日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

3871声 黴の家

2018年06月20日

朝から雨が強く降っていた。
洗面台の縁、風呂の戸の後ろなど、黴が発生していた。
雨の匂いと黴の匂いの部屋は、不快であるが、
古い家のためか、取り除こうにもどうしたらよいか、
黴の前でただただ、手をこまねいている。

3870声 寿司屋のコロンビア

2018年06月19日

夜、酒席があり、築地の寿司屋で飲んでいた。
雨の平日のためか、店内は閑散としていた。
築地の一等地と言えど、平日はずいぶんと寂しいなと、空席ばかりの店内を見回した。
一杯目の麦酒の杯の開く頃に、奥の座敷から、突然、歓声が沸き起こった。
それが止んで、また俄かに歓声が小さく起こって、また止んで。
店を出るとき店員にそれとなく尋ねると、室内でロシアW杯を観ているのではとの由。
そういえば、今夜は日本VSコロンビア戦である。
店内が閑散としていた理由は、この試合当日だったからで、
失礼な想像をしてしまった。
帰りの電車内で隣の吊り革の男のスマホをチラリと見ると、
2対1で日本が勝ったようであった。

3869声 警戒

2018年06月18日

今朝は大阪で地震。
震度6弱とのことで、仕事で大阪中心部に電話をかけたが、
午前中は繋がらない状況であった。
雨も降っている。
今日は何をしていても、頭の片隅で警戒している。

3868声 へその揺れ

2018年06月17日

車で走行中であったためか、微弱な揺れを感じた程度であったが、
その後のラジオの報じるところによると、渋川市で震度5弱を観測したとの由。
日曜日の穏やかな夕方の町の雰囲気が、一気に警戒態勢になった。
群馬は災害に遠い印象をもっていたが、いまや、
その認識は新しくしなければならない。
「日本の真ん中・日本のへそ」として県民に認知されている渋川とて、
例外でなかった。

3867声 蛍沢

2018年06月16日

七時半ごろ。
人影が闇に紛れて来たころに、一つ二つ蛍が飛び始めた。
まず子どもの歓声があがるので、すぐに分かる。
昨年に引き続き、今年も傘の下での蛍狩りになった。
傘に蛍が止まったり、これはこれでよろしい。
梅雨寒ということもあり、早々に蛍の沢を引き上げて、
近場で句会となった。
自身の句よりも、他の人の句がとても良く、
やはり、蛍ならではと感じた。
眼福、眼福。

3866声 蛍火

2018年06月15日

明日は句会のため、前橋へ行く予定である。
句会は紙と短冊と筆記具さえあえばできるので、
特にややこしい荷造りも無く、その点は気楽だ。
ここ数年、定例で行なっている句会で、
句会の前の吟行では蛍を観ることになっている。
明日は雨で気温が低くなるとの予報だが、
蛍は火を点けてくれるだろうか。

3865声 静けさのなかの喧騒

2018年06月14日

高崎駅から田町まで歩くのは、久しぶりであった。
駅前の景観はだいぶ変わっており、目に付くのは、
大型ショッピングモールと若者である。
中年の自分はなんだか肩身が狭いような気がして、
昔の風景など思い浮かべつつ、郊外を目指した。
5月27日は日曜日であったが、街中は閑散としていた。
グッドビアサンデーの会場はすぐに分かった。
往来の一角に人があふれていたからである。
学級閉鎖の校内で、ひとクラスだけ授業をしているような、
静けさのなかの喧騒が、高崎らしかった。
日差しの下で飲む麦酒は爽快であった。
高崎を離れてだいぶ経つ私にも、こうやって、
訪れたい場所や会いたい人がいることは、ありがたい。

3864声 ジャンクフード

2018年06月13日

飲んだ後に、駅前のラーメンが食べたい気持ちを抑え、
やっとのことで、家に帰って来た。
その安心感からか、冷蔵庫から缶麦酒を出し、
カップ麺に湯を注いでしまった。
こういうときのカップ麺は、美味い。
頭の片隅では翌朝に胸焼けすることは分かっていながらも、
どんどん箸が進んでしまう。
そして、こういうときのカップ麺は、生めんやら名店の味などの、
高価なカップ麺ではなく、どういうわけか100円でおつりがくるような、
チープなもののほうが、美味しく感じる。
麺がふかふかでも、スープに化学調味料がふんだんに入っていても、
見るからにジャンクフード感のある派手なパッケージのカップ麺が、良い。

3863声 痕跡の主

2018年06月12日

繁華街というほどでもないが、最寄り駅の近くに、
酒場など、いわゆる夜の店が密集している通りがある。
そのためか、朝、その近くの往来で吐瀉物をよく見かける。
雨が降っているときは、当然、その手の物は流されるので、
雨上がりの街は清浄な印象である。
今朝も昨夜の雨で流されたであろう、吐瀉物の痕跡を跨いで、
朝の駅へと向かった。
その痕跡を見かけると、それを残した主のことをふと考えてしまう。
いまごろは二日酔いで寝ているのだろうか。
それとも、ケロッとした顔で、この痕跡を横目に何食わぬ顔で、
駅へ歩いているこの人波の中に紛れているのかしら。

3862声 五年

2018年06月11日

雨降り続き、朝から関東地方に大雨注意報が出ていた。
台風5号の接近に伴うものであったが、雨風とも、さほど強くはならなかった。
所属している俳句同人誌は、次号が五周年記念号との由。
この五年を振り返ってみると、隔世の感がある。
自身の俳句を見ると、代り映えがしない。
進歩がないか、ぶれていないか。
その両方だと思う。

3861声 団子虫

2018年06月10日

午後から雨、本降りに。
玄関の扉を開けると、団子虫がわらわらと逃げていく。
慌てて、丸まっているものもいる。
雨を逃れてか、この時期は団子虫がこういう扉の下などに非難してくる。
それにしても、団子虫の多い家である。

3860声 芝生の裸

2018年06月09日

定例の句会。
一時間半ほど代々木公園を吟行し、句を揃える。
園内には、水着で寝そべっている男女がごろごろいた。
日焼けが目的だろうが、芝生からむくりと裸の男が起き上がる光景には、
一瞬ぎょっとする。
寝ている人間の周りを、小さなばったの子どもがぴょんぴょん跳ねていた。

3859声 蝶との距離

2018年06月08日

朝、通勤の道を歩いていて、通学の学生、犬の散歩のおじいさん、
ジョギングのお姉さんなど、いろいろな人とすれ違う。
すれ違いはするが、挨拶は交わさない。
それは私だけでなく、それが当然のように、みな交わしていない。
そんなことにはもう慣れて、なんとも思わなくなってしまった。
歩いている前を、ふわりふわりと黒い揚羽蝶が舞っていた。
近くに来ては離れ、また近くに来て、そんなことをしつつ、
上空をくるっと回って、行ってしまった。
人よりも蝶との距離のほうが近く感じるというのも、なんだかせつない。
だからと言って、明日から挨拶を心がけようという話ではない。
蝶との距離が、すこし印象に残ったという話である。

3858声 美味しい音

2018年06月07日

曇天にときおり青空ののぞく、梅雨らしい天気であった。
この時期は、気温よりも室内の体感が蒸し暑く、不快指数が高い。
夜、列車に乗っていた。
ホームで停車中、車内はまばらであったが、冷房がきいていなく、蒸し暑い。
斜向かいの席のサラリーマンは、扇子で忙しく顔を仰いでいる。
その奥の席あたりから、「カシュッ」と乾いた音がたった。
私を含め、車内の人たちはその音の方向に、何とはなしにちらちらと目を向けている。
その音の主は、結露した麦酒のロング缶を片手に、ぐびぐびとやっているではないか。
その光景よりも、すこし前に車内に響いたあの音のほうが、なんとも美味しそうであった。
斜向かいの席のサラリーマンは、扇子を閉じて目を瞑っていた。

3857声 霧雨

2018年06月06日

朝から雨。
テレビの朝のニュースでは、本日、関東甲信越から近畿まで、
一気に入梅したと伝えられていた。
バス停には長い列。
駅も列車も混雑していて、不快。
そんな天気だからか、調子がくるって、上手くいかぬことばかりの一日。
「今日は、良いことがひとつない」
そんなことを思いつつ、くたくたになって、家の前の坂道を歩いていた。
ふと顔を上げると、街路灯に照らされた霧雨の影が、とても綺麗であった。

3856声 あぢさゐの花

2018年06月05日

どくだみやら紫陽花やら、借家の狭庭に蔓延ってきた。
紫陽花も、巷で見る分には良いが、庭にあるとやたらと大きな葉が鬱蒼としていて、
手入れが大変だ。盛夏が来れば枯れてしまうし。

こころをば なににたとへん
こころは あぢさゐの花

などと、とても朔太郎のような心持ちで、庭の紫陽花を眺めていられないのである。
しかし、あの清々しい色の紫陽花が咲かなかったら、これからの梅雨の季節が、
どんなに鬱陶しいものになるだろう。

3855声 蟻を見つめる

2018年06月04日

朝日に一句、掲載されていた。
土砂降りの木陰で、じっと蟻を見つめていたときの句であった。
日曜日の夕方、寂れた郊外の公園で、しかも土砂降りの木陰にしゃがみ込んで、
じっと蟻を見つめている人など、そうそういないと思う。
そんな状況下で作ることも、大切である。
傍から見れば、完全な不審者であるが。

3854声 消費活動

2018年06月03日

まだ関東は入梅前だが、梅雨明けを思わせるような、夏日であった。
巷では、立葵が凛々しく咲いている。
机の上には送付されて来た、各地の俳句大会関係などの応募用紙が多数溜まっている。
これだけでも、膨大な数の俳句が消費されて行くのである。