日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

1233声 雨に燃える

2011年05月17日

いよいよ、走り梅雨であろうか。
今日は午後から、雨。
じめじめと、如何にもこの時期特有の、蒸し暑い雨である。

分け入っても分け入っても、などと山頭火ではいが、
青い山を分け入って、向かった先は、上野村。
村内、桜は流石に散っているが、至る所で、
山つつじが、燃える様に咲いていた。

雨の山。
それも、特にこの夏の時期。
鼓動、と言うか、息吹き、と言うか、そう言った生命感を、
雨の山から感じる。
折り重なる遠山は、けぶれており、花の色は鮮やかになり、
あまねく、山の香りに包まている。

集落の小道。
塀の脇には、鮮烈に咲いている、山つつじ。
花に置く、雨粒の中で、その色彩が燃えていた。

【天候】
朝より晴れ。
午後になり、雨、時折、強し。
夕方には止み、その後は薄曇り。

1232声 自腹の優しさ

2011年05月16日

「だから、好き」
携帯電話での通話を終了して、そう思った。
或る女性との会話。
では無いのが残念だが、通話口の向こうにいたのは、
銭湯の親父。
私がお世話になっている。
桐生市に在る、銭湯の大将である。
そう、だから私は銭湯が好きなのかも知れない。
と、改めて実感した。

用件は私の本の関連だが、その会話を足早に終え、
大将が、自身の取り組みの事を教えてくれた。
「取り組み」ってのは、「イベント」、ないしは「催し」とでも言おうか。
つまりは、銭湯が活気づく、「試み」でもある。

先の「子供の日」には、銭湯へ来てくれた子供に、ジュースをあげたり。
「敬老の日」には、割引やイベントをやったり。
そう言う事を継続的にやっている事は、以前から知っていたのだが、
今回感心したのは、震災支援の事、である。
地域の銭湯組合で音頭を取って、被災地に義援金を送ったり、
被災者の方々へ、入浴券を配ったり。
まさに、日本の銭湯文化に息づいている、「さりげない優しさ」、である。

「来てくれるかどうか、分かんねぇけどさ」
なんて大将は言っていらしたが、その優しさは、
相手に必ず伝わっている筈である。
私は、共感する。
その支援活動に、ではない。
それには、その大将の行動力には、深く感心している。
共感を覚えているのは、様々な場面において、
「自腹でやる」
と言う、大将の姿勢、である。

【天候】
終日、快晴。
ぼんやりとした青空で、蒸し暑し。

1231声 スワンボート

2011年05月15日

湖の上には、スワンボートが4、5艇浮かんでいる。
岸から出て行くボートに、岸へ戻って行くボート。
ボートの後から出て来る水が、夏の日を浴びて、輝いている。
若葉が萌えている木陰の下。
ベンチに座って、ぼんやりと、湖を眺めていた。

三ッ寺公園。
と言う、この郊外の公園は、今も私が子供時分に見ていた風景と、
左程、変わっていない。
近頃は、子供を連れた若い夫婦が増えた様に思う。
それも、自分が子供だったので、当時は子連れの夫婦など、
目に入らなかっただけかも知れない。
ともあれ、園内には、湖や庭園や川や遊具など、懐かしい自然風景がある。

釣竿や虫取り網を持って、来ていた時分。
まさか自分が大人になってから、俳句帳をもって、
この公園に遊ぶとは、思いもしなかった。
日盛りの公園内を観察していると、様々な発見がある。

そう言う施設の方々だと思うが、
車椅子のお年寄りなどを連れた一団が、散歩をしている。
湖の畔で、水筒を出し、皆、気持好さそうにお茶を飲んでいた。
噴水では、殆ど裸になった子供等が、飛び散る水と遊んでいる。
見守りながら、時に鋭い声で注意しているお母さん。
明日の仕事の事など考えているのだろうか。
木陰に座ってぼんやりとしている、お父さん。
来ている若い夫婦の年齢が、ともすれば、私よりも皆、
年下に見えた。

まさに、老若男女。
公園の自然で、午後のひと時を、憩うている。
自販機で買ったコーラを飲みつつ、園内をほっつき歩いて、
そんな光景を眺めている、私。
俳句帳に句を書き込んでいると、怪しい、のだろうか。
夏の木洩れ日の如く、時折、刺さる、すれ違う人の鋭い視線。

暖かな風に眠気を誘われ、帽子を顔の上に乗せて、
一寸、ベンチに横になっていた。
ふと、気が付けば、風が、微かな湿り気を帯びていた。
帽子を取って、起き上がると、夕焼けが始まったばかりの空。
湖の上に動いていたスワンは、皆、桟橋に繋がれ、
さみしげに揺れていた。

【天候】
晴れて暖かな一日。
風も少なく、穏やかな行楽日和。

1230声 夜中のサイレン

2011年05月14日

サイレンの音、である。
だんだん、こちらに近づいてくる。
近くまで来て、止まった。

カーテンを少し開けて、窓から夜の闇を見てみると、
家の前の路。
ゆっくりと前進で入って来る、一台の、白い大きな車。
白い車、ったって、あれは、赤色灯を回した救急車ではないか。

「ついに年貢の納め時か」
などと、訳の分からぬ感情が湧きだして来て、
「万事休す」と、何故だか気持ちの上で腹を括った。
一挙に高鳴る鼓動を聞きつつ、カーテンの隙間から、
救急車の動向を見守っている。
救急車からは、救急隊員と思しき人が一人降りて来て、
庭先に入ってきた。

「もはやこれまで」
と思い、急いで玄関まで行き、扉を開けて、外へ出る。
そして、軽く会釈し、玄関先へと、救急隊員を迎え入れた。

こちらへ歩み寄って来る、救急隊員。
「お縄を頂戴いたしやす」
じゃなかった、
「どうしたんですか」
と聞いてみると、その救急隊員。
「○×△と言う施設は、この辺りですか」
それは、最近、近所に出来た所謂、デイサービスの施設の名であった。
「それなら、そこの角曲がった先、すぐそこですよ」
と、一件落着。

近所の人たちは、おそらく、私が救急車で運ばれた。
と、勘違いしている人もあろう。
しかし、何故、私の家に来たかは、不明である。
ここ最近、何かにつけ、こう言う風に、巡り合わせが良くない。

施設の入所者で、具合の悪い人が出たのであろう。
人の事、と言う程度の心配をしながら、家へ戻った。
その後、床に着くまで、再びサイレンが鳴る事は無かった。
帰る時にサイレンを鳴らさない。
と言うのは、どう言う事だろうか。
そんな事を考えつつ、寝てしまった。

【天候】
終日、五月晴れ。
午後より風若干、豊かなる夕焼け。

1229声 床屋と銭湯

2011年05月13日

鼻の具合も、ほぼ完治と言えるほど、良くなった。
そろそろかな、と思っているのが、床屋と銭湯、である。

まず、床屋。
私のいきつけは、町の小さな床屋。
床屋で鼻の心配をする事もなかろう。
と思うかも知れないが、床屋では顔を剃る。
顔を剃る時に、蒸しタオルをのせて、髭を蒸らす。
そこまでは良いのだが、髭を剃り終わった後に、
大体の床屋がそうだと思うが、さっきの蒸しタオルで、顔を拭く。
その時、である。
「グキッ」と、また鼻が曲がってしまったら。
と言う、疑心暗鬼の念が胸に有り、中々、床屋へ足が向かなかった。
お陰で、髪は伸び放題伸び、清潔感を欠く、容姿になっている。
髪が伸びたところで、一向にデカダンな雰囲気が醸し出ず、
只、根暗な印象だけが強調されているので、一刻も早く、切りたい。

「一寸、鼻は気を付けて下さい」
とかなんとか、床屋の大将に一言で済むのだろうが、
その一言を言うくらいなら、行かない方を選ぶ。
私の思考回路は、そう言う風になっている。

次に、銭湯であるが、これは単純である。
熱い、と、痛い、のである。
銭湯の気持好さは、あの熱湯にじっくりと浸かる事で、体感できる。
鼻を気遣って、鴉の行水の如く、入浴するくらいなら、いっその事。
と、また、そう言う風に思考回路が働いてしまう。

しかしながら、明日くらいには、そろそろ銭湯へ出掛けて見ようか。
そう言う心持でいる。
夜に一軒、酒席が入っているので、ひとっ風呂浴びて行くには、丁度良い。
風呂上がりの一杯は、相当、「キ」くので、いささか怖くもある。
千鳥足になって、暗がりで鼻を「ガツン」。
これだけは、避けねばならぬ事態である。
それを凌駕するのが、「キ」いた後の、心地好さ。
最近の様に、気候が暖かくなってくれば、尚更の事。
なので、やはり、床屋にはいけなくとも、ひとっ風呂で決まりである。

【天候】
雲多くも、終日晴れ。
蒸し暑く、群馬県内でも軒並み、最高30℃以上を観測。
今年初めて、湧き上がる夏雲を見た。
もっとも、まだ随分、雲の峰が小ぶりだったが。

1228声 青い麦畑

2011年05月12日

寒暖の振れ幅が大きく、体調を崩しがちな日が続いている。
不安定な気候は、人心の均斉にも影響するようである。
それ故なのか。
今日は、思わず溜息を漏らしてしまうようなニュースが、続いた。

都の方、である。
6億円が強奪されたり、今をときめく若いアイドルが、
自から命を絶ってしまったり。
そして今、雨をしのぐ傘を持っていない人がいたり。

車の中で済ませた。
今日の昼飯を、である。
昼時の田舎町にいたのだが、車を走らせ、
適当な食堂を探すのも億劫だったので、コンビニでパンなどを買った。
「村の鎮守様」
と言った具合であろう。
田圃の中に社を見つけたので、
その脇の小道に車を停めた。

一旦停めてから、バックして、向きを変えて、
またバックして、向きを変えて。
そんな事を、二三回、繰り返した。
どうも、車の向きが定まらなかったのである。
普段なら、太陽が出ているので、日差しを避けて駐車する。
それが、今日の雨降りで、適当な位置を見つけられなかった。

窓の景は、青い麦畑。
ドーナツを齧りながら、ラジオを聞いていると、
また別の、ニュース。
どうも何だか、依然として、位置が定まらぬような気がしている。
一面の麦畑のどこかが、絶えず、さわさわ揺れていた。

【天候】
終日、降ったり止んだり。
気温が低く、肌寒い一日。

1227声 雨の表情

2011年05月11日

感覚的なものなのだろう。
夏の雨ってのは、なんだか、その雨音が聞きたくなる。
室内に居る時など、窓を開けて深呼吸し、
雨の音を聞きながら、雨の匂いを肺一杯に入れたい。
などと思う事が、しばしばある。
ひとえに「夏」、と言っても、それは「初夏」。
まさしく、これを書いている、今時期から梅雨時と言う事になる。

気候が暖かい。
と言う事もあるのだろうが、雨の表情が豊か、だからではなかろうか。
殊に今時期、つまり菜種梅雨から五月雨に移行し、梅雨に入る時期。
先程まで、霧雨かと思っていたら、次の瞬間には、激しく屋根を叩いている。
そして、何かに気を取られている隙に、小糠雨くらいに、落ち着いている。
感情の起伏が激しい、と言うか、表現力に富んでいる。

今日は句会の日で、丁度、雨天での句会となった。
ひとえに「雨」、と言っても、それは、なんであろう。
霧雨か、小糠雨か、細雨か。
菜種梅雨か、五月雨か。
自然の、その機微を五七五で捉えてこその、俳句であろう。
なんて、まだまだ、俳句初学の位置にいる私が、
偉そうに述べている。
俳句に限らずとも、生活の中で、例えば他人と会話をしていても、
そう言った機微を、捉えてゆきたい。

雨にも、光にも、緑にも、そして人にも、まだ春のやわらかさが、
残っている様に感じた。

【天候】
終日、雨降り。
夜半になって、一時的に止む。

1226声 その後の自転車

2011年05月10日

「さて、どうしたものか」
腕組みして、いま、悩んでいる。
月始めだと言うのに、早くも金の工面に困っている。
と言う事ではなく、
売れ残りの本が今月、大量に書店から戻って来る。
と言う事でもない。
私の愛車である、自転車の事、なのである。

先月の、或る深夜。
電柱に激突した際に、自転車が破損してしまった。
自分の体の方も破損してしまったので、
まずは、病院へ行き、体の方を治した。
それが大分癒えて来たので、次は自転車、と考えている。

自転車の破損状況は、
まず、ハンドルに取り付けてあるライトが、全壊。
次に、ハンドルのゆがみ。
そして、当時の衝撃が一番顕著に出ている、左ブレーキ部分の大曲。
ハンドルが横一文字なので、ブレーキ部分が、
電柱と直に衝突してしまったのである。

壊れたライトは、買いかえれば良い。
ゆがんだハンドルは、ナットを調節して直ぐに戻せる。
問題は、大きく曲がってしまったブレーキである。
ブレーキのあの掴む部分が、ぐんにゃり、となっているので、
修理しようにも、その方法が分からない。
そのままでも、走行に支障はないし、現在、たまに乗る事があるのだが、
「事故車」然としていて、何とも、心持が悪い。

いっその事、新車を。
たって、体の修理費の方がかさんでしまって、それどころではない。
この自転車だって、近所のショッピングセンターの、「無印良品」で、
Tシャツを買う様な感覚で、衝動的に買い求めた品である。
とても、安価だった。
しかしながらまさに、無印ではあるけれど良品の、自転車であった。

新車でも事故車でも、今後も自転車には乗るだろうな。
心地好いもの、風が。

【天候】
台風が接近している影響で、降ったり止んだりの曇り空。
晴れて、とても蒸し暑い。
全国最高気温は、静岡県の34℃。

1225声 紫外線治療器

2011年05月09日

終日、非常に蒸し暑かった。
毎年、ゴールデンウィークから梅雨前の、この時期。
急激に気温が上昇して、夏日になる。
人生三十年近くも生きているので、最近、四季の移ろいに、
「判例」を感じる事が、多くなってきた。

昼時。
食堂でラーメンを啜っていたのだが、
早、冷やし中華の登場が待ち遠しくなった。
汗を拭きつつ箸を運んでいると、隣の席の工員さん。

「で、最近はどうだい、腰の具合は」
「接骨院にちょくちょく行ってるよ、ほら、あそこの」
「あぁ、前に行ってたとこ、それで、治療は」
「ほら、あれ、あの紫外線治療器ってやつ、
あれを腰に当ててるだけなんだけどさ」
「赤外線だろ、それ、紫外線じゃ、おめぇ、真っ黒になるぞ、腰」

横で聞いていた私は思わず、ラーメンを鼻から吹き出し、
盛大にむせ返ってしまった。
日焼けサロンでもあるまいし、と心の中で、つっこんだ。
その作業服のおやっさんが、その紫外線治療器とやらを、
腰に当てている姿を思い浮かべてしまった。
しかしながら、「紫外線治療器」ってのも、何だか、夏らしさを感じる。
体には悪そうだが。
午後の入り日が満ちる店内も、何だか夏めいてきた。

【天候】
終日、薄曇り。
夏日で、蒸し暑い一日。

1224声 夜半の青嵐

2011年05月08日

巷では、今日で終了。
ゴールデンウィークが、である。
明日の月曜日、一挙に急増するのが、五月病患者であろう。
月曜日を待たずとも、今晩からその症状が出ている人も、
おそらく多い筈。
私もその末席に座っているので、そう思いたい。

朝から、いよいよ溜まってしまった、雑事を片付けようと、
腕まくりして意気軒昂座と、パソコンに向かった。
しかしながら、気分はもう、宿題の溜まった夏休みの小学生。
パソコンで打つ、一文字毎に、気分が鬱屈としてくる。
おまけに、気候も夏日で、半袖でも汗ばむくらいに、暑い。
もう、一切合財を放擲して、部屋を辞した。
それが、まだ、午前中の出来事である。

それからはもう、なし崩し的に日の過ぎて、気付けば夜半。
「瀧の上に水現れて落ちにけり」
は、後藤夜半。
こんな、間口の狭い稚拙な俳句ギャグを挟んでしまうくらいに、
集中力を欠いている。

結局、今日は何一つとして、雑事が片づかなかった。
投げやりな心持で、点けっ放してあるテレビの、
日曜洋画劇場など観ている。
今日の作品は、山田洋次監督の「おとうと」。
五月病予備群には、ちと、テーマが重たい。
しかし、気分が鬱屈している時。
気付けば、行間から鬱屈が滲みだしている本を、
手に取っている。
その結果、尚更、鬱屈が募る。

「これではいかん」
などと、その繰り返し、繰り返し。

【天候】
終日、晴たり曇ったりの、夏日。
午後になって、夜半まで続く、青嵐。

1223声 晴れの日

2011年05月07日

今日は車でひとっ走り、中之条町まで出掛けた。
ふるさと交流センター「tsumuji(つむじ)」で開催されている、
「はれのひ食堂」に行く為である。

今日は、二日間に亘って開かれる、この食堂の初日。
食堂のメニューは、福島県南相馬市の郷土料理である。
東吾妻町で避難生活をされている、南相馬市の方々と、
群馬県のサポートメンバー有志が協力し、腕によりをかけて作った、
一品揃いであった。
と少々、贔屓目な表現は、知り合いがやっている。
と言う事と、私が、郷土料理と言うか、田舎料理と言うか、
そう言う素朴な味が好きだから、である。

海産物が、ふんだんに入っている郷土料理。
と言うのは、海なし県に住む私にとって、とても新鮮であった。
鮭といくらを使った「はらこめし」や、秋刀魚で作ったハンバーグのような、
「さんまぽっぽ焼き」など食べて、やはり、「海があるっていいな」と感じた。
地酒や地ビール、はたまた地サイダーまで、福島県産のものが揃えられており、
細部に至るまでの、演出に恐れ入った。
全ての料理が、日本酒に合いそうな味わいだったので、
食事中、車で来た事を、いささか悔いた。

食べ終わって、直ぐに、高崎市の自宅まで帰って来た。
片道一時間と一寸。
電車や車で、何時間もかけて、一軒の銭湯へ入りに行くようになってからは、
ひとつの目的の為に移動する事が、苦で無くなった。
苦で無い、と言うよりは、その目的に一直線になり過ぎて、
感覚が麻痺しているのかもしれない。

料理一品づつの味わいを、丹念に描写して行きたいのだが、
私のおぼろげな味覚では、正確に美味しさが伝わらないので、止めておこう。
「はれのひ」ときて、「食堂」とくる、「はれのひ食堂」。
この名前が良いではないか。
「ハレ」の日も、「ケ」の日も、被災地に、また同じ平和な日常や、
楽しいお祭りの日が、戻ってくるはずである。
長い雨の期間の後の、晴れ。
その時、東北地方には、あまねく光が満ち満ちている事であろう。

【天候】
終日、曇天。
一時的に小雨。

1222声 徐々に徐々に

2011年05月06日

ゴールデンウィーク後半戦も、そろそろ終盤。
世間では、明日明後日の土日で終了、と言う方々が多いのだろう。
月曜日から、ロスタイムに入れる方々は、羨ましい限りである。

自粛ムード。
によって、県内の温泉地では、連休中の客足の停滞が、懸念されていた。
蓋を開けて見れば、草津に伊香保に四万、その他、各温泉地。
連休前の疑心暗鬼が、嘘のように、予約が取れぬ程の盛況ぶり。
例年と比べれば、幾らか、減少があったろうが、それでも、たいそう混んでいた。

そう感じたのは、私でなく、私の親戚。
連休前に予約を取ろうと、ちょっとした温泉宿へ連絡を入れたところ、
各温泉地、どこも、満室。
連休中日であれば、と言う事で、今日、伊香保温泉へ行っている。

私も湯治などしながら、鼻の傷を癒したい。
しかし、熱い湯に浸かりながら鼻血を垂らしているのも、格好悪いので、
うらぶれた酒場で杯を舐めている方が、良いのかもしれない。

今日は立夏。
と言えど、何だかどんよりと曇って、薄ら寒い日であった。
水玉模様のスカートを揺らしながら、往来を闊歩する女性を見かけたが、
涼しさ、を通り越して、寒さ、を感じてしまった。
徐々に、徐々に、季節は移ろうて行く。

群馬学リサーチフェロー。
と言うのは、私が群馬県立女子大学でやっている、
まぁ、社会人の書生と言ったようなもの。
その、中間報告会と言うのが、今月にある。
報告内容は、研究結果であり、私の場合のそれは、「銭湯」。
今のところの報告内容は、言い訳ばかりで、ひとつとして、
核となるいものを得られていない。
徐々に、徐々に、もっともっと徐々に、
季節が移ろうてくれぬのものかと、願いを込めていると、脇に、嫌な汗。

【天候】
終日、曇天。
一時、小雨がぱらつくが、直ぐに上がった。
風弱く薄ら寒い、一日。

1221声 芝桜と沢庵

2011年05月05日

飲んでいるし、喰っている。
それまでの摂生生活による反動、がそうさせるのである。
現在も、沢庵を齧りつつ、これを書いている。

先の震災を受けての、自粛ムードではなく、鼻骨骨折による自粛ムード。
によって、連休中、体力的に懸念される遊びは、自主的に控えた。
面白い人や、美味しい食材が、集結している。
そして、多くの仲間がかやぶき屋根の家を作っている、中之条町。
そんな、面白気なところへ、行けば、面白うて面白うて。
お痛をする自分が、目に見えている。
お痛をして、私の鼻などはmどうでもよいのだが、そこに居る人たちの、
折角の「面白い」を、壊したくない。

なので、おしとやかな観光場所は、他にどこかしら。
と調べていたら、高崎市内、「みさと芝桜公園」の、祭り期間が本日終了。
と言う、情報を見つけて、「これなら」、と言う事で、行ってみた。

まずまずの咲き具合に、まずまずの混み具合。
と言ったところ。
丘陵の一面の芝桜。
紅に桃に白、三色の帯が、渦を巻いて、まるで絵画の様な風景。
屋台が盛大に出ており、地場産野菜の販売や、焼きまんじゅうや焼きそばなど、
御馴染の「粉もの」を焼く、良い匂いが漂っている。

屋台通りをひやかしながら歩いていたら、声をかけて来た、売り子のおばちゃん。
話している内に、何故か、糠漬けの沢庵を一本、購入していた。
沢庵の先端部分が飛び出していて、おまけに、糠臭い、ビニール袋を片手に、
芝桜を鑑賞する。
と言う、なんとも、この幻想的な雰囲気に似つかわしくない格好で、
園内を闊歩していた。

俳句でもひねろう。
と言う気持は、沢庵と一緒に糠漬けになってしまったようで、
一向に、頭も冴えない。
帰宅して、いま。
缶麦酒と一緒に、パリポリと、この沢庵をつまみに食べている。
驚くほど、美味しい。

【天候】
終日、曇天。
気温もあまり上がらず、夜半にかけて下り坂な一日。

1220声 解禁と復活

2011年05月04日

解禁。
と言うほどでもないが、半月前の鼻の骨を折った日から、
断酒していた酒を、飲んだ。

とりあえず、生麦酒から飲んでみた。
およそ半月も酒を遠ざけていたので、
さぞや至高の喉越しとなるだろうと、淡い期待を一口目に寄せていた。
「ゴクリ」と、まず、一口。
クリーミーな泡を上唇に感じつつ、舌先を滑って、
ホップの爽やかな香りと共に、麦酒が喉に駆け込んで来る。

「意外と薄い」
味も、喜びも、である。
どう言う訳か、紛れもなく、よく飲んでいる銘柄の国産生麦酒なのに、
随分と、薄く感じる。
そして、胸中を満たすであろう満足感が、胸の三分目で、止まっている。
どうしたことか、腑に落ちぬ感慨を抱きつつ、二口、三口。

いまはまだ、二杯目から三杯目に移行する、極初期の段階である。
その段階において、したたかなる酔いを、感じている。
普段、そんなに弱くはないし、体調もすこぶる良いので、意外に感じた。
やはり、半月の断酒によって、肝機能の働きが低下してしまったのであろうか。
鼻血が大量に出た事によって、アセトアルデヒド脱水素酵素が、
不足してしまったのであろうか。
其処から無理をせず、自らの体の声に耳を傾けつつ、店を辞した。

夜風が撫でる鼻の中央部が、いささかジンジンと熱を帯びている、感覚。
それは、果たして、アルコールによるものなのか。
先程、おしぼりで顔を拭いた時に、グリッ、と指が当たった衝撃によるものなのか。
確かではない。
只、現時点においての確かな実感は、この、心地好いアルコールの酔い。
その浮遊感の裏側にある、復活の手ごたえ、である。

【天候】
曇りのち晴れ。
午後より、やや風強し。

1219声 時代の中の季題

2011年05月03日

ゴールデンウィークの後半くらいは、何処かに出掛けようと思っている。
「思っている」
と言う事は、現在時刻午前9時だが、未だ、自宅に居る。

先月末に、遅咲きの桜で、吟行及び句会をする予定があった。
鼻の具合が悪く、その予定をキャンセルしてしまったので、
何とも、心残りがある。
しかし、五月に入った今時期に桜を見よう。
ったら、群馬県内でも、相当山間部へ行かねばならぬ。

難しい。
と言うのは、桜と言う季題に対して、いつも感じる事である。
俳句で、たんに「花」と言えば、「桜」をさす。
それほど、日本人にとってはポピュラーな花であり、
伝統的に愛でて来た花である。

桜を題材にした作品は、我が国の文学史上、夥しくある。
そのどれもが、綺羅、星の如く居並んでいる。
和歌に短歌に、俳句に川柳。
この季題に関しては、古典がぐっと近づいてくる。
こと、俳句に限って言えば、思い浮かべるのは、貞室や芭蕉、蕪村に一茶。
そう言った俳人の、江戸時代を彩った句ばかりである。

これはこれはとばかり花の吉野山   貞室
さまざまの事おもひ出す桜かな   芭蕉
花に暮れて我家遠き野道かな   蕪村
夕桜家ある人はとくかへる   一茶

むしろ近現代の名句の数々を思い浮かべる。
と言う者は、日々、俳句に親しんでいる、所謂、玄人であろう。

樹齢何百年と言う、長寿の花であるから、
そこから生まれた作品もやはり長寿である。
古典から離れて、しかし、乖離はせずに、
桜の句を読もうと、俳人たちは苦心する。

銭湯で上野の花の噂かな   子規

苦心ばかりでは面白くないので、こういう風に、肩の力を抜いて読む。
と言うのも、一興で、大切な事であろう。
そして、今年の所謂、俳壇には、「震災下の桜」が多く詠まれている。
それもまた、大切な事である。
あらゆる文芸作品は、常に「今」を意識する必要がある。
それは勿論、時代の中に生きている自分の、「今」である。

【天候】
朝より薄曇り。
曇りだが、空は明るい白さを保ち、終日、暖か。

1218声 鼻から万国旗

2011年05月02日

「しゅるしゅるしゅる」
脳内に刺し込む激痛の為、目を閉じてしまっていたので、
その全貌は分からないが、およそ、3、40cm位はあったのではないかと思われる。
私の鼻から引き抜いた、ガーゼが、である。

鼻の骨を真っ直ぐにする処置を受けて以来、
私の鼻の中には、長いガーゼが詰まっていたらしい。
らしい、と言うのは、処置を受けている際、
私は全身麻酔で寝ていたので、その現場を見ていなかった。
これによって、完全に鼻呼吸は断たれ、四六時中、
口を半開きにしておらねばならぬ生活を、余儀なくされた。
味覚の鈍化と、頭痛と耳鳴りも、おまけとして付いてきた。
その元凶と思われるガーゼを、今日、病院で抜いてきたのである。
「万国旗か」
と、つっこみたくなるほど、長いガーゼであった。

抜いた瞬間は、痛みも有るが、鼻血が勢い良く、垂れ落ちた。
その黒ずんだ色を見るに、鼻の中で溜まっていた血が、出て来たらしい。
あまり、バイオレンスな描写を書いていると、読者も気分を害してしまうであろう。
そして、これから、鼻骨骨折の処置を受ける患者諸氏に、
無用な恐怖を与えてもいけないので、これくらいに留める。

激痛など、ほんのわずかな時間なので、おそるるに足らず。
それよりも、鼻呼吸の爽快感を味わえる喜びの方が、大きい。
「鼻の固定具は付けておいて下さい」
と、形成外科の先生から言われたものの、病院を出る頃には外して、
鞄の奥底にしまっていた。

「さて、何を食おうか」
まずは、それである。
ジョッキの麦酒をゴクゴクと、飲みたい。
つぎは、それである。

【天候】
終日、薄曇りの穏やかな日。

1217声 リラの花

2011年05月01日

花が、咲いた。
「俳句の花図巻」(尚美堂出版)を片手に、庭先を歩いて、
花と、花の名前を照らし合わせていた。

今日から五月と言えど、まだ今時期は、晩春の気配が濃い。
花々を見るに、ライラックなどはやっと、咲きだしてきた。
鼻づまり生活によって、その香りを嗅げないのが、いささか残念である。
季節を感じるのでも、やはり、嗅覚なしには季節感を正確に捉えられない。
と、実感した。
しかし、風情だけでも楽しもうと思い、一枝折って、牛乳瓶に活けておいた。
客人などを意識して、玄関などに活けておいたら、良いのではないかと思ったが、
訪ねて来る気配も無いので、自分の机の上に置いた。

訪ね来る人もをらずやリラの花   諒一

小さい花である。
玄関脇の芝生に、大犬のふぐりなどに邪魔されつつも、ひっそりと咲いている。
細い茎の先端に、小さな六弁を咲かせていて、薄紫色。
中心部に輪をかけた様に、濃い紫色がさしている。
たえて、名前が分からなかったのだが、図鑑を見て、判明した。

「庭石菖」
と言うのが、この花の名前。
「にわぜきしょう」と読む。
明治中期に渡来した北アメリカ原産の花、と図鑑にはある。
その花の、着物にでもしたら良い色合いだろうなと思われる印象から、
極めて和風な花と見ていたが、北アメリカとは意外だった。

自宅の裏から、榛名山や赤城山を仰ぎつつ、一面の野原を眺めていると、
太古から続く野の景色。
に近しいものと錯覚しているが、実際、野の花一つとっても、
野生化している外来種が多くあるので、随分と趣は変わっていよう。
それも、俳句をやっていなかったら全く気付かなかった事である。

【天候】
朝より曇り。
午後より、雲晴れて来るが、霞みががった青空。
風もなく、穏やかな日和。

1216声 散漫生活

2011年04月30日

昨日は映画。
今日は河岸を変えて、読書に親しんだ。
司馬遼太郎著の「坂の上の雲」を読んでいる。
坂の上の雲だけは、「いつか読もう」と思っている間に、
ドラマ化され、巷で俄かに人気が出てしまったので、
読む機会を逸していた。
殊更、風潮に乗る事を恐れなくともよいのだが、
そう言う天邪鬼精神が、肝に根付いてしまっている。

本を読んでいると、一日が早いもので、
昼飯を食べてから、一冊、二冊手にとれば、もう夕飯時である。
その伝で、朝から文庫本を読むこと、三、四冊で、一日が終わっている。

もう出掛ける事など諦めているので、
ゴールデンウィークにおける各地の観光情報など、
気にならない。
よって、テレビなども観たくはならなかった。

映画を観たり、本を読んだりも良いけれど、折角、時間があるのだから、
文章を書いたり、俳句や短歌を詠んだり、何か創作的な事をしたらよい。
とも思うのだが、その意欲が全く湧かない。
と言うのも、まず、目下の状況において、鼻呼吸が出来ない。
鼻の中にガーゼが詰まっているからである。
おそらく、真っ直ぐにした鼻の軟骨が、また曲がってしまわぬよう、
固定しているのであろう。
これによって、注意力が甚だ散漫になる。

それだけなら良いのだが、物を食べても味が分からない。
と言うのが厄介であり、気を滅入らせる。
甘いのか塩辛いのか、濃いのか薄いのか、全く判別がつかない。
読者諸氏、試しに鼻の穴にティッシュをギュウギュウにねじり込んで、
おかずを一口食べてみたら、分かってもらえると思う。
味覚を楽しめない生活、例えば、砂糖と塩の区別も付かない生活、
と言うのは、意外と、辛くて悲しい。

この様な状態によって、その意欲を、著しく削がれている。
けれども、意欲を削がれている分、小説の物語に没入して行ける気がする。
そして、起床から就寝までの距離が、驚くほど近くなっている。
明日は、一寸、何句かひねってみようかしら。

【天候】
朝より晴れるが、下り坂。
午後に一時、小雨が降るも、直ぐに上がり、その後、曇り。
終日、風弱し。