日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

1240声 オヤジオンナノジダイ

2011年05月24日

この前まで青んでいてた麦が、もう色づき始めている。
高崎界隈の麦畑はもう、麦秋と言った具合である。

昼飯時、行きつけとしている、うどん屋へ寄った。
店内、とても混雑していた。
夏場は、みな冷たいものが食べたくなるようで、
巷のうどん屋や蕎麦屋が、特に混む傾向があると感じている。
このうどん屋でも、九分九厘のお客さんが、
冷たいかけうどんや、もりうどんなどを注文していた。

カウンターの隅で、もりうどんを啜っていると、ふと、気が付いた。
味の変化に、である。
先の震災以降、何度かこの店に訪れているのだが、
その都度、味の変化の機微に気付がつく。
変化しているのは、麺。
以前は、ボソボソと、歯ごたえのある食感で、風味が強かったのだが、
今日の麺は、若干であるが、つるつるとして、風味が弱い。
所謂、讃岐風なうどんに、近づいている。

小麦粉の業界にも、多少なりとも影響があるのだろう。
と推察するが、そんな味の機微には関せず、まずは、この味に慣れる。
と言うのが、常連に必要な事。

この店の常連は、見掛けるところ、およそ八割が男なのだが、
二割くらいは女性がいる。
つまりは、そう言うような雰囲気の店、なのである。
その二割の中で、更に選りすぐれば、二十代と思しき女性が数名いる。
その内の一人なのであろう、近所の会社の事務員風な女性が、
今日も来ていた。

驚きべきはその女性の、食べっぷり。
セルフサービスの天ぷらを3枚、もりうどんの上に押し込んで、
豪快に食べてゆく。
完食したところで、徐につまようじを取り、歯間をツンツンと、
小気味良く刺している。
その腹の据わった食後の寛ぎスタイルは、もはやおじさん顔負け。
昔のバンカラのように、口に楊枝を刺したまま、私の横を通り過ぎて行った。
これから肩で風を切って巷を闊歩するのは、女性かも知れぬ。
などと、うどん屋の店内。
私の横にあるテレビの中の被災地で、ボランティアに精を出しているのも、
また、二十台の若い女性である。

【天候】
朝より雨。
午後には止み、その後、天気は回復。
日中、晴れて蒸し暑し。
夜になると、長袖では涼しいくらい。

1239声 梅雨の湯

2011年05月23日

「リセット」
しなきゃだな。
と思い立って、メモ帳とペンをポケットに、近所の公園へ。
メモ帳とペンてぇのは、俳句を書き留める為。
自然の中を歩きながら、句を推敲していると、
これが意外と、気分転換になる。
つまりは、リセットできるのである。

その方法は、人それぞれ。
私みたいに、「自然に触れたい」
と思う方もいれば、「人波に流されたい」
と、思う方もいる。
はたまた、あのパチンコ店の喧騒の中で、
パチンコ台に流れて行く玉を見つめていると、
「無心になって、とてもリセットできる」
と言う人だっている。

そう考えると、多くの日本人にとっての、「風呂」。
ってのは、一日の生活中で、とても重要なリセットポイントである。
風呂上がりの、あのすっきりとした感覚は、
まさしくリセット後の爽快感に他ならない。

子供の頃は、「リセットしなきゃだな」なんて、思った事もない。
それは、心のろ過装置の稼働率が良かったのだろう。
大人になって来るにつれ、その稼働率が甚だ悪くなる。
すぐに、老廃物が溜まってしまう。
そうなると、体が、心中環境の正常化を求めてくる。
それを捨て置いてしまうと、気持が萎えたり、病気になってしまうのだろう。

だからこそ私は、行き場を無くした東京で入った銭湯に、
魅せられてしまったのかも知れない。
大人の入り口でつまづいていた私を、
あの下町の熱い湯が、リセットしてくれた。
もっとも、リセットし過ぎて、群馬県に帰郷してしまったが。

今日みたいな、雨。
と言うのもまた、リセットポイントだと思う。
そう考えると、これから始まる梅雨の時期てぇのは、
大いにリセットできる期間なのではなかろうか。
その後には、あのギラギラの夏が控えている。

丁度、銭湯で汗を流してから、酒席に参加する。
と言った具合であろう。
先週の私が、伊勢崎市の寿美乃湯でひとっ風呂浴びてから、
酒席に参加したように。
これから始まる陰鬱な梅雨の期間に、世の塵を洗い流して、夏を迎える。
そうすればきっと、麦酒の味は、格別であろう。

【天候】
朝より、終日、雨。
走り梅雨にはいっている模様。

1238声 醤油の色は夜の色

2011年05月22日

いま、隣の人から廻って来たお猪口。
中に入っているのは、日本酒。
ではなくて、醤油。
そこに人差し指を突っ込んで、指ごと、醤油を舐める。
そして、日本酒が入っているお猪口を、口に運ぶ。
つまり、醤油を肴に呑んでいるのである。

「醤油ナイト」
と言う催しが、昨晩、ほのじで開催された。
読んで字の如く、「醤油」づくしの、一晩を過ごそう。
と言う、至極、単純明快な集まりである。
プレゼンターとしていらしたのは、「職人醤油」社長の高橋万太郎氏。
始まってまず、日本列島津々浦々で醸造されている、職人仕立ての醤油を、
それに合う、様々な料理で味わう。
バイキング形式の机の上には、あくまで、「醤油に合う」。
と言う視点で、醤油を主役に抜擢した、料理の数々が並んでいる。

一つ一つ、キャラクターの違う醤油。
「アボカドには、これ」
「刺身にはこれで、卵かけご飯には、これ」
と言う風に、楽しみ方は千差万別。
スーパーで貰える、無料の刺身醤油が美味い。
と思っているような、鈍感な、いや、おおらかな味覚を持つ私でも、
各醤油の味の機微に、驚いた。

小林頼司君の、アコースティックな演奏が終わる頃には、
私の周辺の一部、すでに、心地好く酔っていた。
それは、彼の歌が、醤油に合っていた、と言う事が大きく起因している。
つまみに醤油、カレーに醤油、シフォンケーキに醤油、飛び交う話も醤油。
しょっぱい奴らが、更に、しょっぱくなって行く。
夜も更けて、最終的に、お猪口に様々な醤油を入れて、廻し飲み。
ならぬ、廻し舐め。
醤油の色は夜の色。
お猪口の中で鈍く光っている醤油は、
妖しげな夜の色をしていた。

「この醤油はなんですか」
なんて、食事をした際に、思わず聞きたくなってしまうような、
いま、そんな心持でいる。

【天候】
朝から薄曇り。
午後から風、雨。

1237声 中間報告

2011年05月21日

いま、太陽は、南中高度と言う時刻。
部屋の温度計は、30℃丁度を計測している。
したがって、蒸し暑い事、甚だしい。

今日は、朝からパソコンにプリンターを設置して、ガチャガチャと、
用紙を突っ込んだり、出したりしていた。
午後に、県立女子大で群馬学リサーチフェローとしての、
中間報告と言うものを行うからである。

「中間報告」
と言うからには、何か、研究内容の発表と言う一席を、
打つことになる。
しかしながら、この貧弱な内容を発表する姿を思い浮かべると、
極度に気が滅入って来る。

今日は蒸し暑い、銭湯日和の日。
発表が終わった後は、ほのじへ行こうと思っている。
「醤油ナイト」と言う、催しがあるからである。
伊勢崎市なので、久しぶりに、寿美乃湯へでも、行こうか。
番台の親父さんは、いつものように、
「お熱つぅございます」
と言ってくれるだろうか。
いつものように、湯が温いのだろうか。
いつものように、メイトーの瓶牛乳があるのだろうか。
そしてまた、ほのじには、いつものメンバーが来るのだろう。

【天候】
終日、晴れて蒸し暑し。

1236声 わたしのシーソー

2011年05月20日

現在時刻は、午前一時。
書き終わる頃には、おそらく、二時近くにになっているだろう。
机に座り、パソコンに向かい始めたのが、確か、午後九時。
早、四時間も経っている、と言う事実に、目を擦りつつ、
いささか愕然としている。

兎も角、俳句から打って行こう。
てぇ事で、まず、俳句帳に記載してある俳句を打ち始めた。
この作業は、俳句帳に手書きされている俳句を、
パソコン内に保存する為、思い付いた時に行っている。
しかしながら、悪筆甚だしい我が俳句帳に、大苦戦してしまった。
二日酔いのミミズがのた打ち回ったような、奇妙な文字の羅列。
「五、七、五」
と、数えながら一句づつ打っている始末。

その中から、先生の選を仰ぐ句やら。
一寸、気の利いた句やらを、選り分けてゆく。
改めて見返すと、どっかの誰かが作った様な、駄句ばかり。
自分の言葉、で詠めている句の、なんと少ないこと。

「集中し過ぎ」
と言う事は、以前から感じていた事だが、
どうも、書き始めたり読み始めたりすると、時間の経過を忘れてしまう。
そして、こう言う集中の仕方は、とても効率が悪い。
と言う事も、痛切に感じている。
考えがまとまらないと、三十分でも小一時間でも、阿呆顔で考えてしまう。
そのくせ、集中できない時は、一切駄目。
緊張と緩和が保てない、その心の動きは、まるで、バランス悪いシーソー。
毎日、コンスタントに仕事をこなせる人と言うのは、このシーソーのバランスが、
絶妙なのであろう。
そう言う人は、その作の良し悪しは別として、文筆作業に向いていると、思う。

墨汁を一滴垂らして、それを、水を付けた筆で伸ばして書く。
文末まで来て振り返ると、そんな、薄い内容であるが、仕様が無いのである。
「バタン」
と、シーソーが倒れから、書き出したのだから。

【天候】
終日、晴れて、蒸し暑し。
全国的に夏日で、館林市では31℃を観測。

1235声 夏の橋の欄干

2011年05月19日

信号待ちの列。
ジリジリと、車内を照りつける夏の日差し。
エアコンの目盛りは最大。
噴射口からの風は冷たいが、
車内に充満している熱に、すぐに飽和してしまう。
感度の悪いラジオは、つい先程から、
ノイズばかりを吐き出している。

さて、青になる。
と言うところで、交差する前方の道路。
サイレンを鋭く鳴らしながら、猛スピードで、
右折して行くパトカーが、二台。
「事故かしら」
と思いつつ、青信号に従って、車列が進んで行く。

前方は、橋になっている。
どうやら、その橋の中腹で、サイレン音が止まった様子。
橋の入口まで来て見ると、やはり、中腹に停まっているパトカーが二台。
袂付近では、何やら、不安そうな顔で、橋の先を見ている野次馬の姿。

事故車らしき車が見えた。
見えて、その黒いワゴンとすれ違った。
進行方向に向かって逆走する格好で、路肩に停めてある。
停めてあるのは一台なので、単独事故だろうが、
特に目立った外傷は見当たらない。
しかし、その先、であった。

進行方向、左の欄干。
等間隔に付いている、街灯。
その支柱に、群がっている警察官が四人。
群がる警察官たちが、血相変えて掴んでいるのは、一人の女性。
つまりは、その女性。
橋の欄干に腰掛けて、左手を街灯の支柱に回していた、のである。

「飛び降り」
瞬時に連想して、おそらく外れてないだろう、と思った。
五十がらみの、どちらかと言えば派手な、水商売を思わせる女性。
警察官に掴まれながら、欄干に平然と腰掛けている、その女性。
橋の下には、市内でも有数の一級河川が、流れている。
落ちれば間違いなく、と言った状況である。
女性の、瞳。
不意に名前を呼ばれた人のような、邪念の無さそうな眼光をしていた。

私の車は、流れる車列に従って、その現場を通り過ぎた。
バックミラーの中で、小さくなって行く光景。
警察官がたちが、その女性を欄干から引き吊り下ろしたところで、
見えなくなった。
ラジオからはいつしか、鮮明な音質で、一昔前の唄が流れていた。

【天候】
終日、晴れて蒸し。
熟れた様な、月がしたたる。

1234声 画鋲のような夏の月

2011年05月18日

ツイッター。
なるものをやり始めてから、丁度二ヵ月くらい経つ。
ツイッターを始めるのは、ごく簡単で、アカウントを取ってつぶやけば、よい。
入口としては、ブログなどより、単純明快である。

そのアカウントは、この「めっかった群馬」として取ってある。
即ち、つぶやいている人間は、二人。
堀澤の時は(ほ)、抜井の時は(ぬ)、と言う事で、やっている。

見ている方が楽しい。
と感じている様では、まだまだ、
ツイッターを使いこなせていないのだろうが、
自分がつぶやくよりも、他人のつぶやきを見ている方が楽しい。
楽しいし、楽しくない場合も、ある。
こと、震災下からの、この二ヵ月。
様々な情報が、ツイッター上に錯綜していた。
まさに、つぶやきの坩堝である。
いや、坩堝ならば、溶けて混ざららなくてはならないが、
つぶやきひとつひとつが、溶け、混ざりあう事はないので、
正確には坩堝と言えない。

しかし、ひとつのつぶやきが、溶け、混ざり合う事もしばしばある。
どっかの誰かが、「月が出ている」とつぶやいた。
それを見て、別の場所にいる誰かが、「月が赤い」とつぶやいた。
赤い、とつぶやいた人は、おそらく、外に出て、または既にいる状態で、
ツイッター画面でつぶやきを発見し、夜空を見上げたのであろう。
そして、あの、熟れた様な夏の月を見て、感じた事を、つぶやいた。

その後も、ツイッター上では、「月」に関するつぶやきが、
連鎖するように多数あった。
そこが、ネオンきらめく都会なのか、街灯もないような田舎、
なのかは分からないが、皆、夜空を見上げていた事は確か、である。
かく言う私も、そのツイートを見て、カーテンを開けて、窓を覗きこんだ。
そこには、確かに、少し赤みを帯びた、夏の月。
思わず、一句ひねって、句帳に書き留めた。

坩堝の中で、溶けて混ざり合わぬつぶやきは、
人を不安にさせたり、陥れたり、中傷したりするものも、ある。
そう言うのは見ていて、嫌。
しかし、それも含め、この坩堝の中を、もう少し見ていたい。
と言う心持で、いる。
俳句をひねったり、何か、着想を得るきっかけとなる事もある。
感心したり、感動したり、することも、ある
月が出ている事をつぶやく。
なんてさ、ちょっと、良いじゃないか。

【天候】
終日、快晴。
晴れて、蒸し暑し。

1233声 雨に燃える

2011年05月17日

いよいよ、走り梅雨であろうか。
今日は午後から、雨。
じめじめと、如何にもこの時期特有の、蒸し暑い雨である。

分け入っても分け入っても、などと山頭火ではいが、
青い山を分け入って、向かった先は、上野村。
村内、桜は流石に散っているが、至る所で、
山つつじが、燃える様に咲いていた。

雨の山。
それも、特にこの夏の時期。
鼓動、と言うか、息吹き、と言うか、そう言った生命感を、
雨の山から感じる。
折り重なる遠山は、けぶれており、花の色は鮮やかになり、
あまねく、山の香りに包まている。

集落の小道。
塀の脇には、鮮烈に咲いている、山つつじ。
花に置く、雨粒の中で、その色彩が燃えていた。

【天候】
朝より晴れ。
午後になり、雨、時折、強し。
夕方には止み、その後は薄曇り。

1232声 自腹の優しさ

2011年05月16日

「だから、好き」
携帯電話での通話を終了して、そう思った。
或る女性との会話。
では無いのが残念だが、通話口の向こうにいたのは、
銭湯の親父。
私がお世話になっている。
桐生市に在る、銭湯の大将である。
そう、だから私は銭湯が好きなのかも知れない。
と、改めて実感した。

用件は私の本の関連だが、その会話を足早に終え、
大将が、自身の取り組みの事を教えてくれた。
「取り組み」ってのは、「イベント」、ないしは「催し」とでも言おうか。
つまりは、銭湯が活気づく、「試み」でもある。

先の「子供の日」には、銭湯へ来てくれた子供に、ジュースをあげたり。
「敬老の日」には、割引やイベントをやったり。
そう言う事を継続的にやっている事は、以前から知っていたのだが、
今回感心したのは、震災支援の事、である。
地域の銭湯組合で音頭を取って、被災地に義援金を送ったり、
被災者の方々へ、入浴券を配ったり。
まさに、日本の銭湯文化に息づいている、「さりげない優しさ」、である。

「来てくれるかどうか、分かんねぇけどさ」
なんて大将は言っていらしたが、その優しさは、
相手に必ず伝わっている筈である。
私は、共感する。
その支援活動に、ではない。
それには、その大将の行動力には、深く感心している。
共感を覚えているのは、様々な場面において、
「自腹でやる」
と言う、大将の姿勢、である。

【天候】
終日、快晴。
ぼんやりとした青空で、蒸し暑し。

1231声 スワンボート

2011年05月15日

湖の上には、スワンボートが4、5艇浮かんでいる。
岸から出て行くボートに、岸へ戻って行くボート。
ボートの後から出て来る水が、夏の日を浴びて、輝いている。
若葉が萌えている木陰の下。
ベンチに座って、ぼんやりと、湖を眺めていた。

三ッ寺公園。
と言う、この郊外の公園は、今も私が子供時分に見ていた風景と、
左程、変わっていない。
近頃は、子供を連れた若い夫婦が増えた様に思う。
それも、自分が子供だったので、当時は子連れの夫婦など、
目に入らなかっただけかも知れない。
ともあれ、園内には、湖や庭園や川や遊具など、懐かしい自然風景がある。

釣竿や虫取り網を持って、来ていた時分。
まさか自分が大人になってから、俳句帳をもって、
この公園に遊ぶとは、思いもしなかった。
日盛りの公園内を観察していると、様々な発見がある。

そう言う施設の方々だと思うが、
車椅子のお年寄りなどを連れた一団が、散歩をしている。
湖の畔で、水筒を出し、皆、気持好さそうにお茶を飲んでいた。
噴水では、殆ど裸になった子供等が、飛び散る水と遊んでいる。
見守りながら、時に鋭い声で注意しているお母さん。
明日の仕事の事など考えているのだろうか。
木陰に座ってぼんやりとしている、お父さん。
来ている若い夫婦の年齢が、ともすれば、私よりも皆、
年下に見えた。

まさに、老若男女。
公園の自然で、午後のひと時を、憩うている。
自販機で買ったコーラを飲みつつ、園内をほっつき歩いて、
そんな光景を眺めている、私。
俳句帳に句を書き込んでいると、怪しい、のだろうか。
夏の木洩れ日の如く、時折、刺さる、すれ違う人の鋭い視線。

暖かな風に眠気を誘われ、帽子を顔の上に乗せて、
一寸、ベンチに横になっていた。
ふと、気が付けば、風が、微かな湿り気を帯びていた。
帽子を取って、起き上がると、夕焼けが始まったばかりの空。
湖の上に動いていたスワンは、皆、桟橋に繋がれ、
さみしげに揺れていた。

【天候】
晴れて暖かな一日。
風も少なく、穏やかな行楽日和。

1230声 夜中のサイレン

2011年05月14日

サイレンの音、である。
だんだん、こちらに近づいてくる。
近くまで来て、止まった。

カーテンを少し開けて、窓から夜の闇を見てみると、
家の前の路。
ゆっくりと前進で入って来る、一台の、白い大きな車。
白い車、ったって、あれは、赤色灯を回した救急車ではないか。

「ついに年貢の納め時か」
などと、訳の分からぬ感情が湧きだして来て、
「万事休す」と、何故だか気持ちの上で腹を括った。
一挙に高鳴る鼓動を聞きつつ、カーテンの隙間から、
救急車の動向を見守っている。
救急車からは、救急隊員と思しき人が一人降りて来て、
庭先に入ってきた。

「もはやこれまで」
と思い、急いで玄関まで行き、扉を開けて、外へ出る。
そして、軽く会釈し、玄関先へと、救急隊員を迎え入れた。

こちらへ歩み寄って来る、救急隊員。
「お縄を頂戴いたしやす」
じゃなかった、
「どうしたんですか」
と聞いてみると、その救急隊員。
「○×△と言う施設は、この辺りですか」
それは、最近、近所に出来た所謂、デイサービスの施設の名であった。
「それなら、そこの角曲がった先、すぐそこですよ」
と、一件落着。

近所の人たちは、おそらく、私が救急車で運ばれた。
と、勘違いしている人もあろう。
しかし、何故、私の家に来たかは、不明である。
ここ最近、何かにつけ、こう言う風に、巡り合わせが良くない。

施設の入所者で、具合の悪い人が出たのであろう。
人の事、と言う程度の心配をしながら、家へ戻った。
その後、床に着くまで、再びサイレンが鳴る事は無かった。
帰る時にサイレンを鳴らさない。
と言うのは、どう言う事だろうか。
そんな事を考えつつ、寝てしまった。

【天候】
終日、五月晴れ。
午後より風若干、豊かなる夕焼け。

1229声 床屋と銭湯

2011年05月13日

鼻の具合も、ほぼ完治と言えるほど、良くなった。
そろそろかな、と思っているのが、床屋と銭湯、である。

まず、床屋。
私のいきつけは、町の小さな床屋。
床屋で鼻の心配をする事もなかろう。
と思うかも知れないが、床屋では顔を剃る。
顔を剃る時に、蒸しタオルをのせて、髭を蒸らす。
そこまでは良いのだが、髭を剃り終わった後に、
大体の床屋がそうだと思うが、さっきの蒸しタオルで、顔を拭く。
その時、である。
「グキッ」と、また鼻が曲がってしまったら。
と言う、疑心暗鬼の念が胸に有り、中々、床屋へ足が向かなかった。
お陰で、髪は伸び放題伸び、清潔感を欠く、容姿になっている。
髪が伸びたところで、一向にデカダンな雰囲気が醸し出ず、
只、根暗な印象だけが強調されているので、一刻も早く、切りたい。

「一寸、鼻は気を付けて下さい」
とかなんとか、床屋の大将に一言で済むのだろうが、
その一言を言うくらいなら、行かない方を選ぶ。
私の思考回路は、そう言う風になっている。

次に、銭湯であるが、これは単純である。
熱い、と、痛い、のである。
銭湯の気持好さは、あの熱湯にじっくりと浸かる事で、体感できる。
鼻を気遣って、鴉の行水の如く、入浴するくらいなら、いっその事。
と、また、そう言う風に思考回路が働いてしまう。

しかしながら、明日くらいには、そろそろ銭湯へ出掛けて見ようか。
そう言う心持でいる。
夜に一軒、酒席が入っているので、ひとっ風呂浴びて行くには、丁度良い。
風呂上がりの一杯は、相当、「キ」くので、いささか怖くもある。
千鳥足になって、暗がりで鼻を「ガツン」。
これだけは、避けねばならぬ事態である。
それを凌駕するのが、「キ」いた後の、心地好さ。
最近の様に、気候が暖かくなってくれば、尚更の事。
なので、やはり、床屋にはいけなくとも、ひとっ風呂で決まりである。

【天候】
雲多くも、終日晴れ。
蒸し暑く、群馬県内でも軒並み、最高30℃以上を観測。
今年初めて、湧き上がる夏雲を見た。
もっとも、まだ随分、雲の峰が小ぶりだったが。

1228声 青い麦畑

2011年05月12日

寒暖の振れ幅が大きく、体調を崩しがちな日が続いている。
不安定な気候は、人心の均斉にも影響するようである。
それ故なのか。
今日は、思わず溜息を漏らしてしまうようなニュースが、続いた。

都の方、である。
6億円が強奪されたり、今をときめく若いアイドルが、
自から命を絶ってしまったり。
そして今、雨をしのぐ傘を持っていない人がいたり。

車の中で済ませた。
今日の昼飯を、である。
昼時の田舎町にいたのだが、車を走らせ、
適当な食堂を探すのも億劫だったので、コンビニでパンなどを買った。
「村の鎮守様」
と言った具合であろう。
田圃の中に社を見つけたので、
その脇の小道に車を停めた。

一旦停めてから、バックして、向きを変えて、
またバックして、向きを変えて。
そんな事を、二三回、繰り返した。
どうも、車の向きが定まらなかったのである。
普段なら、太陽が出ているので、日差しを避けて駐車する。
それが、今日の雨降りで、適当な位置を見つけられなかった。

窓の景は、青い麦畑。
ドーナツを齧りながら、ラジオを聞いていると、
また別の、ニュース。
どうも何だか、依然として、位置が定まらぬような気がしている。
一面の麦畑のどこかが、絶えず、さわさわ揺れていた。

【天候】
終日、降ったり止んだり。
気温が低く、肌寒い一日。

1227声 雨の表情

2011年05月11日

感覚的なものなのだろう。
夏の雨ってのは、なんだか、その雨音が聞きたくなる。
室内に居る時など、窓を開けて深呼吸し、
雨の音を聞きながら、雨の匂いを肺一杯に入れたい。
などと思う事が、しばしばある。
ひとえに「夏」、と言っても、それは「初夏」。
まさしく、これを書いている、今時期から梅雨時と言う事になる。

気候が暖かい。
と言う事もあるのだろうが、雨の表情が豊か、だからではなかろうか。
殊に今時期、つまり菜種梅雨から五月雨に移行し、梅雨に入る時期。
先程まで、霧雨かと思っていたら、次の瞬間には、激しく屋根を叩いている。
そして、何かに気を取られている隙に、小糠雨くらいに、落ち着いている。
感情の起伏が激しい、と言うか、表現力に富んでいる。

今日は句会の日で、丁度、雨天での句会となった。
ひとえに「雨」、と言っても、それは、なんであろう。
霧雨か、小糠雨か、細雨か。
菜種梅雨か、五月雨か。
自然の、その機微を五七五で捉えてこその、俳句であろう。
なんて、まだまだ、俳句初学の位置にいる私が、
偉そうに述べている。
俳句に限らずとも、生活の中で、例えば他人と会話をしていても、
そう言った機微を、捉えてゆきたい。

雨にも、光にも、緑にも、そして人にも、まだ春のやわらかさが、
残っている様に感じた。

【天候】
終日、雨降り。
夜半になって、一時的に止む。

1226声 その後の自転車

2011年05月10日

「さて、どうしたものか」
腕組みして、いま、悩んでいる。
月始めだと言うのに、早くも金の工面に困っている。
と言う事ではなく、
売れ残りの本が今月、大量に書店から戻って来る。
と言う事でもない。
私の愛車である、自転車の事、なのである。

先月の、或る深夜。
電柱に激突した際に、自転車が破損してしまった。
自分の体の方も破損してしまったので、
まずは、病院へ行き、体の方を治した。
それが大分癒えて来たので、次は自転車、と考えている。

自転車の破損状況は、
まず、ハンドルに取り付けてあるライトが、全壊。
次に、ハンドルのゆがみ。
そして、当時の衝撃が一番顕著に出ている、左ブレーキ部分の大曲。
ハンドルが横一文字なので、ブレーキ部分が、
電柱と直に衝突してしまったのである。

壊れたライトは、買いかえれば良い。
ゆがんだハンドルは、ナットを調節して直ぐに戻せる。
問題は、大きく曲がってしまったブレーキである。
ブレーキのあの掴む部分が、ぐんにゃり、となっているので、
修理しようにも、その方法が分からない。
そのままでも、走行に支障はないし、現在、たまに乗る事があるのだが、
「事故車」然としていて、何とも、心持が悪い。

いっその事、新車を。
たって、体の修理費の方がかさんでしまって、それどころではない。
この自転車だって、近所のショッピングセンターの、「無印良品」で、
Tシャツを買う様な感覚で、衝動的に買い求めた品である。
とても、安価だった。
しかしながらまさに、無印ではあるけれど良品の、自転車であった。

新車でも事故車でも、今後も自転車には乗るだろうな。
心地好いもの、風が。

【天候】
台風が接近している影響で、降ったり止んだりの曇り空。
晴れて、とても蒸し暑い。
全国最高気温は、静岡県の34℃。

1225声 紫外線治療器

2011年05月09日

終日、非常に蒸し暑かった。
毎年、ゴールデンウィークから梅雨前の、この時期。
急激に気温が上昇して、夏日になる。
人生三十年近くも生きているので、最近、四季の移ろいに、
「判例」を感じる事が、多くなってきた。

昼時。
食堂でラーメンを啜っていたのだが、
早、冷やし中華の登場が待ち遠しくなった。
汗を拭きつつ箸を運んでいると、隣の席の工員さん。

「で、最近はどうだい、腰の具合は」
「接骨院にちょくちょく行ってるよ、ほら、あそこの」
「あぁ、前に行ってたとこ、それで、治療は」
「ほら、あれ、あの紫外線治療器ってやつ、
あれを腰に当ててるだけなんだけどさ」
「赤外線だろ、それ、紫外線じゃ、おめぇ、真っ黒になるぞ、腰」

横で聞いていた私は思わず、ラーメンを鼻から吹き出し、
盛大にむせ返ってしまった。
日焼けサロンでもあるまいし、と心の中で、つっこんだ。
その作業服のおやっさんが、その紫外線治療器とやらを、
腰に当てている姿を思い浮かべてしまった。
しかしながら、「紫外線治療器」ってのも、何だか、夏らしさを感じる。
体には悪そうだが。
午後の入り日が満ちる店内も、何だか夏めいてきた。

【天候】
終日、薄曇り。
夏日で、蒸し暑い一日。

1224声 夜半の青嵐

2011年05月08日

巷では、今日で終了。
ゴールデンウィークが、である。
明日の月曜日、一挙に急増するのが、五月病患者であろう。
月曜日を待たずとも、今晩からその症状が出ている人も、
おそらく多い筈。
私もその末席に座っているので、そう思いたい。

朝から、いよいよ溜まってしまった、雑事を片付けようと、
腕まくりして意気軒昂座と、パソコンに向かった。
しかしながら、気分はもう、宿題の溜まった夏休みの小学生。
パソコンで打つ、一文字毎に、気分が鬱屈としてくる。
おまけに、気候も夏日で、半袖でも汗ばむくらいに、暑い。
もう、一切合財を放擲して、部屋を辞した。
それが、まだ、午前中の出来事である。

それからはもう、なし崩し的に日の過ぎて、気付けば夜半。
「瀧の上に水現れて落ちにけり」
は、後藤夜半。
こんな、間口の狭い稚拙な俳句ギャグを挟んでしまうくらいに、
集中力を欠いている。

結局、今日は何一つとして、雑事が片づかなかった。
投げやりな心持で、点けっ放してあるテレビの、
日曜洋画劇場など観ている。
今日の作品は、山田洋次監督の「おとうと」。
五月病予備群には、ちと、テーマが重たい。
しかし、気分が鬱屈している時。
気付けば、行間から鬱屈が滲みだしている本を、
手に取っている。
その結果、尚更、鬱屈が募る。

「これではいかん」
などと、その繰り返し、繰り返し。

【天候】
終日、晴たり曇ったりの、夏日。
午後になって、夜半まで続く、青嵐。

1223声 晴れの日

2011年05月07日

今日は車でひとっ走り、中之条町まで出掛けた。
ふるさと交流センター「tsumuji(つむじ)」で開催されている、
「はれのひ食堂」に行く為である。

今日は、二日間に亘って開かれる、この食堂の初日。
食堂のメニューは、福島県南相馬市の郷土料理である。
東吾妻町で避難生活をされている、南相馬市の方々と、
群馬県のサポートメンバー有志が協力し、腕によりをかけて作った、
一品揃いであった。
と少々、贔屓目な表現は、知り合いがやっている。
と言う事と、私が、郷土料理と言うか、田舎料理と言うか、
そう言う素朴な味が好きだから、である。

海産物が、ふんだんに入っている郷土料理。
と言うのは、海なし県に住む私にとって、とても新鮮であった。
鮭といくらを使った「はらこめし」や、秋刀魚で作ったハンバーグのような、
「さんまぽっぽ焼き」など食べて、やはり、「海があるっていいな」と感じた。
地酒や地ビール、はたまた地サイダーまで、福島県産のものが揃えられており、
細部に至るまでの、演出に恐れ入った。
全ての料理が、日本酒に合いそうな味わいだったので、
食事中、車で来た事を、いささか悔いた。

食べ終わって、直ぐに、高崎市の自宅まで帰って来た。
片道一時間と一寸。
電車や車で、何時間もかけて、一軒の銭湯へ入りに行くようになってからは、
ひとつの目的の為に移動する事が、苦で無くなった。
苦で無い、と言うよりは、その目的に一直線になり過ぎて、
感覚が麻痺しているのかもしれない。

料理一品づつの味わいを、丹念に描写して行きたいのだが、
私のおぼろげな味覚では、正確に美味しさが伝わらないので、止めておこう。
「はれのひ」ときて、「食堂」とくる、「はれのひ食堂」。
この名前が良いではないか。
「ハレ」の日も、「ケ」の日も、被災地に、また同じ平和な日常や、
楽しいお祭りの日が、戻ってくるはずである。
長い雨の期間の後の、晴れ。
その時、東北地方には、あまねく光が満ち満ちている事であろう。

【天候】
終日、曇天。
一時的に小雨。