梅雨が迫っているのか、
少し湿度が上がってきた気がしていて、
昼間の風がとても心地いい。
ひところの強風も影を潜めてきたし。
日に日に色を落としていく麦畑の麦が、
刈取りを前に、風にそよいでいる。
2013年05月20日
梅雨が迫っているのか、
少し湿度が上がってきた気がしていて、
昼間の風がとても心地いい。
ひところの強風も影を潜めてきたし。
日に日に色を落としていく麦畑の麦が、
刈取りを前に、風にそよいでいる。
2013年05月19日
図書館に行く道すがら、小学校の脇を通ったら、少年たちが野球の練習をしていた。
ちょっと歩を緩めて練習風景に見入っていると、懐かしい匂いがしてきて。
あまり気に留めずに、そのまま学校の外をおよそ半周したところで匂いの正体に気がついた。
ソースの香りがぷんぷん漂う、もんじゃ焼き屋がそこにあった。
2013年05月18日
前橋の文化財建築である臨江閣で出張料理をしてきた。
明治の建物で、とても格式と風情があふれる造り。
天皇も泊まったことがあるというから迎賓館としての役割も担っていたのだろう。
今回は建築家の集まりでの会合だったが、
おそらく誰でも申請すれば使えるはず。
文化財は使ってこそ意味がある。
建物はなおさら。
2013年05月17日
自分のことがよくわからずに困っている人というのは、
自分以外の人の悪意についてはとても敏感に、よくわかっていたりする。
一方自分のことをある程度わかって、
仮にわからないところがあってもさほど困らない人というのは、
人間の悪意について、たいしたことないと思っていたりする。
2013年05月16日
「堀澤さんでも緊張するときがあるんですか?」と聞かれるということは、
あまり緊張しないように見られているのかもしれない。
緊張していると思われたら余計に緊張してしまうから緊張していないように見せるようにしているということはあるかもしれないが、
だいたい緊張している。
とくに料理を作るときは。
2013年05月15日
ランチを臨時休業して新潟の博物館に行ってきた。
秋に恒例のものづくりの展示会のテーマを見学しに。
今年はそれがどういうわけか「縄文時代」に決まり、
新潟は遺跡や発掘物が多いので見てきたというわけ。
「縄文時代は1万年も続いた時代」というだけで、
想像が及ばなくなる。
文字もない時代の手掛かりは土器や土偶や人骨などの目に見えるものしかない。
専門家はここからひたすら想像してそれに説得力を持たせようとすることになるのだが、
面白いのはそれぞれに言うことがずいぶん違ったりすることである。
それがまたみな実にいきいきと、
こちらが止めなければ終わらないかもしれないと思うほど熱心に話してくれるのも面白い。
わからないことが人間をかきたてるんだよな。
縄文時代は人間を知るための研究対象である一方で、
それが「わからないことであること」が大事なのかもしれないと感じた。
2013年05月14日
昔よく通った高崎の小料理屋を久しぶりに訪れた。
女将は変わらぬ自然体で迎えてくれて、いつも思うが距離感がちょうどよくて。
とくに余分なことを言うでもなく、それでいて目配りはちゃんとしている。
親方はきびきびと、見ているこっちが気持ちよくなるテンポの良さで仕事をしている。
これも昔と変わらない。
カウンターでいつもより少し飲み過ぎたらしいお父さんが会計の後、「あと半分だけくれる?」と一言。
そう言いたくなる気持ちがよくわかる。
2013年05月13日
インディアンペールエールというビールがある。
ビールの原材料であるホップを、通常の2~5倍くらい使った香り高いビールのこと。
ビールにはゲップがつきものだが、このビールを飲んだ後のゲップは、香り高い。
2013年05月11日
やっと雨が降った。
この時期畑は種まきの時期で、
雨が降らなければ幼少期の野菜が育たない。
知ってか知らずかラジオのお天気キャスターは「農作物にとっては恵みの雨」と言っていたけれど、
この潤いは人間にとってみたって恵みの雨だなぁと感じている。
トタンに落ちる雨粒の音が、ゆるゆると鳴っている。
2013年05月10日
特定の誰それさんが嫌いなのではない。
聞き分けの良くないあなたが鬱陶しいのではない。
口が臭いおやじの全てが悪いのではない。
常に突拍子もなく都合の良い方向にしか振れない脳の、
そのわけのわからなさが手に負えないだけである。
2013年05月09日
風が収まったと思ったら今度は暑くなって。
一日の気温差が15℃以上もあったそうで。
水風呂と温泉くらいの温度差である。
天候が不安定だと体調も不安定になる。
敏感であればあるほどその影響を受けるもの。
天候の変化が心身の変化に影響しているとわかれば、必要以上に影響を受けなくて済むようにもなる。
天気は揺れる。
動物はその影響を受ける。
天気の揺れが人間の揺れになったとき増幅しているとすれば、それは他でもない人間の仕業である。
2013年05月08日
終日建具がバタバタ、ガタガタと。
「風が強い」なんて、それどころではないくらいの激しい状態だった。
でもこれ、コンクリートの建物だとそうも感じないのかなと、ふと思ったりして。
今日は仕事(古民家)→お茶の稽古(県内きっての古い茶室)→会議(素人手で改築した民家)と移動して、
どれも風力がもろに振動になるところだったこともあり。
威圧的な風の強さは何とかならないかといつも思うが、
それを回避するためにコンクリートの建物に住みたいかというとそうは思わない。
2013年05月06日
世の中に「いい加減」を許さないプレッシャーみたいなものはたくさんあるけれど、
それはだいたい、自分の都合に関していい加減にされると嫌だというだけだの、いい加減なものであることが多い。
自分もいい加減なものだと思えばもう少し他人のいい加減に寛容になれると思うのだが。
そこに気づけないと、他人のいい加減はいつまでたっても恐怖にしかならない。
2013年05月05日
連休も終盤の5月5日。こどもの日。
外で遊ぶにはもってこいの気持ちのいい天気になった。
こどもは本当に太陽が好きだなと思う。
こどもがあれ、太陽なのかもしれない。
一緒にいるだけでこちらまでうきうきしてくる。
休みだということも手伝って、スーパーも公園も穏やかな雰囲気。
このくらいの穏やかさが日常の基準の国になるといい。
そんなことを優先したら全体の生活水準は下がるのだろうか。
水準を下げたら終わり、ではなく、下がったら下がったでそれもあり、って思っておくことも大事じゃないか。
今日のこの世の中全体の、穏やかな雰囲気であることの嬉しさを、こどもたちは忘れないでほしい。
2013年05月03日
とかくモノローグは誤解されやすくて。
その表現が自己陶酔の独りよがりにしか見えなかったり。
なんか他人を受け入れない感じが水臭いと思われたり。
それらはなまじ間違いでもないだろうけれど、
モノローグにしかならない表現の大きな理由は「ただ単に怖いから」、
というだけだったりするんだよね。
生き方がモノローグになってしまう人ほど、
本当は人一倍他者を求めていたりもするわけで。