日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

4465声 コロナのものがたり

2020年07月15日

伊参スタジオ映画祭が2003年から行っている、全国から映画シナリオを公募しその大賞2作品(短編・中編)を映画化させる取り組み「シナリオ大賞」。今年の募集開始はコロナが騒ぎ出された後のことで、中止にする判断もできたが、「ステイホームな今だからこそ、書きたい物語があるのでないか」という予感から、例年通りの募集をはじめた。

 

ふたをあけてみれば、例年よりも100作品ほど多い353本のシナリオ応募があった。ほんとうにありがたいことだ。

 

今現在は、映画祭スタッフによる一次審査を行っている。手分けをするとは言え、ボランティアスタッフによって、1人あたり60本ものシナリオを読むのは大変な事なのだが(好みの偏りが出ないように、1つのシナリオを複数人で読む)、みんな頑張ってくれている。

 

まだ審査中なので何も言えないのだが、やはりシナリオの中にコロナが直接的に出てくる作品はいくつかあるようだ。それが大賞に選ばれるということは、逆に並みのシナリオが選ばれるよりも難しい気がするのだが(ただの時事ネタとしてコロナを使うシナリオは、まず残らないはず)、2020年の今だからこそのシナリオが選ばれるような気もして、いまからわくわくしている。

4464声 モノづくり酒豪説

2020年07月14日

赤城温泉御宿総本山には、糸井さんの呼びかけで高崎のギャラリーのご夫婦とご一緒した。ご夫婦でギャラリーをしつつ、奥さんは伝統工芸士としてブルーノ・タウトがデザイン指導したという竹皮編をされる方だった。この方がまぁ、酒が強い強い。

 

まるで水を飲むかのように(水だったら逆にそんな量飲めないのかもしれないが)すいすいと杯を明ける。そして終始、ケロリさらっと接し方が変わらない。カッコいいな、と思った。僕はもうわりと早々に手が止まり眠くなってしまった。

 

県内モノづくり作家を幾人か知っているが、総じてだいたい酒飲みである。緊張を強いられる手仕事は、夜ごとに酒によってリセットされる必要があるのだろうか・・いや、たまたまかな。

4463声 分福茶釜のガラス窓

2020年07月13日

君は、赤城温泉御宿総本山を知っているか?裾野が長い赤城山をずずずーっと登り、細く曲がりくねった先にある温泉宿だ。

 

アーツ前橋「表現の生態系」展において、中村裕太さんと軸原ヨウスケさんが「群馬における民芸の生態系」という内容の展示を行った。その際に赤城温泉御宿総本山のオーナーもゲストで来ていて、赤城温泉御宿総本山にはオーナーが集めた国内外の民芸や骨董が所狭しと並んでいるという話になった。同展覧会に出展していた写真家の糸井潤さんに誘ってもらい、県内宿泊5,000円引きを利用して赤城温泉御宿総本山に泊まってみた。

 

アジアンなもの、キリスト系なもの、和物、絵画、現代美術・・実際目で見る館内の様子はカオスだった。けれど、オーナーの目に適ったもの、というフィルターを通すことによって、自然な一体感を醸していた。なんなんだこの宿は・・

 

僕らが泊まった部屋のトイレのドアには、外の光を通すと分福茶釜の漫画的な物語が現れるガラス板がはめられていた。こんなドアは売っていないと思うから、作ったのだろう。いつの時代に作られたものかはわからないが、とても味があった。

4462声 四十ってなんだ

2020年07月12日

四十不惑。検索すると「人は、四十歳になると、自分の生きてきた道に自信を持ち、あれこれ迷わなくなること」とある。

 

いつのまにか四十になっていた。誰かにだまされたのではないかと思う。それくらいあっという間だった。昔の人と今の人の精神年齢は十くらい違う気もするが、僕はまだ全然迷いの最中にある。気持ちはそんなだが、頭頂部も薄くなりはじめ(これショック)、くいしんぼう自慢だったのに、近年は消化が良くない。胃って大事。

 

幸いなのかどうなのか、自分の生きてきた道、はなんとなく見えてきた気がする。ああなんだか、こんなことを書いていたら、海へ行って、浜辺でただ打ち寄せる波をボーッと見ていたくなった。

 

『深い河』などの著作で知られる作家・遠藤周作は晩年、「川はいいなぁ」と呟いたという。なぜそんなことを言ったのかはうろ覚えだが、たしか荒々しい海が好きな時期もあったが、年をとった今は穏やかに流れる川が良い、というような意味だったように思う。

 

僕はまだ、川ではなくて海を欲している。それだけで、まだ、若い。

4461声 食卓にて

2020年07月11日

撮影をおえて、おじゃましたお宅で食卓を囲んだ。目の前の仕事をうまくやりきれていないのは数年前からで、ありがたいことにコロナ禍においてもずっと仕事は続いているのだけど、すべて依頼されてやるものをやるのではなく、「自主的にやりたいことはやってみる」ということを昨年あたりからほそぼそと、意識的に初めてみた。

 

食卓は僕を入れて3人。このカップルを撮影するということは、巡り合わせと(きっかけとしては)向こうからの依頼ではじまった。だが、自主的に撮影していくことに決めた。

 

食卓を囲みながら、たわいもない話やドキュメンタリーの話をした。ドキュメンタリーの作り方も無数ある。最初から企画をキッチリ立てて、撮影日も構成も完成日も決めた状態で始めるドキュメンタリーもあれば、たわいもない日常を撮り貯めて、そこから何が言えるかを発見していく作り方もある。今回は、後者だ。

 

さてさてどうなるものか。いわしの刺身を口に運んだ。

4460声 記憶は、熱いうちに語れ

2020年07月10日

奇跡的な展覧会は存在するのか?あるいは、太田市美術館・図書館で何が起こったのか?

 

美術館の裏側、については知らない方も多いのではないかと思う。映画館であれば作品があって上映環境があれば上映はできる。でも美術館に作品が並ぶなかで「なぜこの作家のこの作品が飾られているのか」「なぜこの作品の隣にはこの作品が飾られているのか」という事に疑問を持ったことがある人がいたら、それは基本「学芸員」と呼ばれる人がその組み立てを行ったから、という回答で間違いはないと思う。

 

●開館記念展「未来への狼火」
●本と美術の展覧会vol.1「絵と言葉のまじわりが物語のはじまり~絵本原画からそうぞうの森へ~」
●太田の美術vol.1「生誕90年正田壤 芸術は遊びの極致」
●開館1周年記念 佐久市立近代美術館コレクション+「現代日本画へようこそ」
●本と美術の展覧会vol.2「ことばをながめる、ことばとあるく——詩と歌のある風景」
●太田の美術vol.2「生誕100年 飯塚小玕齋展―絵画から竹工芸の道へ―」
●本と美術の展覧会vol.3「佐藤直樹展:紙面・壁画・循環」
●太田の美術vol.3「2020年のさざえ堂——現代の螺旋と100枚の絵」

 

太田市美術館・図書館の開館から現在の最新の展覧会までを担当した学芸員が、小金沢智さんである。僕は上記展覧会のうち3つで映像のお仕事をさせていただいているが、彼との出会いは実はもっと前・・

 

中之条ビエンナーレ2013の六合・十二みますの会場において、日本画家グループに小金沢さんが加わるかたちで「中之条の町に星の家を作る」という展示が行われた。いち観客として、これが・・実に良かった。絵と文章で構成されたこの展示は、壮大な映画を観たような広がりがあった。彼とはじめて会ったのがどこかは忘れているが、「十二みますの展示すごい良かったです!」と話しかけたことは、なんとなく覚えている。それからだから、ある程度長い付き合いだ。

 

小金沢さんは太田市美術館・図書館学芸員の職を降り、この春からは東北芸術工科大学の専任講師を勤めています。で、「実は太田を離れるんですよ」と連絡をいただいた時に、多分即答で「太田の振り返りを撮影しませんか?」と返していた。それは、営業トークというよりは、彼が太田で行った展覧会のどれもが奇跡的に素晴らしかったから、何か残さねばいけないという勝手な使命感だった。記憶は、熱いうちに語れ、的な。

 

これからの太田市美術館・図書館にも期待しつつ、太田市美ファンの方やアートを生業とする方にはぜひとも観ていただきたい動画です。

4459声 言葉の源泉

2020年07月09日

スクリーンに対峙して観る映画というのは、つくづく「氷山の一角」なのだなと思う。

 

それは映画が作られるまでにはスクリーンに映る俳優以外の監督含めたスタッフや配給・劇場スタッフの協力があってこそ成り立つという意味でもあるが、

 

映画の中の登場人物が語る一言には、監督(あるいは脚本家)がそれまでに培ってきた経験、それまでに巡り合った言葉が反映されているのだなと。そういう意味での「完成物は氷山の一角」という意味だ。

 

 

昨年上映された伊参スタジオ映画祭シナリオ大賞作品『山歌(サンカ)』の笹谷遼平監督が、同映画の主要キャストである杉田雷麟さん、小向なるさんを朗読者とし、スタッフもまた同映画の撮影・上野彰吾さん、音楽・茂野雅道さんといった豪華メンバーで

 

朗読『源流への言葉』

 

という映像を制作した。とても良い。この動画で語られるのは、中村哲氏/柳宗悦氏/内山節氏たちの言葉であり、それは笹谷監督がずーっと信頼してきた言葉でもある。その3者にどんな共通点が?ということはぜひ動画を見て欲しい。

 

『山歌』を観た人であれば、ここで語られた言葉がいかにあの映画の血肉になっていたか、すぐにわかるはず。そして、まだ『山歌』を観ていない人にとっては、この短い映像で語られる言葉が物語として立ち上がったらどんな映画になるのか・・という期待を忘れずにいてもらって、次に『山歌』が上映されるその日を待っていただきたい。

 

朗読『源流への言葉』

4458声 人生が変わる黒ビール

2020年07月08日

狭い店内は、その隅々までを見ることができないくらい薄暗い。目を凝らすと、カウンターにも奥にも、所狭しと見たことのな缶ビールが並んでいる。

 

「人生が変わる黒ビールを、飲んでみますか?」

 

いやいやそんな大げさなと一応は思いつつ、高価なワイングラスに注がれたそのビールを口に含む。トロンとまるでビールではないような口当たり。ビターな甘みがあってすっきり後に残らないのは、チョコレートと唐辛子を含んでいるかららしい。

 

あの夜以降、僕は変わらない日々を過ごしているが、100人が飲んだら1人は人生を選び直すかもしれない。そんなビールを置いてあるのが、高崎、おきらく亭である。

4457声 アイリッシュ温泉

2020年07月07日

およそ10年ぶりに、高崎本町の「アイリッシュ温泉」を訪れた。友人たちと飲みに出て2軒目だった。温泉がつくからと行って、飲んだ後にひとっぷろ浴びていくか!ではない(飲酒後の入浴はお控えください)。ここは言うなればバーなのだ。温泉はない。

 

10年前と見た目が変わらない、ダンディーなマスターが迎えてくれた。この店はとても居心地が良くて、昔高崎の大学に通っていた店の常連が、卒業し東京へ出て何年も経ったあとにふと、高崎のこの店までわざわざ訪れることもあるのだそうだ。そういう飲み屋があり続ける事は、とても大切なことのように思えた。

 

10年前に連れてきたもらったM木氏とは、その時だったかそれ以前か、僕がM木氏は大きな仕事をしていてすごい、みたいなことを言ったら「俺だって背伸びしてるんだよ」と返してくれたことが忘れられない。人間は多分、背伸びをしてはじめて、徐々に大きくなれるのかもしれない。

 

10年経って、横幅だけじゃなくて、少しは僕も背が伸びただろうか。

4456声 スキップ

2020年07月06日

いい大人4人でスキップをした。スキップなりえていたかは疑問だが、その時いろいろを忘れられていた。

4455声 ナンプラー

2020年07月05日

バーベキューで一番美味しかったのは、味付き肉をジュージュー炒め、キャベツと玉ねぎを足し炒め、そこに麺を入れて焼きそばとしたものだった。その味付けはソースではなく、ナンプラーとパクチー(チューブ)、生レモン果汁。つまりはタイ風。

 

カレーも、ミートソーススパゲティも、麻婆豆腐も我が家の食卓には昔からあったが、グリーンカレーやナシゴレン、パッタイはなかった。だから今でも、タイ料理を食べる時は「いままで使っていなかった何か」が開く気がする。と行ってもタイ料理やに足を運ぶことは稀なのだが、高崎の「二パー」はおいしいしランチは謎に「おかわり自由」だったりする。

 

サラーム海上さんの本など読むと、世界にはもっともっと数多くの料理があることを知らされる。自分の身は日本にいたままでも良いが、お口の中だけでももっと世界を味わってみたい。

4454声 山百合の香り

2020年07月04日

わーっと3人でおしかけ、バーベキューがはじまった。ぼんやりした家主を尻目に、あるものはチェーンソーで草刈りから始めている。もう1人は庭にあった3種類の花を刈り、花瓶に活けた。その花を見ながら食べるバーベキューは格別だった。

 

花の1つには、山百合が含まれた。山百合は中之条町の町花である。この時期、山を走れば山百合にでくわす。白い大輪の花に、赤い点が点々と打たれ、中央から先にかけて黄色い線が走る。見た目にも印象深い。が、僕がなにより好きなのはその香り。甘く、気高い香りがする。

 

今でもごく稀に新聞配達の代配を行うのだが、この時期の山百合と、秋の金木犀の香りはすぐにわかる。まだ日が昇らないまっくらな中にあっても「わたしはここよ」という存在感を、その香りによって示しているからだ。

4453声 枯れた紫陽花

2020年07月03日

どこもかしこも紫陽花の季節。若い時は紫陽花が目に入らなかった。いや、目にははいっても興味がないので素通りしていた。それで、ある程度年をとると紫陽花の良さがわかってくる。渋川市の有名な紫陽花公園なんかは、夕暮れちょうちんが灯る頃に行くととても風情がある(今年はライトアップされているのだろうか)。

 

しかし、枯れかけた紫陽花の良さがわかってこそ、真に大人なのかもしれない。みすぼらしい、と思っているうちはまだまだ。枯れかけた紫陽花に、何を重ねられるか。

4452声 頑張ります

2020年07月02日

仕事の幅が少し広がってきて、ずっと1人での仕事が多かった映像やデザインの仕事もチームを組んで行う件が増えてきた。先日は、八ッ場ダムの記録映像でチームを組んだ北軽井沢人(ベテランフォトグラファーのTさん&日本有数のキャンプ場を経営するFさん)と、高山村の観光パンフ制作でチームを組んだ高山村人(移住コーディネーターも務めるIさん&自分の田んぼももつフォトグラファーのMさん等)を合わせる機会を作った。

 

高山村は、僕も仕事で関わるまでは「沼田への通り道」程度で車を降りることもなかったのだけど、農と自然に沿った生活を楽しんでいる魅力的な人が多く、特に若者たちに元気がある。彼女らの希望で、北軽井沢で自然と生きる思想を掲げながら事業を広げている先輩たちに話を聞く会だったのだが、見学は充実し、Tさんの山小屋での夜の宴会も盛り上がった。北軽井沢人と高山村人、ともに真剣かつ楽しそうに語る姿を見て、あぁ僕の適職はやっぱり「お見合いおばちゃん」なのだろうなと確信した。

 

その日、僕だけがTさんの山小屋に泊まり、翌朝は僕が味噌汁を作ってTさんを起こした。泊まった日の恒例である。朝飯を食べながら、ふと僕の今の仕事の話になる。彼は興味本位ではなく、まるで息子の現状を確かめる親父のようにストレートに話をしてくれた(実際、僕は親父が死ぬまで仕事や金銭の話をストレートにしたことはなかった)。「今の年収は」「あの仕事の単価は」僕からも逆に、彼が最盛期だった時の年収などを聞いた。Tさんは東京の商業写真の第一線にいたとはいえ、僕と8倍近くの差があった。「それじゃあ、結婚もできんな」とTさんが呟く。「頑張ります」と返事するのも幼すぎる気がして、僕はその返事をせずに、昨晩のことに話を切り替えた。とは言え嫌な気分はなく、何も隠さず向き合えるので、僕はTさんとの時間がとても好きだったりする。

 

「また来ます」と別れを告げ、車に乗ってからようやく「頑張ります」と呟いた。

4451声 まだ遅くない

2020年07月01日

岡安です。前回の「めっかった群馬」担当月はひどいものだった。そもそも担当と気づかないまま3月が過ぎ、言われて急いで書いた。世の大半の人はそういう数ヶ月を過ごしたものと思うが、自分の3月の心境と今の心境にずいぶん隔たりがある。ふと、鈴木・堀澤・抜井の3名はこの数ヶ月をどう過ごしたのだろうかと読み進めてみた(4399声 母の日 は特に良かったので読んで欲しい)。

 

これを読んでいる方にとっては意外かもしれないが、僕自身はそれほど顔を合わせる皆さんではない(鈴木さん年平均3回、堀澤さん年平均4回、抜井さん年平均1回というところか)。がしかし、腐れ縁といっても良い程度の長い付き合いになったし、何よりこの場所では彼らの肉親以上に(彼らの肉親がこれを読んでいたら別だが)彼らの生活を見ている。時の流れも感じる。

 

僕からしてみたら随分大きな組織にいて独自の鋭さで仕事を切り抜けていた若者は文字の通りの中間管理職な立場でコロナ禍の新事業立ち上げに添い/知るひとぞ知るけれど客は多くなく(失礼)器用がゆえに1人でこなしていた料理人は人気クラフトビール職人となり従業員と共に残る道を探り/会社から帰れば多感の行き場をビールで流し込んでいた俳人志望の彼は次なる一句を求め選句を任されるまでの他が認める俳人となった

 

周りから見れば僕も僕で変わって見えるのかもしれないが・・この数ヶ月を経て実感したのは主に「自分の成長のなさ」だった。ステイホームの期間は大げさに「自分のこれからの人生を決める時間」にしたいと思いつつ、結果何もせぬまま日は過ぎて、むしろ世の中が動き出した6月の半ばからは「ちょっと待って!」という思いさえあった。だが「めっかった群馬」の3者の投稿を読み進めていくうちにそれは「一人でいることが長かったことによる幼がえり」でもあったのかもしれないと気付いた。精神的に人や社会に揉まれなかったからなぁ。3者は、それぞれの歩みではあるけれど、コロナ禍にあっても確かに進んでいた。少し、目が覚めた。そして、そういう友人がいることを嬉しく思った。

 

「まだ遅くない」。そう思い続けられるのは、あと何年だろうか。

4450声 鯉と水

2020年06月30日

小雨のち本降り。いつになく、ぐったりと帰宅した。そういう時ほど、俳句の中の世界に触れていたくなる。いま次の句集のことなども考えている。漠然とはしているが、決まっていることもある。どんなものになるか、句だけは練り上げたものにしたい。今日で六月も終わり。机の脇のカレンダーをめくると、七月の絵が現れた。前田青邨の「鯉」である。佳い絵だ。鯉と水の関係がいきいきしている。

4449声 アイスコーヒー

2020年06月29日

梅雨晴間の暑い一日で、体調芳しからず。ひねもすマスクでさらにぐったり。ネット句会用に句を揃え始める。いろいろと暮しを立て直したい。アイスコーヒーを飲みながら一息つき、夜半にこれを書いている。そういえば、「アイスコーヒー」は夏の季語で、数年前から夏場になるとアイスコーヒーで幾つも句を作っている。なかなかコレという句が出来ない。しかし、アイスコーヒーでコレという句を作ってみたいのである。何年かかっても作るつもりである。納得する句ができたら、アイスコーヒーで乾杯するつもりである。

4448声 小さな歯車

2020年06月28日

朝から雨、強く降っていた。昨晩飲みすぎたおかげで、リズムを崩す。なんだかくさくさした気持ちを払拭すべく、一切を放擲して九十九里へと車を走らせた。九十九里に着いたは良いものの、大規模な護岸工事をやっていて、浜はどこも立入禁止。ろくに海が見られなかった。仕方なし。多古町で、時季外れで萎びかけた紫陽花を見て帰ってきた。運転しすぎて腰が痛い。飲みすぎたり、食べ過ぎたり、車で馬鹿みたいに走ったり。体の中の奥底の小さな歯車が狂っているような気がする。