日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

1251声 麦の酒祭り 前編

2011年06月04日

「がんばれ、東日本! チャリティ・ビアフェス東京2011」
毎年、「ジャパンビアフェスティバル」と銘打って、
日本地ビール協会が開催している、麦酒の祭典である。
それに昨日、行って来た。
「昨日」と言うのは、例の如く、この文章を一夜明けてから、書いている。
と言うのも、酔眼朦朧と帰宅するや否な、倒れ込むように寝てしまった。

私は過去、二回参加した事があった。
自身三回目となる今回は、ほのじ氏も一緒である。
会場である、恵比寿ガーデンプレイスのザ・ガーデンホール付近へ来ると、
風に乗ってふんわりと漂っている、地ビールの香り。
混雑盛況の会場で、全国津々浦々の参加地麦酒を確認すると、
今年はどうやら、群馬県勢は居ない様子。
それでも、混雑状況は例年より随分と、少ない印象であった。
今回の被災地である、福島や茨城県などの地麦酒もあり、少し、安心した。

入場料を払えば、記念グラスで、1回50mlずつ何回でも試飲が出来る。
会場内には、150種類を超える地麦酒の種類。
制覇するのは、勿論無理なので、気になる地麦酒を中心に飲み進めてゆく。
北海道や鹿児島など、普段、容易に行かれない場所の地麦酒から飲む。
業界で流行っている、「フルーツビール」のブースへ行くと、
なにやら、ビアサーバの前で、熱心にメモを取っている、男がいる。
時折、出展者の方に質問し、深く頷きながら、書き込んでいる。
行儀のよい酔っ払い、に見えなくもない。
男の横を通ると、ふいに、話しかけられた。
「イチゴ、イチゴ、苺の麦酒っての、面白いぞ」
ほのじ氏であった。

ピルスナーにヴァイツェン。
スタウトにボックに、バーレイワイン。
様々なスタイルの地麦酒を試す。
それに、各種のチーズや、生ハムやら、
つまみとの相性を確認しているのが、ほのじ氏である。
「料理人」の視点で地麦酒を見ている。

「飲むと覚える」ってのは、毎回感じている事だが、
実際に試飲すると、その色、香り、風味、アルコール感など、
とても勉強になる。
私は、既に、視点が定まらぬ状態にになりながらも、
次の地麦酒を求め、ごったがえしの会場をさすらう。
そして、お互いに、定まらぬ視点のまま会場を辞し、
やはり足は、路地裏向いてしまうのであった。

【天候】
終日、晴れて暑し。絶好の麦酒日和。

1250声 コーラはアカ

2011年06月03日

「さうぢやない」
と、旧かなづかいで記載する事によって、
若干の威圧感を持たせようと言う趣向、である。
趣向はよいのだが、「そうじゃない」と、声にならない声が、
我が胸中にこだましていた。

場所は、コンビニエンストア店内。
入店し、飲み物を買おうと、店内奥の飲料クーラーへ向かった。
クーラーの前には、女子高生が二人。
私は目撃した。
左の子が、コカコーラのペットボトルを手に取った。
すると、すかさず、右の子がツッコミを入れる。
「えっ、ゼロじゃないとヤバくね」

「ゼロ」と言うのは、糖分ゼロ、保存料ゼロ、合成香料ゼロと言う商品。
最近では、「ゼロフリー」なんて商品まであり、
糖分ゼロ、保存料ゼロ、合成香料ゼロ。
そして、カフェインまでゼロ。
じゃあ、何を飲んでいるのか。
などと、素人考えで思ってしまう。

それから、その右の子。
ゼロコーラの安全性、普通のコーラの危険性を、学者の如く論じている。
「この赤色が危険じゃん」
などと、ユーモアを交えつつ、左の子を説得して行く。
遂には、左の子。
一度手に取ったコーラを戻し、ゼロコーラを手に取って、レジへと向かった。

私は左の子を、真のコーラフリークと見た。
巷の風潮では、猫も杓子も、合言葉は「ゼロ」、である。
清涼飲料水も然り。
コカコーラにファンタに、三ツ矢サイダーまで、
ゼロと記載していなければ、売れない。
そんな状況である。

しかし、コーラの味に親しみ、そして、その味に惚れ込んだ真の愛好者は、
今でも、赤いコーラを買う筈。
健康、云々の前に、味、なのである。
端的に言えば、「ゼロ」商品は、すべからく味が薄い。
そして、炭酸が弱い。

忘れてしまったのである、私たちは。
あの、赤いコーラの味を、である。
あの独特の風味と、炭酸の刺激。
そして、コクのあるのど越し。
ゼロだから、てぇんで、ごくごく飲んでも良い。
そうじゃない。
ゼロでも甘味料等は含まれているので、
むしろその方が、危険であると、思う。

私が子供時分、好きだったコーラが、「ジョルトコーラ」である。
よく飲んだ。
あの強烈な味に、慣らされてしまった感がある。
ジョルトコーラの売り文句は、「カフェイン2倍」であった。
「カフェイン2倍の砂糖100%」
が、大いにアピールポイントになった時代が、あった。
今のところ、成人病にはなっていない。

【天候】
梅雨の晴れ間で、気温が上昇。
蒸し暑い一日。

1249声 宇宙人の方々

2011年06月02日

今日一日に限って言えば、猫も杓子も、
と言う形容が当てはまるくらい、報道が集中していた。
国会に、である。

菅首相は今日、今回の大震災と福島第1原発事故の対応に、
一定のメドがついた段階をもって退陣する。
と言う意向を、民主党代議士会で、表明した。
そして、野党3党が提出した内閣不信任決議案が、同じく今日、
反対多数で否決されたが、今尚、退陣の時期を巡って、議論が沸騰している。

とまぁ、一日中、朝刊に始まって、ラジオやテレビやネットでの報道が、
否応なしに、耳に入って来る。
その後ろで、今日の午前11時半頃には、新潟県中越地方で、
震度5強を観測した地震も起こっている。
けが人はいないらしいが、詳細情報を知り得る手段がないので、
よくは分からない、と言う状況である。

丁度、現在。
携帯電話のテレビCMで、「うちわ編」と言うのがある。
設定は、夏の一家団欒。
節電のため、妹と兄が、共に団扇で扇ぎあっている。
扇ぎあっているのだが、仲良く、とはいかず、
「風が来ない」と口論しつつ、二人ともヤケクソ気味に扇いでいる。
そこへ、お母さんが「逆に暑苦しいわよ」とツッコミを入れ、
お父さんが最後に一言。
「これがほんとのうちわもめだな」

このCMを見る度に、永田町に対するメタファーなのでは。
などと、思っている。
いま、どこに風を送るべきなのか。

そう言えば、このCMにはこんなワンシーンもある。
扇風機を独り占めしているお父さんが、お母さんに促され、
扇風機のプロペラに向かって言う。
「ワレワレハウチュウジンダ」

風を送るべき場所も分からず、それを独り占めにしているようであれば。
これは、本当に宇宙人の方々かも知れない。

【天候】
終日、降ったりやんだりの梅雨らしい天候。

1248声 気持のよい朝

2011年06月02日

昨日は、と言う事は、本来昨日書くべきこの文章を、
一日過ぎた本日に、書いている。
と言うのも、自宅のインターネットプロバイダを変更したので、
昨日は、インターネットが使用できなかったのである。
その為、この日刊「鶴のひとこえ」の更新に、一日穴が開いてしまった。

スマートフォン。
てぇのを持っているのだから、そちらから、更新すれば良さそうなもの。
しかし、何だかそれも、まどろっこしいので、自ら穴を開けた。
「ずっと、待っていたのに」だとか、「日刊じゃねぇじゃねぇか」など。
抗議の声も寄せられないので、殊更、穴を開けることをおそれなくなった。
過去形にしてみたが、昔から、そう言う声が殺到すると言う事もなく、
のんべんだらりと更新を続けて来た。

いつも、更新作業をするのは、夜半から深夜。
ジリジリと、睡眠時間をすり減らしつつ、更新しているのである。
「だから、偉いでしょ」
とも言えないのは、それまでの時間を、くだらないことで、
無為に過ごしている。
丁度、夏休み最終日に、宿題が終わらずに苦悶している小学生。
毎日が、そんな調子。

それが、昨夜はその時間がぽっかりと空いた。
ぽっかりと空いたので、寝床に入って本を読んでいた。
いつもは、更新作業を終えてから、寝床に入るので深夜になっている。
しかし、昨日は随分と前倒しになって、午後十時を回ったところ。
それが、いつしか寝てしまって、突如として、朝。
私は、あまり夢を見ない性質なので、朝を迎える時は、「突如と」、している。

これが、なんと、気持のよい朝であろうか。

朝、気持ち良く起きて
ほんとうに気持ちの良い一日を暮らす。
そのためにすべてはあるのだ。

などと、山田かまちの詩の冒頭部分を引用したくなるくらい、
気持よく起きられた。
つまり、単に十分に睡眠をとったからであろう。
いつもは、寝不足。
万年寝不足人間の人生は、何たる悲惨であろうか。
山田かまちは正しい。
「そのためにすべてはあるのだ」

私はそう叫ぶや否や、蒲団を蹴っ飛ばして起き上がり、
右の拳を、天井に向かって突き上げた。
突き上げてから、だらりと拳を下ろして、
ほんとうに気持ちの良い一日」
を探しに、部屋の扉を開けた。

【天候】
午前中は晴れるが、下り坂。
午後から雲が多くなり、夕方から雨。

1247声 あの日のほうたる

2011年05月31日

梅雨の晴れ間で、朝から爽やかな青空が広がっていた。
五月も今日で終わって、明日から六月。
六月ってのも、何だか雨に煙っていて、印象の薄い季節である。
視界不良な中でも目に付くのは、19日の桜桃忌。

「桜桃忌」
文学好きでなくとも、毎年、この日はテレビ等で取り上げられるので、
目にした事くらいはあるだろうか。
小説家、太宰治の忌日、とされている。
玉川上水に入水したのは、1948年6月13日なので、命日は13日、だろう。
また、この日は、太宰治の誕生日でもある。
一昨年は、「太宰治生誕100年」という節目の年で、
映画や小説のリバイバルなど、様々な面で、スポットが当てられていた。

毎年、忌日に故人を偲ぶと言うのも、
何だか、ふと思い出して偲ぶようで、申し訳ない。
忌日にされるのは、望むべき形ではない。
そう言う故人だって、少なからずいるだろう。
しかし、死んでしまったら、口出しは出来ない。
なので、生きている者の、好きなようにされてしまう。

もし、その人が、生前、小説家だったら。
死後、自分の作品が映画化されようが、舞台化されようが、
また作品がリバイバルされようが、「待った」、はかけられない。
それが、死ぬ、と言う事なのだから、仕様が無い。

明日からまた、梅雨の天気になると言う予報である。
一雨ごとにあたたくなって来て、六月中旬頃には、
蛍が盛んに飛び始める。
私の生活圏の周辺では、前橋市の田口町が有名である。
ここ、二、三年は毎年見に行って、下手な俳句を幾つか拵えて来る。
1948年の初夏、玉川上水にもきっと、蛍は飛んでいたのであろう。

【天候】
朝より、雲多くも快晴。
夕方より曇り。

1246声 出会う本

2011年05月30日

今日も、自宅に本が届いた。
最近、アマゾンで本を買う様になったのは、
俳句関連の本を改めて漁り始めたから、である。
俳句に関連する本、例えば、有名とは言えない俳人の句集。
など、専門的な古書店でなくては、手に入らない。
そこでも、句集などは部数も少なく、私家版のもの多いので、
目当てのものを探し出すのは、とても困難な作業となる。

それが、アマゾンなどのネット書店では、
検索した情報を一覧参照できるので、恐れ入ってしまう。
ふと気付いたのだが、アマゾン内で、自分の本が売れた数よりも、
他人の本を買った数の方が、何倍も多い。
当たり前と言えば、その通りだが、何だか、胸のつかえを感じる。

「だいたいが、売ろうとしてるのか」
と言う、鋭い指摘を受けた事があるが、その答えに窮してしまった。
自分の好きなように作った本なので、自分の好きな様に売る。
そう言う気持ちは、中々、言葉にするのが難しい。

「古書」、と言えば、近年。
「一箱古本市」が、全国に飛び火していると言う記事を、
何処かで見かけた。
一箱古本市、てぇのは、東京の谷根千(谷中根津千駄木)にある、
不忍通り、通称「不忍ブックストリート」で開催されている、古本の青空市。
参加者は、蜜柑箱位のダンボール箱を、店として、指定店舗の前で販売する。
売るのも本好き、買うのも本好き、と言う、単なる売り買いを越えた、
本との出会い方が出来る、催しである。

私も数年前に、この「めっかった群馬」周辺の仲間と、出掛けた事がある。
文庫を4、5冊買った記憶がある。
澁澤龍彦の河出文庫か、何にかだったか。
地域雑誌「谷根千」を、その編集者の方から直接買う事ができ、
この町と人に、とても親近感を覚えた。

アマゾンで買うのも、確かに、便利なのだが、それまでである。
本を買う上で、一番面白いのは、出会い方、である。
思わぬところで、思わぬ本に出会う。
その一冊が、人生を変える様な本だったりするから、面白い。
そう言う本に出会えるのは、無論、一箱古本市のよう、
本を愛する人たちが場所だろう。
群馬県に飛び火してくれれば、それは、素晴らしいこと、と思う。

【天候】
朝より豪雨。
昼過ぎに、雨止み、晴れ間が出始める。
その後、夕方頃には回復。
各地で、河川増水や土砂など、大雨による水害が出ている。

1245声 わたしの腐海

2011年05月29日

朝から土砂降り。
であった、窓を開けて、軒を打つ雨音を聞いていると、
映画「七人の侍」が思い起こされた。
時代劇には、土砂降りのシーンが多い、気がする。

梅雨の空は暗く陰鬱な印象だが、秋雨の様な、さみしさがない。
庭では、雨に打たれながらも、雀等が遊んでいるし、
山帽子の樹など、雪を纏ったように映えている。
万象が夏の気配に、浮かれている様子。

この、そこはかとなく陽気な空気はよいのだが、
油断ならないのが陰気な空気、なのである。
陰気な空気、ってのは、この湿度の高くじめじめとした空気で、
これがもたらすものは、手強い、黴。

毎年この時期になると、靴箱にしまってある革靴には、
ことごとく、黴が生えてしまう。
ミンクオイルなど塗って、しまってある靴などはもう、
黴からは逃れられない。
黴の生えてしまった靴は、温床となり次々に黴を培養し、
やがて菌を撒き散らしてゆく。
書いていて気持悪くなって来たが、実際この現象が、
我が家の靴箱で起こっている。

たまには、風を当てたり、日に干したりしているのだが、
一度、黴の魔の手に侵された革と言うのは、
容易に菌と手を切れない。
洗ったり、拭いたり、干したりするのだが、
雨が降り続くと、やがてそれが、息を吹き返してしまう。

靴だけなら、まだ心配する事はない。
十代の終わりに、日当たりも風通しも悪い、六畳一間に住んでいた。
その時である、私が本当に黴の恐ろしさを知ったのは。
梅雨の時期、やはり、黴が生えた。
「生えた」、と言うか、「涌いた」と言った方が的確かも知れぬ。
靴箱の靴は、勿論の事。
敷布団に掛け布団、風呂場に便所に台所。
洗濯機の中の洗濯槽や、大切にしている、書籍類に至るまで、
黴の侵攻に抗う術がなかった。
風の谷のナウシカで言う、「腐海」状態、なのである、部屋全体が。

そんな部屋に住んでいた当時から、
特に目立って健康を害する事も無く、現在に至っている。
しかし、もしかしたら、私の肺の中に、黴の菌が棲んでいるかも知れぬ。
まさか、もう脳が黴に侵されているから、こんな人間に…。

【天候】
朝から雨足強し。
夜半まで降り続き、その後、小雨。

1244声 くれたもの

2011年05月28日

昨日から関東甲信越地方も、入梅。
例年よりも早く、初日の今日はまとまった雨こそ降らないが、
鉛色の曇天であった。

空の色に呼応するように、体の方も、
鉛を流し込まれたかの如く、重たく、ひねもすダルかった。
これは多分に、二日酔いの影響が色濃い。
こう言う日は、風呂上がりに麦酒でも飲めば、
立ちどころに体が軽くなるのだが、それでは、悪循環。
と思いつつも、冷蔵庫に冷えている(自分で補充するのだが)から、
それがいけない。

湯上がりに、さて麦酒と、冷蔵庫を開けると、缶麦酒の横に一本の瓶。
「軽快グルコサミン」
と、ある。
祖父から貰った、明治乳業の乳酸菌飲料である。
宅配をとっているのだが、あまり飲まないので、
宅を訪れるといつもくれる。
祖父は、グルコサミンを飲まずとも、軽快である。
体調を警戒すべきは、むしろ、不摂生な私の方であろう。

グルコサミンをひと飲みにして、缶ではなく、瓶麦酒を手に取る。
この瓶麦酒、俳句仲間の方から頂いた、地麦酒である。
「いわて蔵ビール」
と言う、地麦酒好きには知られた、東北の地麦酒界の雄。
以前、東京の何処かのビアパブで、
ここのIPAだけは飲んだ記憶がある。
醸造元の「世嬉の一酒造」で、出来たての麦酒を飲んでみたい。
そう思った。
地域色の濃さも、大手の麦酒とは一線を画す、
地麦酒の魅力であり、面白さである。
それは、日本酒や、他の酒にも言える事だが。

そして、つまみは。
と、冷蔵庫の隅を漁ると、手頃な物が見つかった。
「笹かまぼこ」、である。
本場、仙台産なのは、仙台に居る親戚からの贈り物だから。
銘菓「かもめの卵」やら、「笹かまぼこ」やら、「南部煎餅」やら。
沢山、頂いた。
震災の当時は、あちらを支援しようと息巻いていたが、
今となっては、完全にこちらが支援されている。

全て、頂きものづくめの、晩酌。
頂きもの品々に反比例し、私の贈り物は何と少ない事か。
せめて、礼くらいはと思い、仙台の親戚宅へ電話を繋いだ。
親戚のおばちゃんは、楽しそうに、祭りの事を話した。
勿論、「七夕」の、である。

今年は、「復興と鎮魂」をテーマに、市民一丸となって、
祭りの準備を進めているらしい。
確かに、今年の、特に東北地方の祭りは、特別なものとなるであろう。
「行きたいなぁ」
と答えつつ、同日に開催される「高崎祭り」の事が、チクリと胸を刺した。

【天候】
終日、曇天。
時折、ごく微弱な、雨。

1243声 薔薇句会

2011年05月27日

昨夜は定例の句会。
先生のお宅に伺って、参加者一同で、席題を考える。
雨が降っているので、まずは、梅雨。
皆が夏服だったので、衣更と、あと、と言うところで、
「薔薇」と言う季題が出た。
視線を移すと、部屋の隅に、紅い薔薇が数本、活けてあった。

作って出して、さて、句会。
用紙に並んでいる参加者の句を見ていると、
やはり、圧倒的に薔薇の句が多い。
私と先生を除いて、参加者はすべて女性。
薔薇に対する思いも、私などより強いのだろうか。
私も、薔薇の句は1、2句出してあるのだが、完全に他の句の中に、
埋もれてしまっている。

結果、自分の句は惨敗。
やはり、人気があったのは、薔薇の句。
必死に外をほっつき歩いて、遠蛙だの、若葉雨だのを詠んで来た、
私の労は報われなかった。
他の女性陣は、ものの見事に、花瓶の赤い薔薇を詠んでいた。

必死に作った薔薇の句を出して、それが、誰にも採ってもらえない。
しかも、女性陣に、である。
薔薇の花束をプレゼントして、目の前で踏みにじられる。
何だか、そんなような経験こそないが、そこはかとなく、
情けない心持になった。

「薔薇なんて嫌いだ」
などと、自分の気持ちをなだめようとしたが、
薔薇の色香に誘われて、また、ペンを取ってしまうのだろうと、思った。
久保田の一升瓶を傾けている先生は、先程から頬の色が、
いささか薔薇の様になって来た。
世間話をしながら、大声で笑いつつ、薔薇の佳句を作る女性たちを、
おそろしい、と感じた。
机の上の、お茶菓子を自棄食いして、夜半に宅を辞した。

【天候】
終日、小雨交じりの曇天。

1242声 巡って節電

2011年05月26日

キーワードは,、「節電」。
それを受けて、益々、「銭湯だな」と言う気持を強くした。

気象庁は昨日。
夏期、6、7、8月の平均気温が、北日本を除いて、
平年並みか、それよりも高い傾向になる。
かも知れんよ、との予想を発表した。

これを受けて、今朝の朝刊各紙でも、
今夏の節電計画記事が、載っていた。
電力需要の多い夏場は特に、公的機関や企業はもとより、
多くの一般家庭が、節電に取り組むことになるだろう。
また、巷の生活環境が、そう言う風潮に包まれる事は必至である。

簡単に節電できる事。
ごく単純に考えて、多くの家庭が内風呂でなく、近所の銭湯を利用したら、
節電かつco2の削減になる。
しかし、東京23区じゃあるまいし、近所に銭湯がある地域に住んでいる人。
なんてのは、地方都市において、ごく一部の人に限られてしまう。

しかし、足を伸ばせば、思わぬ場所にあるものである。
群馬県内の市町村で、銭湯の数が多いのは、前橋、桐生、高崎の三市。
これが、群を抜いている。
桐生の銭湯は面白い事に、みな、本町通り沿いの周辺にある。
前橋、高崎の銭湯は、市街地から郊外に至るまで、点在している。

「巡って節電、群馬の銭湯」

なんて、銘を打って、お遍路式に巡るのも楽しそうである。
子供に銭湯文化を教えるのにも、いい機会かもしれない。
公衆浴場のマナーが身に付いている若者と言うのは、
とてもカッコイイものである。

私が桐生の銭湯を、巡っていた時期。
真夏の夕方に、一軒の銭湯に入っていた。
ガラガラっと、脱衣場の引き戸が開いて、入って来たのは、
高校サッカー部と思しき、真っ黒く日焼けした、青年。
その出で立ちは、所謂、「今風」だが、浴室へ入っての入浴マナーは、
以外にも、華麗なる所作でこなして行く。
まず体を流し、静かに湯船に入り、素早く体を洗い、挨拶して出て行く。
私は、いささか湯当たり気味によって、朦朧となる視力で、
その一連の動作を横目で見ていた。
そして、感動した。
「日本の若者は、こうでなくてはいかん」
とさえ、思った。

瓶牛乳の一本でも、奢ってあげよう。
と思っていたのだが、ぐずな私が浴室を出る頃には、
もう、彼の姿はなかった。
部活の汗を流して、これから、遊びに行くのだろう。
ああ言う奴は、モテるな。
と言う、感慨を珈琲牛乳で飲み下し、たるんだ腹を、ひとつ叩いた。

【天候】
終日、曇天。
夜半から、断続的な強い雨

1241声 夏鴨と日傘

2011年05月25日

まったくもって、雨降りゃ寒く日が出りゃ暑く、
寒暖の差が激しい時節柄である。
今日は、晴れて夏日。
用事の成り行きで、公園にて昼食済ませた。

昼時の公園には、様々な人間模様がある。
木陰で昼寝をしている、おやっさん。
緑陰のベンチで弁当を広げている、近場のOL。
噴水でゴシゴシと、老犬を洗っている、おばちゃん。
そんな風景を眺めつつ、メモ帳にペンを走らせている、私。

節電の影響であろうか、公園で一番大きな噴水は、枯れていた。
「噴水広場」と銘打っているので、肝心の噴水が枯れていると、
いささか、寂しい印象を受ける。
それでも、幾つか池があるので、水辺を歩くと清々しかった。

池に浮かんで、水浴びをしている、一羽の夏鴨。
水面に浮かびながら、徐に、顔を180℃回転させ、
左右の羽の間に、嘴を埋めた。
埋めて、動かなくなった。
しばし見つめていたのだが、水面に浮かんでいて、動かない。
時折、瞬きするくらいで、微動だにしない。
つまりこの状態は、昼寝、しているのだろう。

直射日光の下で、良く寝れるものだと、
いささか呆れつつも、恐れ入った。
何だか、見ているこっちが、暑くなって来たので、
そのまま、池から歩を進めた。
堤の所まで来ると、利根川の景が広がっていた。
遠くに架かっている長い橋に、ゆっくりゆっくり、
白い日傘が渡って行った。

利根川に日傘を渡す長き橋   諒一

【天候】
終日、快晴の夏日。

1240声 オヤジオンナノジダイ

2011年05月24日

この前まで青んでいてた麦が、もう色づき始めている。
高崎界隈の麦畑はもう、麦秋と言った具合である。

昼飯時、行きつけとしている、うどん屋へ寄った。
店内、とても混雑していた。
夏場は、みな冷たいものが食べたくなるようで、
巷のうどん屋や蕎麦屋が、特に混む傾向があると感じている。
このうどん屋でも、九分九厘のお客さんが、
冷たいかけうどんや、もりうどんなどを注文していた。

カウンターの隅で、もりうどんを啜っていると、ふと、気が付いた。
味の変化に、である。
先の震災以降、何度かこの店に訪れているのだが、
その都度、味の変化の機微に気付がつく。
変化しているのは、麺。
以前は、ボソボソと、歯ごたえのある食感で、風味が強かったのだが、
今日の麺は、若干であるが、つるつるとして、風味が弱い。
所謂、讃岐風なうどんに、近づいている。

小麦粉の業界にも、多少なりとも影響があるのだろう。
と推察するが、そんな味の機微には関せず、まずは、この味に慣れる。
と言うのが、常連に必要な事。

この店の常連は、見掛けるところ、およそ八割が男なのだが、
二割くらいは女性がいる。
つまりは、そう言うような雰囲気の店、なのである。
その二割の中で、更に選りすぐれば、二十代と思しき女性が数名いる。
その内の一人なのであろう、近所の会社の事務員風な女性が、
今日も来ていた。

驚きべきはその女性の、食べっぷり。
セルフサービスの天ぷらを3枚、もりうどんの上に押し込んで、
豪快に食べてゆく。
完食したところで、徐につまようじを取り、歯間をツンツンと、
小気味良く刺している。
その腹の据わった食後の寛ぎスタイルは、もはやおじさん顔負け。
昔のバンカラのように、口に楊枝を刺したまま、私の横を通り過ぎて行った。
これから肩で風を切って巷を闊歩するのは、女性かも知れぬ。
などと、うどん屋の店内。
私の横にあるテレビの中の被災地で、ボランティアに精を出しているのも、
また、二十台の若い女性である。

【天候】
朝より雨。
午後には止み、その後、天気は回復。
日中、晴れて蒸し暑し。
夜になると、長袖では涼しいくらい。

1239声 梅雨の湯

2011年05月23日

「リセット」
しなきゃだな。
と思い立って、メモ帳とペンをポケットに、近所の公園へ。
メモ帳とペンてぇのは、俳句を書き留める為。
自然の中を歩きながら、句を推敲していると、
これが意外と、気分転換になる。
つまりは、リセットできるのである。

その方法は、人それぞれ。
私みたいに、「自然に触れたい」
と思う方もいれば、「人波に流されたい」
と、思う方もいる。
はたまた、あのパチンコ店の喧騒の中で、
パチンコ台に流れて行く玉を見つめていると、
「無心になって、とてもリセットできる」
と言う人だっている。

そう考えると、多くの日本人にとっての、「風呂」。
ってのは、一日の生活中で、とても重要なリセットポイントである。
風呂上がりの、あのすっきりとした感覚は、
まさしくリセット後の爽快感に他ならない。

子供の頃は、「リセットしなきゃだな」なんて、思った事もない。
それは、心のろ過装置の稼働率が良かったのだろう。
大人になって来るにつれ、その稼働率が甚だ悪くなる。
すぐに、老廃物が溜まってしまう。
そうなると、体が、心中環境の正常化を求めてくる。
それを捨て置いてしまうと、気持が萎えたり、病気になってしまうのだろう。

だからこそ私は、行き場を無くした東京で入った銭湯に、
魅せられてしまったのかも知れない。
大人の入り口でつまづいていた私を、
あの下町の熱い湯が、リセットしてくれた。
もっとも、リセットし過ぎて、群馬県に帰郷してしまったが。

今日みたいな、雨。
と言うのもまた、リセットポイントだと思う。
そう考えると、これから始まる梅雨の時期てぇのは、
大いにリセットできる期間なのではなかろうか。
その後には、あのギラギラの夏が控えている。

丁度、銭湯で汗を流してから、酒席に参加する。
と言った具合であろう。
先週の私が、伊勢崎市の寿美乃湯でひとっ風呂浴びてから、
酒席に参加したように。
これから始まる陰鬱な梅雨の期間に、世の塵を洗い流して、夏を迎える。
そうすればきっと、麦酒の味は、格別であろう。

【天候】
朝より、終日、雨。
走り梅雨にはいっている模様。

1238声 醤油の色は夜の色

2011年05月22日

いま、隣の人から廻って来たお猪口。
中に入っているのは、日本酒。
ではなくて、醤油。
そこに人差し指を突っ込んで、指ごと、醤油を舐める。
そして、日本酒が入っているお猪口を、口に運ぶ。
つまり、醤油を肴に呑んでいるのである。

「醤油ナイト」
と言う催しが、昨晩、ほのじで開催された。
読んで字の如く、「醤油」づくしの、一晩を過ごそう。
と言う、至極、単純明快な集まりである。
プレゼンターとしていらしたのは、「職人醤油」社長の高橋万太郎氏。
始まってまず、日本列島津々浦々で醸造されている、職人仕立ての醤油を、
それに合う、様々な料理で味わう。
バイキング形式の机の上には、あくまで、「醤油に合う」。
と言う視点で、醤油を主役に抜擢した、料理の数々が並んでいる。

一つ一つ、キャラクターの違う醤油。
「アボカドには、これ」
「刺身にはこれで、卵かけご飯には、これ」
と言う風に、楽しみ方は千差万別。
スーパーで貰える、無料の刺身醤油が美味い。
と思っているような、鈍感な、いや、おおらかな味覚を持つ私でも、
各醤油の味の機微に、驚いた。

小林頼司君の、アコースティックな演奏が終わる頃には、
私の周辺の一部、すでに、心地好く酔っていた。
それは、彼の歌が、醤油に合っていた、と言う事が大きく起因している。
つまみに醤油、カレーに醤油、シフォンケーキに醤油、飛び交う話も醤油。
しょっぱい奴らが、更に、しょっぱくなって行く。
夜も更けて、最終的に、お猪口に様々な醤油を入れて、廻し飲み。
ならぬ、廻し舐め。
醤油の色は夜の色。
お猪口の中で鈍く光っている醤油は、
妖しげな夜の色をしていた。

「この醤油はなんですか」
なんて、食事をした際に、思わず聞きたくなってしまうような、
いま、そんな心持でいる。

【天候】
朝から薄曇り。
午後から風、雨。

1237声 中間報告

2011年05月21日

いま、太陽は、南中高度と言う時刻。
部屋の温度計は、30℃丁度を計測している。
したがって、蒸し暑い事、甚だしい。

今日は、朝からパソコンにプリンターを設置して、ガチャガチャと、
用紙を突っ込んだり、出したりしていた。
午後に、県立女子大で群馬学リサーチフェローとしての、
中間報告と言うものを行うからである。

「中間報告」
と言うからには、何か、研究内容の発表と言う一席を、
打つことになる。
しかしながら、この貧弱な内容を発表する姿を思い浮かべると、
極度に気が滅入って来る。

今日は蒸し暑い、銭湯日和の日。
発表が終わった後は、ほのじへ行こうと思っている。
「醤油ナイト」と言う、催しがあるからである。
伊勢崎市なので、久しぶりに、寿美乃湯へでも、行こうか。
番台の親父さんは、いつものように、
「お熱つぅございます」
と言ってくれるだろうか。
いつものように、湯が温いのだろうか。
いつものように、メイトーの瓶牛乳があるのだろうか。
そしてまた、ほのじには、いつものメンバーが来るのだろう。

【天候】
終日、晴れて蒸し暑し。

1236声 わたしのシーソー

2011年05月20日

現在時刻は、午前一時。
書き終わる頃には、おそらく、二時近くにになっているだろう。
机に座り、パソコンに向かい始めたのが、確か、午後九時。
早、四時間も経っている、と言う事実に、目を擦りつつ、
いささか愕然としている。

兎も角、俳句から打って行こう。
てぇ事で、まず、俳句帳に記載してある俳句を打ち始めた。
この作業は、俳句帳に手書きされている俳句を、
パソコン内に保存する為、思い付いた時に行っている。
しかしながら、悪筆甚だしい我が俳句帳に、大苦戦してしまった。
二日酔いのミミズがのた打ち回ったような、奇妙な文字の羅列。
「五、七、五」
と、数えながら一句づつ打っている始末。

その中から、先生の選を仰ぐ句やら。
一寸、気の利いた句やらを、選り分けてゆく。
改めて見返すと、どっかの誰かが作った様な、駄句ばかり。
自分の言葉、で詠めている句の、なんと少ないこと。

「集中し過ぎ」
と言う事は、以前から感じていた事だが、
どうも、書き始めたり読み始めたりすると、時間の経過を忘れてしまう。
そして、こう言う集中の仕方は、とても効率が悪い。
と言う事も、痛切に感じている。
考えがまとまらないと、三十分でも小一時間でも、阿呆顔で考えてしまう。
そのくせ、集中できない時は、一切駄目。
緊張と緩和が保てない、その心の動きは、まるで、バランス悪いシーソー。
毎日、コンスタントに仕事をこなせる人と言うのは、このシーソーのバランスが、
絶妙なのであろう。
そう言う人は、その作の良し悪しは別として、文筆作業に向いていると、思う。

墨汁を一滴垂らして、それを、水を付けた筆で伸ばして書く。
文末まで来て振り返ると、そんな、薄い内容であるが、仕様が無いのである。
「バタン」
と、シーソーが倒れから、書き出したのだから。

【天候】
終日、晴れて、蒸し暑し。
全国的に夏日で、館林市では31℃を観測。

1235声 夏の橋の欄干

2011年05月19日

信号待ちの列。
ジリジリと、車内を照りつける夏の日差し。
エアコンの目盛りは最大。
噴射口からの風は冷たいが、
車内に充満している熱に、すぐに飽和してしまう。
感度の悪いラジオは、つい先程から、
ノイズばかりを吐き出している。

さて、青になる。
と言うところで、交差する前方の道路。
サイレンを鋭く鳴らしながら、猛スピードで、
右折して行くパトカーが、二台。
「事故かしら」
と思いつつ、青信号に従って、車列が進んで行く。

前方は、橋になっている。
どうやら、その橋の中腹で、サイレン音が止まった様子。
橋の入口まで来て見ると、やはり、中腹に停まっているパトカーが二台。
袂付近では、何やら、不安そうな顔で、橋の先を見ている野次馬の姿。

事故車らしき車が見えた。
見えて、その黒いワゴンとすれ違った。
進行方向に向かって逆走する格好で、路肩に停めてある。
停めてあるのは一台なので、単独事故だろうが、
特に目立った外傷は見当たらない。
しかし、その先、であった。

進行方向、左の欄干。
等間隔に付いている、街灯。
その支柱に、群がっている警察官が四人。
群がる警察官たちが、血相変えて掴んでいるのは、一人の女性。
つまりは、その女性。
橋の欄干に腰掛けて、左手を街灯の支柱に回していた、のである。

「飛び降り」
瞬時に連想して、おそらく外れてないだろう、と思った。
五十がらみの、どちらかと言えば派手な、水商売を思わせる女性。
警察官に掴まれながら、欄干に平然と腰掛けている、その女性。
橋の下には、市内でも有数の一級河川が、流れている。
落ちれば間違いなく、と言った状況である。
女性の、瞳。
不意に名前を呼ばれた人のような、邪念の無さそうな眼光をしていた。

私の車は、流れる車列に従って、その現場を通り過ぎた。
バックミラーの中で、小さくなって行く光景。
警察官がたちが、その女性を欄干から引き吊り下ろしたところで、
見えなくなった。
ラジオからはいつしか、鮮明な音質で、一昔前の唄が流れていた。

【天候】
終日、晴れて蒸し。
熟れた様な、月がしたたる。

1234声 画鋲のような夏の月

2011年05月18日

ツイッター。
なるものをやり始めてから、丁度二ヵ月くらい経つ。
ツイッターを始めるのは、ごく簡単で、アカウントを取ってつぶやけば、よい。
入口としては、ブログなどより、単純明快である。

そのアカウントは、この「めっかった群馬」として取ってある。
即ち、つぶやいている人間は、二人。
堀澤の時は(ほ)、抜井の時は(ぬ)、と言う事で、やっている。

見ている方が楽しい。
と感じている様では、まだまだ、
ツイッターを使いこなせていないのだろうが、
自分がつぶやくよりも、他人のつぶやきを見ている方が楽しい。
楽しいし、楽しくない場合も、ある。
こと、震災下からの、この二ヵ月。
様々な情報が、ツイッター上に錯綜していた。
まさに、つぶやきの坩堝である。
いや、坩堝ならば、溶けて混ざららなくてはならないが、
つぶやきひとつひとつが、溶け、混ざりあう事はないので、
正確には坩堝と言えない。

しかし、ひとつのつぶやきが、溶け、混ざり合う事もしばしばある。
どっかの誰かが、「月が出ている」とつぶやいた。
それを見て、別の場所にいる誰かが、「月が赤い」とつぶやいた。
赤い、とつぶやいた人は、おそらく、外に出て、または既にいる状態で、
ツイッター画面でつぶやきを発見し、夜空を見上げたのであろう。
そして、あの、熟れた様な夏の月を見て、感じた事を、つぶやいた。

その後も、ツイッター上では、「月」に関するつぶやきが、
連鎖するように多数あった。
そこが、ネオンきらめく都会なのか、街灯もないような田舎、
なのかは分からないが、皆、夜空を見上げていた事は確か、である。
かく言う私も、そのツイートを見て、カーテンを開けて、窓を覗きこんだ。
そこには、確かに、少し赤みを帯びた、夏の月。
思わず、一句ひねって、句帳に書き留めた。

坩堝の中で、溶けて混ざり合わぬつぶやきは、
人を不安にさせたり、陥れたり、中傷したりするものも、ある。
そう言うのは見ていて、嫌。
しかし、それも含め、この坩堝の中を、もう少し見ていたい。
と言う心持で、いる。
俳句をひねったり、何か、着想を得るきっかけとなる事もある。
感心したり、感動したり、することも、ある
月が出ている事をつぶやく。
なんてさ、ちょっと、良いじゃないか。

【天候】
終日、快晴。
晴れて、蒸し暑し。