午前中にひとつ俳句関係の原稿に目途を付ける。参加しているネット句会を、今回もいくつか休む。午後は颱風の雨の中、出かけたが、疲弊して一日を終える。何かと一区切りつけて、光の差すほうへ歩みたい。
2020年10月10日
午前中にひとつ俳句関係の原稿に目途を付ける。参加しているネット句会を、今回もいくつか休む。午後は颱風の雨の中、出かけたが、疲弊して一日を終える。何かと一区切りつけて、光の差すほうへ歩みたい。
2020年10月09日
颱風の影響で終日雨、それも強く。季節の変わり目か気圧のせいか、頭痛に悩まされた一日。いまはいわゆる「コロナ禍」の中であるが、毎日、満員の列車やらバスやらに乗っているので、私などは密集した空間を避けるということに麻痺しているほうであろう。今日も慌てて列車に乗車したら、すぐに車内の鋭い視線を感じ、何かと思ったらマスクをつけ忘れていた。すぐにポケットから出して付け事なきを得たが、視線が刺さるとはこのことかと実感した。この間も、イートインスペースで席に座ったら、隣に座っていたお年寄りに露骨に嫌な視線を向けられてしまった。たしかに、席の間隔は近かったが。「おたがいさま」なんて言葉は、完全に死語になってしまったのであろうか。すくなくとも、感覚的にはそんな言葉は許容されていない。
2020年10月08日
台風の影響で終日雨。セーターが必要なくらい冷え込む。物事が進まず、焦る。進まなくて当然、などと無理やり自分をなだめる。どこの雑誌も「俳句初心者向け」というような企画が多く、現在受けているものもその一つで、いささかてこずっている。というか、てこずりそうなので手を付けていない。巷では秋刀魚の値が高騰しているとの由。たしかに、まだ秋刀魚をたべていない。十年位前の秋晴れの空の下、中之条町のふるさと交流センターつむじで、秋刀魚を食ったな。堀澤さんが網に乗っけて燃え盛る炭火でやたらめったら焼いていた、あの秋刀魚は旨かったな。
2020年10月07日
簡単なはずの俳句関係の原稿に、大いに苦しむ。規定文字数を書いたのだが、なんだか気に入らずに全没にする。まだ手付かずの重たい原稿もある。一旦忘れるため、というか逃避するために、椎茸などあぶりつつ、一杯やる。台風が来ているとの由。昨年のこの時期に水害に見舞われて大変だった。庭にコスモスを植えたのだが、大丈夫だろうか。エールビールをちびちび。
2020年10月06日
雲多くもおおむね秋晴の一日であった。ちびりちびりと俳句関係の原稿に手を付ける。メールでの句会の選句を終える。どうにも、なかなか難しい。ITになじみがない高齢者の方などは、このコロナで句会などWEBやメールなどにシフトできず打撃を受けているといわれている。もしかしたら、そういう方々こそ、いままで通りたんたんと俳句を作っており、ITのリテラシーが高い世代が一見、この状況に順応しているように見えて、俳句を作ることには苦戦しているのではないか。ITは便利だが情報は画一的である。俳句はITを駆使して作り、共有するなんていう意識が一般的になったら、そういうことの方がもしかしたら、ジャンルにとって打撃なのかもしれない。
2020年10月05日
片付けられない。今に始まったことではないが、いまの状況は悲惨である。これを書いている机の脇にはひざ丈よりすこし高いくらいの本棚があるのだが、その本棚と同じくらい本が積みあがっている。積みあがっているとは、お行儀の良い表現で「本だまり」とでも云おうか、つまり、乱雑に山にしてあるのである。当然、それが邪魔をして本棚の中の本が取り出せない。俳句関係の本は古い句集など函入のもの、つまり化粧箱に入った、いかつい装丁が多いので、場所を取る。処分すればよいのだが、処分するにも大変で、そのままにしている。年末辺りから句集評の関係で、さらに増える予定である。献本句集などは付箋のついたまま転がしている始末で、ともかくもう手に負えないのである。しかしながら、すこし手をつけないとまずい。今年中にやりたい。
2020年10月04日
「与田浦コスモスまつり」に行ってきた。こちら、千葉県に移り住んでから、佐原とか潮来周辺の水郷地帯の雰囲気が気に入り、たまに出かけている。コスモスの咲く頃は絶品で、水郷の鄙びた雰囲気に揺れるコスモスはなんともいい難い風光である。この与田浦コスモスまつりというのは、JR鹿島線十二橋駅という、これまたつげ義春的といおうか、なんとも寂寞くとした無人駅の脇にある田んぼで開催されている。ただコスモスがたくさんあるだけである。これはこれでいいのであるが、今年は、コロナの影響もあってか、駐車場の入場規制があり、田んぼの脇に車列ができるほど人が来ていた。車のナンバーを見ると都内が多く、やはり癒しを求めてきているのだろうか。私もリフレッシュのつもりで行ってきたのだが、ここのところ危ういくらいに増えている酒量のためか、眠気が強く、判然としなかった。眠気に耐えつつなんとか帰って来て、いままた缶麦酒を空けている始末である。
2020年10月03日
ZoomにTeamsにSkypeに、これを読んでいる人もどれか一度は使ったことがあるかもしれない、WEBのミーティングツールである。コロナウイルス流行以前は、Skypeくらいしか知らなかったが、いまとなっては急速に、もう強引なくらいに世間に普及して一般的になってしまった。俳句の世界でも句会はもちろん、賞の選考や講座などがWEBになっている。私の周りも大半がWEBの句会システムを利用している。WEBの功罪の話は置いておいて、俳句(というジャンル)は、WEBとの親和性が低そうなところが気に入っている。銭湯とか食堂とか赤提灯とか、私の好きな世界はことごとくそうである。そのジャンルの首根っこをひっ捕まえて、強引にWEBの世界に引きずり出すようなことはいいのかどうなのか、まぁそういうことについて、ずっと考えている。
2020年10月02日
昨晩は天気も良く、まさに中秋の名月といった具合に、まんまるな月が浮かんでいた。今朝は庭先の草草にびっしり露が結んでおり、昨晩の豊かな月光が思い出され、いっそう煌びやかに見えた。数年前から、ぽつぽつと「奥の細道」の工程をなぞって出かけていた。近いところでは昨年、岩手の平泉や山形の立石寺に行ったり。連休などを利用して出かけるので、交通渋滞や現地混雑が甚だしい。結局、平泉では駐車場待ちの車の長蛇の列に恐れをなし、金色堂を拝観しなかったり、抜けてしまっている部分も多い。車での移動というのは、つくづく旅情にかけると感じている。そして今回、大垣での句会の話が来て、その工程も一気に進んだ。今回は東海道新幹線経由で行ったので、あとは富山から金沢、福井を抜けるルートを巡れば、ほぼ一筆でつながる。芭蕉のように三里の灸を据えて徒歩で行きたいとは思うが、駅弁を車窓に置き、缶麦酒を空けるのも悪くない。
2020年10月01日
先週末は岐阜県大垣市に行っていた。大垣市は芭蕉の「奥の細道」のむすびの地、つまり奥の細道の旅を締めくくった土地なのである。その名も「奥の細道むすびの地記念館」という施設で句会をしてきた。句会だけではと思い、その日は朝からワンマン列車に揺られ、養老の滝まで行って俳句を作り、午後は市街に戻って句会をして、夜に新幹線で東京方面へ帰ってきた。その疲れが一週間経という今日まで、抜け切っていない気がする。四十を目前とする、自身の老化を実感している。カーテンをめくれば、今宵は名月。月光に癒されよう。
2020年09月30日
結局私は、何かに依存しなければ生きられないようです。そんなことをしっかり宣言する、そういう大人もいま必要かもしれない。まず、自分の話をしてみる。まず、酒に依存している。呼び捨てにしたらバチが当たる。お酒。お酒は本当に正直で、その酒の有り様と飲んだ量で、その通りの結果が出る。昨夜もワインを一本空けてしまい、当然いい夢は見ないし今朝も身体は重いけれど、生きている。けれどもまた、もっと減らしたいともどこかで思っている。自分がシラフのときから逆算して依存しているものを拾っていくと、例えば、おいしそうな魚を買うこと、それをきれいに下処理したときの快感に依存している。そしてそれをお客さんが食べてくれて買ったお金を回収できることで生きている。ビールを作れて、それがおいしくできたときの快感に依存している。他にも、その2つに付随してSNSをしていて、これに相当、依存している。ときに本質(魚を食べてもらうこととビールを飲んでもらうこと)を忘れて没頭している自分に気づいたときため息が出るくらいには、依存している。次に、近しい人間に依存している。家族や恋人を筆頭に、そうでない人にも、とくにお客さんなど、これは依存してるなと思うことが多々ある。それから、書くことにも依存している。鶴のひとこえは、書くことにより私が私を支える、最後の手段。書くことで、あるいは、話すことで、人は自分を支えることがあるのだと思う。だから、ことばがでなくなるというのはどれだけ辛いだろうと、それだけで胸が痛む。依存していいの。ただ大事なのは、他者を生もうとすること。自分の依存に能動的に関わる他者が生まれること。私ならば、買った魚が売れること。能動的に食べてもらえること。作ったビールが売れること。能動的に飲んでもらえること。逆に私が飲む番になった時は、お酒を飲むことが、明日への活力となること。それが仕事や仕事仲間、お客さん、家族、恋人につながって、また能動的な関わりを持とうと思ってもらえること。書くときは、これを読んだ人を無闇に傷つけないか、一字一句想像して書くこと。その上で自分の気持ちいい言葉、リズムで書くこと。依存したままでいいから、大人になりなさい。大人になるとは、その人の存在、生んだ何かに能動的に関わる他者、発想が生まれること。あなたによって能動的な他者が生まれているならば、十分じゃないかね。あくまでこれ、人間は最後は人間でしか癒やされない、という、結局人は一人では生きられないという前提に立っているけれどね。
2020年09月29日
明け方は肌寒い。明後日から10月だ。昨日は羽田に到着してから築地に移動した。築地に着いたのは午後1時頃で、包丁屋に寄ってから、場外の自然派ワイン立呑の店へ。時間はまだ昼時だが、本来ならまだ人でごった返している時間なのに、築地に人はまばらだった。市場のなくなった築地は、観光客がメインの、ほぼ観光地になっている。入国制限が解除されれば人は戻ってくるのか。店の人たちは、それだけを信じているのかもしれない。ワインを数杯飲んで、歩いて勝どき方面へ。勝どき橋を歩いて渡る。天気もよく、ぽかぽかの散歩日和。学校帰りの小学1年生が、ビルののような小学校からまるで巣穴から出てくる蟻ンコのように、どっと出てきた。皆マスクをしているがすごく元気だ。子供にコロナなんて関係ない。勝どきはどこかに寄ることもなく、そのまま地下鉄に乗り二駅、門前仲町へ。15時からやっている、いつも満席の大衆酒場を訪れた。開店10分前に着いたが、すでに7、8人は並んでいた。普段なら40〜50人くらいは並んでいる。本鮪、うに、ほっき貝、塩辛を注文。うにはなかった。その後日本橋へ移動して、老舗の日本酒酒場へ。17時頃だが1/3くらいはお客さんで埋まっていた。普段ならほぼ満席だと思う。塩らっきょう、しらすおろし、うに、塩辛を頼んだ。ここも、うにはなかった。週明け市場の始まる日にないのは、原価のかかるものを抑えているのだと思う。一杯飲んで、隣に新しくできたビルの地下の寿司屋へ。おしゃれな地下のレストランはガランとしていて、異様な静けさ。新しくできた中堅クラフトブルワリーの直営店も、お客さんはいなかった。築地、勝どき、門前仲町、日本橋八重洲と歩いて、八重洲こそ空き店舗の貼り紙はなかったが、築地、勝どき、門前仲町は空き店舗の貼り紙がいくつも見受けられた。通常ならすぐに埋まりそうな物件でも。酒場に人がいないのは、仕事関係の飲みがほとんどないことが1番の理由だと思う。今年は忘年会も少ないだろう。こういう状態はまだ続くと思う。
2020年09月28日
鳥取に行ってきた。帰りの飛行機の中。鳥取の空は雲が多い。日置桜と扶桑鶴の合同呑み切り会があった。呑み切り会は、酒造りのシーズンに入る直前に、前の1年に作った酒を一同に集めて飲む会である。日置桜も扶桑鶴もしっかり熟成させてから出荷する蔵のため、まだ商品化されていないものが多い。最低1年は蔵で寝かせてから商品化、出荷していると思う。11月の食中酒の会が扶桑鶴の回だから、飲んでおきたかった。日置桜は燗酒、冷酒共にザブンのレギュラー酒なので、今の味を改めて確認したかった。1つの蔵だけではわかりにくいことが、2つ同時だとよくわかる。扶桑鶴が日置桜に比べて重いこと。扶桑鶴は料理がすぐに浮かぶが日置桜はなかなか浮かばないこと。酸には硬質な酸と軟質な酸とあること。生もとは軟質な酸であること。生もとは重層的かつ重奏的であること。日置桜は旨みが強いこと。扶桑鶴は日置桜に比べると、甘みが強いこと。わかったつもりでいてもこちらの理解の深さが増すと、新たな発見がある。わかったつもりは、今を支えるために必要かもしれないけれど、それにより新たな発見にアンテナを持てなくなると、新たな他者が生まれなくなる。わかったという実感と、もっとわかりたいという願望と、両方抱えてないといけない。頭は高く腰は低く、というのは、そういうことなのだと思う。さて、着陸態勢に入った。今の飛行機は、機外カメラで前方の景色を、目の前の液晶で見ることができるようになっている。そろそろ着陸。イヤホンから小田和正の、「東京の空」が流れてる。秋晴れ。
2020年09月27日
コロナウイルスがもたらしたものは何か。人間同士の、物理的な距離、リモートの拡大、あるいはバーチャルへの慣れ、話声のボリュームダウン、マスクの常態化、マスクの洋服化、薄化粧、テイクアウト利用、家飲み。いろいろある。いろいろあるが、これらは一律の、平等に起きていることである。一律でないものがある。それは、コロナウイルスの影響を受ける仕事、立場と、そこまで影響を受けない仕事、立場があって、そこまで影響を受けない仕事、立場の人間たちは割とのんきでいることができて、まともに影響を受ける仕事、立場の人間たちは、崩れる体制を立て直すために火事場のくそ力、地道で長い踏ん張り、発想の転換を求められる、ということである。隣家の窓からは笑顔が溢れている中、なぜかうちだけが雨で寒く、頻繁に停電も起こるし、頻繁に家ごと揺れている、ように感じてしまう仕事、立場の人たちがいる、というようなことである。こうした違いは見えにくくて、外で歩いていればどの人が揺れの少ない家に住んでいて、どの人が揺れてばかりの家に住んでいるかは見分けがつかない。それどころか、一緒に会って話してみても、その違いは見えにくい。自分の家ばかりが揺れていると感じてしまう仕事、立場の人たちのこれからには、2つあると思う。1つは、引っ越しを考える時期かもしれない、ということである。なぜこの家は揺れるのか、揺れない、揺れにくい家はなぜ揺れにくいのか、考えなくてはいけない。さもなくば、知らないうちに気づいたら雨風すら凌げない、ということに、簡単になりかねない。もう1つは、揺れる家でも雨風凌げればいいや、と、開き直ることである。最低限の養生は怠らずに。けれどもとてもこれは、エネルギーを使う。何がしたいのか、何ができていれば幸せなのか、床暖房なのか、セントラルヒーティングなのか、いや、すきま風でも寒い部屋でも木の香りがすることが大事なのか、そんなことを、揺れながら踏ん張りながら、考える時期になった。考えるべきは、最低限の養生のラインと、何ができるか、何がしたいのか、である。それからあと一つ、大切なことがある。頻繁に揺れる家も、ときに揺れない瞬間がある。せめて揺れていないときにくらいは笑っていたっていい。揺れないときに笑っていられるくらいの懐の深さ、生きることへの余裕、遊び心くらいは、いい機会だから、身につけたっていい。
2020年09月26日
雨の毎日。昨日は昼過ぎから夜にかけて、強弱をつけながら降り続いた。ちょうど店の営業時間に重なった。案の定とても暇だった。9月の金曜日は1、2週がまずまずで、3、4週が暇だった。こういうときに来てくれるのは常連さん。常連さんのありがたさを、この半年はたくさん感じている。さて今日はどうか。4連休後の土曜日、月末の土曜日である。そろそろ来客数を予測できる力も必要だと思う。予測してみる。昨年の結果だと暇だった。今年はどうか。天気は曇り時々雨。早い時間の予約が一組。明日は臨時休業の案内済。→忙しくなることを予想。
2020年09月25日
夜の冷え込みが増してきた。昨夜は長袖を着た。昨日は暇かと思っていたら、遅くなって食べて飲むお客さんが来てくれた。よかった。今や時代は、食べて飲むは当たり前ではない。では、食べずに飲むかと言うと、それでもない。1時間〜2時間くらいの時間を、ビール一杯で、おしゃべりするのである。ビール一杯は、飲んでいるうちには入らない。いや、アルコールに弱い人にとってはそうではないはずだ。ビール一杯では酔うところまで行かないのにビール一杯でおしゃべりし続ける、というのが、飲む行為とは違う、ということである。酔うとは、一度覚醒を離れる、ということである。覚醒したまま酔う、は、まだ酔うには至っていない。そういう若者が増えてきた。うちはなまじカフェ風の設えのために、そういう若者も来るのだと思う。ビアカフェをやりたいのか、酒場をやりたいのか、私が、そこをはっきりさせなさい。
2020年09月24日
木曜日。週のはじまり。市場で仕入れをして水洗い。今年初めて秋刀魚を買った。脂はないが腹の中がきれい。肝醤油にしてすだちで出そうと思う。昨日は3回目のピルスナーの仕込みをした。糖化で+2時間、煮沸で+30分かかるため、今まで5時間半で終了した仕込みが8時間かかるようになった。この2時間半、とくに糖化を低温からスタートすることで、独特の豆っぽい香り、旨みが出る。これがチェコスタイル、ボヘミアンの香り。これがいい。釜の上下の温度を揃えるため下からバケツに出して上から入れる。昨日はそれを15回くらいやった。1回15kgとして225kgになるのか。最初に釜に入れる麦芽が35kg。それを粉砕室から工場に運ぶ。お湯ができたらそこから釜に入れる。糖化後の麦芽が50kgくらい。釜からを出す時と、家に運ぶ時で合わせると100kg。仕込み後、釜25kg2つをガス台からおろして洗う。洗い終わったらガス台の上に戻す。これで100kg。そのくらいだな。225+35+35+50+50+25+25+25+25=495。なかなかの筋トレになっているな。最初の225kgの麦汁循環を自動にしたい。
2020年09月23日
今年の3/28㈯、今でもはっきり覚えているが、いきなり土曜日の夜なのに街から人がいなくなった。3月になって徐々に減っていると感じていたものの、いきなり大晦日かと思うほど人気がなくなる。3/24に、オリンピックの1年延期が決定、3/25、志村けんさんが新型コロナウイルスに感染、この日から3日連続で、今まで10数人だった都内の感染者数が40人を超える。3/28安倍首相会見「長期戦になる」と発言、同日、都内の1日の感染者数が60人を超えた。そしてその夜、高崎の街から人がいなくなった。新型コロナウイルスが他人事ではなくなったのは、あの日から。さらに3/29、稀代のコメディアンであり生涯コント師、志村けんさんが亡くなった。恐怖は当然、私の中でも大きくなった。その後4月は感染者数が増え続ける。皆が持論を展開すればするほどすべてが決め手を欠くのは、皆が初めての経験だから。何がわからないかわからないという状況が、ひとまず全部止めよう、という雰囲気を作っていった。それでも5月になると感染者数は落ち着いて、とくに群馬はほとんど新規はナシという状況が続いた。4月頭に政府が発表した緊急事態宣言は、5/25に解除。けれども街に人は戻らなかった。都道府県をまたぐことをNGとする移動制限を要請したからである。もうこの頃には国民の行動様式は、コロナについて自分で考えて動く、ではなく、雰囲気に合わせる、というものになっていたと思う。そして一旦それを受け入れてしまうと、考えない、はどんどん人間の内部に定着してゆく。感染者数が落ち着いてきたこの9月の下旬でも、軽井沢の人気のない高原の木立の中で、皆マスクをしている。この同調力の強さを認識できたことが、結局、この半年で何がわかったのかといえば、これじゃないだろうか。この同調には、同調しないものを排除しようとする圧力と、同調してしまうことによる思考停止の肯定がついて回る。人間だから、それは日本だけでなく他の国でもそうかもしれないが、それがとても顕著なのが日本人だということが、この半年でわかった最も大事なことじゃないだろうか。コロナに関心があるうちに、コロナの動向と同じくらいの分量で、この日本人の性質について語られた方がいいと思う。コロナが収束したら誰も気に留めなくなるのだから。気に留めなくなって、何もなかったかのように同調圧力と思考停止の肯定だけが再び潜在化して、見えにくくなるのだろう。