日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

2424声 ぐんまちゃん

2014年11月11日

2年位前まで群馬県は「全国各都道府県の魅力度ランキング最下位」
というありがたい?称号を得ていた。
そんななか、群馬県のマスコット「ぐんまちゃん」が、全国ゆるキャラグランプリで
大賞を受賞した。過去には熊本のキャラ「くまモン」も受賞した全国的な賞。
ぐんまちゃんはもはや全国的で、町を歩けば見ない日はない。

 

群馬原町駅にぐんまちゃんの石像が立つというので、そこに立てる旗を作って欲しいと
仕事をいただいた。蛍と水仙を従えた東吾妻町ぐんまちゃんをあしらった。
先のイベント忍びの乱では「忍者ぐんまちゃん」をデザインしたし、
今年は4~5件はぐんまちゃん絡みの仕事があった。まさにぐんまちゃん様様だ。

 

グッズを増産しようという提案を聞く。「今が勝負だから」と言う。
なんでも、ゆるキャラグランプリは大賞をとると殿堂入りしてしまい、来年は参加できない。
ぐんまちゃんはぐわーっと盛り上がって、すっと忘れられていくだろう、という。
もこもこした彼の背中にも、哀愁を感じる日が来るのだろうか。

2423声 美化しないでくれる?

2014年11月10日

亡くなった人のことを、どうしても美化してしまう。
尾崎豊も、夏目雅子も、フィッシュマンズ佐藤伸治も、高崎市出身の山田かまちも。

 

もう7年位前だろうか。仕事にかこつけて浦安にいた。
当時は築地の魚を吾妻に宅配する仕事を担当していて、河岸の本社が浦安にあった。
浦安には、日本映画学校在学時に同じチームになり、宮崎県で共に滞在取材をした
同級生の女の子が住んでいた。長い髪を一つにしばり、細身で、マニアックで、
「ふふふ」と不敵に笑う女の子だった。卒業してから3年ほどが経っていた。

 

「仕事で近くに来たからさ」と夕食に誘った。たわいもない事を話したと思う。
浦安は、川が多い町だった気がする。夜、人少ない浦安を彼女と歩いた。
僕の駄目さ加減も知っている子だった。半分冗談で彼女の手を握ろうとした。
「え!・・やだもう!」と拒んで彼女は、「ふふふ」と笑った。そして別れた。

 

彼女の訃報を聞いたのは、それから数年後だった。葬儀場には同級生が集まり、
なんでなんだという悲しみや怒りを露わにし、途方に暮れた。

僕も今までに幾人かの知人を亡くしている。父も亡くした。
そんな皆さんには申し訳ないが、彼女の「ふふふ」という笑みをよく思い出す。
ふと、「あいつの分までしっかり生きなきゃね」と思ったりもするが、
「自分勝手に私のこと美化しないでくれる?」と怒られている気もする。

2422声 ひび

2014年11月09日

中之条町にて県内ものづくり作家たちによる展示会「秋、酒蔵にて」が終了した。
今年は僕が関わったイベントと丸かぶりで、酒蔵展の真骨頂である
酒盛り(作家が作った陶器や石や漆の杯で酒を飲む大宴会)に参加できず、
さみしい年であったけど、最終日に滑り込みで展示を見られた。

 

今回、一番印象に残ったのは、前橋で窯を構える綿貫哲雄さんとの会話。
綿貫さんの作る皿や杯、椀は、魚の鱗のような「ひび」が入っている。
これは、焼いた時の釉薬に入るひびなんだそうだ。
青い陶器に入るひびの紋様。これがとても美しい。

 

「昔は自分の思い通りのものを作ろうとしていた。今は、窯に入れて
その形に“してもらう”のを待つんだ。いいものを作ったのではなく、
作らせてもらった、その瞬間に立ち会うのはとても嬉しい」
というような内容だった。

 

そうして見せていただいた特別だという椀は、ひとの計算、技量を越えた
いいようのない素晴らしいひびが入っていた。
「その瞬間が起きるまで精進し続け、最後は天に身を委ねる」
そんな職人の生き様を垣間見た気がした。

 

前も書いたけど、めっかったぐんまの(ほ)こと堀澤さんと出会ったのも、
何年前かのこのイベントだった。彼は今年は群馬町の郷土料理「ざく煮」を作った。
根菜をかわいく刻み、烏賊でとった出汁で煮る料理。他の付け合せも仕事が行き届く。
これもまた、細かく書けば300字ほどになる・・一言で言えばおいしい料理だった。
・・いや、単に書くのがめんどうになったわけじゃないですよ・・

続けて欲しいイベントである。来年こそは酒飲むぞ!

 

昨年の展示の様子を撮影・編集しました。

2421声 目が欲する

2014年11月08日

お城の形の温泉、と、目印代わりに使われる
東吾妻町の温泉センター。夜の暗がり、光が注がれ
お城は近未来的な線が走ったり、燃えたりしてしまう。
流行の映像技術を観ようと、お城の前には五百を越えそうな人。
それは言うところの「プロジェクションマッピング」。
僕がスタッフとして参加した「岩櫃城 忍びの乱」の
クライマックスイベントだった。(テストの様子

 

映写当日の午前3時。ものすごく寒い。
東京からマッピング専門のスタッフが来て、調整を繰り返していた。
何年振りかにホッカイロをもみもみし、焼き芋も2本食べたが、
実に地味な作業だ。自分も習得したい・・とは思わなかった。

 

プロジェクションマッピングは東京ディズニーランドが有名になったが、
近年のこういった「映像の進化系?」は色々が出てきてはいる。
スマートフォンでも撮影できるようになった、一定期間で撮影した静止画を
早回しし、時間を短縮したように見せる「タイムラプス」や、
名刺サイズの小さな防水カメラで頭などに付けスポーツし、
人間目線のアクティブな撮影ができる「ゴープロ」など。

果たして人間の目はそこまで望んでいるのだろうか?と思ったりもする。

ただ流行に鈍感というだけかもしれないが・・・。

 

忍びの乱のプロジェクションマッピングは大盛況で幕を閉じた。
スタッフからは早くも「来年もイベントしたいね」という声が上がっており、
皆さんがんばってくださいね!という気持ちでいっぱいです。
・・・いやいや、自ら巻き込まれにいきそうですがね。
関わった皆さん、本当におつかれさまでした!

2420声 パワー トゥー ザ 俺

2014年11月07日

この人はなんでこんなに前向きなんだろう

 

という人にたまに出会う。考えていることが、とか
成功したから失敗したけど、とかではなく、
全身からエネルギーが発せられているというか。

 

しいて一人勝手に挙げるなら、高崎市下里見で
梨やクリスマスローズの栽培販売をしている「富久樹園」
を手伝っている、なほちゃんとかね。元気なのだ。

 

一度家に伺ってなるほどと思ったのは、ご両親との良い関係だった。
バリバリ仕事をするはきはきしたお母さんと、優しそうなお父さん。
少し見ただけで愛されて育ってきたんだろうな、がわかる。

 

「人は無意識に、自分に対して絶えず声掛けをしている」
というような記事を読んだ記憶がある。自分に対する内なる声には、
幼い時からの親からの声が優しいものだったか否かが影響するのだろう。

 

自分自身を駄目だと言う人は、無意識に何回何十回何百回と頭の中で
自分への悪口を言われ続けているのと同じ、と考えるとしんどい。
他者からはどんなに酷いこと冷たいことを言われてもせめて、
自分が自分に無意識にかける言葉は、優しいものであって欲しい。

 

そんなことを思ってから僕は、ここぞという時にジョン・レノンの替え歌を歌う。
「パワー トゥー ザ 俺!パワー トゥー ザ 俺!(Power to the peopleで)」
・・アホなわりに案外効くから、真似しちゃっていいですよ。

2419声 源

2014年11月06日

9月は自分なりに「弱さ」をテーマに書かせていただいた。
今月もなにか挙げようかなと思い、「食欲の秋」ではあまりにも
自分らし過ぎると思ったから、弱さの次に来るものにしようと思った。

 

「何のためにそれをするのか」がわからなくなることはないだろうか?
それとは、仕事でも、家族サービスでも、生きることでもいい。
もちろん仕事ひとつとっても、お金のため、家族のため、
会社のため、自分の存在価値のためなど、理由らしきものは見つかる。
十人十色の答えだろう。

 

二十代の半ばだろうか。何の具合が悪いわけでもないのに、
一日布団に横になり、ただ時間が過ぎるのを呆けていた時期があった。
それでは駄目だと、動かなければいけない理由らしきものは見つかるが、
何のエネルギーも沸いてこない。徹底した無気力ぶりだった。

 

それから十年。おかげさまで僕は、ひきこもることもなく、
むしろ外から見れば積極的に活動して見えるようだ(全然痩せないけど)。
では何が変わったのか?つまりは、

 

「力の源」

 

について、考えるひと月にしたい。先に言っておくけど答えは出ないだろう。
でも、やっぱりラーメンでした。というオチだけは回避したいと思う。

2418声 笑い

2014年11月05日

笑いって大切だと思う。
そんなことに気付いたのは、実はフェイスブックで、
あれは色々な知人のリア充、いわゆる
こんないいとこ行ってます、いいことしました、
みたいなものが発せられがちな仕組みなので、
それと自分とを比べて落ち込んだりするものらしい。
そんななら辞めてしまえというような
実にめんどくさい現代的な悩みとも思うが・・

 

そんな中、身の回りに起きるバカなことを書けば、
ただの自慢ではなくなるのではないかと考えた。
いやむしろ、小学校時代の「ウケばかり狙っていた」自分が
20年位の時を経て戻ってきたのだ。とは言え書く内容は
車内で自分のおならで死にそうになったとか、
しおらしくなったら実はパンツを後ろ前逆にはいていたとか、
笑いのレベルで言えば最低レベルなのだが・・おかげで
「なんだかおもしろい人」という認識のされ方をしだした。

 

 

前置きばかり長くなったが、ちょっとした縁とそんな理由から、
桐生市本町六丁目で行われた「街ネタ動画コンテスト」に
審査員として呼んでいただいた。
これは、吉本群馬住みます芸人のアンカンミンカンなど、
桐生や群馬で活躍する若手芸人が、商店街の店1軒につき
1ネタの動画を作り、上映会にて面白さを競い合うというものだ。
動画はこちらから見ることもできる。

 

以前、めっかった群馬の(ほ)の人堀澤氏が、
「料理は相手の反応がダイレクトに返ってくるから面白い」
的なことを言っていた気がする。
落語などはその最もだと思うが、お笑いもまた、お客さんを
前にダイレクトに「真剣勝負」を強いられる職業だ。
この日も、バカばかりやっているお笑い芸人の若者が、
昼の空き時間にぶつぶつと真顔で試案しているのを見た。

 

大変な世界だよなぁと思う。自分はせいぜい、
焼きいも食べて鼻毛を抜いてたら、隣のアパートのきれいなお姉さんとばったり!
程度の笑いで自己満足していれば良い。

2417声 戦国時代

2014年11月04日

「岩櫃城 忍びの乱」のクライマックスは、やはり信州真田鉄砲隊による
火縄銃の演武だったと思う。広いグランドに真田の赤い甲冑を着た武者が
8~10人か、横並びになり、指揮者の合図で火をつけ、銃(空砲)を放つ。

 

これが、地面が揺れるくらいの衝撃。打つたびに歓声が上がったが、
僕が思ったのは「いやいやこれが演武じゃなくて現実だったら大変だぜ」だった。
半兵衛は全く見ていないが、大河ドラマも見てきた。黒澤明の武者映画は全てみたと思う。
だから、頭では戦国時代のイメージはできても、肌で感じる銃の震動は別格だった。

 

僕は臆病な農民上がりの下級兵。岩櫃山のふもと、火縄銃の号砲が鳴り響く。
ズドーンという爆発音と同時に、僕の胸は貫かれる。
「なんじゃーこりゃ?」なんてトボける余裕もない。即死。

 

忍びの乱では東吾妻町に在住する「日本刀の柄を仕立てる職人」の講演もあり、
参加者の「時代劇では人ばっさばっさ切ってますが、実際は人間の油で刀は
切れなくなると聞きました。時代劇はそのあたりいい加減ですよね?」みたいな
質問に対し、その職人は「腕の立つ武士なら、切った後から血が噴き出し刀は汚れない」
と答えたと言う。

 

ああ、なんという世界だろうか。不景気だ競争社会だと言っても僕は、
夜になれば炬燵に入って日本酒ちびりと舐められるような、今がいい。

 

 

9月の時に書いた「岩櫃城 忍びの乱」に合わせたミニドラマも公開されています。
ドキュメント路線の自分としてはほぼ初のシナリオ書いての映像制作でした。
観ていただけたら幸いです。 忍びの風、山を駆ける

2416声 忍んでいたものは

2014年11月03日

11/1-2と、東吾妻町で「岩櫃城 忍びの乱」なるイベントが開催された。
三谷幸喜脚本の大河ドラマ「真田丸」に便乗するような真田人気の中、
東吾妻町の岩櫃山(いわびつやま)にも真田の城跡があり、それを動機に
子どもたちの忍者修行体験や、真田鉄砲隊の演武など複合的なイベントを
やろうという試みだ。広告物作成や出店者のまとめ役で参加した。

 

会場となったコニファーいわびつの林の中、忍者修行の場のためにと
草や木を刈っていたら、敵の侵入を防ぐための「堀」が見つかったという。
そんな歴史は建前で、はじめて開催したイベント、準備はほとほと大変だったが、
子どもたちは高い木々をひょいひょいと登り、大人たちも楽しんでいたようだ。

 

けれど一番忍んでいた、と思うのは、このイベントのために集まった
東吾妻町のボランティアたちの「楽しみたい」という思いだったと思う。
集まったスタッフは、会社となりのパン屋さんから、歴史好きなおじさん、
子どものための忍者衣装を作ってくれた女性は、東吾妻町に住みながら
東京の某一流行楽施設向けのオーダー衣装を作っている才能豊かな人だった。

 

自分のふるさと、であれば「何かしたい」という人は多い。
そんな人を活かせる場をいかに作れるか。関係した皆さん、おつかれさまでした。

2415声 郷

2014年11月02日

めっかった群馬(ほ)のひとこと、堀澤宏之氏が料理で参加する

「秋、酒蔵にて」が11/1より11/9まで開催されている。

場所は中之条町の使われなくなった旧廣盛酒造、酒蔵である。

 

県内の指物師、彫刻、石彫、陶芸、ステンドグラス、鉄、ジャンクアートなど

14人もの職人、今ふうにいうとクラフトマンたちが、酒蔵に命を吹き込む。

 

この展示、おもしろいのはそれぞれの作品を展示販売するほか、

毎年ひとつのテーマを決めて、異ジャンルの職人がテーマに沿った作品を作る。

「宮沢賢治」「縄文」ときて、今年のテーマは「郷(ごう)を巡る」だそうだ。

 

「わたしは、生まれた時からアパート暮らしで引っ越しもしたから、原風景がないの」

とつぶやいた女の子がいた。

 

自然物と対峙し、自らの手によって形を創っていく職人たちは、

その場所の風土に対して人並み以上に敏感である気がする。

また、原風景がないと嘆くひとも実はどこかにそれを隠し持っているのではないか、と仮定する。

それを引き出せるほどの力が、「秋、酒蔵にて」にはある・・・かもしれない。

 

期待させておいたところで、僕もまだ行っていないので、

つまりはぜひ行って見て食べて感じてくださいということです。

秋、酒蔵にて2014

2414声 十一月

2014年11月01日

抜井さんの11/31の書き込みがあまりに美しくて、

そんな清々しいふもとに住んでいるのだからさぞ心の純朴な人間なのかと言うと、

自分で言うのもなんだけど、それほどたいした人間じゃない岡安です。

 

たった今(11/2 18:58) 「岩櫃城 忍びの乱」というイベントが終わったばかりで、

あと2分あとにはお疲れ様の乾杯なのです。ので、書いている暇はありません(失礼な!)

そんないいかげんな男ですが、またひと月お付き合いください。

 

前回は「弱さ」をテーマになんて辛気臭い事しましたが、

今月は今日のひとときのように、からっとした秋晴れでいきたいと思います。

けれど、最初だけ辛気臭いけれど大好きな曲を置いておきます。

中之条でライブをしたこともある、タテタカコさんの「十一月」という曲です。

あ、乾杯の時間を過ぎました。では!

「十一月」タテタカコ

2413声 白露

2014年10月31日

もっと書きたいような気もするし、もう沢山だと言う気もする。
ともかくも、次の書き手にバトンを渡さねばなりますまい。
あれはいつだったか、時期は晩秋だったような。
中之条町の山の懐に、「ふれあいの森」なる森林公園がある。
そこの宿舎に泊まったことがあった。
夜には宴会があり、大勢で雑魚寝をした。
無論、私もしたたかに酔ったまま床についた。
どう言う訳か翌朝、日の出時刻に目が覚めたので、
床に響くいびきをかき分け、外へ出てみた。
暁光の注ぐ大地には、幾千万も露が結んで輝いており、
その玉の中に、清浄なる青空を映していた。
あの朝に吸った空気の清々しさを、いま思い出していた。
明日からの書き手は、その山の麓に住む人である。

2412声 背中

2014年10月30日

明日で十月も終了。
そろそろ次のバトンを渡す相手が見えてきた。
来月の担当は、中之条町の岡安氏。
陸上競技のリレー選手は、バトンを受け取る時、
渡される数秒前から、走り出す。
バトンつなぐ際に、スピードを落とさないためである。
スタートから加速して行く動作の中で、無駄なく受け取る。
走りこんでくる走者と呼吸を合わせ、掛け声とともに、
なめらかにバトンタッチする。
私はいま、走り出した岡安氏の背中が見える。

2411声 蟷螂

2014年10月29日

雲ひとつ無く晴れた。
青空の目が詰まっきて、冬らしくなってきた。
家の中に蟷螂が入り込んでいて、驚いたが、
まじまじと観察してみた。
鎌で顔をこする動作が、顔を洗う猫のようであった。

2410声 緩和

2014年10月28日

飲みすぎて寝たことに起因しているのだろうが、
寝違えた。
大方は首だが、今回は背中。
左肩甲骨の下部の筋肉が絶えず緊張していて、
動作によって激痛が走る。
この痛みをも酒によって緩和させようと言う了見が、
自分でもつくづく悲しい。

2409声 格別

2014年10月27日

階段を踏み外すように、飲みすぎてしまった。
そういう時は大抵、何か急かるる時。
しかしながら、暖房の効いた部屋で飲む麦酒は、
夏のそれよりも、格別である。

2408声 深秋

2014年10月26日

旅疲れを癒すべく、昼は寿司、夜は蕎麦で一杯。
ささやかなる贅沢をした。
昔から、観光と言えばもう取りつかれたように、
街を歩き回ってしまう性質なので、疲れる。
最近は年齢のせいか、翌日、殊に疲れが残る。
夜半から雨、ぐっと、秋が深まってきた。

2407声 渡月

2014年10月25日

嵐山へ行き、渡月橋を渡った。
紅葉にはまだ早いが、人波は絶えることなく続いていた。
人力車の兄さん曰く、それでも紅葉の時期には今の倍は人が出る、らしい。
夕方にはぐっと川風が冷え、境内の夕闇に砂利を均す音が響いていた。
その後は、京都タワーにある銭湯へ入り、旅塵を流してから、
しこたま缶麦酒を買い込み、新幹線へ乗った。