日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

4336声 8)写真

2020年03月08日

写真と動画は別物だ。当たり前だと言う人もいるだろうし、似たようなものじゃないのという人もいるだろう。

 

数年前から、動画の撮影を、いわゆるビデオカメラからフルミラーレスカメラに変えた。sonyのα7Ⅲ。panasonicのGHシリーズと並び、動画撮影に向いたカメラだ(なんかセールストークみたいだな)。

 

ビデオカメラはそれこそ17歳の頃から親父のものを無断で借りたりしていじってきたが、実はカメラを自分で買うのは初めて。動画メインで使用しているが、自然と写真も撮るようになった。動画では基本、画のつながりを考えながら撮る。まず全体があり、顔のアップがあり、とか。写真もそういう撮り方はできるが、基本は1枚(1瞬)で何を残せるかだ。カメラの種類や技術・・いい写真を撮るためには色々な条件があるが、やはり一番重要なのは「撮りてのまなざし」である気がする。

 

太田市美術館・図書館で、展示の写真記録や図録の写真撮影をしている写真家の吉江淳さんと飲む機会があった。初対面ではあったが、牛腸茂雄というカメラマンのドキュメンタリー『self and others』はすごいという話で盛り上がれたのが良かった。牛腸茂雄の写真には、記念写真のような被写体がこちらを向いている写真1つをとってみても、不思議な非現実感が漂っている。でも、映えるとか、作家性が強いというものでもない。彼のことを指して「人の無意識を撮る写真家だ」というような評を読んだ記憶があるが・・うまく言葉で説明ができない。

 

吉江さんは、地元太田市などで無人の風景を撮る作品を展開している。それもやはり、映えるとか、作家性が強いというものでもないように思う。寂しいようであり、優しいようであり、その場所を見たこともないのに、どこか心にひっかかる風景だ。吉江さんとはSNSで繋がった。ある日彼がお子さんの入学式の日に、家の近所と思われる場所で撮ったお子さんの写真をSNSに上げた(多分コロナの影響で、式が短縮かなにかだったのだと思う)。それもまた、絶妙に良い写真だった。

 

・・わかった、良い写真はうまく言葉にできない。だから写真作家たちは、写真を撮るのだろう。

4335声 7)美術館

2020年03月07日

詩や俳句と同様、アートとも距離を置いていた。二十歳までに美術館に行ったのは授業で無理やり、という感じ。生まれて初めて行ったデートは(何の告白?)川崎にある岡本太郎美術館だったが、別に岡本太郎ファンだったわけでもなく、その子とはその1回きりで別れてしまった(だから何の告白?)

 

そんな自分が、東京へ行くことがあると(コロナの今、すでに懐かしみを感じる言葉ですね)映画館ではなく美術館へ行くようになった。美術に関心を持つ理由は「下手なドキュメンタリーよりも現代美術の方がよりドキュメンタリーしているから」だ。わかりにくいか。

 

地元「中之条ビエンナーレ」を誰に頼まれたでもなく撮影したのが2007年。それから色々な縁があって、今「アーツ前橋」と「太田市美術館・図書館」で動画撮影をさせていただく機会が多い。作家へのインタビューもそうだが、アーティストが学校へ行って授業を行う様子の撮影や、展示されているものを動画的にどう解釈して撮るかなど、内容は色々。強いやりがいも感じている。

 

中之条ビエンナーレの立ち上げ人でもある入内島道隆元町長は、「アーティストたちは常に先の未来を見ている。だから彼らの目を通して未来を見ることは、この地方においてなおさら必要なことだ」というような事を語った。まさにそうだと思っていて、

 

今のアートは、きれいですね、技法がすごいですね、で片付くものは少なく、「表現の不自由」展があれだけ社会を騒がせたように、アーティストたちは今と格闘しながら作品を作っている。そして美術館という場所はその作品と「私」とが対等に向き合える場所なのだ。映画のように物語や答えを提示してくれるわけではない。その作品の中に何を見出すかは、その人しだいなのだ。それが、とても興味深い。

 

コロナの影響により、一時休館をした(結果、休館・展示終了となってしまった)太田市美術館・図書館の《太田の美術vol 3「2020年のさざえ堂—現代の螺旋と100枚の絵》の展示会場を、大嶋カメラマンと共に記録した。展示の趣旨に添い、展覧会を擬似体験できるような映像なのでぜひ見ていただきたい。そして、ステイホームを課されたアーティストたちはすでに、ウィズコロナ、アフターコロナを感じ・予感し、作品を作り始めているはずだ。暗い霧が晴れた後、それらを目撃しに、ぜひとも美術館へ足を運ぼうではないか。

 

4334声 6)詩

2020年03月06日

詩とは遠い人生を歩んできた。俳句もそうだ。映画はかなり近い方。小説は人並み・・ちょっと遠い距離だろうか。若い時を見れば、漫画が一番近かった。

 

今でも詩は遠い。自分から進んで読むことはない。けれど、めっかった群馬で書くことは忘れても(3月が僕の番だと4月あたまに人に言われて気づいた)ここでの投稿は長文多め、最近はめっきり「書くこと」の関心が高くなってきたので、いい詩には巡り会いたいと思っている。

 

前橋文学館で行われている(4/12現在は休館中)「わたしたちはまだ林檎の中で眠ったことがない-第27回萩原朔太郎賞受賞者 和合亮一展-」。本来なら観客を入れて行われるはずだった詩の朗読がコロナの影響で無観客になり、当初予定されていなかった撮影を依頼された。

 

東日本大震災後、地元福島からツイッターで詩を発表し続けた和合亮一さん。撮影の依頼がある前に偶然にも文学館に足を運んでいて、彼の詩を読んで回ったのだが、僕には正直理解が難しかった。

 

ところが。彼の詩が読まれる現場を撮影し、声としてその詩を聞くと、難解と思われる詩も、僕のこころのどこかに着地した。たぶん、読まれてこそ活きる詩なのだと思った。ステイホームのまにまに、最後に貼る動画を見ていただけたら嬉しいです。

 

そして、現在は伊香保の小物と本の店「やまのは」にいる土屋裕一くんという男を、僕は「信頼のおける本ソムリエ」だと思っているのだけど、以前彼から勧められたのが詩人・長田弘さんの集大成エッセイとも言える「なつかしい時間」だった。あまりの良さに僕も、読ませたい人にプレゼントするまでになった。今こんな時だからこそ、長田さんの詩の一つをシェアしたいと思う。

 

「世界はうつくしいと」 長田弘

 

うつくしいものの話をしよう。
いつからだろう。ふと気がつくと、うつくしいということばを
ためらわず口にすることを、誰もしなくなった。
そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう。

 

風の匂いはうつくしいと。渓谷の石を伝わってゆく流れはうつくしいと。
午後の草に落ちている雲の影はうつくしいと。
遠くの低い山並みの静けさはうつくしいと。
きらめく川辺の光りはうつくしいと。
おおきな樹のある街の通りはうつくしいと。
行き交いの、なにげない挨拶はうつくしいと。
花々があって、奥行きのある路地はうつくしいと。
雨の日の、家々の屋根の色はうつくしいと。
太い枝を空いっぱいにひろげる
晩秋の古寺の、大銀杏はうつくしいと。
冬がくるまえの曇り日の、南天の小さな朱い実はうつくしいと。
こむらさきの実の紫はうつくしいと。
過ぎてゆく季節はうつくしいと。
さらりと老いてゆく人の姿はうつくしいと。

 

一体、ニュースとよばれる日々の破片が、
わたしたちの歴史と言うようなものだろうか。
あざやかな毎日こそ、わたしたちの価値だ。
うつくしいものをうつくしいと言おう。
幼い猫とあそぶ一刻はうつくしいと。
シュロの枝を燃やして、灰にして、撒く。
何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。

 

4333声 5)映画

2020年03月05日

大林宣彦監督が肺がんで亡くなった(これを書いているのは4/12)。

 

度々口にしていることだが、地元中之条町の伊参スタジオ映画祭のスタッフになって数年目、四万温泉をぷらぷらしていたら『転校生〜さよならあなた〜』のポスターを見つけた。大林監督による、セルフリメイク作品だった。聞くと、一部が四万温泉で撮影されたらしい。

 

当時は実行委員長でもないが、「映画祭でかけるのはどんな映画が良いか」は常に頭の隅にあったので、善は急げと東京の映画館に駆け込む。男の子と女の子が入れ替わる。前半のキャッチーさと、後半のカオス感が新しく、ぜひとも上映したいと思った。結果はOK。そして大林監督はゲストとして中之条町まで来てくださった。その夜の交流会の話。

 

映画祭では「シナリオ大賞」という、全国から映画シナリオを公募し映画化させる取り組みを行なっている。その審査員でもあり映画祭の立ち上げに大きな協力もしてくださった篠原哲雄監督が監督として認められるようになる時、それを評価したのが大林監督であったと知った。大林監督は「むかし僕が審査をした篠原監督が、今は新しい映画作家を見出す事をしている。映画のバトンは続いています」という旨の話をされた。映画祭としても誇らしかったし、大林監督は根っからの映画人なんだなと思った。

 

監督が亡くなった4/10日は、コロナショックによって上映延期になってしまったが、遺作となった『海辺の映画館』の公開初日だったらしい。なんだかそのあたりも、大林監督らしいなと思うのは、考えすぎだろうか。

4332声 4)歌

2020年03月04日

ライブハウスでの集団感染が早い段階で報道され、一足早く苦境に立たされたライブハウス。そして、有名無名アーティストたちもライブ活動自粛となり、新たな動きが出てきている。それは、インターネットを使った有料無料の音楽配信だ。

 

聴けるはずがなかった音楽が聴けることは、ありがたい。

 

「不安を紛らわそうと映画を見たが、全然集中できなかった」という書き込みを見た。そういうものだと思う(こんな時こそ見るべき映画もあるが)。だけど音楽の一部は、固い岩と岩の間を流れ染み入る水のような特性を持つ。寝付けない夜に聞くと良いのではないか、というものを2つ紹介したい。

 

1)Ichiko Aoba – “gift” at Sogetsu Hall (Official Audio)
雑誌「ユリイカ」で特集も組まれた青葉市子さん。子守唄のようなその歌に、寝る前に聴くと1曲終わらずに寝てしまう。26:04「レースのむこう」のひたすらな優しさもいいけど、55:04「遠いあこがれ」は白鳥英美子さんのカバーで「楽しいムーミン一家」のエンディング曲。楽しいことがあまりない中学生の時、この歌にとても癒された経験がある。今聞いても染みる。

 

2)UTAU LIVE IN TOKYO 2010 A PROJECT OF TAEKO ONUKI & RYUICHI SAKAMOTO – Limited Edition
坂本龍一さんと大貫妙子さん2人によるライブ映像。坂本さんは他にも、ステイホームな今だからと、過去のライブ映像を続々配信している。18:45「3びきのくま」は、(他の楽曲もそうだが)もとはボーカルがなかった坂本さんの曲に大貫さんが歌詞をつけたもの。身近な不安に潰されそうな時にこの曲を聴き、意識を宇宙にまで飛ばすことができたなら、心地よい安らぎが得られることでしょう。

 

「レースのむこう」も「3びきのくま」も、過去精神的につらい夜に何度も聞いた曲だった。今また、歌に救われたいと思う。

 


4331声 3)食べもの

2020年03月03日

40歳になって、ますます胃腸が弱くなった気がする。・・なんてことを思う日が来るとは、二郎系らーめんに嬉々として並んでいた20代後半までは夢にも思っていなかった。

 

仕事柄、撮影の時以外はPCの前にへばりつきなのもあるが、腹が減りにくくなった。1日2食食べるとそれで足りてしまう。習慣というのは恐ろしいもので、高崎や前橋に行くと「濃厚がっつりこってりらーめん」みたいなものに無意識に吸い寄せられることがよくあって、それを食べると即眠くなり、コンビニに車を停めて仮眠する始末。けれど人間というのはうまくできていて、そういうことが数年続いたので今や、長年染み付いたその習慣すらも変化しつつある。「濃厚がっつりこってりらーめん」の旗を見ても、素通りするようになったのだ。驚愕。

 

さて、コロナの影響で、群馬も現在飲食店にとっては試練の時。テイクアウトに切り替えて奮闘している個人店も多い。

 

何を食べるか、から、誰が作ったものを食べるか、に皆の意識は変わっていくのだろうか。自分の好きな店が窮地に立たされるようになり改めて「応援したい」と思う人は多いし、いつまで続くかわからない状況の中で補償と共に大事なのは「飲食店と利用者との信頼関係」だと思う。

 

「濃厚がっつりこってりらーめん」の旗を通り過ぎて、僕が食べたくなるのは、素材を愛し、料理を愛し、お客を愛する料理人がいるお店の料理だ(我ながら極端)。そしてそういう店は一往にして、その料理を食べた後も心身ともに調子が良い。

 

できる範囲で、好きなお店を(生産者もね)応援していきましょう。

4330声 2)家族

2020年03月02日

朝飯を食って炬燵でウトウトしていると「賢一ちょっといい?」と母。庭の松の木を伐るのを手伝ってほしいとのこと。もう少しウトウトしたかったが体を起こす。

 

松の木と言っても直径は20センチないくらいか。高さは僕の背丈より上をいっていた。大の庭好きだった父が亡くなってもう10年以上。それほど広くないと言っても20畳くらいはあるのかな、庭の手入れは母に任せっぱなしだ。

 

刃渡り30センチくらいの小型のこぎりでギコギコと松の木を伐る。ドサっと木は倒れた。庭の先の柵の向こう、隣の家に住む旦那さんが、日曜の朝から薪ストーブのための薪割りをしていた。

 

切った松の木を引きづりながら柵の前まで行き、「これもらってもらえますか?」と聞いたら、もらってくれた。松を植えた時の父の気持ちは知るすべがないが、その最後に隣人を温めてくれるなら本望かも、と勝手に思ったり。

 

姉は看護婦経験がある。だからというわけではないが、「院内感染だってあるんだから、お母さんの薬は賢一がもらいに言って。連絡はしておくから」ということで、先日原町日赤に薬をもらいに行った。

 

色々な病気を重ねてきた母である。薬剤師から手渡された薬は1〜2ヶ月分とはいえ多量。そのことすらも、普段意識していなかった。

 

今夜は、早めに帰って家族分の夕飯を作ろう。

4329声 1)締め切り

2020年03月01日

今は4月。数日前「めっかった群馬の更新は?」と言ってもらい、3月の担当は僕だったことに気づいた。コロナショックでそれどころではなかった・・のではなく、単に忘れていた。ごめんなさい。

 

並々ならぬ事態である。日本は、どころか世界は。世界と日本には温度差がある。東京とここ群馬でも温度差がある。僕が住む町は、マスクでの外出や手洗いの徹底は多くの人に知り渡ってはいるが(もちろんTVニュースなどで緊急事態だということもある程度は)、家に籠っているという人は多くないと思う。僕もまた、(普段からほぼ行かないけど)県外には出ない、高崎・前橋へ行くときも(普段からそうだけど)車を使う、直帰する、という自分の取り決めはしつつ、毎日隣町の会社事務所まで仕事に出ている。

 

映画みたいなことが現実になった

 

という言葉も、半月前なら公然と言えたかもしれないが、今それを言うと不謹慎な気がしてしまう。もろに現実だし、コロナショックは身体の危険性と共に精神的な余裕を奪いつつある。

 

こんな時に何を書けば良いのかは正直よくわからないが、今の状況においては1人1人にとっての「大切なこと」に意識が向けられているという気もする。では、僕が思う「大切なこと」は何なのか。考えてみたいと思う。

 

1つは、締め切り。そう、それがあるから僕は仕事ができている。書き始めるはずだった3月1日から43日遅れて、僕は書き始める。

4328声 静かな春

2020年02月29日

二月尽。所用で群馬へ行く予定。こんなときこそ、すこし俳句を作ろうかと思う。ことしは不穏で静かな春になりそうである。

4327声 ことごとく空いて

2020年02月28日

住んでいる街のスポーツクラブから新型コロナウイルスの感染者が数名見つかったとかで、幼稚園、保育園を含め一挙に学校が休校になったり、朝には駅にテレビカメラがいたりと、身辺がすこし騒がしい。句会以外にも三月の予定がことごとく空いて、なにやら寂しい。卒業式、入学式に花見など、これからどうするのかと、気をもんでいる。さて、私もこれから自身の句会延期や中止の連絡やら何やらを進めねばならぬ。

4326声 創刊

2020年02月27日

帰り際、いつものようにポストを開けると、いくつか届いていた郵便物の中に、見慣れぬ誌名の封筒があった。玄関で立ったまま封筒の封を切り、その中の本を取り出すと表紙に「創刊号」とあった。さきの新型コロナウイルスの流行もあり、ますますネット上で句会やらなにやらやる時代に、紙の雑誌、それも俳誌を創刊するとは頼もしい。時代の潮流などとは関係ない物と言うか、志にには敬意を表する。

4325声 空の車内

2020年02月26日

雨のち曇りですっきりしない空。新型コロナウイルス流行のため、朝の通勤列車が空いていた。時間差通勤やテレワークを導入する企業が増えていることを実感した。「鬼滅の刃」を数話アマゾンにて鑑賞。寝る前に太宰治「人間失格」をパラパラと。

4324声 チクリ

2020年02月25日

花粉症が極度に悪化し、新型コロナウイルスだか、インフルエンザだか、もうおぼろげな体調になりながら、なんとか一日すごす。帰ると、寄贈の俳誌が一紙届いており、頁を割いて辛辣な批評をしてくれていた。たいていは「おもしろい」句を載せるのだが、「つまらない」句を載せてもらえるとは、ありがたい。私の作品は若手には受けが悪いのだ。胸がチクリと痛むような部分もあるが、自身の句を高めようという刺激にもなる。

4323声 切符の厚み

2020年02月24日

午前中はたまったこの「ひとこえ」を書いて、午後から県内の句会に出かけた。うららかな日ざしで、ほっこりとした一日。梅や河津桜に親しんだ。ゆったりとした気分だと、たいてい句に精彩がなくなる。今日がまさにそれ。句会の後もひさしぶりに、句座の仲間とゆっくり歓談した。スマートフォンを家に忘れたので、余計な邪魔が入らず、それも良かった。しかし、スマホをかざして改札を抜けられず、自動券売機で切符を買うのだが、それが面倒でまいった。JRから別の路線に乗りかえる時は、乗り換えの切符を追加購入しないといけない。しかし、数年前までは特に不便を感じず、平気でやっていたこと。利器にすっかり依存していることに愕然とした。帰りは、千鳥足で切符を無くさないかと、切符を握りしめつつ、どうにか最寄り駅までたどり着いた。

4322声 東風の川

2020年02月23日

強烈な東風の一日。先日のややこしい問題がまだ尾を引いていて、朝からなにかと電話したりスマホをいじったりと、心がざわざわして過ごす。その中で俳句関係のやり取りを済ませ、出かけた。川が見たくなったので、茨城県の境町まで車を走らせた。利根川は広々としていたが、強風のため砂ぼこりがひどく、とても土手をゆったり歩くような雰囲気でもない。空っ風を思い出したが、ここももう少し行けば渡良瀬遊水池なのだ。そのままとんぼ返りしてきて、ただ単に時間とガソリンを減らしただけの遠出になってしまった。

4321声 春の草

2020年02月22日

曇ったり晴れたり、夜半に雨が降ったりと落ち着かない天候。朝方に庭の草むしり。たいぶ春の草になってきた。手ごわくなってきた。満足に水やりもしないのに、葉牡丹はりんりんと元気。日用品の買い物に行き、一日が終わる。

4320声 心神喪失

2020年02月21日

ややこしい問題が起こり、そのことに気持ちを持っていかれる。仕事が終わらず、夜の句会には行けず、花粉症の悪化で晩酌の麦酒は美味からず。

4319声 花壇の芽

2020年02月20日

曇りのち雨。参加しているネット句会の投句を済ませる。俳句雑誌の原稿をひとつ確認し、校了。狭庭の花壇のチューリップの芽が、たいぶ大きくなってきた。