日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

1189声 生活の現像

2011年04月03日

「一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる」
ってな歌の文句ではないが、そのくらい、
腰を据えて取り組まないといけない。
そう感じているのが、私の句業である。

生活の中で俳句を作る時。
その句作の状況は、大きく二つに別れる。
季題が現像か、想像か、である。
現像というのが正しいか否か、怪しいところではあるが、
現実と言う意味も加味している。

季題の現像。
ってのは、読んで字の如く、実物の桜を観察して、桜の句を作る。
季題の想像。
ってのは、その反対に、過去に観た桜を想像して、桜の句を作る。

端的に言えば、どちらの状況でも、無理なく句が作れれば良い。
のだが、現在、私の場合、やはり現像を写生した句の方が、
「秀」となる事が多い。

先日も、先生に見てもらった句の中。
丸が付いているのは、全てと言っていいほど、現像を写生した句。
その中、「とりあえず代表句」てぇな、意外と好評だった句も、
現像の梅を、観察して作った句。
就寝前に、寝床の中でメモ帳に書き留めた句など、
ことごとく、駄句ばかりである。

その伝で行くと、この文章も、現像を前にした写生文の方が、
読者に対し、訴えかける文章が出来るかも知れない。
しかし、私のおぼろげな生活の現像自体が、
面白味のないものばかりである。
然るにやはり散文は、いささかの想像を交えつつ、創作がした方がよい。
と言う結論に達した、私の場合は、であるが。

【天候】
朝より曇り。
気温は昨日から大分下がり、冴え返る。
夕方には晴れるが、肌寒い一日。

1188声 水元公園散歩

2011年04月02日

葛飾区の水元公園。
てぇ名前だけは、知っていた。
映画「男はつらいよ」の劇中、何度も出て来る、ロケ地だからである。
自然豊かな水郷公園で、都内屈指の花菖蒲の名所としても、
名を馳せている。
この公園を、ほっつき歩いていたのは、今日の午後3時頃であった。

桜は、ソメイヨシノが2分咲といった具合なので、
花見客などは見当たらなかった。
公園となりにある、香取神社には、枝垂れ桜の老木があり、
満開に咲いていた。
そのお陰で、メモ帳に1、2句書き留めることができた。
肝心の花菖蒲は、この時期見る影もないが、
園内には春の花々が咲いており、春の色に彩られていた。

春休みなのであろう、沢山の子供たち。
皆、手に網とプラスチックの虫籠を持ち、水辺を走り回っている。
都内にも、子供が思いっきり遊べる公園が、やはり必要である。
と、感じた。
女の子の一群が集まっているので、近くに行って見ると、
網の中に、テナガエビが獲れていた。

香取神社の脇には、大人がひょいとひとまたぎ出来るほどの小川がある。
そこでは、親子連れや、地元のおじいちゃんなどが、短い竿に玉ウキをつけて、
釣りをしていた。
じっと見ていると、斜向かいのお父さんが、一匹、釣り上げた。
小さい、ハゼであった。
針から外すと、少し離れたところをあるいていた鷺の前へ、投げた。
それに気づくた鷺のくちばしは、地に着く前に、器用にそれを捉えた。
テナガエビにハゼ。
群馬とは随分と水辺の生き物が違うことを、実感した。

夕方になり、帰路につこうとした時に、地面がゆるやかに揺れた。
「余震が未だ続いている」
と感じ、少し不安になった。
周りに人にも、一瞬に、緊張が走っている様だった。
【天候】
終日、穏やかな快晴。
花粉、甚だ多し。

1187声 初花の誘い

2011年04月01日

「こっちこっち」
と、案内をされたのは、暗がりの幹。
差し出された指の先、屈んで顔を近づけてみると、あった。
初花が、である。

僅かに二輪ばかし、咲いていた。
この、前橋公園内の他のソメイヨシノは、未だ蕾を固く閉ざしている。
公園の隅に、少しばかり立ち並んでいる夜店屋台も、
骨組みだけを残している。

懐中電灯で照らし、慌てて句を引っ張り出そうと、その可憐な花弁を凝視。
無粋な私の見つめ方が、桜の花びらの機嫌を損ねた様で、
いささか、花の色が陰った様な気がした。
そんな調子なので、満足な句など出来やしない。

おまけに、集合時間を1時間しくじってしまい、
私に残された時間は、せいぜい30分。
30分で何とか数だけを揃えて、投句。
月例の句会も、折角、趣向を変えて、前橋公園へ夜桜吟行だと言うのに、
私の結果は勿論、惨憺たるものとなってしまった。

「いやはや、遅れました」
と、先生に挨拶した時、ふんわりと、夜風に漂って来たのは、酒の香り。
寒さしのぎに、コップ酒でも飲んでいらしたのだろう。
花見の匂いだな、と思った。

【天候】
終日、穏やかな快晴。
計画停電も今週は見送り。
花粉の飛散量は多いけれど、駘蕩とした空気。

1186声 春の職員室

2011年03月31日

日増しに、気温が暖かくなっている。
計画停電の実施見送りも続き、且つ、
春休み期間と言う事も有り、巷には駘蕩とした空気感が漂っている。

昨日は、自分の出身学校へ行く用事があった。
仕事であるが、行く日を、いささか楽しみにしていた。
玄関から入り、ぺったんこの来客用スリッパをつっかけて、
廊下を歩いてみた。
建物は変わっていないのだが、やはり、当時より随分と狭く感じた。
静まり返っている廊下から、校庭の桜並木が見えたが、
未だ桜は咲いていなかった。
芭蕉の句。

「さまざまのこと思ひ出す桜かな」

まさに、そんな趣がであった。

職員室の脇に、山村暮鳥の詩が掲示してあった。
その昔、山村暮鳥が代用教員を勤めていた学校なのである。
在学当時は、「ぼちょー」と言われても、
その語感の面白さしか残らなかったが、
青年になってから、この同郷の詩人の作品に、感銘を受けた。
日当たりの悪い、壁の隅っこに掲示してある暮鳥の詩を、
卒業した後、読み返しに来る子供がいるかも知れない。
そう言う光景が、連想された。

職員室の扉を、ゆっくりと開けた。
その「ガラガラッ」と、引いて開ける扉の音と手の感覚が、
小学生時分を鮮明に、思い起こさせた。
私の在学当時は、職員室の扉を開けると、いつも、
煙草の紫煙が渦巻いていた。
出て来たのは、煙草の紫煙ではなく、
私よりも随分と年若な、女性の先生だった。
扉を開ける際、反射的に、「しつれいします」と、大きな声が出た。
教育ってのは、体の奥底に染み込んでいるものである。
今時分の先生方の服装ってのも、随分とお洒落になったと、感じた。

【天候】
終日、快晴。
午後より風強く雲多し。

1185声 その日に向かって

2011年03月30日

「泣いた」

と言う人が多いのは、昨夜、
サッカーの東日本大震災復興支援チャリティーマッチが、開催されたから。
日本代表対Jリーグ選抜の試合において、交代出場のカズが見事、
ゴールを決めたから、である。

私の場合。
今まさに絶頂の、花粉症諸症状による、眼のかゆみと鼻水に、泣かされていた。
しかし、少年時代より、カズの試合を観て来た世代として、
昨夜のゴールは、感慨深かった。
そして、世代間の溝が、印象的に感じたのは、先日開催された、
第83回選抜高校野球開会式の、選手宣誓。

宣誓したのは、創志学園の野山慎介主将。
その始まりの言葉が、とても、残った。

「宣誓。私たちは16年前、阪神淡路大震災の年に生まれました。」

と、始まって行くのだが、あの、阪神淡路大震災の年に生まれた子が、
もう高校球児になったのか。
などと、深い印象の後に、小波の様な感慨がやって来た。

その伝で行くと、この東日本大震災の年に生まれ出たる子たち。
その中にも、16年後の将来、甲子園の土を踏むべく、球児となり、
日々奮闘して行く子がいるだろう。
そして、どこかの高校の主将の、何某君が、壇上で、宣誓するだろう。

「宣誓。私たちは16年前、東日本大震災の年に生まれました。」

その世代が輝く日は、必ず来る。
その輝ける世代を、テレビで観る日が、私にも今のところ、
一応、来る予定のつもりでいる。
その日に向かって、進まねばならぬ。

【天候】
日中、快晴。
夕方より、曇り、一時、小雨がぱらつく。

1184声 いのちとさくら

2011年03月29日

春風駘蕩。
とはまさに、こんな穏やかな日の午後を、言うのだろう。
今日で、首都圏の梅の蕾も、大分、綻んだらしい。
ソメイヨシノの桜前線が北上し、群馬に到達するまで、もう秒読みである。

県内外でも、桜の時期に関する祭りは、軒並み中止。
いつもなら、この時期。
ブルーシートで場所取りに勤しむ人たちが、風物詩となっている、
上野公園でも、今年は、その姿がめっきり見られない。
と言う報道を、ラジオで耳にした。

芭蕉の句に、

命二つの中に生たる櫻哉

がある。
命のあることの、喜びを、尊さを、感じるのは、他でもない。
命ある、私たちである。
桜の下で、節度を持って一杯やりながら、それを噛み締めたって、
バチ当たりではない筈。

【天候】
終日、穏やかな快晴。
昨日に続き、気温も暖かく、計画停電もまた、回避。

1183声 生活の中の一杯

2011年03月28日

「回避」
と、市役所一階の立て看板に大きく書かれていたので、
今日の計画停電が、見送られた事を知った。
停電しないのは、何かと都合がよいのだが、
他の地域では計画停電が実施されているので、
喜んでもいられない。
喜んでいられないが、やはり、停電が無いと安心できる。

今日は、気温がたいぶ暖かだったので、暖房器具の需要が減り、
東京電力の供給能力で間にあったらしい。
冷暖房器具と言うのは、それ程、電力消費が激しい。
と言う事が、分かった。

日中は、シャツ一枚に薄いジャケット。
と言う、所謂、春の装いで、快適なくらい。
こう暖かくなってくると、ぼちぼち、五臓六腑が求める始める。
麦酒を、である。
然るべきところで飲めば、年中、美味い麦酒が飲めるのだが、
今時期、つまり春くらいが、丁度頃合いがよいではないかと思う。

麦酒と言えば、一般に、夏の炎天下。
と言うイメージであろう。
その時期に飲む麦酒も、確かに、格別。
なのだが、グラスごとキンキンに冷やしてしまっている店が、
続出するのも、この時期。
冷やしすぎると、味を損なう。
のだが、私は、殊更、冷やし過ぎ麦酒には否定的でも無い。
凍ってしまっているのは、駄目だが。

兎も角、もう時期、麦酒の美味い時期が到来する。
先日、仙台市に住む親戚から電話があり、生活状況を聞いた。
やはり、明らかに、関東地方よりも、ガソリンや寝食の物資、
そして生活必需品が不足している。
麦酒など、嗜好品の状況は、いささか不謹慎かと思って聞かなかった。

しかし、もし不足しているのなら、
救援物資の中に美味い酒も入れてあげたい。
被災された方も、復興支援に尽力している方も、
被災地生活の一日を終えて、寝る前の晩酌。
美味い麦酒を飲んで、「不謹慎だな」と言うよりも。
「この一杯の為に生きてるんだな」
と言う方が、きっと、良い筈。

【天候】
終日、快晴。
暖かな一日だが、朝晩はまだ冷える。

1182声 染まりあう、青

2011年03月27日

縄暖簾のカウンター。
明らかに、発泡酒と思しき、生ビール。
明らかに、低級酒と思しき、冷酒に熱燗。
そんな事より何より、大将の人柄と、焼き鳥が美味いので、
この店に通っている。
こんな場末の飲み屋でも、会話の転ぶ先は、大震災の話。

アルコールの酔いが心地好いのは、
それまで張り詰めていた神経が、鈍化しするから。
たまには(たまにならよいのだが)、神経だって休ませなければ、
疲弊してゆく一方である。
神経が鈍化するのは良いのだが、当然、複雑な脳神経において、
様々な不協和音をきたす。
例えば、満腹中枢の機能不全が起こり、さんざん飲み食いした揚句、
ラーメンなどを「締め」などと称して、啜ってしまう。

そして今朝、その安酒と暴飲暴食のツケが、一気にまわってきた。
寝床で呻吟しながら、甘んじて我が体内機能がツケを返してゆく。
あらかたツケを返し終わったところで、寝床から這い出し、
気分転換に外へ出てみた。
庭先の木々の蕾も、大部膨らんでおり、春爛漫の時期を近く感じた。
その根元には、寄り添う様に咲いている、おおいぬにふぐり。
俳句のひとつでも、と思い、しゃがみ込んで、しばし眺めていた。
しかし、昨夜の鈍化がまだ色濃く残っている様で、浮かぶのは駄句ばかり。
あきらめて、自転車で散歩に出掛けた。
空の青色と、おおいぬのふぐりの青色とが、脳内で、爽やかに染まりあった。

【天候】
終日、快晴。
午後より、狂える如き風、吹き荒れる。

1181声 東向きの窓

2011年03月26日

自室の、東向きの窓の下に、机がある。
机の上は、ノートパソコンが一台と、不要な物で溢れかえっている。
天気が好くて、暇な日は、日がなぼんやりと、この机に頬杖をついて、
硝子窓の空を見ている。

青空は、雲が浮かんでいる時もあるし、雲一つ無く、真っ青な時もある。
一日の中で、常に移ろい行く。
空を眺めていて、雲があった方が、眺めやすい。
雲一つ無い真っ青な空、と言うのは、なんだか焦点が彼方へ吸い込まれて行くようで、
眺めていると、いささか目が疲れる。

口を半開きにして、空を眺めていても仕様が無いので、積んである本をひとつ手に取る。
「アサヒグラフ増刊1985年4月1日号」
グラフ雑誌の衰退甚だしい現代からしてみれば、いささか感慨深い雑誌である。
先日、古本屋で買ったのだが、購入の動機は、「昭和俳句六十年」と言う特集だったから。
そう、1985年は、昭和も数える事60年。

その特集内容は、驚くほど豪華。
まず、橋本照嵩氏が撮影した、「現代俳人群像」。
山口誓子から始まって、楸邨、青邨、青畝から、林信子までが、
その「現代俳人」としての生活を、氏によって活写されている。
次に、座談会。
このメンバーがまた、井伏鱒二、飯田龍太、河盛好蔵、永井龍男と言う、競演である。
そしてとどめに、桑原武夫による「再説・第二芸術論」。
もはや、脅威なる内容の充実ぶりである。
当時、発売されたこの雑誌を熱心に読んでいた若人の中から、
現在活躍している、「現代俳人」が幾人も生まれたのだろう。
そして、裏表紙には、日産自動車の広告。
これまた、渋いセドリックが載っている。

頁を閉じて窓に目をやる。
空の底に沈殿している、紫色の夕日。
遠くの空に、影絵のような雲がひとつ浮かんでいる。

【天候】
終日、風強くも快晴の一日。

1180声 茫洋たる海原

2011年03月25日

そう言えば。
昨日は、誕生日。
さりとて、別段に嬉しからず、ちと、陰鬱な心持ちにさえなる。
残すところあと1年となってしまった、20代の間に、
自らが、何を成し遂げられたのか。
遠くに、「目的」らしきものが浮かんでいるが、
それを「目標」と定めるには、甚だ、前途茫洋としている。
我が世界、視界360度、おぼろげな景色の中にある。
この茫洋たる海原にいて、漕げど一向に灯台の光へ近付かぬ、焦燥。

今日、ひとつの光景を、見た。
郊外にある、昼時の静かな町役場。
入口脇には、先週から設けられた、東日本大震災義援金受付。
その小さな受付に、杖をついた、小さな初老のご婦人がひとり、来た。
受付の女性の前まで来ると、軽く会釈をし、
カーディガンのポケットから差し出した、茶封筒。
そしてまた、にこやかに会釈すると、杖を運ばせながら、
自動ドアーから、出て行く。

自分が何をしたいのか。
自分が何をするべきなのか。
んなこたぁ、とりあえず横っちょへ置いて、兎も角。
健やかなる、行動。
それに尽きる。

【天候】
終日、曇りがち。
時折、小雨が交じる薄ら寒い日。

1179声 いま、日本が、ちょっとうれしい事

2011年03月24日

やはり、少しは関係があるのか、と思った。
今日の追加注文を受けての感想が、である。

東日本大震災下の日本。
特に、東京電力による電力供給を受けている関東地方においては、
計画停電が長期化する見込みが報道されている。
福島第一原発の復旧状況が、日々、綱渡りの状態なので、無理もない。
つまり、ちょっと電力不足、と言う話。

じゃあ、ってんで、計画停電を輪番で実施している訳だが、
目下の状況、日々の「節電」は必須であろう。
節電、ったって、何も、家でローソクの火を見つめていなくともよい。
楽しく、気持好く、節電する方法が、ある。
それは、街中にある。
目印は、煙突と暖簾。
そう、古きよき、銭湯なのである。

「あなたが銭湯にくると、地球はちょっとうれしい」
てぇポスターを、銭湯へ出掛けた事がある方なら、
覚えているかも知れない。
主に、CO2削減を謳った内容だが、今となれば、
節電にも大いに役立つと言えよう。
「ちょっと」と言う、控え目な、日本的な心遣いが、粋である。

「あなたが銭湯にくると、日本社会はちょっとうれしい」
と言う状況になっている、と思う。
例えば、近所に銭湯を有する住宅街、もしくは集合住宅の人たちが、
銭湯を利用する。
単純に考えて、皆でひとつの風呂に入る訳なので、
大いに、節電に貢献できる。

それに気付いた群馬県在住の方が、
「じゃあ、銭湯でも行ってみるか」
ってぇんで、近所の書店で拙著を買ってくれたのでは、あるまいか。
などと、部屋に山と積まれた在庫本を眺めつつ、
今日の追加注文を思っていた。

あなたが銭湯にくると、私のような銭湯好きと、
銭湯の親父さんと女将さんだって、ちょっとうれしい。
さて、明日、紀伊国屋書店の前橋店に持ってゆく本を、見繕うとしよう。
そして、帰りに銭湯へ寄って来ようかな。

【天候】
終日、快晴。
午後から風強く、薄ら寒い一日。

1178声 暗闇の三味線

2011年03月23日

計画停電下、暗闇の中での、夕食となった。
夕食を終え、暖房器具もない部屋は、凍てている。
外に行くにも、今宵は風が吹き荒れているので、
とても出掛ける気にはならない。

じゃあ、電力が無くともできること。
埃をかぶっている三味線のケースを開け、撥で弾いてみたが、
真っ暗闇の中で聞こえる三味線の音と言うのは、不気味である。
直ぐにしまって、横に置いてある、アコースティックギターに転向した。
しかし、指がかじかんで、どうも思う様に弾けない。
そうこうしている間、寒さに耐えかね、そのまま、ギターも止めて、
寝床にもぐり込んでしまった。

寝床の中。
懐中電灯で照らしつつ、本を読んでいた。
ほの灯り読む文章は、いつになく、集中して読む事ができた。
集中するのは良いが、目が悪くなると思った。

停電からおよそ二時間後。
突如として、部屋が明るくなった。
真っ先に、電気ストーブのコンセントさした。
電力が戻ったが、どういうわけか、なかなか、
パソコンがインターネットに繋がらなかった。
そのままにして、今度は、寝床で寝てしまった。
そうして、朝、寒い部屋でこれを書いている。

【天候】
終日、晴れ。
午後、風強し。
計画停電、およそ6時40分~8時20分まで。

1177声 赤い明滅

2011年03月22日

そう言えば。
と思って、携帯電話をとり、メールを一通、送信した。
数分後の返信を読むと、予感は見事に的中していた。

メールの相手は、友人のH氏。
H氏が、その豊富な職業経験の中、原発で働いていた期間がある事を、
昨夜ふと思い出した。
今回のメールから、その原発とは、福島第一原発の一号機、
だった事が分かった。
今回の震災の報道を目に、耳にする度、心痛めている。
と、H氏のメール文面に記してある。
住んでいた土地なので、尚更の事だろう。
心優しく純情なH氏の性格を思うと、私も、及ばずながら、
心苦しい心持になる。

そのメール文面の終いには、被災孤児の受け入れに登録した。
と言う旨が記してあった。
H氏は、昔からいつも、素晴らしい事をさらりとやってしまう。

それを思うと、机の前で、鼻水と一緒に麦酒などを啜っている私の、
なんと、卑小なこと。
千円札を勘定しながら、小銭を募金箱に入れている私の、なんと。
そうは書きつつも、心の奥底。
自己弁護や自己正当化に関する屁理屈を、
隈なく、抜け目なく、探している。
そして、その屁理屈で持って、自己を肯定して、一杯やっている。

窓を開けると、雨上がりの湿った夜風。
動いているのは、遠く夜空に明滅している、赤い光だけ。

【天候】
朝から雨。
午後には上がり、終日、曇天。

1176声 心地好い、揺れ

2011年03月21日

次の列車まで、丁度、2時間。
何時まで見つめていても、自動改札機の上にある、電光掲示板の数字。
こちら側の意を汲んでくれる気配もなし。

じゃあ、バスだ。
てぇんで、新前橋駅を飛び出して、駅前ロータリーに停車していたバスに、
闇雲に飛び込む。
バスは前橋駅に到着して、人気の無い、前橋駅前で仕切り直し。
目指すは伊勢崎駅前なのだが、バスも電車も、やはり2時間後。
おそらく、目指すべき場所で、聞くべきはずの、歌は歌われているだろう。
憔悴しきって、やがて、やけっぱちになって、駅前の居酒屋で、
悔恨の念に潰されそうになりながら、時間を潰していた。

地震の影響で、両毛線の間引き運転。
その情報を掴めなかった私に、非がある。
前日、高崎線で都内へ出掛けていたので、その感覚でいた事が原因。
都内も、節電していて灯りが少なく、おまけに人出は随分と少なく、
いつになく落ち着いた雰囲気だった。
そんな折、上野公園では、寒桜が咲いており、着実に訪れている春を感じた。

2時間経って、席を立って、千鳥足を急がせた。
ほのじへ着くと、やや宴もたけなわに近づきつつあったが、
今日は、キャンドルナイト。
ともし火揺らぐ薄暗い店内、隅っこの席へ紛れ込んで、缶麦酒をあけた。
幸いにして、いや、とてもありがたい配慮で、歌も聞けた。
いいものはすべからく、圧倒的である。
結局、その日は帰れず、と言うか、途中で自ら、
時間感覚など放擲して、飲みかつ話し込んでいた。

翌朝起きて、金の勘定。
勿論、昨夜集まった東日本大震災義援金の、である。
かなり、まとまった金額が集まっており、いささか驚くと共に、
伊勢崎の人たちの素晴らしさを、思った。

また、時刻も疎らな電車に乗って、どうにか帰路に着いた。
なんだか、まだ、昨夜から、胸の奥底が揺れているような心持がする。
余震が続く、大地の揺れは、心地悪い、揺れ。
私と同世代の彼と彼女の歌の、振動による揺れは、心地好い、揺れ。

【天候】
朝は雨が残るが、次第に回復。
終日、煙の充満するかの如き、曇り空。

1175声 日曜日の雨

2011年03月20日

降りだして来てしまった。
日曜日の午後の雨と言うのも、なんだか気分が萎える。
重たい春の曇天。
その下に広がっている街は、いつになく、閑かである。

しかし、こんな気分を打ち払って、出掛けねばならぬ。
計画停電の影響で、列車の運行状況も著しく間引き運転している。
と言う情報は分かっているで、今から電車に乗るのが不安である。
新前橋駅から乗って伊勢崎駅まで。
運行時刻がどうなっているのか。
そして、ここで心境を実況報告していても、仕様が無い。
さて、もう午後5時を過ぎてしまった。

窓から見える、向こうの家。
マンションの2階。
その中の、ひと部屋。
干してある、Tシャツが、ときおり揺れている。
雨。
だというのに。

【天候】
午前中薄曇り、夕方から雨。

1174声 エンターテイメントのちから

2011年03月19日

軒並み中止。
春に予定されていたイベントが、である。
そんな折の明日、料理工房「ほのじ」でチャリティーイベントが開催される。
当日の売り上げ金の半分を、東北関東大震災の義援金として寄付。
ってぇことなのだが、やる人もくる人も、大いに楽しもう。
ってな塩梅になるだろう。

部屋を暗くして、家で逼塞しているばかりが、状況を好転させるとは限らない。
現在、確かに布団で寝れない人たちが、沢山いる。
笑いたくとも笑えない状況下にいる人たちが、沢山いる。
そして、ここには、布団で寝て、毎日適度に笑っている、私たちがいる。
では、私たちも、同じ境遇を受けるべきが正しい、とは思わない。
むしろ、間違っているとも、思う。

時には集まって、麦酒を飲んで、歌って、そして、
私たちにやれるべき事をする。
地震から丸一週間。
未だ不安材料が山積している。
しかし、こんな時こそ、ある種のエンターテイメントが必要なのでは。
とも、思っている。

【天候】
風強くも、終日晴れ。

1173声 魔物の類

2011年03月18日

計画停電になり、家で座していても寒いだけなので、
外へ散歩に出掛けた。

午後7時。
裏の田圃へ出いてみると、遠くに灯が見える。
遥かなあの紅い光の明滅は、おそらく、山裾の鉄塔群。
手前に見える大型ショッピングセンターは、どうやら、電源あるらしく、
微弱な光で営業している模様。
車の光が、次々に吸い込まれて行く。

今宵はほぼ満月。
朧月夜と言った風情である。
町の灯が消えている所為か、潤む様な星の瞬きが綺麗に見える。
俳句を詠むには、電力を必要としないので、吟行の心持で出掛けたが、
何せ寒い。
おまけに、花粉症で、目も鼻もぐずぐずな状態。
とても詠める状態になく、一句もメモ帳に書かず、
闇雲に真っ暗な田圃の畦を歩き回って、帰宅した。

時計を覗く。
およそ、1時間半も歩き回っていたらしい。
家の中も、真っ暗な世界。
しかし、住居の中、と言うだけで安心できる。
さっきまでの、田圃の真中にいた時は、暗闇が疑心暗鬼にさせるので、弱る。
遠くの深い闇の中から、獰猛な大型犬の如き、魔物の類が出てきて、
追いかけられたら。
などと、よからぬ妄想が膨らんで行く。
幸い、魔物の類には出くわさずに帰れた。

家のドアを開ける頃には、月は大部、天心に近づいており、
その周りに、大きな光の輪が出来ていた。
そうこうしている間に、停電が終了し、音もなく、部屋が明るくなった。

【天候】
終日、晴れ。
夕方より雲多し。
計画停電、午後6時40頃から午後8時40分頃まで有り。

1172声 いまできること

2011年03月17日

「こっちは大丈夫だよ」
と、私は電話口で答えた。
電話の主は、県外に住む友人。
群馬県の被災状況を気遣って、数年ぶりに電話をかけて来てくれた。
懐かしい再会。
本来なら、そう言う感覚だろうが、積もる話も地震で崩れ、
今は只、安否が気になる。
数年前、東北地方へ転勤して行った、共通の友人の、である。

その友人、何かの理由で携帯電話を変更したらしく、
お互いに新たな電話番号を知らない。
連絡する術は、唯一、この携帯電話の番号のみ。
つまり、住所も、固定電話の番号も、知らないのである。
携帯電話に頼った友人関係の希薄さを、改めて感じた。

そして、被災地。
依然として、状況は好転していない。
しかし、好転させようと、被災地で支援活動にあたっている人たちは、
全身全霊で活動している。
今朝から、一日の中で目にした各報道で、そう感じた。

自分にできること。
それを、部屋で考えていた。
部屋は寒い、しかし、電気ストーブが付いているので、
極寒と言うほどでもない。
今夜の東北地方は、最低気温が氷点下らしい。
ストーブを切り、パソコンを落とし、電気を消して、寝る。
節電も、できることのひとつ。

さて。
窓から聞こえる、救急車のサイレンが、
徐々に徐々に、遠くに消えゆく。

【天候】
終日、快晴。
気温はあまり上がらず、計画停電、午前午後2回あり。