日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

1348声 夢枕

2011年09月09日

現在時刻、午前零時付近だが、甚だ、蒸し暑い。
暑さ寒さも彼岸までと言うから、
この残暑も、今月20日頃までは続くのだろう。

明日からは週末である。
「さて、どこへ出掛けようか」
などと言う気分にもなれず、取り合えずはゆっくり寝ていようと思っている。
寝ていようとは思うが、最近は20代前半の頃の様に、
昼過ぎまで寝ている事ができない。
遅く寝て(大体、午前2時3時だろうか)も、8時9時には一旦、目が覚めてしまう。
「歳のせい」
と言うことになるのだろうが、それでも、寝ている間に依然として、
夢だけは一向に見ない。
見ているのだろうが、覚えていない。
それも同じ事で、兎に角、就寝したらもう翌朝なのである。

「夢枕に立つ」
故人が夢の中に会いに来てくれる現象を言うのであるが、実際にあるようである。
と言うのも、昨晩、私の母親の夢枕に、祖母が立ったらしい。
詳細を聞くと、こんな風。
玄関の開く音がしたので、母が玄関に向かうと、そこには、
若かりし頃の祖母が立っているではないか。
母が吃驚して、その顔をまじまじと見ていると、祖母はそのまま声を発するでもなく、
只、その場所にしばし佇んで、母の顔を眺めている。
一時が経ち、そのまま祖母は玄関を開けて出て行ってしまった。
そして、母は目を覚ましたらしい。

その話しを聞いた時、少し、気味の悪い感じもしたが、祖母ならば怖くは無い。
とても蒸し暑く、寝苦しい今晩は、何だか夢見の悪い私でも、
祖母と会えそうな気がしないでもない。

【天候】
終日、秋晴れ。
気温30℃を越える、蒸し暑い一日。

1347声 祖母のこと

2011年09月08日

三本目の麦酒を飲み干して、既に、相当酔いが回っている。
張り詰めていた気がほぐれたのか、今日は、随分と酔いの回りが早い気がする。

これを書いている今日は、9月8日である。
二十四節気では、草花が露をたくわえ、秋の気配が深まる「白露」の時節。
そんな、秋気澄む清々しい朝に、祖母が逝ってしまった。
命日は6日。
享年86(満85歳)であった。
葬儀を済ませて、今、虫の音が聞こえる自宅の窓辺で、
麦酒を飲みながら一息付いている。

6日は、ばあちゃんの家で寝た。
私と、じいちゃんとばあちゃんの3人。
まるで、子供時分の夏休みの様に、久しぶりに3人で寝た。
あの頃は、ばあちゃんの飼っている鈴虫が鳴き始めると、
それが夏休みが終了の合図の様で、あの声が嫌だったっけ。
ばあちゃんも、久しぶりに病院から家に帰って来て、
虫の音を聞きながら、ゆっくりと寝れたみたいであった。

そして、私のばあちゃんは、もうこの世にいない。
この世に肉体がいるか、いないかなど、ささいな問題である。
この空の下に、光の中に、私もばあちゃんも、いる。
「たましい」と呼んでいるそれは、いる。
しかし、そのささいな問題の為に、私はもうばあちゃんに会う事が出来ない。
会って話したり、笑ったり、手を握ったりが、もう出来ない。
こればかりはどうしようもないので、この世にいる私は、ばあちゃんのたましいに向かって、
目を閉じ手を合わせ祈っている。

そうすると、感じる。
白露の一滴に、虫の音の響きに、この世界のあまねく光に。
ばあちゃんを感じる事ができる。

【天候】
終日、穏やかな秋晴れ。

1346声 美しく寂しい夕焼け

2011年09月07日

遠く榛名山の後に薄づく夕焼けの紫色が、夜の色と混ざり始めた。
細く棚引く秋の雲は、シルエットになって映っている。
その色合いが、とても美しいと感じる。
と同時に、とても寂しく感じている。
これから、この秋の夕焼けの色合いを見るたびに、思い出すのだろう。
そんな事を思いつつ、裏の田圃をほっつき歩いていた。

【天候】
日中は日差し強いながらも、終日、秋晴れの一日。

1345声 チョイと御待ちを

2011年09月06日

のっぴきならない事情により、今日明日くらいの更新をお休みします。

チョイと、お待ち下さいな。

抜井 諒一より

1344声 車輪との相性

2011年09月05日

「ほっ」
と、胸を撫で下ろしたのは、差し出された伝票の金額が、
想像の範疇を出ていなかったから。
それでも、寂しい懐から出すのは、とても辛い額。
酒場のレジでは、いつもこの思いを味わっているが、今回は酒場ではなく、
カーディーラー、なのである。

最近、車で頻繁に失敗をしている。
自転車を含めれば、電柱に激突して怪我をしたり、
先月は、出掛けた先でバッテリーが上がってしまった。
そして今回は、左のドアミラーを割ってしまったのである。

そこは、見知らぬ土地の、駅前通りから続く、細い路地だった。
雨が降っており、待ち合わせの時間もあったので、気が急いていた。
すれ違う対向車の強いライトの輝きが、一瞬視界を奪って行く。
すれ違って、走る。
すれ違って、走る。
すれ違って、「ゴチッ」。
何かを裂くような音。
その方向へ視線を移すと、街の灯を反射させる左のドアミラーが見えた。
屈折しているその光の角度は、明らかに、割れていると思われた。
バックミラーで確認すると、過ぎ去る夜景には、車道へ出しゃばった、
電柱の影が一本見えた。

車を停めて確認すると、やはり、ミラーの鏡面に亀裂が入っており、破損していた。
運転席へ戻って、ボタンを押して見ると、電動格納装置は作動しているので、
故障はしていない模様。
一瞬にして気を腐らせて帰り、一夜明けた今日、車を購入したカーディーラへ行って来た。

整備士の方によると、部品交換で修復は可能との事。
直ぐ様、部品の取り寄せだとか、金額の支払いだとか、
諸手続きを済ませ、店舗を後にした。
車輪の付いた乗り物とは、今年、ことに相性が悪い。
つまりは、「碌な事がない」のである。
来年の初詣では、交通安全のお守りを買おうと思っている。

【天候】
台風は去ったが、依然としてその余波は残っている。
終日、断続的な雨。

1343声 同居虫

2011年09月04日

「ツツツツーッ」
9行目から10行目を越えて、11行目へと、行間を縫って走って行く。
その白い体の横についている小さい足が、忙しく動く様が、確認できる。
指で止めを刺すのも忍びないので、
「フッ」
と、ひと息吹きかけると、呆気なく、吹き飛んで行ってしまった。
吹き飛ばしてから、
「あいつが、今度は私が寝てる間に体を這いまわっていたら」
などと思って、なんだか体の痒みと後悔に襲われる破目になってしまった。

「あいつ」と言うのは、今時期に良く見かける、「本の虫」の事である。
この場合の本の虫、と言うのは読書家の意でなく、「紙魚」と言われる、実際の生きた虫。
読書家にとっては、馴染み深い虫であろう。
馴染み深いと言っても、本を食べてしまう虫なので、
歓迎される虫でなく、「害虫」と区分される事が多い。
原始的な虫らしく、古くから人家に住んで、障子や本などに棲みついている、
体調は米粒の半分程くらいの小さな虫である。

この紙魚、俳句では夏の季題になっており、古くから句に詠まれてきている。

紙魚食うてこころもとなき和綴本  (片岡片々子)

私も、いま、40年くらい前の俳句の本の頁を捲っていて、この紙魚と出遭った。
古本で買った本なのだが、長らくハードカバーから出される事が無かったのであろう、
黴やシミなどが頁に見られるので、紙魚が棲みついていてもおかしくは無い。
しかし、無数に蔓延っているこいらと一緒に暮らすと考えると、
なんだかむず痒い思いがする。
私の部屋には、古い本、例えば戦前に発行された本なども少なからずあるので、
1匹2匹では、当然済まないだろう。
いま、この位置から見える本棚の2段目と3段目を占領している、
焦げ茶色に日焼けした「荷風全集」など、ハードカバーの中身を想像しただけで、おそろしい。
これから、読書の秋。
すこしは、ケースから出して、天日で虫干ししてみようかしら。
そう言えば、「虫干し」もまた夏の季題。
つくづく、日本人と言うのは細やかな季節感の中で生きていると、思う。
あー、痒い痒い。

【天候】
終日、降ったり止んだり、台風による不安定な天気。

1342声 カジュアルな庭

2011年09月03日

いま、台風が高知に上陸している模様。
四国は高知県沖にあっても、北関東群馬県に突風や豪雨をもたらすのだから、
相当、勢力範囲が広いと言う事であろう。
土曜日の本日は、県内各地、のみならず列島各地で開催される予定の秋のイベントが、
のきなみ中止になっている。
まだ9月になったところだが、今年の日本は、自然災害に翻弄された一年であると言える。

その影響だろうか、今年は庭木の果樹もあまり期待は出来なそうである。
食べごろであった山帽子の実は、先日からの風雨でほとんど落ちてしまったし、
未だ青い柿の実も、この後の風雨を絶えしのげるかどうか。
その横の、ビックリグミは、ここ何年も実っていないし、
向こうのブルーベリーは、葉が落ちてしまってなんだか元気が無い。

ビックリグミなどは、私が小学校を卒業する時に、
「創業記念樹」として学校から購入したのもなので、かれこれ、20年選手である。
古株ともなると、機嫌の波があるようで、ここ数年、実を付けてくれない。
もっとも、買う際の説明文に、育て方の難しい果樹だと書いてあった。
今年の秋は、この果樹の木々たちが色とりどりの実を付け、カジュアルな庭になるだろうか。
諸君、語呂合わせによる駄洒落で締め括る事を、許したまえ。

【天候】
台風の影響により、雨風ともに強し。

1341声 届け!「銭湯地図」

2011年09月02日

暴風雨の中、差し当たっての発送作業を終えた。
「群馬伝統銭湯地図」の、である。

いきなり、こんな漢字ばかり並べても、意味が分からぬ。
つまりは、そう言う名前の銭湯マップを発行した。
いや、今まさに発行しようとしているのである。
昨年出版した、「群馬伝統銭湯大全」に引き続いて、
今回は無料の、地図に特化した銭湯の冊子となっている。

銭湯大全を発行した際は、32軒あった銭湯も、一年半で5軒減少し、現在は27軒。
それでも北関東では、まだ突出して多い数である。
その27軒全てにまんべんなく郵送するため、封筒に冊子を詰める作業は、
まさに、夜なべして内職をしている様な感覚である。
詰め終えた封筒の束を、本日、集荷所へ持って行き、一段落。
してもいられない、台風の影響で、各銭湯に届く頃には、濡れていまいかと、
気をもんでいる。

この冊子の詳細は、またこのサイトで掲載しようと思う。
しかしまぁ、金も無いのに、無理やり自分を納得させて作業に没頭している様を、
俯瞰的目線で客観視し、いささか呆れている。
前回の銭湯大全の時は、
「まぁ、軽自動車を一台買ったと思おう」
と言い聞かせた。
しかし、実際に軽自動車が無いだから、
「買った直後に自損事故を起こし廃車にした」
と思わねば辻褄が合わない。
そう思えば、事故を起こさなかっただけ良かった気がする。

さて今回は、前回ほどではないが、一部の負担金をどう自分の中で咀嚼するか。
「まぁ、良い自転車を一台買ったと思おう」
と言う案で落ち着いた。
そして今回も、
「買った直後に自損事故を起こし廃車にした」
と言う事にせねばならない。
4月に実際に自転車でしくじって、鼻の骨を折っているだけに、
これは事故を起こさなくて済んで良かったと、すんなり思える。
今度はこそは、命の危険にさらされるような、大事故になっていたかも知れぬ。

来週以降、もし県内の銭湯へ出掛け、本冊子を手にする人があれば、
この場で紹介しておこう、「群馬伝統銭湯地図」それが私の、「命の恩人」と言う事になる。

【天候】
終日、台風の影響による、断続的に続く激しい風雨。

1340声 山帽子の実

2011年09月01日

吹き荒れている。
こんなにも、長い時間をかけて列島を縦断して行く台風も、久しぶりである。
室戸岬から四国に上陸と言う進路から、大きく離れた群馬県でも、その被害は既に甚大。
特に、伊勢崎地域は床下浸水している箇所もあった。
夕方のニュースでは、「東京福祉大学」の駐車場が浸水し、
停めてある職員や学生の車が浸かっている様が報道されていた。

高崎市界隈では浸水などの話は聞かなかったが、
高速道路が一時通行止めになっていたので、インター付近は大渋滞になっていた。
そんな折に、前の車が追突していたり、救急車が忙しく往来していたりと、
地震も怖いが、台風もまた怖い。
と言う事を、痛感した一日だった。
依然として、進行速度が遅い台風は、明日上陸し、
明後日には日本海に抜けると言う、のろのろぶり。
明日発足するであろう、野田内閣に、暗雲を残さぬ事を祈るばかりである。

政治の話題で終えるのも、後味が良くないので、もう少し。
つい先程、帰宅し玄関の前で傘を畳んでいると、
庭先の宵闇の中に転がる無数の赤い物体が、目に入った。
目を凝らして確認すると、それは山帽子の実、であった。
色づいたばかりの山帽子の実が、この暴風雨で大量に落ちてしまったのである。
「残念」と思ったが、所詮は庭木。
果樹農家さんたちの労苦が思い浮かんで、少し胸が痛んだ。
二、三個持って帰り、洗って食べたら、ほんのりと甘くて美味しかった。

【天候】
終日、激しく降ったり、突然止んだり。
変な天気の台風模様。

1339声 台風の香り

2011年08月31日

機嫌を伺いつつ、窓を開けたり閉めたり。
時に荒れたかと思えば、途端に静かになったり、
情緒不安定な雲行きである、台風というやつは。

毎年の事。
夏と秋の空気の入れ替えをしに、台風がやって来て、ひと暴れして行く。
台風一過の澄んだ青空は、まさに「秋気澄む」と言った印象。
毎年、台風が去った後に、自宅裏の田圃から榛名山を臨む夕景は、心に残る風景である。
その後、一晩明ければ、空に収まりきれないほどの、鰯雲が群れをなしてやって来る。

既に、台風12号が列島各地に及ぼしている影響が報道され始めているが、
内心、わくわくする気持ちがある。
それは、子供心を惹き付ける、台風のあの世紀末的雰囲気に、
ではなく、俳句が作れるかも、と言う感覚である。

言わずもがな、台風は秋の季題であるが、面白い季題だと思う。
台風の持つ特性を、作品に活かし得た例と言うと、
俳句ではなく、真っ先にあの映画を思い浮かべる。
相米慎二監督の「台風クラブ」である。
台風と少年少女とが、混然一体となって吹き荒れる、刺激的な内容であった。
今でも、映画を観終えた後、実質的に胸の痛む思いがした事を覚えている。

私の文芸における趣向は、青春性、あるいは微弱でもその香りのするものに、
惹かれる傾向がある。
また、そう言った作品は、普遍的な良作が多いと感じている。
そう言った意味で、この「台風」と言う季題は面白いと思った。
さて、俳句と言う短詩型で、それを上手く表現でき得るだろうか。
暴風雨の窓では、親指の爪程の蛾が一匹、網戸にしがみ付いて雨宿りしている。

【天候】
朝より曇り。
夜には台風12号の影響で、雨風強し。

1338声 まさかの「選」

2011年08月30日

たまに本を買う。
インターネットを利用して、である。

ネットの大型書店と言えば、まず「アマゾン」てぇのが定石であろう。
本のみならず、多岐に亘る買い物を楽しめる。
まさかここで、自分の本を並べるとは思わなかったが、
勿論、売れる数より買う数の方が、断然に多い。
先日も、俳句関連の本を幾つかまとめて買った。

ネットでの買い物は、トラブルが懸念されるので、遠慮している。
と言う方がいるが、私はネットでの買い物に、左程、抵抗が無い。
と言うよりも、欲しい物があったら、まずネットで検索する癖までついてしまった。
大きなトラブルには遭遇していないが、小さなトラブルは、時折、ある。

先日も、アマゾンを介して、中古の本をネット書店から買った。
届いて封を開けてみれば、購入した俳句集ではなく、全く知らない人の詩集が入っていた。
詩と俳句で、似ていると言えば似ているが、似ていても内容の違う物では仕様が無い。
即刻返送したが、本体代金よりも送料の方が高いくらいの本なので、
新刊で購入した方が安かった、と言う事もありうる。

こう言う事もあった。
私は、本に関しては「読めればいい」と言う派なので、中古をよく買う。
例えば、表紙カバーがなかったり、スレやヤケがあっても気にしない。
頁に書き込みがあっても、値段が安ければ、状態の良い本よりも悪い本を選ぶ。
先日、間違って詩集が入っていた際、購入していた品の中に、幾つかの俳句集があった。
書き込みがある、と言う事は了承して買ったので、別段、それは気にならなかったが、
「選」が入っている本があるのには、閉口してしまった。
つまり、頁に一つづづ並んでいる句の上に、〇だとか◎が付いているのである。
それが気にならない訳は無くて、
「この句を取ってるなんて、見る目がある」
と言う場合はまだしも、
「この句を取るなんて、どう言う選句眼だろう」
「いやまてよ、私には分からぬ、何か深い意味があるのかも」
などと、一向に読むのが進捗しないのである。

これから、読書の秋。
買うのを一旦止めて、少しは部屋に積まれた本の山を低くする事を心掛けよう。
そう、分かっちゃいるけど、止められない。

【天候】
終日、秋晴れ。
日中の気温は、真夏日。
台風接近中なので、夜半には湿った雲の気配。

1337声 四季の面々

2011年08月29日

遠慮もなしに、どかどかとやって来て、席に居座っている。
まだ春がその席を立っていない、5月初旬あたりから、もう自分の仕事をやり始めている。
その気迫に押されて、春が席を立って足早に帰ってしまうと、
さっきまで精を出していた仕事を投げ出して、気まぐれにどこかへ行ってしまう。
そこで、見かねた梅雨が応援に来て、しばし、季節の間を繋いでいる。
すると、ひよっこり戻って来て、さっきまでの気まぐれはどこへ置いてきたか、
朝夕の区別なく、猛烈に仕事に精を出している。
周りの人たちは、そんなら磊落な夏に辟易としながら、いつの時代も、
若者には絶大なる人気を得ているから、憎めない。

「もうそろそろ」
と、みなそう思っているだが、中々、帰ろうとしない。
特に、若い人たちは「帰って欲しない」と言い、
あげくには、「エンドレスサマー」なんて言っている人たちもいる。
それで良い気になって、「立秋」と言う合図があったにも関わらず、
まだしぶとく居座って、空の上で大いに暴れ回っている。

しかしながら、聡明な秋の方がやはり一枚上手で、夜になると虫の指揮をとって、
涼やかな音色を奏でている。
これには夏もかなわない様で、最近ようやく、帰り支度を始めている模様。
あんなお騒がせな夏でも、去りゆく後姿には、やはり郷愁が感じられて、
いささか寂しい心持がする。
多彩な秋と一緒に、スポーツをしたり行楽に行ったり、食事を食べたり本を読んだりするのも、
季節の中では、特に至福の時間である。
その後に来る冬の厳しさを思えば、秋とは仲良くやって行けそうな気がする。

【天候】
終日、曇りがちなる晴れ。
日中はまだ蒸し暑し。

1336声 晩夏の深大寺

2011年08月28日

新宿駅から京王線に乗り、調布駅で途中下車。
駅前ロータリーからバスに乗り、降車したバス停が「深大寺前」。
東京都内屈指の古刹である、深大寺へ参拝に行ってきた。

バス停から往来を渡れば、そこから、樹々の生い茂る参道が伸びている。
参道の脇には、有名な「深大寺そば」の店が点在してる。

春惜しむ深大寺そば一すすり(皆吉爽雨)

深大寺そばと言えばこの句だが、夏惜しむ今時期は、
店先に出ている風鈴や、「かき氷」の文字が涼やかである。
時期には大そう賑わうようであるが、私が着いたのがもう日暮れ時だったので、
薄暗い参道は森閑としている。

境内に入ると、ひぐらし鳴き声が濃く、晩夏の雰囲気。
立派な菩提樹の古木のみ、すこし葉先が紅葉していたが、
まだ木立には、瑞々しい夏の色が残っていた。

掲示板には「深大寺俳句大会」のチラシも貼ってあり、
やはり、俳句との縁が見られた。
参拝の後、ひと巡りして、句碑や歌碑など見て回った。
賽銭箱の横には、大柄で温厚そうな猫が一匹、涅槃仏のような格好で寝ていた。
カメラを向ける私を煙たがるように、大欠伸をひとつして、のったりと寺の裏へ行ってしまった。
境内には、近所の人であろう、時折、犬の散歩をする人が通り抜けて行った。
東京都内にあって、こう言う場所に、俳句の源流があるのだろうな、と感じた。

【天候】
終日、薄曇り。
残暑の一日。

1335声 蛙に睨まれた人

2011年08月27日

庭。
と言っても、俗に言う、猫の額ほどのものだが、
そこに数本、果樹が植えてある。
柿の葉は、若葉の頃の艶やかさが抜け、うっすらと紅葉してきた。
左に二本隔てて、植えてある山帽子は、実に紅い色が付き始めてきており、
実り具合を伺う事ができる。
今年は、豊作の様。

丁度、ひと月前頃だったか。
盛夏の日の夜、酔眼朦朧として帰宅したのは、もう深夜。
そのまま、シャワーを浴びて寝よう。
と言う事で、おぼつかぬ足取りでシャワーを浴び、洗面所で歯を磨いていた。
口を注ごうと、洗面台に顔を向けると、目が合った。
白い洗面台の上に居た、蛙と、である。

「蛇に睨まれた蛙」
と言う諺があるが、
「蛙に睨まれた人」
状態で、人である私は、一瞬にして、全ての動作が停止してしまった。
ちと呑み過ぎたかと思って、目を凝らすと、そこには確かに、
五百円玉くらいの青蛙が、手を付いている。
一呼吸置き、歯ブラシを口に突っ込んだまま、そろりそろりと手を伸ばした。

徐々に近づいている手が、あと一息で、掴める距離に来たところ。
「ぴょん」
と、飛び上がった青蛙。
慌てて追うと、着地に失敗したのであろう、床に落ちて情けなく体勢を崩している。
そこをついて、素早く手を出すのだが、如何せん、酔っ払い。
的を外れて、青蛙はまたもや、ジャンプまたジャンプ。
そうこうしていて、結局、洗濯機の下にもぐりこんでしまった。
そして私は、口を注いで寝てしまって、翌朝にはケロッと忘れていた。

それが、昨日の深夜、およそ一カ月ぶりに、あの洗面台で再会した。
背中の青色は、日に当たらなかった所為か、随分とくすんでいる。
その眼光にも、なんだか、盛夏の夜に見た精彩が欠けている。
サッと掴んで、玄関から柿の木の根元付近へ放り投げた。
微かに、「べチッ」と言う着地音が聞こえたので、どうやらまた、
着地に失敗したようであった。

【天候】
一時小雨降るも、概ね晴れ。

1334声 優柔計画

2011年08月26日

夜更け、である。
窓の外の虫の音が、随分とたくましくなってきた。
しかし、いまからの内容は、昼間のこと、なのである。
とても、おぼろげな時の過ごし方をしている。
そう感じる日が、よくある。

例えば、休日。
朝からよく晴れた、お出掛け日和。
終日予定は無いし、少し寂しい財布を除けば、体調もすこぶる良好。
朝食は済ませたし、珈琲はいま飲み終えた。

「さて、どこへ行こう」

まずは、椅子に座って、空を見上げる。
車で、あの道からあそこの山へのぼり、あの湖を見て、
あそこの饅頭でも買ってくるか。
いやいや、そんな郷土の観光地など、もう飽きた。
駅まで自転車で行って、電車に乗り都内へ。
あの寄席へ行ってから、あそこの飲み屋街ではしご酒。
てぇのも悪くない。
いや待てよ、それにはちと財布が心許ないし、
尚且つ、徒歩で帰ってくるのがちと億劫だな。

そうこうしている間に、正午。
昼食後に、仕切り直して練ろう。
そうして、今度はパソコンに向かって、あれやこれやと検索をする。
乗り換え時間はこうで、寄席の木戸銭はこれで、本日の番組表はそれか。
目当ての芸人さんが出ていないので、予定を変更して、あの博物館へ。
いや、閉館時間には間に合わなそうなので、それは止めて。

なんてやっている間に、窓からは西日が射しこんでいる。
なんだもう、風呂屋に暖簾が掛かる時間か。
と言う事になり、結局、近所の湯屋へ出掛け一杯ひっかけて、帰宅。
なんだか、妙に疲れたし、本読んで寝よう。
そうならない、明日の為に、戒めの念をこめて、今日の文章を終える。

【天候】
晴れのち曇り。
正午過ぎ、高崎方面ゲリラ豪雨。
その後、東京方面へと雨雲は南下。

1333声 秋の線香花火

2011年08月25日

定例の句会の日であった。
最近、少し人数が増えて、6、7人、ともすれば8人と言った具合でやっている。
俳句会をやるには、丁度、手頃な人数と言ったところ。

珍しく、先生宅に早く着いた私が、うどんなどを啜っていると。
「こんばんは」
玄関の敷居を賑やかに跨いでくるのは、艶やかな浴衣。
メンバーである女性陣のひとりが、浴衣を新調してきたようで、
みな、浴衣や着物で装っている。

晩夏と初秋の境目。
と言うとで、虫の音の聞える庭に出て、線香花火をやって句を詠んだ。
私などが持って、線香花火の幽玄な火を見つめていても、余り情緒が無い。
あれは、浴衣の女性が持つものだと感じた。
しかし句会では、男が線香花火を持っている句に、多く選が入った。
俳句は一筋縄ではいかない。

【天候】
曇りのち雨。
日中いまだ、蒸し暑し。

1332声 蝉の声虫の声

2011年08月24日

薄くなった秋の雲を貫くように日射しが注いでいる。
すなわち、残暑で蒸し暑い日である。
やけくそ気味に鳴く秋の蝉も、涼やかに響く虫の音に、肩身が狭そう。

喘ぐように鳴いている、あの蝉は、油蝉。
少し前は松蝉がいて、みんみん蝉もいた。
夕方によく聞くのは、法師蝉やひぐらし蝉など、
一重に「蝉」と言ってもその種類は多い。
まだ、にいにい蝉や熊蝉など、お馴染の蝉もいる。
その鳴き声を聴き分けるのも、まや一興である。

蝉は大方の人がその種類を聴き分けられるだろうが、
「虫」の方はどうか。
秋の野に鳴いている、虫である。
鈴虫、こおろぎ、松虫などは大丈夫であろうか。
邯鄲、くつわむし、きりぎりす、鉦叩、馬追などになって来ると容易ではない。
繊細な感覚が必要になってくるが、その一つ一つに味わいがある。
書いていながら、私にも聴き分けられるか、怪しい部分がある。

しかし、残暑の折り、鳴き始めた虫たちの声に耳を傾けるのも、
夜を涼しく過ごす、工夫のひとつかも知れない。 

【天候】
終日、晴れ間のある曇天。
蒸し暑い一日。

1331声 感動までの距離

2011年08月23日

「感動を詠め」
とは、然るべき俳句入門書などでは、必ず目にする事柄である。
「感動」ったって、そうそう見慣れた野山で、感動する事象に出くわす事も少ない。
私の感受性が乏しいのかもしれない。
しかし、心には響くのが、それを「感動」と言い得るのかどうか、と言う場面が多い。
悩んでいるくらいなので、それでは感動を得ていないのだろう。

ここで一旦、話を放り投げて、弁当である。
所謂、「ほか弁」と言われている弁当を、たまに買って食べる。
先日の昼も、チェーン店のほか弁を買った。
いや、正確には昼時に祖父が家に訪れていたので、
祖父が近所の店で買って来たのである。
「何弁当」と、特に指定しなかったのだが、買って来た弁当を見ると、随分と豪勢。
おそらく、「デラックスなんたら弁当」と言う類の、高価格帯の弁当である事は間違いない。

思えば、私。
ほか弁を買う時など、このところ数年に亘って、五百円以上の価格を出した事が無い。
つまり、安価なのり弁の類を中心に、から揚げ弁当が天なくらいで、
後は十中八九、五百円以下の安価な弁当を購入していた。
それが、この日は、五百円をはるかに超えるであろう、豪勢な弁当にありつけた。
豪勢な見た目なだけあって、やはり味も、笑みがこぼれるほど美味い。

この辺りで、先程、投げた話しがブーメラン式に戻って来て、感動である。
その、豪勢な弁当の味に、感動を覚えた。
「たかがほか弁で」
などと、自分でも思ったが、されどほか弁。
長い事、安価な弁当の味を覚えた味覚だから、なのであろう。
これがまた、さる高級料亭の仕出し弁当、と言うと話しが違う。
日常の、ほんの些細な変化、なのだから、良いのかも知れない。
その距離が感動までの、一番の近道になったのかも。
見慣れた野山でも、ほんの些細な変化、例えば、見慣れた裏山も、
朝陽のあまねく満ちる日の出の時間は、素晴らしい裏山かも知れない。
もしかしたらそう言うところに、日常の感動があるのかも知れない。

【天候】
朝より曇り。
午後に少し晴れ間が出て、蒸し暑い一日。