日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

475声 朝湯と宿酔

2009年04月19日

重兵衛湯の朝湯に浸かりながら、宿酔の諸症状と自責の念の緩和を試みていた。
体内のアセトアルデヒド脱水素酵素も、度重なる重労働で、
どうやらストライキを決行している模様。
酒はこわい。
わらべ唄の「通りゃんせ」を思い出す。

行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

こわいながらも、「飲ましゃんせ」
などと、月明かりに映える、可憐な八重桜に囁かれて痛飲。
午前零時頃、酔眼甚だしくも詠んだ俳句。
書き散らした紙切れを、何処かに忘れて来てしまった。
自らが酷く酔った状態で書いた文章など、見るのがこわい。
こわいながらも、一寸見てみたい。

474声 鈴の音

2009年04月18日

出掛ける支度をしている。
前橋市の八重桜が見頃だと言うので、これから自転車で行こうと思う。
前橋も外れの方なので、自宅からは自転車で、凡そ1時間は掛る計算である。

窓の外は日も大分薄くなり、黄昏の気配が濃くなって来た。
遠回りになるが、市街地経由で銭湯に寄り、ひとっ風呂浴びて行く行程も悪くない。
ふと軒先から、涼やかに走り抜ける鈴の音が聞こえた。
近所の三毛も、そろそろ出掛ける時間らしい。

473声 桑畑の夢幻像

2009年04月17日

机の前で呑んで居ると、どうしてこうも、真っ直ぐに酔ってしまうのだろう。
摂取したアルコールが、寄り道せずに、真っ直ぐに大脳新皮質へ浸透して来る。
黙って呑んでいると、なんだかゲップばかり出る。

今日は終日曇天。
断続的に冷雨が降った。
雨の日には「雨の匂い」があって、
その匂いによって思い出されるのが、「夢幻像」である。
ふと、思い出したのは、小学生時分。
黄色い傘を持って、非常に心細い心持で、桑畑の横を歩いている自分。
何処へ行くのか、行路なのか帰路なのか、夢幻像なので定かでは無いが、
確かに体験した事だと言う記憶はある。
そして、その日も丁度、今日の様な曇天で、
冷たい雨が断続的に降っていた日だった。
旧群馬町は現在でも、桑畑が多い。

そんな夢幻像を肴に、一杯。
机上には瓶の丸染が、一杯。

472声 拙者も低所得者のはしくれ

2009年04月16日

「250円」
これは、本日私がス−パーで買った弁当の値段。
少々簡素だが、一般的な弁当と別段変る事の無い、豚の生姜焼き弁当だ。

デフレ経済とは言うが、年々激化する小売店の価格競争は、
今年に入ってさらに加速度を増している。
毎週、朝刊に折り込まれてくる各スーパーのチラシを見比べると、顕著である。
それにしても250円とは、地方都市の相場なのだろうが、此方が心配になる。
「遂に風呂代よりも安くなったか」
と、消費者にとっては嬉しい事なのだが、売り手の薄利多売を思うと、
総菜コーナーで、いささか嘆息してしまった。
しかしながら私も低所得者のはしくれ、レジへ持って行って、
どこか申し訳無い心持で300円を払っているのだ。

では、現在の群馬県の風呂代を見る。
県内でも特に銭湯の多い、桐生、高崎市は330円。
県庁所在地の前橋市は360円。
これは、「群馬県公衆浴場業生活衛生同業組合」と言う、
早口言葉みたいな名前の組合によって、保たれている適正価格。
私は安いと思うが、適正価格であるとも思う。
なので、毎回、番台で嘆息しないで済む。

ここで、文章展開の路地を横丁に曲がる。
ついでに、「全国公衆浴場業生活衛生同業組合連合会(全浴連)」
(更に舌を噛みそうな名前だ)のHPを見てみると、
「都道府県の入浴料金表」が載っている。
全国で一番高いのは、東京都と神奈川県の450円。
一番安いのは、佐賀県の280円。
400円台が目立つ中、群馬県の360円は安い方ではないか。
400円でお釣りの来る喜び。
360円で得られる満足感。

471声 定額給付金漫筆

2009年04月15日

先日、ATMから出てきた通帳に、振り込みの記載があった。
定額給付金である。
遂に来たかと思い、もう一度、通帳をATMに突っ込んで、下ろした。
占めて壱萬弐千円成。
ATMに備え置いてある、薄手の長4封筒に入れ、そそくさと持ち帰った。

自宅に着き、机の上に壱萬円紙幣と、壱千円紙幣を二枚置いて、考える。
「はて、どの様に使ってしまおうか」
考えあぐねていると、次第に、窓の外は夜の色が濃くなって来た。
考えるのを一旦中断して、紙幣をポケットに入れ、麦酒を買いに出掛けた。

470声 真夜中の「新着メール1件」

2009年04月14日

昨夜の事、もう真夜中の床である。
突然、小刻みに震え出した携帯電話に驚き、小説を読む手を止めた。
手を伸ばして電話を取り、眩光の画面を確認すると、「新着メール1件」

確認すると、差出人は車寅次郎に良く似た知人。
本文は、「今、長野から岐阜に入るところです。和歌山に行きます…」
最後まで読んでみると、どうやら突発的に旅立ってしまったので、
旅先の情報が無いとの事。
直ぐに、和歌山での映画「男はつらいよ」の撮影地を調べ、返信。
最後に聞いてみた。
「こっちには、いつ帰って来るんですか?」
「明後日です」
過密スケジュールにも程がある。

まさに、劇中の寅さんを地で行く旅暮らし。
慌てて調べ物をしている、私。
寅さんに振り回される劇中の登場人物の如き姿に、一寸苦笑。

今頃は、もう和歌山だろうか。
などと、思い馳せる床。
気付くと私は、じっと天井を見つめている。

469声 新人公演初舞台雑感

2009年04月13日

ここ数年、文明的なモノから文化的なモノに、自らの興味が移っている。
特に、この「めっかった群馬」と言うサイトなど、その最たるモノだ。

文明とは、誰もがその利便性を享受できる、
言わばグローバルスタンダード的なモノ、あるいは社会。

例えば舞台。
スポットライトが当たっている、主演の演技は素晴らしい。
誰もが、拍手喝采を惜しみなく送っている。
しかし、その舞台を構成しているのは主役だけではない。
そこには、助演しいては脇役、端役の存在がある。
スポットライトは当たっていない、拍手喝采も無い。
しかし、そのいぶし銀の演技に、私は深い感銘を受ける。
舞台を引き立てている、その脇役、端役の存在こそが文化なのである。

文化とは、その価値を共有できる人を限定する、
言わば、ローカルスタンダードである。

このサイトにある様な、各コンテンツを作る。
そして、それを読む。
と言う行為は、観覧席の隅っこに集まって、
主演そっちのけで、助演や脇役、端役の良さを語り合っている。
その様な状況だと思う。
それは、極めて異質な行為であると同時に、
価値観の共有によって、安心感を得られる行為である。

しかし、インターネットと言う、彗星の如く現れた新人の主演舞台上で、
こそこそと演技させてもらっている事を、忘れてはならない。

468声 露天の桜

2009年04月12日

いつも行っている、近所の日帰り温泉から帰って来て、
二缶目の麦酒に手を伸ばしたところ。

今日の露天風呂は良かった。
敷地内に植えてある、満開の桜を眺めながらの月光浴。
散り始めた桜の花が一ひら、舞い落ちて湯にたゆたう光景は風情豊かである。

桜は、潔く散る。
自らの鄙びた姿を、見られまいとしているかの如く。
美の絶頂で、儚くも花びらを舞い落とす。
気高くある事は孤高である。

その姿は、見る者の精神の働きにも影響する。
だから人は、桜を見ながら想いを馳せるのだ。
そう言えば、先日のワルノリ俳゛句ingでも、
その影響を体現しているワルノリ俳句があった。
たしか、「本当よ 桜が散ったら ダイエット」。

二缶目が飲み終わる。

467声 質疑応答中の回想風景

2009年04月11日

本日、和のカルチャースクール「ほのじ」にて、
堀澤さんと一緒に、新聞社の方に取材を受けた。
主な内容は、ワルノリ俳句ingに関する事である。

次回で第八回を数える、ワルノリ俳句ing。
真夏の渋川市街地、麦酒片手に流れ落ちる汗を拭きながら。
真冬のみどり市大間々、銭湯から出て熱燗と湯豆腐をつつきながら。
質疑応答中、過去に訪れた俳句ingの場所とワルノリ俳句が、
鮮明に思い出される。
心象を五・七・五で表現する行為は、見ている風景まで心に活写する。
と言う事を、改めて実感した。

現在、次回のワルノリ俳句ingは何処にしようか、思案に暮れている。
来月、5月初旬。
まずは、第2回ワルノリ俳゛句ingの開催を開催しようかと思う。
それはまた、近日中の「クレインダンス情報」で。

466声 夕刻散歩広瀬川

2009年04月10日

今日は、春風も凪いでしまって、少し街中を歩くと汗ばむ陽気。
早くも、押入れを漁って、団扇の在処を探している。

前橋市の広瀬川河畔では、現在、「光の街まえばしプロジェクト」
ってんで、飾り付けられた無数のシルクランプが点灯している。
そんな事を、ふと思い出した、午後18時30分。
一寸、涼みに出掛けてみようか。
自転車に空気入ってたかな。

雲一つ無い青空が広がった、本日。
西に傾いて橙色に滲み出す、夕日。
振り子細工の様に繰り返す、日日。

465声 日々を受け入れる

2009年04月09日

本日、前橋地方気象台で、最高気温が25℃が観測された。
夏日である。

濃い日差しが降り注ぐ昼下がり。
信号待ちの車中でまどろんでいると、ふと、大脳新皮質に響き渡る、
「ポン、トクトクトク」
と言う、瓶からコップに注ぐ音。
つまりは、良く冷えた瓶麦酒の事を考えてしまう。

信号が変わって、動きした風景の中、
公園の桜の下で花見に興じる一群が目に入る。
美味しそうに、缶麦酒を傾けている人。
気持ち良さそうに、昼寝をしている人。

羨む気持ちを欺きつつ、仕事を終えて帰宅。
瓶麦酒の栓を抜いて、ようやく焦燥が一段落。
繰り返す何気ない日々を、何気なく受け入れる。

464声 故郷の桜

2009年04月08日

「艶やかな花衣を纏ったかの様に」
などと、まだ桜も蕾の頃から、大袈裟な形容で桜の名所を紹介する文章を書いていた。
しかし本日、その形容が、あながち大袈裟でも無かったと実感した。

山間を除けば、今、群馬県内では桜が満開。
ほちぼち散り始めてくる頃だろう。
県内の桜の名所である、里山や公園。
いくつか固有名詞を列挙すれば、前橋の敷島公園、高崎の観音山公園、
伊勢崎の華蔵寺公園、藤岡の桜山森林公園など。
まさに、花衣を纏ったかの様に、艶やかな彩りを見せている。

群馬県だけでなく、全国的に満開を迎え、多くの花見遊山客の目を楽しませている。
確かに国内には、「桜の名所100選」に象徴される様な、桜の見所は数限りなくある。
私も、一二度、県外にある国内でも有数の、桜の名所で花見をした事があるが、
どれも、郷土で観る桜には敵わない。
それが、どこがどう敵わないのか、的確に書き現す事が出来ない。
出来ないのだが、一日何千人と訪れる公園よりも、近所の古刹の桜に、
えも言われぬ風情を感じる。
そんな風情を感じた時に、自らの故郷を漠然と意識する。

463声 呆然と春窓

2009年04月07日

春眠暁を覚えず。
って程の事でも無いが、この時期は終日、断続的に眠い。
となると危ういのが運転で、注意も散漫になる。
ましてや、街を彩るのは、春爛漫の桜風景。
気を取られない様に、注意を心掛けたい。
ましてや、春の交通安全運動でもある。

本日、注意しつつ街を運転中、注意を引いたのが、詰襟の学生たちである。
入学式を終えた新入生であろう、その少し大き目の制服と、
真新しい靴のぎこちない足取りを見れば、一目瞭然。
新中学生と言うと、まだ稚児めいて見えるが、これが夏休みを終える頃になると、
格段に大人びてくる。

少年老い易く学成り難し
もっと言うと、
一寸の光陰軽んずべからず
未だ覚めず池塘春草の夢
階前の梧葉已に秋声
学に身の入らなかった、自らの学生時分を思う。

とりとめも無く、在り来たりの漢詩などを思い出す、信号待ち。
窓の先に見える母校の校庭を、呆然と眺めている。
そう言えば、十数年前のこの日も、教室の窓から呆然と校庭を眺めていた。
とかく春は、私を呆然とさせる。

462声 桐生お銭湯七福神巡り

2009年04月06日

遂に私は、巡礼を終えた。
最後に立ち寄った「桜湯」で、景品を貰い、帰路へ就く。
振り返れば、長く、険しい表情で浸かっていた、熱い湯の中。

そう、先日私が終えた巡礼ってのは、「桐生お銭湯七福神巡り」。
簡単に説明すると、「第7回有鄰館芸術祭」に際して行われた、
市内銭湯のスタンプラリー。
市内に現存する七つの各銭湯には七福神が居り、
それを、スタンプを押しながら巡って行く。
最後に訪れた銭湯で、記念の景品が貰えると言う企画なのである。
各銭湯には、スタンプ台帳となる、A3判の和紙に手書きの市内銭湯マップが描かれた、
「桐生お銭湯七福神巡りマップ」が、一つ300円で販売されている。
何処からでもスタートでき、何処からでもゴールできる。
まさに、銭湯フリークの心をくすぐる企画なのだ。

直ぐに飛びついた私は、早速、マップを一つ購入してスタート。
紆余曲折を経て(行程細部に至ってはここでは一先ず省く)、
先日、記念の景品を手にしたのである。
今、自宅の机の前、味のある手書き市内銭湯マップを眺めながら、感慨に浸っている。
「あそこの湯は熱かったな、あそこのペンキ画は立派だったな」
しかし、こうして感慨に浸っているよりも、銭湯の湯船に浸かっている方が良い。
それが、銭湯フリークではないか。
さて、もうひと巡り。

461声 最後の一杯

2009年04月05日

今日は、栃木県は足利市へと足を伸ばして、ふらふらと街中をそぞろ歩き。
群馬県桐生市から直ぐ隣の市なのだが、「県外の街」と言う意識だけで、
自然と背筋も伸びる思いだ。
満開の桜が華やぎを添える、風情豊かな古刹や、
路地裏に垣間見える、街の歴史を訪ねながら行く。

週末へ向かって、加速度を増す生活進行。
それは、乾杯のビールから始まって、千鳥足で飲んでいる3軒目の水割りの如し。
ようやく店を出て、最後に一杯、冷たい麦酒が飲みたくなる。
「その冷麦酒を、探しに来たのだろうか」
桜咲く公園の古ベンチに座り、ラムネを飲みつつ、思索を巡らせる。

結局、更に酔う事になる冷麦酒。
それでも、最後に飲みたくなる。
のはやっぱり、一杯の冷麦酒。

460声 寝床の悔恨

2009年04月04日

夜半、静かである。
外は、しっとりと冷たい雨が降っている。

花見俳句会を昨夜にして、正解だった。
過日を振り返って、主催で物事を進めている時は、当日、必ず忘れ物をする。
一昨夜は写真機。
我が愛用の写真機、GR DIGITAL2の活躍が水の泡になってしまった。
結局、写真は一枚も撮れず仕舞い。

思えば、「就寝前に明日の用意をする」と言う生活様式が、
一度も定着しない人生を歩んで来た。
小学生時分から、授業で使う教科書を前の晩にランドセルに入れておけば、
翌朝慌てる心配も、忘れる心配も無いのである。

しかし、それが出来ない。
どうしても、「明日の朝出来る」と言う、根拠のない自信を拠り所にして、
布団に潜り込んでしまう。
それは、大人になった現在でも変わらない。
問題は、どうしたら「朝出来る」ようになるかではなく、
どうしたら「前晩に出来る」ようになるか。

「こんばんは」
と、睡魔に挨拶。
そもそもコイツが、私の自信を確信に変える張本人。
睡魔の口車に乗って、いつもの如く、目覚まし時計に手を伸ばす。
そして朝、カメラには手を伸ばさずに、慌ただしく出掛けて行ってしまう。

嗚呼悔恨。
夜半の雨が、過日を振り返らせる。

459声 七五調の三次会

2009年04月03日

本日、高崎市は姉妹都市公園で開催された、
「第1回ワルノリ俳゛句ing」も無事終了。
現在時刻、23時30分。
ようやく自宅に戻って来て、酔眼を擦りつつ書いている。

桜も、今回の俳句会に合わせて咲いてくれた様で、綺麗な八分咲き。
ブルーシートの上、並んだ群馬の郷土料理と、地酒地麦酒。
風流な夜桜を見物しながら、句をひねる、参加者の顔、さくら色。
と、未だに七五調の余韻が顔を出す。

高崎城址のお濠端、水面に移る夜桜は、浮世離れした風雅を写す。
なんだか私は、終始、浮足立っていた様に思う。
そして、楽しい時間を共有出来た参加者たちに、平に感謝。
「いやいや、ありがとう」
などと呟きつつ、机の上、残った地麦酒で、精も魂も付き果てた男が、
独りだけの三次会。
では、乾杯。

458声 街が躍動

2009年04月02日

明日は、初に試みる「第1回ワルノリ俳゛句ing(バイキング)」の日である。
会場は高崎市街地。
今日、会場となる公園へ下見に出かけた。
高崎城址からお濠端の桜は、3分咲きと言った具合。
しかし、公園内だけは6分咲き。

午後のまどろみ時間、ブルーシートを敷いた花見客が一組。
公園内は桜で彩られ、春のうららかな日差しが、ブルーシートに反射して、輝く。
自転車で公園横を颯爽と走り抜ける、束ねた髪に化粧っ気の無い、
新入社員と思しき娘。
新品のパンプスが、黒光りして、輝く。
公園全体が、光り輝いている。
春は街を輝かせ、躍動させる。

私は、少し跳ぶ様な足取りで帰った。