日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

1282声 湯屋のガガ

2011年07月05日

青い山の裏には、もくもくと湧き上がる夏の雲。
強い日差しと、突然の夕立。
今日は、もう梅雨が明けてしまったかのような、天気であった。

夕方には、大きな西日が青田を照らしていた。
青田に映っている茜色の空。
入っては出て行く雲。
仄かなる夜風の香りに誘われて、自転車を漕ぎ出した。

自転車を停めたのは、高崎市内の銭湯。
まだ明るい内の風呂てぇのは、とても贅沢な気分になれるので、
好きな時間帯。
朝湯も好きだが、県内では、前橋市の一軒でしかやっていないので、
年に何度も入れない。
それなので、まだ、身上を潰さずに済んでいるのかも知れない。

湯船に浸かって一息。
夏期間の銭湯は、早い時間が空いている気がする。
あまり早く入っても、寝るまでに汗をかいてしまうからだろうか。
私などは、銭湯に入っても、寝る前にシャワーを浴びる事がしばしば。
と言うか、頻繁にあるので、その点は効率が悪い。
しかし、夕方の入浴が好きなのだから仕方ない。

誰も居ない浴室。
湯船で足を伸ばしていると、女湯からはずんで来る声。
主はどうやら、おばちゃん二人らしい。

「そうよねぇ、ほら、いるじゃない」
「えっ、だれが」
「ほら、この前来た、あの外人さんの」
「あっ、レディーガガよね」

まさか、おばちゃん同士の会話から、
世界をときめかせているポップアイコンの名前が出て来るとは。
ここは、アメリカのニューヨークでなく、高崎市の入浴する場所である。
しかも、「レイディーガガ」と、若干発音がネイティブっぽい。
なんだか、そこはかとない敗北感を覚えつつ、瓶牛乳を飲んで帰路に着いた。
歌えないけど、鼻歌を奏でながら、すっかり日の落ちた山へと漕いで行った。

【天候】
朝は雨なるも直ぐに上がり、梅雨晴れ。
高崎市周辺、昼に一時雨降るも、豪雨と言ったほどでなし。
終日、真夏日。

1281声 ぬる麦酒

2011年07月04日

「そう言えば最近、米粒を食べていない」
そう思う、と言う事は、そろそろ夏バテの時期である。
然るに、この季節。
口当たりの良い麺類ばかり食べるようになったり、
麦酒を主食として飲んでしまうから、米を食べる機会が著しく減少してしまう。
そして早くも、夏バテの兆候が出始めている。

「まずかった」
その原因は明白で、昨日の、銭湯二軒のはしご湯にある。
夏場の風呂。
と言うのは、言わずもがな、汗を大量にかく。
なので、風呂上がりに水分を大量に補わなくてはならない。
一軒目から、風呂上がりに、瓶牛乳にサイダーを一気飲み。
二軒目に移動中は、ペットボトルを一気飲み。
二軒目の風呂上がりにまた、コカコーラとオロナミンCを一気飲み。
「一気飲み」
せずにはいられぬほどの、砂漠漂流者の心持も分かるほどの、
暴力的な喉の渇きに襲われるのである。

おかげで今日は、腹の調子が絶不調。
そう言う時に限って、消化の悪い、揚げ物系統を食べてしまって、
いま、独りゆっくりと後悔している。
こう言う時は、燗麦酒などが良いが、群馬県では飲める店を知らない。
これが、「缶」の誤字で無くて、「燗」の麦酒なのである。
ぬるく燗をつけた麦酒の事。
その昔、東京のビアバーで飲んだ事がある。

それは地麦酒で、銘柄は博石館ビールのブラウンエールだった。
仄かな酸味と、発泡感の無く、ぬるい麦酒の不思議な味わい。
三杯目くらいに丁度良い。
そんな、印象を受けた。
しかし、その後はやはり、キリッと冷えたピルスナーを、
ゴクゴク飲みたくなった。
それを思うと、また横っ腹の辺りが、不気味な蠕動運動を。

【天候】
終日、梅雨空。
蒸し暑く、気まぐれな小雨程度。

1280声 西日と調和

2011年07月03日

数ヵ月ぶりに、県外の銭湯へ出掛けた。
場所は熊谷市、である。

熊谷市には、現在三軒の伝統銭湯があり、
その中の二軒をはしご湯して来た。
もう一軒は、日曜定休なので、断念。

この二軒には、一度来た事があったが、どちらも盛況な故、
写真撮影はせずに帰って来た。
今回は、一番湯客となるべく、開店時間目がけて訪問した。
まずは、駅近くの「桜湯」。
往来を歩いて行くと、ひらひらと、涼しげに揺れる白暖簾が見えて来た。
「もう暖簾が出ている」
と、いささか焦ったが、前回、春に来た際は、紺暖簾だった事を思い出していた。
これが、歳時記で言うところの「夏暖簾」なのかな、と思った。

番台のおやっさんへお願いし、貸切状態の浴室を手短に撮影した。
男女へかかる大きなペンキ絵は、女湯の方に富士山があるようだった。
句を捻りながら、湯船に浸かっているが、もう次の銭湯が気にかかって、
一向に集中できない。

そそくさと辞して、次の「見晴湯」を目指す。
電線が、長い影を落としている路地裏を歩き、早速、見晴湯の敷居を跨ぎ靴を脱ぐ。
浴室内は、地元の湯客で盛況。
ならば、ここで一息。
風呂前の瓶牛乳をやりつつ、新聞に目を通す。
見晴湯には、男女の浴室にかかる壮大なペンキ絵がある。
富士山の景だが、この西日の当たる時間はことにそれが、美しい。
図柄をよく見れば、岬の松の一本一本に影が生まれている。
勿論それは、「絵」の影なのであるが、入り込む西日と見事に調和している。
芸術性と大衆性が程良く調和した、ペンキ絵師の見事な仕事である。

写真撮影は控え目に、風呂から上がってサイダーを飲んで、帰路へ着いた。
一度しか来た事が無いが、何だあろうか。
あの、銭湯の湯の匂いから呼び起される、懐かしさと安心感は。
そして、見知らぬ土地の湯屋で過ごす、夕暮時の不思議な時間は。

【天候】
曇りがちなる梅雨晴れ。
ひねもす、蒸し暑し。

1279声 夜の商店街のときめき

2011年07月02日

「みんな忙しい」
ぼんやりと、そう思っている。

昨日の七月一日から、三ヶ月間に亘って開催される、大型観光イベント、
「群馬デスティネーションキャンペーン」が始まった。
それに伴って、県内各地でもイベントが開かれており、
何やら人が動いている気配がする。

祭りや花火大会の準備。
地元サッカーチームの試合。

週末にある、群馬県知事選挙。
その最後の追い込みであろう、炎天下。
自転車の演説部隊が、候補者の名前を絶叫しながら、漕いで行く。

街中が何やら、忙しない。
額に玉の汗を浮かべながら、人々は行き交っている。
日中、ぼんやりしていて、夜。
のこのこと、街中へ出掛けた。
「高崎田町屋台通り」を覗くと、区画の往来にテーブルと席が沢山出ていた。
皆、美味そうに、焼き肉で一杯やっている。
夜風に棚引く煙に巻かれながら、ノースリーブの若者がジョッキを飲み干す。
その光景は、なんとも、夏めいていた。

千鳥足で、夜の商店街をほっつき歩いていたら、七夕飾りを見掛けた。
もう、そんな季節。

文月や六日も常の夜には似ず  芭蕉

「ときめき」てぇ、事だろう。
七月七日の前夜は、誰しも、常の夜では無い、ときめきがある。
六日の夜に思う、その感覚は、とても尊い、と思った。
怪しげなお姉さん方の、生温い視線を振り払って、
人気の無い夜の商店街を、ずんずん進む。

【天候】
雲の多い晴れ。
梅雨らしい蒸し暑さ。

1278声 隣の席の俳句好き

2011年07月02日

今日から七月。
である。
そして今日、七月二十三日(土)に開催される、
「ジョウモウ大学」の開校記念授業が発表になった。

当日は、県内四ヶ所で同時開催される授業。
その一つに、伊勢崎市がある。
授業内容は、
「街を詠む~路地裏歩きと俳句遊びで街の魅力を再発見~」
と言うもの。
場所は「ほのじ」で講師は私と言う、クレインダンス色の強い。
と言うか、つまりは、アヤシゲな色合いが滲み出ている。

ジョウモウ大学HPから抜粋する。

以前は当たり前に人が行き交い、
コミュニケーションの場であった路地裏を散策しながら、
今なお色濃く残る街場の日常を、
写真でなく五七五で切り取ります。

「街場の日常を、写真でなく五七五で切り取る」
と言うことにもあるが、名勝へ出掛けて、俳句を詠む。
と言う事で無く、街場の、ともすれば場末の、路地裏へ出掛けて、
俳句を詠む。
そう言う大衆性を煮しめたような場所から模索する芸術性。
と言うのは、とても面白いと思う。
などと、これ以上は野暮である。

ともあれ、授業の参加受付はジョウモウ大学HPから、
今月十四日(木)までとなっている。
と言う、宣伝であるが、宣伝したいのである。

私の存在は、教室で隣に座っているクラスメイト、と考えている。
カリキュラムとしての授業で教わる事よりも、
休み時間に、隣の席の友達から教わる事の方に、心は動かされまいか。
たまたま、隣に座った奴が俳句好きな奴だった。
それに近く、ありたい。

【天候】
曇りがちなる晴れ。
ゲリラ豪雨があったが、時間短し。
その後、やや清涼な夜風が吹く。

1277声 蛍の影

2011年06月30日

民謡を聞きながら強かに酔っている。
と言う事はどうでもよくて、昨日、書けなかった分を書かねばならぬ。

「蛍句会」
と相成った昨日は、先生宅へ集合してから、車を乗り合わせて、移動。
俳人が俳人を呼んで、七人のメンバーとなった。
若輩の私は勿論、運転手で、ハンドルを握ることおよそ、十五分。
着いた先は東吾妻町の「箱島湧水」。
群馬県では、名水と共に名高い、蛍スポットである。

「ゲンジが終わってヘイケ」
とおっしゃったのは先生。
ヘイケホタルの、忙しなく明滅する光につられ、
真っ暗やみの中、句帳に句を認めてゆく。
「乱舞」とまではいかないが、それでも、地上にある星空の如く、
蛍の火が草むらに息づいていた。

蛍沢から周辺の里山を歩いた。
道脇にある、墓場に、二、三の蛍火が舞っていた。
「会いに来たのね」
着物を着ているメンバーの一人がそう言ったが、私も、そんな印象受けた。
戻り来て、蛍守の方がいる横に、小さな池があった。
水面には、夜よりも深い色で、山並が映っている。
ゆらゆらと飛んで来た蛍に、生まれている影が、水面に映っていた。

ひとしきり見て歩いて、先生宅へ帰って、句会。
句は当然ながら、「蛍」と言う季題に集中していたが、
一つの季題に集中していると言うのも、
詠む人毎、様々な季題の捉え方が顕著に分かり、面白かった。
私は、まずまずという結果だった。

夜も更けて、帰路の途中。
蛍守の方が行った言葉が、耳の奥に残っていた。
「明日も勤めがありますからね」
幻想的な蛍の火の、非現実世界から、世俗の現実世界へ、
一気に戻される思いがした。

【天候】
曇りがちな晴れ。
夕立があり、その後、高崎方面に夕虹がかかった。

1276声 見えなくて「アリ」

2011年06月29日

「暑い」
今日も、群馬県内では猛暑日を観測。
未だ梅雨明け前だと言うのに、今からこの調子では、
これから来る盛夏がおそろしい。
既に、熱中症で病院に担ぎ込まれる人が急増している。
中には、死者も多数出ていると言う報道も流れていた。
そう言えば日中、救急車のサイレンが、至る所で鳴り響いていた。

朝からたくましい日差しが部屋に注いでいると、
「この一日を乗り切れるのか」と、まず不安になってしまう。
そして、急激に上昇つつある気温に辟易しながら、身支度を整える。
昨晩、冷やしておいた水を飲もうと、冷蔵庫を開けると、
買い溜めしてある缶麦酒の列。
目の前にある、社会人としての岐路を、どうにかこうにか、
踏み外さず、水に手を伸ばす。

霧しぐれ富士を見ぬ日ぞおもしろき

これは、「野ざらし紀行」の冒頭にある松尾芭蕉の句だが、
まずのっけから、この句の風流なポジティブシンキングに、恐れ入った。
天候が悪く、富士山が見えない日ではあるけれども、それはそれで、面白い。
私なら、「つまんねぇの」、と言い捨て、ふてくされてしまうかも知れない。
しかし、それがやはり凡人の発想なのだろう。

もはや、日本の山の代名詞となっている富士山の、
謂わば、決まり切ったあの稜線を眺めるよりも、
「霧にしぐれて見えない」
ところの方が、むしろ「おもしれぇじゃん」と言う、発想。
「霧しぐれで富士が見えない」
と言う描写により、読者は心の中に思い思いの富士山の景を思い描く事が出来る。
その、目では「見ぬ」ところが面白い、と私は解釈している。

梅雨の曇天で青空が見えずとも、茹だる様に暑い日になろうとも、
「おもしろき」と思える心を養いたい。
とは言うものの、毎朝、缶麦酒の誘惑と格闘している男が、
芭蕉の句を引っ張り出して来たって、そう容易く達観した境地に至れるほど、
俳句の道は平らかではない。
そして、いっそ缶麦酒を飲んでしまった方が、面白い。
などと密かに考えている私は、既に道に迷っている。

【天候】
朝より晴れて、ひねもす炎暑。
夕方、一時ゲリラ豪雨があるが、その後蒸し暑し。

1275声 銭湯の予感

2011年06月28日

「おっ、注文だ」
メールボックスに届いた、久方ぶりに入った本の注文メールを、クリックした。
翌日、本を発送し、それから数日経ったある日。
購入者から、一通のメールが届いていた。

銭湯の事について、本を買って頂いた方から質問を受ける事が度々ある。
その多くは、群馬県内の銭湯事情についての内容が多い。
そして、皆一様に、文末の最後で、銭湯文化全体の衰退を嘆いている。

メールを開くと、今回も同じく、銭湯事情の質問であった。
しかし、その内容は、銭湯の経営にまで突っ込んだ、随分と深いもの。
何通かメールをやり取りすると、彼の真意が分かって来た。

「将来銭湯を経営したい」
と言う彼は、未だ三十代だと言う。
行間から熱意の溢れるメール文章を読んでいて、
その願望が、只の思い付きではないと言う事が分かった。

年を重ねる毎に減り行く銭湯。
それでも、こう言う若者がいると言う事は、
減り行く中にも一縷の光がしている。
「日常の銭湯から非日常の銭湯」
として、地域コニュニティーの中おける銭湯の位置も、変わって来ている。
平日はガラガラに空いていて、土日祝日はギュウギュウに混んでいる。
と言う銭湯を、多く見かけた。
いつか群馬にも、新しい形態の伝統銭湯が登場する。
その予感を少しだけ感じた。

「群馬にも」と言うのは、大都市ではいくつかその例が見られるから。
つまり、伝統銭湯の歴史を牽引している銭湯、である。
それが群馬にあったら、面白い。
地方にありながら、固有の文化を維持できている、類稀なる県。
それが群馬だったら、尚、面白い。

【天候】
朝より晴れ。のち曇り。
気温は上がり、30℃を越える蒸し暑い一日。

1274声 会いたい風景

2011年06月27日

週末は、紫陽花を見に行った。
近所の公園へ見に行く。
と言う、手軽な方法で無くて、
電車に乗って、東京の名所まで見に行った。

飛鳥山。
と言えば、江戸時代からランキングの上位を守ってきた、
知る人ぞ知る、桜の名所である。
公園として整備された現代の飛鳥山では、
桜と双璧をなすのが、紫陽花である。
毎年、この梅雨の時期になると、紫陽花見物客で、園内は賑わう。
特に、飛鳥山の麓にある、「飛鳥の小径」と言う、線路脇の細い道。
山肌に紫陽花が連なり、梅雨の一日を彩っている。

一眼レフを肩から下げた人たちに交じりつつ、
王子駅を降りて、直ぐ裏の飛鳥山公園へと入る。
「さくら新道」と言う、スナック長屋(スナックが沢山入店している長屋)を抜けて、
小径に入ると言うのも、オツである。
紫陽花を眺めながら、句帳に句を認めていると、背中に感じる視線。
振り向けば、こちらに向いている、一眼レフが三機。
早々に立ち退いて、飛鳥山の上へと登る。

飛鳥山からは王子の街が一望できる。
頂上は公園になっていて、砂場の横で、
遠足の子供たちがお弁当を広げている。
その周りを、飛び跳ねている子供、茶屋で焼きそばを食べている家族。
駅のホームに京浜東北線の青い電車が入線して、また出て行く。
湧き出しては流れて行く、人波。
いまにも降り出しそうな梅雨空の下に在る、この街は、私がかつて住んでいた街。
「会いに来たかったんだ」
と思った。
この、風景に。

【天候】
終日、梅雨らしい曇天。
蒸し暑いが、暑さ苛烈ではない。

1273声 間と麦酒

2011年06月26日

「地麦酒が良い」
と、感じる時がある。
それは、独りで飲んでいる時。

仲間と酒場へ行く。
そんな「楽しい酒」の場では、飲み口が軽い、所謂「ふつうの麦酒」が良い。
ジョッキでゴクゴクと飲み、かつ喰い、大いに語らいたい。
しかしこれが、独りへ酒場のカウンターに腰掛けている時。
飲み口の軽い麦酒が、とても空しく感じてしまう。
この場だけ、日本酒党との連立政権で乗り切ろうと言う考えに、至ってしまう。

そんな時に、地ビール。
香りが豊かもの、飲み口が重く、味わいが深いもの。
ひとつひとつそのキャラクターが違うので、
まさに「酒と語らう」と言う調子で、一口づづゆっくりと飲み進める事が出来る。
それが分かってから、独り酒の、あの「間」を、殊更、おそれなくなった気がする。

地麦酒に興味を持ち始めたのは、二十代前半の頃。
学生時代からの余韻が、ようやく消えかけていた時期である。
その辺りから、人生に生まれて来た「間」を、埋める為、
ふつうの麦酒から、地麦酒に手を伸ばしのかも知れぬ。

【天候】
終日、小雨交じりの曇天。
気温左程上がらず、街には長袖の人も目立つ。

1272声 俳句の扉

2011年06月25日

電車の車窓。
ではいつも、俳句を詠む、事にしている。
実際、眠たくなってきて、すぐ寝てしまうのだが、
一応、句調とペンを持ったまま、寝ている。

仲間が、ツイッターで俳句をやっている。
自由奔放に、刺激的な作品を詠んでいる。
短い文字制限と言い、日々のつぶやきと言う在り方と言い、
俳句との相性がすこぶる良いと感じる。

「沢山詠んで沢山捨てろ」
とは初学の頃(今でも初学ではあるが)、大先輩の俳人の方から教わった。
それから私も、沢山捨てる為に、沢山詠むようになった。

最近、師系を持たず、結社などにも属さずに、
活躍の場を広げている俳人の方が、いる。
特に若い方に多いが、将来では、それがますます顕著になりそうである。
ツイッターなどのツールを自在に操って育つ俳人が、
「革新」を引っ提げて、登場する時が来るのだろう。
ともあれ、面白い事になって来そうである。

「俳句」
と言う詩形に捉われずとも、目の前の出来事を咀嚼し、省略し、
十七文字に削ぎ落して、表現する。
と言う事は、文章修業にもなる。

今日も、電車に乗る予定がある。
車窓で眠りこけている私の手には、句調とペン。
そして、携帯電話があるだろう。
今は未だ、ツイッターで開かれつつある、俳句世界の一つの扉を、
隅でチラチラと覗き見している。
その扉の方に、眩いばかりの光を感じる事は、確かである。

【天候】
終日、小雨交じりの曇天。
暑さ和らぐが、湿度高し。

1271声 ガラパゴス化でありにけり

2011年06月24日

「小笠原諸島」
へは、行った事が無い。
それを、いま、痛切に後悔している。

先程、この小笠原諸島の世界遺産登録が決定した。
と言うニュースが出た。
北海道の知床。
青森、秋田県にかかる白神山地。
鹿児島県の屋久島に続て、国内四カ所目となる。

「東洋のガラパゴス」
その惹句に魅かれ、学生時分、何度旅行計画を練ったことか。
父島と母島へ行くのは、私のささやかなる夢であった。
そこは地球創成期から、一度も陸地とつながった事が無く、
その為、独自の進化を遂げた生き物が数多くいる。
これがガラパゴスと、言われる由縁だが、
日本列島以上外国未満で、このガラパゴスには気軽に行けそうなした。

それがおそらく、「気軽に」なんてのは、今夏から数年は、無理だろう。
「世界遺産」
の効力は私も聞きしに及んでいる。
それでも、いつかは行きたい場所の一つである。

ガラパゴス、だから魅かれたのかも知れない。
あの路地にも、横丁の銭湯にも、そして俳句にも。
産業でも、このガラパゴス化が顕著な日本。
技術では世界水準を上回っていても、世界市場へ一歩踏み出すと、
ほとんどシェアを握れないでいる。
つまりは、競争力が無い。

考えて見ると、人に於いても、その人がガラパゴス化している部分に、
魅かれる場合が、多々ある。
例えば、高校生時分に、同窓だった友人。
彼の趣味がギター、てぇんで、私の家へ呼んでギターを弾いてもらった。
上手い。
いや、片田舎の高校生としては、上手過ぎる。
直ぐさま彼に、バンドを結成する事を進めたが、彼、乗り気でない。
と言うか、興味が無いのである。
純粋に、ギターを黙々と練習するのが好きなのであって、
己の才を発表しようなどとは、これっぽっちも思っていない。

そのガラパゴスギター。
もったいない限りだが、ガラパゴスとはそう言うものである。
競争力も共生力も無い。
しかし、競争も共生も、所謂「世界」に自ら照準を合わせてして行くべきなのか。
とも思う。
「良いじゃないか、ガラパゴスでも」
世界の照準が当たった時、この独自の道を行ったガラパゴス人間たちは、
きっと、それを驚愕させるだろう。

【天候】
終日、雲多くも晴れて蒸し暑い。
今日も猛暑日、夕方、とても綺麗な夕焼け。

1270声 白き夏

2011年06月23日

公園のベンチでパンを食って、俳句作ってひと眠り。
なんて悠長な事をやっていると、命取りになる、この猛暑日。
「この夏は節電だ」
なんて言っておきながら、炎天の街を彷徨っていると、
理性を無くして、冷房を求めてしまう。

学生通りを行く学生たちは、みな顔を真っ赤に染めて、自転車で行く。
これが、夏も盛りの頃になると、日焼けして真っ黒な学生等が、
目に付くようになる。
「あれ」
と、通り行く学生の中に、時折。
高校生時分の友達に、そっくりな顔を発見する事がある。
あの人も大人になっている筈なので、本人の訳はないのだが、
一瞬、目を疑ってしまう。
それはおそらく、彼彼女等の着ている学生服が、
眠っている記憶を喚起させるのだろう。

ファミリーレストランの窓際で、そんな光景を眺めていた。
景色が遠く遠く、見えるのは、気分が落ち込んでいるから。
先程、レストラン内のトイレで、ふと鏡を覗くと、髪の毛の中に白い筋が。
「白い筋」
などと、まどろっこしい、つまりは、白髪を発見したのである。

私は元来、白髪など一本も無い体質だったので、ささやかな衝撃を受けた。
直ぐ抜いて、探せば合計二本。
「何を白髪ごときで」
人生の先輩諸氏等の薄笑いが見えるが、人生の曲がり角のようなものが、
おぼろげに迫って来ている感覚がした。
ストローの中を行ったり来たりしているアイスコーヒーを見つめながら、
頭の中で、五・七・五。
「まてよ」
まさかこれが、グラスにつく水滴の様に、頭の中から外へ働きかけ、
若白髪を生成しているのでは。
ぼんやり考えていると、グラスの氷が崩れ、涼しげな音が小さく鳴った。

【天候】
まだ日は淡いながらも、蒸し暑い一日。
群馬県の平野部では軒並み猛暑日となり、不快指数甚だ高し。

1269声 水の上には水の馬

2011年06月22日

夏至の今日は、群馬県館林市で、およそ36℃を観測。
昨日に引き続き、暑い日が続いている。
そんな猛暑日に、吟行、汗を拭いつつの句会であった。

参加者の句を見るに、季題が「水馬」に集中していた。
無論、私のその中の一人。
公園内、各人各所で吟行していても、水辺の涼を求めていたのだろう。
その水面を見れば、夥しい数の水馬が、浮かんでいたのである。

こう暑くては、水馬とて、参ってしまうらしい。
池の中、大樹の陰が落ちている暗がりは、涼を求める水馬たちで大混雑。
通勤ラッシュ時の新宿駅。
と言った様相で、押し合いへしあい。

日陰の水馬と言うのは、左程、面白味も無かったのだが、
明るい場所にいる水馬は、面白い。
水馬では、何度も詠んでいるが、今日、改めてそう感じた。
「表面表力」だとか「油に似た液体」なんて言う、
水馬の浮力の秘密を解き明かしてしまうと、野暮ったいが、
水面でのあの動きは、見飽きない面白味がある。
明るい場所では、それが、鮮明に分かる。

水面を滑る姿は、アイススケーターのようである。
時折、跳てゆくものは、フィギュアスケーターさながらの、演技力。
水面に広がる水輪、その下に生まれる影。
水馬が動く、その下には、動く水と動かぬ水。
そして、あの六本の足の下と、水の上の間には、
何か、人間の知らざる力が働いているような気がした。

そう言う、私たちの知らざる力。
と言うのが、自然には大いにあるのだろうな、と感じる。
「今の子はさぁ、学校送り迎えの子が多いからさぁ、
自然と接する機会が、少ねぇじゃん」
とは、先生の談。
翻って考えると、私たち現代人も、その生活の中で、
自然に接する機会、自然の神秘的な力に触れる機会が、ことごとく少ない。
俳句をやっていなかったら、水馬など、まじまじと見ないものな。
しかし、あめんぼが「水」の「馬」とは、上手い事言う。

【天候】
朝より炎天の猛暑日。
夜半に一時雨降るも、蒸し暑い夜。

1268声 のっぴきならない季節

2011年06月21日

夏めく。
梅雨の中休みとなった今日は、まさにそんな陽気だった。
こうなって来ると、毎年懸念されるのが、巷で出くわす「昼麦酒」である。

群馬県内は気温30℃を越える、夏日。
湿度が高く、べたべたと、纏わり付く様な不快な暑さである。
そんな折、昼食で涼を取ろうと、道すがらの蕎麦屋に入った。
ほぼ満席の店内で、案内された相席のテーブルに着く。
向かいは、勤め人風ではない、カジュアルな格好のおやっさん。

ざる蕎麦を注文し、おしぼりで顔を拭う。
おしぼりから、視線を移すと、向かいのおやっさんの前。
今し方運ばれて来た、良く冷えた瓶麦酒が一本と、
おそらく、揚げたてであろう、カラリとした天麩羅盛り合わせ。

浅くくびれた、小さなグラスに、「トクトクトク」と、黄金色の麦酒を注いで行く。
みるみるグラスに生まれてゆく、細かい水滴。
純白な泡の、グラスから毀れ落ちぬ弾力。
それを、一気に飲む。
おやっさんの喉ぼとけが、ゆっくりと大きく上下する。
グラスを置く、注ぐ、また飲んで、天ぷらに箸を伸ばす。

拷問である、もはや。
こしの無い蕎麦をすすりながら、ひたすら、心頭滅却することに徹する。
もう蕎麦の味など、どうでもよくなって、伝票を鷲掴んで、
逃げ出す様に席を立つ。

レジで会計を済ませ、一安心。
と思いきや、目に入ったのは、レジの後ろに貼ってある、
一枚の色褪せたポスター。
若い女性モデルが、砂浜でキンキンに冷えていると思しき、
ビールジョッキを持って、こちらに微笑んでいる。
放心状態で、ポスターに見とれていると、
女将さんが邪魔くさそうに、私の前を横切る。

冷蔵庫から出した瓶麦酒を、机の上に置いた。
置かれた席には、空の瓶麦酒が一本と、
海老の天に齧り付いている、おやっさん。
今年もいよいよ、麦酒愛好者にとっては、
のっぴきならない季節の到来である。

【天候】
梅雨の中休みで、真夏日。
雲多く、晴れ間は少ないが、蒸し暑さ甚だし。

1267声 禍が転じる文化

2011年06月20日

一年間の半分の降雨量が、およそ十日間で観測された。
と言う、十八年ぶりとなる、記録的な豪雨。
九州を中心とした、西日本で、今尚、降り続いている。
そこで懸念されているのが、これから梅雨入りを迎える、東北地方。
長雨が続くと、その年は冷夏になってしまう。
かと言って、電力需給を考えれば、暑くなるのも歓迎しがたい。
低温無事、いや、平穏無事に今年を暮らせればよいと思うが、
2011年と言う、この不気味なピンゾロの年の目。
しかし、後半戦。
禍を転じて福となせる筈である。

「銭湯」
と言われると、関東地方に住む私たちの中では、
寺社仏閣のように荘厳な外観を思い浮かべる人が、多いだろう。
これは所謂「東京型」の銭湯で、関東大震災の復興時期から、
昭和の中期くらいまでにその多くが建てられた。
まさに、震災が生んだ文化と言っても過言ではない。

「禍を転じて文化となす」
今回の震災だって、転じて生まれて来る文化が、多くある筈である。
それは、必ず東北地方、特に被災地の、財産になる。
その文化を転じて、福となせる。
さて、まずは、今年。

【天候】
終日、曇天。
蒸し暑さ甚だしく、寝苦しい。
蛍が、よく飛びそうである。

1266声 ジョウモウ大学オープンキャンパス

2011年06月19日

「オープンキャンパス」
学生生活が遠い昔になってしまった身としては、
とても懐かしい言葉である。
最も、不真面目な私は、学生時分も、
オープンキャンパスなど一校も行った事が無かった。
その、自身初となるオープンキャンパスに、昨日、参加する機会を得た。

その学校の名は、「ジョウモウ大学」と言う。
校舎があって、そこへ通う。
と言う形ではなく、寺や公民館や街中のカフェなど、
その授業毎に教室を変えて、授業が開催される。
入学金や授業料は一切なく、誰でも生徒になれて、
誰でも先生になれるのである。

今回のオープンキャンパスは、高崎の街中にある、
商業ビルの一階で行われた。
およそ三時間の授業だったが、時間の経過を忘れるくらい、
授業に集中できた。
年代性別も多様、一番下は現役の大学生の諸氏も参加していた。
「群馬を世界に自慢したくなる街に。」
と言う、この大学のコンセプトを軸に、対話型の授業を進めて行く。
この空間はいま、貴重な世代間交流の場であり、
それだけでも大いに意義のある事だと感じた。

「楽しい学問」
オープンキャンパスを終え、そんな事を思った。
成績順に評価を受けるのでなく、面白かったら拍手を送る。
拍手の鳴り響いていた教室に、
面白い群馬の未来が見えた気がした。
学長の橋爪さんは言う。
「この街の生活の中に、普通に、根付いている場になれば」

何だか、新しい友達が増えたような、好きな人ができたような。
そんな、ワクワク感が生まれている。
「ワクワク感」こそ、世界に自慢したくなる、と言う重要な動機だと思う。
七月二十三日土曜日。
ジョウモウ大学は開校する。

【天候】
終日、曇り。
蒸し暑く、梅雨らしい天気。

1265声 あと一杯

2011年06月18日

「さて」
と、何回言っただろうか。
遅刻の予感がする、午後一時半。
集合時間は三時。
とすると、いま直ぐ家を出なければならない。
どうにも、この梅雨時は、出掛けるのが億劫になる。

尚且つ、蛙がきしりに鳴いていると言う事は、
天気が下り坂な予兆。
自転車で出かけようと思っているので、
これも、出掛ける足を重たくしている原因のひとつ。

取り立てて、何と言う事はない、土曜日の午後。
気付けば、庭の山帽子の花は全て散っていた。
その周りを、山帽子の花の様な夏の蝶が、元気よく飛んでいる。
さて、あと一杯珈琲を飲んだら、出掛けよう。

【天候】
終日、曇天。
午後から下り坂。