日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

1027声 遊山の季節

2010年10月23日

今日は、二十四節季の「霜降」。
今、「しもふり」って読んだ方、おそらく数名。
それじゃ、肉になっちまう。
「霜降」と書いて、「そうこう」と読む。
読んで字の如く、この頃には冷気が強くなり、露が霜となって降り始める。
ここまで来ると、「立冬」まではチョイとひとっ走り、と言った感がある。

また、この時期には、山間部が紅葉に染まり始める。
確かに、私は普段、群馬県北西部を移動している事が多いが、
既に薄く、紅葉に染まっている。
つい先日、国内屈指の名所である、日光のいろは坂などは、
平日から渋滞している、とのニュースを聞いた。

今日は、清々しい秋日和の土曜日。
おそらく県内でも、上毛三山はもとより、吾妻峡や高津戸峡、照葉峡などの渓谷は、
見頃を迎え、多くの遊山客で賑わっている事だろう。
今時期から冬季にかけての温泉も、風情豊かな露店風呂が楽しめる。
机の後ろに広がっている、秋の淡い青空を眺めていると、
そんな愉しい想像が駆け巡る。

現在、廻っている茨城県の銭湯も、残す所、
日立市など県北東部地域に点在している。
よって、群馬県から行くには、とても遠い。
もっとも、日帰りで行こうとしているから遠いのであって、
一泊二日で行けば時間的余裕も十分にとれる。
それに比例して、金銭的余裕が無くなって行く。

私はともかくとして、巷は行楽の季節。
群馬県に紅葉狩りに出掛ける遊山客の方がいるならば、
もし、その行く先が、みどり市の高津戸峡ならば。
渓谷沿いの町、大間々に在る、2軒の銭湯を勧める。
その内の1軒、高砂の湯の浴室には、御主人と息子さん作のペンキ絵がある。
その図画が、「高津戸峡」。
地元の名所が描かれているペンキ絵ってのは、とても珍しいのだ。

【天候】
終日、秋日和の一日。

1026声 現代の胃弱

2010年10月22日

高齢者。
などと言うと気分を悪くされるかも知れないが、所謂、高齢者の人たちである。
その言葉のイメージとは似つかわしくない人たちが、私の周りには、居る。
また、そう言う人たち話を、良く聞く。

前橋市街から、チョイト自転車を漕いで、伊香保温泉まで行ってしまう60代後半。
若者とは一線を画す、瑞々しい感性で、「恋」の句を幾つも詠んでいる、80代前半。
医者の言う事など一切聞かず、酒のつまみには、ステーキやハンバーグを、
バクバク食べている、90代後半。

その人たちに共通している事。
それは、「内臓の強さ」である。
内臓、とくに消化器系統が丈夫にできている。
食欲の減退も無く、胃もたれもしない。
酒に強くて、食への好奇心が人一倍強い。
そして、若干、血圧が高そうでもある。

酒のつまみにステーキやハンバーグ。
かろうじて20代後半の私だが、そりゃ無理だ。
いや、私でなくとも、現代の若者は「草食系」なんて言われている世代。
未来を担う世代は、もれなく胃弱なのである。
近年、うつ病の罹患者が全年齢層で増加し、
現代病として一般化している、現代社会。
何か、「胃弱」と密接な関係があるような気がしてならない。

【天候】
終日、小雨交じりの曇天。
虫の声も細くなり、晩秋に移りゐたる気配。

1025声 俳句の中の食

2010年10月21日

今宵は、俳句の稽古に出掛けた。
当然、季題で俳句を作る訳だが、今日のその中に、「冬瓜」があった。

「とうがん」
夏野菜だが、秋の季語となっている。
この冬瓜の煮物をつまみつつ、句作していた。
蓋を開けてみれば、参加者5名中、冬瓜の句を詠めなかったのは、私だけ。
他の4名は、冬瓜を題材に、叙情的な句や、視点の面白い句を読んでいた。
私は、ただ、食っていただけで、冬瓜からはひとつも句が出て来なかった。

これ偏に、食生活の影響ではなかろうかと思う。
年中、チェーン店の牛丼を食べていたり、飲み屋に行っても、焼き鳥など、
ほぼ決まった品を注文している。
食に季節感が乏しいのである。
これでは、いざ食で一句、なんて時に、思考回路が思う様に働かない。

これからは、旬の食を大切に、っても、赤提灯に旬などあるのだろうか。
「どさんこラーメン」の店で、「長崎ちゃんぽん」を注文しているような、
節操の無い私である。
赤提灯は赤提灯なり、私は私なりの、季節を詠めば良い。
一先ずは、それで行くしかない。

秋雨や酒場通りに人気無き

【天候】
終日、断続的な雨が降り続く。
雨足は、微弱なり。

1024声 鼠だって熊だって

2010年10月20日

今日の午後、群馬県昭和村で、67歳の男性が、山で竹の下見をしていると、
突如として出現した熊に襲われた。
と言う報道を、先程インターネットニュースで読んだ。
今年は、全国的に熊の被害件数が多く、群馬県でも既に8件の被害がある。
10月に入ってからは、朝刊の紙面に掲載されて無い日は無い、
と言うくらい、全国で号令でもかけた如くに、人里に熊が出没している。

その一因は、今夏の猛暑。
その影響によって、山では「ナラ枯れ」ってな現象が起こっているらしい。
これによって、熊の餌であるドングリなどの木の実が減少し、
餌を求めて人里へ降りて来ざるを得なくなった、と言うのだ。
人里へ降りて来た良いが、運悪くに射殺される熊もいる。
運が悪いのは熊ばかりでなくて、遭遇し、なおかつ熊に攻撃された人も、である。

一因は猛暑だが、その根底にあるのは、人間の自然破壊ではなかろうか。
私も生活の中で、今年の秋は、道で轢かれている狐や狸、
イタチやハクビシンなどの動物を頻繁に目撃している。
本当に、今年の秋は、多い。
人里に下りて来ざるを得なくなった、動物たち。
これが警鐘なのは、明らかなのだが、そう思っていても、
日々の中でやり過ごしてしまう。

「窮鼠猫を噛む」
ってな、故事成語を思い出す。
あまり追い詰めてはいけないのだ。
鼠も熊も人も。

【天候】
終日、曇天。
日暮も早く、いよいよそぞろ寒くなって来て、
街行く人の大半が、ジャケットを羽織っている。
十三夜だが、月見えず。

1023声 裏に廻る心境

2010年10月19日

偶に車で通る十字路の脇に、道祖神が一体ある。
田圃の畦に在るその道祖神は、「双体道祖神」と言って、
男神と女神が一緒に掘られているもの。
背丈は、柴犬と大体同じ位。

「墓のうらに廻る」
と言う、尾崎放哉の句ではないが、
「十字路にある、あの道祖神のうらへ廻ってみたい」
と言う衝動に駆られた。
それが今朝、洗面所の窓から、稲刈りの終わった田圃を眺めつつ、
歯を磨いている時の事だった。

自宅からはそう離れていないので、
畦道に車を止めて、道祖神まで歩いて行った。
道祖神の前でうろうろしているものだから、
十字路を通る車は、私に怪訝な眼差しを向けて行く。
早速、裏に廻って、また表に戻ってみた。
そう言えば、諏訪に有る「万治の石仏」ってのも、
「よろず、おさまりますように」と唱えながら三周廻ると、御利益を得られる。
ってな事が、立札に書いてあった。

さて、道祖神の裏に廻った。
刻まれている年号は風雨による劣化で読みとれなかったが、
丸みを帯びた道祖神の背、と言うのもなんだか郷愁があって、また一興。
道祖神の表には、緑青の浮いた十円玉と、刈られて間もない、
色とりどりのコスモスが一束、供えてあった。

「裏に廻りたくなる」
と言う心境ってのは、
「表には無いものを見たい」
って時なのではなかろうか。
どこか、正道を行けない後ろめたさ、ってな心境なのでは。

【天候】
終日、薄曇り。
里山ではコスモスが咲き競っている。

1022声 平成の居残り男

2010年10月18日

今日、運転中に思わず、珈琲を吹き出してしまった。
原因はラジオニュース。
そのあらすじはこう、である。

その舞台は、兵庫県は尼崎市に在る、24時間営業のスーパー銭湯。
そこに居残っていた男が、今日、兵庫県警尼崎東署に逮捕されたのである。
なんと、宿泊料金などを清算しないまま、およそ2ヵ月間も寝泊まりしていたとの事。
その期間は54日間。
代金はしめて、15万8千円。
奴さん曰く、「お金がなく、行くところもなかった」。

このスーパー銭湯は、チェックアウト時に宿泊料金等を清算する仕組み。
奴さん、一度もチェックアウトしなかったので、居残りに成功したのだ。
群馬県の日帰り温泉施設にも良くある様な、
バングルの番号で管理しているシステムではなかろうか。
このスーパー銭湯は、基本的には年中無休なのだが、
半年に1度の定期点検を実施している。
それが逮捕となった日で、前日に利用客全てに退店を促す放送を入れた事を機に、
自首したというのが、事の顛末である。

このスーパー銭湯の従業員の方々も、
「この人毎日来てるなぁ」
などと、思っていたのだろうか。
奴さん、食事は自動販売機のカップ麺を食べていたってくらいだから、
店員の目を憚って暮らしていたのだろう。
それにしても、被害に遭ったスーパー銭湯には申し訳ないが、滑稽な事件である。

このニュースを聞いて、直ぐに結び付いたのが、古典落語の「居残り佐平次」。
佐平次の場合は、品川の遊郭に堂々と居残って、毎晩客の座敷に上がり込み、
客から指名が来るほどの働きっぷりを見せて、勘定をチャラにしてしまう。
報道を見るに、奴さんはどうやら違う様子である。
おとなしく自首するくらいだから、根は真面目な人なのだろう。
「詐欺」なのだろうが、この手の施設の多発している「窃盗」の類よりも、
よっぽど邪念が少なく思える。

【天候】
終日、雲が多くも秋晴れの一日。
朝晩、そぞろ寒く感じるようになってきた。

1021声 島村の句会

2010年10月17日

伝統俳句。
その字面を見ているだけで、なんだか、居直らなければ。
と言う心持になる。
鍵括弧が付いていると、余計に威圧感がある。

俳句の吟行をしてきた。
「第87回群馬部会吟行句会」ってのが本日、
伊勢崎市は「島村渡船場」で開催された。
そこに私も、及ばずながら参加させてもらった。

嘱目7句。
って事は、島村渡船場、通称、「島村の渡し」をほっつき歩き、
7句作って提出する。
利根川の川面を眺めては、うなり。
背丈より高いすすき原の中へ分け入っては、うなり。
お茶飲んではうなり、おにぎり齧ってはうなり。
ってな状況下で、句を生みだして行く。
もっとも、玄人の方々は、さらりさらりと筆を走らせているのだけれど。

結果。
玄人の方々の洗練された写生句を前に、自らの句の邪念の多さ、と言うか、
雑味の多さと言うか、つまり「濁り」を改めて感じた。
濁りを取る為、毎日、もっと流さなくては。
とも感じた。
素竹さん曰く、最低、「3句から5句」。
たしかに、たしかに。

【天候】
終日、曇り。
午後より薄日射し、風も無く穏やかな一日。

1020声 しもだての銭湯

2010年10月16日

起床して、仄かなる二日酔い。
寝床を畳んで、寝間着を着替え、顔を洗って歯を磨き、早速、銭湯へ出掛けた。
目指すは近所の、ではなく、茨城県筑西市の、銭湯である。
新前橋駅から、両毛線の小山行きへ乗車。
終点で水戸線へ乗り換えて、下館駅で下車。
所用時間は、およそ2時間弱。
薄い文庫本を、一冊読み終えてしまった。
下館駅から向かったのは、市内に在る銭湯「松の湯」である。
駅前は閑散としており、類型的な地方都市と言った印象だが、
一本路地を入ると、古い飲み屋横丁がある。
まだ灯っていない赤提灯の軒先を、見物しながら歩いて行く。
他所者と察知したのか、黒猫が一匹、神社へ続く石段から、私を監視していた。
松の湯へ着いた時刻は、開店15分前。
しかし、常連と思しきお爺ちゃんの先客が一人、一番湯を待っている。
私も続いて並び、暖簾が掛かるや否や、脱衣場へ飛び込む。
番台のおやっさんに350円を差し出し、ついでにカメラも差し出し、
写真撮影のお願い。
脱衣場の方々の協力を得て、俊敏に数枚シャッターを切る。
浴室の真ん中に、椅子がピラミッド型に積んである。
これが、ここ松の湯のしきたりらしい。
皆、ここから取って、またここへ戻す。
未だ明るい間のひとっ風呂は、実に清々しくて、気持ち好い。
珈琲牛乳を一本飲んで、帰路へ着く。
「じゃあ、また来ます」
「次来る時はもう無いかもよ」
なんて、番台のおやっさん。
寂しい事言うが、ここは筑西市に残る最後の銭湯であり、
残すべき価値のある、実に良い湯だ。
帰りもまた、駅前の目抜き通りに在る小さな書店で買った文庫本を、
新前橋へ着く前に、1冊読み終えてしまった。
両毛線は沿線に学校の多い為か、制服の学生が多く乗車する。
座って、俳句の本など読んでいる自分を俯瞰し、
「年取ったなぁ」なんて、改めて実感した。
【天候】
終日、鰯雲がぼんやりと浮かぶ、穏やかな秋晴れ。

1019声 機械仕掛けの街 後編

2010年10月15日

衛生的かつ効率的。
確かに、食券販売機を導入すれば、店舗にもたらされる利便性は少なくない。
近年では、店員が小銭を触る事を嫌がるお客や、
店員と会話せずとも注文できる食券を、望んでいるお客も多くなっている。
現に、私の友人にも、一人か二人思い当たる節がある。
その友人たちは、煩わしさを排除し、徹底的に効率化を図った、
ファーストフードを好む。
いや、ファーストフードは私だって好きでよく利用する。
好むのではなく、消去法で店を選べば、好まざるを得なくなってしまったのだ。
そして、十中八九、個室好きだ。
知らない人が直ぐ横に居る、カウンター席など以ての外。
「機械仕掛けの街」
なんて表題の下、この現代の風潮を批判しようなんて気持ちは、
今再度、胸に手を当てて考えてみたが、見当たらない。
寂しい、とは思うが。
衛生的で効率的な事は、とても良い事だと思うし、
少しぐらい衛生的で効率的でなくとも、良いとも思う。
煩わしくないのが良い時もあるし、煩わしさを求めている時もある。
つまり、混在していて良いと思う。
私の事なので、例えはやはり銭湯でしてみる。
仲間連中や、親族家族などの団体で行く時は、
郊外に在る、大きくて近代的なスーパー銭湯を利用するのが適当、だと思う。
友人と連れ立って、はたまた一人でふらりと行く時は、
横丁に在る、小さな懐古的銭湯の暖簾をくぐった方が、断然に愉快だ。
どちらかを駆逐しちゃあ、まずい。
「私は一切、外湯はしません、湯船にも浸かりません、シャワーで一生過ごします」
私たちの後世が、そう言う人種になってしまう日が来るかも。
日本、なのにね。
【天候】
終日、曇り。
薄日の射す、穏やかな日なり。

1018声 機械仕掛けの街 前編

2010年10月14日

機械音痴。
と言う訳でもないのだが、機械を前に、冷汗三斗で小銭を握りしめていたのは、
つい先日の晩。
その場所は、何の変哲もないチェーン店のラーメン屋である。
その店の注文システムは、食券販売機で食券を買う、と言うもの。
という事実が分かったのは、私がカウンター席に座った瞬間。
店員が、メニューを探している私に向かって、極めて無愛想に、
「あっ、食券買ってくださーい」
と、指摘したのである。
慌てて私、入り口横の食券販売機まで戻って、ラーメンを選んだ。
選んだ、のだが、メニューが複雑で、少々モタついてしまった。
そこに、入口が開いて、入って来たのは、二人組の兄ちゃん。
私は急激に慌てふためきつつ、もう半ば前後不覚になり、
千円札を突っ込んでボタンを押した。
「ポトリ」
と落ちて来た食券の紙を握りしめ、一安心。
先程の店員に差し出し、漸くラーメンを注文する事ができた。
「麺のかたさは」
「あーっ、ふと、いや、ほそっ、じゃなくて、ふ、ふつーで」
「スープは」
「えっ、あっと、うぅ、ふ、ふつーで」
食券を出してからも、細かにラーメンの仕様を選べるシステムだったのだ。
私のような、注文システムを理解していない一見客が多数来るのか、
店員は慣れたあしらい方で、「めんどくせぇなぁ」と言う表情を隠していなかった。
やっとの思いで、今度こそ注文を終えた私、気付けば体には濃い疲労の色。
そそくさとラーメンを啜って、店を後にした。
私が店を出る時、
「ありがとうございました」
ってな店員の言葉は、レジで会計しないので、勿論無い。
それが、この店のシステムなのだ。
これが話の粗筋。
明日は、私の感想を記して締め括ろう。
【天候】
終日、曇り。
雲間から薄日の射す、穏やかな日。

1017声 読書漫筆「女湯に浮かんでみれば」

2010年10月13日

自分の本を買ってくれたお返しに、相手の本を買った。
ってのも何だかややこしい話だが、先日の銭湯ナイトにおいて、
そう言う経緯で購入して来た本が、一冊。
『女湯に浮かんでみれば』堀ミチヨ著(新宿書房)、である。
都内の銭湯情報に疎く、この本の存在を会場で初めて知った。
帯に一番大きく書いてある惹句、「東京、女、風呂ナシ。」に、どこか魅かれた。
先程読了し、女湯はやはり未知の世界と言う実感を再確認し、
銭湯の物語は女湯にこそあるのではないか、とも感じた。
この本はエッセイである。
10年程前、京都の銭湯でその面白さを体感し、銭湯に目覚めた著者。
北アフリカのチュニジアに留学していた時分、授業において、
「ハンマーム(アラビア語で公衆浴場)と銭湯の比較」と言うレポートを製作した。
それを機に、本格的に銭湯への興味を深めて行く事になる。
その後、日本へ帰国し、「風呂なし=銭湯通い」の生活を始めた著者。
土地土地の銭湯から、また、その女湯で出会った、様々な人間模様の中で、
「女としての生き方」と向き合う。
時代の中で消えゆく銭湯を憂いながら、銭湯のある豊かさを説く。
とまぁ、これは書評で無くて、単なる私なりの内容紹介である。
若輩の私が言うのもおこがましいが、著者も30代と言う、若い世代。
銭湯華やかなりし時代に生まれた世代でなく、
銭湯が衰退の一途を辿っている時代に、生まれた世代だ。
そんな謂わば、銭湯非日常世代の著者と、
銭湯日常世代である、常連客との触れ合いが面白い。
そして、銭湯フリークならば頷けるエピソードが多数ある。
女湯の人間模様を読んでいると、つくづく、男湯の方が断然に気楽。
だと感じ、「女ってぇのも、大変だな」、とも感じた。
【天候】
朝、薄曇り。
午後から晴れて、気温が上がる。
夜半に雷と強い雨が降ったが、直ぐに遠くの桑原に行ってしまった。

1016声 都会の毒

2010年10月12日

酔眼朦朧となりつつ、新宿歌舞伎町の路上を千鳥足で歩行していた。
餌に群がる烏の如く、酔っ払いに群がる呼び込み人の、眼光。
雑居ビルと雑居ビルの間で、集会中の野良猫が一斉に向ける、眼光。
眼光は弓のように射られる。
都会の眼光は、後からじわじわ効いてくる。
まるで、毒矢のように。
ってな実感は、田舎者の自らをして、本当の田舎者たらしめる。
田舎者がたまに都会へ行くと、疲れる。
郷里の群馬へ帰って来た今は、「ほっ」と肩の力が抜け、落ち着いている。
落ち着いているけれど、耳の奥に残っている喧騒が、
懐かしくなってしまうのは、何故なのだろうか。
それもまた、都会の毒。
【天候】
終日、曇り。
気温は高く、長袖シャツ一枚で丁度良いくらい。
夜風は涼しく、秋虫盛んに鳴く。

1015声 カプセルの中

2010年10月11日

「おはようございます、朝8時となりました」
ってなアナウンス音に起こされたのは、今朝の事。
目の前に迫る天井、横になっている体の直ぐ脇には、壁。
私が起床した、この薄暗い閉塞的な空間は、どうやらカプセル。
朦朧とした頭で、昨夜の記憶を逆再生してみる。
その一部始終は、おぼろげながら憶えている。
どうやらしたたかに泥酔してしまったが、世間様に醜態は晒していない。
と思う。
説明は結論から端的に。
昨夜は『第6回東京銭湯ナイト』に参加し、その後、打ち上げ。
梯子酒後、歓楽街のど真ん中にそびえ立っている雑居ビルの、
サウナ兼カプセルホテルで、独り受付していたのが、丑三つ時。
と言う記憶が、我が脳内では再放送されている。
先月も、川越のカプセルホテルに一泊したので、我が人生は最近、
カプセルホテルとの関係が密になって来た。
その時の状況は、十中八九、深酒による終電乗り過しなので、
あまり良い関係とは言えない。
あの狭いカプセルの中でも、意外と良く寝れるのは、おそらく、
私の身体構造がガサツに出来ているから。
ではなく、酒酔いによる感覚麻痺に起因していると思う。
肝心の、『銭湯ナイト』自体は、盛況も盛況。
勿論、会場は満席になり、残念ながら入り切れない方々も居る様子だった。
今回私は、自著を売らせて頂いた。
売れなかった場合、群馬まで持って帰ってくるの労苦を思い、
少し及び腰になっていたが、終演後は随分と軽くなったので、
ほっと一安心すると共に、感謝の念が一層強くなった。
宴もたけなわになり、ネオン輝く繁華街に、千鳥足を一歩踏み出す。
「この辺りで、どこか泊まれるところなんてのは」
と聞けば、的確なる周辺のサウナ情報が、小気味よく返ってくる。
下北沢つかささんがいらして、本当に良かった。
そうでなければ、行き倒れになっていたかも知れない。
【天候】
終日、雲一つない秋晴れ。
気温は上がり、半袖で丁度良いくらい。
「こんな好日は一年でそうは無い」
と言う文句が、世間話の冒頭に出るような日。

1014声 赤字商売と郷土紹介

2010年10月10日

寅さんみたく、朗々と口上を述べて啖呵売出来れば、
少しは本だって売れるのだろう。
しかし、私などが、つっかえつっかえどもりながら、
口上を申し述べたところで、販売が促進されるわきゃない。
ともかく、本の売り子となるべく、これから「銭湯ナイト」へ行くところである。
考えてみれば、自費出版と言えど、製作から販売までをこなしている作者は、
稀有ではなかろうか。
書店を回って在庫の確認。
請求書の発行から集金まで、1から10まで、作者の手を離れる事が無い。
そこで、素人商売人の私は、在庫管理及び集金回収が、
ままなっていないと言う状況。
これを言えば身も蓋もないが、いくら手広く売っても、
赤字を補填するばかり。
つまり、利益などは毛頭出ない。
自分で、「それでいい」ってんだから、それでいいのである。
「手間」
と言えば、確かに手間が掛かり過ぎだが、
自ら望んで取り組んでいる節もあるので、愚痴は言えない。
回想の中で、印象的な言葉がある。
それは、発売日に、本を初めて店頭に置かせて頂いた、書店の店長の言葉。
「マーケットをつかむ事が大事ですよ」
確かに、と今改めて思っている。
本の性質上、万人が購買するようなものではない。
だからこそ、マーケットをつかむ事が、とても大事なのだ。
それは分かっていつつも、やはり、商売ってのは一筋縄ではいかない。
これから行く「銭湯ナイト」などは、絶好のマーケットになるのでは、と踏んでいる。
しかし、素人商売人の私のやる事なので、過度の期待は出来ない。
とまれ、群馬の銭湯を紹介するのは元より、
「群馬に一度お越しやす」
ってな、お国自慢調の郷土紹介、と言う心持で臨もう。
随分と、ねじ曲がった紹介ではあるが。
【天候】
終日、薄曇り。
雲間から日が射し、前日の雨と相まって、甚だ蒸し暑し。
半袖の人も、チラホラ(東京都心部)

1013声 雨はつらいよ

2010年10月09日

天気予報が的中し、時刻は正午現在、無情にも雨が降っている。
無情、ってのは、今日明日と、「前橋まつり」が開催されるからである。
雨天の祭りが、如何に高揚する気分を削ぐか、そして、どれ程渋滞を招くか、
関係者一同の気持ちをお察しする。
私も本日、前橋まつりの出演者の方から、以前より連絡を頂いていた。
しかしながら、不義理をして東京へ出掛けようと言う考えに至っている。
と言うのも、この雨は夜半にかけて強くなり、明日の午前中まで降り続く。
と言う予報だからである。
雨では、前橋まつりを観覧するに、何が不味いのか。
祭り観覧が問題ではなく、自らの明日の予定に問題がある。
明日10日の予定、ってのは、東京へ行商に行く用事。
明日起床した時点で、強い雨を目の当たりにした場合、
足が向かなくなるのを懸念して、と言う次第である。
今晩中に現地付近へ行き、一夜明けて、現地へ入る。
と言う、実に行商人らしい行動を試みようと思う。
「アンタ、まつりに来るって言ったじゃないか」
と言う声が、出発する私の背中に投げかけられたならば、こう言う。
「そこが、渡世人のつれぇところよ」
寅さんが居てくれれば、百人力なんだが。
【天候】
終日、冷たい雨。
本来ならば、運動会の季節である、秋晴れの三連休。
各地の催事関係者また観覧客は、気の毒である。

1012声 本日開店

2010年10月08日

「開店」
と言うほどの事でもないが、心持はやはり、開店。
この「めっかった群馬」の中の店が、である。
「店」っても、ひとつ、ショッピングカートの付いたコンテンツを増設した、
と言う話。
新規開店、あるいは開業の場合。
大いに売り出すべきであろうが、
こんなにひっそりと開店してしまって良いものか、と思っている。
もっとも、この新コンテンツの名前が「小商い」なので、分相応とも言える。
現在の商品は、「群馬伝統銭湯大全」の1点のみであるが、
徐々に増やして行くつもりである。
「さて、何売ろうか」
って、商いを始めてから考えているようでは、私の商才もたかが知れている。
ふと耳に入ってきたのは、スピーカーから流れている落語。
その演目は、5代目志ん生の十八番、「火焔太鼓」。
商売の事を考えながら聞くと、また、違った角度で噺が聞けて、ちと新鮮。
古道具屋で太鼓でも探して来て売ったら、どんどん、儲かるかしら。
【天候】
終日、薄曇り。
西上州山間部では断続的に、微弱なる降雨。
昼間は長袖、夜はジャケットを羽織って、丁度良い。

1011声 低きに流れる

2010年10月07日

漫然と過している日々の中でも、気付けば、自分の居やすい場所の方へ足が赴く。
水が低きに就くが如しで、自然とそうなってしまう。
と、自分が居ずらい場所へ行った時に、そう感じるのである。
平日の昼時。
私が居るのは、何の変哲も無い、ファミリーレストラン。
座っているのは、禁煙席。
しかし、通路を隔てた向こう側の席から、
モクモクと渦巻く紫煙が押し寄せているではないか。
横目で見ると、ちと異様な光景に、一瞬、釘付けになった。
座っているのは、子連れの若いお母さん。
年の頃、20代中頃と言ったあたりで、子供は4、5歳。
それが、携帯電話を横向きにテーブルに立て、ワンセグを視聴しているのである。
バラエティー番組(笑っていいともであろうが)特有の観覧席からの笑い声が、
店内に響いている。
その画面を眺めつつ、お母さん、煙草を吸っているのだ。
問題は、その吸い方。
煙草の煙を吸引し、吐き出す時に携帯電話掛からぬよう、
唇の左を開けて左側に煙を出している。
そこには、子供が居るではないか。
お母さん、どうやらワンセグに夢中。
すると、私の隣の席で、和風ハンバーグランチを食べている、
ネクタイ締めたおやっさん。
深いため息何度もついて、何やら、憤慨しているようで、
さっきら一向に落ち着かない。
「そうだ先輩、注意してくれ。あくまで、やんわりと」
などと、期待を託して自らの注文品を待っていると、そのおやっさん。
ツーッと一気に水飲んで、もはや猟奇的に青ざめて引きつった顔をさげて、
行ってしまった。
早足のおやっさんとすれ違って、先程のウェイトレスが、
和風ハンバーグランチを私のテーブルへ運んで来た。
向かいのお母さんは、依然として美味そうに煙草を吸っている。
さっきのおやっさん。
さては、先頃の煙草増税に伴う、禁煙組だったのであろう。
食後に向かいの席の状況を目の当たりにしたら、そら、顔も猟奇的に引きつる。
ウェイトレスがまた戻って来て、空になっている私のコップに、荒々しく水を注いだ。
【天候】
終日、穏やかなる晴れ。
気温は温暖で、半袖で心地好い。

1010声 銭湯における極私的な近況

2010年10月06日

さて、書こうかな。
って段になって、初めて気付いた。
今回で、第1010声。
と言う事は、「銭湯」の回と言う事になる。
では今回は、極私的な銭湯関連の内容に終始する、とする。
銭湯と言えば、丁度タイムリーに、今週末の10月10日(土)が「銭湯の日」である。
それに因み、
東京は新宿区歌舞伎町のロフトプラスワン(トークライブハウス)ではこの日、
「第6回東京銭湯ナイト」が開催される。
昨日も少し書いたが、私も本(群馬伝統銭湯大全)を携えて、
行商に伺わせて頂く段取りになっている。
そこで現在、「当日どうやって本を会場まで運ぶか」と言う、
行商人らしい悩みを抱えているのである。
束になった本は、とても重たい。
そして、現在進行形で、「茨城路地裏銭湯記」などと銘打って、
茨城県の銭湯を訪ね歩いている。
調査、と言う程でもないが、ちと調べたら、茨城県で現在営業中の銭湯は6軒。
その数も、この目で全てを確認していないので、確信を得ない。
その中、訪問できたのが2軒。
残り4軒を訪問し終えるのは、年を跨いだ、来年(2011年)の春頃になりそうである。
茨城県の銭湯を全て訪問し終えれば、
群馬県、栃木県、茨城県の北関東3県で営業している、あるいは営業していてた、
伝統的な銭湯を全て訪問した事になる。
その時点で、その結果を踏まえてやらねばならぬ事がある。
「群馬県立女子大学」
などと突如として、女子大に縁もゆかりも無い私が、鍵括弧付きで書くと、
ちとアヤシゲな雰囲気漂うが、決してアヤシイ者ではない。
因みに、アヤシイ事も企んではいない。
端的に説明すると、群馬県立女子大学では、「群馬学」と言うものを提唱している。
その「群馬学」の普及啓蒙及び確立を目指す為、
先頃、「群馬学リサーチフェロー制度」を創設したのである。
この「リサーチフェロー」ってのは、平たく言えば、「研究員」。
で、この制度ってのは、群馬学確立に向け、各分野で群馬に関する調査・研究をする、
このリサーチフェローを、一般公募のうえ選任し、期間を設けて活動するもの。
今期(第1期)は、25名が選任された。
その中の一人に紛れ込んでいるのが、私。
と言った状況である。
さて、ここで漸く登場するのが銭湯で、私の研究テーマが、
「群馬の銭湯」なのである。
北関東3県において、伝統的銭湯の残存率が、群馬県は突出している。
それは何故か。
私も分からん。
そこんとこ詳しく教えて頂きたい次第である、はい。
【天候】
終日、雲の多い秋晴れ。
気温が上昇し、暦を半月戻したようであった。