日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

493声 では、ないか

2009年05月07日

なんと、この日刊「鶴のひとこえ」も、本日で493声を数えるではないか。
となると、100声毎の記念特別企画が目前に迫っているではないか。
しかし、まだ企画内容が何も決まっていないではないか。
これは、非常に不味い事態ではないか。
反復が、一寸しつこいではないか。
もう、止めても良いではないか。
あっ、出羽内科。

何て、ギャグを考えてる場合ではないか。
企画内容を、早急に考えないといけないではないか。
企画自体を、後7日で煮詰め、実行せねばならないではないか。
何時もの事ながら、その企画を発表したところで、自らに利はないではないか。
いや、それでも良いではないか。
いつか、良い事があるのではないか。

例えば、場末の繁華街に、小料理屋が在るとするではないか。
ふらりと入ったカウンターに、眼元涼やかな、
和服美人女将がいるとするではないか。
注文した瓶麦酒と、小鉢に入ったホタルイカの沖漬のつき出しを、
透通る様に白い細腕で、出してくれるとするではないか。
そして、これまた透通る様な声で、
「先日の、鶴のひとこえ500記念特別企画、面白かったです」
と、言ってくれるとするではないか。
いや、例えば、の話ではないか。
でも、若しかしたら、いつかそんな夜が来るのでは。
無いか。

492声 観光手ぬぐい自慢

2009年05月06日

終日曇天、粛々と小雨が降っていた。
白く煙っている空からは、雲雀の囀りが聞こえ、
湿っぽく鬱積した気分を、幾らか紛らわせてくれる。

昨日迄の旅荷を整理したが、3泊4日で購入した手ぬぐいの数は5枚。
1日1枚以上買っている計算。
路地裏銭湯記を記する様になってから、
銭湯での入浴道具である手ぬぐいを、良く買う。

観光地へ行った際、土産物店で土産物を選ぶのだが、いつも迷う。
値段安く、嵩張らず、それでいて、重宝する物。
丁度良い物として手に取る品は、自然と手ぬぐいになる。
銭湯へ頻繁に行くから、幾つ有っても邪魔にならないだろう、
と言う算段である。
この観光地で売っているてぬぐい、謂わば観光手ぬぐいも、
幾つか比較すると興味深い。

まず値段。
各観光地、各店舗によって差が激しい。
1枚800円の物もあれば、1枚300円の物迄、様々。
多色刷りや単色刷りだけの違いでは無く、図柄による変化が大きい様子。
そして、売っている店舗。
各地の観光協会や、各施設で売っている観光手ぬぐいもあれば、
土産物店や、洋品店、独自で製作した観光手ぬぐいもある。
手拭いに描かれた絵は一つの観光だが、その図柄は多彩である。

お気に入りの観光手ぬぐいを持って、
手ぬぐい自慢と言う心持で、銭湯へ行くのも楽しい。
思えば、銭湯に描かれている、富士山や山間の風景のペンキ画も、
鬱積した気分を晴々とさせてくれる。
銭湯にはいつも、清々しい青空がある。

491声 瓶詰め野沢菜と旅の思い出

2009年05月05日

北国街道を上り、辿り着いたのは、信州上田の海野宿。
養蚕で栄えた宿場の街並みは、江戸、明治の風情を現代に伝えている。
舗装されていない往来の脇には、大きな木格子が特徴的な旅籠や、
軒先に風格ある卯建が張り出した商家などが並ぶ。
店先には、石垣の用水路に清流が流れ、隔てて並ぶ街路灯と柳並木が、
宿場時代を演出している。

一軒の硝子細工の商家へ入った。
一階が硝子細工、二階が茶屋の商い。
硝子細工は裏手に在る工房で、茶屋の食器も硝子細工で統一。
古民家を改装し、再活用させるのもまた、文化になって行く。
主人に伺うと、養蚕農家が多かった海野宿の中でも、
この民家は養蚕をやっていなかったので、劣化が少なく残されていたとの事。
なんでも、養蚕業の行程で使う火が、屋根裏を煤けさせてしまうらしい。
養蚕業が盛んだった上州との共通点。
殖産興業華やかなりし、明治時代の活気に想いを馳せる。

宿場を後に、小諸、佐久、碓氷峠を越えて、帰郷。
野沢菜と麦酒で一杯やりつつ、雨降りの夜半に記す。

490声 松本城下より

2009年05月04日

善光寺で3時間。
松本城で2時間。
赤提灯で足を休めつつ。
喧騒の信濃路は暮れる。

488声 鶴に引かれて善光寺参り

2009年05月02日

遊山旅行中にて、以降数日、旅先から更新しようと思う。
電子メールの届かぬ山中に迷い込んだ場合は、ご容赦。
無事、善光寺まで辿り着けるか不安であるが、一寸行って見る。

489声 湯田中温泉より

2009年05月02日

本日旅先に在り。
長野県は湯田中温泉郷。
古旅館の脇で呆然と佇んでいる。
明日は善光寺参りに出掛けようかと、算段を立てているのだが、
果たして、御開帳混雑を抜けて辿りつけるのやら。
やれやれ。

菖蒲湯の 看板が立つ 暮れ湯宿

487声 夕食時に夏を感じる

2009年05月01日

5月初日の本日は、夏日だった。
本日、前橋地方が最高気温27.8℃を観測した事もあり、
日中は濃い日差しが降り注いだ。
腕まくりで過ごす気候だった事もあるが、私が何よりも夏日を実感したのは、
先程の夕食時である。

いつもの様に夕食を食べながら、点いているTVを、
見るとも見ないともせずに、ぼんやり味噌汁を啜っていた。
騒々しく画面が切り替わって、TVCFが流れる。
思わず、「もう、そんな季節か」と、一寸箸を止めた。
そのCFは、蚊取り線香と素麺であった。

5月1日からの契約なのだろうか、
夏を意識させるCFが、ながら見しているTVで目に付く。
それにしても近年は、随分と夏の前倒しが顕著である。
全世界的な温暖化の影響だろうけれど、GWに蚊取り線香とは、
今年の猛暑が懸念される。

そして、TVに映る涼やかな素麺が美味そうである。
TVに次々と映し出される夏の風物詩を見ながら、冷えた麦酒を一口。
やはり我喉より伝わる感覚が、夏の到来を何よりも実感させる。

486声 路地に我在り

2009年04月30日

人波を掻き分け。
と言う言葉通り、昨日の伊勢崎市緑町路地には、
人が波の如く押し寄せていた。

路地に人在り。
押し寄せる波の如く。
路地に物在り。
往来に並ぶ芸術作品。
路地に光在り。
溢れる子供等の笑顔。
路地に幸在り。

485声 昭和晴れ

2009年04月29日

昭和の日の本日。
決まって快晴である。
少なくとも、2007年からの3年間は、雲一つなき五月晴れ。
晴れは、街に光が満ちる。
晴れは、力が満ちてくるのだ。

484声 御開帳

2009年04月28日

黄金週間だってんで、慌てて宿なんぞを見繕っているけれども駄目。
温泉場と言う温泉場、宿場と言う宿場。
もう、予約で一杯。
鄙びた木賃宿まで満室ってんだから、
今年は余程、家に居つかない人達ばかり。
特に、今年が七年に一度の御開帳である、
善光寺付近なんぞは、旅客の過密を極めている。
人を観に行くようなものだと、思いつつも、
七年に一度の人を、観に行こうかと考えている。

483声 新緑の渓谷

2009年04月27日

今日は、都市で生活している人に向けて書こうかと思う。
普段はあまりこう言った文体(です・ます調)、では書かないのだけれど、
偶には気分を変えて。

都市で生活していると、季節の足音に気付かずに日日を送っている人も多い筈です。
私たちが、一年365日の道程を走っているならば、季節も共に走っています。
季節の方が先にゴールしたり、遅れたりと言う事は無く、常に私たちと並走しています。
それに気付くのは、都市では無く、矢張り自然の中にいる時です。

私は今日、群馬県の最西毛地域である上野村へ出掛けました。
高崎市から安中市を通って富岡市へ抜け、下仁田町を南牧村へ進むと、
漸く上野村です。
車で片道、所要1時間半程掛りました。
湯の沢トンネルが開通してからは、随分と交通の便が良くなり、
東京から下仁田ICを利用して、多くの日帰り観光客が訪れています。

小春日和ですが、日差しの注いでいない場所へ行くと、まだ寒く感じます。
季節の移りきらない、四月末の気候は、ひんやりと爽やかです。
上野村へ入ると、折り重なる雄大な山並の中に在る事を実感します。
山肌には新緑が活き活きと茂り、濃い緑薄い緑が不規則に混ざり合っています。
その思わず息を飲んでしまう自然美は、私の言葉足らずの描写より、
読者の豊かな想像力に任せる方が賢明かと思います。

折り重なる山の間には、細く滔々と流れる清流があります。
河原には日光が満ち、水面に乱反射する光が眩しく感じます。
時折吹く風が、渓谷の新緑の梢を揺らし、溢れる光を撫でさせていました。
私は橋の上に足を止め、その山景を見下ろしていました。
欄干に肘を付いて眺めていると、雀が2.3羽舞い集まって、
欄干の上へ気まぐれに止まりました。
一台の車が猛スピードで橋に差し掛かると、雀たちは舞い散って、
眩しい光の中に消えて行きました。

482声 夕景の17音

2009年04月26日

風の強い日は、決まって夕焼けが綺麗だ。
今日も、茜色の光が急ぎ足で行く千切れ雲に映り、
野面の緑に落ちている。
山は深い群青色になり、やがて夜を迎える。

日中、「土屋文明記念文学館」で開催中の企画展、
「村上鬼城〜その生涯と作品〜」を観覧した。
鬼城の作品は見知っていたが、展示品の直筆書簡や、
使用していた煙管、筆記具、補聴器袋などを見て、
改めて鬼城の存在感を掴めた。
俳人の詩は、郷土から生まれた。
その17音の詩が、心を潤す。

481声 傾斜

2009年04月25日

しっとりと、終日雨。
今年は菜種梅雨が見られず、好天の日が続いている。
今日の雨は、季節を足踏みさせる様な、冷たい雨だった。

榛名山と赤城山の麓に位置しているこの街は、
高崎市街地へ向かって、街全体が緩やかに傾斜している。
旧街道は、夕方になるといつも渋滞し、信号待ちの長い車列が出来る。
鉛色の雲が垂れた空には、夜の気配が濃くなっており、
前照灯を点けた車が目立つ。

十字路の信号が、青に変わるのを待っていた。
運転席前の硝子で、断続的にワイパーが動いてる。
街道沿いの古ぼけた小さなバス停に、
黒いオーバーを着た老爺が独り、座っているのが見えた。

480声 心象スケッチ

2009年04月24日

八重桜 さざめきの下 風一路

479声 風雲

2009年04月23日

起床して、洗面所の鏡面の前に立つ。
北向きの硝子窓を開けると、榛名山と赤城山が在る。
青空には、千切れた雲が幾つか流れて行く。
今日も、風の強い一日になる。
と思って、窓を閉めた。
風の強い日は、赤城の裾野がはっきりとした輪郭で見える。

478声 白い調理服

2009年04月22日

ラーメンを啜る音が、店に響く。
顔を上げて、もう一度、静かな店内を見渡す。
やはり、いつもより広く感じる。

「暇だよ」
と、欠伸を噛み殺して厨房から歩いて来たのは、幼馴染の友人である。
友人は、工業団地に位置している、この定食屋の倅。
そう遠くない将来、二代目として店を切り盛りして行く筈の男だ。

「あぁ、工場が週休3日になったんだって」
私も、この工業団地にも漏れなく、不況の煽りが来ている事は知っている。
「そー、六月からさー、4日になるトコあるらしーんだってー」
コシのあるラーメンを茹でているくせに、声音には腰が入っていない。
「4日かよ」
週に、休んでいる日の方が多い計算。
「4日は、良いなぁ」
などと、私などは怠惰かつ能天気人間なので、率直な感想を述べてしまった。
「良くねぇよ、良くねぇ、良くねぇ」
溜息と共に、煙草の煙を吐き出す友人。
いつも着ている白い調理服が、今日はいつにもまして、白い。

昼時、時刻は12時30分。
いつもなら、作業服の男衆でひしめき合っている時間。
それが、今日の店内。
先程、入って来た2人連れの女工さんと、奥の座敷にいる老夫婦のみ。
私は、いつもと変わらない味のラーメンを、確かめる様に、
一口一口慎重に啜った。

477声 老舗の最中

2009年04月21日

父子。
あるいは、母子。
お互い年を経るにつれ、話のすり合わせが難しくなって来る。
取り巻く、環境。
取り巻く、仕事。
取り巻く、生活。
様々な要因が、お互いの人生軌道を、時に近づけ、時に遠ざける。

会話に窮した、ちゃぶ台の前。
茶請けに添えられている、老舗の最中に手を伸ばす。
薄皮に、上品な甘さの餡子がぎっしり詰まった、昔から変わらない郷土名物。
その味は、自分が子供の頃、況や親父が子供の頃から、変わっていない 。
老舗の最中の味を共有する事で、お互いの距離が、実は離れていない事に気付く。
味の記憶に、気付かされる。

476声 善意の給付

2009年04月20日

「お客さんに、あげるんですか」
半ば答えは分かっていたが、気の良さそうなおじさんの顔に釣られて、
何の気なしに問うた。
「うん、子供になぁ、子供は喜ぶから」
少し恥ずかしそうに答えたおじさんが笑うと、所々欠けた歯が見えた。
レジの私は、接客文句と共に、お釣りをおじさんに渡した。
サイダー30缶入りの箱を、大事そうに持ち上げ、おじさんは店を出た。
おじさんの後には、いつもの様に、焼き芋の匂いが残っていた。

学生時分のアルバイトで、小さなスーパーのレジ係をした事がある。
余り客入りの良くないその店に、決まって夕方訪れるおじさんがいた。
おじさんはいつも、箱入りのジュースを一つ買った。
その煤汚れた風体と、衣服に染み込んだ匂いで、
おじさんが焼き芋屋だと直ぐに察しがついた。
いつも、クシャクシャの千円札を2枚出すおじさんの機微から、
それが商売の一環ではなく、おじさんの楽しみなのでは、と感じていた。

木枯らしの吹く中、百円玉を握りしめて買いに来る子供等。
焼き芋と一緒に渡すジュース。
瞬間に出会う、子供等の笑顔。
その笑顔を見て、きっとおじさんも、煤けた笑顔を見せるのだろう。
それは、商売の手法と言うよりも、善意の給付である。
あのおじさんの、所々歯の欠けた、一寸ひょうきんな笑顔と、
染み込んでいた焼き芋の匂い。
今、机の前で、ふと思い出した。