日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

1060声 切れ字の向こう側

2010年11月25日

車を停めて、菓子パンを齧っていると、窓の外。
枯田の畝に沿って、ちょこちょこと歩いて行く、野鳥が一羽。

瞬間。
俳句の題材になりそうな景色だったので、ペンを取って、
写生句を作ろうとしたのだが、ペンは依然として走らず。
どうしたのかと言うと、分からない。
あの、小さくて愛らしい。
ちょこちょこと歩いて行く、鳥の名前が、である。

思えば、野鳥や野に咲く花の名前などに、
ほとんど、意識が向いていない人生を歩んできた。
と、実感した。
そして、森羅万象を俳句として捉えるには、
今少し、花鳥風月に目を向けるべきだ。
とも、実感した。

おそらく、千鳥。
だと思うし、また、千鳥は冬の季語なので、句作上、
千鳥として解釈すべきなのだろう。
しかし問題は、この風景に対して私の感受性が捉えた意。
二葉亭四迷の「小説総論」で言う所の、

「浮世の形のみを写して其意を写さざるものは下手の作なり。
写して意形を全備するものは上手の作なり。
意形を全備して活たる如きものは名人の作なり。」

と言う事になろう。
俳句の場合、その意を、切れ字の向こう側にどう表現できるか。
とは、偉そうに述べているものの、一向に上手の作が出来ない。
気がついたら、お腹が一杯。
結局、3個買った内2個しか、菓子パンが食べられなかった。
こちらの方も、上手い具合に行かない。

【天候】
朝は晴れているが、次第に雲が出て、以降、薄曇り。

1059声 本力

2010年11月24日

つい先日、自書を置かせてもらっている書店へ、在庫確認に行った。
と言っても、フラリと書店へ行って、平積みされている本を、
遠くから眺めるだけなのだが。

確認するまでも無く、一向に売れている気配が無かった。
しかし、私の載っている新聞記事のPOPを、本の直ぐ前に飾ってもらっている。
その様に、陳列環境は厚遇されているので、
ひとえに、私の本が世間の関心を引かないのだろう。

肩を落として、帰ろうとした時、ふと目に止まった、セール品のワゴン。
郷土出版や郷土ゆかりの書籍が、並んでいた。
見ると、いやはやこれがなかなかどうして。
掘り出し物が多数、ある。

結局、3冊程、ハードカバーの本を購入して来た。
どこをどう流れて来たか、どれも、筋金入りの新古本である。
その本を、今夜から順に読み始めようと思っている。
読んで本をあれこれ述べるのが、定石だろうが、
読んでない本の方が、想像が膨らんでいるので、読む直前が一番楽しい。

因みに今夜は、
「山村暮鳥 生涯と作品」(崙書房)平輪光三(著)を、読むつもり。
「山村暮鳥」と言う人物は、詩人である。
私の出身地である町は、この人の出身地でもあり、
私が卒業した小学校の代用教員だった事もある。
実際、小学校の校歌には、
「暮鳥の心だきしめて」と言う言葉が、歌詞が入っている。
つまり、「山村暮鳥」は、偉大なる同郷の詩人なのである。

「風景 純銀もざいく」のあの有名な、「いちめんのなのはな」の詩を、
小学校で習ったと言う人も、多いだろう。
今から、頁を開くのが楽しみでならない。
一冊の本が、私の生活に彩りを添え、こんなにもわくわくさせるのだから、
本の力には、恐れ入る。

【天候】
終日、雲の多い冬晴れの一日。
風吹いて寒し。

1058声 高速道路で遠山へ

2010年11月23日

起床して、体調も芳しからず。
今日は「勤労感謝の日」なので、良かろうと思い、
部屋でグズグズしていた。

夕方頃、カー用品店へ行き、ETC車載器を購入し、車へ取り付けた。
これによって、土日祝日は料金1,000円で高速道路を利用できる訳だが、
今頃付けている者ってのは、時流から遅れている、と言う事になるであろう。

近年の自らの生活傾向を振り返るに、多分に時流から遅れている感が強い。
アナログテレビ然り、壊れかけの携帯電話然り。
時流に対する世代間の中で、後手を引いている、
と言う強迫観念さえある。

遠山に日の当たりたる枯野かな  (虚子)

こう言う気持平らかな境地には、中々、至れないのが現状である。

虚子はこの句を、「虚子俳話(新樹社)」の中で、こう解説している。
「わが人世は概ね日の当らぬ枯野の如きものであつてもよい。寧ろそれを希望する。
たゞ遠山の端に日の当つてをる事によつて、心は平らかだ。
烈日の輝きわたつてをる如き人世も好ましくない事はない。が、煩はしい。
遠山の端に日の当たつてをる静かな景色、それは私の望む人世である。」

しかし、私の目指すべき人生は、遠山の枯野にあるのか、どうか。
「それは分からぬ」
と言う、現状、でもある。

【天候】
千切れ雲浮かぶ、冬晴れの一日。
午後より風、強く吹く。

1057声 衰えて、酒

2010年11月22日

「あっ、駄目だ」
と感じたのは、今朝の床。
起床したは良いのだが、昨日の疲労が、
ずしりと肩に圧し掛かっている。
曇天の天気も相まって、とても体がだるい。

こう言う日は、一日の記憶が判然としないものだ。
と、今、机の前で風呂上がりの麦酒を飲みながら、感じている。
覚えていない。
のではなくて、脳の記憶装置も疲弊していて、
その働きが鈍かった為と思われる。

麦酒を、美味しく飲んでいるのだが、そこはかとなく、
日本酒が飲みたい心持がする。
それは、私の舌が日本酒の味を覚え始めた兆し、だと思う。
日頃、私が付き合っている人たちに、日本酒愛好者が大勢いる。
何年間と、その人たちにあれこれ地酒を飲ませて頂いているうちに、
とうとう、身に沁み込んでしまった。

実は、麦酒が好きな事もあるのだが、日本酒には、
意識して手を出していなかった。
毎日、燗酒に湯豆腐で晩酌などしていたら、益々、若年寄と噂される。
と言う事を、懸念している。
しかし、疲れが中々抜けない、この体の衰えを思えば、
そろそろ手を出しても、良い頃かと思っている。

【天候】
朝より曇天。
昼前より、雨が降り出し、のち本降りとなって、夕方止む。

1056声 かや刈り 二日目

2010年11月21日

軽い二日酔い状態で始まった、かや刈り二日目の作業を終え、
自宅へ帰ってきた。
途中、小野上温泉へ寄った為か、極度の疲労感と眠気が襲い来ている。
それにともなって、意識も混濁しており、今回の文章がいささか心配である。

順調に作業も進み、無事故で作業を終える事が出来た事が、
一番の成果だと感じている。
しかし、危険を伴う事も、つくづく実感した。

一番怖かったのが、刈る時の鎌の扱いもそうであるが、刈った後の、かや。
かやを根元から「ザクリ」と刈って行く訳だが、
当然、刈られた後には、地面に根元部分が残っている。
その切っ先が、鋭角的になっているのである。
つまり、地面から、華道用剣山の如く、
小さい竹槍状態のかやの切っ先が、出ている状態。
刈り取った後のかやを運んでいる途中、滑って転んでしまうと、悲惨である。

おかげで、明日はおそらく筋肉痛及び、顔面日焼け痛に苛まれるだろう。
冬晴れの陽射しの直射を受けていたので、顔などはもう、真っ赤である。
手には疲労感と共に、かやを運ぶ感覚が残っており、
風にそよいでささやきあっているすすきの声が、耳の奥に残っている。
そのさざめきをBGMに、今宵は早めに寝るつもりである。
二日間、一緒に作業をしていた人たちに、この場から、お疲れさまでした。

【天候】
終日、穏やかな冬晴れ。
青空を行く飛行機が引いていた、雲の筋が、明日の天候不良を予感させた

1055声 かや刈り 初日

2010年11月20日

これを書いているのは、日曜日。
昨日は、中之条にかや刈りに行っていた。
今回は、一泊二日をかけて、兎に角、沢山のかやを刈ろう。
ってな行程だった。
宿泊先は、「森林公園ふれあいの森」。
その中にある、合宿所のような、建物。

私たちが刈った「かや」、ってのは、「すすき」の事。
我が人生の中で、まさかすすきとがっぷり四つに組んで、
闘う羽目になるとは。

かやを刈る。
かやを集める。
かやを束にして縛る。
そのかやを軽トラックで運ぶ。

両日とも、この作業に一日を費やした。
20名に届かないくらいの人数が参加したが、
おそらく、倍くらいの人数がいなければ、使用するかやの予定量に届かないだろう。
かやぶき屋根ってのは、改めて、膨大なかやを使用する物だと実感した。
かやぶき屋根の家に住んでいた、先人たちの労力を思うと、感服する。
そして、青空の下、陽射しを受けて黄金色に輝く、一面のすすき原ってのは、
とても荘厳な景色であった。

【天候】
終日、穏やかな冬晴れ。

1054声 ダマを解く

2010年11月19日

一週間の間で、誰しも生活環境のリズムが、ふと、途切れる日時がある筈。
どこかに勤めている人も、そうでない人も。
私は勤め人なので、金曜日。
つまり今日の夜などは、緊張の糸がほろりと解ける。
商売をやっている人は、それが平日。
気ままに生きている人は、仕事が一段落した日。
と言う事になろう。

私などに至っては、日々、糸がこんがらがった生活を送っているので、
解いても解いても、糸の「ダマ」が減らないように感じている。
明日に解くべきダマは、中之条町で行う「かや刈り」である。
かやを刈りに行く訳だが、これは、鎌で野原に群生するかやを刈って行く。
したがって、あまり、糸が解けた状態で作業するのも、危ない気がする。
もっとも、私は刃物の扱いには自信が無いので、
もっぱら雑用に徹するつもりである。

ダマと言う引っ掛かりが無いと、創作が捗らない。
と、今、身をを持って感じている。
私の下手な俳句だって、こんな拙い文章だって、
やはりダマを解いた後の、糸が弛んだ状態では、出て来ない。
そして、その状況で絞り出したものは、澄んでおらず、濁っている。
散文も、韻文は特に、澄んでいなければならない。
大切なのは、ダマを解く時に生じる、そこはかとない、力。
ってな事を考えていたら、また、夜の深み。

【天候】
終日、雲一つない、澄んだ冬晴れ。

1053声 こもち星

2010年11月19日

こもち句会。
と言っても、お母さんばかりが寄り集まって行う句会ではない。
開催場所が、旧子持村だから、そう呼んでいる。
私が勝手に呼んでいるだけなので、正式名称の確信を得ない。

今日はその句会。
作句する為、炬燵から這い出して、外へ出ると、寒夜。
とはまさに、冷たい夜風が吹き、夜空には月が冴えていた。
枯野原に突っ立って、星空を見上げていると、東の空。
斜めに降る、流れ星。

句会が終わって、流れ星の事を先生に話すと、わりと珍しい事らしい。
てっきり、この辺りでは頻繁に発見できるものと思い、
気に止めていなかった。
よって、流れ星の句など、一句も作らなかった。
それがちと、心残りであった。

帰り道で、自分に言い聞かせていた事は。
「写生を重んずべし、写生を重んずべし」

【天候】
終日、晴れるが雲多し。
昼ごろ、厚い雲の一団が通り過ぎ、
局部的に雨を降らせて行った。

1052声 美食こわい

2010年11月17日

最近、発作的に甘い物が食べたくなる時がある。
体が疲れている節は思い当たらないので、
最近の句作生活で、脳味噌が疲弊して来たのだろう。

今日も、昼時にどうしても甘い物が食べたくなったので、
コンビニで菓子パンを三個買い、それを昼食とした。
購入した製品は、全て山崎パン。
「ナイススティック」と「ジャム&マーガリン」と、
「つぶあん&マーガリン」。
全て平らげてから、チョコレートを食べた。

パンを買うついでに、駄菓子の得体の知れぬチョコにも、
ついつい手が出てしまった。
しかし、このチョコがちっとも美味くない。
先程、甘い菓子パンを食べたので、味覚が甘味に対し、
鈍感になっているのだろうと思ったが、違う。
ここ最近、私のチョコに対する味覚が、変わってしまったのである。
思い当たる節が、ひとつ、記憶の中に楔の如く打ち込まれている。

「hugo&victor」ってのは、パリで流行しているチョコレート。
と言う事を初めて知ったのは、今年の9月に「ほのじ」での事。
偶然いらした、M先生に、講釈付きでひとつ頂いた。
その時は、酔っていた事もあり、そのやんごとなきチョコレートの味を、
明確に意識できなかった。
それが今、駄チョコレートとの味と比べると、
あの時の「hugo&victor」ってのが、どれ程美味しかったか、痛感する。
舌が覚えてしまったのだ、あの馥郁たる香りと切れの良い後味を。

自らの境遇を考えるに、美食はちとこわい。
コンビニの菓子パンで、満足しているくらいが、丁度良いからである。

【天候】
朝より曇り。
後、昼過ぎから晴れ。

1051声 腐った朝

2010年11月16日

今朝は冷えて、前橋市では初氷を観測した。
寝床から這い出すのが、日を追う毎に億劫になってくる。
それでも、意を決して、掛け布団を跳ね除け、窓のカーテンを一気に空ける。
空けた瞬間の、朝日が部屋に注いで、満ちて行く、あの透明な空気感は、
とても清々しい。

清々しい。
のだが、今朝はちと、異変が起こっていた。
朝の清浄な空気を深呼吸した瞬間、微かに鼻腔に感じる、異臭。
麻薬捜査犬の如く、くんくん、くんくん、と部屋の中の臭いの発信源を、
捜査して行く。
どうやら、物の在処は、この蜜柑箱の上に、無造作に乗せられている、袋らしい。
袋を手にとって、中に鼻を突っ込んで、大きく息を吸う。

そこが、犬と人間の違いで、かかる危険を察知できなかった。
鼻から雪崩れ込んで来た臭いは、強烈な腐臭。
烏賊の塩辛をレンジでチンしたら、こんな臭いがしそうである。
つまりは、瞬時に吐き気を催す生臭さ。

袋に印字してある店名を見ると、合点が行った。
中身は、先日行ってきた湯河原、その駅前の土産屋で購入した、小鯵の干物。
干物なので、冬場の常温で大丈夫だろうとタカをくくり、
部屋の隅にほっぽらかしてあったのだった。
今週末に、おそらく仲間内で飲む事になるであろうから、
その際に持参しようと考えていた。
が、甘かった。
冬場とは言え、部屋の中は温暖。
その室内温度によって、腐敗してしまったのだろう。

それにしても、一気に嗅いだ匂いの、強烈な事。
体が、完全に受け付けないと言うサインを、鳥肌と吐き気で出している。
臭いを思い出しただけでも、胸やけするが、
未だそこに置いてある袋の中身を想像するだけで、背中に寒気が走る。

【天候】
終日、空気の澄んだ、穏やかな冬晴れの一日。

1050声 ストーブの料簡

2010年11月15日

つい今し方であるが、やけに部屋の中が寒い、と感じていた。
俳句歳時記を読みながら、鼻の頭を触ると、冷たいのだ。
夜寒ってのは、大抵、鼻の頭からやって来る。

ふと、机の脇に目をやると、先程まで、煌々と灯っていた部屋のストーブが、ついてない。
席を立って、確認すると、目盛りはキチンと「入」になっている。
つまりは、壊れたのであろう。
目盛りを、「切」から「入」、その反対へと、幾度も動かしているのだが、
ウンともスンとも言わない。

私の部屋にあるのは、石油ストーブで無く、電気ストーブ。
なんだか、その形状が珍妙で、扇風機そっくりなのである。
扇風機のプロペラが無く、その芯の部分に電熱線が巻き付いている。
暖房効果は、あまりよくない。

現代でも、古風な銭湯へ行くと、脱衣場に火鉢が置いてある。
火鉢の温かみってのは、そこはかとなくまろやかで、よいものである。
陶磁器の丸い火鉢なんてのは、一寸オツな雰囲気で、
心までほっこりさせてくれる。
そう言えば、ほのじにも、ひとつ良い火鉢があったっけ。

ともあれ、私の部屋のこのストーブである。
まず、暖房器具に扇風機の形状を用いるってな料簡が、気に入らない。
見ていて、心がほっこりするどころか、寒々しい心持ちがする。
またひとつ、買う物ができたと考えると、余計に寒々しく、
鼻の頭も、いよいよ寒えてきた。

【天候】
朝から昼にかけて、快晴。
午後から雲が垂れ込め、一時雨。
夜半にはまた晴れ、雨が気温を一気に下げた所為か、街に透明感。

1049声 高崎湯銭値上騒動

2010年11月14日

今朝、車に乗って向かったのは、「群馬県立図書館」である。
目的は、群馬県の銭湯史に関する資料を、閲覧する為。

実は、県立図書館へ足を踏み入れるのは、
我が人生において、今日が初であった。
若干、緊張しつつも館内へ入り、検索端末で書籍を検索する。

まず、タイトル名の箇所に、「銭湯」と入れて検索してみた。
出て来たのは、350数件。
その一番最初の頁に、何やら見覚えのある、タイトル。
「群馬伝統銭湯大全」
って、まさか自分の本が出て来るとは、思ってもみなかった。
しかも、禁貸出。

いくつか資料を集めて、気になる個所を書き写してきた。
やはり、東京の公衆浴場の資料は容易に見つかるのだが、
こと地方、それも群馬県ともなると、資料自体があまり無い。
それでも、「公衆浴場史」なんてのは、中々、面白かった。
発行は、「全国公衆浴場業環境衛生同業組合連合会」。
お経と言うのは不謹慎かもしれないが、お経みたいな長い名前のこの団体は、
早い話、「全浴組合」である。

面白いところは、公衆浴場史の略年表にある。
その中で、一番古い、群馬県の公衆浴場に関する記述が、下記の様な内容。

・明治十二(1879)年十月
上州高崎前の風呂屋、東京と同じ湯銭とし、芸妓一銭五厘と張り出し、
その反対により元の八厘に復す。

つまり、高崎の銭湯が、或る日、「今日からうちは、東京と同じ湯銭でやりますよ。
したがって、ご常連の芸妓の方々は、一銭五厘になります」
と言う、告知を出したのであろう。
明治時代の高崎と言えば、「お江戸見たけりゃ高崎田町、紺の暖簾がひらひらと」
なんて詠われるくらいの活況が、未だ十分に残っていたのだろう。
したがって、花柳界も華やかで、芸妓の数も多い。
芸妓の方は、商売柄、銭湯とは切っても切れない縁である。
地方から高崎の花柳界に来た新人は、先輩からまず、銭湯の入り方を習ったらしい。
ってのを、何かで読んだ気がする。
芸妓の方々も、黙っちゃいない。
即日、徒党を組んで問題の湯屋へ、押しかけ、抗議に行ったのだろう。
まさに、上州の気質がうかがえる一幕だ。

では、この値上げの一銭五厘が、当時の貨幣価値でどの程度なのか。
この年に創刊した、「朝日新聞」の一部一銭、と言う値段と比較すれば、
200円から300円ってところではないだろうか。
因みに、東京と同じ湯銭ってのは、大人一銭で子供五厘。
芸妓の方々は、白粉を塗ったり髪が長い為か、随分と割高である。

静かな日曜日の朝の図書館。
三味線の音色に合わせ、芸妓と戯れている、私。
そんな光景を妄想していたら、「ガタン」と向かいの席のお嬢さん。
席を立ってどこかへ行ってしまった。

【天候】
朝から薄曇り。
正午過ぎには薄日射し、日の暮れる頃にはスッキリとした晴れ。

1048声 土産話

2010年11月13日

同じ酒の量を飲んでも、飲み干す時間が早い程、翌日に残る。
とは分かっていながらも、ついつい、
ペースの抑制が利かない日も、ある。
昨夜がそうで、今日は終日、昨日の酒の残党と戦う羽目になってしまった。

体内のアセトアルデヒドを分解し代謝するのに、
エネルギーを使い果たしたか、夕方となった現在でも、思考が判然としない。
句作をしようと、風景などを見て着想を得ようと試みるのだが、
一向に句が浮かばない。
想像力の欠如が甚だしいのである。

気分転換に、ちと、外の風に当たろうと思い立ち、外出。
したのだが、直ぐに、寒風が骨身に沁みる。
元来、寒がりなので、気分転換どころか、徐々に気分が沈んできた。
暖を取ろうと、道中の自動販売機で缶珈琲のホットを買い求め、
飲みながら家路に着いた。
これがまた、宿酔人には当然甘過ぎて、飲んだ直後に、強烈な胸やけ。

この様な取りとめもない内容の中にも、何か一つくらい、
言うなれば、「読者への御土産」のようなものを、盛り込まなくては。
とは思えども、肝心の「何か一つ」が、一向に思い浮かばない。
そんな訳で、今日は(もっともそれは、いつものことではあるが)、
読者諸氏を手ぶらで帰らせてしまう。
と言う、不本意な次第であります。

【天候】
終日、煙が充満している様な曇り。

1047声 ひねくれの妙味

2010年11月12日

今日、知り合いに大根をひと山、頂いた。
見た瞬間に、内心思ったのが、
「随分ひねくれて育ったヤツ等だな」
と言う事。
どれもこれも、歪なのである、形が。

それとはなしに、大根の造形を問うてみると、意外な回答。
これはどうも、「辛味大根」と言う種類の大根で、
この歪な形がむしろ、辛味大根らしさ、なのだと言う。
私が記憶の中で描いている大根は、
スーパーの青果コーナーに並んでいる、上から下まで太さが均等な、大根。
聞くところによると、あれは「青首大根」と言う種類で、
巷に流通する大半の大根が、今ではこの青首一派に牛耳られているらしい。
私も、「大根」と言えば、あの寸胴な青首大根を思い浮かべてしまう。
そして、この辛味大根の様な所謂、「地大根」の活躍の場が減っている。
と言う市場の状況がある。

この辛味大根。
大根おろしにして食べると、とても美味い。
こんなに辛くて美味いのなら、もっとひねくれろ、とも思う。
この味を知ってしまったら、あの優等生の青首大根が、
ちと物足りなく感じてしまう。
しかし、子供たちからは、「辛いすぎ」と言う評価を得るだろう。
思えば、私も子供時分、あまりに辛すぎる大根に、苦戦していた経験がある。
この、「ひねれくの妙味」が分かると言うのは、もう若くない証拠なのかも知れない。

【天候】
日中、曇り。
昼ごろ、通り雨。
その後、夜半にかけて晴れ。

1046声 俳句と、衝撃と、興奮と

2010年11月11日

「ファミコン」
と言えば、現在は死語になっており、
直ぐに年齢が推察される単語である。
「ファミコン」、正式名称は、任天堂の家庭用ゲーム機、
「ファミリーコンピューター」。

私が初めて、このファミコンに触れたのは、保育所時代だったと記憶している。
無論、我が人生において、小学校に上がる前の時代である。
保育所から自宅へ帰ると、親父がテレビに張り付いて、一心不乱にやっていた。
ソフトは確か、「スーパーマリオ」だった。

夢中になった、あるいはそれを通り越して、虜になっていた。
小学校へ上がる前には、同級生は皆、
いっぱしにファミコンを使いこなしていた。
学校へ行けば、友達とファミコンの話。
学校から帰れば、友達の家へ集まって、ファミコンに興じる。
当時は、テレビゲーム全般が社会問題として、
しばしば槍玉にあげられていたので、それを禁止している家庭も多くあった。
学校の先生も、どうやってそれを抑制させるべきかに、頭を悩ましていた。

あれから20年以上を経た今、ファミコンに夢中になっていた子供は、
俳句に夢中になっている大人となった。
現代風に言えば、俳句にハマっている、と言うべきか。
当時と違う点は、同級生いや同世代ではあまり、俳句に興じている人がいない。
しかし、何故か、「似ている」、と感じている。
それは、私が俳句を作り始め、おぼろげながら、初めて良い句が詠めた、と感じた瞬間。
あの日、親父がやっていた「スーパーマリオ」のテレビ画面を、
初めて見た時の、衝撃と、興奮と。

【天候】
風も雲もなく、穏やかな冬晴れの一日。

1045声 群馬と七五三

2010年11月10日

今週は街中で、両親と連れ立って歩いて行く着物の子供を、
やたらと目にしている。
と思っていたら、来週の15日が、七五三の日なのである。

七五三と言えば、私もつい先程知ったのだが、群馬県と深い関わりがあるらしい。
今を遡る事、江戸時代。
天和元(1681)年11月15日。
三代将軍家光が、時の館林城主である、徳川徳松の健康祈願の為、
袴着の儀式を執り行ったのが、七五三の始まり。
と言う説が、数ある起源説の中で有力らしい。
この「徳松」と言う殿様は、かの有名な「生類憐みの令」を発布した、五代将軍綱吉の長男。
しかしながら、数え年5歳で夭折している。

現代は、七五三と言えど、神社へお参りした祭に、デジカメで撮って終わり。
わざわざ写真館に出向いて撮影してもらう家族が、減っていると言う。
しかし、記憶を喚起するだけの記念写真でなく、家族の記録としての記念写真は重要である。
それも、写真技術が発達した現代では、捉え方次第なのだが、
写真館での記念写真は、その出来栄えを見て、やはり価値があると思う。

七五三は群馬県に由来がある、とされている事をダシに、
県内の写真館は記念写真撮影を、大いに売り出したらどうだろうかと思う。
徳川家だって、当時に写真技術があったら、きっと最高の一枚を撮っていた筈である。
とまれ、自分自身に七五三の写真があったか、疑わしい。

【天候】
雲多くも冬晴れの一日。
日中北風が強く吹いたが、夕方には止む。

1044声 クローバーの物語

2010年11月09日

今日、帰路の途中に寄ったのが、古本屋。
狭い店内に、本棚が天井すれすれに配置されている。
その間に挟まりつつ、目当ての本の背表紙を、丹念に探して行く。
今、震度6以上の地震が発生したら、おそらく生きては返れないだろう。
と言う事は、出来るだけ考えないようにして、蟹歩きで移動する。

目に止まった一冊の詩集を本棚から抜き取り、
パラパラと頁を捲った。
その流れを止ましめたのは、頁に入っていた、栞。
栞を摘んで眺めてみる。
ドライフラワー状になった、四つ葉のクローバー、である。

気取り腐った男が、女性にプレゼントしたか。
あるいは、文学少女が思いを馳せたか。
何れにせよ、この本の前所有者は、「物語」を求めていた人だろう。
頁を閉じて、そっと本棚に戻した。

【天候】
雲多くも冬晴れの一日。
午後より風が強なったが、夜半の冷えはそれほどでもなし。

1043声 給食の思ひ出

2010年11月08日

立冬から一日過ぎ、日を追う毎に、寒さが厳しくなっている。
なんて、校長先生の朝礼でもあるまいし、
時候の挨拶ってのは、おしなべて芸が無い。

芸が無いと言えば、学校の給食。
こっちは、くじらの方の「鯨」だが、最近、
都内で給食のメニューで提供している居酒屋が、
反響を呼んでいるらしい。
返って来る声は、「懐かしい」と言うもの。

中でも、「揚げパン」と「鯨の竜田揚げ」が人気らしい。
給食のメニューで酒を飲む。
ってところが、いかにも「禁じ手」と言う雰囲気で、魅かれるものがある。
しかし、私に至っては、「揚げパン」と「鯨の竜田揚げ」、
両方給食で食べた憶えがない。
憶えが無い、と言う事は、給食に出ていなかった。
と思う。

私が小学校に入学した年は、昭和64年。
つまり、平成元年の年だが、昭和と平成を境に、
何か給食メニューの変更があったのだろうか。
あるいは、住んでいる地域。
ともかく、「鯨の竜田揚げ」と言うもの自体、
食べる機会を得なかったので、一度食べてみたい気がする。

4、5年前、仕事で高崎市の小学校へ取材に行ったのだが、
その時の給食の献立に、驚いた。
近年は「食育」ってんで、地場産の野菜や食材を使用した、
献立が登場しているのである。
給食に、そこはかとなく高級感が漂っていた。
その一品がどれもまた、たいそう美味そうで、
もう一度学校に通いたくなった事を、憶えている。

【天候】
千切れ雲が浮かぶ、穏やかな冬晴れの一日。