日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

3629声 会員システム

2017年10月19日

ひねもす雨であった。
今日気がついたのだが、知らずにAmazonプライム会員になっていたようである。
いつからそうなったのかは分からぬが、いつからかそうなっていたらしい。
本などよく購入しているので、購入するときにときおり、「送料無料」と表示されるのは、
この会員になっていたからだと、腑に落ちた。
こういうことが、最近しばしばあるので、私が注意力散漫なのか、
近頃のシステムが複雑なのか。
知らずにそうなっていたところで、特に驚きなどもなく、「それならばそれでよかろう」、
という心持になっている自分がいる。
近頃のシステムの巧みなところか、私が能天気なだけか。

3628声 声

2017年10月18日

昨日までの雨が上がって、爽やかに晴れた。
雲間からのぞく青空が清々しい。
その空に吸い込まれるようにして、街中のいたるところに、
拡声器から選挙演説の声があった。
週末の投票日を前に、ラストスパートといったところであろうか。
こちらに声が届く前に、秋風になっていくような気がした。

3627声 玄関灯

2017年10月17日

秋雨前線が横たわっている関係で、このところ雨続きである。
洗濯物は乾かぬし、気持ちは滅入るし、良いことはない。
おまけに、家の門についているポストの配置および形状が悪いのであるが、
雨が降るとポストの中の郵便物が濡れる。
封筒などはまだしも、手紙関係がとても水に弱い。
特に、万年筆で書かれたものなど、文字がにじんで、
判別できぬこともしばしばある。
そして、万年筆で書かれたものにこそ、重要なもの多いので、
始末に悪い。
さきほど、引き上げた郵便物にも、雨がしみ込んでいた。
湿った封筒を片手に雨を呪いつつ、門を閉めると、
門の脇の空に、大きな女郎蜘蛛を発見した。
じつにいきいきと黙々と、玄関灯に照らされた巣を繕っていた。

3626声 錆びた匂い

2017年10月16日

昨日より雨が続いている。
日中でもセーターが必要なくらい、冷え込んできた。
部屋の隅にかけてあるエレキギターを手にとり、
小型のアンプの電源を入れて、気まぐれに弾いてみた。
もちろん普段弾いていないので、からきし指が動かず、
指の腹もすぐに痛くなって、すぐに電源を切った。
「弾ける指」になっていないので、当然である。
ギターなどすこし触ったことのあるひとならば分かるだろうが、
毎日弦を押さえていると、指の腹が硬くなってゆく。
むしろその状態になっていないと、弦を押さえたときに、
すぐ指の腹が痛くなってしまうのである。
引っ越すたび、かさばるギターなど手放そうと、いつも思う。
むしろ手放したいといつも思うが、実行に移せずに、いまもある。
思い入れもさほどないのだが、
指に残った錆びた弦の匂いを嗅ぐと、
妙に、まだ置いてあっても、という思いになるのである。

3625声 豆腐のカス

2017年10月15日

二日酔いはどうにか間逃れたが、腹の具合が良くない。
昨夜、句会のあとに酒席があった。
その後に、最寄り駅の大衆酒場へ足が向いてしまった。
金曜日の夜にも酔った酒場である。
店内は平日とはまた違う雰囲気で、まず若いカップルが多い。
そして、斜向かいの席にはおそらくであろうが、十代後半の娘と飲んでいる、
おやっさんが居たり、全体的に若々しい。
飛び交う注文も、「モヒート」やら「ハッシュドポテト」やら横文字が多い。
一軒目の店で助走がついていたので、ゆったり飲むつもりが、
どうしてもハイペースになってしまい、ぐんぐん杯を空けてしまった。
麦酒で腹が冷えたか、雨に濡れて帰ったせいか、翌日の今日は不調である。
ウインドブレーカーのフードから、食べこぼした豆腐のカスが出てきた。

3624声 都心の柿

2017年10月14日

定例の句会で原宿駅へ出かけた。
原宿といっても、代々木公園と句会場を往復して帰るだけなので、
私にとっての原宿はここ数年、自然に触れて句会をする場所として定着している。
代々木公園の沼の脇に、一本柿の木が植えてある。
いかにも都会の果樹という風情だが、ひょろっとした枝にたわわに実をつけていた。
立ち止まって、眺めていると雀がひっきりなしに来て、実をつついていた。
郊外ならば気にもとめない光景だが、都心で見ると、何か珍しいことにように思えて、
しばらくぼんやりと眺めていた。
こういう作意なく頭が空になっているときは、思わぬ一句がつかめるような気がする。
中に神経の図太い雀がいて、一緒に来た群がみな飛び去っても、
カメラマンにレンズを向けられても、知らん顔で柿を一心につついていた。

3623声 キンミヤのボトル

2017年10月13日

帰路の途中で、最寄り駅付近に新しくオープンした大衆酒場に寄った。
七時過ぎという、わりあい浅い時間にもかかわらず、コの字のカウンターは、
おやっさんたちでひしめき合っていた。
こういう店は流れに逆らうことなく、くらげが漂うように、
店の雰囲気になじむと心地よい。
生麦酒は三百円、つまみの多くは三百円でおつりが来る値段である。
客の多くは、キンミヤ焼酎のボトルを置いていたので、常連の多さが伺えた。
さっと飲んで、家路へ。
途中、駅前のたこ焼き屋の前を通ると、
一舟六百円近くするメニューが目に入った。
先の「馬越」ならば、生麦酒と煮込みが、などと、やめようとは思うが、
やはり比べてしまう。

3622声 悪魔の言葉

2017年10月12日

今夏、俳句の雑誌の編集者の方と昼飯を共にする機会があった。
入ったのは肉料理の店で、私はステーキ系統の重たい品は避け、
サラダとローストビーフの丼という軽めな物を注文した。
聞けば、雑誌の編集というのも大変ながら楽しい仕事で、
校了前には徹夜も辞さぬ、という意気込みであると伺った。
しかし、四十を過ぎてから、徹夜はできなく、できても疲労が抜けず、
食事の量は食べれず、重たいものは避けるようになったと、嘆息されていた。
だから、「三十代のうちに徹夜して、食べれるだけ食べておいたほうが良い」
とのアドバイスを投げかけられた。
徹夜はしていないが、食べるほうは、「それもそうだな」と思い、
重たいものをどんどん食べていた。
そのせいか、夏以降、急激に太ってしまって、
いまは顔がパンパンになってしまった。
慌てて、食生活を改善しようと思うのだが、一度ついた勢いは中々おさまらず、
品書きを見ていると「三十台のうちに…」という悪魔の言葉が脳裏をよぎり、
ついつい、食べなくても良い揚げ物を、飲まなくても良い麦酒を、
今宵も食べ過ぎてしまうのである。

3621声 十年一昔

2017年10月11日

秋晴れの一日であった。
いま、何の気なしにこの日刊「鶴のひとこえ」の過去の記事を読み返していたら、
一番古い記事の日付が、「2007年05月27日」であった。
それはつまり、この「めっかった群馬」が開設された日だと思うが、今年で丁度、
10周年ということになる。
十年一昔というが、このWEBサイト自体はほぼ内容も変わらず、ネットの片隅に存在している。
しかし、運営している私たち、その周辺の環境を思えば、やはり隔世の感がある。
私も三十代の後半に差し掛かろうという、中年になってしまった。
四十歳までに「何かもう少し」という気持ちが漠然とではなく、切実にある。

3620声 芋虫

2017年10月10日

庭先にある、正確にはあった、紫陽花だか何の花だったかが朽ちて、
そして雨に夜露に濡れて、なんだか得体の知れぬ物体になっている。
今朝、その物体の脇を通ると、数多の芋虫が這っていた。
秋ながら日中、暖かかったせいで、孵化したのだろう。
その芋虫は全身が黒く、太く白い縞がある。
朽葉を這うもの、青い葉の上に丸まっているもの、みな元気である。
駆除するべきか、羽化して飛んでいくのを待つべきか。
とりあえず、そっとしてある。

3619声 十年一日

2017年10月09日

高速道路を走行中、車窓の田園風景の中に学校があり、
赤、白帽子の子どもたちが沢山見えた。
その光景を眺めていて、今日が体育の日であることを思い出した。
そういえば、昨年処女句集を刊行してから、丁度一年経つのである。
句集の名前の如く、今日は真青なる秋の空。
そして、体育の日の今日も、毎年のことながら、
さして運動らしい運動をせずに、一日が終わって行く。

3618声 薄紅葉

2017年10月08日

先月も着たが、今月も榛名湖へ来た。
静かな場所で休もうと思い立ったのだが、連休の関越高速道路は壮絶なる渋滞で、
着いたころはもう夕暮れで、疲弊していた。
それでも、着くと静かな湖畔に薄紅葉など揺れていて、とても和んだ。
一泊して帰路。
とても慌しいが、強制的にでも、気持ちを落ち着かせることは、やはり大切である。

3617声 守宮

2017年10月07日

やや寒い、雨の一日であった。
昨日の挨拶で誰かが述べていたが、
今年もあと三ヶ月と聞くと、身にしみる思いがする。
手が伸びる麦酒も、淡色のラガーではなく、
濃色のエール系統になってきた。
晩酌をしていて、次の麦酒を取りに、冷蔵庫へ立った。
冷蔵庫脇の壁のうす暗がりに、守宮を見つけた。
夏の時期ならば、目が合うだけで素早く隙間へ逃げてしまうが、
晩秋の気温の為か、じっとして動かない。
ひょいとつまみあげて、しげしげと眺めるとまだ子どものようで、
半透明な体に、黒々とした小さな目が光っていた。

3616声 夜半の定食屋

2017年10月06日

静岡県から日帰りで帰って来た。
帰路、都内のどこかしらで一杯と思っていたが、
三連休前の金曜日の夜の東京駅の混雑の中を歩いていると、
文章にもやたら「の」が多くなってしまうほど、
身も心も疲弊して来て、結局、最寄り駅の付近の、
よく行く定食屋で、瓶麦酒を飲んで帰宅した。
飲み屋街にある夜半の定食屋は雑多な客層ではあるが、
非常に落ち着く場所である。

3615声 月と猫

2017年10月05日

昨日10月4日は、中秋の名月、十五夜であった。
天気の崩れもなく、きれいな月が浮かんでいた。
月ももちろんきれいだが、月光を孕んだ雲も、
負けず劣らずきれいであった。
帰り際、猫に遭遇した。
それも、沢山。
みな、何するわけでもなく、
街灯の下や人家の塀の隅にうずくまっていた。
うずくまってはいるが、近寄ってみると、
目をかっと見開いて暗闇に去ってしまう。
月光浴を邪魔されて怒っているのであろうか。
月と猫の関係も、何か浅からぬものがあるらしい。

3614声 酔って無くす

2017年10月04日

今日、先月受けた健康診断の結果が手元に来た。
全てオールAといいたいところだったが、肝機能に注意のCが付いていた。
γ-GTPの数値が基準よりも高かったのである。
受診日の前々日に、俳句の用事で高崎市に出かけ、その日深酒していたので、
さもありなん、という具合である。
気に留めているのは、γ-GTPの数値よりも、その晩、
つまり、高崎で飲んでいた夜のことである。
ビューホテルで飲んでいて、一人で飲み直そうと、
柳川町から市街地方面へ歩いていた。
スズランの横あたりでジャケットを脱ぐと、カランとポチャンといやな音がした。
スマートフォンでも落としたかと、慌ててポケットを確認すると、スマートフォンはある。
ごそごそとポケットを調べると、ペンがない。
この日に限って、愛用のペンをさしていたのである。
すぐ横を流れる城址のお堀へ落っこちたのであろう。
酔眼を凝らしても、真っ暗な川面が街灯を揺らしているだけで、
ペンの所在は一向に分からない。
酔って無くす、いろいろな物を。
俳句をやっているせいか、ペンは高確率でなくす。
今回は環境には悪いことをしたが、まさか鯉が食べて喉を詰まらすことも無いので、
回収はあきらめるしかない。

3613声 乾いた匂い

2017年10月03日

日帰りで長野から帰ってきた。
一昨年から運行開始した北陸新幹線「かがやき」に乗車するのは二度目であったが、
東京、長野駅間をおよそ1時間20分で行き来する早さには驚いてしまった。
かくも潔く群馬県を通過して行く車窓の景色は、改めて新鮮であった。
高崎駅を通過してしばらくしたころ、後ろの席のご婦人が隣のご主人にぽつりと、
「さっきの、わりと大きな町だったわね」と話しかけた。

平日ながら善光寺付近は大型バスなど並んでいたが、長野駅前は閑散としていた。
晩秋ということもあり、街中はいささかさびしい景色であった。
吹き行く秋風は、山国らしい乾いた匂いがした。

3612声 団栗

2017年10月02日

先ほど送信した原稿で、一年間の新刊句集の書評担当が終了した。
氷山の一角に触れただけだが、毎月夥しい数の句集が刊行され、
まるで団栗が落ちてくるように、世の中に送り出されているということを、
身をもって体験した一年であった。
そして、手元に残しておきたい団栗は意外と少ないことも体験し、
自身も昨年の十月に処女句集を刊行したことを思うと、少し寂しくもあった。
しかし、実際、団栗を手元に残しておくと、
中にいる幼虫が成長し、成虫になって出てきてしまうらしい。
その点、私の句集など虫はいないし、鍋敷きにくらいにはなる。