日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

324声 御不浄物語 中編

2008年11月19日

安堵感に浸りつつ、口半開きの表情は、極度に弛緩。
深い溜息を一つついて、トイレットペーパーに手を伸ばす。
「なんと、紙が無い」
なんて言う、三文筋書きの様にはならず、どっさりと巻いてある。
悠々と、再度訪れた平和的社会生活を噛み締めつつ、
トイレットペーパーを手に巻き取っていた、その瞬間。

「ガタン」
っと、入口。
瞬時に表情は硬直。
平和社会は一瞬にして崩壊し、便所内は厳戒態勢。
僕は、和式の情けない体勢。
息を殺して、一先ず一連の作業を終え、
ベルトから鳴る金属音に注意しながら、ゆっくりとズボンを上げる。
そして、先ずはこの目で事実確認せねばと思い、恐る恐る、ドアの上から顔を出す。
僕は背が高い方なので、幸い上から覗く事が出来たのだ。

若妻。
ドアのすぐ前に立って居たのは、若奥さん風の女性が一人。
乾きかけた冷汗が、息を吹き返す。
天国から地獄。
御不浄様は僕を御見捨てになられたのか。
などと、便所の隅で嘆いていたら、またドアの開く音。
「帰った」
と、希望的観測にすがりつき、例の如く覗いて見る。

若妻。
が一人増えていた。
僕は一気に老けた。
様な心持になって、頭を掻きむしって、うずくまって、自暴自棄になって、取り合えず水を流した。
そのローテーションを繰り返す事、三回。
相当時間が経過し、三度目の水を流した時には、ドア越しに、
会場(女子便所)のボルテージが、最高潮に達している空気感。
解決策も出ないまま。
半径1mを右往左往。
「女子便所の変質者は高校生」
なんて言う、明日の朝刊が、言わば、最悪の事態が、想定される。
ドアがドンドン。
心臓がバクバク。
もはや万事休す。

323声 御不浄物語 前編

2008年11月18日

今を遡る事、僕が高校二年生時分。
今回は一人称を、「僕」にしてみる。
「私」でも、「西山日出男」なんて仮名でも良いのだが、
これから書く間の抜けた男には、僕が合う様な気がする。
さて、話を戻す。

春の放課後である。
修学旅行を直前に控えていた。
修学旅行の学生ってのは、大抵、新しい下着を身に付けて行く。
要は、そう言う年頃なのである。
多分に洩れず僕も、その日の放課後、家路から足を延ばして、
学校の近くにあった衣料品店に立ち寄った。

店内でパンツを選んでいる、制服の学生。
店員の視線を背中に浴びつつ、焦って選んでいた、その瞬間。
下腹部に電流一線。
ハードパンチャーのボディブロー。
突然の鈍痛である。

「うっ」
っと、反射的に体が、くの字型に折曲がる。
肛門括約筋の収縮率から算出する、余時間は、一刻の猶予も無し。
つまりは、最悪の状態。
平たく言うと、「もれそー」なのである。

全身の血が、一気に下降して行くのが分かる。
「ヒッ、ヒッ、フー」
と、気が動転して何故かラマーズ法で呼吸しつつ、
内股ヨチヨチ歩きで店の外へ出る。
「フー」の部分で、括約筋が弛緩したのか、状態は土砂崩れ寸前。
自動ドアを出た瞬間、「ダメだな、こりゃ、しかし」と絶望的観測。
直ぐそこに駐輪してある自転車までの道のりも、困難。
虚ろな視界に映ったのは、「WC」の文字。
トイレが外に付いている店舗だったのだ。
「神様、仏様、御不浄様」って、蜘蛛の糸を掴むが如く、男子便所へ。

赤。
ドアノブの色は絶望を表していた。
便所の入り口で放心。
白眼が徐々に黒眼を侵食。
「無念」
と、勝負を投げ出す寸前、脳裏に過る。
「女子便所だ」

もはや考える余地なし。
「ほんの2.3分」
色即是空。
南無阿弥陀仏。
九死に一生。
女子便所で恍惚。

322声 失敗の親玉

2008年11月17日

自動販売機でカップコーヒーを買う際、
ホットとコールドを押し間違えてしまった。
冬の朝から、アイスコーヒーを啜る破目に。
そのカップコーヒーを持ちながら、階段を下る。
階段を踏み外して、体勢を崩し、カップコーヒーがYシャツに、ドバッ。

「ハンカチ、出てますよ」
と指摘を受け、
「こりゃどうも」
って、ズボンの後ろのポケットに手をやって、ハンカチをしまう。
けれどもそれは、ハンカチじゃなくて、実はポケットの裏地。

ポケット裏地の一軒は、まさに本日の失敗であるが、取るに足らず。
この手の失敗などは、年に数えきれない程ある。
言うならば失敗の下っ端、三下も良いところである。

しかしその失敗も、親玉辺りになってくると、一筋縄では行かない。
私は以前、失敗の親玉と隣り合わせの、絶体絶命状況に陥った事がある。
その状況を打破する為、人間と言うのは、かくも不思議な行動を取ってしまうものである。
明日は、そんな話を一つ。

まくら、と言うか。
前フリ、と言うか。
つかみ、と言うか。
つまり、そ言う事。

321声 音に聞こえし上州八木節

2008年11月16日

「音に聞こえし国定村のぉ〜♪博徒忠治の生い立ちこそはぁ〜♪」
未だに頭ん中で鳴り響いている、八木節ビート。

昨日、今日と、上州八木節会の八木節生演奏を体感。
昨日は「和のカルチャースクールほのじ」に、代表の加藤さんがお越しになり、
国定忠治にまつわる話と、八木節の実演。
「れぇでぃ〜すえんじぇんとるめ〜ん♪」なんて節回しの、貴重な英語版八木節も聞けた。
なんと上州八木節会、2004年の国賓であった、デンマーク王国女王夫妻の御来県で、
八木節を披露した事が縁となり、翌年にデンマーク王国の古城で、八木節を演奏した経験があるのだ。
しかし昨日は、それらを押しのけて、加藤さんの身の上話が上演時間の倍以上。
いやはや、博徒忠治の生い立ちよりも、加藤さんの生い立ちの印象の方が強く残っている。

そして今日は、伊勢崎市文化会館で行われた、「第2回郷土芸能大会」を観覧。
演奏チームは全部で33団体。
伊勢崎市にも、これだけ多くの郷土芸能の火が灯っているのかと、感嘆。
その演目は、やはり八木節が一番多く、他にも、どじょうすくいの安来節や、
獅子舞、祭礼囃子などが好演。
さて、上州八木節会、他を圧倒する気迫あふれる八木節を披露。

演奏中の加藤さん、時折見せる満面の笑み。
加藤さんの吹く笛は、八木節に賭けた男の魂を奏でている。
あのメロディー、あの「ピ〜ヒャラ」具合が、加藤さんの八木節人生を語っていた。

320声 気質

2008年11月15日

さて、土曜日。
もう、午前中を無為に過ごしてしまいました。
今日は、朝から天気が良くないからでしょうか。
何だか、気分が優れないような心地が致します。

おいでになられたのに、何もお構いしませんで、申し訳なく思います。
珈琲の一杯でもお出しして、お話でも出来れば宜しいのですが、
生憎、出掛ける用事がひとつ。

大した用事ではないのですが、既に、予定の時間を過ぎておりまして。
いえ、お気になさらずに、如何です、一杯。

319声 通過列車

2008年11月14日

煩悶は良いが懊悩は良くない。
つまりは、気にせず悩めとでも言おうか。
まぁ、私の場合。

会社において部長あたりから面罵される。
「んーな事じゃ、テメェの給料なんて出さねーぞ、この、こんこんちき」
すると私、おもむろかつ冷静沈着に、右手人差指と中指を立て、
ゆっくりと左右を指差し確認する。
この行為は、浴びせられる叱責を列車に見立て、今まさに駅(脳)を通過しましたよ、
と言う、ユーモアに富んだ皮肉のつもりである。
駅係員として、切符の一つでも切ってあげたい様な心持でいる。

しかし、ユーモアとユーフォーの区別もつかない、茹ダコ人間化した人から見れば、突然の奇行。
さてはいよいよ、コイツ気でも違えたかと思い、事態は一気に沈静化の様相を得るのである。

列車が通過する際は、くれぐれも、白線の内側に下がって待つ事。

318声 鋭敏であれ

2008年11月13日

視界前方の風景を眺める。
行ったん視線を逸らしてから、膝を曲げて中腰になる。
そしてまた、同じ風景を眺める。
そこにあるのは、同じ風景であるが、見え方が違う。

11月14日の試み。
朝、いつもは、食パンを焼いてからマーガリンを塗るのだが、
今日は、塗ってから焼いた。
夜、いつもは専用のグラスでビールを飲むのだが、
今日は、湯のみで飲んだ。
同じ物が違う味。

その試みが、感覚を養う。

317声 風の子

2008年11月12日

車通勤の私は、朝、通勤ラッシュがある時間には家を出る。
信号待ちの長い車列の中、車窓から毎朝見る光景がある。
それは、車道の脇を登校する小学生たちである。

ランドセルを背負った四、五人の小学生たちが、列を成して登校して行く。
この地区で登校の際に決められている、登校班と言う制度だ。
「班長」と言う黄色い腕章をランドセルに付け、一番前を歩いているのが、上級生。
黄色の帽子を被って、心許な気について行くチビッ子が一年生であろう。
そんな光景を見ていて、気付く事が二つ。

まず、大人しい。
皆一様に黙々と、中には浮かない表情で、億劫そうに歩いて行く子供も見受けられる。
年寄りのハイキングじゃあるまいし。
「子供は風の子」なんて表現を使うと、年寄りだと言われそうだが、
私が子供時分には耳蛸な言葉であった。
実際、毎朝、笑顔と大声を撒き散らしながら、風と戯れる様にして、登校していた様な記憶がある。
その中には絶対にいつも、どこで拾って来たのか、
棒っ切れなんか持って、振り回してる奴がいたものだ。

そして、小綺麗。
皆、身に付けている衣服が小綺麗、お洒落である。
男子も女子も、小生意気に凝った刺繍が施されている、
どこぞのキッズブランドやら、と見受けられる服装が多い。
私の時分には、特に男子は皆、体操着で登校してくる子が多かった。
その子らの体操着の肘や膝には、大抵、擦り切れを隠す為の、
継ぎはぎやアップリケが見えていた。
私も経験があるが、親が膝などの目立つ場所に、幼稚で派手なアップリケをしてしまい、
非常に恥ずかしい思いをした事がある。

大人しくて小綺麗な子供たちが、黙々と登校して行く光景。
そんな光景を、毎朝、車窓から眺めていると、すこし寂しい心持になる。
私の胸中を駆け回る言葉は、
「もっと笑顔と大声で元気よく」
「服なんか擦り切れるまで遊べ」
そして、年寄りだと思われても、やはり言いたい。
「子供は風の子」
さぁ、鼻たれ小僧、棒っ切れ持って突っ走れ!

316声 楽屋裏

2008年11月11日

本日は高崎市街地を転々。
映画館に美術館、ラジオ局。
「取材」と言う状況にあやかって、
各所の言わば「楽屋裏」を覗かせてもらった。
そこは究極を生み出す場所。
さて、「めっかった群馬」の楽屋裏って、
どこなのかしら。

315声 路上の月

2008年11月10日

酔って路上。

仄暗い電信柱に問う。

答えず三日月。

今宵は冷える。

314声 ロータリー

2008年11月09日

先日、桐生市の或る銭湯を訪問した。
店主の了承を得て、出来るだけ他の客の邪魔にならぬ様、
室内をカメラで撮影していた。
「古き良き銭湯かい?」
と、後ろから声。
振り向くと、悠然と気を抜いた姿勢でマッサージ機に腰掛けた、人の良さそうなおじさん。
「古き良き銭湯です!」
と、俄かに力む私。
するとおじさん。
「よし、じゃあ、連れてってやるから待ってな」(声がマッサージ機によって若干振動)

一瞬、返答に困って曖昧な相槌を打つ私をよそに、
虚空を見つめながら、体全体が小刻みに振動している、マッサージ機のおじさん。
それから、脱衣場、浴室、と人の居ない時を見はらかって撮り進めていた私にまた。
「はい、行くよ」
と、着替えもマッサージも済んで、サッパリとしたおじさん。
何故だか、私が待たせていた様な空気が漂い、「はい、今行きます」と、
番台の店主にまた来ることを告げ、即座に銭湯を後に。

銭湯を出ると、おじさんは自転車、私は小走りで、本町通りへ。
どうやら、近所にある別の銭湯を案内してくれるらしい。
桐生市内の歴史、銭湯の歴史の講釈を聞きつつ、冬の商店街を疾走。

聞くと、おじさんは三吉町(隣町)の人間で、家湯もあるのだが、
気分転換に近所の銭湯を巡っているとの事。

「ここがロータリーで、あそこが銭湯」
おじさんが指さす方向に、煙突が見えた。
「ロータリーって何ですか」
と聞くと、おじさん誇らしげに。
「今じゃ唯の交差点だけど、昔はこう、ロータリー式になってて、
地元の人間は未だロータリーって言っるんですよ」
と、何故か敬語で力強く説明。
そして、「じゃ」と片手を上げて、おじさんは一度も振り返らずに、
どんどん小さくなって行った。

おじさんが案内してくれた銭湯。
おじさんと会う前に、既に訪問していた。
けれど、そんな事はどうでも良い。
見ると、おじさんの姿はもう無く、夕暮れのロータリーだけがあった。

313声 瓶麦酒 with おでん

2008年11月08日

おでん。
は、やはり瓶麦酒である。
そして、サワーでなくハイなのである。

高崎市街地のおでん屋より。

312声 ピンぼけ

2008年11月07日

焦って撮った写真は、ピンぼけな写りが多い。
それは文章にも言える。
焦って書いた文章は、やはりピンぼけな内容が多い。

酔って撮った写真、これもピンぼけな写りが多く見られる。
そして、酔って書いた文章。
これは、ピンぼけていない事がしばしばある。
だから、まずい。
内容が、非常にマズイ。

翻って考えてみる。
常に、書いてはならない様な、マズイ内容を胸に抱えている。
毎日、文章の内容においてそれらをぼかしつ、書いている。
と言う事になる。

この調子で書くと、なんだかピントが合わさって来てしまいそうである。
なので、ここらで止して、ピンぼけな文章を、今日も繋ぐ。

311声 96度の不思議な面々

2008年11月06日

近所に日帰り温泉施設があって、よく利用する。
そこに、サウナがあるのも、私が利用する大きな要因である。

いつも行く、そのサウナで見かける、すこし不思議な面々を紹介。

まず、座らない人。
サウナの構造は、大抵、階段状になっており、座る場所にタオルが敷いてある。
そこに座りたくないのか、修行の一環なのか。
サウナに入っても、座らない人ってのがいる。
座らないでジッと、部屋の端っこ辺りに佇んでいるのだ。
虚無僧スタイルなのだろうか。
裸なのに。

次に、汗を素手で頻繁に払う人。
この人の隣に座ってしまったら、大変なのである。
サウナに入って座っていれば、当然汗が噴出してくる。
その出てきた汗が、腕や胸部腹部で玉の様になっている。
自分のそれを発見すると、徐に、「ピシャッ、ピシャッ」と素手で払うのだ。
それが、飛ぶ飛ぶ。
「ピシャッ、ピシャッ」っとやる度に、隣に座っている私に、「ピチョッ、ピチョッ」っと、
そのおやっさんの汗が付着するのである。
勘弁してもらいたい。

そして、あの行為は何の為にやっているのか、一度問い正したい。
次の汗がつっかえて出て来れないからなのか。
汗が溜まっているのが気持ち悪いからなのか。
何れにせよ、それならタオルで拭って頂きたい。

まだまだ不思議な面々がいるのだが、今日は時間と相成り候。

310声 食堂の大統領

2008年11月05日

ラーメンを啜っている時、食堂のテレビがアメリカ合衆国大統領選の結果を告げた。
大統領が変わっても、ラーメンの味は変わらない。
変わらねぇよな。

309声 極楽は身近

2008年11月04日

レンタルビデオを借りに行く。
料金の割高な新作を借りる時もあれば、
料金の割安な旧作を借りる時だってある。
割高だって新作を観たいし、沢山借りるなら旧作が手頃。
「選べる」って、その多様性が、消費者のニーズである。

風呂に入りに行く。
料金の割高な日帰り温泉に入る時もあれば、
料金の割安な銭湯に入る時だってある。
割高だって天然温泉の日帰り温泉に入りたいし、
毎日入るならラジウム(ラドン)温泉の銭湯が手頃。
「選べる」って、その多様性が、消費者のニーズである。

割高な極楽と割安な極楽。
選べる極楽は身近な極楽。

外套を着た人がチラホラ通り過ぎる、街ん中を車で走りつつ。

308声 三行半のモーター音

2008年11月03日

先日、愛用のコンパクトデジタルカメラに、遂に三行半を突き付けられてしまった。
いつもの様に電源ボタンを押しても、「ジーッ」っと言う機械的なモーター音が鳴るだけで、
肝心のレンズが出てこない。
急によそよそしい態度を決め込んで、取り付く島もない。

そんな訳で、カメラを手放して外へ出る事になった。
そこで、如何に今までカメラに依存した生活を営んでいたかに、気付かされる。

例えば、食事に行って、美味しい料理と出遭った時。
メモ代わりに、料理とメニューをパシャリ。
散歩の最中に、心を奪われる光景と出逢ってパシャリ。
銭湯を探訪してパシャリ。
仕事の取材先でパシャリ。
何処でも彼処でも、撮影依存型の行動様式である。

早いところ、カメラを修理して備えなければ生活に支障をきたす。
ってな思考が、既に依存型人間の最たるもの。
しかし、修理などせずに、新しいカメラに鞍替えするつもりである。
そこは、なかなか譲れないのだ。

307声 チャーシューメンの試み

2008年11月02日

「一寸、奮発」
って、普段のラーメン(550円)でなくて、チャーシューメン(750円)を注文。
食って、退店。
すると、なんとなく落ち込んでいた気分も、なかなか出なかった調子も、
少しだけ、良くなる。

雨上がりの道を歩くよな。
憂鬱が200円分溶けたよな。