故に今日も朝から無駄口を叩きまくりの女王と対象的に、一切感情
2020年04月10日
故に今日も朝から無駄口を叩きまくりの女王と対象的に、一切感情
2020年04月09日
こんな心身ともにすり減らす状況の中でも、曰く社長に期待されて
2020年04月08日
色々と想像して毎日バリバリに肩が凝る私より、彼の鈍さの方がサ
2020年04月07日
新設部署ということもあり、目先の業務はなく、女王はご機嫌モー
2020年04月06日
雌豹直属の部下として、もう一人同僚の若手がいるのだが、こ
2020年04月05日
つまり、私はこの女王の飼育係として、常に細心の注意を払ってご
2020年04月04日
このような前振りをしているので、もう賢明な読者職員は察しがつ
2020年04月03日
今回の人事異動で、社内でも指折りの「有名人」
2020年04月02日
とまぁ格好よく言えばそうなんだが、仕事の内容より重要なのが、
2020年04月01日
4月から慣れ親しんだ広報分野から、新設
2020年03月31日
今月のはじめから、1枚の絵を、会社のいつも目に入る壁に飾っている。中之条に移り住んで何年目でしょうかの人・・先日アーツ前橋のサポートプログラムでは前橋に滞在し、作品制作を続けていた飯沢康輔さんの絵だ。
彼は前橋のスタジオで、前橋で知り合った人たちの精巧な鉛筆画を描きつつ、朝はカラーで1枚、夜は黒一色で1枚、ドローイングすることを日課にしていたらしい。地元のよしみで撮影を頼まれ、スタジオの様子やアーツ前橋でのガラス越しの作品の撮影を行い、「飯沢さん、これいいじゃないですかー」と僕が一番気に入った一枚を、飯沢さんが届けてくれた。
飯沢さんは酒を飲むと(飲まなくても?)絡んでくるし、結構めんどくさい。けれど彼の人と成りを一旦隅に置き、独立した作品群を見ると、とても素晴らしいということを再確認した(ディスっているのか、褒めているのかわからない)。この一枚の絵は、毎日見ても見飽きないだろう。
◆
ふと、こんな状況下にあるので、「アートレンタル(アートシェア?)」の仕組みが作れたら良いななどと考える。「アートを買う」のは敷居が高いが、コロナ騒動が落ち着くまで小品などを「有償でレンタルする」のだ。借り手にとっては家にこもっていても好きな絵が見続けられるのは嬉しいし、アーティストにとっては収入+今それをやることの意義を感じて「アリ」と思うアーティストもいるかもしれない。なにより
「家に篭らねばならない今、そばにアートがあること」
は何事にも変えられない体験である気がする。
こんな時こそ、絵を飾ろうではないか。花でもいいけど。
2020年03月30日
触れることは大切だ
今回のことでみんな身に沁みている
右手を伸ばし、くの字に曲げる
その手で左の肩を、ぽんぽん、とたたく
その時、おつかれさん、と
自分で自分に声をかける
ほら・・ほら、不思議でしょ?
それで結構癒されるんですよ
誰とも接触せずに行える、癒し
2020年03月29日
人を救うものは何だろう。人だろうか。技術だろうか。家族だろうか。専門家だろうか。時と場合によるけれど、なんだかんだいっても「時間」に勝るものはないように思う。
成功体験よりむしろ、その時は「どん底だ」と思った失敗体験の方が、時間を経ると糧になっている。というのは、誰しも経験があることだと思う。
誰かと別れたり、誰かが亡くなった時も、そのつらさを和らげるのは時間だ。常に思い続けていた人のことを、すっかり思い出さないままに暮らしていた、という事に気付いた瞬間、寂しさと共に感じるのは、次へ進むための前向きな気持ちである。
今、多くの人たちが、コロナ禍に対するステイホームで、各々の「時間」と向き合っている。日曜日だというのに家でゴロゴロもできない僕は、作業場二階の会社事務所に一人いて、窓際の机で映像の書き出しを待ちながら、この文章をタイピングしている。
手を伸ばし窓を開ける。今日はいい天気だ。道路向かいの時計屋さんは今日は休日。バイパスのひとつ裏の道なので普段から交通量はそんなにないが、今日はいつもよりさらに車が少ない気がする。
あ、スズメが1羽、飛んでいった。
2020年03月28日
優しさや寂しさだけが大切なわけではない。僕にとって遠くにあり、でも必要なものは「怒り」かもしれない。
仕事というものに対して甘えを持っていた(正確に言えば、今もある)。二十歳すぎた頃のバイト先は東京町田の大型レンタルショップ。レンタルビデオ担当だったので好きがそのまま仕事のような事もあり、普通に楽しく仕事をしていた。が、いつの頃からかお客さんに対しての割引サービスをアルバイトが使うような事が起きていた。今思えば、注意するなり、店にバイトへのサービスを要請するなり、色々やれることはあったと思うが、僕もなんとなくでその行為をスルーし、時々は自分も使っていた。それが幹部職員に知られ、関係していたアルバイトが全員、クビになった。
新規オープンと同時に僕らが働き出した店でもあった。本社直営だったので、幹部職員が売り上げが伸びないことにやきもきし、家にも帰らず残業し、ストレスが蔓延している気配も感じていた。クビを言い渡され最後のバイトの日。店長の「お前の事は信じていたんだけどな」という言葉は刺さったが、仲良くなったバイト同士のさよならもキツくてすぐに帰らず談笑していた。そこに店長が現れ、僕に対してキレた。
「こっちは命かけて仕事してんだよ」
今思えば、頭が切れてまだ若く本社から出向していた店長であり、その店の業績が自分のキャリアとも関係していただろうし、ごそっと抜けたアルバイトの穴埋めや、本社との間での彼のストレスも頂点に達していたのだと思う。ただ、今もその当時もその「怒り」に対しては、達観するとか、逆ギレするとか、そういうことじゃなくて「ただ受け止めるべき」だと思ったし、今も思っている。だから、僕は15年以上も前のその時の店長の顔を、今も忘れていない。
◆
僕の親父は狭心症の手術などを行なっており、救急車で病院に運ばれたこともある。最後の入院の際には、心臓の手術は無事に終わったものの(本人もホッとしていた)、術後の病院での飲食の際に誤飲をし、そのまま肺炎のようなものにかかり、あっという間に亡くなってしまった。管に繋がれ言葉も言えない父親の姿も見た。ベットの脇に立ちながら、長女が怒った口調で僕に
「お父さんが何て言いたいかわかる?なんで俺はこんなことになってるんだ!って言ってるんだよ」
と言った。僕は何も言えなかった。そして父の葬式も終えてしばらくしてからふと、その行為が意味をなさなかったとしても、その病院に対して僕は「どうにか防止は、治療はできなかったんですか!」と怒らなかったのだろうと思った。すごく悔やんだ。医師からの状況説明は確かにあったが、それをそうですかと返事をしていた自分を、本当に馬鹿だと思った。自分の中の怒りに自覚的になること。そして時に無条件にそれを出すこと。僕にとっては、それがとても難しい。
だからその「怒り」は今も、僕の腹の底に静かに、留まり続けている。
2020年03月27日
3月末日、八ッ場ダムが完成した。カスリーン台風の被害から実に70年以上の年月をかけ完成した八ッ場ダムは、当初完成式典なども予定されていたがその一切を中止。ダムを見下ろす見放題への立ち入り禁止になっており、異常なまでに静かな完成当日を迎えていた。
完成日、昨年1年このダムを撮影したメンバー数人で小さな食事会をした。その中には北軽井沢でスイートグラスというキャンプ場を経営する福島誠さんもおり、根っからのインドアな僕は近所とも言えるその巨大キャンプ場には立ち入ったこともなかったのだが、一通り見せていただくことになった。広大な敷地にいくつものバンガローがあり、大きな食堂も完備。その時すでにコロナの影響は大きくなっていたが、マスクをつけた職人さんたちはさらに大きな家のようなコテージを建設していた。キャンプ場というよりもこれは「村」だと思った。
僕は基本1人でやる仕事が多いし、口はある程度達者でも行動力が弱い。だから、行動に移す人、さらに人を巻き込んで事業を成す人は尊敬する以外にない。福島さんもまた、従業員から見れば「それもやるんですか!」と大変な人なのだとは思うが、「豊かな自然の中にこそ、未来を創造するヒラメキがある」という理念を燃やし続け、新しい「村」を創り続けている人でありので、尊敬する以外にない。
キャンプに集まれば、焚き火をする人もいるだろう。スイートグラスでは、この焚き火の新しいかたちとして、「TAKIVIVA」と銘打った、火を囲み本音で語り合える場作りも始めている。家族単位でなくてもよく、職場の仲間たちで、友人同士で、ゆらぎ燃える炎を見ながら語り合おうという「時間」をサービスとして提供する試みだ。もちろん、今誰彼かまわず集まることはできないが、その「人と人との間に炎を置く」という行為は、懐古主義ではなくて、未来を感じる行為であるように思った。
(以下の動画は僕は関わっておらず、飯塚花笑監督によるもの)
・・あ、そういえば、僕が企画・制作の一部を担当し、飯塚監督と飯塚組によって作られた「中之条ぽわぽわ in 沢渡温泉」という動画が4/1から公開されています。見てね!
2020年03月26日
コロナ禍において大多数の人にも見られる傾向だと思うが、SNSを見る頻度が上がっている。この1ヶ月を見ても、ザーッと見流す数々の投稿の中の、コロナに関係する投稿の割合が急激に増した。震災時も当然そうであったが、しばらくすれば地方によってその割合は変わっていた。今は全国、および全世界のSNSにまでコロナは侵食している。
情報を得るという一方で、「この状況下においてあの人は何を考え、何をするのか」ということを見ている自分がいる。テイクアウトに切り替えた飲食店の情報をまめにシェアする人、旦那さんが医療関係で日に日にツイートに不安感が増している女性、政治批判を続ける人や政治批判を続ける人を批判する人、こんな時こそと道端の花や何気ない風景の写真を上げる人、様々だ。僕は、いつもどおりのくだらない投稿を続けている(つもり)だ。
SNSは、ツイッターでもFBでもインスタでも、人は皆同じ土俵に乗る。そこには0と1のデジタルな世界。大統領も、政治家も、社長も、社員も、ひきこもりも、LGBTQも、高低差はない。反応があるかどうかは置いておいて、リプ(返事)も返せる。けれど当たり前だけどそれぞれが置かれている状況には、高低差もあれば距離もある。「効率化を求めたリモートワークに一気に切り替えられるいい機会じゃないですか!」と煽るコロナ景気に乗る実業家と「明日の生活のために3密が避けられない労働現場に赴かなければならない人」の間を埋めることはできるのだろうか?いや、コロナに関わらず、SNSに関わらず、その差は昔からあった。その差が、今後さらに大きく広がっていく不安感を、SNSをザーッと見流しながら、僕はひとり感じている。
今日、ネット上で「批判とは、あくまで相手のことを考えた上で、意見をよりよい方向に向けるための意見で、他人をけなしたり人格否定するのはただの否定や誹謗中傷でしかない」という書き込みを見つけた。そう。SNSにはというかインターネットには、高いでも低いでもなく、間の小道を歩いていくための可能性も残されている気がする。僕もシャットアウトはせず、飲み込んでは吐き出して、道を探ろうと思う。
2020年03月25日
「内的必然性」。それは、日本映画学校時の講師であり、オウム真理教に切迫した『A』や、東日本大震災後の『遺言 原発さえなければ』といったドキュメンタリーをプロデュースした安岡卓治さんから聞いた言葉だ。もう18年前くらいに聞いた言葉であるにも関わらず、今も大切な言葉として心に残してある。
何かの表現を、依頼されて作るもの、依頼されずに作るもの、と2つに分けた時。仕事として受けるのはほぼ前者である。だが、学生の時などは誰に求められるでもなく映画を作らなくてはならない。そんな時、「誰かが必要とするものじゃない、お前自身が今これを表現したいというものを突き詰めて、それを表現せよ」という事を表した言葉が「内的必然性」という言葉だったように思う。
当時の僕は、映画シナリオを書いてもパッとせず、ドキュメンタリーならシナリオ書けなくても作れるんじゃね?という軽い気持ちでドキュメンタリーゼミに入ったがコミュ力不足にすぐ頓挫。結果「久しぶりに電話をしてきたある新興宗教の勧誘をする知人の知人に対し、僕カメラ向けるけどいいですか?」というドキュメンタリーを作った。でもやはり最後まで人にカメラを向ける勇気が持てなくて、カメラは次第に自分自身が今信じられるもの、実家近所の風景や、親父が撮った家族の8ミリフィルムを撮影するという・・つまりはわけのわからない一人制作のショートドキュメンタリーが完成した。そんなものでも、安岡さんは評価をしてくれた。それは多分、他者には一向に伝わらないが、内的必然性には満ちたものだった。それを作り、見てもらい、ほんの1人の評価を得る事で、僕は救われた。
東日本大震災後にも見られた傾向だと思うが、あの時以上に、様々な人が己の「内的必然性」を問われている。人に媚びる必要はないが、それが独りよがりなものではなく、他者を魅了し、癒し、共有できるものであればなおさらに良いと思う。なぜそれをするのか?・・その根源にあるものの自覚をしていきたい。
2020年03月24日
「志村けんのだいじょぶだぁ」が所属事務所youtubeアカウントで公開され、2話目以降の(必要経費除く)視聴収益は日本赤十字社へ寄付される、という記事を目にして、めちゃくちゃいい話だなと冒頭を再生してみた(書いているのは4/18)。
映像では、すぐに田代まさし氏も登場する。そこそこリアルタイムで見ていた。懐かしい。亡くなった志村けん氏、そして屈託のない表情の田代まさし氏を見て、『男はつらいよ お帰り 寅さん』のクライマックスシーンを見た時のような「戻らない時間」を感じて感傷的になる・・が次の瞬間に
「パイのパイのパイ チンチロリン」である。悶絶。感傷的な気分が吹き飛んだ。
今の放送であれば一発炎上だろうが(演技の強制だとも言えるが、時代におおらかさがあったとも言える)、それをここで問いたいのではなく、「感傷的、悲観的になりすぎるのは良くないな」ということを思った。