日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

4712声 森は生きている

2021年03月13日

北軽井沢に「きたもっく」という会社がある。

 

僕はインドアなのでその会社が運営する日本一の評価も受けたキャンプ場「スイートグラス」にも行ったことはなかった。きっかけは、一昨年八ッ場ダムのドキュメントを撮影する際に、アドバイザーとして「きたもっく」代表の福嶋誠さんと知り合った。一言でいえば人としてとても惹かれた。そこからきたもっくを知り、すごく感銘を受け、そんな縁から今年「きたもっく」が行っていることを映像に収めるという仕事に繋がった。

 

昨日今日と行われたのは、きたもっくの一連の仕事を知ることができるツアー。キャンプ場から倉渕方面に登っていく山を所有しているきたもっくには林業チームもおり、その山で切った木で炭や建築木材を作る。それらを使って、今キャンプ場では焚き火を囲みながら話し合いの場を創る「TAKIVIVA」という事業を行ったり、木材を使ってコテージを建てていたりする。ほか、非加熱かつ完熟(蜂がふたをした後に採取する)はちみつを作る養蜂をしたり、文化的なショップ兼ギャラリーである「ルオムの森」を経営したり。なにより、そんな多岐に渡る会社に自分の居場所を見出し元気に働いている若いスタッフがとても多い。

 

撮影はまだしばらく続くが、そうやって適材適所人が生き生きと働く人の循環、コロナ禍であってもお客さんがたくさんくるキャンプ場を中心としたお金の動き(理想が高くても稼げなくては実現できない)を見るとこの会社の強さはわかるのだが、人やお金が大きく動いているだけならディズニーランドも変わらない。「きたもっく」の魅力は、人やお金に加えて「100年規模の視野で山から財を分けてもらい、山を育てる」という自然との共生を大切にしているから強いのだと思う。・・そんなものまで映像に残せるのかどうか。インドアな僕の挑戦は続く。

4711声 魔法みたいに

2021年03月12日

2021年の3月11日の黙祷は、前橋市の小学校の教室の中だった。今日たまたま学校の撮影で、午後2時46分を迎えた。担任の先生は「みんなは覚えていないかもしれませんが、あの時生きれなかった子どももいます。あの時生まれた子どももいます。静かに、思いましょう」という声かけをした。そこにいた小学6年生の子どもたちは震災当時2才。もうすでに東日本大震災を知らない子どもたちが育っているということに、時間の厚さを思った。

 

夜ふとyoutubeを見たら、寺尾紗穂さんの自身のチャンネルに「魔法みたいに」という過去曲がアップされていたことを知った。音楽発信も時代とともに代わり、彼女は自分の過去作の音源を次々にアップしている。いちファンとしては嬉しい。そして僕はこの曲を聞くと、ある友人夫婦と、2011年直後にその夫婦が営んでいた八百屋にふと訪れた福島出身のMさん夫婦を思い出す。僕が撮影でその八百屋にいたら、Mさん夫婦がひょっこり訪れたのだ。

 

もしも2人が笑えるのなら 美しい時を歌えるのなら 欺く言葉に立ち向かえるよ 魔法みたいに

 

震災直後にMさん家族が僕の会社近所のホテルに避難してきたことで、僕はMさん夫婦と知り合った。どんなに大変な状況にあっても、Mさん夫婦とその子どもたちは、他の家族同様に、家族としてそこにいた。もちろん1人で色々なことに向き合っていた、向き合ってきた人もいたとは思うが、八百屋にて笑い合う友人夫婦とMさん夫婦をみて、当時から好きだった寺尾紗穂さんのこの歌の通りのことが、この2組の夫婦にもたらされると良いなと思った。

 

4710声 はれのひ食堂

2021年03月11日

あれから10年ということで、その年の5月に中之条町つむじで行われた「はれのひ食堂」について書いた文章を再掲載させていただきます(僕のzineにも掲載していますが、もとは活動報告として公開したものでした)。この時知り合った東北の方とは長いことお会いできていませんが、群馬の方たちの多くとはこの後も親交が続いており、この時知り合った方たちがいたから今の僕があると言っても過言ではありません。

=====

 

「実録 はれのひ食堂」
2011/5/7~8 中之条町「ふるさと交流センターtsumuji」で開催

 

1.

「ハレ」と「ケ」という言葉がある。
ハレ(晴れ)は結婚式等の儀式や祭、町や村の行事など「非日常」を指し、ケ(褻)はそれらを除いた普通の生活である「日常」を指す。昔の日本人は今よりも場が持つ特殊性・意義を大切にし、ハレにはハレの伝統を、ケにはケの慎みを守ってきた。

東日本大震災後、日常はハレを忘れ、ケを保つこともままならない状況となる。群馬県内でも一部で部分停電が決行、町は暗闇に包まれた。そして地震や原発事故は、東北の地に根付いていた地域文化を追いやった。震災から1~2カ月が過ぎた頃には、福島県相馬市・南相馬市で1,000年以上の歴史を持つと言われる「相馬野馬追」の開催も無理だろうと誰もが思っていた。(けれど、関係者・支援者の情熱により「相馬野馬追」は継続開催されている)

つらい状況にあるからこそ、めでたい非日常・ハレの日を作りたい。そしてそれは、地域文化に根差したものでありたい。「はれのひ食堂」プロジェクトは、そんな想いからスタートした。

 

2.

「はれのひ食堂」を開催するきっかけは、「ハッピーレストラン」という大型被災地支援イベントにあった。

「ハッピーレストラン」は、「株式会社ぐるなび」と「合同会社場所文化機構」が協力し、震災後避難生活を余儀なくされた人々、被災地で厳しい生活を強いられている人々に対し、一流シェフによる最高の料理と居心地の良い空間を体験してもらい、明日への活力へ繋げてもらおうという企画。他の炊き出しと大きく違う点は食事提供だけではなく“上質な時間”を体験してもらうこと。そのために、1度に30人以上の利用ができるレストランホールと巨大キッチンカーが“そのまま各地を移動する”キャラバン方式をとった。

その「ハッピーレストラン」の初めての開催場所として、ホテル・コニファーいわびつを主に約300人の被災者が避難していた地域にあった群馬県中之条町の情報発信施設「tsumuji(つむじ)」が選ばれた。場所が決まってから開催のゴールデンンウィークまで、殆ど時間はない。ぐるなび、場所文化機構のスタッフに加え、高崎市・東吾妻町・中之条町の有志からなるメンバー、高崎市・渋川市の青年会議所メンバー、中之条町役場職員などが集まり大きなチームを形成した。

食材集めから会場となる巨大レストランホールの設営、被災者の送迎やキッチンのホール係等、隅から隅までの業務を、協力し合い行った。開催直前には作業は深夜過ぎまで続いたが、スタッフの表情には疲労の中にも嬉々としたものがあった。「震災に対して、離れた群馬の地で何ができるのだろうか?」と思っていた者にとって、「ハッピーレストラン」や続く「はれのひ食堂」は、自分の力を他利のために活かせる場所だった。

「ハッピーレストラン」には3日間で避難者約300人が来場。一流シェフが作るフルコースの料理は、避難生活に疲れた人々に拍手で迎えられた。「震災後、はじめて酒を飲むよ。おいしい」と、緊張の表情を崩す人。ホール係を担当したボランティアと意気投合し、連絡先を交換し抱き合う人もいた。参加したスタッフは「おいしいものを食べ、上質な時間を過ごし満足すること」が、これほどの元気を与えるのだと実感した。そして、スタッフ自身もまた、参加した被災者の「ごちそうさま。ありがとう」とう笑顔から元気をもらった。

 

3.

「ハッピーレストランで使ったキッチンカーとレストランホールを使い、一般の人たちに向けた南相馬の郷土料理の販売をしよう」

準備の途中、主要メンバーである本木陽一からそんな声が上がった。料理を作り振舞うにはまたとない絶好の場所。「ハッピーレストラン」主催者からのOKは早かった。問題は、南相馬のお母さんたちが再度この場所で主体的に動いてくれるかどうかだった。

再度、森本さん、本田さん、松平さん等南相馬の3人のお母さんたちが避難している岩櫃ふれあいの郷を訪ねた。100人近くの食事を3食絶えず作り続ける3人は、あきらかに疲れきっていた。「鍋を振りすぎて手が上がらないの」腕に包帯を巻き付けた本田さんがつぶやく。重い空気の中、ゴールデンウィークに再度南相馬の郷土料理を作り、南相馬の魅力を皆に伝える催しをしたい旨を伝えた。すると3人から帰ってきた言葉は、「施設の許可が下りれば、自分たちがいない間も施設の調理が問題ないのであれば、やりたい」というものだった。

彼女たちは、辛い状況下にあっても受け入れを行った東吾妻町や関係者に対し深い感謝の気持ちを抱いていた。そして、強引な展開ではあったけれど、群馬でボランティアで関わったスタッフとも仲間意識を感じ始めていた。「自分たちを受け入れてくれた皆さんに対して、料理で恩返しができるなら」その言葉を聞いたスタッフたちは、胸を熱くした。もう、やるしかない。イベントの名前は、「はれのひ食堂」とした。

 

4.

それから、幾つかの困難を乗り越え、「ハッピーレストラン」の余韻のこる中之条町tsumujiにて、2日間限定の「はれのひ食堂」はオープンした。

鮭といくらを使った「はらこ飯」、芋がらと大根の煮びたし「弁慶」、スズキをアラごと煮込んだ「どぶ汁」などがずらりと並んだ。巨大キッチンカーの中では、南相馬のお母さんたちと共に地元中之条町等のボランティアが休みなく動く。「何かできることを探していた」という給食従事者のボランティアの手際の良さに歓声が上がる。新聞や町の広報で話を聞きつけた町内外のお客さんが列をなした。料理は贅沢にもバイキング制。被災者の支援活動をしながらも南相馬がどんな場所なのか知らなかったという女性は、「料理を通して南相馬を近くに感じることができた」と語った。避難生活を強いられている人もお客さんとして来店し、「ひさしぶりに、食べ慣れた味が堪能できてよかった」と満面の笑みを見せた。

 

5.

「はれのひ食堂」は両日完売の大成功。最後の完売の知らせを聞き、会場は拍手につつまれ、皆で喜び合った。調理の総監督を務めた料理人・堀澤宏之も胸を撫で下ろす。「はれのひ食堂」チームである南相馬のスタッフと群馬のスタッフとはすでにあだ名で呼び合う仲になっていた。抱き合い、泣くものもいた。別れの際は、これが最後の別れでもあるかのように騒いだ。

その2日間は、まさに文字通りのハレの日だったのだと思う。地震と原発事故によってその存在を失いかけた郷土料理という南相馬の文化・誇り。それらはその味を守ってきたお母さん達と支援する仲間によって再び表舞台に立った。広場にドーンと構えた巨大キッチンカーは非日常を象徴していた。けれど、郷土料理とそれを愛する人々の日常は、ここからまた、始まっていく。

4709声 トンネル

2021年03月10日

撮影で、東吾妻町の川中温泉から、旅籠へ。役場の方の車をついていったら、川原湯温泉から大戸方面へ新しくできたトンネルを通ることになった。はじめて通るトンネル。

 

それができるまでは山道をくねくね越えていったのに、山の中を一直線。はじめて通るからだろうが、ちょっと現実感がないような、不思議な感じだった。僕はトンネルを通る時にいつも思い出す漫画があって、それは藤田和日郎先生の『うしおととら』。主人公うしおの父親は、ぐーたらに見えてじつはキレッキレに戦える僧侶だったりするのだが、彼がいじめられっ子の青年にかける言葉を今も覚えている。

 

「トンネルってよ、嫌な時みたいだな。一人っきりで寒くてよ。でもな、いつかは抜けるんだぜ」

4708声 地元出身

2021年03月09日

今日は、東吾妻町での撮影だった。今月いろいろと抱え込んでしまっているので、この依頼を受けた時もどうしようかなと思ったら、人づてに「東吾妻町出身で、映像も撮れる若者」を紹介してもらった。お互いどんな人でどんな映像を撮るかも知らないうちに(一度会って色々話したが)彼と、その彼の友人で映画経験のある若者と、即興的なチームを作ってトライすることにした。編集はまるっと彼らに任せる予定。4〜5年前なら僕にはできなかった事かもしれないが、近年は一人で作らないことも意として行っている。

 

一人でも三人でも、そんなにうまくいかないのが撮影なので万事オッケーというわけではないが、地元出身の若者を見ているだけで面白い。この町に生まれて(多分)この町にいられなくて東京へ出て(現に今も東京でも活動しているのだが)コロナの影響もあり地元に戻り、地元の面白さを映像に残そうとしている若者。に、過去の自分を重ねることはないが(映像への関わり方が全く違うので)、そいういうUターンっぽい話は嫌いではない。撮影はあと2日続く。どうなることやら。

4707声 フレデリック・ワイズマンのように

2021年03月08日

前から撮影で何度か足を運んでいた、前橋市内の幼稚園の映像を作った。といっても、紋切り型のお遊戯会を撮影したりしたわけではない。いつでもとことん泥遊びができたり、その日やることをあらかじめ決めずに、園児がこれをやりたいと始めたらそれを見守り、時に園内に大きなトンネルが作りたいという雰囲気になったらそれを何日もかけて作らせて気づけば1階から2階までえらい長い紙のツギハギのトンネルができている・・という一風変わった?その園で起きていることを、主に保護者に伝えるために、ある程度自由に映像を作ってほしいという依頼だった。そういう幼稚園というのは今時代的であるとも思うのだが、一部保護者等からすると「こどもに好きにさせているだけ」と思われるらしい。

 

結果、園で起きたことを脚色なく撮影し意図的に繋いだドキュメント映像と、その映像を大学の児童教育専門の方も交えた大人たちで検証する座談会映像の2つを制作した。園庭の土をひたすら掘るこどもは、一見したら「なんでそんなことしてるの」と思わずにはいられないが、大学の先生はそれを「こどもが、人と対話するのと同じように、もの(ここでは土)と対話している」と解説してくれた。なるほどである。

 

今同時に進めているものでは、温泉のPR映像や、大学のPR映像、アウトドアや森林に関するPR映像や、美術に関する映像など様々なものがあるが、結局のところ僕が一番自分らしさを出せるのは「脚色なく撮影し意図的に繋いだドキュメント映像」なんだろうなとも思う。その極地には、美術館や刑務所、町そのものなどをテーマに人々の営みだけでドキュメンタリー映画を作ってしまうフレデリック・ワイズマンという監督がいたりもするのだが・・そういう話になると長く書いてしまうので、ここで辞めてしまおう。ただ数日前に、顔見知り程度だった美術館学芸員の方がワイズマン好きと知って話が盛り上がったので、なおさらこんなことを書きたくなった。

4706声 地下鉄のザジ

2021年03月07日

とはいえ、日曜日には日曜日らしいことがしたい。仕事を終えて帰宅後に缶チューハイをプシュっとし、手持ちのDVDを再生した。『地下鉄のザジ』。1960年の作品ながら熱狂的なファンをもつ不思議な映画だ。

 

パリに、おかっぱ頭の少女ザジがやってくる。2枚目きどりの叔父さんが出迎えるが、もう冒頭からひっちゃかめっちゃか。パリの街中をあちこち逃げ回るザジを追いかける叔父さん。いろんな変な人を巻き込みながら、シュールにシニカルに延々とドタバタ劇が続く。物語なんてあってないようなもので、酒を飲みながら観るのに適した映画だと思う(ただし、舞台が舞台だけにワインの方が合うなと思ったが)。

 

年をとるとどうも決まった形ややり方にハマりやすいものだが、翻弄されるおっさんたちを見てケタケタと笑うザジを見て、もっとひっちゃかめっちゃかな事をしても良いのかもなぁなどとぼんやり思っていた。疲れていたようで、映画のラストに行き着く前に僕は眠っていた。この映画、結局ラストはどうなるんだっけ?

4705声 沢渡のトイレでパンツを変える話

2021年03月06日

今月は多忙。会社泊が増えてきて、風呂に入らない日がある。今日の中之条町内での撮影は女性も多そうだったので、風呂入らずヒゲボウボウではいかんと(男だらけの撮影でも清潔感は意識しましょうね)朝家に戻り飯をかっこみ、シャワーを・・と思ったが集合まであと1時間あるではないか。曜日は土曜日ちょっとリフレッシュしたい気分だったので、パンツなどを持って沢渡温泉の共同浴場に向かった。

 

途中コンビニで持ち忘れた髭剃りを買って、移動時間を再考したら・・風呂に入る時間は12分しかない(最初から計算しろよ)。であるが沢渡の熱いお湯であれば12分は充分であると、道は戻らない。・・が、着いてみたら数少ない駐車場はパンパン。待ちの高齢者が温泉の外にもいた。下の川原の駐車場に車を停めて坂を登っていたら・・集合時間に遅刻してしまう。

 

即時判断で、川原の駐車場に車を停め、障害者用トイレにパンツなど着替えを持ち込み着替えを済ませ、顔を洗いつつヒゲを剃り(そんな使い方してごめんなさい。体は洗っていません)、もうしわけ程度に体にファブリーズを一振りした(真似しないでね)。集合時間にも間に合った。

 

沢渡のトイレでパンツを変える話は同時に、咄嗟の行動力と判断力の話。もうしません。

4704声 メキシコの味

2021年03月05日

撮影の昼飯は、チームのみんなでメキシコ料理の店に行った。前橋市の三俣町にある「幸せの扉 ボルデ」、僕ははじめて行く店だ。日本料理屋で幸せの扉などと店名についていたら足が一歩止まるが、メキシコ料理屋であればなんとなく納得してしまう。オーナーは日本人ながら店内一歩入ればメキシコ愛の強さが伝わり、メニューにはタコスやタコライスのほかケバブなどもあった(ケバブってメキシコ料理だったのか?)。

 

僕は、日本人を41年数ヶ月続けてきた。もう根っからの日本人である。ただし日本食以外にある程度、和製洋食と和製中華は食べてきた。でもその他、タイ料理やアジア料理、今回のような南米料理は食べ慣れてはいない。ので、とても楽しい。口の中に馴染みのない香辛料が香るだけで、うきうきしてしまう。ある程度日本人向けになっているとは思うが、幸せの扉が10センチくらい開いた昼飯だった。

4703声 RUN

2021年03月04日

ここ数年「アート関係の映像撮影」の仕事が増えた。なぜなのだろうと考えると長文になるが、一言で書くなら僕がそういうものを撮るのが好きで、依頼する側もまあ臨機応変に対応するから、という理由なのだと思う。

 

作品や展覧会の撮影などでは、手間はかかるが対峙するだけなので応用力はさほどいらないのかもしれないが、近年はアーティストの映像制作に加担する機会も増えてきた。アーティストという人種は基本「今までなかったもの」を求める人たちなので、それに並走して映像を作る場合は毎回新しい反射や発想が必要になる。

 

今日は、韓国人のアーティストの映像制作で、コロナ禍において日本に来れない彼に代わりチームで撮影を行った。前橋の街中をランナー役の女性が走る、走る。僕はそれを撮るわけだが、ある場所では「道路の向こうからジンバル(手ブレしにくくなる機械)つけて並走する映像を撮りましょう」と自ら提案し、数ヶ月ぶりに(大げさ)走った。転ばなくてよかった。

 

「アートにおける映像」はもしかすると一生付き合えるテーマの一つかもしれない、と思っている。

4702声 nakabito

2021年03月03日

近年、映像を撮る、デザインをする、のと同様に仕事として没頭できるものに「書くこと」がある。「映像より、書いたものの方が良いね」と皮肉?を言われたことも何度か。無論、仕事で「書くこと」を生業にしている知り合いもおり、それがいかに大変な仕事であるかはある程度わかるので、自分をデザイナーと呼べないようにライターとも呼べないのだが、大げさにいうと「本質を考えて形にする」という点では、デザインも書き仕事も長年やってきた映像(ドキュメンタリー)と一緒だと思っている。ので、自分の中で全く別のことをしているという意識はない。

 

中之条町観光協会が発行しているフリーペーパー「nakabito」。発行当初から映像でも記録をしようとチームにはいたのだが、最新号を作るにあたり今まで書いていたライターが不調とのことで、僕に書き手が回ってきた。3年前なら引き受けなかったかもしれないが、今は書くことに興味があるので引き受けた。6号目にあたる今号は「移住者特集」。「中之条ガーデンズ」のガーデナー夫婦や、中之条駅前の「ニューさいとう」、「Nakanojo kraft project」でチョコレートも作っている大地くん夫婦や、つむじに昨年オープンしたカルフォルニアピザの「ザ・ブルー・リボン」、同じく昨年四万温泉にオープンした「ランゴリーノ」のカズくん、そしてそれら移住者の全てに関わった移住定住コーディネーターの村上久美子さんと、様々な人に会いに行き、話を聞き、その生き方を言葉に変えた。僕の腕前がどうのというよりは、取材を受けてくださったみんながみんな輝いているので、良い冊子になったと思う。

 

「nakabito」最新刊。ぜひ、中之条町つむじや、上記取材対象者がいるお店等で手にしてほしい。

4701声 失敗から学ぶ

2021年03月02日

旧知の女性と焼肉を食べた。「美味しそうに焼肉を食べること」について知り合いの中でもトップクラスだなと思うような良い食べっぷりの女性だった。

 

ふと、お互いの恋愛話になった。ワーキャー話すには、お互いに歳を取りすぎているかもしれないが、今の年齢には今の年齢なりのそういう話がある。独身でいること、家族をもつこと。若い時の僕は、自然に結婚をし、自然に子育てをするものだと思っていた・・というか何も考えずにそうぼやっと思っていただけなのだが、それらは自分の、相手の、選択や行動なくしてはならないものであり、自然に訪れるものではないことを知った。まあ色々あるけど・・タイミングって大事だよねという話にもなった。

 

よく「仕事の失敗は買ってでもした方が良い」という話を聞く。同感だ。そしてそれと同じように、僕の場合はうまくいったことがないからだけかもしれないが、恋愛の失敗もまた、多くのことに気付かせてくれる。少なくとも僕は、そうして少し大人になった。焼肉は、カルビラーメンで締めた。

4700声 サバイブ

2021年03月01日

2月中にお願いします。と言われていた映像を、途中うたた寝をしながら徹夜ペースで収めた。そもそもそんなぎりぎりでやるなという思いが9割、もう徹夜ってつらいなーという思いが1割。昨年から1年間、未曾有のコロナ禍においては明らかに「映像需要」が増えており、例年お世話になっている仕事に加えコロナ後に倍とまでは言わないかもしれないが仕事が増えた。もう1人で抱え込めないことはわかっているので、チームで取り組んでいる仕事もある。3月は年度末ということもあり、あれやこれを収められるのか・・サバイバルな1ヶ月が始まる。無論、この状況下において仕事がある感謝は忘れてはならない。

 

そんなことを書こうと思ったら、なんと4700声というキリ番。そう、めっかった群馬もこうして今現在に至るまでサバイブしてきたのだ。それはひとえに、立ち上げ人である抜井さんと堀澤さんの継続力、そして僕と同じく途中参加のすーさんの継続力、そしてなにより今こうして読んでくださっているあなたの、あなたの!あなたの!!あなたあってのことだと思います!!!ありがとうございます!!!!今月は、中之条町近辺から岡安が投稿をします!!!!!

4699声 投函

2021年02月28日

寒いが春めく一日。梅も咲き終わり、そろそろ桜の開花の足音が聞こえてきそう。通信句会の投句やら句会の事務連絡やらを済ます。俳句に携わっていると、というか今日、詩歌に携わっている人は「投函」することがとても多いことと思う。電子メールならクリックひとつ。しかしこれが紙では、切手を貼って封をしてポストに投げて、とお金も時間もかかる。しかし、それこそが今日、詩歌に携わる者としての心のあり方と通じなくもないな、などとそれらしいことを書いて、二月、私の担当月を締めくくりたい。

4698声 春の寿司

2021年02月27日

午前中に意を決して病院に出かけ、花粉症の薬をひと揃え処方してもらった。午後は買い物で潰れたが、夕方に持ち帰り寿しを買って帰り、寿司とスーパードライの瓶麦酒で上機嫌である。ボイル海老が好きなので、寿司のパックを注文した際に、玉子とボイル海老の変更を申し出たが、帰ってパックを開くと、玉子が二個入っていた。つまり、ボイル海老の方を玉子に変更するという、まったく逆のことが行われたいた。しかしそれも良いではないか、黄色の彩が妙に春めく寿司になっており、それはそれで乙である。

4697声 惰眠

2021年02月26日

一週間の疲れが出たのか、花粉症の薬のためか、終日眠かった。冴返る一日で、寒く、それだけでも疲れた。疲れてばかりいられないが、惰眠を貪ることにする。

4696声 らしい句

2021年02月25日

句の整理を始める。精査していくと残せる句が少なく、愕然とする。夜、ポストに掲載誌が届いていたので、その中の総合誌ぱらぱらとめくると、群馬の知人の句が掲載されていた。句の上にはなんとか賞という文字が載っている。その人らしい句で立派である。うれしくなり、瓶麦酒を一本空ける。

4695声 前方の視界

2021年02月24日

寒さが戻った一日。寒いのだが、日差しには確かに春のしたたかさがあった。年度替わりに向け、いささかあわただしくなってくる。いろいろとげんなりすることも多く、前を向いて進むことにする。