日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

4813声 緑の風

2021年06月12日

終日、晴れたり曇ったり。朝から若干の二日酔いながらオンラインで句会の打ち合わせ。無事に済んで何より。そのあと蟻の句を作りに外へ出たり、買い物などしたり、忙しく過ごす。夜はポルトガルワインのヴィーニョ・ヴェルデの栓を開けた。このワインのイメージとして、真っ白なテーブルクロスの上に、真っ赤な海老など並ぶカラフルな料理があり、その脇に置いてあってほしい。もちろん、窓一杯に広がる海をバックに。しかし、いまの状況といえば、ペヤングソース焼きそばとスーパーで買った惣菜のコロッケと、全体的に茶色い食卓に、この緑のワインが並んでいる。しかしながら、この微発砲の爽やかさは、梅雨どきのじめじめを忘れさせてくれるひととときである。

4812声 すっかり忘れて

2021年06月11日

晴天続きで梅雨はどこに行ってしまったのかという、日差し。WEB句会の選句を済ませ、明朝に打ち合わせがあることはすっかり忘れて、寝る。

4811声 朝曇

2021年06月10日

「朝曇」という季語を実感するこの頃。日中はすっきり晴れて、暑いのなんの。何かと疲弊しており、やっとの思いで自分の机の上の小さな蛍光灯の下にたどり着く。さていま、これを書いているが、時計の針は午前に差しかかっている。ぼちぼち寝なければならぬが、こんなときに一句作りたくなってくる。

4810声 乗らず戻らず

2021年06月09日

晴れて昨日よりも暑い一日。午後は浜松町のあたりを歩きまわったので、汗だくになってしまい、アイスコーヒーをがぶ飲みしたせいか、体調芳しからず。以前は飲食店などと思われる空き店舗が目立っていた。WEB句会の最終投句を確認するが、兼題なので興が乗らず、寝苦しい日々で体調も戻らず。

4809声 泳ぎ疲れた

2021年06月08日

朝から晴れて夏日。昨晩飲みすぎたせいで、泳ぎ疲れたかのようなだるさの一日。これを書いていて、俵万智氏のチョコレート革命の一首〈抱かれることからはじまる一日は泳ぎ疲れた海に似ている〉をふと思い出し、安酒の気だるさが余計悲しくなった。帰宅して寄贈の句集が一冊届いていた。よい句はおしなべて説明と感覚のバランスが良い。知行合一でないというか、実際に季の感覚に触れていない(それが伝わってこない)句が多すぎやしないか、昨今。私ふくめ。

4808声 別世界

2021年06月07日

朝はどんよりしていたが、昼前からは晴れて蒸し暑い一日。朝、旧知の人から連絡が来ていて、メールでやり取りをした。その人曰く「今、毎日がハッピー」だという、月曜の朝に目にしたこともあるが、この満員列車に揺られている自分とは別世界すぎて、気が遠くなった。夜は昨日の選句に句評を付けて、通信句会の会報原稿を完成させた。

4807声 蟻の列

2021年06月06日

終日、降ったり止んだり。定例のWEB句会の選句を済ませる。担当している通信句会は選句のみ済ませ、選評は後日に回す。近頃蟻に凝っていて、と言うのもおかしいが、近所に蟻を見に行って数句作った。今年も蛍は観に行けそうにない。前橋の田口あたりにひょいと蛍狩りに行けた時分がなつかしい。

4806声 憂さの晴れ間

2021年06月05日

終日曇りのち晴れ。完成した句集評を入稿して出かけ、病院やら何やらで一日が終わる。自分が言い出しっぺのオンライン句会のスケジュールも少し錬る。イオンリカーで様々なスタイルのクラフト麦酒を大量に購入し、一週間の憂さを晴らす。

4805声 異様

2021年06月04日

終日、雨。今朝の通勤時に駅のホームで緊急停止ボタンが押され、サイレンが鳴り響いていたが、大方の人がスマホに落とした目を微動だにせず、遅延している列車を待っていた。異様なモノやコトは排除されてゆくのは都会の特性であるが、この光景こそ異様に感じた。自分も微動だにせぬ者のひとりではあるが。今日は昼、夜ともに弁当。都内はどこを歩いても弁当だらけになってしまった。元々、弁当が好きなので、毎日弁当でもさほど苦にならない。総合誌のてこずっていた句集の評を半ば仕上げ、やや高級な缶麦酒を空けた。

4804声 ちょっとずつ

2021年06月03日

晴れて暑い一日。生活は依然としててんてこ舞いかつ、陽気のせいか気の弱りか、缶麦酒が空になる量が増えているせいで、日々疲労感がぬぐえない。巷では紫陽花が色づいてきた。手が付けられていない句集の評にちょっとずつ取り掛かる。

4803声 富士見茫洋

2021年06月02日

薄曇りで蒸し暑い一日。版元と次の句集の打ち合わせ。事前に確認していた初稿の内容確認と、装丁などのイメージを伝えた。こちらに確固たるイメージがないので、茫洋としたイメージになってしまった。あとは装丁家にゆだねるのみ。富士見の坂を下っているときに、そういえば、数年前の新春俳句ingで通った道だと思い出した。あのときは、飯田橋を抜けて神楽坂へ行ったのだった。ああ、ボーヨー、ボーヨー。

4802声 了承せず

2021年06月01日

今日から(ぬ)です。そして今日から、9都道府県の緊急事態宣言が今月20日まで延長された。しかしながら今朝は、通勤列車や駅などは通常通り混雑していたように感じた。夜八時間際に、慌てて店に滑り込む日々はまだ続きそうである。先日もそうだったが、時短営業の閉店時間である夜八時間際にチェーン店のラーメン屋に駆け込み、半ば灯りの消えたカウンターでぽつんと、人もまばらな往来を眺めながら中華そばを啜っている心細さったらない。店を出て一本裏通りを入ると、時短も酒類の提供も了承せず政府の要請に了承せず、通常営業している店舗が煌々としている。また意外と毎晩、赤い顔をした人たちでにぎわっていたりする。いつもと変わらぬそんな街をすり抜けて帰ってきた。梅雨入り前の貴重な清々しい晴れの一日であった。

4801声 あと2週間

2021年05月31日

昨日はトイレの隣の押入と玄関が片付いた。捨てグセがついてきたかもしれない。今月は前半の7日間しか料理をしなかった。8日から時短要請が始まり、13日からお酒の提供禁止となった。その日からザブンは営業していない。あと2週間同じ状況が続く。まだまだ慣れないが、あと2週間が終わったとき、せめて片付けができたという実感はほしい。今週はビール作りに集中するつもりである。合間に片付け、ジョギングをする。今日はこれから川場へ。酒蔵の仕込み水で作ったビールができたので渡しに行く。

4800声 静かな日曜日

2021年05月30日

今日も朝から帳簿。スタバは開店前なので、ローソンへ珈琲を買いに行く。うまくないが、セブンイレブンの珈琲よりはいい。残しビール受払簿を仕込み表に反映させて、今日はここまで。麦芽の注文、その他連絡をして、ジョギングをする。松屋で朝ご飯。めずらしく味噌汁が薄かった。これから瓶詰めをする。その前にビールの移動、ケグ洗浄、釜洗浄。今日も天気がいい。ジョギングしている人が増えたなと思う。

4799声 少なくする

2021年05月29日

朝から帳簿。昨日の続き。まずは、最初に仕込んだビールから現在仕込み中のビールまで1つずつ確認していく。4年間で現在、210回の仕込みを超えたところで、150回目くらいまではチェックしてある。残りの60回分、要するに、およそ1年分の帳簿を疎かにしていた。こういうのが、知らぬ間に自分を重くする。帳簿は、説明を求められたときに説明できるようにしておかなければならない。仕事とはおそらくそういうもの。一方で、どこまでも説明しきれないのが人間であるのも、これはこれでそういうものだろうなと思う。後者にしか興味を持てずに生きてきてしまって、いつの間にか整理ができなくなってしまった。この休業中に、まずは捨てることから。少なくすれば整理できるかもしれないから。断捨離整理を始めて1週間。まったく片付かないが、少なくなっている実感はある。

4798声 飲まない日

2021年05月28日

昨日は飲まずに寝た。火曜日も飲まなかったので、週に2日飲まないことになる。週に2日も飲まないのはもう記憶にない程昔だ。大事なのはこれを積み重ねられるかである。やることはたくさんあるが、できる日とできない日の差が激しい。せめて、規則正しく生活したい。子供の頃からこれが苦手である。朝から鳥が鳴いている。天気がいい。今日も一日頑張ろう。

4797声 終日雨

2021年05月27日

昨日は早朝から夕方まで、片付けをした。そろそろ疲れてきたな。今日は雨。頭が重い。

4796声 老い支度

2021年05月26日

断捨離4日目。家中の物を端からゴミ袋に詰めているつもりだが、減っている感じがあまりない。それでも捨てていると、軽くもなるし、また、未練も少なくなる。20代の後半から、老い支度のつもりで生きてきた。20年もそんなことをしている。30代のときは仕事をそっちのけで、まちづくりに没頭した時期もあった。料理を作ってお客さんを待つことに我慢がならなくなって、直接誰かに料理を教える仕事をしたりもした。仕事がなくて、昼間から飲んでいた時期もあった。今まで老い支度は、老いが怖いからだと思っていた。しかしながら怖かったのは老いそのものではなく、誰よりも自分のペースでしか生きられない孤独感だったのかもしれない。自分のペースでしか生きられない孤独感がいったい何なのかよくわからないという不安、なのだと思う。それをまちづくりや料理教室で満たそうとしたが、結局満たせずに、その時のマイペースだけで生きてきた。今ようやく、マイペースでいながらも、孤独感もわかるようになったかもしれなくて、また、孤独ではないという実感も感じられるようになった。だから捨てられるのだと思う。と、捨てていて思った。生きるというのは、他者を生むことである。そういう意味では、少しは他者を生めるようになったと思えているのかもしれない。一方で、他者を生むことも捨てられるようになれたら、人生に未練がなくなるのかもしれないと、そんなことまで考えた。まだ未練はある。