日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

1258声 紫陽花の色づく頃

2011年06月11日

「歩かないからだよ」
と言う指摘を受けた事を、ふと思い出し、
自宅裏の田圃を小一時間ほど、歩いてみた。

先日から、どうも腰の具合が悪く、
軽いぎっくり腰ではなかろうか、と感じている。
腰が痛くて、散歩に出掛けるなんて、年寄めいているが、
時刻が夜と言う事も有り、気分転換を兼ねて、出掛けた。

生温かい風の吹く外の空気感は、すっかり夏の夜、である。
薄ぼんやりとした闇の中を、懐中電灯片手に歩を進める。
水田一枚ごとから、蛙の声がさんざめいている。
この自宅裏の田圃、と言うのは、何でも先の戦時中は飛行場があったとかで、
広大なのである。
榛名山と赤城山の麓、遠くに爪程の灯を置く。

畦道を進んで行くと、休耕田、と言うか只の草ぼうぼうの空き地に、
ライトを煌々と灯した一台のブルトーザーが、動いている。
けたたましいエンジン音を唸らせ、しきりに、枯蘆や雑草をなぎ倒している。
何だか、獰猛なロボット型の恐竜を思わせ、
その光景は、80年代のSF映画に出てきそうな場面であった。

何の故があって、夜に草をなぎ倒しているのか知らぬが、
なんだか、邪悪な感じがしないでもない。
通り過ぎて、家路を進む。

小一時間も歩いて、腰の痛みは、左程、変わり無いようだが、
涼やかな夜風を受け、気分転換にはなった。
帰り際、庭に紫陽花の咲いている家があった。
街灯に照らされた花は、未だ、色づいていなかった。
祖母の家の庭に、毎年咲く、紫陽花を、ふと思い出した。
あの紫陽花は、もうすぐ色を付ける筈である。
しかし今年の庭に、祖母は居ぬ。
明日は、祖母の居る病院へ、行こうと思った。

横の水田で、百万匹の蛙が大合唱している。
直ぐ足先で、一匹だけ、しきりに低く鳴いている蛙があった。

【天候】
朝より雨。
午前中には上がり、その後は終日曇りで蒸し暑し。
蛍が飛びそうな気候に、なって来た。

1257声 山桑の実

2011年06月10日

昨日、沖縄気象台が、沖縄の梅雨明けを発表した。
昨年より十日も早い。
この調子で行けば、本州の梅雨明けも、例年よりは早くなるだろう。
今年は、暑い夏になりそうである。

我が家の庭では、いま、山帽子の花が最盛を迎えている。
手裏剣を思わせる花の乳白色が、鉛色の梅雨空に映えている。
今時期は、峠道などを走っていても、この山帽子の花が目に付く。
緑滴る景色の中に、爽やかな白色を添えており、とても綺麗である。

この山帽子、別名、「山桑」とも呼ばれている。
秋になると、真っ赤な果実を付け、それが桑の果実に似ているから、である。
この果実。
食用として、生でも食べられる。
好きな人などは、果実酒にしたり、ジャムにしたり、
様々な加工品の材料として、利用している。
街場では売っていないので、里山まで買いに来る人もいるくらいである。

私は、一度も食べた事はない。
その形は、さくらんぼをトゲトゲにしたようであり、
さくらんぼを「善」とすると、間違いなく、「悪」と言う印象である。
摘む人もいないので、秋口になると、庭先に転がっている果実を見掛け、
そこはかとなく、寂しい心持になる。

食べる方は、鳥に任せ、私はもっぱら、紅葉の方を楽しんでいる。
山帽子の紅葉を見るには、これから来る夏を乗り越えねばならぬ。
今は未だ、山帽子の花に涼しい風が通っている。

【天候】
終日、曇天で蒸し暑し。
夜半まで、蛙が景気良く鳴く。

1256声 レスポールの日

2011年06月09日

6月9日の本日は、「ロックの日」と言う事になっいている。
「日本ロックセキュリティ協同組合」が制定した、「施錠」の「ロック」。
ではなくて、ロックンロールの方の「ロック」を、取って、書く事にする。

語呂合わせで、6月9日が、ロックの日となっているが、
その裏には、運命的な史実が結びついている。
「ロック」と言えば、私が即座に思い浮かべるのは、ギターである。
それも、アコースティックで無く、エレキギターの方を取りたい。
そのエレキギターの世界において、概ね、人気を二分しているのが、
「ギブソン社」と「フェンダー社」である。
飲み屋で言うところの、「キリン」か「アサヒ」と言った具合。

ギブソン社が生み出した、発売以降、
このメーカーの代名詞となるギターが、「レスポール」と言う。
この「レスポール」と言うのは、レス・ポールと言うギタリストの名前。
つまり、彼のシグネチャーモデルとして誕生したギターなのである。
それが今日のロック界で、今尚、不朽の名作ギターとして受け継がれている。

ロックの日と、運命的に結び付いているのが、この、レスポールギターである。
その生みの親であり、ロック界では半ば神格化されているレスポール氏の、
誕生日が、これまた、6月9日のロックの日。
まさに、ロックの神に祝福された、ギタリストであり、
生まれるべくして生まれた、ロックなギターなのである。

普段、音楽のジャンルとして、ロックをあまり聞かない人でも、
レスポールギターの、独特のフォルムや、アクの強い音色は、
耳にした事がある筈。
全体的に丸みを帯びた、瓢箪型のボディーに、芯の太い重低音が特徴。
エリック・クラプトンや、キース・リチャーズなどが、まだ若手だった頃、
彼らがこぞって、このレスポールを使用していたので、人気に火が付いた。
レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジに憧れ、日本製のコピーモデルを買う。
と言ったロックコースを辿る学生諸氏が、未だに後を絶たない。

日本のロックシーンにおけるギタリストたちも、
このレスポールを自らの代名詞としている人が、多くいる。
鮎川誠、高見沢俊彦、奥田民生などの名前が、直ぐに思い浮かぶ。

ギターはレスポール、アンプはマーシャル。
そのゴールデンコンビさえあれば、純度の高いロックンロールが奏でられる。
今時期で言えば、生麦酒に枝豆と言った具合である。

調子よくここまで書き進めて来たが、私も、ロック好きでありギター趣味のはしくれ。
最後に、言うべき事を言わねばなるまい。
実は、私、昔からフェンダー党なのである。
つまりは、ギブソン社よりも、フェンダー社のギターに愛着がある。
アサヒのスーパードライも好きだが、キリンの一番搾りの方がもっと好き。
てぇ具合に、やはり、音色の好みが、フェンダーギターにある。
しかし、大切な事は、自分とってのロックを表現する為には、
どんなギターが必要か、と言う事である。
ともあれ、今日、レスポールを弾いたら気持好いだろうな。

【天候】
日中、曇天で蒸し暑し。
夕立があり、夜半には蛙が一斉に鳴きだした。

1255声 心は漂泊

2011年06月08日

「あれ、今日何曜日だっけか」
などと、こんな事を人に聞いている様では、
生活が、漫然かつ泰然としている証拠である。
そう言う精神状態てぇのは、とても感受性を麻痺させる。

「最近、何か面白いことあった」
そんな質問を、挨拶代わりに投げかけている人が、よくいる。
そう言う人は、顕著である。
「面白いこと」を感受する機能の低下が。

ふと、都会に住んでいた時分を思いだす。
「ふるさと」と言う言葉に、敏感になっていた。
犀星の「小景異情(その二)」を諳んじていたり、
啄木の「一握の砂」を古本屋で買ってみたり。

そのふるさとに帰って来た、現在。
犀星のノスタルジーにも浸る事もなければ、
一握の砂を読み返す事もない。
「ただ、一さいは過ぎて行きます」
と、太宰の「人間失格」ではないが、そんな調子である。

そんな中にあって、漂泊の心を再び取り戻す、
いや、取り戻そうとする時がある。
俳句を作る時、である。
この文章を書く時、だって、望ましい心持は、
漂泊者の心、だと思う。

それはつまり、
「俳句は、自分の住んでいるところを旅人の目で見ること。
旅に出れば、そこに住む人の目で見ることなんです」
と言うこと。
俳人の飯田龍太は、昭和55年の「太陽(平凡社)」4月号の、
インタビュー記事の一節から引いた。

過ぎてゆく一さいの中から、一つのものを、掬いあげる。
それが、創作と言う行為、なのかも知れない。

【天候】
終日、雲多くも蒸し暑し。
夜には、心地好い涼風。

1254声 純粋馬鹿

2011年06月07日

妙に話が噛み合う。
と言う人が、私には、数人いる。
「妙に」と言うのは、その人たちと私との世代が、
離れているにも関わらず、話が噛み合う、のである。

噛み合う。
からには、何処かに共通している歯車が、ある筈。
その歯車が何であるか、薄々、感づいてはいた。
いたのだが、それを認めたくない気持も有り、見て見ぬ振りをしてきた。
しかしつい先程、電話口で露呈したその言葉に、
否が応でも、認めざるを得なくなってしまった。

「俺も馬鹿だけどさぁ、抜井さんも馬鹿だから、
そう言う馬鹿が群馬にいるって、知ってもらうんだ」
そう言った後に、電話口には、高らかな笑い声がこだました。
声の主は、銭湯の親父さんである。

今度、群馬県で、関東甲信越地域に在する銭湯の集会が、ある。
その場で、参加者への御土産に、私の本はどうかと言う、
とても有り難い話を頂いた。
この話をくれた親父さんには、本を発売して以来、
世話になりっぱなしである。
親父さんがいつも言うのは、この、「俺も馬鹿だけどあんたも馬鹿だね」
と言う、心優しいジョークである。

そうなのだろう、と思う。
馬鹿、なのである。
世代間を越えて、話を噛み合わせる歯車の名は。
その歯車だけが、まぁ、よく噛み合う場面の多いこと。

馬鹿にも生活がある。
生活がありつつ、馬鹿をやるのが、馬鹿の馬鹿たる由縁である。
生活がありつつも、別の可能性を見出す。
そして、その可能性を実現する為、行動に移してしまう。
だから、「馬鹿」と言われる。

私は元来、「堅実な生活を守りたい」と思って来た筈なのに、
年中、地に足のつかぬおぼろげな生活を営んでいる、と言う感覚である。
それでも、そんな馬鹿を止められないのは、愛すべき馬鹿者たちが、
私の周りに沢山いるからだろう。

それは何も、生活を放擲して、壮大な事業に取り組む事ではない。
例えば、映画や芝居を見たり、漫画や小説を読んだり。
そう言う些細な事だって、生活がありつつも、
別の可能性を見出す、行為である。
そこで得た価値観が、着実に馬鹿を、育んでいる。

その中で、大切な事がある。
馬鹿の心は純粋でなくてはならない、と言う事である。
そこに、虚栄心や利己心などの邪心がはびこっていないか。
もしそれらが心に蔓延していては、「本物の馬鹿」になってしまう。
私は、本物の馬鹿とは、話が噛み合わぬ気がする。

純粋馬鹿でいる為に、日々、葛藤が生じる。
馬鹿でいるのも楽じゃない、と言う事になる。
しかしながら、根が馬鹿なのだから、仕様が無いか。

【天候】
終日、薄曇りで蒸し暑し。

1253声 健全なる精神の酒場

2011年06月06日

立ち飲み屋。
先日、そう言う店を、兎も角、飲み歩けるだけ飲み歩いて来た。
一口に立ち飲み屋、と言っても様々な様式があるが、
その形式は概ね似通っている。

つまみは、おでんや焼き鳥などの焼き物が主。
料理の種類がある店も、一人客用の小鉢類が主である。
酒の種類は低級酒を中心に、瓶麦酒に缶麦酒と言った具合。
どこも安価で客の回転が早く、薄利多売でやっている。
その店のどこも、共通して感じたのが、無駄の無さ。
それは勿論、酒場としての、である。

一杯やる上で、これ以上、無駄の無い酒場があろうかと、感じた。
カウンターについて、まず、お通しなどは無し。
注文も聞きに来ない。
客自ら、カウンターの中で立ち働いている女将さんの暇を探して、注文する。
ともすれば、瓶麦酒を自分で冷蔵庫から出さねばならぬ店だって、ある。
つまみの類は、全て、一人で食べきれる分量。
無駄をそぎ落とした分だけ、安い。
それは、本当に、ありがたい。

そこには、店内の演出とて、何一つとして無駄なものはない。
一枚の煤けたポスターが貼ってあったとしても、
それは、あるべくしてそこにあるポスター、なのである。
あるべくしてそこにある、と言う事程、健全な事があろうか。

アルバイトが注文を聞きに行くのが無駄なのか。
宣伝のポスターを貼る事が、不健全な演出なのか。
立ち飲み屋に至っては、そう、と答えざるを得ない。
無駄を極限まで排除し、健全な生活感が醸し出ている店は、美しい。

尾頭付きの御造りが出て来るような料亭が、
健全で美しくないとは言わない。
そう言う場所にあまり行った事の無い私は、
そう言える様な材料を、持ち得ない。
只、酒場としての健全で美しい精神は、
概ね、立ち飲み屋の方に分があると思う。

つまりは、あるべくしてそこにある、立ち飲み屋は、
私たちの生活と同じく、かけがえのない場所である。
値段が安いとか、低級酒を飲んでいるとか。
そんな事は、価値の基準にはならない。
町に残すべきものの値打ちと言うのは、
健全で美しい精神で決まる。

たまには良い酒が飲みたいと思いつつ、
発泡酒に甘んじながら、そんな事を思ったりなんかして。

【天候】
終日、晴れて夏日。

1252声 麦の酒祭り 後編

2011年06月05日

恵比寿駅から乗車。
下車したのは赤羽駅。
落差、と言うか、随分と馴染み深い駅前の印象である。
しかし妙に、居心地が良い。

OK横丁から、一番街商店街へ歩を進め、
まずはおでん屋。
缶の発泡酒片手に、路上のテーブルで立ち飲み。
落差、と言うか、ここでも随分と馴染み深い印象を受けてしまう。
皿が空になったところで、忙しなく、移動。
「はしご酒」てぇのは、ほのじ氏から切っても切り離せない性分である。

うなぎ屋で焼き鳥。
レモンサワーで一息ついたと思ったら、もう、移動。
その後は、赤羽が誇る究極の立ち飲み屋へ入る。
何が究極か、と言うと、その値段である。
基本的に、つまみ110円。
まぐろブツなども、130円である。
机の上に、皿を幾つか並べ、いささか贅沢な気分で杯を進める。
お会計は、1500円でお釣り。
これ、二人で、なのだから頭が下がる。

私も負けじと、などと、良店揃いだったので、
何故か対抗心が芽生え、私の肝いりで、好きな立ち飲み屋を目指す。
京浜東北線で二駅進んだ、王子駅で下車。
車窓風景は、綺麗な夕焼け。
と言う事は、昼日中から酒臭いと言う、
電車内では敬遠される状況であるが、如何せん、気分は上々である。
駅裏のおでん屋を紹介した。
ここでも立ち飲んで、近所の銭湯へ寄ったが、生憎、本日休業。

また赤羽へ戻って、OK横丁から、一番街商店街。
すっかり夜の顔になった商店街へ戻って来ると、
「一寸、休憩」が、「一寸、一杯」に、簡単に覆ってしまった。

飲み屋通りをひやかして、外れにある寿司屋に入った。
読者の予想に反し、「廻らない」寿司屋である。
カウンターへ腰掛け、麦酒の合間に緑茶でガリをつまめば、
「ようやく」とばかりに、酷使された内臓器官も、一息付いていた模様。

【天候】
終日、薄曇りだが雨は降らず。
いささか、蒸し暑し。

1251声 麦の酒祭り 前編

2011年06月04日

「がんばれ、東日本! チャリティ・ビアフェス東京2011」
毎年、「ジャパンビアフェスティバル」と銘打って、
日本地ビール協会が開催している、麦酒の祭典である。
それに昨日、行って来た。
「昨日」と言うのは、例の如く、この文章を一夜明けてから、書いている。
と言うのも、酔眼朦朧と帰宅するや否な、倒れ込むように寝てしまった。

私は過去、二回参加した事があった。
自身三回目となる今回は、ほのじ氏も一緒である。
会場である、恵比寿ガーデンプレイスのザ・ガーデンホール付近へ来ると、
風に乗ってふんわりと漂っている、地ビールの香り。
混雑盛況の会場で、全国津々浦々の参加地麦酒を確認すると、
今年はどうやら、群馬県勢は居ない様子。
それでも、混雑状況は例年より随分と、少ない印象であった。
今回の被災地である、福島や茨城県などの地麦酒もあり、少し、安心した。

入場料を払えば、記念グラスで、1回50mlずつ何回でも試飲が出来る。
会場内には、150種類を超える地麦酒の種類。
制覇するのは、勿論無理なので、気になる地麦酒を中心に飲み進めてゆく。
北海道や鹿児島など、普段、容易に行かれない場所の地麦酒から飲む。
業界で流行っている、「フルーツビール」のブースへ行くと、
なにやら、ビアサーバの前で、熱心にメモを取っている、男がいる。
時折、出展者の方に質問し、深く頷きながら、書き込んでいる。
行儀のよい酔っ払い、に見えなくもない。
男の横を通ると、ふいに、話しかけられた。
「イチゴ、イチゴ、苺の麦酒っての、面白いぞ」
ほのじ氏であった。

ピルスナーにヴァイツェン。
スタウトにボックに、バーレイワイン。
様々なスタイルの地麦酒を試す。
それに、各種のチーズや、生ハムやら、
つまみとの相性を確認しているのが、ほのじ氏である。
「料理人」の視点で地麦酒を見ている。

「飲むと覚える」ってのは、毎回感じている事だが、
実際に試飲すると、その色、香り、風味、アルコール感など、
とても勉強になる。
私は、既に、視点が定まらぬ状態にになりながらも、
次の地麦酒を求め、ごったがえしの会場をさすらう。
そして、お互いに、定まらぬ視点のまま会場を辞し、
やはり足は、路地裏向いてしまうのであった。

【天候】
終日、晴れて暑し。絶好の麦酒日和。

1250声 コーラはアカ

2011年06月03日

「さうぢやない」
と、旧かなづかいで記載する事によって、
若干の威圧感を持たせようと言う趣向、である。
趣向はよいのだが、「そうじゃない」と、声にならない声が、
我が胸中にこだましていた。

場所は、コンビニエンストア店内。
入店し、飲み物を買おうと、店内奥の飲料クーラーへ向かった。
クーラーの前には、女子高生が二人。
私は目撃した。
左の子が、コカコーラのペットボトルを手に取った。
すると、すかさず、右の子がツッコミを入れる。
「えっ、ゼロじゃないとヤバくね」

「ゼロ」と言うのは、糖分ゼロ、保存料ゼロ、合成香料ゼロと言う商品。
最近では、「ゼロフリー」なんて商品まであり、
糖分ゼロ、保存料ゼロ、合成香料ゼロ。
そして、カフェインまでゼロ。
じゃあ、何を飲んでいるのか。
などと、素人考えで思ってしまう。

それから、その右の子。
ゼロコーラの安全性、普通のコーラの危険性を、学者の如く論じている。
「この赤色が危険じゃん」
などと、ユーモアを交えつつ、左の子を説得して行く。
遂には、左の子。
一度手に取ったコーラを戻し、ゼロコーラを手に取って、レジへと向かった。

私は左の子を、真のコーラフリークと見た。
巷の風潮では、猫も杓子も、合言葉は「ゼロ」、である。
清涼飲料水も然り。
コカコーラにファンタに、三ツ矢サイダーまで、
ゼロと記載していなければ、売れない。
そんな状況である。

しかし、コーラの味に親しみ、そして、その味に惚れ込んだ真の愛好者は、
今でも、赤いコーラを買う筈。
健康、云々の前に、味、なのである。
端的に言えば、「ゼロ」商品は、すべからく味が薄い。
そして、炭酸が弱い。

忘れてしまったのである、私たちは。
あの、赤いコーラの味を、である。
あの独特の風味と、炭酸の刺激。
そして、コクのあるのど越し。
ゼロだから、てぇんで、ごくごく飲んでも良い。
そうじゃない。
ゼロでも甘味料等は含まれているので、
むしろその方が、危険であると、思う。

私が子供時分、好きだったコーラが、「ジョルトコーラ」である。
よく飲んだ。
あの強烈な味に、慣らされてしまった感がある。
ジョルトコーラの売り文句は、「カフェイン2倍」であった。
「カフェイン2倍の砂糖100%」
が、大いにアピールポイントになった時代が、あった。
今のところ、成人病にはなっていない。

【天候】
梅雨の晴れ間で、気温が上昇。
蒸し暑い一日。

1249声 宇宙人の方々

2011年06月02日

今日一日に限って言えば、猫も杓子も、
と言う形容が当てはまるくらい、報道が集中していた。
国会に、である。

菅首相は今日、今回の大震災と福島第1原発事故の対応に、
一定のメドがついた段階をもって退陣する。
と言う意向を、民主党代議士会で、表明した。
そして、野党3党が提出した内閣不信任決議案が、同じく今日、
反対多数で否決されたが、今尚、退陣の時期を巡って、議論が沸騰している。

とまぁ、一日中、朝刊に始まって、ラジオやテレビやネットでの報道が、
否応なしに、耳に入って来る。
その後ろで、今日の午前11時半頃には、新潟県中越地方で、
震度5強を観測した地震も起こっている。
けが人はいないらしいが、詳細情報を知り得る手段がないので、
よくは分からない、と言う状況である。

丁度、現在。
携帯電話のテレビCMで、「うちわ編」と言うのがある。
設定は、夏の一家団欒。
節電のため、妹と兄が、共に団扇で扇ぎあっている。
扇ぎあっているのだが、仲良く、とはいかず、
「風が来ない」と口論しつつ、二人ともヤケクソ気味に扇いでいる。
そこへ、お母さんが「逆に暑苦しいわよ」とツッコミを入れ、
お父さんが最後に一言。
「これがほんとのうちわもめだな」

このCMを見る度に、永田町に対するメタファーなのでは。
などと、思っている。
いま、どこに風を送るべきなのか。

そう言えば、このCMにはこんなワンシーンもある。
扇風機を独り占めしているお父さんが、お母さんに促され、
扇風機のプロペラに向かって言う。
「ワレワレハウチュウジンダ」

風を送るべき場所も分からず、それを独り占めにしているようであれば。
これは、本当に宇宙人の方々かも知れない。

【天候】
終日、降ったりやんだりの梅雨らしい天候。

1248声 気持のよい朝

2011年06月02日

昨日は、と言う事は、本来昨日書くべきこの文章を、
一日過ぎた本日に、書いている。
と言うのも、自宅のインターネットプロバイダを変更したので、
昨日は、インターネットが使用できなかったのである。
その為、この日刊「鶴のひとこえ」の更新に、一日穴が開いてしまった。

スマートフォン。
てぇのを持っているのだから、そちらから、更新すれば良さそうなもの。
しかし、何だかそれも、まどろっこしいので、自ら穴を開けた。
「ずっと、待っていたのに」だとか、「日刊じゃねぇじゃねぇか」など。
抗議の声も寄せられないので、殊更、穴を開けることをおそれなくなった。
過去形にしてみたが、昔から、そう言う声が殺到すると言う事もなく、
のんべんだらりと更新を続けて来た。

いつも、更新作業をするのは、夜半から深夜。
ジリジリと、睡眠時間をすり減らしつつ、更新しているのである。
「だから、偉いでしょ」
とも言えないのは、それまでの時間を、くだらないことで、
無為に過ごしている。
丁度、夏休み最終日に、宿題が終わらずに苦悶している小学生。
毎日が、そんな調子。

それが、昨夜はその時間がぽっかりと空いた。
ぽっかりと空いたので、寝床に入って本を読んでいた。
いつもは、更新作業を終えてから、寝床に入るので深夜になっている。
しかし、昨日は随分と前倒しになって、午後十時を回ったところ。
それが、いつしか寝てしまって、突如として、朝。
私は、あまり夢を見ない性質なので、朝を迎える時は、「突如と」、している。

これが、なんと、気持のよい朝であろうか。

朝、気持ち良く起きて
ほんとうに気持ちの良い一日を暮らす。
そのためにすべてはあるのだ。

などと、山田かまちの詩の冒頭部分を引用したくなるくらい、
気持よく起きられた。
つまり、単に十分に睡眠をとったからであろう。
いつもは、寝不足。
万年寝不足人間の人生は、何たる悲惨であろうか。
山田かまちは正しい。
「そのためにすべてはあるのだ」

私はそう叫ぶや否や、蒲団を蹴っ飛ばして起き上がり、
右の拳を、天井に向かって突き上げた。
突き上げてから、だらりと拳を下ろして、
ほんとうに気持ちの良い一日」
を探しに、部屋の扉を開けた。

【天候】
午前中は晴れるが、下り坂。
午後から雲が多くなり、夕方から雨。

1247声 あの日のほうたる

2011年05月31日

梅雨の晴れ間で、朝から爽やかな青空が広がっていた。
五月も今日で終わって、明日から六月。
六月ってのも、何だか雨に煙っていて、印象の薄い季節である。
視界不良な中でも目に付くのは、19日の桜桃忌。

「桜桃忌」
文学好きでなくとも、毎年、この日はテレビ等で取り上げられるので、
目にした事くらいはあるだろうか。
小説家、太宰治の忌日、とされている。
玉川上水に入水したのは、1948年6月13日なので、命日は13日、だろう。
また、この日は、太宰治の誕生日でもある。
一昨年は、「太宰治生誕100年」という節目の年で、
映画や小説のリバイバルなど、様々な面で、スポットが当てられていた。

毎年、忌日に故人を偲ぶと言うのも、
何だか、ふと思い出して偲ぶようで、申し訳ない。
忌日にされるのは、望むべき形ではない。
そう言う故人だって、少なからずいるだろう。
しかし、死んでしまったら、口出しは出来ない。
なので、生きている者の、好きなようにされてしまう。

もし、その人が、生前、小説家だったら。
死後、自分の作品が映画化されようが、舞台化されようが、
また作品がリバイバルされようが、「待った」、はかけられない。
それが、死ぬ、と言う事なのだから、仕様が無い。

明日からまた、梅雨の天気になると言う予報である。
一雨ごとにあたたくなって来て、六月中旬頃には、
蛍が盛んに飛び始める。
私の生活圏の周辺では、前橋市の田口町が有名である。
ここ、二、三年は毎年見に行って、下手な俳句を幾つか拵えて来る。
1948年の初夏、玉川上水にもきっと、蛍は飛んでいたのであろう。

【天候】
朝より、雲多くも快晴。
夕方より曇り。

1246声 出会う本

2011年05月30日

今日も、自宅に本が届いた。
最近、アマゾンで本を買う様になったのは、
俳句関連の本を改めて漁り始めたから、である。
俳句に関連する本、例えば、有名とは言えない俳人の句集。
など、専門的な古書店でなくては、手に入らない。
そこでも、句集などは部数も少なく、私家版のもの多いので、
目当てのものを探し出すのは、とても困難な作業となる。

それが、アマゾンなどのネット書店では、
検索した情報を一覧参照できるので、恐れ入ってしまう。
ふと気付いたのだが、アマゾン内で、自分の本が売れた数よりも、
他人の本を買った数の方が、何倍も多い。
当たり前と言えば、その通りだが、何だか、胸のつかえを感じる。

「だいたいが、売ろうとしてるのか」
と言う、鋭い指摘を受けた事があるが、その答えに窮してしまった。
自分の好きなように作った本なので、自分の好きな様に売る。
そう言う気持ちは、中々、言葉にするのが難しい。

「古書」、と言えば、近年。
「一箱古本市」が、全国に飛び火していると言う記事を、
何処かで見かけた。
一箱古本市、てぇのは、東京の谷根千(谷中根津千駄木)にある、
不忍通り、通称「不忍ブックストリート」で開催されている、古本の青空市。
参加者は、蜜柑箱位のダンボール箱を、店として、指定店舗の前で販売する。
売るのも本好き、買うのも本好き、と言う、単なる売り買いを越えた、
本との出会い方が出来る、催しである。

私も数年前に、この「めっかった群馬」周辺の仲間と、出掛けた事がある。
文庫を4、5冊買った記憶がある。
澁澤龍彦の河出文庫か、何にかだったか。
地域雑誌「谷根千」を、その編集者の方から直接買う事ができ、
この町と人に、とても親近感を覚えた。

アマゾンで買うのも、確かに、便利なのだが、それまでである。
本を買う上で、一番面白いのは、出会い方、である。
思わぬところで、思わぬ本に出会う。
その一冊が、人生を変える様な本だったりするから、面白い。
そう言う本に出会えるのは、無論、一箱古本市のよう、
本を愛する人たちが場所だろう。
群馬県に飛び火してくれれば、それは、素晴らしいこと、と思う。

【天候】
朝より豪雨。
昼過ぎに、雨止み、晴れ間が出始める。
その後、夕方頃には回復。
各地で、河川増水や土砂など、大雨による水害が出ている。

1245声 わたしの腐海

2011年05月29日

朝から土砂降り。
であった、窓を開けて、軒を打つ雨音を聞いていると、
映画「七人の侍」が思い起こされた。
時代劇には、土砂降りのシーンが多い、気がする。

梅雨の空は暗く陰鬱な印象だが、秋雨の様な、さみしさがない。
庭では、雨に打たれながらも、雀等が遊んでいるし、
山帽子の樹など、雪を纏ったように映えている。
万象が夏の気配に、浮かれている様子。

この、そこはかとなく陽気な空気はよいのだが、
油断ならないのが陰気な空気、なのである。
陰気な空気、ってのは、この湿度の高くじめじめとした空気で、
これがもたらすものは、手強い、黴。

毎年この時期になると、靴箱にしまってある革靴には、
ことごとく、黴が生えてしまう。
ミンクオイルなど塗って、しまってある靴などはもう、
黴からは逃れられない。
黴の生えてしまった靴は、温床となり次々に黴を培養し、
やがて菌を撒き散らしてゆく。
書いていて気持悪くなって来たが、実際この現象が、
我が家の靴箱で起こっている。

たまには、風を当てたり、日に干したりしているのだが、
一度、黴の魔の手に侵された革と言うのは、
容易に菌と手を切れない。
洗ったり、拭いたり、干したりするのだが、
雨が降り続くと、やがてそれが、息を吹き返してしまう。

靴だけなら、まだ心配する事はない。
十代の終わりに、日当たりも風通しも悪い、六畳一間に住んでいた。
その時である、私が本当に黴の恐ろしさを知ったのは。
梅雨の時期、やはり、黴が生えた。
「生えた」、と言うか、「涌いた」と言った方が的確かも知れぬ。
靴箱の靴は、勿論の事。
敷布団に掛け布団、風呂場に便所に台所。
洗濯機の中の洗濯槽や、大切にしている、書籍類に至るまで、
黴の侵攻に抗う術がなかった。
風の谷のナウシカで言う、「腐海」状態、なのである、部屋全体が。

そんな部屋に住んでいた当時から、
特に目立って健康を害する事も無く、現在に至っている。
しかし、もしかしたら、私の肺の中に、黴の菌が棲んでいるかも知れぬ。
まさか、もう脳が黴に侵されているから、こんな人間に…。

【天候】
朝から雨足強し。
夜半まで降り続き、その後、小雨。

1244声 くれたもの

2011年05月28日

昨日から関東甲信越地方も、入梅。
例年よりも早く、初日の今日はまとまった雨こそ降らないが、
鉛色の曇天であった。

空の色に呼応するように、体の方も、
鉛を流し込まれたかの如く、重たく、ひねもすダルかった。
これは多分に、二日酔いの影響が色濃い。
こう言う日は、風呂上がりに麦酒でも飲めば、
立ちどころに体が軽くなるのだが、それでは、悪循環。
と思いつつも、冷蔵庫に冷えている(自分で補充するのだが)から、
それがいけない。

湯上がりに、さて麦酒と、冷蔵庫を開けると、缶麦酒の横に一本の瓶。
「軽快グルコサミン」
と、ある。
祖父から貰った、明治乳業の乳酸菌飲料である。
宅配をとっているのだが、あまり飲まないので、
宅を訪れるといつもくれる。
祖父は、グルコサミンを飲まずとも、軽快である。
体調を警戒すべきは、むしろ、不摂生な私の方であろう。

グルコサミンをひと飲みにして、缶ではなく、瓶麦酒を手に取る。
この瓶麦酒、俳句仲間の方から頂いた、地麦酒である。
「いわて蔵ビール」
と言う、地麦酒好きには知られた、東北の地麦酒界の雄。
以前、東京の何処かのビアパブで、
ここのIPAだけは飲んだ記憶がある。
醸造元の「世嬉の一酒造」で、出来たての麦酒を飲んでみたい。
そう思った。
地域色の濃さも、大手の麦酒とは一線を画す、
地麦酒の魅力であり、面白さである。
それは、日本酒や、他の酒にも言える事だが。

そして、つまみは。
と、冷蔵庫の隅を漁ると、手頃な物が見つかった。
「笹かまぼこ」、である。
本場、仙台産なのは、仙台に居る親戚からの贈り物だから。
銘菓「かもめの卵」やら、「笹かまぼこ」やら、「南部煎餅」やら。
沢山、頂いた。
震災の当時は、あちらを支援しようと息巻いていたが、
今となっては、完全にこちらが支援されている。

全て、頂きものづくめの、晩酌。
頂きもの品々に反比例し、私の贈り物は何と少ない事か。
せめて、礼くらいはと思い、仙台の親戚宅へ電話を繋いだ。
親戚のおばちゃんは、楽しそうに、祭りの事を話した。
勿論、「七夕」の、である。

今年は、「復興と鎮魂」をテーマに、市民一丸となって、
祭りの準備を進めているらしい。
確かに、今年の、特に東北地方の祭りは、特別なものとなるであろう。
「行きたいなぁ」
と答えつつ、同日に開催される「高崎祭り」の事が、チクリと胸を刺した。

【天候】
終日、曇天。
時折、ごく微弱な、雨。

1243声 薔薇句会

2011年05月27日

昨夜は定例の句会。
先生のお宅に伺って、参加者一同で、席題を考える。
雨が降っているので、まずは、梅雨。
皆が夏服だったので、衣更と、あと、と言うところで、
「薔薇」と言う季題が出た。
視線を移すと、部屋の隅に、紅い薔薇が数本、活けてあった。

作って出して、さて、句会。
用紙に並んでいる参加者の句を見ていると、
やはり、圧倒的に薔薇の句が多い。
私と先生を除いて、参加者はすべて女性。
薔薇に対する思いも、私などより強いのだろうか。
私も、薔薇の句は1、2句出してあるのだが、完全に他の句の中に、
埋もれてしまっている。

結果、自分の句は惨敗。
やはり、人気があったのは、薔薇の句。
必死に外をほっつき歩いて、遠蛙だの、若葉雨だのを詠んで来た、
私の労は報われなかった。
他の女性陣は、ものの見事に、花瓶の赤い薔薇を詠んでいた。

必死に作った薔薇の句を出して、それが、誰にも採ってもらえない。
しかも、女性陣に、である。
薔薇の花束をプレゼントして、目の前で踏みにじられる。
何だか、そんなような経験こそないが、そこはかとなく、
情けない心持になった。

「薔薇なんて嫌いだ」
などと、自分の気持ちをなだめようとしたが、
薔薇の色香に誘われて、また、ペンを取ってしまうのだろうと、思った。
久保田の一升瓶を傾けている先生は、先程から頬の色が、
いささか薔薇の様になって来た。
世間話をしながら、大声で笑いつつ、薔薇の佳句を作る女性たちを、
おそろしい、と感じた。
机の上の、お茶菓子を自棄食いして、夜半に宅を辞した。

【天候】
終日、小雨交じりの曇天。

1242声 巡って節電

2011年05月26日

キーワードは,、「節電」。
それを受けて、益々、「銭湯だな」と言う気持を強くした。

気象庁は昨日。
夏期、6、7、8月の平均気温が、北日本を除いて、
平年並みか、それよりも高い傾向になる。
かも知れんよ、との予想を発表した。

これを受けて、今朝の朝刊各紙でも、
今夏の節電計画記事が、載っていた。
電力需要の多い夏場は特に、公的機関や企業はもとより、
多くの一般家庭が、節電に取り組むことになるだろう。
また、巷の生活環境が、そう言う風潮に包まれる事は必至である。

簡単に節電できる事。
ごく単純に考えて、多くの家庭が内風呂でなく、近所の銭湯を利用したら、
節電かつco2の削減になる。
しかし、東京23区じゃあるまいし、近所に銭湯がある地域に住んでいる人。
なんてのは、地方都市において、ごく一部の人に限られてしまう。

しかし、足を伸ばせば、思わぬ場所にあるものである。
群馬県内の市町村で、銭湯の数が多いのは、前橋、桐生、高崎の三市。
これが、群を抜いている。
桐生の銭湯は面白い事に、みな、本町通り沿いの周辺にある。
前橋、高崎の銭湯は、市街地から郊外に至るまで、点在している。

「巡って節電、群馬の銭湯」

なんて、銘を打って、お遍路式に巡るのも楽しそうである。
子供に銭湯文化を教えるのにも、いい機会かもしれない。
公衆浴場のマナーが身に付いている若者と言うのは、
とてもカッコイイものである。

私が桐生の銭湯を、巡っていた時期。
真夏の夕方に、一軒の銭湯に入っていた。
ガラガラっと、脱衣場の引き戸が開いて、入って来たのは、
高校サッカー部と思しき、真っ黒く日焼けした、青年。
その出で立ちは、所謂、「今風」だが、浴室へ入っての入浴マナーは、
以外にも、華麗なる所作でこなして行く。
まず体を流し、静かに湯船に入り、素早く体を洗い、挨拶して出て行く。
私は、いささか湯当たり気味によって、朦朧となる視力で、
その一連の動作を横目で見ていた。
そして、感動した。
「日本の若者は、こうでなくてはいかん」
とさえ、思った。

瓶牛乳の一本でも、奢ってあげよう。
と思っていたのだが、ぐずな私が浴室を出る頃には、
もう、彼の姿はなかった。
部活の汗を流して、これから、遊びに行くのだろう。
ああ言う奴は、モテるな。
と言う、感慨を珈琲牛乳で飲み下し、たるんだ腹を、ひとつ叩いた。

【天候】
終日、曇天。
夜半から、断続的な強い雨

1241声 夏鴨と日傘

2011年05月25日

まったくもって、雨降りゃ寒く日が出りゃ暑く、
寒暖の差が激しい時節柄である。
今日は、晴れて夏日。
用事の成り行きで、公園にて昼食済ませた。

昼時の公園には、様々な人間模様がある。
木陰で昼寝をしている、おやっさん。
緑陰のベンチで弁当を広げている、近場のOL。
噴水でゴシゴシと、老犬を洗っている、おばちゃん。
そんな風景を眺めつつ、メモ帳にペンを走らせている、私。

節電の影響であろうか、公園で一番大きな噴水は、枯れていた。
「噴水広場」と銘打っているので、肝心の噴水が枯れていると、
いささか、寂しい印象を受ける。
それでも、幾つか池があるので、水辺を歩くと清々しかった。

池に浮かんで、水浴びをしている、一羽の夏鴨。
水面に浮かびながら、徐に、顔を180℃回転させ、
左右の羽の間に、嘴を埋めた。
埋めて、動かなくなった。
しばし見つめていたのだが、水面に浮かんでいて、動かない。
時折、瞬きするくらいで、微動だにしない。
つまりこの状態は、昼寝、しているのだろう。

直射日光の下で、良く寝れるものだと、
いささか呆れつつも、恐れ入った。
何だか、見ているこっちが、暑くなって来たので、
そのまま、池から歩を進めた。
堤の所まで来ると、利根川の景が広がっていた。
遠くに架かっている長い橋に、ゆっくりゆっくり、
白い日傘が渡って行った。

利根川に日傘を渡す長き橋   諒一

【天候】
終日、快晴の夏日。