結局体力なのだって随分前から思ってるが、
やっぱり体力がないと、
これがどうにもならない。
たとえいろんなことを考えたとして、
体力がなければできないわけだから、
考えようともしなくなる。
私は食べると動けないからできるだけ食べない。
噛まずに食べたら余計に動けないからこれでもかと噛む。
それでわかる食べることの醍醐味もあったり。
結局体力がないと始まらない。
面白くない。
それなのにまた酒を飲んでいる。
これが一番疲れる。
2014年09月23日
結局体力なのだって随分前から思ってるが、
やっぱり体力がないと、
これがどうにもならない。
たとえいろんなことを考えたとして、
体力がなければできないわけだから、
考えようともしなくなる。
私は食べると動けないからできるだけ食べない。
噛まずに食べたら余計に動けないからこれでもかと噛む。
それでわかる食べることの醍醐味もあったり。
結局体力がないと始まらない。
面白くない。
それなのにまた酒を飲んでいる。
これが一番疲れる。
2014年09月22日
口の中で盛り上がったまま着地してしまったら、
興奮が残る。
料理はいらなくなる。
生ホップは盛り上がらない。
これがいい。
クラフトビールが飽きられるとしたら、
その口の中に入れた時の、
テンションの高さだろう。
2014年09月21日
酒を飲んだら酔う。
酔えば味の違いなどどうでもよくなる。
だから酔う前に説明する。
どうして酒がこの順番になってるのか。
なんでこの料理と合わせるのか。
でもこれはやりすぎるとしらける。
料理で説明できるのがいいのだろう。
でも伝わったと思えない場合はどうすればいいか。
わからない。
だから喋る。
伝えたいことが通常のおいしい、だけじゃないからそうなるのだろう。
2014年09月20日
著作権は作品を育てない。
たとえば料理のレシピを自分のものだけにしていたら、
料理は育たない。
いろんな料理を食べる楽しみもある一方で、
いろんな人が作る同じ料理を食べる楽しみだってある。
料理を育てるとはそういうことで、
時間に耐えるものを作っていくためには必要なことである。
2014年09月19日
自分を投げ出すのは、
投げ出したら取り戻すのがたいへん、なんだけれど、
どこまで自分を投げ出せるか、というせめぎ合いをしないと、
学べない。
たいていは、
投げ出したくなくても投げ出さざるを得ない、の中で、投げ出している。
そんなときなのである、
学んでいるのは。
2014年09月17日
誰かと何かをやるときにその、
挫折を知ったもの同士でないとやさしくなれない、
みたいなことがあって。
挫折を知っているというのは、
挫折を知っている自分を知っているということで、
これは案外知らなかったりする。
そもそも、挫折を知らないなんてことは、多分ない。
2014年09月14日
店というのは、公共の場である。
公共とは、他者がいる、ということで、
他者がいる、ということは、了見、つまりあり方が問われる、ということである。
だからあり方に興味がない、というのはもはや、
他者がいないのも同然、になってしまうわけで。
店の従業員が見ているのは、お客の所持金ではなくて、お客の了見。
お客の所持金についての興味は、あくまで売買が成立するかどうか、という、あくまで機械的な一部分であって、そこにはとくに他者はいない。
当たり前だが、店の従業員の了見、つまりそこにお客がいるかどうか、ということだって、問われるわけで。
所持金にしか興味のない店の従業員には、他者は、お客は、いない。
他者がいなくても、商売は成り立つ。
けれど、人間は成り立たない。
2014年09月11日
甘みが酸を吸収するのだけど、
下から演歌のこぶしのように上がって来る酸と、
口に入れたとたん華やかにぱっと開く酸とある。
日本酒の話。
含め牛蒡の天ぷらには、
前者の酒が合う。
2014年09月10日
夜の空気が心地よい。
人間には食欲がわく気温というのがあるらしく、
それは21℃だと聞いたことがある。
いまちょうどそのくらいかもしれない。
それでまた人間が美味しいと思うときに感じる幸福感と、
恋をしているときに感じる幸福感は脳内では同じ、
と聞いたこともある。
ならば21℃は恋をしたくなる気温なのか?
例えばいわゆる秋のうら寂しさみたいなものがあるとしたならば、
もしかしたらそれは気温のせいだというだけなのかもしれない。
月が明るい。
2014年09月09日
いまだ酒が抜けない。
どれだけ飲んだのかと思い返してみると、
そりゃ飲み過ぎなことがよくわかる。
わかったところでさて、
酒が抜けるわけではない。
酒が身体に残っていると、
思いも寄らない悪い夢を見る。
脳が一時的にやられるのだろう。
これだけは確かなことだが、
飲み過ぎに効く薬などない。
あれだけいい思いをさせておいてもらって、
その上薬を飲むなんてばちあたりである。
ただじっと待つのである。
今に始まったことではない。
2014年09月07日
寿司は口の中に入れてから飲み込むまでの変化を楽しむもので。
だから噛むという作業なしには寿司の醍醐味はわからない。
およそ10回くらい噛んだところで味がぼんやり見えてきて、
20回くらい噛むと色々な味になる。
なんでそうなるかというとシャリが唾液に混じって糖化されるから。
だから寿司はネタ以上にシャリが大事。
このシャリが甘いと長くは噛んでいられない。
寿司におけるシャリは甘くなくていい。
あるいはトロなんかも油が多いから噛んでいられない。
赤身なら噛める。
マグロは赤身、という好みの中にはそんな理由だってある。
私はだいたい30回から50回くらいは噛む。
うまい寿司であればあるほど口の中の幸せは長い。