日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

5307声 平穏無事

2022年12月19日

本日は、少し大きめの予定があったのだが、予定外のことがいくつか重なり、少しばたついた。

出席するべき人が来なかったのが原因だ。

先週末までわかっていた欠席者は一人だった。土曜日に、進行役が来れない連絡があったが、こちらも想定内で、今日の朝の対応で間に合うと踏んでいた。

二人の欠席だ。なんとかなるだろう。

でむかえた本日、代わりに進行していただく方と打ち合わせをして、やれやれと思っていると、さらに間に合わない人がいることが判明。しかも二人。

開始まであと3分。自分で進行できるものではないので、司会役の読み原稿を変更しなくてはならない。司会席まで走り、殴り書きで読み原稿に書き込みを入れた。読みにくかったとおもう。大変申し訳なかった。人名には念のため、フリガナも振る。会場を見渡すと、みな着席している。書き終えた原稿を司会していただく方に渡し、わたしも自分の席へ移動。

間もなく始まる。

おかげで、わたしは、自分の発言の原稿は直せないまま。そのことに気づいたのは、指名され、発言しはじめてからだ。なんとか、冷や汗をかきながら凌ぐ。

その後、会場を移しての本番。

なんと、いないはずの一人が席に座っている。

再度、司会席に行き、今度は原稿の修正を依頼。

なんて日だ!!(小峠風に)

まあ、結果的には平穏無事にすべて終わったのだが。

司会を代わっていただいた方には、大変申し訳ないことをしたとおもう。

一つひとつは、想定内でも、こう重ねて畳みかけられるとね。

5306声 平穏と変化

2022年12月18日

本日は、町内会の廃品回収があった。

久しぶり過ぎて、あまり集まらなかった。あまりに少ないので、あっという間に終了した。回収業者の人の話によると、コロナ禍で中断されていた廃品回収を再開する町内が増えているとのことだが、どこも再開後はこんなものらしい。定着するには暫くかかるのだろう。再開できていない町内会もあるようで、もう以前のようにはならないのかもしれない。

世の中の変化に抗うことは難しい。変化し続ける社会のなかで、平穏を保つには、自らも変化し続けなくてはならない。

平穏でいるために変わり続ける。

現実は正解なのである。

5305声 六

2022年12月17日

歌舞伎に六方という、花道から退場するときの技法がある。天地に東西南北を足した六方向に手足を大きく振る、荒事の引き込み(退場)に欠かせない技法なのだが、なぜ「六」なのか。天地に東西南北だからなのだが、なんで六を選んだのか。

六のことが気になって、少し調べるといろいろ出てくる。読み方は「ろく」だったり「りく」だったりする。

六方、六法、六腑、六芸、六経、六然、六大、六界、六道、六識、六根、六義園、六字訣 

六について、もっと調べたい。

5304声 やはり

2022年12月16日

江戸時代の俳人滝野瓢水(たきの・ひょうすい)の句。

手に取るなやはり野に置け蓮華草   滝野瓢水

瓢水の友人が遊女を本妻に迎えようとして、それをいさめて作った句らしい。

「やはり」というのは、日本国語大辞典によると「動かさないで、そのままにしておくさま、静かにじっとしているさまを表わす語」とのこと。

毎年変わる制度があるが、せめて数年は、やはり置いといてほしい。日本企業の国際競争力は、こういうところで削がれているとおもう。

5303声 海鼠

2022年12月15日

本日、シンキチ醸造所の定期便が届く。この度は、梨之助、黒玉パンチ、立冬春菊、ストリッパーの4本。楽しみ。

ところで、私的「鬼城の一句」では、12月15日は、次の句となる。

何も彼も聞知つてゐる海鼠かな   村上鬼城

320年前の昨夜は、大石内蔵助をはじめとした赤穂浪士が吉良邸に討入った。海鼠(なまこ)は、そんなことまで聞き知っているのだろうか。それなら、殺された吉良義央が、本当は名君だったことも知っているのかもしれない。

富安風生に次のような句がある。

何もかも知つてをるなり竈猫   富安風生

そして、風生の句は、角川の歳時記に載っていたりする。「竈猫」という季題を造り出した本人のためだろう。

わたしは、鬼城の海鼠のほうが好みだ。

5302声 積重(つみかさね)

2022年12月14日

強風が吹き荒れた日だった。

高い建物の近くはとくにすごかった。マスクが吹き飛ばされそうなくらいだった。

そんな本日、年内の仕事にひと区切りがついた。新型コロナウイルス感染症の影響も受けたが、なんとか無事に終えることができた。まだ、小さな案件が残ってはいるが、令和4年の大きな予定はだいたい終了。職場にも、コロナに感染したり、濃厚接触者として自宅待機となっている人がいて心配ではあるが、とにかくひと区切りである。

このあと年内は、こまごまとした整理をしていくことになる。案外この整理が大事で、このこまごまとした整理の積重(つみかさね)があるから、大きな予定を平穏に行うことができる。少なくとも平穏に行っているように装うことができている。装う必要はまったくないのだが・・・。

まったく話は変わるが、討入の夜ですな~。歌舞伎座で歌舞伎がみたいな〜とおもう、この頃。

5301声 古暦

2022年12月13日

午前、時雨るる。昼過ぎ晴。中庭の濡れた石畳が、日に照らされ青緑色に美しく輝いていた。短日のせわしなく暮れていく、時雨心地の一日の、つかのまの輝きだ。中庭にある名もよく分からない草木たちも時雨の色の装いで、青緑に輝く石畳に寄り添う。職場の中庭にある草木で、かろうじて石蕗だけは名前がわかるのだが、そろそろ花もおわりの時期で、ついこの間まで十四五本も伸びていた石蕗の花たちはすっかり枯草の仲間と化している。

気がつけば12月も半ばで、令和4年も残り二週間余り。この時期は、手帳が新旧の二冊になる。新しい手帳に書き入れる予定もちらほら出てきた。

一年使い馴染んできた手帳もあと少しで古暦となる。しかし、新旧の手帳を同時に使っていると旧のほうはすでに古暦の貫禄。まだ使っている手帳だが、もう古暦の句詠んでもいい気がする。

5300声 歴史の海

2022年12月12日

昨日、レベルブックスで開催されていたZINPHONYで手に入れたZINE。カツテイクさんの『歴史の海』。正誤表がはさまれていて、面白そうなので購入した。

(正)「シャンデリア」

(誤)「シャングリラ」

しかも2箇所。

実に面白い。

5299声 わからない

2022年12月11日

今日は、ユヴァル・ノア・ハラリの最新作『人類の物語 ヒトはこうして地球の支配者になった』を読みはじめた。

子どもに向けて書かれたものだが、それだけに読みやすい。

その一節。

《科学の世界では、「わからない」と言うことはとくに大切で、それがはじめの1歩だ。》

そのとおりなのかなとおもうが、東野圭吾の「ガリレオ」の科学者の台詞を思い出した。

「さっぱりわからない」(湯川学)

実に面白い共通点である。知らんけど。

5298声 温泉不足

2022年12月10日

今日は湯都里に行った。夕方から、高校時代の同級生が集まる予定があったのだが、その前にということで、時間のある者だけで温泉となった。

コロナ禍以後、初めての訪問となったが、システムが変わっていて少し戸惑った。自動精算機が導入されていた。待ち時間もなく、必然の変更だとおもう。

それにしてもたくさんの人が来ていた。高崎の温泉施設、温浴施設、足りていない気がする。

5297声 内村鑑三

2022年12月09日

本日も、高崎から見える月は、なかなか良かった。十六夜でいいのかな?

ということで、今夜は内村鑑三のことを少し書こうとおもう。月とは関係ないが。

内村鑑三ほ、上毛かるたの「こ」の札の人物だ。群馬県内では、名前の認知度だけなら結構高い人物だろう。上毛かるたのおかげだ。

実は、先日、その内村鑑三に関する依頼が職場へのメールに入った。結果的には、担当が違ったため、担当部署につなぐとともに、その旨の返信をして終わったのだが、「内村鑑三」が趣味であるわたしにとって、少なからず発見のあるできごとだった。

これを書きながらおもったのだが、今後は、鶴のひとこえでも、少しずつ内村鑑三について触れていきたい。

メールの話に戻るが、実はメールを送ってきた団体のことは随分前から知っていた。しかし、団体の住所が覚えていたところと違うので、ちょっと検索してみると、どうやら移転したらしい。

鑑三の教えの一つを受け継いできている団体が、今なお、移転してまで存続していることに驚くとともに、嬉しくも感じた。

そしてもう一つの発見が、うちの職場の人は、内村鑑三のことを「『こ』の札の人」くらいしかしらないということ。ほとんどの群馬県人もいっしょかもしれないが、こちらは残念。なんとかしなくてはとおもう。

5296声 ZINPHONY

2022年12月08日

今日は、今週末(12月10日と11日)にREBEL BOOKS(高崎市椿町24-3)で開催されるZINEのイベント、ZINPHONYに参加するため、ZINEを納品してきた。

そのついでに、『グンマーコンプレックス』というZINEを購入。REBEL BOOKSは、イベントでなくても、ZINEが買えるのだ。そのグンマーコンプレックスだが、著者は神谷彬大(かみや あきひろ)さん。建築学を学んだ方で、群馬にある建築をとおして、「自分を形成してきたものを探る」という内容ものだ。群馬の建築の写真とともに持論が展開されていく。写真は眺めるだけでも楽しめ、文章も流れるように読める。群馬が好きな人におすすめ。

さて、わたしが今回ZINPHONYに出品したのは、連句のZINEだ。

連句とは、古くは俳諧の連歌、または単に俳諧と呼ばれたもの。575の長句と77の短句を交互に詠んでいく座の文芸だ。

今では「俳句」の代表のような松尾芭蕉なども、基本的には、俳諧の連歌(連句)の会を催していた。

連句を詠みあうことを歌仙を巻くという。今回出品した「連句 春の名をもらいしビールの巻」は、2019年に巻いた歌仙をまとめて、連句を知らない人にもわかるように、連句入門も兼ねながら、鑑賞できる内容としてみたものだ。

連衆は、わたしを含め四人いるが、それは読んでのお楽しみということで。

◎ZINPHONY2022

◎日時2022.12.10(土)12:00-22:00               12.11(日)12:00-18:00

◎場所 REBEL BOOKS(高崎市椿町24-3)

◎入場料 100円(高校生以下無料)

5295声 月冴ゆ

2022年12月07日

今日の宵の口の月はきれいだった。冬の月、寒月らしく冴え冴えとしながらも、かすかに雲がかかり、朧月の風情だった。月齢を調べたら、13.2。満月も良いが、今宵くらいの月もいい。

5294声 睡眠不足

2022年12月06日

本日は、睡眠不足の人が多いのではないか。わたしも眠気との闘いで、午後の会議は危なかったが、無事に乗り切ることができた。なにも成し遂げてないが。

サッカーの日本代表は残念だったけど、いい試合だった。世界との差は確実に縮まって来ている。4年後が楽しみだ。

5293声 ブックタワー

2022年12月05日

ここ数日、Evernoteの調子が良くなかった。書いたものが同期されず消えてしまったり、同じノートが複数できてしまったり。スマホのも、パソコンのアプリも一回削除し、インストールし直してやっと落ち着いた。

ところで、抜井さんが5214声で書いていたブックタワー、実は持っている。コロナ禍になってすぐのころ一台導入。今年に入り、物価高になり、日に日に値上がりするのを見て、違うメーカーのものを一台導入した。なかなかよいのだが、本当は、もっと背が高く、デザインも良いイタリアのサピエンスのブックタワーがほしい。

しかし、高嶺の花というか、高値の花だ。

円高にならないかな~。

5292声 進撃の執権

2022年12月04日

『鎌倉殿の13人』は先週、三代将軍が暗殺された。これで、おもな人物はだいたいいなくなってしまった。ところで、主人公の印象が序盤とガラリと変わってしまうのは、まるで『進撃の巨人』のようだ。今の義時に共感できる人は少ないのではないか。エレンみたいだ。

どうでもいいことだが、尾上松也は時代劇と歌舞伎だけやっていればいいもおもう。歌舞伎座でみた松也は輝いていた。後鳥羽上皇役も悪くない。現代劇はやめておいたほうがいいとおもう。ほんとに、どうでもいいことだけど。

5291声 濃厚接触

2022年12月03日

コロナ禍になってから使うようになった言葉の一つに「濃厚接触」がある。カタカナで書くと「ノウコウセッショク」。慣れるまでちょっとドキドキしたのも懐かしい。

 

 

第7波あたりから、かなり身近に濃厚接触者や感染者がでてきた。今は第8波とのことで、本日も高崎の感染者数は400人を超えた。用心したいとおもう。

 

 

ところで話は変わるが、レキシという、日本のミュージシャン・池田貴史によるソロユニットがある。あまり音楽を聞かないわたしが、武道館や国技館でのライブにも行ったことがあるという数少ないミュージシャンの一人だ。

そのレキシの「狩りから稲作へ」は、名作だ。

 

 

「縄文土器、弥生土器、どっちが好き?

縄文土器、弥生土器、どっちが好き? どっちも土器」というきれいなメロディで始まる。

 

 

この歌は、非定住で狩猟採集の縄文時代から稲作定住の弥生時代への変化を男女の恋模様で歌い上げるものだ。

 

 

この歌の裏には、こんなエピソードがあるらしい。

 

狩猟採集民であった縄文人が初めて弥生人に出会ったときのこと。

 

弥生人「私たちはここで、土を耕し、稲を作って生活しています」

縄文人「え〜、土を耕すの〜」

 

これが世にいうノウコウセッショクだ。

農耕接触。ドキドキしたのもこのせいなのか。

知らんけど。

5290声 をかし

2022年12月02日

 

今朝の通勤途中、高校生どうしの自転車が私の目の前で衝突した。すれ違いざま、片方の後輪にもう片方の前輪が触れたものだった。ふたりとも足を着いただけで、転倒までは至らなかったのは幸いである。

 

 

が、次の瞬間驚くことがあった。

 

 

ふたりとも、互いに目をあわせることもなく、振り向くでもなく、静かにその場から離れていくではないか。

 

わたしは、自転車のペダルを踏むふたりの背中を交互に見送った。

 

 

ところで、

昨日、紹介した芭蕉の俳句。

 

 

なかなかに心をかしき臘月かな  芭蕉

 

 

 

昨日はこんな句を詠みたいと書いたが、どうも詠みたいというよりは、「をかし」と感じられる心境でいたいんだということに気がついた。

 

 

 

さて、今朝の話しに戻るが、

朝一番のニュース、サッカー日本代表がスペインに逆転勝利したことと同じぐらい驚いた自転車事故であった。いや、事故そのものではなくて、その後のスルー振りに、をかしを感じた。

 

 

 

芭蕉の「をかし」には到底かなわないが、わたしにも多少は「をかし」のこころが芽生えていると信じたい。

 

 

 

よく振り返ってみると「をかし」ではなく。「おかしい」のほうかもしれない。