いま、一冊の本を読んでいる。
A4サイズで電話帳の如く分厚い、この本の名は、「短歌俳句川柳101年」と言う。
表紙には、「新潮・10月臨時増刊」と書いてあり、奥付の発行を確認すると、
平成5(1993)年10月30日と記載されている。
今日の帰りがけ、この本を古本屋の棚で見つけ、衝動買いしてきた。
内容は、短歌、俳句、川柳。
この三つの短詩型に於いて、「一年一句歌集」の原則の下、
1892年から1992年の100年間で、303句歌集を選出してある。
つまり、その年、短詩界で話題になった作品集が取り上げられているのである。
1892(明治5)年の短歌部門は樋口一葉から始まり、1992(平成5)年の坂井修一で終わる。
同じく俳句部門は、幸田露伴から始まり、田中裕明の「櫻姫譚」で終わる。
川柳部門は、明治時代の滑稽文の書き手、骨川道人(こっぴどうにん)選の川柳から始まり、
倉元朝世の「あざみ通信」で終わると言う、日本短詩界の壮大な系譜が描かれている。
この様な短詩に興味の無い読者諸氏は、ここまでの文章の漢字の多さに、
早々とうんざりしていると思う。
では、ここから、気になった年の実作を幾つか挙げて、紹介しようと思う。
一通り見ていて、やはり、明治の頃の短詩が興味深い。
何だか江戸の雰囲気を残しつつ、文明開化の色も強く出ている。
文芸は世相を反映するので、後の大正昭和と言う激動の時代の前の、
駘蕩としているけれども芳醇、そんな文化的で粋な歌や句が見られる。
中でも、ひとつ、20世紀の始まった年、1901(明治34)年を取り上げて見よう。
短歌部門は、教科書でも御馴染の、与謝野晶子の「みだれ髪」である。
くろ髪の千すぢの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもひみだるる
むねの清水あふれてつひに濁りけり君の罪の子我も罪の子
清水へ祇園をよぎる櫻月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき
など、短歌好きならずとも、人々に膾炙した歌が多くある。
そして、俳句分門は、新聞「日本」で正岡子規に師事した、
佐藤紅緑の「滑稽俳句集」である。
雛を見に行けば婆アが出たりけり
宗匠の顔に嘔吐はけほととぎす
朝寒ぢや夜寒ぢや秋はくるるのぢや
など、自由奔放なおかしみを持った句が、精力的に読まれている。
最後に、川柳部門。
この部門が一番、当世を反映しているかも知れない。
当時、博文館より発行されていた文芸雑誌「文芸倶楽部」の、
読者投稿欄に掲載された句が紹介されている。
選者は、田村松魚と三宅青軒。
女房に白髪抜かせて妾宅へ
若武者を望んで後家は白髪染
髪結の癖に世間の噂ゆひ
など、短歌とは一線を画す艶っぽさと、俳句よりも大衆的な面白味がある。
なんだか、どれも落語的な印象を受ける。
短詩と日本人と言うのは、とても密接な関係を持ちながら、
現代まで受け継がれて来た事が分かる。
1922(大正11)年なんて、宮澤賢治、渡邊水巴、田中美津木である。
それを上げれば切りが無いが、ひとつ、ゆるぎなき事実。
私たちが、短詩(大好き)民族と言う事は間違いない。
【天候】
終日、苛烈な猛暑日。
熱帯夜。