酔うて寝ん撫子咲ける石の上 松尾芭蕉
今日も暑かったが、夕方からの大雨で、少し過ごしやすくなった。
7月の最終日、本日の芭蕉の一句は鶴のひとこえに相応しそうなので紹介したい。
「納涼」の前書がある一句。
酔った勢いで、河原撫子(かわらなでしこ)の咲く河原の石の上で寝転び、涼をとりたい、ほどの意か。
今日のような夕立のときに酔って河原は危険だとおもうが、明日からも暑くなるとのことなので、芭蕉の句のような納涼気分で乗り切りたい。
明日からは、抜井さんです。
2022年07月31日
酔うて寝ん撫子咲ける石の上 松尾芭蕉
今日も暑かったが、夕方からの大雨で、少し過ごしやすくなった。
7月の最終日、本日の芭蕉の一句は鶴のひとこえに相応しそうなので紹介したい。
「納涼」の前書がある一句。
酔った勢いで、河原撫子(かわらなでしこ)の咲く河原の石の上で寝転び、涼をとりたい、ほどの意か。
今日のような夕立のときに酔って河原は危険だとおもうが、明日からも暑くなるとのことなので、芭蕉の句のような納涼気分で乗り切りたい。
明日からは、抜井さんです。
2022年07月30日
本日は、町内の山車の打ち合わせとお囃子練習の準備があった。お囃子の練習も、山車まつりの本番もPCR検査をして臨むこととなる。
ウィズコロナ。随分前から言われていたが、そろそろ「なんでも中止」から、思考を変えていなかくてはいけないのかもしれない。
しかし、もう少し科学的な報道をしてくれないかな、とおもう。人数だけを速報するのは、もはやどうなのか。たとえば、死亡率の変化、重症者の年齢、重症者のワクチン接種の回数、重症者のワクチン接種の時期・・・、平均寿命が伸びていることの考察など、いくらでも分析できそうなのだが。
山車の打ち合わせ中、今話題のゲストも見えて、一緒に準備をしていただいた。大変な中、よく来ていただけたとおもう。少しでも気分転換になったらとおもう。
文脈を無視して言葉の一部を切りとって騒ぎたてる人がいるのは、いつの時代も変わらない。現在は、映像が簡単に加工できるようになったので、余計に気を使わなくてはならない。
まあ、本来は、気をつかうというより、何事にも真摯な心で向きあうということが大事なのだとおもう。とくに弱い立場におかれた人のことに普段から思いをよせていたなら、それらの人が傷つくようなことばは口からは出てこない。影響力ある人は、特にそうであるが、想像力を働かせなくてはいけない。自分でまいた種は自分で刈るしかない。
しかし、チャンスはピンチの中にある、ともいう。飛躍の機会にしてほしい。
2022年07月29日
甘楽町に「めんたいパーク」ができて、そこの「鬼盛り!めんたい丼」を食べた人の話を聞いた。
美味しいけど、一年分の明太子を一食でとったような感覚だそうだ。
めんたいパークには工場も併設されていて、つくりたての明太子が購入できるらしい。
明太子の原料は、スケトウダラの卵子。スケトウダラは、アラスカやロシアや北海道で水揚げされる。博多明太子の原料となるスケトウダラも同じだ。
ちなみに、博多でつくったものだけを博多明太子と呼んでいいらしい。そりゃそうなのだが、なんだか仙台の牛タンに似て、それでいいのかともおもう。原料がなくても、技術があれば名産がつくれるということなのか。新ラグジュアリーの参考になるかもしれない。
まあ、そう名付けることで売上が上がるともおもえないが、めんたいパーク群馬でつくられた明太子は、甘楽明太子、または群馬明太子と呼ぶことができそうだ。かねふく製だけど。
めんたいパーク群馬のウェブサイトを少しのぞいてみたが、たしかにどこにも「博多」とは書いていない。ブランディングは意識していそうだ。
めんたいパークに行けば、明太子について学ぶことができるのだろうか。機会があれば訪ねてみたい。
2022年07月28日
今、『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済10の講義』という本を読んでいる。まだ、3講義目を読んでるところだが、いろいろな示唆に富んでいて、とても刺激をうけている。
例えば、最終消費材のイノベーションが目指すべきなのは、「大衆化」ではなく、「民主化」であるとか、「ラグジュアリーの反対は貧困ではなく、下品」であるということばだけでも刺激的だ。
読んでいて、ラグジュアリーは、「粋」に似ているなとおもった。ただし、ラグジュアリーはマーケティングと結びついて理論化されているところが、粋とは違う。粋を理論的に語ったものには、九鬼周造の『粋の構造』があるが、マーケティングの文脈では語られていない。もっと本質について語っており、むしろ「新」ラグジュアリーは、粋の構造を検討することによって拓けるような予感を持って、読んでいる。
さて、どうなりますか。
2022年07月27日
昨日は、兼題『秋刀魚』が実態を先取りし過ぎていて、俳句がつくりにくいという話を書いた。
本日は、逆の話をしたい。
ここ数日、枝豆をたくさん食べている。枝豆といえば、ビール。ビールといえば枝豆、というイメージだが、実は枝豆は秋の季題だ。麦酒(ビール)は夏の季題。ややこしい。枝豆は、実態が季語を先取りしているパターンだ。
結社の兼題、枝豆ならよかったのに、と、おもう。
ということで、俳句はおもいつかないので、昔つくった枝豆の都々逸でも。
・都々逸
枝豆は 秋の季語だと いわれてみても
真夏にビールと 食べてたい 喰粋
2022年07月26日
1週間ほど前、豊洲市場の初サンマのニュースを見た。
卸値は、1キロ12万円とのことで、過去最高値を2年ぶりに更新した。不漁の影響だという。一匹あたり1万3,200円とのこと。
落語、『目黒のさんま』では、下魚ゆえ将軍様の口には入らなかったサンマだが、この値段ではもはや下魚ではなく、高級魚、将軍様の魚である。
サンマの話を書いたのは、所属している俳句の会の提出兼題が「秋刀魚」のためだ。俳句の結社を、わたしは他に知らないので、確かなことはいえないのだが、俳句をやる人は、季節を先取りする傾向があるようにおもう。
わたしは、『客観写生』とかでは、ほぼ俳句をつくれないので、構わないといえば構わないのだが。
それでも、あまりに先取りの兼題だと気分がのらない。写生を意識して詠むこともあまりないのだが、今年のさんまの匂いもかがずには、流石に俳句も浮かんで来ない。とはいっても、提出句をつくらねばならない。ということで。
今はむかし殿垂涎のさんまかな
下魚とはなんぞや高値の初さんま
庶民には秋刀魚は冷凍に限る
あえて命名すれぱ、当季妄想詠といったところか、いや、ちょっと違うか。
2022年07月25日
本日、7月25日は、(725 な・つ・ご)で「夏氷」、ということで「かき氷の日」だそうです。
匙なめて童たのしも夏氷 山口誓子
角川の歳時記には、「氷水)の傍題として、「かき氷」「夏氷」などが載っている。夏氷の句でも考えて、この暑さを乗り切りたい。
2022年07月24日
先日、芥川賞が発表になりましたね。(おとといかな?)
芥川龍之介仏大暑かな 久保田万太郎
さて、昨日は、羊羹の歴史みたいなことを書いてたら、肝心の小城羊羹のについて書くことができなかった。
切ようかん、昔ようかん、断ちようかんと呼ばれる羊羹は、表面がシャリシャリしている。これは、羊羹に含まれる水分をなるべく少なくし、日持ちすることを狙っているため、表面が糖化するためだ。
わたしが密かに「シャリ系」と呼ぶこれらの羊羹は、全国に点在するが、なぜか小城にある羊羹屋にはほぼある。「小城羊羹」と検索すれば、上位には必ず、シャリ系がならぶ。
現在は、包装技術(パッケージ技術)の発達のおかげで、表面を糖化させなくても日持ちさせることができるようになった。すると、わざわざ表面を糖化させ、シャリシャリさせることなく日持ちがし、現代人の好みの柔らかさをもキープできる練羊羹のアルミパッケージが発明されていて、市場を席巻した。しかし、小城ではなぜか昔ながらの羊羹をつくり続けているところが多い。
シャリ系の羊羹は、つくるのが面倒くさい。しかもアルミパッケージに比べると日持ちがしないなどの弱点がある。しかしながら、羊羹通の間では、シャリ系こそ羊羹という、共通認識があり、シャリ系の羊羹をみると、笑顔なる人を何人か知っている。そんな羊羹だ。
このシャリ系の羊羹、小城羊羹は、実は酒のあてとしても優秀である。好みにもよるので、ゴリ押しはできないが、甘党兼左党の人は試してほしい。ナチュールのワインのさっぱりしたものやシンキチ醸造所のビールには合うものが多いとおもう。
ところで、芥川龍之介は、甘党でした。隅田川の流れを羊羹に例えるくらい、甘いものが好きでした。この羊羹は、時代的にシャリ系だろう推察される。
本日、7月24日は、芥川龍之介の命日、俳句の世界では河童忌ともいう。
冒頭の万太郎の句、大胆でいいですね。
芥川龍之介と久保田万太郎は句仲間(連衆)でした。
2022年07月23日
昨日は、ほとんど羊羹のことを書いていないことに気づいた。小城は、羊羹界のベルギーである、ということしか言っていない。まあ、それが1番言いたかったことなのでいいんだけど。
「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」ということわざがある。羹は、野菜や肉を熱く煮たお吸い物だ。羊羹とは、もともと中国における羊の羹だった。日本には禅宗文化とともに渡来して、仏教の教えからだろうか、羊そのものではなく、小豆を羊の肝の形につくって蒸し、汁に入れて供された。後に、蒸し物のまま菓子として供されるようになったのが、蒸し羊羹の始まり。砂糖を加えた餡に寒天をまぜて煮詰めた練羊羹は、江戸時代につくられた。日持ちのしない蒸羊羹をなんとか日持ちするものにできないか、何代にもわたって研究されたらしい。
今では、真空パックなどの包装技術の発達により、かなり日持ちのいい羊羹であるが、練羊羹は日持ちさせるための工夫の結果であるので、これらの包装技術が発達する以前においても、かなり日持ちのする画期的なお菓子であった。
蒸し羊羹は製造過程で加水するのに対して、練羊羹は炊くことで水分を飛ばすことによるものらしい。ようするに水分のコントロールの話しらしいが、練羊羹は素晴らしい発明だった。
現在の日本は、様々なスイーツで溢れているので、羊羹は目立たない存在となってしまっているが、大抵の和菓子屋さんは羊羹を扱っているし、「スポーツようかん」なるものもあって、マラソンやサイクリング、登山をする人にも馴染みの食材となっている。
こんなことを言っておきながら、わたしはベルギーにも小城にも行ったことがないので、いつかは行きたいと考えている。
はやく、コロナに気をつかうことなく、旅が楽しめるようになることを願う。
2022年07月22日
2月に鶴のひとこえを担当したとき、藤井聡太五冠やロコ・ソラーレ(カーリング女子日本代表)の吉田知那美選手にかこつけて羊羹(ようかん)のことをここに書いていたが、もう少し書きたいとおもう。
その前にちょっとだけ、ベルギービールについて書きたい。
ビール好きの世界においてベルギーは特別な国だ。
日本の九州ほどの国土に140もの醸造所が散らばり、800以上の銘柄があるという。
日本の面積にあてはめると、1600以上の醸造所があるような密度だ。
昨今のクラフトビールブームで、日本にも今では500を超える醸造所が、群馬にも13の醸造所があるというが、まだまだかなわない。伝統をも加味すると驚異的である。トラピスト系、ランビック系などその多彩さは、クラフトビールの先駆けといってもよいだろう。ビールごとにグラスがあるのもベルギービールの特色だ。
ビール好きが多いであろう「鶴のひとこえ」の読者?のために、ビールの話からはじめたが、実は、わたしが密かに、『羊羹界のベルギー』と呼んでいるのが、小城市(おぎし)だ。
小城市は、佐賀県にある人口5万人ほどの都市だ。そこに羊羹屋が20軒ほど存在する。人口37万人の高崎市に、140軒の羊羹屋があるような密度だ。
その数の多さは、ビール界におけるベルギーに似ている(と密かにおもっている)。
ビールではピルスナー、羊羹では「とらや」という圧倒シェアと知名度を誇る存在があるところも、似てる。井村屋もあるか。井村屋ととらやの売上げやシェアまで調べはついていないけど。よく考えれば、「とらや」とか「井村屋」は、キリンとかアサヒということなので、ちょっと違う気もする。でも、雰囲気は伝わるとおもうので、勘弁していただこう。
繰り返しになってしまうが、要するに
「小城は、羊羹界のベルギーである」ということが言いたいのだ。
2022年07月21日
本日の東京は新規感染者が三万人超とのこと。第7波のようで、わさわさしはじめましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?
わたしは、第7といわれると、金沢の第七ギョーザを懐かしく思い出してしまい、あぁ、第七ギョーザを食べて体力をつけ、第7派を無事に乗り切りたい、などと思考してしまう。なので、あまり「第7」と騒がないでほしい。第七ギョーザが食べたくなってしまうので。
さて、昨日の盆栽の話の続きです。
盆栽美術館に行ったのは、2017年だから平成29年の11月のことだった。
Googleフォトで、検索したら出てきた。すごいというか、すこし恐ろしい気もするが、まめに日記をつけるような人間ではないので、自分の行動記録を振り返るときには欠かせないツールになっている。
さて、当時の写真と記憶から、これは大宮において開かれた『東日本 美食が集う ガラディナー』にお誘いいただき大宮を訪ねた折のことだと判明した。
(ガラディナーには2度ほど出席させていただいたが、チャンスがあればまた参加したい。というか高崎でもガラディナーを開催したい。ガラディナーについてはまた機会があれば書きたい。)
大宮になぜ盆栽美術館ができたのか。それは、大宮盆栽村があるからで、一時期は30を超える盆栽園が存在していたらしい。
関東大震災において、東京で被災した盆栽業者が移住したのが、盆栽村の始まり。
1925年のこと。もうすぐ100年だ。
開村当時の盆栽村に住む者の規約というのがあって、それは、
一、盆栽を10鉢以上持つこと、
ニ、門戸を開放すること、
三、二階建ては建てないこと
四、垣は生け垣とすること
の4つ。この規約は、盆栽村の落ち着いた景観に生きているという。
社会人になりたてのころ、先輩の助言を聞いていたなら、今ごろ大宮盆栽村に住んでいたかもしれない。
2022年07月20日
ここに来て新型コロナウイルスの感染者が過去最高を更新している。芥川賞と直木賞の発表も、大谷翔平のオールスター出場も後回し。ウクライナのことはずっとあとになってしまった。戦争は終わっていないのだとおもうのだが・・・。
さて、今日気がついたのだが、春先にもらってきたタイムが枯れかかっている。せっかく根づいたとおもったのに。
雨のかかりにくいところに植えたのが良くなかったのか、猛暑にやられたのか、また毎日水をやらなくてはならない。
社会人になりたてのころ、同じ職場の同僚?に再雇用の人が4人いた。みな第一線を退いた気楽さからと、それなりの立場を経験してきた実績から、新人であるわたしに様々な助言をしてくれた。
そのなかで、今振り返ってみて、一つだけ後悔しているものがある。助言を素直に実践してしていれば、違う人生があったかもしれないな、とおもうものだ。
それは、「盆栽」である。(仕事のことじゃないんかい!!)
「今から盆栽をはじめれば、二十年後、いいぞー」というようなことをいわれた。何鉢かくれるともいわれた。
「いやいや、丈夫なタイムですら枯らしてしまうような者ですから」と今のわたしでも答えていまいそうだが、なんと答えたのか・・・。水やりの心配の話もした憶えがある。
しかし、彼らの一人はこうわたしにいった。
「20鉢もあれば、水やりを忘れることはない」
ごもっとも。
しかし、若かったというか、盆栽について無知であったわたしは、盆栽をはじめなかった。
それから二十年後、大宮にある盆栽美術館に行く機会があった。小さな盆の中に、大自然を閉じ込める、盛り付ける技に感嘆した。そして、盆栽の中でも、松柏と呼ばれるものは、年月がものをいう世界であることを知った。いや、年月の大切さは二十年前から知ってはいたのだが。
クールジャパンというと死語になりつつあるが、盆栽は、その中でもかなり優秀なコンテンツで、欧米では若者が夢中になっているのだそうだ。高崎市と姉妹都市であるチェコのプルゼニには、なんと3軒の盆栽屋があるそうだ。
盆栽美術館で聞いた話では、EUには検疫の関係で土が持ち込めないのだそうだけど、土を使わなくてもよい方法ーーたしか、水苔で根を覆うと言っていたーーでバンバン輸出しているとのこと。
二十年前、盆栽をはじめていたら、今ごろ、ヨーロッパのどこかで、盆栽を売っていたかもしれない。
2022年07月19日
最近、週に2回はランチで行く蕎麦屋には、テレビがあって、いつもワイドショーが流れている。
本日もいつものよう縄暖簾を分けてくぐるように店内入ると、ワイドショーではなくて、高校野球の中継が流れていた。夏の高校野球の群馬県予選で、城南球場からの中継だった。そんな季節だった。
高校野球から関心がなくなってからどのくらい経つだろうか。
新型コロナの感染も関係なく、かなり以前から、高校野球もプロ野球もほぼ関心がなくなってしまった。
そんな野球無関心人間にも、大谷翔平選手?投手?のニュースは入ってくる。二刀流としての活躍は驚異的だとおもう。
関心がないといえば、フィギュアスケートも同じで、羽生結弦選手の演技を追いかけて観ることはないが、五輪二連覇の滑りは目にしている。今日、競技を引退することを表明した情報も目に入ってきた。
大谷翔平選手や羽生結弦選手は、それぞれ野球界やフィギュア界といった一競技の世界にとどまらない物凄い選手、人物であるためなのだろう。
わたしのような無関心な人間にも響く、届くということが、どんなことなのかを分析してみると、低迷している選挙の投票率の向上のヒントが掴めるかもしれない。
一方で、このごろ、ロシアのウクライナ軍事侵攻のニュースが減ったようにおもう。わたしの関心がなくなったためそう感じるのか、実際のニュースの量が減っているのかまでは分析していないが、以前のような頻度では、ゼレンスキー大統領もプーチン大統領も見なくなった。軍事侵攻の影響による物価高は続いているのに、その原因への関心が薄くなるのはどうしてなのか。物価高は身に迫ってくるが、ミサイルや銃弾、避難民は、遠くの国の話だからなのか。
2022年07月18日
瓜小屋や筵屏風に二タ間あり 村上鬼城
昨日に引き続いて、瓜小屋の句だ。
数ある季語、季題のなかには、死語になりつつあるものも少なくない。瓜番もその一つだ。瓜番や瓜守が詰める番小屋が瓜小屋。瓜盗人から瓜を守るのが瓜番の役目だ。
瓜番はもはや死語となりつつあるが、群馬の果樹園が桃や梨が盗難にあったというニュースを見聞するので、桃番や梨番が歳時記に載るかもしれない。山梨県では、18,000個もの桃が盗まれたらしい。群馬では、養豚場から豚が盗まれたというニュースもあった。そうすれば豚番も必要ということとなる。でも今どきは、監視カメラをはじめとする機械警備が「番」となりそうなので、季語として採用されるのは難しいかもしれない。そもそも豚の場合、いつの季語としてよいのか分からない。
さて、冒頭の鬼城による瓜小屋の句に戻ろう。
筵(むしろ)を屏風に見立て仕切とし、瓜小屋の空間を2つに分けて使っている様子を詠んだものだ。
決して広くない見張り小屋の中を二間(ふたま)に分けて使っている。
〈月さして一ト間の家てありにけり 鬼城〉
一間の家でも、月がさせばそこに趣を感じる鬼城にとって、もっと狭いであろう瓜小屋を二間にして使っている様子は、詩心をくすぐられるに充分だっただろう。
瓜番つながりであと一句紹介したい。
〈先生が瓜盗人でおはせしか 高浜虚子〉
なんだか悲しい場面だが、虚子の俳句では結構好きな俳句だ。一番好きかも。
2022年07月17日
瓜小屋に伊勢物語哀れかな 鬼城
一昨日から、村上鬼城の俳句を紹介している。
この「日刊鶴のひとこえ」は、めっかった群馬というサイトにあって、群馬にまつわるあらゆる物事を紹介してゆく、とあるので、群馬が誇る俳人である村上鬼城の俳句を紹介しようとおもった次第だ。
じつは、もうひとつ動機がある。
2月のここで、『365日入門シリーズ 万太郎の一句』から久保田万太郎の句を紹介したことがあるが、『鬼城の一句』が読みたくて探したけど見つからない。だれも書いていないのだ。
ならば、自分でつくるしかない、となった。
まず、365句選ばなくてはならない。
鬼城には佳句が多いので数のうえでは困ることはないのだが、一年365日のその日にふさわしい句を当てはめるとなると、結構しんどい。
例えば、元日。例えば立秋。
特定の日に佳句が、重なると、選に迷う。
さらに、その一句一句に、評をつけなくてはいけない。ちゃんと俳句をはじめて3年にならない身では、たいしたことが書けない。
ということで、少しずつ書きためようとおもい、機会があれば、ここでも紹介して、推敲をしていこうとおもいたった。
そして、7月17日に選んだ一句が、冒頭の句だ。
この句は、ホトトギスの巻頭を飾った中の一句なのだが、どのように解釈してよいものか。
まずは、哀れについて。
鬼城は、「哀れ」を含めて、「あはれ」を多用した。
〈美しきほど哀れなり離れ鴛〉
〈鷹のつらきびしく老いて哀れなり〉
〈痩馬のあはれ機嫌や秋高し〉
鬼城が、何にあわれを感じるか、どういったことにしみじみとした趣を感じるかは、この三句から伺えそうなのだが、冒頭の句からは難しい。
次は、瓜小屋。
瓜小屋は、瓜を見張る瓜番が使う小屋。
瓜は、今のようにスイーツの豊富ではなかった時代には、夏の人気の甘味であり、水分の補給源として貴重だった。スイカの祖先のようなものだ。
豊臣秀吉は、名護屋において開催した瓜畑遊びで、自ら瓜売に扮した。瓜は瓜売が活躍できるほど一般的な甘味、夏の味覚だった。
なので、瓜畑には、見張りが必要である。瓜盗人から瓜を守るために番をするのが、瓜番で、瓜番が詰めるのが、瓜小屋だ。
その瓜小屋に、伊勢物語の取り合わせが、難しい。
伊勢物語は、「むかし、をとこありけり」の伊勢物語だ。在原業平がモデルというくらいの情報しかない。
瓜番が、見張りの合間に読む伊勢物語が、瓜小屋にあったのだろうか。もう少し深読みが必要である。
2022年07月16日
草の戸や二本さしたる蠅たゝき 村上鬼城
わたしが子どものころは、どこの家にもハエたたきがあった。わたしが育った家にも二本くらいはあったとおもう。
今どきはどうなのかちょっとググってみると、基本的なものから、伸縮するもの、天井に対応したもの、さらには電撃タイプのものまである。
鬼城が現代に生きていたら、どんなハエたたきを使っただろうか。
草の戸の家では、ハエたたきが欠かせなかった。
武家の末裔として生まれた鬼城だったが、時代が変わり、武士の世は終わり、自ら草庵とよぶような草の戸の家に暮らす身となった。
しかし、武士の魂、二本差の心持ち、気概は失われてはいない。
ただ、草の戸の家にあるのは、刀ではなく、ハエたたきなのだが。
2022年07月15日
少し前、連句をやっていた時期がある。
連句をすることを『歌仙を巻く』というので、その言い方にならうと、七巻きほどした。
先日、一緒に巻いていた連衆のひとりKさんと、また巻きたいね、ということで、また少し連句熱が高まってきた。
連句には式目といわれる決まりがあって、わりとめんどくさい。その中に月の定座といわれる、必ず月を詠まなくては行けない箇所というのがある。
順番がまわってきた中で、その季節の月を詠む。ちなみに、連句の中では、季節も変わっていく。なのでその季節にあった月を詠むことになる。夏なら「夏の月」だ。
連句(歌仙)の話は、改めてするとして、夏の月でわたしが好きな俳句は、村上鬼城の次の句だ。
麦飯になにも申さじ夏の月 鬼城
麦飯が貧しさの象徴たり得たのはいつまでだったろうか。今では、健康に気をつかうセレブの食べ物だ。鬼城が現代を生きていたならどんな夏の月の句を詠んだだろうか。
麦とろになんも言えねえ夏の月
2022年07月14日
平成25年の末に都々逸というもの知り、平成26年の1月にこっそりと都々逸をつくりはじめた。そして、2月から柳家紫文師匠を高崎に迎え、上州どどいつ部をはじめたのだが、その話は、いつかまとめたい。
都々逸をつくりはじめたとき、既にスマホを使っていた。なので、自然とスマホで都々逸をつくることとなる。アプリは、GooglekeepとEvernoteを試し、ほどなくEvernoteに落ち着き、気がつけば有料ユーザーとなり、今、この『鶴のひとこえ』の下書きもEvernoteで書いている。
俳句をそれなりにちゃんとはじめたのは、令和元年の10月、『若竹』の主宰加古宗也先生に誘われてからなので、当然俳句もEvernoteでつくった。
Evernoteは、その名の通り過去の記録がすべて検索できるので、ちょっと検索してみたら、平成27年くらいから、都々逸のあいまに俳句もつくっていたことがわかった。ただし、そのほとんどが自由律だった。なので、有季定型の俳句をつくりはじめたのは、やはり令和元年からだ。
その令和元年、俳句をはじめたとき、もうひとつの道具を導入した。紙のノートだ。俳句に便利なノートを探したところ、『殿様ケンちゃん俳句手帳』なるものを見つけ、購入。なかなか使いがってがよく気に入っていたのだが、表紙が黒のものが手に入らなくなり、11冊で終了。ツバメノートの縦罫線のA6判ノートに乗り換えた。
スマホだとどうしても横書きになってしまうので、縦書きしたくて、紙のノートを導入したのだが、投句の下書きとしても都合が良くて、このスタイルが定着している。今後、Evernoteが縦書きに対応したり、もっと画期的でサクサク縦書きできる俳句アプリなどができれば、句作のスタイルは変わるかもしれないが、しばらくは、Evernoteとツバメノートを道具として、俳句をつくっていきたいとおもう。