今朝、職場の玄関にゴキブリが潰れていた。
夏井いつきさんが紹介していた俳句を思い出した。
〈ゴキブリでなければ美しい茶色〉
ゴキブリであっても、きれいな茶色だとおもった。
ゴキブリであつても美しい茶色
先日、灯り屋のカウンターに置かれていた恵比寿麦酒の小瓶が、厨の灯を透かしてきれいな、明るい茶色だったのを思い出した。
2022年07月13日
今朝、職場の玄関にゴキブリが潰れていた。
夏井いつきさんが紹介していた俳句を思い出した。
〈ゴキブリでなければ美しい茶色〉
ゴキブリであっても、きれいな茶色だとおもった。
ゴキブリであつても美しい茶色
先日、灯り屋のカウンターに置かれていた恵比寿麦酒の小瓶が、厨の灯を透かしてきれいな、明るい茶色だったのを思い出した。
2022年07月12日
頼朝に大天狗呼ばわりされた後白河法皇だが、日本歌謡史に『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』の編纂者として巨大な足跡を残したことは、昨日書いた。
梁塵秘抄は、当時の京都で大流行した今様を集めた歌集だ。今でいうオリコンの上位の曲の歌詞集をつくったみたいなものだ。残念ながら、歌いぶり、節回しといったリズムやメロディまでは記録されていない。だから、大河ドラマの今様のシーンは歌詞以外は想像のものだ。
義経の愛妾の静御前は、今様を舞う白拍子だった。
頼朝と義経が不和になり、捕らえられて、鎌倉に送られた後、鶴岡八幡宮において、頼朝夫妻の面前であるにもかかわらず、反逆者義経を恋い慕う歌を歌い、舞ったことは有名。『鎌倉殿の13人』でも、石橋静可が演じる静御前が毅然と舞う場面は印象的だった。
今様は、うたいながら舞う。これはまさに、ダンスミュージックということだ。最近流行る曲は、ほぼダンスミュージックだが、今様はその先駆的存在と言ってもいいとおもう。
そんな今様の記録である梁塵秘抄は、存在を知られながらも長いことう失われていて、発見されたのは明治44年、大正元年八月に編集刊行された。
仏の慈悲の光をうたった梁塵秘抄の詩篇は、当時の文芸芸術界に大きな影響を与えた。
北原白秋、斎藤茂吉、山村暮鳥、芥川龍之介・・・
このひとたち、ダンスまでしたのかは調べがついていないが。
最後に、昨日紹介した
「仏は常にいませども・・・
くらい有名で、わたしの好きな今様を紹介したい。
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんと生まれけん
遊ぶ子どもの声聞けば
わが身さへこそ揺るがるれ
2022年07月11日
昨日は、選挙のため、NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放映はなかったらしい。毎週録画予約してあるので、本日見ようとおもったら、選挙の特集の一部が録画されていた。現代の政治、まつりごとも大切だとはおもうが、鎌倉時代のまつりごとが気になる。
前回の『鎌倉殿の13人』では、ついに大泉洋演じる源頼朝が亡くなった。絶対的権力を振るってきた頼朝がいなくなったあとのまつりごとをいかにしてやっていくのか。
『鎌倉殿の13人』は、ここからがいよいよ本番だそうで、脚本の三谷幸喜氏は、総集編では、大泉洋全カットもあり得ると言っていた。楽しみだ。
大泉洋の源頼朝が全カットなら、西田敏行が演じた後白河法皇は、頼朝より先に亡くなっているのでこちらも全カットされてしまうことになってしまうだろう。
「乱世をかき乱すだけかき乱し、日本一の大天狗と言われた後白河法皇が、死んだ」
長澤まさみのナレーションもさっぱりしているというか、そんなんなん?という感じ。まあ、主人公じゃないから仕方ない。
そんな後白河法皇だが、日本の文学史というか、歌謡史?には『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』の編纂者として巨大な足跡を残している。平安時代の末期、流行した「今様」を体系だててまとめたものだ。残念ながらほんの一部しか残っていないが、それでも500を超える歌の記録が現存している。
後白河法皇は陰謀、政略と同じくらい、今様に夢中になった。
「今様」とは、「今めかし」と同義で、現代的だ、当世風だ、目新しいといった意味。なので、「今様」は、当時の流行歌ということである。今様は歌だけでなく、歌にあわせて舞踊った。
仏は常にいませども
現(うつつ)ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁(あかつき)に
ほのかに夢に見えたまふ
これは、もっとも有名なもの のひとつだが、ちょっと長くなってしまったので、続きは明日書きたい。
2022年07月10日
本日は、参議院議員選挙だった。
投票所の事務は、なかなかの長丁場なのと、間違いがゆるされない仕事ということで、かなり気をつかうため、結構疲れる。
民主主義の根幹をなす選挙だがもう少し合理化できないものか。エストニアほどまででなくてもいいので、真剣に議論してほしいとおもう。
ちなみに、エストニアの選挙は、インターネット投票が可能である。しかも、自身の投票内容が確認でき、しかも、「何度でも」投票可能であり、再投票した内容で上書きされたりもする。
ここまでしなくても、できる合理化はいくつもおもいつくが、今の様子では、まあやらないか。
2022年07月09日
今日の午前中は、明日の投票所事務の準備に行ってきた。みなの手際がいいので、予定よりかなりはやく、1時間ちょっとで終了。明日の長丁場に備え、本日はゆっくりしたい。
さて、ニュースは安倍元首相銃撃事件のことばかりだが、今なにも書けそうにないので、俳句のことでも。
7月9日は、鷗外忌。
今年は、森鷗外没からちょうど100年だ。
記念の催しも開かれているらしい。
わたしの持っている歳時記には鷗外忌は載っていないが、鷗外を詠んだ句が2つあった。
鷗外も茂吉も紙魚に食はれけり 藤田湘子
鷗外の生家北向き実南天 松崎鉄之介
紙魚(しみ)は、本の紙や服を食う虫で、夏の季語。
南天の実は、秋の季語。
鷗外のおかげで、紙魚という季語を知ることができた。
紙魚は夏の季語でもあるし、せっかくなので、本日は紙魚で句をつくろうとおもう。鷗外忌でも詠めるかなー?
2022年07月08日
安倍元首相が奈良において、参院選の応援演説中に銃撃され、帰らぬ人となった。明日には高崎にも来る予定があったらしい。民主主義の根幹ともいえる選挙の応援演説中の出来事ということもあり大変驚いた。
御冥福をお祈りしたいとおもう。
本日は、地元の山車保存会の役員会があった。
山車を動かすのには、最低でも50人くらいの人員が必要である。その運営は町内会を基本とした山車保存会が担う。多くの人が気持ちよく動くためには民主的な運営が不可欠だ。それが民主主義なのかはわからないが、皆がそれなりにでも納得して動かないと、山車は動かない。いつでも自由にやめられる組織とはそういうものだ。
いまはコロナ禍ということもあり、予定がたたないことばかりで、手探りの状態だが、みんなで力を合わせ乗り切りたいとおもう。
2022年07月07日
銀漢て 銀河のことか くだらない
『知的生産の技術』の著者で、民俗学者の梅棹忠夫の俳句だ。この俳句で梅棹は、破門をいいわたされた。
「わたしはそれ以後、ニどと俳句に手をだしていない。」
のだそうだ。
「東京マッハ」でなら、とる選者もいるのではないか。梅棹ほどの人が俳句を続けなかったのは、かなりもったいないことだったとおもう。
梅棹は、『知的生産の技術』のまえがきで次のように述べている。
「わたしは、わかいときから友だち運にめぐまれていたと、自分ではおもっている。学生時代から、たくさんのすぐれた友人たちにかこまれて、先生よりもむしろ、それらの友人たちから、さまざまな知恵を、どっさりまなびとった。」
そんな友人にめぐまれた梅棹だったが、俳句仲間にはめぐまれなかった。
俳句は誰とやるかがなかなか重要である。
さて、本日は7月7日の七夕。
ということで、梅棹忠夫の「銀漢」の句を紹介してみた。天の川(銀河、銀漢)は、七夕伝説と結びつき、万葉のころから詠まれている。
天の川では、松尾芭蕉の次の句が有名である。
あらうみや佐渡に横たふ天の川 芭蕉
こんな句、詠んでみたい。
ところで、七夕も天の川も、歳時記では秋に分類される。新暦で七夕をすると、これらが秋という実感はまったくない。例によって、実感とずれている季語だ。
仙台七夕まつりは旧暦で開催されるけれど、8月7日あたりでも、秋といわれてもね、とおもうくらい実感としては夏だ。まあ、そういうものとして楽しみましょう。
せっかくなので、上州どどいつ部の名作から、お題「七夕」の都々逸を紹介したい。迷道院さんの五字冠(ごじかむり)、つまり五・七・七・七・五の都々逸です。
・都々逸
ひこぼしも 寄る年波で 夜道に迷い
危うく三途の 川渡る 迷道院
迷作のほうもどうぞ。
・都々逸
笹に託した 願いがかなう
これがいわゆる 棚ぼたか 喰粋
梅棹さん、都々逸やればよかったのに。
2022年07月06日
今日の高崎は、朝から日差しが強く、通勤では例によって日傘の出番となった。午後からは、少し雲も出て過ごしやすくはなったが、それでも日傘の快適さはもう手放せない。ほんと、もっと早くから使っていればよかったとおもう。
さて、ニュータンタンメンの話、王ちゃんのことを続けたい。
わたしにとっての「Nverland Diner 二度と行けないあの店で」のなので、高崎市鞘町にあった王ちゃんは閉店してしまっている。その理由、閉店することになった理由なのだが、店主ご夫婦が、燃え尽きるまではやりたくない、二人でゆっくりする時間を持ちたいというなかなか素敵なものだった。食べに行っているほうからすると元気なら続けてほしいな、などと勝手におもってしまうのだが、二人の時間を大切にしたいというご夫婦の決断は、ちょっといいな、とおもったりもした。引退するには、まだまだお若いご夫婦だった。
このタンタンメン、この味、もう食べられなくなるのかと、最後のほうは夢中で王ちゃんに通った記憶がある。
それで、昨日の続き、王ちゃんでの思い出の日の話に戻ると、その時、わたしは、いつもより味の薄いタンタンメンを食べながら考えた。
たどり着いた答えは、「その日ニ杯目のタンタンメンだったから」というものだ。お昼に王ちゃんにてタンタンメンを食べたのに、夕食も王ちゃんで、また同じメニューであるタンタンメンを注文してしまったのだ。仕事が忙しい時期で、連日の残業の疲れもあり、食事に思考の力を働かせる余裕がなかったものとおもわれる。一口目の味わいが弱いとおもったのは、いつものあの味わいが感じられないとおもったのは、その日ニ杯目のタンタンメンだったからだ。
ニ杯目のタンタンメンということに気づいてからは、不思議と美味しく感じられた。わたしの味覚なんてそんなものだ。
これが、わたしの『Nverland Diner 二度と行けないあの店で』の1つ、鞘町にあった『王ちゃん』だ。ちなみに、王ちゃんの閉店後、ほぼ居抜きで出店したタレカツのお店「せんば」にもよく通った。このせんばも、『Nverland Diner 二度と行けないあの店で』になってしまった。毎日でも食べられるあっさりとしたカツ丼の店。機会があれば「せんば」についても書きたいとおもう。
王ちゃんが閉店してから、王ちゃん好きの仲間と情報交換したりして色々調べた。そしてインターネットも便利になり、たどり着いたのがニュータンタンメン本舗だった。岡安さんの言うとおり、なぜだか松本にあるということも知っていた。また、ニュータンタンメン本舗とは別に、王ちゃんという同じ名前の店が宇都宮にあり、味も鞘町の王ちゃんに近いというのも聞いていて調べてある。この宇都宮の王ちゃんにはまだ行けていないが・・・。
ニュータンタンメン本舗の味は、確かに王ちゃんの味と似ている。系統は同一のものであると言ってもいいとおもう。材料や調理方法などの基本的なつくりはいっしょかもしれない。でも思い出の王ちゃんとは違うものだ。当たり前だが、カウンターのなかに、仲良しのご夫婦の姿もない。
味の再現ということなら、袋麺で自分でつくるほうがニュータンタンメン本舗より近いかもしれないが、乾麺では食感が違いすぎる。今後の研究課題としたい。
王ちゃんはとても小さな店だったが、わたしの二十代から四十になるまでの十数年間とてもおおきな存在のお店であった。
2022年07月05日
今日の高崎は台風の影響もあるのか、梅雨に戻ったかのような天気だった。日傘兼用の雨傘は今日も活躍した。最近買ったもののなかでは当たりである。日傘兼用の雨傘、おすすめですよ。
さて、
岡安さんが、4841声で、
『Nverland Diner 二度と行けないあの店で』のこととを、また4662声では、
「元祖ニュータンタンメン」のことを書いていた。
今日は、この二声に関連して、わたしの「Nverland Diner」の中の一つを書いてみたい。
元祖ニュータンタンメンは、わたしにとっても、思い出深い味である。元祖ニュータンタンメン本舗が川崎のソウルフードだということは、5年ほど前に知った。東京にも店があるということを知って、品川や蒲田の店まで行って食べたこともある。そして、最近はサッポロ一番から袋麺が出ているので、ひき肉と溶き卵を入れてときどき家でも食べている。
しかし、わたしにとっての本当の思い出のニュータンタンメンとは、かつて高崎市鞘町にあった「王ちゃん」というラーメン屋だ。
わずか8席のカウンターのみの小さなお店で、ご夫婦で経営されていた。看板メニューは、タンタンメンで、「ニュー」はついていなかった。しかし、世の中の一般的な担々麺やタンタンメンとは明らかに違っていて、鶏がらベースの塩スープに、ニンニクの効いたひき肉ととき卵が乗っていた。週に3、4回通っていた時期もある。タンタンメン以外のラーメンも美味しくて、タンメンや味噌ラーメンもよく食べたが、やはりなんといってもタンタンメンが美味しかったし、10回に9回は、タンタンメンを食べた。
そんな王ちゃんでの思い出を一つ。
ある日こと、王ちゃんに行き、席に着き、いつものように注文し、出てきたタンタンメンを口に含んだ。すると、味がとても薄いではないか。香ばしいニンニクの香りや、いつもは食欲をそそる唐辛子の刺激がほとんど感じられない、なんだか全体的にもの足りないのだ。食べながら、何が違うのか考えた。・・・
途中ですが、思いのほか長くなってしまったので、続きは明日にしたい。
2022年07月04日
本日の高崎は、最高気温が31度ということで比較的過ごしやすかった。あまりの猛暑の連続的に、体が狂ったのか、それとも慣れたのか、このくらいだと涼しいとすら感じる。
ちなみに「涼し」は夏の季語だ。
「月」や「露」などの秋の季語も、「涼し」をつけると夏の季語となる。月涼し、露涼し、などである。それぞれ、夏の月、夏の露の傍題だ。
村上鬼城の俳句に、
露涼し形あるもの皆生ける 鬼城
がある。
いい句だなあとおもう。
さて、日傘の話に戻ろう。
というか、昨日は、イギリスの傘事情だけで終わってしまった。日傘の話に入ろう、が正しいか?
ということで、傘の起源を調べてみると、どうもエジプトの日傘らしい。傘は、雨よりも先に、太陽の日射し対策として生まれたのだ。
だから、umbrellaは、影という意味。
傘といえば、もともと日傘だったのだ。そのためか、ヨーロッパでは、主に女性の装飾品として扱われる歴史をたどる。女性の装飾品なので、男(タフガイ)は、雨くらいでは傘をささないのだ。ましてや日傘など・・・。
久保田万太郎の俳句に、
ぬけうらを抜けうらをゆく日傘かな 万太郎
というのがある。
「銀座」と前書があるこの句からは、日傘の女性が銀座の裏道を軽快に歩く様子が浮かぶ。
日本でもつい最近まで、日傘は女性がさすものだった。タフガイとはいえない日本のやさ男でも日傘はあまりささなかった。イギリス人が雨傘をささない心理と似ているのかはわからない。
(ちなみに、雨傘の起源は、どうやら中国らしい。日本人が男女を問わず雨のときに傘をさすのに抵抗がないのは中国伝来のためかもしれない。)
しかし、最近の日本では、男性にも日傘が売れているらしく、デザインも男性向けのものが結構あるという。
ようやく、日傘の本題にはいるのだが、そもそも何で日傘の話をしようかとおもったのかというと、最近、わたしも、日傘を購入したからだ。正確には、日傘兼用折りたたみ雨傘だけど。
先日、出先で雨に降られそうになり、傘を持っていなかったので、せっかくならと日傘兼用の折りたたみ雨傘を購入したのだ。法事が近くに予定されていて、霊園の日差しを考えたということもある。ただし法事の場所は、結果的には神社に変更したので、法事で日傘が活躍することはなかったのだが、先週の連日の猛暑では大活躍だった。通勤もちろん、ランチタイムは日傘があるのとないのとでは、天国と地獄くらい違う。
もう、日傘なしで日本の猛暑、炎暑を乗り切る自信はない。
2022年07月03日
本日は法事だった。父の三年祭。
霊園では暑すぎるということで、場所を神社に変更して執り行った。雨も少し降ったので、神社の参集殿で行ったのは正解だった。空調も効いていて良かった。
いきなり、話は変わるが、
イギリス人男性は傘をささないというのを英語の教科書で読んだことがある。雨くらいで傘をさすなんて、タフガイじゃない、イギリス紳士じゃないというような内容だったように記憶しているが、ちょっと調べてみると、実は色んな理由があるらしい。
一年中ぐずついているイメージのロンドンたが、そもそも日本より「降水量」は少ない。
「雨の日」は、ほぼ東京と一緒でも、降水量が半分以下で、一日中雨という日はほとんどなく、少し待てば雨はやむような天候。15分くらいで弱まる雨がほとんどらしい。空気も乾燥していて、濡れたコート類もすぐ乾く。
加えて、
・傘の役に立たないような強風が時折吹く
・治安がよくなく傘立てに置いておこうものならすぐ盗まれる。
・そもそも傘立てなどどこにもなく、もてあます。
などなど・・・
ビニール傘は強風ですぐ壊れてしまい、日本の駅などでも、壊れたビニール傘がたくさん捨てられている光景を目にすることがあるが、環境意識が高いイギリス人には、こういったことも好まれないらしい。
それでは、イギリス人がまったく傘をささないのかというとそうでもないらしい。日本の雨の日の光景とは、明らかに違うが、それでも結構さしているとのこと。少し安心した。
そんな、傘には厳しいイギリス人だが、その割に、ロンドンには、立派な傘を売っている店が結構あると言う話を聞いて、ロンドンに行く息子にお土産として傘を頼んだことがある。イギリス製の立派な傘をさせることを楽しみにしていたのだが、スーツケースに入らなかったとのことで断念したと言われた。よく考えればそうなのだが、惜しい思い出の一つだ。
日傘のことについて書こうとおもったのに、ちょっと
長くなってもしまったので、日傘のことは、明日書こうとおもう。
2022年07月02日
本日観た月は、赤くて細かった。
月齢を調べてみると、どうやら三日月らしい。三日月はおもってるより細い。
ということで、本日も暑かった。
猛暑日だ。
ところで、
歳時記に極暑という季語がある。
極暑【ごくしよ】
夏の暑さの極みを極暑という。暦の上では大暑のころが最も暑いとされるが、実際には大暑よりやや遅れて、七月下旬から八月初旬にかけて日本各地で最高気温が記録されることが多い。(角川俳句歳時記 第四版)
俳句をやる人なら周知のことだが、季語(季題)と実際の季節はずれている。和歌、俳諧が旧暦(太陰太陽暦)とともに歩んできたため、新暦(現在のグレゴリオ暦、太陽暦)とはずれているということもあるが、昨今の気象の変動の影響もおおいにあるのではないか。もう、極暑だよね。
あと、季節を先取りしたがる俳人?気質も、ずれには影響しているような気がするが、このあたりついては、いずれ考察してみたい。
さて、気象庁の定義によると、最高気温が25度以上で夏日。30度以上で真夏日。35度以上を猛暑日というのだそうだ。報道では、酷暑という言葉も使われている。
そして、最低気温が25度以上の夜が熱帯夜。
高崎は、23時現在、31度ある。
最低気温が、30度以上だったらなんと呼べばいいのだろう。
「超」とか「極」とかつけちゃうんだろうか。
まあ、やらないな。
昨日も言ったけど、関東の平野部は完全に熱帯圏になってしまったようだ。
みなさん、ご自愛ください。
2022年07月01日
本日から7月ということで、
令和4年も半分が終わった。
松尾芭蕉の『奥の細道』の冒頭、
「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」のとおり、月日も年も永遠の旅人で、ここにとどまってはくれない。
しかし、立ち去ってしまう年月日のはやさに驚いてばかりいても詮無いので、「今」をしっかり生きていきたい。
さて、その今だが、関東地方は、なんでも観測史上最速の梅雨明けとのことで、ここ高崎も、6月のうちから連日の猛暑、酷暑で、身にこたえる。もう、日本は熱帯地方なのではないか。さらに、梅雨はないといわれていた北海道は梅雨前線が停滞していて、まるで梅雨のような天気。「まるで」というのは、北海道は気象庁の梅雨の予報の対象外のためだ。そろそろ、北海道も梅雨の予報の対象にするべきかもしれない。
蝦夷梅雨が、梅雨になるわけだ。
でも、やらないか。
やらないな。
ということで、
この暑さ、体が慣れるまで、無理は禁物。
自愛したい。
2022年06月30日
朝から身体が重い。昨夜は酒をセーブしたつもりなのに積み上げた飲み過ぎからか、続く異常な暑さからか、どちらもか。神澤さんとともちゃんに手伝ってもらい、どうにかザブンの片付けが終わった。8年間いろいろあった。うまくいかなかったことばかり思い出す。この店を営業していたから出会えたかけがえのない人がいる。理屈じゃない近くにいる人が何より大事だと思うようになった。コロナでなおさらそうなった。近くにいる人は物理的な距離だけでなく、会わなくても近くに感じれば近い。今は亡き人であればもはや向こうの事情は関係ないから、常に近くにいる。大切なものを忘れずに生きていきたい。感傷に浸る間もなく汗が吹き出る。
2022年06月29日
昨日は軽井沢からロクリさん夫妻が遊びに来てくれて一緒に飲んだ。気が合うのだから飲みすぎてしまう。ワインの味の話ができるのがまた楽しい。朝はゆっくり起きて久しぶりに映画館へ。峠~最後のサムライ~を見てきた。幕末長岡藩の家老、河井継之助の話。司馬遼太郎の著書「峠」を初めて読んだのはいつだったか。たしか抜井に勧められて読んだのが最初ではなかったか。その後何度か読んだ。河井継之助は「立場」の人。思考は西型なのに徳川への忠義を外さないという前提が一分もぶれない。そのため時制にそぐわないと承知しながら死ぬことすら自ら選択してしまう。若い頃はそれを憧れとして読んでいた気がするが、歳を取ってきて改めて映画として観て、懐かしかった。俺変わってないなとも思った。「人間とは気が動いているだけである。気が動いているから肉体に風が吹き抜ける。気は人から人に伝わり、肉体が滅びたあとも生きるんだ」いいこと言うなぁ。そう思わなけりゃ生きられない。久しぶりに見た映画がいい映画でよかった。松たか子がよかった。
2022年06月29日
朝ケグ詰めをして、ザブンの片付け。朝から気温が高く、昼前なのにすでに2回着替えた。シンキチの魚、シャリの準備をして、3回目の着替え。急に暑くなって洗濯が追いつかない。シャワーは心地よいが、一度浴びると動けなくなる。
2022年06月27日
市場へ。本鮪を仕入れ。腹上の中でも最も上なのでほぼ全体が大トロとなる。これをうまく水を抜きながらどこまで熟成するか試したい。もともと水分の少ないいい鮪だからできることだし、シンキチがほぼ毎日営業するからできる。おいしいうちに売り切れるだろうか。ザブンの片付けがなかなか進まない。鍵の返却まであと3日。
2022年06月26日
朝からケグ洗浄、ケグの移動、ティスティング。長屋のphが若干低いため一旦下げた。変わりに樽熟成のビールをつなぐことにした。先日のブルワー交流会でも話が出たが、ホップが少ないと乳酸菌が発生しやすくなる。うちのビールはあからさまにその世界にいる。乳酸菌は悪くない。ホップをしっかり使うものと少ないものの違いをもう少し明確にしたほうがいいかもしれない。のどが渇いていたのか、朝から結構飲んでしまった。