日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

4447声 浜とマスク

2020年06月27日

朝から梅雨晴間。雨の内に出来なかった、洗濯、草むしりなど片付ける。午後は船橋に海を見に行った。今年は汐干狩が中止になったので、人出は少なかった。浜ではレジャーシートの上で、一家族が握り飯など食べていた。日差しに煌めく白米が美味そうだった。見渡すと半分くらいの子どもや大人がマスクをつけて遊んでいる。上半身裸でマスクの人も。

4446声 PART3

2020年06月26日

市内の施設を利用しようと某窓口に連絡をした。電話口に出たのは老境の男性。いろいろと対応が残念で、さしあたり手続きが前に進まなかった。昨年は物分かりの良い方に対応していただいたおかげで手続きがスムーズに進んだだけに、悲しい。新型コロナの関係で、句会に関する立ち回り方がいろいろと変化しており、いろいろと手がかかる。夜は再放送のバック・トゥ・ザ・フューチャー PART3を観ながら缶麦酒。

4445声 ラーメン&ラーメン

2020年06月25日

朝、鼻毛に二三本白髪を見つけて、落ち込む。そのまま一日が始まる。ひねもす雨で疲弊。昼飯はこの一週間、同じ店でラーメンと餃子を食べている。今日の夜もラーメン。つまりは思考が停止している。まぁ、今に始まったことではない。帰宅すると、25日発売の見本誌が二つ届いていたが、未開封のまま取り合えず部屋の片隅にうっちゃる。この頃考えている、「空気を読んで大人しくしているか、空気を読まずに挑戦するか」という問題を、また考え始める。

4444声 だんご虫のように

2020年06月24日

終日、曇天ときおり小糠雨。なにかといろいろとゴタつく。人の思いとこちらの実務が結びつかない。それを実現するにはと考えると、頭がいたい。戦争をなくすために戦う、みたいな矛盾を感じる。庭にだんご虫数多。ここには矛盾がない。だんご虫のように丸まって寝る。

4443声 狂い咲き

2020年06月23日

小雨霧雨降ったり止んだり。やるべきことできず。コロナウイルス感染者は連日二桁のままだとか、都知事選のポスターがあちらこちらに貼られているだとか、なんだかわさわさと梅雨が深まってゆく。庭のコスモスが一輪咲いていた。秋と勘違いしたのだろうか。いろいろと歯車が狂っている。

4442声 呑み込まれ吐き出され

2020年06月22日

したたかな雨音に目が覚める月曜の朝であった。いろいろと沈む。昨晩の内にいくつか投句を済ませておいたので、睡眠時間が短かく、これまた沈む。ばたばたと家を出て、駅のコンビニで握り飯を一つ買い、ホームで食べてから列車に乗る。これはもう今考えても朝の列車にパクっと飲み込まれて、夜の列車にまたペッとホームに吐き出されるようなイメージである。何時間後には、また同じ握り飯をホームで齧っているかも知れない。そうならないために、早く寝よう。

4441声 多様であり一様

2020年06月21日

朝は一時的に小雨だったが、その後は晴れ。もう中年になり、いろいろと情報を掴むアンテナが古び、まずこの表現にこそ古びたる感覚が表れているが、この頃、ネットでは面白い文章を書く若者がわんさかいると知る。そういう人たちの文章など読んで、その面白さに驚嘆する。noteなりなんなりそういうのが、ごろごろある。SNSなどの台頭により、若者の感覚も多様になってくる。それにより昔のように誰もが知る流行など生まれにくいのでは、などという記事を十年くらい前に目にしていた。なるほど表現の場や方法は格段に増えたかもしれない。しかし、なんだかみな似ていると感じている、表現の「核」といえばよいか、その共有のしかたといえばよいか。スマートで自嘲的で伏線とオチに気が利いていて。多様であり一様。

4440声 久方ぶりの晴

2020年06月20日

早朝より定例の吟行そして句会。三か月ぶりで、なかなか感覚を取り戻せなかった。久しぶりの梅雨晴間で、歩き回ったり、狭庭の草をむしったりでぐったり。昼飯は久しぶりにうえだ別館に行けたので満足。食に季節を感じると言うのは本当に贅沢。そして癒し。疲れた一日は麦酒が美味しく、飲みすぎてぐったり。酔眼朦朧としつつ、ネット句会に投句。実際に吟行で俳句を作り、句会はバーチャル。ハイブリットな取り組みが出来た。

4439声 失念

2020年06月19日

朝から失念していたネット句会の選に追われる。リアル句会ならば体は一つ、ということで行く句会は限られるが、バーチャルの句会はその気になれば、週いくつも、また日にいくつも参加することが可能なので、時間に追われることもしばしば。これが終われば、また明日も。

4438声 俳句の匂い

2020年06月18日

午後から天気は下り坂。近頃、町に学生が多くなった。分散登校でなく、一斉登校日だったのか、最寄り駅の朝はことに多かった。日常の通学風景が戻ったと思ったら、みな一様にマスクをつけているので、いささか異様であった。夜は会報の校正を済ませ、献本句集を読み終える。この句集の作者は私が初学のころに、句集を買っていた俳人の方である。確実に過去作より一句の重みを感じた。重みは感じるが、昔の句集の方が好きだと感じた。今回の句集はあきらかに俳句特有の匂いが強い気がした。俳句の世界を渡りつつ、俳句の匂いを消していくことは難しい。

4437声 梅雨晴間

2020年06月17日

梅雨の晴れ間で、真夏日の一日となった。献本の句集を読み始める。依然としてネットでの句会が多く、ちらほらと句を見繕う。週末の句会の予定を考える。去年は小岩菖蒲園に吟行に行ったが、今年は流石に難しいだろう。近場で涼しげなところで予定を組む。酔眼朦朧として、やるべき校正を進められず。

4436声 無為

2020年06月16日

掌から砂が零れるような一日であった。ここ数日は帰宅してから気が抜けてしまい、麦酒を飲んで無為に過ごす。寝つきも悪く、眠りも浅い。ここ最近はくだらない句ばかり作っている気がする。原因はわかっている。実際の自然から発露を得ていないからである。いろいろと引き締めないといかん。腹回りとか。

4435声 軒先の煙

2020年06月15日

先ほど、都内の路地を歩いていると、夜の闇の向こうから、香ばしい匂いが漂って来た。匂いにつられて角を曲がってみると、灯の下、脚の長いコンロで、おやじが焼き鳥を焼いていた。傍らのテーブルにはグラス片手に、煙を見つめつつ、話しつつ、立っている人たちがいる。この店は、以前カレー屋だったはずと、店内を覗いてみると、なるほどカレーを食べている人がいる。カレー屋の店主が軒先にて焼き鳥と立ち呑み、この店の雰囲気に合わせ当世風にいうなら、「スタンディングバー」を始めたのであろう。新型コロナウイルスの影響下で、飲食業の生態系も変化しているのだ。

4434声 五月雨の音

2020年06月14日

引き続き、雨。太陽が出ないと、なんだか気持ちもすっきりせず、いまいち調子が出ない。原稿に取り掛かるも、三分の一も書けず。外の激しい雨音に触発され、「七人の侍」を久しぶりに観る。三度も見たのに、初見の如く三時間以上ものめり込んで観てしまった。これで半日潰れたが、そこはかとなくすっきりした。観る前と後では、五月雨の音が違って聞こえた。

4433声 消えてゆく

2020年06月13日

梅雨らしく朝からひねもす雨。軽い二日酔いで目覚め悪し。飲みすぎか安酒だったからか、その両方だと思うが、家で飲んでいてこんな状態だと世話ぁない。まだ締め切りが先の重たい原稿に手をつけられぬまま。「俳句との出会い」式のお題は、どうしても億劫になってしまう。これまで、を見つめなおす良い機会ではあるのだが。昨日付けで定額給付金が振り込まれていた。残高がマイナスのような預貯金なので、何に使うと言うよりもマイナスの補填に消えてゆくのだろう。

4432声 蜘蛛がスパイダ―を模倣する

2020年06月12日

終日、梅雨らしく蒸し暑かった。六月から最寄り駅の駅ビルの短縮されていた営業時間が元通りになり、午後六時閉店ではなくなったため、ちょっとした買い物ができるようになったのでありがたい。とんかつを買って帰った。そして今しがた、部屋に小さな蜘蛛が出た。蠅などを捕獲してくれるとは分っていながらも、見つけた場合は捕っている。ティッシュで「さっ」とやろうとしたのだが、異常に動きが素早く、逃げられてしまった。部屋が暑かったためか、身のこなしがひと月くらい前と比べ、飛躍的に素早くなっている。スパイダ―マンよろしく、糸を使ったアクロバティックな動きで机の脇の暗がりに入ってしまった。

4431声 小さな驚き

2020年06月11日

九州北部から東北南部まで、今日、列島広く梅雨入りした。都内は午後から天気が崩れ、夕方は一時土砂降りであった。巷の紫陽花もだいぶ色づいてきたので、本格的な雨の時期に入ったようである。ぐったりと疲れが抜けないのも、この気候と関係があるのだろう。俳句関係はひと段落で、しばらく選句や句会の予定はない。朝日文庫の「現代俳句の世界」をぱらぱらめくっていると、「森澄雄集」の序文を島尾敏雄が書いており、小さな発見に小さく驚いた。九州帝国大学時代の同級生との由。

4430声 鮮明

2020年06月10日

じりじりとした日差しの真夏日であった。朝、水やりをしていると花壇に植えてあるサルビアがずいぶんと弱っていた。花の赤みが失せ、ほろほろと散っている。土の栄養が足りないか、水が十分でないか。おそらくその両方のような気がする。明朝、少し切り戻してみようと思う。その脇のおそらく秋桜らしき茎は、近頃になってぐんぐん伸びてきた。植物も日々一進一退である。なんだかご隠居の日記のような内容になってしまった。しかし、そこに小さな感動があったので、書かずに居れない。あの鮮やかさ、には目が覚める思いがした。サルビアの脇にはパンジーが植えてあり、パンジーの白い花に黒い毛足の長い毛虫がよじ登ろうとしていた。その体はほぼ漆黒だが、地肌の部分に橙色の一閃があった。白い花の上に乗った毛虫の波打つ毛並み、その色の鮮やかさ。あの造形の神秘をどう表現すればよいか。まぁ気持ち悪いのだが、魅力的である。