無く、自動販売機でコーラを買ったのだが、
押したボタンは普通のコーラであった。
いつもなら、ダイエットコーラだの、ゼロカロリーコーラだの、
カロリーオフの商品に手が伸びるのだが、今日は違った。
これも、かがり火効果の影響だろうと思う。
久しぶりに飲む普通のコーラは、なんだか野性的な味がした。

634声 書籍化構想

2009年09月26日

本サイトのコンテンツ「とっておき探訪」で連載して来た、
「群馬路地裏銭湯記」の書籍化を考えている。
考えていると言っても、もう腹は決まっていて、現在、少しずつではあるが、
発売出来る様に事を進めている。
かと言って、出版社などで刊行され、書店に平積みさせる様な本でも無いので、
自ら制作から発売までの過程を担う訳である。
所謂、自費出版と言う形になる。
発売を目指して、大海原へ船を漕ぎ出した。
それは良いのだが、如何せん肝心の船は手漕ぎボート。
おまけに、漕ぎ方も知らずに出航したものだから、推進力が出ない。
日々、波に煽られている始末。
しかしながら、もろくも瓦解し、失われ行く、市井文化の保存。
銭湯の本と言う形で、それを残して行きたい。
ごまめの歯ぎしり程度ではあるが、一石を投じて見たい。
前橋中心市街地より、そんな事を思いながら、ふらふらと自転車で帰って来て記す。
兎にも角にも、やるなら今しかねぇ。

633声 土産物屋の貝殻細工

2009年09月24日

シルバーウィークも終わり、各観光地もどうやら一段落。
ETCの割引効果で、泣いた所もあれば、笑った所もある。
高速道路のインターから外れた都市などは、苦戦を強いられた事だろう。
一方、インターから交通の便が良く、かつ駐車場の広い観光地などは、
その恩恵を大いに享受できた筈。
先の小旅行の道中、私が立ち寄った観光地で、特に驚かされたのが、
各地の「道の駅」である。
土地土地の道の駅は、何処へ寄っても大入り満員。
地場の特産品を買う人、名物料理を食べる人、
旅の道中で憩う人たちがごった返している。
この大型連休に照準を合わせ、多くの道の駅が多彩なイベントで観光客を迎えていた。
地場食品で有名な所は、地場食品試食フェア。
特産品で有名な所は、特産品の体験、実演フェア。
大河ドラマ「天地人」で有名な所は、天地人フェア。
この様に、道の駅に一歩足を踏み入れれば、財布の紐は緩みっぱなしになってしまう。
したたかと言うか抜け目無いと言うか、そのたくましい商魂には恐れ入った。
利用する側も、見る、買う、食べると、観光の醍醐味を味わう事が出来る。
だから、多くの客が立ち寄るのであって、ともすれば、
道の駅を目的地として旅行する人が、少なくないと言う。
翻って、昔から有名な海沿いの観光地。
昔堅気で昭和の雰囲気漂う、土産物屋を覗いて見た。
そこでも驚かされた。
私が小学生時分、親の反対を押し切って買ってもらった土産物が、
寸分違わぬ姿で、未だに販売されているではないか。
タペストリーにキーホルダー、ボールペン等々。
そして、貝殻細工の天井から吊るす飾り物の数々。
商魂はもはや、発酵、熟成し、埃塗れで眠っている。
寝かされた土産物は、得も言われぬ香気を放つ。

632声 景勝野郎

2009年09月23日

陽は傾いて、海の上。
凪いだ波間を、黄昏に染めている。
夕陽、海原を一筋に伸び、其れはあたかも、輝ける道の如し。
などと、自らの料簡を気障野郎にさせる位、日本海に沈む夕陽は綺麗だった。
群馬から新潟、新潟から群馬。
その道中、車窓風景には延々と田園風景が広がっていた。
見渡す限り、黄金色に波打つ稲穂。
丁度時期で、農家の人たちが稲刈りに精を出していた。
方法は変われど、悠久の昔から続く、人々の営みの光景。
寄せては返す波。
その一つの波紋の様なものでは無かろうか。
人の一生など。
とまたもや、魚沼の田園に沈む夕陽があまりにも綺麗だったので、
自然と気障なセリフを吐かせる。

631声 新潟市

2009年09月22日

兎も角、海。
それも、日本海。
見たくなって、北上。
新潟の朝は、小雨交じりの薄曇り。

630声 村の夜は深い

2009年09月21日

その鍋の肉が鹿だと知らされたのは、あばら骨を掴んで肉に齧りついている時だった。
特有の香りと濃厚な肉の味わい。
夜の林の中、太古の男を気取って、夢中で骨をしゃぶっていた。
都会の飲食店では味わえない、上野村ならではの味わい。
「クライマーズハイ」と言う作品があって、テレビドラマや映画になっている。
その撮影現場として使われた旅館。
と言う事を知ったのは一昨夜。
鹿鍋を平らげてから、たけなわになった親睦会の宴席を辞して、上野村内に在る、
その旅館に着いてからの話だった。
歴史ある旅館で、広間の柱には、明治時代初期に起こった秩父事件の際に出来た刀傷が、
現在でも生々しく残っていた。
ビジネスホテルでは味わえない、古い宿ならではの味わい。
味わい深い村の味わい深い夜に、深く酔った。

629声 遊冶郎日乗

2009年09月20日

上野村での第10回俳句ingを終え、一旦家に帰って来て書いている。
この一旦っちゅうのは、また出掛ける用事があるから。
丁度、放課になった小学生が家へ帰って来て、玄関にランドセルを放り投げて、
また遊びに出掛ける様な具合である。
ランドセルを放るか、PCに文章を放るかの違いで、
小学生時分となんら変わらぬ事をやっている。
しかし、子供時分は外で元気に遊んでいると褒められる事もあったのだが、
それが今や、「あの遊冶郎」と近所で後ろ指を差されている。
だから私は、つまりは、もう、出掛ける時間が来た。

628声 自然の中で筆とる日

2009年09月19日

明日の俳句ingの為に、本日より上野村に入る予定である。
俳句ingは明日の朝だから、明日出発すれば十分間に合うのだが、
本日夜に現地で宴席がある。
なので当日、集合時間に遅れる心配は無い。
「山の懐に抱かれる」
と言う形容が相応しく、山の中にある上野村。
過去に2回ほど宿泊した事があるが、夜が心地好い。
兎も角、辺りは森閑としていて、虫の声に紛れて、時折、梟などが鳴いている。
露天風呂に入りながら、夜霧に浮かぶ山を眺めていると、
山から鵺の声でも聞こえて来そうである。
そんな風景が詩情を誘わない訳は無い。
自然と筆も進むと言うものだ。
そう言えば、昔、上野村に在るコテージの管理人から聞いた話がある。
それは、夏も過ぎた初秋の頃。
コテージの予約が入った。
宿泊者は、若い女性独りきり。
不審に思ったのだが、断る理由も無く、了承。
その女性は、コテージに来て、日がな一日、
散歩したり管理棟に在るレストランで食事をしたりし、後はコテージに籠りっぱなし。
時々、思いつめた様な顔をして、コテージ横に掛る吊り橋から下を覗いている。
「こりゃ、自殺志願者なのかな」
と、管理人は密かに思い抱いだいた。
しかし、若い女性客なので、無暗に近づいても悪いと思い、一定の距離を置いていた。
毎日、気を揉みながら、付かず離れず、その人の動向を気にしていた。
連泊に次ぐ連泊。
滞在1週間が経とうとしていた或る日。
その女性は、レストランで夕食を食べながら、「明日帰る」と言う旨を管理人に伝えた。
管理人は、思い切って聞いてみた。
「随分ゆっくりされていたみたいですが、毎日、何をなさって過ごしていたんですか」
すると、その女性は笑みを浮かべて、
「小説を書いていました、お陰様で、滞っていたものがやっと完成しました」
やはり、天然風景は詩情や想像を豊かにし、自然と筆も進むのものなのだ。

627声 打ち上げ食堂

2009年09月18日

眠い。
ちゅうのも、今週一週間、常に眠かった様な思いさえある。
季節の変わり目だからか、朝起きてから日常生活を営む上で、
睡魔につけ込まれる回数が、やたらと多くなった。
天気の穏やかな日が続いていると言う事も、一つの要因だろう。
我ながら、呑気なものだと思う。
明日からは、世間全体が呑気に空気に包まれる。
大型連休、俗に言う「シルバーウィーク」だ。
其れに伴って本日、サラリーマンなどは、連休前の打ち上げをする一団も多い筈。
夜の街の居酒屋で一杯。
通常ならばこう来るだろうが、本日、私が目にした打ち上げはちと様子が違った。
昼飯時。
行きつけの食堂で、独りラーメンを啜っていた。
すると、暖簾をくぐって来たのは、付近の工場と思しき作業着を着た人たちの一団。
座敷席へ上がり、それぞれ、注文する。
ここで吃驚したのが、注文の仕方が、居酒屋での打ち上げでよく見られる方式であった。
「はい、じゃあ飲み物から」
「コーラの人は手を挙げて下さい」
「1、2、3・・・、はい、じゃあコーラ以外の人、はい、斉藤さんは何ですか」
「ウーロン茶」
「はい、藤井くんは」
「オレンジジュース」
「あっ、俺もオレンジ」
ってな方式で飲み物だけを先に注文し、各席に飲み物が行き渡った所で、幹事の挨拶。
乾杯してから、食べ物の注文。
皆、カツ丼やカレーライス、ラーメンに餃子を突きながら、歓談している。
打ち上げの内情はどうも、昨今の経済不況による業績の圧迫で、
暑気払いやなんやらの打ち上げが伸びに伸びてしまった。
中止も惜しいので、止むを得ず、経費の掛らぬ昼食打ち上げにしたと言うものらしい。
宴もたけなわ。
一本締め、ないしは三本締めこそないが、13時10分前には、幹事が速やかに閉会の挨拶。
一団は潮が引く様に店を辞して行き、店内はまた静かになった。
しかし、深刻な経済不況の波は、以前として市井生活からは引いてくれない様である。
呑気に欠伸もしていられない。

626声 八ツ場ダムのからあげ定食

2009年09月17日

昨夜、鳩山内閣が発足した。
それに伴って、選挙前に掲げたマニュフェストを断行すべく、
各大臣たちが党の意思を明言している。
その中で、とりわけ本県に関わりが深いものは、八ツ場ダムの建設を中止だろう。
組閣直後から、前原国土交通相が表明していた建設中止を、
つい先程、鳩山首相が首相官邸で記者団に対して明言した。
地元住民の人たちは、相当気を揉んでいる事と思う。
しかし、私などは呑気なもので、お茶を啜りながら朝刊を読み、
晩酌の麦酒を舐めつつテレビニュースを見て、気を向けている程度。
八ツ場ダムの建設現場付近に、一軒の食堂がある。
顧客の大半は、建設現場で働く仕事師たち。
昼に行くといつも、屈強な男たちが丼飯を掻き込んでいる様な店である。
そう言う店だから、安くて量も多く、味も素朴で美味い。
その店のからあげ定食が好きで、行った際は頻繁に注文していた。
このニュースを見て、真っ先に思い巡らしたのが、この食堂であった。
八ツ場ダムの建設が中止になったら、あの食堂は大丈夫だろうか。
ダムの建設の功罪対しては、浅学故に意見出来ないが、
あのからあげ定食の味は、地域に残ってほしい。

625声 高見の丘の見物

2009年09月16日

高崎市に、「鼻高展望花の丘」と言う丘陵地が在る。
今日、丘の一本道を通ったら、丁度満開。
丘を埋め尽くさんばかりに咲き競う、鮮やかなコスモス。
秋晴れの青空に映え、可憐に揺れていた。
コスモス畑の脇には、ちょこんとススキが群生していた。
秋の陽は釣瓶落としで、暖色を帯びた陽射しが、穂をキラキラさせている。
近づいて見ると、ススキの茎にじっとしがみ付いている、キリギリスが1匹。
秋の夕方の花見とは、中々、風流な奴である。
そんな事を思っていると、コトンと地べたへ落っこちて、
たどたどしく、叢の陰に跳ねて行ってしまった。
さては、アリさんの家でも冷やかしに行ったか。

624声 私の秋の恒例行事

2009年09月15日

秋の恒例行事と言えば映画祭。
どう言う巡り合わせか、一昨年、昨年の10月は、映画祭に参加していた。
一昨年は、片品村で開催された「第2回尾瀬の森映画祭」。
昨年は、会津若松市で開催された「第10回あいづふるさと映画祭」。
私のささやかな楽しみであった、この秋の恒例行事も、どうやら今年で一旦休止。
どちらの土地も、三紫水明の地であったから、景観が良く、食が美味い。
とくれば、当然、酒がすすむ。
そう言う土地は、器の大きな、気持ちの良い人を生むのだと、実感した。
そして、どちらの映画祭にも共通していた上映作品が、「男はつらいよ」である。
元はと言えば私も、「男はつらいよ」フリークが高じて、ひょんな話の運びから、
映画祭への切符を掴んだ。
会津では、山田洋次監督に会えた。
兎も角、経緯が巡り巡って、大変貴重な体験が出来た。
今年の秋は、独りゆっくりと「男はつらいよ」の好きなシリーズを、
観賞しようと思っている。
しかし、酒だけは会津の地酒で楽しもう。
会津でしこたま美味しい地酒を飲んで以来、少しは日本酒が分かる。
ような気になっている。
「男はつらいよ」では、寅さんが旅する、美しい日本の山村風景が映っている。
見ているといつも、ふらりと、尾瀬へ行って見たくなる。

623声 港から民宿まで 後編

2009年09月14日

昨日の続き。
では、インターネット普及以前はどうだったか。
懇意の宿がある人、旅行雑誌できっちり事前計画を立てる人などは事前予約。
それ以外の人は、現地調達である。
この現地調達人口が、多くを占めていたと記憶している。
子供時分の家族旅行。
宿を決めずに出発するお父さんってのが、結構いた。
私の親父もその類で、日本海に浮かぶ、名前も聞いた事が無い様な、
得体の知れない小島に行くってのに、事前予約をしないで出発した。
船が港に着いてから、島役場の出先機関かなんかの観光案内所で尋ねるのだ。
「今、島に着いたんですが、今日、宿泊できるところ、どこか紹介して下さい」
ってな塩梅。
そうすると、係りの人が当てずっぽうにに電話して、予約を取り付けてくれる。
暫くすると、軽自動車に乗った民宿の親父が港に迎えに来て、一家揃って、
荷台に乗っかって民宿まで向かう。
ガタゴト揺れる荷台にしがみ付き、「とんでもない所に来てしまった」と思っていた。
すると、後ろから我が家族の乗るオンボロ軽トラを追い越して行く、一台の送迎バス。
どうやら、島で唯一の高級ホテルの送迎バスらしい。
すれ違い様、車窓に映る、自分と同年配と思しき可愛い少女と目が合った。
向こうはクーラーの効いたバスで、高級ホテルへ向かう。
こっちは、喘息の如きエンジン音の軽トラの荷台で、民宿へ向かう。
あの夏、あの島、あの時に痛感した胸の痛みと共に、
(これ比喩表現ではなく、肉体的な痛みを伴って)忘れえぬ思い出の一場面となっている。
もっとも、私の親父が事前予約をしたところで、結局は同じ民宿に泊まったと思う。
そして、その民宿も、行って見るとなかなか良かったんだ。

622声 港から民宿まで 前編

2009年09月13日

週末に迫った、5連休。
巷じゃ、「春のゴールデンウィーク」に対抗して、
「秋のシルバーウィ−ク」なんて呼称が付いた。
猫も杓子も観光集客だってんで、先週辺りから、私のメールアドレスにも、
登録している観光関連のサイトから、烈火の如くメールが来ている。
メールの惹句を見ていると、なんだか旅行に出掛けねばならない様な気が起こる。
なので秋の行楽シーズン、今頃になって遊山の計画を立てている。
そして、現段階において、既にこの小旅行計画が頓挫しかかっている。
時、既に遅し。
何処も満室で、宿の予約が取れないのだ。
辛うじて、地方都市のビジネスホテルが空いているくらい。
観光地、温泉場などになると、ほぼ全滅。
私はインターネットで検索しているのだから、ネット予約ができる宿に限られるのだろう。
しかし現代は、鄙びた温泉場の小さな宿だって、HPを持っている時代。
つまりは、ネットで検索し、一覧参照および予約を取り付けてから出発するのが、旅の定石となっている。
しかも、宿泊予約仲介サイトなどから予約すれば、幾らか宿泊料が割引になるし、
「ネット予約の方に限り朝食無料」なんて言う、
「インターネット割引」を導入している宿も多くある。
この割安感が、近年のネット予約普及に拍車をかけた。
ぐちぐちと書いていたら、図らずも、
前後編に分けなければ掲載できない分量になっていた。
続きはまた明日。

621声 露天風呂の玉手箱 後編

2009年09月12日

昨日の続き
ヤバい、と言うのは好意的にヤバいらしい。
そして、話を聞いていれば、と言うか聞こえ来るので聞いているのだが、
この大学生らは、何やらアウトドアサークルの一団らしい。
そして今日、群馬県の何処かでキャンプをした帰りに、この日帰り温泉に寄ったのだ。
サウナから出て、露天風呂に浸かりながら、
こんなにも軽薄な会話をしていたのだろうかと、若き日の自分と照らし合わせてみる。
すると、露天風呂。
女湯の方から、何やらうら若き乙女の、
などと、こんな俗な表現をしている自分にいささか幻滅するが、
若い女子の艶のある声が漏れ聞こえて来る。
あの声はもしや、先程のサチでは無いか。
いや、良く聞けばユミと言う線もあるな。
などと、声音から想像、半ば妄想しつつ、気付けば心地良くうとうとしていた。
竜宮城。
女子大生たちと絢爛豪華な饗宴をしている、私。
三味線を爪弾く乙姫様からお酌を貰い、勢揃いした天女を見渡せば、
チュロスを食べているサチと妖艶なユミも居る。
夢見心地で、もう一杯。
飲もうとしたら、
「ウ゛ェッホン、カッ、カッ、カーッ、トッ」
露天風呂の排水溝に、隣の親父が痰吐く声。
夢見心地の競演から引きずり戻され、非常に不快な目覚め。
艶のある若い声も何処かへ消え失せ、おばちゃんのガラガラ声が空しく響いている。
露天風呂の岩陰に、蓋の開いた玉手箱でもあったのかしら。

620声 露天風呂の玉手箱 前編

2009年09月11日

滴り落ちる汗も拭わずに、焦点の合わぬ目でぼんやりと宙を見つめている。
ここは、日帰り温泉のサウナ。
隣から聞こえて来るのは、大学生と思しき男二人の会話。
「じゃあ、一年のアイツはどう」
「あの金髪のヤツかい」
「そうそう、小柄の」
「アイツは一寸、ギャル過ぎるな」
「そうかなぁ」
若い男二人。
サウナでの、話題なんてのは、いつの世も同じだ。
「俺さぁ、この前の連休、サチとディズニー行って来たんだけど」
「えっ、俺、年末に行ったんだけど、ディズニーにサチと」
「ウソ、マジで」
「マジマジ」
「・・・・」
「あいつ、チュロス、食った」
「うん、あいつチュロス食ってたよ」
「チュロス好きだよな、あいつ」
「うん、チュロス好きだよ、あいつ」
ひょんな話題から、気まずい空気が室内に流れる。
サウナの熱さか、女心の移り気を思ってか、二人に苦悶の表情が浮かぶ。
「ユミいるじゃん、隣のクラスに」
「あー、いるねぇ」
「アイツは、どう」
「どうって、アイツはヤバいだろ」
「だろ、アイツはヤバいよな、マジで」
「今日のアイツ、特にヤバかったな」
「ヤバかったなぁ、今日のアイツは」
どうやら、もう寝ないとヤバそうなので、この続きはまた明日。