日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

仲良くなる

2013年06月15日

食べ物と飲み物がおいしいと、そこにいる人たちは仲良くなれる。
おいしい満足感と「おいしい」の共有が、閉じていた胸襟を開かせるのかもしれない。
それは食べ物だけでなく、
あるいは飲み物だけでもなく、
両方がおいしいと仲はますます良くなって、
さらにそれら二つの相性がばっちり合った時には、
これはもう仲良くならなかったらバチが当たるんじゃないか、
というくらいの雰囲気になる。

明け方に

2013年06月14日

朝の4時まで仕込みをして、
バタンキュー、
のはずがなかなか眠れないのね。

季節の変わり目

2013年06月13日

梅雨らしさもずいぶん増してきて、
朝から蒸し暑かった。
季節の変わり目はいつも体が重い。
気候に体が慣れるまでにはタイムラグがあるのだと思う。
こういう時はじたばたしてもどうにもならない。
いつか動き出すだろうと待つことにして、
ビールを飲んでいる。

協力

2013年06月12日

「協力」って、基本的に当事者に対する外からの補助的なもので。
だから、程度の違いにもよるが、その協力者は責任をとらなくていいってことなんで。
たとえばサッカーのサポーターみたいなものから、普通にボランティアまで。
とにかく「本人が協力しているつもり」であればそれは、「協力」になる。
「責任をとらなくていい立場」の主体性は、
「責任をとらなければならない立場」の責任の重さに敬意を払うことに担保される。
それがない協力は協力という善意をまとった自己満足の押しつけになってしまう。
だから、協力が協力者にとって主体的なものであるためには、責任の重さに対する敬意が必要で。
大事なのは、
その責任の「重さ」は、「責任を取らなければならない立場」にしかわからないもので、
「責任を取らなくていい立場」が勝手に決める権利はない、ということかと思う。

潔白

2013年06月11日

自分が潔白であることを信じ続けるしか自分を保つエネルギーが残されていない時に、
「人間である限り潔白なんてないのだよ」なんて言ったって、
言われた方は受け取れるはずはない。
のだけど、
そのエネルギーはどこまで行っても、
自分を救ってはくれない。
なぜなら人間は、
潔白であろうとすることはできても、
潔白であり続けることはできないから。

お金

2013年06月10日

お金は増えていくべきものと考えていた時代があり。
収入は増えるがこのままだと忙殺されてしまうと、
貧乏になった。
お金はあるに越したことはなく、
その前に必要なものに違いないが、
その優先度をあまりにも強くしすぎると、
人間というものの奥行き、
あるいは本質、
みたいなものに構っていられなくなる。
お金というのは無くなったら稼ぐもの、
くらいの気構えでちょうどよいのではないか。
お金の優先度が強くなっていることを疑わないこの風潮は、
いったいいつまで続くのだろうか。

2013年06月09日

もうかれこれ30分以上、
部屋の中を蚊が飛んでいる。
私はパソコンに向かい、
構えるわけでもなくぽつねんと座っている。
しかし一向に刺してこない。

受け入れる

2013年06月08日

あるとき依存してしまうことの怖さに気づいて。
初めて他者を意識して。
公平さばかりが気になるようになってとりあえず 一度は他者を否定してみて。
他者を否定すると自分も否定しなければ結局公平でなく。
葛藤もし、投げやりにもなり。
自分を受け入れるにはやはり他者を受け入れるしかないなと。
それは他者を受け入れるためには自分を受け入れるしかない、でもあって。

お酒

2013年06月07日

飲まない日はない、というくらいに日々お酒を飲み続けている。
あまり強い酒に手を出すことはなくなったが、
それでもこれだけ切れ目なく飲んでいれば同じだろう。
おそらくは飲まない方が体調もいいに違いない。
けれどもアルコールを口に運ぶのが腹が減ったから飯を食うのと同じくらい自然だから、
一向に止むことがない。
飲まないのはあまりに飲み過ぎた次の日くらいか。
まだ日も落ちぬ明るいうちからグラスにビールを注いで、
ただ、飲んでいる。

街角文庫

2013年06月06日

伊勢崎駅の構内に「街角文庫」という、「小さなただの本棚」がある。
並んでいるのは図書館などで読まれなくなったであろう本たち。
誰でも持って帰って構わないということになっていて、
電車でどこかに出かけるときはいつもこの本棚を眺めるのがなによりの楽しみである。
たとえば先日見つけたのは「秘密のワイン造り」という本。
自家製ワインの造り方がこと細かく書いてある。
「秘密のワイン造り」、名前がまたいい。
本屋ではあまり見かけないような面白い本に出会えるとうれしい。

わかりにくさを経由して

2013年06月05日

ある会合で、「公共ってなんだ?」という話になった。
「公共」というのは「私」の反対にあるものだろうけれど、
誰にもわかるように簡潔に説明しようとすると言葉に窮する。
それはいまだ分かっていないことを説明する難しさというよりは、
そもそもそこにない思考回路を無理なく作り出す難しさ、なのだと思う。
「公共」と言って「私」の反対を考えようとしたときに「私にはあまり関係のない何か」を想像してしまいがちな思考回路、
というのがあるということ。
たぶん「私」に関係のあるのが「公共」で、だから説明はどうしても複雑になる。
この頃、わかりにくさを経由しないとわかれないことの多さにとても気づく。

ワールドカップ

2013年06月04日

どちらかというと日本人は自己主張をするという、いわゆる1人称で生きることが苦手である。
組織の中で意思表示をすることを「はしたない」と思ってしまうふしがある。
あるいは単に意思表示に伴うリスクが怖いだけかもしれない。
けれども1人称が認められない組織は停滞してしまう。
組織を機能させるために自分を抑える場面が必要である一方で、
組織に血を流し、風通しを良くしていくために必要なのは構成員が1人称であるかどうかだったりする。
サッカー日本代表の国際試合を見ていて、
どこで1人称を突き出してリスクを冒すかの準備を常にしておくことも大事、なんだと思った。

コンピューター

2013年06月03日

以前パソコンが壊れたことがあり、
データがなくなるとたいへんだから外付けのなんちゃらでデータの保管をすることにした。
そしたら今度は、
そちらのデータを誤って消してしまった。
機械は正確に動いていても、
こちらがそれに興味がなく大雑把だとこういうことになる。
困ったものだ。

クラフトビール

2013年06月02日

東京は恵比寿でビアフェスに参加して。
国内外から集まったブルワリーの数50あまり。
出品されたビールの数は150超。
これらすべてが飲み放題なのだが、当然全部は無理で。
ちなみに飲んだあとガイドブックにチェックしたのを数えたら34種類だった。
十分だ。
一昨年初めて抜井にこのイベントに連れて行ってもらい、それ以来のクラフトビール愛好者。
日本の大手ビールはビールの中でもごく一部の種類のものだというのはその時知った。
2年たって、日本のクラフトビールはさらに数段レベルアップしている。
今では世界に目を向けどんどん輸出しているブルワリーも増えている。
その前に、もっと群馬で飲めるようになってほしい。

再筆延期

2013年06月01日

「真打ちはまだ到着できないようで」
待てど暮らせど会場にやって来ない落語家のごとく、抜井諒一の再筆開始は延期となりました。
楽しみにしてくださっていた読者の皆様、申し訳ありません。
本人曰く、「込み入ってる」ようです。
渋滞に巻き込まれたのか。
そんなこと言いながら銭湯で寛いでる可能性もありますが。
いずれにせよ、いま暫くお待ちください。

 

飲みたい

2013年05月31日

梅雨に入っていきなりの、
晴れ間。
こんなしっとりと風が心地いい日は、
ワインでも飲みたい。

依存

2013年05月30日

怒りたくなるのはきっと、
怖いから。
仮に「私」に非はなくて「あなた」に非があるに違いない事も、
「私」の思いの範疇に収まらなかった「あなた」が怖いわけで。
どんなに聞き分けの悪い「あなた」であろうとも、
「あなた」は「私」のことをわかるのが当然というのは、
聞き手責任の立場に立った、
依存で。
依存を押し付けようとしてしまったら、
そもそもが違う人間の関係は成り立たない。
依存そのものが悪なのでなく。

梅雨入り

2013年05月29日

関東でも梅雨入りしたとの知らせ。
水分が体にたまりやすいこの季節、
水をおろす(排出する)ことが元気に過ごすには肝腎。
まずは適度な運動かな。
それから水分や糖分を取り過ぎないこと。
小豆は水を出してくれると昔からよく言われる。
「小豆かぼちゃ」なんていいかもしれない。
砂糖は使わずに。
それから代謝を良くするためには発酵食品がいい。
梅雨時はちょうど微生物が活発に動き始める時期。
たとえばぬか床を仕込むにはもってこいの季節。
向こう1か月半、
低気圧にうまく対処しながら乗り切りたいですな。