日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

1473声 風物の美

2012年01月13日

冬天。
年明けからここ数日。
まさに、冬の空らしい、硬そうな雲の上に澄んだ青空が広がっている。
山陵に滲んで行く夕焼けが、とても綺麗で見とれてしまう。
高崎市からでも、少し小高い丘に登れば、白銀に輝く南アルプス連峰が望める。

厳寒の折、風物の美しさには感動している。
その山が峻険であればあるほど、登山家をひきつけると言う。
やはりそこに、かかる危険と天秤にかけても、他では得難い美しさがあるのだと思う。
部屋の中で、鼻水垂らしながらラーメンと一緒に啜っている私が言うことでもないが。
きっと、そうだと思う。

【天候】
終日、風もなく穏やかな晴れ。
いよいよ、寒さ厳しい。

1472声 凍結

2012年01月12日

殊に寒い、ここ数日は。
まだ大寒前だと言うのに、連日、今年の冬の最低気温を更新している。
身も心も、寒さに弱い体質なので、最近、風呂に入った後は直ぐに寝てしまう。
この日刊「鶴のひとこえ」の更新だとか、届いたメールの返信だとかは、
明朝に後回しにしている。
そして、朝。
当然ながら、吐く息が白いような部屋で作業できる筈も無く、数日溜めてから、
一気に諸事を片付けると言うペースになっている。

この際なので、今回はじっくり言い訳してみようと思う。
朝、一応やろうとはする。
パソコンの電源を入れ、立ち上がるまでに顔を洗って、取り掛かろうとはしている。
「している」のであるが、うまくいかんのである。
その原因を端的に述べると、「寒さ」。

まず、パソコンが立ち上がる間に、顔を洗おう。
洗面所に行って、湯の蛇口をひねる。
ひねって、戻して、ひねって、戻しても一向に湯が出ない。
そう、寒さで水道管が凍結しているのであろう。
もう、諦めて冷水を顔に当て、それで洗顔したことにして、パソコンの前に座る。
すると今度は、パソコンがインターネットに繋がらない。
電話回線が凍結することはあるまいが、これは契約しているプロバイダによるもの。
激安の契約内容なので、こう言うところに弊害がある。

一連の作業で憔悴し、まだ返信で来ていない年賀状を書こうと思い立ち、ペンをとる。
手紙の上にペンを走らせると、これも、寒さでインクが固まってしまって書けない。
もう降参して、いま、夜半に苦しみながら書いていると言う次第。

【天候】
終日、快晴。

1471声 辰之助の年

2012年01月11日

明日の朝が、この冬一番の冷え込みらしい。
その冷え込みが、夜半の今にしてもう始まっており、
部屋の中に居て息が白い。
新春ロードショーの「釣りバカ日誌」をテレビで見ていたら、
すっかり、深い時間になってしまった。

辰年である、今年は。
なので、石橋辰之助の句を読もうと思う。
「読もう」っても、私は石橋辰之助の句集を一冊も持っていない。
書店に行って注文しても、買えないのが、古い句集である。
石橋辰之助は昭和23年に亡くなっている作家なので、
当然、句集は古本で探すしかない。

句集を一冊も読んで居ないのに書き出すのは無謀だが、
先日、歳時記をめくっていたら、こんな例句に出合った。

桑枯れて日毎に尖る妙義かな   石橋辰之助

上州に住みなしている俳人のような視点で、冬に移り行く妙義を捉えている。
辰之助俳句と言えば、言わずものがな、浮かぶのは「山岳俳句」である。

朝焼の雲海尾根を溢れ落つ

霧深き積石(ケルン)に触るるさびしさよ

ここにあるのは、「山歩き」の視点でなく、「山登り」の視点。
登山家でもあった石橋辰之助の句が、「山岳俳句」と言われるゆえんである。
しかし、この妙義の句を見つけて、彼の山岳俳句の奥行きが、とても興味深くなった。
のちの新興俳句運動時代の句も合わせて、今年は是非読みたい作家のひとりである。

【天候】
終日、快晴。
午後から風強く、冷え込み甚だし。

1470声 優しい魔法

2012年01月10日

春昼や魔法の利かぬ魔法瓶  安住敦

なんて言う絶妙なユニークを漂わせている句がある。
春の昼ならば、軽く微笑んで済ませられるが、いま、この一月の真冬時期となると、
見過ごせぬ現象である。

先日、ポットを買った。
電気ポットでなく、ジャーポットと言われる、所謂「魔法瓶」のポットである。
ステンレス製のものでなく、昔ながらの「ガラスまほうびん」というもの。
そっちの方が値段が安かった、と言うこともあるが、
より「魔法」感が醸し出ていたからである。
それまで使っていたポットは二十年選手で、大分古いものだった。
魔法の利き具合も大分弱って来ており、朝入れた湯が昼を待たずに冷めてしまい、
温い茶を啜らねばならぬ事もしばしばあった。
今度のポットは、まだ使い始めたばかりだが、新しい分、やはり魔法のよく利く感じがする。

ボタンひとつで湯が湧く。
と言う文明の利器は、素晴らしい。
しかしどうやら、魔法を使ったほうが家計にも、地球にも優しそうである。
去年の春以降から、生活の些細な場面で、そんなことを考えるようになった。

【天候】
朝は晴れ、午後になり曇りがち。

1469声 群馬の三助

2012年01月09日

窓は、雲一つ無く澄み亘った青空である。
それがもう、目に沁みて痛い。
いわんや、二日酔い。

這いつくばるようにして、近所の日帰り温泉へ出掛け、
入浴と言うか、ただひたすらに治癒していた。
浴室で椅子に腰かけたまま、半分寝ていると、背中から声。
「旦那、お背中お流し…」
振り返ると、お世話になっている知人であった。

三助。
と言う役職の仕事内容の説明は、長引く二日酔いの影響で、
ここでは詳しく書かないけれども、その一つに、湯客の背中流しがある。
背中を流してもらう事など、大人になってからはない。

さて、浴室に居た知人は、「三助修行」と言う事で、
現在、幾つかの日帰り温泉を中心として、活躍している。
せっかくなので流してもらうと、やはり素人には無い手つきで、
これがとても気持が良い。
「慣れたものですね」
そう声をかけると、
「常連のお爺ちゃん連中に教えてもらったんや」
と、はにかみながら教えてくれた。
話ながら流してもらっているうちに、背中がぽかぽかと温まってくるのが分かった。

【天候】
終日、快晴。

1468声 夕焼け身支度

2012年01月08日

さて、綺麗に夕焼けてきたので、そろそろ身支度を整えねばならぬ。
「夕方から身支度を整える」
と言うのも、女性ならば艶っぽいが、おっさんに片足。
いや、身半分突っ込んでいる私では、なんの艶も無い。

仲間内の新年会へ出掛ける。
松の内も過ぎて、この週末が最後の新年会の予定となる。
明日が成人の日なので、街中の安酒場などでは新成人たちが、
阿鼻叫喚のどんちゃん騒ぎを繰り広げている事だろう。
これから行く集まりは、私を含め、おそらくおっさんたちしか来ないので、
心持が楽である。

身支度。
たって、帽子かぶってマフラー巻いて、ジャンパー羽織って、おしまい。
あとは、チョイとおめかしして、胃薬くらい飲んでおこう。

【天候】
午後から風強くも、すっきりと晴れ。

1467声 里山から焦土へ

2012年01月07日

一月も、はや七草の頃である。
年明けから酷使してきた消化器官を中心とする各臓器。
それらがいよいよ悲鳴を上げているし、早急にやらねばならぬ用事も、
ぼちぼち息を吹き返してきた。
そんなこんなで、口内炎は中々癒えぬし。
人生の中で七草がゆを食べる機会に恵まれず、それを口にした事は無いが、
いま、せつに食べてみたいと思っている。

こう言う時は、自然味溢れるエッセイなど読みながら、早めに寝るに限る。
部屋の床に転がっている本から見繕えば、飯田龍太などうってつけである。
俳句に親しみのある人ならば、即座に頷けると思う。
俳人の書く随筆と言うのは、これが中々面白い。
観念と写実の配合を心得ているからだろうか。

しかしながら、寝床に就いてあれこれと本を変え、最終的にじっくり読んでいる本が、
坂口安吾だったりする。
龍太から安吾へ。
春爛漫の里山に居たはずが、冬ざれの焦土を彷徨い歩いているのである。

【天候】
終日、快晴。
もう幾日も雨が降っておらず、乾燥甚だしい。

1466声 風物の中の以降以前

2012年01月06日

明日までは松の内だが、正月の雰囲気は早くも町に薄い。
左義長、所謂どんど焼きも、明日には多く見られる。
しかし今年は、「本来なら」、と付け加えねばならない。

今日、こんな話を聞いた。
今年は、どんど焼きが中止になっている地域が、
私の住んでいる高崎市にも、随分あるらしい。
「にも」と言う事は、特に東日本に多いのだろうが、その原因が「放射能」なのである。

「どんど焼き」
私も子供の頃に毎年、地域のどんど焼きに参加していた。
三角形に竹を組んで、大量の藁で覆い、門松や注連飾り、書き初めなどを入れて燃やす。
そして、私の地域では、「まゆだま」おそらく、「繭玉」から来ているのだろうが、
そう言う名前の三色団子を、一緒に焼いて食べた。

放射能に汚染されているかもしれない。
その最たるものが藁だろうが、そう言うのが、中止の原因らしい。
やはりこんな地方の一風物の中にも、2011年以降以前があるのだと、しみじみ感じた。

【天候】
終日、快晴。

1465声 踏み外さざるを得ない

2012年01月05日

今年初の。
と言っても、正月空けてからまだ5日目であるが、初の二日酔いである。
それも、強烈な。

梯子酒の最後に寄った焼き鳥屋。
それ以降、どこかに置き忘れて来た記憶は探さない事にして、
重たい頭を引きずったまま、一日を過す。

目的のある酒は、あまり良くないと言う。
例えば、寝る為に飲むとか、むしゃくしゃした気持を紛らわす為に飲むとか。
そう言う酒には、中毒性が強くあるらしい。
一歩づつ、確かめながら歩くようにして杯を重ねているつもりが、
一寸した拍子に、足を踏み外して、泥酔まで転がり落ちてしまう事がある。
そう言う時を振り返ると、大抵、何か荷物を背負っている。
昨夜も。
私は、中毒やらなんやらにはならないと踏んでいる。
そこまで強くない、体が。
それをいま、中々戻らぬ体調に、実感している。

【天候】
終日、快晴。

1464声 正月の影

2012年01月04日

待てど暮らせど、来ない。
バスが、である。
まさか、正月4日から休業と言うこともあるまい。
そう思って、寒風吹きすさぶバス停で、首をすくめつつ坂道の彼方を眺めていた。

呼吸気管を病んでいるかのように、「ゼーハー」言いながら、坂道を上がって来て、
妙なブザー音と共にバスがドアを開けた時には、予定時刻を15分も超過していた。
そのまま乗車し、えらく焦っている荒い運転に揺られつつ、北上して行く。

終着のバス停がある駅までは、旧街道をひたすらに上る。
赤錆の浮き出たバス停。
大きな商家の崩れかけた土蔵。
暖簾を下ろして久しい商店の数々。
西日に照らされる車窓風景は、正月と言えど陰鬱な影があった。

途中のバス停で、手押し車を押した御婆ちゃんが乗って来た。
3つバス停を越すと、御婆ちゃんは4つ目のバス停で、
寂しそうな場所へ降りて行った。
上州弁で言うなら、足を引きずりながらの乗り降りは、「おおごと」そうだった。
胸の奥が、微かに、いや軽い動機を伴って、ふるえた。

【天候】
終日、快晴。

1463声 角打ちの流儀

2012年01月03日

正午から終日。
お天道様の高い内から、往来で酒を飲む。
そんな事をやっていても、白い目で見られない。
と言う事だけでも、お正月はいいものだと思う。

西新井大師の参道には一軒、古めかしい角打ちの酒屋がある。
聞けば、創業もう100年はくだらないと言う。
ビールケースをひっくり返して往来の脇に座り、樽酒を升で酌む。
置いてある塩を、升の角の縁に一つまみ盛り、
それをアテにして飲むのが「通」である。
と言う角打ちの流儀は聞いた事があったが、この升飲みを実践したのは、
昨日、この西新井大師参道の店が初めてだった。
近所のおやっさん連中は慣れたもので、破魔矢なんか片手にふらりと来て、
この樽酒を二三杯ひっかけて、またふらりと帰って行く。
滞在時間、およそ30分。
見ていて、清々しい飲み方である。
ここでもやはり、群馬県との文化の違いを、大きく感じてしまった。

【天候】
終日、雲多くも晴れ。

1462声 平成24年新春俳句ing

2012年01月02日

「いまどこ」
目的地の伊勢崎駅まであと一駅と言うところで、メールが入った。
やきもきしながら、私の到着を待っているのであろう。
伊勢崎駅へ列車が到着するや否や、ホームへ飛び出して、
東武線改札を目指す。

今日は、毎年恒例の「新春わるのり俳句ing」の開催日。
今回は、伊勢崎駅から東武線へ乗って、西新井大師を目指す。
太田駅から特急りょうもう号へ乗車して行くので、快適な鉄道の旅である。
全車両座席指定のりょうもう号だが、この日乗車した車両は満席。
座り切れずに、ラウンジに立っている人もチラホラ居るくらいの、盛況ぶり。
窓側の席へ座って、参加者一同、車窓俳句を量産しつつ、
思い思いに二日の晴天を眺める。

「西新井大師前」
と言う、まさに大師様の前にある駅へ着き、参道から境内へ足を向ける。
途中、丁度昼時と言うこともあり、角打ち、所謂立ち飲み屋で、
おでんや湯豆腐を囲み皆で年酒を酌む。
そうなりゃもう、正月を楽しもうてぇんで、参道にずらりと並んだ屋台で一杯。
長蛇の列で参拝して、また一杯。

日も暮れかかる頃、当てずっぽうに入った店で句会。
皆の投句を見れば、吟行序盤、行きの列車の中で作った句ばかり、
やけに多かったのはお正月の御愛嬌。
今年も、無事にめでたくい初句会と相成りまして、
一年慶を願うばかりでございます。

【天候】
晴れたが午後より風強く、一次的に御下がり。

1461声 謹賀新年 2012

2012年01月01日

2012、辰年。
本年もひとつ、宜しくお願い致します。

今年の元旦、いつになく穏やかな日和でした。
朝から近所の神社に初詣に行くと、福引きをやっており、
みかんとノートが当たりました。
まぁ、それがハズレの景品なのでしょうがね。
近所の年寄衆は、境内で一杯やっており、そこはかとなく、
お目出度い雰囲気を味わえました。

その後は、祖母の墓参りなど済ませ、すっきりとした気持で、
新年の淑気を感じております。
いま、自宅のテレビに映っている「笑点」も、本年で46年目だそうで、
歌丸師匠が元気に口上を述べ、一同で鏡開きをしたところ。
さて私も、はや一杯やりたくなって参りました。

明日は、毎年恒例の「新春俳句ing」として、「西新井大師」へ出掛けてきます。
そう言えば昨年、「投稿」で俳句を募集したところ、以外にも多くの方に、
ご参加いただけた記憶が御座います。
そこでどうでしょう。
今年も、昨年に引き続いて、句を募集致します。

句が思い付いた方は、是非、Topページにある【お問いあわせ】から送って下さい。
「俳句」と「名前」(下の名前だけでも可)。
「俳号」がある方は、是非、号をお忘れなく。

「わるのり」俳句。
なんて言って、周囲の俳句愛好者の方々から「けしからん」と怒られているくらいですから、
どうぞ、お気軽にご投稿下さい。
そうですねぇ、1月3日あたりを、締め切りとさせて頂きます。
「新年詠」
と言う事で、特に私の選は加えず、独断と偏見を駆使して、掲載句を絞ります。

そして、クレインダンスへの年賀のお便りも、【お問い合わせ】から、お待ちしております。
それでは、全ての読者皆様のご健康とご多幸を、心よりお祈り申し上げます。
では、乾杯!

2012.1.1 夕方  「めっかった群馬」編集長   抜井 諒一

【天候】
日本晴れ。

1460声 昼寝日和

2011年12月31日

週の初めの天気予報では大荒れ。
その予報に反して、穏やかなる快晴の大晦日である。

焦点の吸いこまれそうな青空を眺めながら、テレビを点けっ放して、
いま部屋でぼんやりと過ごしている。
年越し蕎麦は、インスタントが買ってある。
今年は祖母が他界してしまったので、
腕まくりしておせち料理を作る人がいなくなってしまった。
なので、スーパーで出来合いのお節を買ってくれば済んでしまう。

さて、今日は特に昼寝日和なので、そろそろ一年の挨拶でもし、
座布団を折りたたんで、もうひと眠りするつもりである。
毎日、読んでくれた人、時々、読んでくれた人、今日初めて、読んでくれた人。
全ての読者諸氏に、感謝の言葉をおくります。

「一年間、ありがとうございました」

「めっかった群馬」へのメールは、大晦日も元旦も受け付けております。
是非、お便り下さい。
それでは、来年もよろしくおねがいいたします。

【天候】
終日、よい天気。

1459声 数え日の中の宿酔

2011年12月30日

棒に振った。
一日を、である。

朝から、と言っても起床したのがもう午後を回っていた。
そして、正午過ぎから夜半の現在まで、宿酔と戦っていた。
年の瀬のここへ来て、宿酔で一日をおそろかにすると言うのは、とても残念である。
しかし、気の緩みから生じたことなので、甘んじて湧き上がる悔恨を受け入れ、
終日、反省していた。
しかし、いまはもう調子が戻っていて、湯上がりの麦酒でも飲みたい心持である。

明日は大晦日。
天気も良いらしいので、今日の分を取り返すべく、朝から散歩でもしてみようと思う。
年末に買った俳句関連の月刊誌では、新年特集が組まれており、
俳人のお歴々が新年詠を載せている。
新年の句、と言うのは、やはり新年を迎えてから鑑賞した方がよい、と感じた。
新年の句と言うのは、それまでの四季とはまた違った味わいがある。

元日や手を洗ひをる夕ごころ  芥川我鬼

こんな微妙な黄昏風味、年末には合わない。
新年の駘蕩とした雰囲気の中で、味わっていたい。

【天候】
終日、冬日和。
風もなく穏やか。

1458声 同類相憐れむ

2011年12月29日

年賀状を出し終えて、ひとつ胸のつかえが下ろせた。
私は特に年賀状に凝るタイプでもないので、
ちょっとしたポストカードに、郵便局の干支スタンプを押して済ましてしまう。
恐ろしく字が下手なのだが、一応、印刷ではなく手書きしている。
同類相憐れむ。
自分も、あまり上手でない、いやまわりくどい言い方はやめて、
へたっぴな字の年賀状を頂くと、とてもうれしく、安心する。

そして、毎年新年二日に開催している「新春俳句ing」の手配を、大方済ませた。
「手配」たって、今年は特に事前予約関連はないので、簡単だった。
事前予約が無いので、二日の当日でもこれを読んでいて思い付いた方は、
伊勢崎駅に十時に来てもらえれば、間に合う。
今回は、西新井大師に参拝して句会、と言う分かり易い初句会である。
ここ数年、二日のこの日は、雲一つない快晴になっていると言う、
とてもめでたいお日柄なので、是非。

【天候】
終日、冬日和。

1457声 荒れ模様

2011年12月28日

28日を終え、ようやく、一年も終わるような気がしてきた。
今日の空は、まるで新春の初空のようなまろやかさ且つ穏かさが、あった。
しかし、今朝の天気予報を見るに、大晦日から元旦にかけて、天候は荒れ模様らしい。
東北、北陸では大雪の懸念まであり、交通機関の乱れが心配である。
毎年、初日の出を見るため、登山をする人がいるが、警戒するべきであろう。 

家の中にはいま、何ひとつとして正月らしい雰囲気を醸し出すものがないが、
大晦日までの残り二日で、年越しの餅を買う予定である。
私などは独り身なので、「年越し」たって、別に何を用意するでもなく、気楽なものである。
独り身でない友人知人などは、帰省やら旅行やら、正月が一大イベントらしく、
暮れから忙しく奔走している。
大掃除の済んでいない私の部屋は、依然として荒れ模様。
転がっている句帖を開けば、書き散らかして整理していない句ばかり。
大きくため息をついて。
せめて、部屋の中だけでも、すっきりさせて、新年を迎えたいと思う。

【天候】
終日、冬日和。

1456声 寝ながら数え日

2011年12月27日

今日は12月27日である。
世間一般、と言ってもあやふやだが、明日の28日で仕事納め。
と言う勤め人が多いのであろう。
私は29日が仕事納めなので、まだ何もかも、納まりそうな気がしていない。

「数え日」
と言う、俳句の季題がある。
「もういくつ寝るとお正月」の唱歌の文句にもあるように、
正確にいく日から数えるのかが規定されていないが、概ねクリスマス明けからであろう。
まさに今時期で、ここから雪崩式に大晦日へ向かう。

数え日の例句として、富安風生の句が多くの歳時記にひかれているようである。

数へ日の欠かしもならぬ義理ひとつ  風生

数へ日の盆梅凛と二輪かな  風生

年の内に欠かしてはならぬ義理を、ひとつくらい胸に抱けるような。
そして、盆栽の梅に咲いた、清浄なる二輪の花を眺めて新春を感じれるような。
そういう心持で日を数えたいが、中々、そうもいかない。
そうもいかない、てぇのは、推測の域を出ないが、当時の風生も同じだと思う。
それを思うのは、昨日、俳句界一月号(文学の森刊)の鼎談を読んだからである。
その一節、「童子」の辻桃子主宰の発言をひく。

「力を入れないで寝ていて作るような俳句がいいって自分で思えるようになったら、
とっても楽になりました。」

「はっ」と思った。
自分の句は、「寝ながら」作っているような句ばかりだった。

【天候】
終日、冬日和。