日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

4857声 本性が出ちゃうんですよね

2021年07月27日

北軽井沢にある「きたもっく」の撮影が続いている。キャンプ場の運営からはじまり(三次産業)、そこで使う薪の製造などをはじめ(二次産業)、ついには浅間のふもとに山を買い道を作り木を切りはじめた(一次産業)。世の中にある六次産業は、一次産業の農業者や林業者が商品を考え販売をはじめるという 一→二→三 という流れだが、きたもっくが模索しながら広げてきた 三→二→一 という流れは珍しく、大きな可能性を持っているという。そういったことを記録している。

 

もうスタッフのみんなとも距離が縮まってきて、今日は打ち合わせが終わった後にルオムの森にて美味しいアイスコーヒーをもらいながら雑談をした。甘いもの大丈夫?と言われてうんと頷くと、蜂の巣の中で濃くなっていく前の希少なはちみつをコーヒーに垂らしてくれた(きたもっくは、養蜂事業も行っている)。これがまたすっきりしたコーヒーに絶妙に合うはちみつで、もったいないからズズ、ズズとちょっとづつ飲んだ。

 

はちみつを入れてくれたYさんが「うちの会社って、仕事も家も自然の中だしスタッフ同士の距離が近いから、最初は外面だったスタッフも、やがて本性が出ちゃうんですよね」というような話をしてくれた。その本性は、嫌なものではなく、建前不要、本音で話せる関係ということだった。それにより言い合いになることもあるとのことだが、それを聞いて「とてもいい会社だな」と思った。

 

東京は今、幾重にも重ねられて何が本性だったかもわからない状況で溢れているのだろうか。北軽井沢は、風通しが良い。

4856声 それは日本画っていうんだよ

2021年07月26日

姪っ子(下)が中学校で美術部に入ったという。先日届け物をしに姉の家に寄ったら、壁に姪っ子(下)が描いたという立体物のドローイングが貼ってあった。うまいとは言い難いが、味がある。

 

夏休みになり、僕んちに遊びにくるというので、会社に出て行く前に居間に僕が所有する様々な美術関連の図録を広げた。中之条ビエンナーレ関係、アーツ前橋関係、太田市美術館・図書館関係、その他少々。そのほとんどが仕事により関わらせていただいた際にもらったり自分で購入したものだ。主に群馬に集中するが、いつの間にか僕も「アート」についてわりと詳しい方の人になってきた。そういうことを姪っ子(下)にも語りたいが、ウザい気もするのでやめておく。

 

帰宅すると母が「一番興味もったのは谷保玲奈っている人の絵だった」と教えてくれた。こんなに鮮やかな赤が出るのはなんでなんだろうみたいなことを、姪っ子(下)は母に話していたという。僕は谷保さんのアトリエに撮影に行ったことがある。魚・花・山・海、色鮮やかな谷保さんの絵は、鉱物を削った粉に動物由来の膠をまぜて、キャンバスに塗りこめることで生まれている。思わずLINEで姪っ子(下)に

 

「それは日本画っていうんだよ」

 

と送ろうと思ったが、なんとなく送らないままにいて、送るタイミングを逃してしまった。

4855声 濁流だ。分断だ。激突だ。

2021年07月25日

東京2020オリンピックが開幕。新型コロナウィルスのデルタ株の感染拡大。オリンピック開催反対だけど選手の頑張りに感動する人。仮に、うわべの世論をテレビとして、ストレスを抑えきれなくなった世論をツイッターとするならば。今の流れは濁流だ。分断だ。飲み込まれる前に電源をオフせよ。

 

深夜の帰社の車、かたや商店の手前でタヌキが飛び出してきた、急ブレーキ、タヌキだあれば絶対、ひ・・ひ・・ひかずに済んだー。その急ブレーキで、助手席の買い物袋からこぼれていたアボカドは勢いよく飛び出しダッシュボードに激突した。それで割れるほどアボカドは柔ではない。

 

・・というのが、世論はどうあれ今日の僕のハイライト。

4854声 あらゆる不安は

2021年07月24日

それほど気持ちのアップダウンがある方ではないと思うのだが、このところずっと気持ちが重い。体はもっとずっと前から重い。ほっとけー。一番の理由は「今抱えている仕事をすべてやり終えられるだろうか」であることは明白。やれやれ。仕事がないからと苦労している人たちがいることも知っているので贅沢な悩みだなと思いつつ、もう一つ踏み込めば「他者に迷惑をかけてはいけません」という幼少時代から抱えてきた性格につながっている気がする。迷惑をかけないために引き受けない、自分ひとりで抱え込まず他者の協力を通して完成させる、という選択肢もあって、後者は特にそれがやれるように関係も築きつつあるのだが・・やはり自分で抱える癖が抜けない。

 

「岡安さんて、コンビニごはんとかばっかインスタにあげてますけど、そういうのが好きなんですよねきっと」と言われた時にハッとした。自分ではもっといい暮らしがしたいけど現状はそれで我慢してます、っていうつもりだったけど、言われてみれば確かにそんな暮らしをず〜〜〜っと続けているってことは、今みたいな生活が自分にあっているのかもしれない。と思ったのだ。それを踏まえれば、このところに限らず例年ず〜〜〜っと仕事のことで重くなるこの生活のリズムというのも、自分で選択したものであり、それが合っているのかもとも思う。であるから、やれやれと思いつつも、あまり迷惑はかけずに、ひとつひとつ終えていこうと思うのである。麦酒も待っている。

4853声 大学撮影

2021年07月23日

今日は数年前から撮影で入っている大学のオープンキャンパスの撮影であった。若いひとたちは眩しいが、この大学の学生はなおさらに眩しい。もうすでに父親目線で彼らを見ていることに驚いたりもするのだが、僕が彼らくらいの頃はもっと全面に影を背負っていた。そんなカッコつけた言い方をよしにすれば、ショボかった。

 

「今の若い人たちは失敗することを恐れている」とズバリいった知人がいた。確かに、意識が高い若いひとたちにはその傾向があるように思う。SNSなどで自分の存在が友人たちと、その周囲とある程度共有されてしまっている今では、ひとつの失敗が大きなペナルティになるのかもしれない。そんなカッコつけた言い方をよしにすれば、皆いい子なのだ。

 

大きな嘘も小さな嘘もSNSなどで暴かれ、偽造され、それが実社会にも影響を及ぼす時代。大人たちが、旧時代の人がたちが「カッコわるい」ということも、若いひとたちはわかっている。だから僕らを反面教師として、どんどん先に行ってほしい気持ちもある。だけどまだ、いい背中を見せる機会はあるんじゃないかな、我々は。

4852声 ジャパスタリア

2021年07月22日

僕自身、ことあるごとに「日本映画学校卒」は口にするが、「群馬工業高等専門学校卒」はあまり口にしない。なにせそこで5年もの長期に渡って学んだ(というか、聞き流していた)機械工学は今なにも活用はされていないし、その学校で得たものはある程度の社会性とパソコン等の機材にとりあえず苦手意識は持たないという・・対機械との社会性みたいなものぐらいだから。

 

「あれ、高専卒だよね?」と言い合ったのは、JAPASTALIAの吉田幸二くん。みなさん知ってますかJAPASTALIA?高崎市のもてなし広場のそばに小さな工場をもち、高崎産小麦等を使って「生パスタ」を製造している。生パスタというとこねて伸ばして切ってという作り方もあるが、吉田くんとこでは押し出し式で製麺をしており、特徴として「柔らかすぎない適度な固さ」を持っている。

前から顔とやっていることは知っていたのだが、何かのはずみで「あれ、(お互い)高専卒だよね?」という話になり、その顔をよく見てみれば確かにおったわ彼J科(情報工学科)に。僕がずっといた学生寮にもいた時期があるとのことで、確かに、彼はその時は(も)わりと男前で、僕はひきこもり状態だったから(?)ほとんど話してはいなかったけど、見覚えのある顔だった。

 

JAPASTALIAでは、いろんな印刷物やウェブなどをいろんなクリエイターと関わりながら進めているとのことで、「生パスタの茹で方」の紙のデザインを僕に依頼してくれた。同学校卒と知った後だったので、急に距離が近い気がして「えーでも全部同じデザイナーでやった方が統一感出ると思うよ」とかずかずかと言いたい放題言わせてもらったのだが、それがむしろ良かったようで、その仕事を引き受け、きちんと試食用をいただき自分でも何度か茹でてみて、わからないことを吉田くんに聞いて内容に反映させ、おしゃれにクラフト紙で印刷をし、納品を終えた。

 

生パスタというと、ふにゃふにゃしたイメージがあり、僕はわりと苦手だったのだが、JAPASTALIAは確かな歯ごたえがあり、乾麺よりもソースに馴染む。いや、お世辞抜きで美味しいと思う。なにより彼もまた、高専で学んだこととほとんど関係ない仕事についている感が共感を誘って良い。なんの偶然か、こんな風に昔の馴染みと関われるのは、嬉しくもあったりする。

4851声 ビエンナーレ撮影

2021年07月21日

2021年は中之条ビエンナーレ開催年。2007年からの開催だからもう8回目の開催。その2007年、僕は趣味として(!)中之条ビエンナーレの撮影をしており、その時のインタビューでは山重徹夫ディレクターは「第1回目は点、今後続けていけばそれが線になり面になる。そうすれば人の目にも意識されるようになるのではないか」みたいなことを語っていた。であるとするなら、もう面は越えで立方体も越えて、多面構造である。むしろ、直線の境界も融解し地元と融合、目に見える形ではないのかもしれないが・・

 

はさておき、第8回にしてコロナ禍での開催となる今年は、9月からのお客さんありの開催だけではなく、映像にてその作品群を公開していこうという流れになっている。僕はその撮影を担当する。趣味としての撮影から関わり始めた身としては感慨深いものがある・・などと悠長なことは言ってられず、この夏は無我夢中な夏となりそうだ。

 

今日は、オープニング用のパフォーマンス映像の撮影を行った。パフォーマンスチームを率いるのは、それもまた中之条ビエンナーレきっかけで知り合い、すでに幾度となく撮影をしてきたDamadamtal。「美術祭において映像ができることは何か」ということを考えながら、多面構造でもアメーバ状でも、今ここにあるものを見せていくしかない。

4850声 生ききっている野菜

2021年07月20日

朝起きると、母親が熱くならない時間、つまりかなりの早朝に裏の小さな畑でもいできた野菜が、ざるに乗って台所のテーブルに置いてあることがある。今朝は、少し大きくなりすぎたきゅうりと、ぴかぴかに深緑・漆黒に艶めくピーマンや茄子が無造作に、ざるに盛られていた。スーパーに並ぶような足並み揃った野菜ではない、採れたてむき出しの野菜。

 

それを見て、俺よりも断然「生きているな」と思う。野菜を見て萎縮してしまうくらいなのだから、自分はきちんと生きていないのではないか、という漠然とした劣等感は、多分死ぬまで消えない。

4849声 ルックバック

2021年07月19日

昨晩ネットで無料公開された漫画「ルックバック」( 藤本タツキ | 少年ジャンプ+)が1日で250万ビューを叩き出し、ツイッターでは浅野いにおや大童澄瞳といった実力派若手から、森田よしのりや新井英樹といった実力派ベテランに至るまで数多くの同業者が絶賛し、今後まだ余波が続きそうな感じである。僕も朝、寝起きで誰かのツイートを見て、布団の上で完読。今日1日ずっとこの漫画のことが頭の中にあった。

 

色々な読み方はできると思うが、漫画に限らず「何かを作ろう」と思う人、思っていた人にとってはより刺さる内容であると思う。この漫画を指して「あの事件に対して、漫画で、こんな追悼が出来るとは!」と書き込んでいた人もいたが、もう開会式前からぐちゃぐちゃな泥試合を加速させ続けているオリンピック周辺(あと、国が無理に進めようとしたクールジャパン)とは離れたところで、いち漫画家と編集者等によって「世の中に対して表現ができること」の可能性を見せてくれている気がする。もちろん、良いと思わない人はいると思いますが、必読です。

 

ルックバック」( 藤本タツキ | 少年ジャンプ+)

4848声 群馬に帰ってきた

2021年07月18日

この週末は中之条での撮影を終えその足ですぐに山形へ車を飛ばし前泊し翌日は1日市内を歩く撮影をしその足で群馬へ戻り実家へ帰ると距離的に面倒だなと思ってしまい前橋インターそばの漫画喫茶で一泊し今日は桐生でパフォーマンスの撮影をした。

 

なんだかんだで山形は遠いので旅をしたような気分にもなり今日になっても山形の過去現在の思い出がぐるぐるしていたが、今日の撮影が終わり「スタッフ出演者のお昼ご飯これだったので持っていってください」と渡された登利平の弁当を見て「群馬に帰ってきた」と、一瞬で現実に引き戻された。登利平、イズ、群馬。

4847声 山形の思い出2

2021年07月17日

山形ドキュメンタリー映画祭には、はじめは学生時に客として参加し、のちには群馬に戻った後も客として参加したが、その間には東京事務局のスタッフとしてアルバイトをし、雑用全般として山形入りした時もあった。2003年だったろうか。

 

山形は当初から国際映画祭である。昔も今も英語はからきしなので、事務局にいてふいに英語で電話がかかってくるとたいそう慌てた。「Sorry,just morment.」みたいなことを言って英語ができるスタッフに変わってもらったような記憶がある。そんな僕が、映画祭開始直前、成田空港だったか、飛行機で来日した映画関係者を山形へ向かう新幹線に誘導する、という役を与えられてしまった。今思っても背筋が凍る。が、それを越えたのは・・無知の若さであった。「This train is slow.Next train is very first.Please waiting.」みたいな独自な言い回しで、鈍行と急行を知らせたような記憶がある。

 

もちろん、きちんとした映画祭である山形が僕だけにそんな大役をさせるわけがない。主要スタッフはその時すでに山形に行っていたが、英語ができる社会人ボランティアたちが主力で働いていた。僕と組んでくれたCさんもその一人で、英語は堪能。とはいえ海外ゲストの誘導は始めてだったようで2人、階段を登り降りしながらひたすら奮闘した記憶がある。きれいな人だった。最後の1人を送り出した後は彼女と思わずハイタッチをしたくなったが、恥ずかしくて出来なかったような記憶がある。

 

 

今日、撮影で山形市内を回っていて、山形国際ドキュメンタリー映画祭の名物であった香味庵(毎日の映画上映終了後に監督も観客も垣根なく集まって、芋煮と日本酒を囲みながら意見を熱く交わした場所)があった場所を通った。「ここは、老舗だった漬物屋があった場所です。すでにタワーマンションが建設中となっています」とのこと。駅近くの老舗漬物屋と聞いてすぐに香味庵があった場所だとひらめいたが、僕の記憶の中とは建物の景観は当然として、その周辺の通りも全く変わっていた(ここに限らず道路も拡張整備が行われているとのこと)。もう、当時の面影は全く残っていない。

 

山形へゲストを送った後には僕も雑用全般要因として山形へ向かった。やることは結構あったが、来慣れてはいない山形の新鮮さや、映画の側にいられるという興奮も相まって、英語のプレッシャーもなく(そういう仕事は僕には来ないので)のびのびとやっていたと思う。そしてCさんも、せっかく関わった映画祭だからと山形に来ていた。

 

せっかく来ているならと、Cさんを香味庵に誘った記憶がある。何を話したかは覚えていない。だが、僕は明らかに好意を持っていた。そして。映画祭も終わり当時住んでいた神奈川に戻ってからも1度Cさんを映画に誘ったことがあった。英語堪能で意識の高い彼女は、僕が手帳を持っていないということをとても驚いていた。だからと言って見下すような人ではなかったが、僕はそれ以降連絡する手が止まってしまった。どう生きていくか悩んでいた時期でそれ優先だったこともあるが、手帳もないような、空白ばかりの当時の僕には、彼女をまた誘えるような自信が何一つなかったのだ。

 

今日、姿形もなくなった香味庵を見て、ぼんやりとそんな20年くらい前のことを思い出して、ふと「様々な状況によって建物も道も町も壊され変わってしまうが、思い出は多分死ぬまで残る。ならば思い出ほど壊れにくいものはないのではないか」と思った。とはいえ、吹けば飛ぶような、何があったわけでもない、ただの思い出なのだけれど。

4846声 山形の思い出1

2021年07月16日

ここ数年は特に、仕事が縁で繋がっている(そもそも大概の仕事はそうなのかもしれないが)。

 

先日、日本画グループの上野でのアクティビティを撮影したところから繋がり、山形入りした。山形では2014年より2年に一度「山形ビエンナーレ」というアートイベントが開催されている。そこでのアートのカテゴリーは広く、開催当初より「山形とはどんな場所なのか」「東京(あたり)にはない山形の魅力は何か」という郷土史・民俗学・むかし話みたいな地のものを丁寧に発表してきた感を受ける。その2014年からのポスターを、中之条町出身のデザイナー小板橋基希さんが手がけたというきっかけから(彼が代表をつとめるakaoniは地方デザインにおいて注目される会社)、加えて僕が大好きな寺尾紗穂さんのパフォーマンスも山形ビエンナーレで行われたことから、いちお客として何度か足を運んだ。と、前置きが長くなったが、上野で撮影させていただいたうちの1人、山形芸工大学教員でもあり、現在の山形ビエンナーレの中心人物でもある、画家の三瀬夏之介さんからお誘いいただき、来年の山形ビエンナーレに関係する撮影を明日行うこととなった。

 

「山形」は僕にとっては忘れがたい場所だ。それはビエンナーレより以前のはなし。今も続く「山形ドキュメンタリー映画祭」に関係する。2001年には日本映画学校映像ジャナールゼミの1人として、講師であった安岡卓治さんがプロデューサーをつとめた映画『A2』の山形映画祭上映と共に、観客として山形を訪れた。宣伝に駆り出され、市内の店にポスターを貼りに行く時に「なんの映画なの?」と聞かれて「オウム真理教の・・」と説明する時の自分がモジモジしてしまった感覚をなんとなく覚えている(『A2』は素晴らしいドキュメンタリーです)。

 

観客としてのドキュメンタリー映画祭の思い出の一つには、2005年だったろうか。1人で山形に行き映画を見ていたら、偶然「高崎映画祭」のみなさんが山形映画祭に訪れていた。その時にはまだ当時の代表であり高崎映画祭・シネマテークたかさきの立ち上げ人である故・茂木正男さんもいらっしゃって、僕はほとんど話をする機会はなかったのだけど、その場で「伊参スタジオ映画祭はいい映画祭だよ」と言っていただいたことを覚えている(伊参は僕が今実行委員長をしている中之条町の映画祭)。これは推測に過ぎないが、「群馬からはるばる山形まで映画を見にきている(当時は)若者である僕」を見て、ちょっとは筋がありそうだな、と思っていただけたのではないかと勝手に思っていたりする(僕が今逆の立場で、山形で群馬の若い映画関係者を見たらそう思うから)。と、妄想が過ぎたが、茂木さんと山形で話ができたことは忘れがたい思い出だ。

4845声 ごちそうさまでした

2021年07月15日

コンビニで弁当買って車内で食べてゴミ捨てに下りて。
偶然出てきた店員さんに思わず「ごちそうさまでしたー」。
そんな挨拶するの俺だけだろうな。

4844声 ヨガと風鈴

2021年07月14日

中之条町のヨガスタジオ「 yoga WAGANCE」の福田麻衣子さんは筋が一本通った人で。Uターンしてすぐは中之条ビエンナーレの事務局などにもいたが、それ以前に東京でアーティストのプロモーションビデオのプロデューサー業をしており、僕が撮影・編集を担当した「ふるさと、八ッ場」の映像制作の際にはまず無理だろうと思っていたミュージシャンとの架け橋になってくれた。彼女はいま、いつもはヨガの講師、そして月に数回町内の「パルド」という居酒屋を借りてスパイスカレーの提供も行っている。ヨガ、スパイスカレー・・美と健康。そこへまっすぐ向かう様は筋が一本通っており、とはいえ僕のような“非・美と健康”である人たちにも同じテンションで接してくれるから、話がしやすい。

 

コロナの影響は大きかったと想像できる。が、今はヨガのレッスンもはじまり、今日は町内の清水寺で行われた「お寺ヨガ」の写真撮影に行った。受講生は女性ばかりだったが、平日のスタジオには中高年のおじさんも来ている。清見寺のご住職と奥さんも参加し、つまりは全面理解のもと行われているので、本堂で行われるヨガはお香の香りも相まってほんの少し浮世離れしている気もした。体のあちこちを伸ばし、広げ、休み、麻衣子さんが鳴らすチリーンという鈴の音で、参加者の方達が自分の体に集中していた世界から、現世に帰ってくる。そんな様子は、写真では撮れない。

 

最後の鈴に限らず、本堂近くの水場ではたくさんの風鈴が風にたなびき、すきとった涼しい音を響かせていた。夏である。

4843声 自分を追い詰める人

2021年07月13日

今日は、名刺、折りパンフレット、イベント用地図、を立て続けに納品した。今抱えている仕事は、印刷関係は黄色、映像関係は青色の付箋に書いてto do的にボードに貼っているのだが、ひーふーみーと数えれてみれば、印刷関係が7つ、映像関係が8つ。はっはっは。「いやぁ、こんな状況の中仕事があるってのは有難いですよね」と外では口にするし、実際そう思ってもいるが、焦る気持ちはある。(今年は中之条ビエンナーレ関連の撮影のためにこれでも仕事の整理はしている)

 

昔と違うのは、ほとんどの仕事がまず人付き合いとしての関係性があり、相手を知った上で(僕のこともある程度知ってもらった上で)進めているということだ。昔みたいにトラブルがあって軟禁されたりとか、深夜に怒号のごとき電話がかかってきて明日朝までにどうにかしろと言う人がいたりはしない(どんな過去だったの・・)。仕事の進め方の難しさはやりがいにも繋がる。仕事の人間関係の難しさは、後になればいい経験にはなるが、害が多いのだと思う。

 

21世紀の中島みゆきだと僕が勝手に思っている歌「Rude」(大森靖子氏)に、「自殺なんてないのさ 誰が君を殺した」という一節がある。また、先日養老孟司のyoutubeを見ていたら(どんな嗜好なの・・)養老孟司が「坂口恭平っていう面白い人がいてね、自殺を考えてる人からの電話を個人で受けて話を聞いてる人なんだけど、彼が言ったのは、自殺したいという人は、すべての理由に共通点がある、それは他人から自分がどう見られるかで悩んでる、って話でね」というような話をしていて養老孟司というか坂口恭平なるほど!と思った(坂口さんは優れたシンガーであり、絵描きでもあるので要チェックです)。自殺なんてなくて他殺なんだという話も、自殺の理由は自意識なんだという話も、違うことを言っているようで同じことを言っている気がする。

 

というわけで(どういうわけ・・)、仕事はたまっていますが僕は元気です。あなたが今追い詰められているとしたら、僕は歌はあまり歌えないし、気の利いたこともあまり言えないのですが、それがちょっとづつでも軽くなっていくことを願っています。

4842声 大雨が降って

2021年07月11日

北軽井沢にきたもっくという会社がある。

 

以前、長野原町の八ッ場ダム映像を作った際に、きたもっく社長・福島誠さんにアドバイザー的な立場で入っていただいた。福島さんは会社経営に留まらない生き方の指南書ともいえる「未来は自然の中にある。」(上毛新聞社)なども書かれていて、長年に渡り北軽の地で積み上げてきた思想と、思い切りの良すぎる行動力で突き進んできた人だ。僕とは真逆な気もするがそれ依頼とても親しくさせていただいていて、その縁からきたもっくの映像を昨冬より撮り続けている。

 

今日は、きたもっくの事業を間近で見られるツアー(安い料金でもないのに全国から参加者が来る)の2日目に同行した。焚き火を囲んで集団を見直すミーティング施設「TAKIVIVA」を出て、社で保有している二度上げ山から降ろしてきた材を加工する「あさまの薪」や「あさまのぶんぶんファクトリー」を見学。これも事業の1つである北軽随一のおしゃれスポット「ルオムの森」で、新事業である養蜂事業「百蜜」の試食などを行い、今年の夏からルオムではじまった釜焼きピザを食べて色々を振り返る(きたもっくはさらに、その主力事業として日本有数の人気キャンプ場「スウィートグラス」を所持している)。そうやって言葉で事業紹介をしてみても「多!」となるが、それを映像で収めるって・・まぁ頑張っているのである。そして一番伝えたいことは、それらが1つの思想、ルオム(フィンランド語で、自然に従う生き方)で繋がっているということなのだが・・説明はこの辺までで。

 

ピザを食べている最中、しばし前からゴロゴロ言っていた空からスコールのような雨が落ちてきた。そんな雨も何かのイメージカットになるかもしれないとカメラを回す。この時期特有のそういう雨は短時間で収まり、空にはまた青空が広がっていた。大自然と向き合う企業や志高いスタッフを撮影する僕は、田舎生まれ田舎暮らしとはいえ非常に自然との接点が薄い。が、音やしぶきで身の回り全体が包まれるような大雨の時にはさすがに、自然、のようなものを感じることはできる。そこから何を手繰り寄せられるだろうか。

 

きたもっくの撮影は、まだしばらく続く。

4841声 二度と行けない店

2021年07月10日

もう行けない店、味わえない味、酔っ払えないカウンター。都築響一氏による編集で、様々なライターや編集者、ミュージシャンや小説家や歌人やなど100人がそれぞれの「二度と行けない店」について書き綴った638ページの分厚さになる『Neverland Dinerーー二度と行けないあの店で』はとんでもない名著だった。

 

時代と共にあった離島の漁師屋台、生涯忘れらないほどまずいカキフライを出す定食屋、浮気した旦那から離脱すべく靴もなく駆け込んだ台湾料理屋、ウーロンハイで25万円請求される新宿のぼったくりバーetc..これは本当に実話なのか?という人生悲喜交々なエッセイが続く。

 

「幸せや楽しさは外に向かい人ぞれぞれに違うから共感はしにくいが、悲しさや寂しさは内に向かい人それぞれの差が小さいから共感しやすい」と言ったのは誰だったろうか・・『Neverland Diner』が面白いのは、そんな「あなたのおすすめの名店を教えて!」というポジティブなまとめではなく、「二度と行けない店」という個々が内面に向き合いざるを得ない文章を大切に集めたからであるように思う。

 

 

都築響一氏はこの書籍の「全国各地の意思が通じる書店の協力のもと、その土地その土地で別冊を作る」という試みを行っており、高崎・「REBEL BOOKS」がその1店となった。「REBEL BOOKS」には僕が作ったzineも置いてもらっていて、今回「高崎の二度と行けない店について書いてみない?」と提案をいただいた。はじめは、高崎在住でもない僕が・・とも思ったが、色々思い返してみたら、「あの店はそうだ、高崎にあった!」という事を思い出し「まだ何者でもない者のらーめん」という一編を書かせていただいた。

 

ちなみにそれは今はない高崎の「らーめん屋」についての話で、書きながらSNSで情報も集めようと思ったが(google検索では何ひとつ情報が出てこないので)辞めた。もし『Neverland Dinerーー二度と行けない高崎のあの店で』を読んでいただき、僕が書いたらーめん屋について知っている人がいたら、こっそり教えてほしい。よほどのラーオタでも知らない自信はあるが。

 

 

たまたまにはなるが、「REBEL BOOKS」のみで買える(のネット販売でも買える)高崎版は、尊敬する顔見知りばかりが執筆する1冊となった。読者としてのいちファンである『高崎ビジネスホテル探検記』著者の茂木さんの話を読んで、ごはんにしょうゆをかけたくもなった。

 

校正段階で一通り読ませてもらって、ああこれは執筆者個々の物語を提示すると同時に、高崎、という場所を指定し編集することによって「すでに高崎にないものを書くことにより、高崎の輪郭を再確認する」行為でもあったのだなと思った。とはいえガイドブックとしては活用性0の本なので(笑)高崎在住以外の方も、ぜひ手に取っていただきたい。

 

REBEL BOOKS

4840声 オードリー・タン

2021年07月09日

ふと、つい最近行われた県知事とオードリー・タンとの対談+県学生によるQ&Aの中継動画のアーカイブを見た。学生からの質問の場面で「どうすれば自分を理解することができますか?そして意思を持って行動に移すことができますか?」というものがあった。事前にそういう質問がありますよという連絡はないと思うので、その場での回答だったのだと思うが、オードリー・タンさんの返答が素晴らしかった。のでわざわざ文字起こしをしてみた。シェアします。

 

私自身の経験として、私が私自身であるのは、私のコミュニティの背景の中に入り込むことによってはじめて「ウブントゥ」である・・「ウブントゥ」と言います、アフリカの言葉では。「ウブントゥ」というのは、我々は自分自身では完璧ではなく、コミュニティが●●(同時通訳聞き取れず)することにより完璧になる、つまり我々は関係性をもって成り立つわけです。●●的な人間はいません、個人というのはありません、我々は星座の星なわけです。そうやって人間性、関係性があるわけです。ですので●●などの違うコミュニティーに存在しているので、この重なりというものが私を定義するわけです。例えば個人のための●●ではなくて、コミュニティを探し出すこと、楽しいコミュニティを探すわけです。でも1つのコミュニティに閉じこもるのは良くありません。そうすれば・・5つ、6つ、7つの違うコミュニティの一員で、違う考え方、価値観があるわけです。でも、自身はそれら価値観を、知識を共有できるというユニークな個人です。だからパズルの1ピースというわけです。ですからコミュニティを繋げるピースです。そうすれば、自分自身もわかるわけです。同時に、自分自身もコミュニティに溶け込むわけです。これはパラドックスですけど、こういったことではないでしょうか。