日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

782声 2月の土曜日

2010年02月20日

カーテンを開けると、快晴。
部屋の中へ、真っ直ぐに傾斜する、薄い朝日。
淡い空色に、小さい鳥たち、思い思いに飛び、囀り合っている。
山の稜線がくっきりと見える。
未だ2月、冬の気候なのだ。
これが、3月になると、春の霞が掛かって、山の稜線が薄らぼんやりしてくる。
気温が温暖になると共に、淡い空色は、もっと淡くなる。
そして今日は、春に向かう気候に逆行し、厳寒の真冬を思わせる、
深山幽谷へ行く事になっている。
しかし、行って見れば、穏やかな春の山かも知れない。
それでは、万座温泉を味わうには物足りない。
旅者の我儘であるが、はらりはらりと、可憐に粉雪が舞う雪渓を眺めながら、
一杯やりつつ、一句詠みたい。
さて、そろそろ、私の土曜日が動き出す。

781声 生きている雰囲気

2010年02月19日

もう、後戻りは出来ない。
最終校正を終えて、印刷作業に入っている。
現在制作中の本が、である。
期待に胸を膨らませて待っているのだが、
その膨らみの中身は、不安の割合が多く詰まっている。
フェザーの割合が多いダウンジャケットは、使って行く間に、
所々から羽毛が飛び出してくる。
まさにそれと同じく、不安が脂汗となり、体の所々から染み出てくる様な心持がする。
焦っていた。
年が明けてからと言うもの、急きたてられるが如く、自ら「2月発売」と言う、
期限を科して製作を進めて来た。
小学生の徒競争。
前のめりに全速力で走るがあまり、ゴール寸前で足が縺れて転げてしまう。
振り返り見れば、そんな光景を彷彿とさせる、縺れ具合だった。
どうにか、ゴールテープは切れそうだが、未だ油断は出来ぬ状況下にある。
何故、其処まで。
と言う自問に、自答出来ぬまま、速度だけが出てきてしまった。
一寸、其処まで。
で始めた銭湯巡りであるが、いつのまにか、引き返せない急坂を全力疾走していた。
銭湯に漂う、「生きている雰囲気」を、私の稚拙な文章と、ピントのズレた写真で、
果たして表現出来たのか。
いや、出来ていないだろうが、希望的観測だけは持つ様に努めてみよう。
ともあれ、明日は万座温泉へ行く予定になっている。
温泉と麦酒と俳句に、現を抜かして来ようと思う。

780声 雪化粧の美人

2010年02月18日

今日の首都圏は朝方迄、小雪がチラついていた模様。
一方群馬県は、雲間から薄日射す、まずまずの好天。
午後からは、首都圏を含め、本格的に好天となった。
お天道様の顔を拝むのは、随分と久しぶりの様な気がする。
太陽の光が濃く風の薄い、駘蕩とした空気が流れる、午後。
関越自動車道を運転していた。
車の数は疎ら。
道路は空いている。
口を開けて待つ、一直線の高速道路を、滑るが如く、快適に走行して行く。
すると、必然的に、眠くなる。
眠くなると言うよりは、睡魔が意識を、断続的に断絶しようする。
その仕打ちは、もう暴力的である。
「行きはよいよい、帰りはこわい」
まさに、童謡にあるように、こわいながらも、ハンドルにしがみ付いていた。
高速走行中に意識朦朧とは、運転者として言語道断の暴挙である。
その都度、パーキングエリアに避難し、ブラックの缶コーヒをガブ飲みしてから、
本線へ戻る。
どうにかこうにか、高崎ICまであと1kmの看板。
前方視界、車道右側から望む景色の中に、赤城山の均整のとれたなだらかな丘陵。
薄く、雪化粧した赤城山の佇まいは、いつもより一層、美人に映った。

779声 低俗であれ

2010年02月17日

この文章の筆者は、近頃、慢性的に胃の痛みを感じているようだ。
毎食後、背中を丸め、眉間にしわ寄せ、下腹部をさすっている姿を、
しばしば見掛ける。
そう言えば、筆者の生活を見るに、「腹から笑う」って事が、年々減っている様である。
勿論、生活の中で頻繁に笑顔を作っているのだが、それがどうやら、
可笑しくて笑っているのではないらしい。
つまりは、社会人の常套手段である、愛想笑いってヤツ、なのだ。
では、筆者が一日の中で、可笑しみを感じて笑う瞬間は、何時なのか。
それは、勤めを終えて帰宅し、風呂上がりの麦酒を飲みながら、
だらしなく表情を弛緩させて、ぼんやりとテレビを見ている時。
それも、大人がしばしば批判の槍玉に上げる、低俗なバラエティ番組だ。
筆者、「くだらない」って事が、好きらしい。
そのテレビを見ている時は、胃の痛みも、一時的に沈静化しているようである。
言っている間に、リモコンを手にとって、チャンネルを変える。
バンクーバーオリンピック。
ほら、フィギュアスケート男子なんて、はらはらしながら熱心に見てるから、
胃の痛みが疼き出す。
また変えて、今度は論客が多数出演している、情報番組。
相撲の横綱の品格。
オリンピック選手の服装の乱れ。
国会で巻き起こる、「政治と金」の問題。
あらら、この筆者、また下腹部をさすりながら、呻いてるよ、まったく。
テレビを消して、徐にいつもの席へ着いて、PCの電源を入れている。
どうやら、今日の「鶴のひとこえ」を更新するようだ。
キーボードを、カチカチカチカチ。
えっと、何々。
テレビよ。
テレビのバラエティ番組よ。
低俗であれ。
もっと可笑しく、もっとくだらなく。
そう、もっと馬鹿で、もっと下品でもよい。
低俗であれ。

778声 憧れの号外

2010年02月16日

「号外!号外!」
なんて掛け声と共に、街頭で号外が配られる様ってのは、都市部ならではの風物である。
携帯電話や情報端末が発展した、現代、そして未来の高度情報化社会でも、
残って行って欲しい。
そして今日も街では、号外が飛び交う光景が見られた。
その内容は、バンクーバー冬季五輪、スピードスケート男子500mにおいて、
長島圭一郎選手が銀メダルを、加藤条治選手が銅メダルを獲得した、と言う物。
今大会の日本選手団では、初となるメダル獲得となり、
両者共に、五輪で初のメダル獲得となった。
しかし、私が実際に号外を手にした訳では無く、知人から号外の速報を聞いた。
実は私、これまでの人生で一度も、号外を手にした事が無い。
どういう訳か、巡り合わないのだ。
都市部を歩いていないから、と言う要因もあるが、やはり、巡り合わせが悪い気がする。
号外が、一度で良いから、欲しいと思う。
高層ビルが立ち並ぶ街頭で、号外の大見出しに目を通して、一喜一憂したい。
それは、都市生活者への、淡い憧れでもある。
霙降る、底冷えのする夜半。
号外の届かぬ、片田舎で、思う。

777声 滑り台の上

2010年02月15日

「あっ」
と、気付いた方、そうなのです。
日刊「鶴のひとこえ」は、今日で、777回目。
ぞろ目。
賭博打ちの方々は、この数字を見ているだけで、落ち着かない事でしょう。
博打には縁の薄い私でも、何だか、眺めているだけで、
徐々に気分が高揚してくる感覚です。
この「高揚」ってのは、とても重要な働きをする。
と言う事実は、毎日こうやって、何らかの文章を書く様になってから、分かった。
万年筆を持って、白紙の原稿用紙を前に。
と言う状態なら、幾分味があるのだが、実際はそうではなく、PCのモニターの前で、
キーボードに手を置いて、思案に暮れている。
勿論、書くべき内容を、である。
しかし、その為にはまず、思考の底に落ちている「構想」を引き上げる作業が必要なのだ。
その作業が出来るだけの、モチベーション。
これを、どうやって捻出するか、それが問題なのである。
それを、荒々しくも、解決してくれるのが、この「高揚」なのである。
この「荒々しくも」ってのは、高揚の奴は、後先も考えずに、
人の背中を「ぽん」と押す感があるからなのだ。
例えば、滑り台。
階段を上って、台の上に座り、今まさに滑り下りようとしているのだが、
踏ん切りが付かない。
それは、文章を思案している状態に近い。
恐怖感とがっぷり四つに組み、安全性を考慮した滑り方を確認している。
その途中、不意に、背中を押す奴がいる。
意表を突かれ、滑り落ちて行く最中、振り返ると台の上に佇んでいのは、「高揚」。
背中を押された私は、気付けば無事に、滑り台を滑り降りている。
その状態は、文章を書き終えていると言う事なのだが、
「滑り下りた」と言うよりはむしろ、「転がり落ちた」と言える。
一応の所、着地はしたのだが、滑っている最中の経過、つまり文章構成は、
覚束ない。
その結果は、粗製濫造に結び付く。
それでも、粗製無造よりは良いではないか。
そう言う解釈を受容して、時に、高揚に背中を押されるのを、待っていたりもする。

776声 吝嗇習慣

2010年02月14日

習慣。
ってのは、土地の文化に起因する場合が濃い。
と言う事を、出掛けた時につくづく感じる。
パスタ。
ってのを食べようと、何処かの街のイタリアンレストランへ入る。
注文して、テーブルの前へ配膳されたパスタに、若干の違和感。
原因は、その分量なのである。
私が住んでいる高崎市では、「パスタの街」なんて言って、
近年俄かに「高崎パスタ」なる名称で、土地の名物として認知され始めている。
その特徴を挙げれば、幾つかあるが、目立つ特徴の一つが、その分量の多さ、である。
日本列島津々浦々。
と言っても、それ程隈なく、土地のパスタを食べ比べた訳ではないので、
怪しい所はある。
それでも、その平均的な量が、高崎パスタでは「小盛」となり、
大盛量が「中盛」と言った具合に、段階的に、一つ多くなっている感がある。
なので、高崎以外の土地でパスタを注文すると、いささか少なく感じてしまう。
しかしこれも、土地に培われた習慣。
そう思慮分別して、フォークを手に取る。
けれど、似た様な状況下、どうにも思慮分別出来ない場合もある。
それは、「ちょいと小洒落た居酒屋」、と言う様な「テ」の店での事。
間接照明をふんだんに使った、所謂、凝った店内は、
便所に行くと容易に帰って来れない程、複雑加減が迷路的。
そう言う店で、注文する、生麦酒。
「生中」とメニューには書いてあるものの、女給さんが運んで来るのは、
タンブラーグラス。
つまりは、カクテルなどが入っているグラスである。
せめて、10オンス(300ml)ならば良いのだが、しまいには、
8オンス(240ml)なんて店もある。
店の雰囲気との調和。
なのだろう。
しかし、中ジョッキとまでは言わないが、せめて、350mlぐらいのタンブラーが欲しい。
それでなければ、「生中」の定義に、著しく反しているのではないか。
などと、胸中、思慮分別どころの騒ぎでは無くなって、私などは、
平静を保てなくなってしまう。
そこには、安居酒屋ばかりで飲んでいる、私の吝嗇な習慣が顔を出しておまけに、舌まで出している。

775声 せめてごえん

2010年02月13日

チョコと念溶かす貴女は魔女と化す
そんな、恥ずかしく安直な韻を踏んで、一句創作したくなってしまう理由は、
明日のバレンタイン。
浮かれている人。
あるいは、我関せず、とは言うものの、内心は落ち込んでいる人。
その明暗が別れるのが、明日。
一定の年齢を越えると、自らの年中行事の中で、バレンタインの存在感が、
薄らぐものである。
しかしながら、年齢の所為ばかりではないのだろう。
チョコは貰えど、義理チョコばかり。
と言う、釈然としない心持になる人も、多い筈。
特に、ここ群馬県では、多く見られるのではないだろうか。
その理由は、「上毛かるた」の「ら」。
「雷と空風 義理人情」
県民性と理解し、コンビニで見掛けたようなそのチョコレートと一緒に、
煮え切らぬ気持ちを嚥下しちまうのが賢明である。
そう言えば、一昔前の今時期。
当時よく訪れていた、高崎市街の喫茶店。
勘定を払った私に、レジの娘が、渡した小さな紙袋。
紋切り型の礼をぼそぼそと述べて、そそくさと店を辞した。
往来に出て、慌てふためいて袋を開けると、中には、「チロルチョコ」が一個。
せめて、姉妹商品の「ごえんがあるよ」と言う、通称「五円チョコ」と呼ばれている、
あのチョコの方が…。
とは言いつつも、チョコをシャツの胸ポケットに入れ、軽やかに、スキップ。

774声 それぞれの更年期

2010年02月12日

先日、某氏と私、焼鳥屋のカウンターの隅で飲んでいた。
某氏はここ最近、「めっきり酒が弱くなった」と言うのが、酔って来た合図かの様に、
背中を丸めて、ぽつりと呟く事がある。
その日も、近日の泥酔体験を交え、瓶麦酒を傾けつつ、その合図が毀れ落ちた。
「某さん、それは更年期ですよ」
ぎょっとした目線で、私を見る。
「いや、一種のね、所謂、女性の更年期障害と言う意味ではなくて」
その意を介したのか、コップの麦酒を飲み干す、某氏。
注ぎながら、私。
「世代の変わり目、と言う意味での更年期に差し掛かって、
体調にも変わり目が訪れたのかも知れませんね」
言ってる私も、考えてみれば、そろそろ、更年期に差し掛かる年齢である。
その意味で言うなら、10代から20代も更年期。
最近巷でよく聞く、「アラサー」、「アラフォー」と言うのも、更年期である。
体調の面から見ても、10代から20代に代わる頃が、変わり目だったと、回想する。
しかしそこには、「酒」と言う奴が、未だ出会って間もないのに、
なれなれしく肩を組んでいる。
私は、次、20代から30代。
やはり、酒の奴がしつこく纏わりついて来て、時に慰めあい、時に喧嘩し、直ぐに和解する。
今の所は、良き友である。
更年期は、免許の更新の様に、通り一遍の試験で交付させる物でない。
従って、打ったり打たれたりしながら、一進一退の攻防線を続けて行かなくてはならない。
焼鳥屋から次の店へ河岸を変えようと、薄暗い路地裏を歩いていると、某氏。
「さっきの店のさ、若女将、あれ、幾つだと思う」
「20代中盤から後半ですかね」
「いや、俺の見立だと、10個は上だな」
更年期の見立も、人それぞれである。

773声 Am7からD7

2010年02月11日

外は霙。
机上に置いたカップを口へ運ぶと、もう、珈琲が冷めている。
こう寒いと、外へ出るのが非常に億劫である。
なので、終日、部屋の中で逼塞していた。
昨年末の大掃除も満足にしていない、自分の部屋を、整理していたのである。
整理までは出来るのだが、掃除が出来ない。
机に山積している紙の束を、一つ一つ屑箱へ入れていると、
今年の年賀状が出て来た。
「結婚しました」
ってのが、その10枚程度の年賀状の中で3枚ある。
そのどれも、裏面、インクジェットプリンターで印刷されており、
片割れの知人が、伴侶と共に満面の笑みを浮かべている。
硝子戸の外、霙交じりの雨空から一筋の光明が差し込んでいるかの如く、
葉書紙面が、輝いて見える。
どの夫婦にも、運命的な物語があったからこそ、こんなにも輝かしい笑顔が、
毀れ落ちているのだろう。
そのコード進行は、Am7からD7。
私はと言えば、Am7とAmを、行ったり来たり。
葉書を集めて置いて、硝子戸を開けると、霙から雪へと変わっていた。
白い軒先の向こう、パチンコ屋の看板が、闇夜にぼんやりと、原色を輝かせている。

772声 花粉の2月

2010年02月10日

三寒四温。
とは言うけれど、いくらなんでも、寒暖の差が激しすぎる。
昨日、2月9日、高崎市上里見町で、最高気温24.1℃を記録。
列島では一番温かく、幾対も夏の最高気温記録を更新している同地域の、
今夏の酷暑を連想させる。
2月の同地域では、1978年からの観測開始以降では、最高記録。
その気温は、5月下旬並みで、ぽかぽか陽気と言うよりは、
いささか蒸し暑い陽気の方が、適切である。
それが一転して、今日。
何でも、群馬県内、夜半から雪が降るのでは、なんて気象情報が流れている。
明日は、関東地方広範囲で、雨、山間部では雪。
ジェットコースターの如き落差に、私の周り、体調に変調をきたしている人も多い。
街を闊歩する人たちも、マスクをしている人を頻繁に見掛ける。
やはり、気候が体調に影響を、などと考えていたら、「クシュン」。
私は、信号待ち。
隣のOLと思しき女性が、可愛げなくしゃみをして、鼻を啜っている。
そうか、もう、スギ花粉が飛散してくる時期なのだ。

771声 爽快な深酒

2010年02月09日

先日、2軒目に流れた店が、韓国料理屋だった。
全体的に力が漲っている女将さん、韓国流に言えば、オモニさんが一人で切り盛りする、
路地裏のこじんまりとした店である。
そこで頼んだ酒が、マッコリ。
「マッコリ」とは、韓国における、大衆醸造酒の一つ。
米を主原料に製造されるので、日本で言う、「どぶろく」似ている。
熟成を感じさせる見た目に反して、アルコール度数は約6%と軽く、
麦酒と同程度なので、飲み易い。
乳酸菌で発酵させているので、仄かな酸味を感じ、口当たりが良い。
自らの酒歴の中、初期から飲んでいる酒に当たるのだが、飲む機会は極めて少ない。
「明日がある」
と言う事を念頭にしながら、杯を手に取っているのだが、
どうも、ブレーキの掛かりが悪い。
麦酒やマッコリの類、つまりはアルコール度数が軽く、口当たりの良い酒になると、
殊更、速度が落ちない。
かえって、重たい、フルボディの日本酒やウイスキーなどの方が、
拍車が掛からずに済む場合がある。
その日も、甕の中に入っているマッコリが、どんどん減って行く。
店内、テーブルを囲むのは、私等2人。
斜向かいの席には、薄らぼんやりと、焼酎を飲んでいるおやっさんが1人。
店内に響き渡るのは、オモニさんの元気な濁声。
剛腕なテニスプレーヤーが放つ、渾身のサーブの如く突き刺さる、その声に圧倒され、
会話に相槌を打ちながら、自ずと手が杯に伸びている。
結果、結局、深酒。
いささか覚束ない足取りで、ネオン瞬き女衒蠢めく酔街を抜け、
辿り着いた伊勢崎駅から、両毛線で帰路へと着いた。
翌朝目覚めると、なんと、快適な目覚めな事。
二日酔いの予想は見事に外れ、平静時よりも調子が良いのではないかと言う、体調。
飲む前は若干不調だったので、尚更、体調が好転した事に吃驚。
激辛韓国料理のつまみで飲むマッコリか、はたまた、
激辛韓国濁声のオモニによる一歩通行の会話か。
何れにせよ、何処か胸の内が「スッ」とした、爽快感を感じた。

770声 安吾、清張、諒一

2010年02月08日

今日、帰路の途中、所用があって、本屋へ寄った。
閉店時間に近い店内。
煌々と照らす蛍光灯の下、詰襟の高校生が数人、少年雑誌を立ち読みしている。
クラッシック音楽が悠々と流れる、本屋特有の穏やかな時間。
知り合いの店主と、レジ横でしばしの立ち話。
話は意外な所へ転がって、安吾と清張の話になった。
この「安吾」とは、勿論、坂口安吾の事で、「清張」とは松本清張の事だが、
興味深い話だったので、要点を記す。
「安吾と清張の本を購入して行く女性は、美人の割合が多い」
と言うのだ。
およそ、無頼派デカダン文学及び、社会派推理小説などとは結びつかない様な、
颯爽とした美人が、これらの作家の本を手に取っている。
店主の業務上経験に基づいた考察なので、信憑性は高い。
そう言えば、安吾の無類の推理小説好きで、第2回探偵作家クラブ賞などを受賞した、
推理小説の名手でもあった。
そして、清張もまた、第10回の探偵作家クラブ賞を受賞している。
この二つの関連性から、導き出される答えは、などと、推理小説仕立てになってきたが、
「推理小説」ってのは、女性人気が高いのかも知れない。
電車内。
斜向かいの席に腰掛けて、熱心に文庫本を読んでいる女性。
居住まい、容姿が端麗であるその女性が手にしているのが、「明治開化安吾捕物帖」。
だったりしたら、私などはもう、ノックアウトである。
妄想は加速して、この日刊「鶴のひとこえ」に辿り着く。
毎日読んでくれている、読者の女性陣は…。
いや、言いますまい、言いますまい。

769声 昼下がりの三下がり

2010年02月07日

いささか風が強く吹いているが、こう言う日は、かえって山が澄んで見えるので、
心持が清々しい。
温かい部屋で、青空に浮かんでいる千切れ雲を眺めている。
駘蕩とした、日曜日の午後。
我が記憶装置は、目の前の風景とは関連性の無い光景を、
スクリーン上映する癖があるようだ。
今も、思い出しているのは、昔住んでいた都会の、猥雑な活気ある商店街。
日曜日、穏やかな午後。
私はしばし、近所の商店街へ出掛けた。
自転車を押しながら、流れる人波に紛れ込む。
肉屋店頭から漂う、揚げ物の良い匂い。
婦人服屋の特売品ラックに群がる、昔の姉ちゃんたち。
老舗蕎麦屋の暖簾から出て来る、中折れ帽子のお爺ちゃん。
私は、歩く。
ベビーカーを押している、爽やかな若夫婦の隣、自転車を押しながら、歩いている。
不意に、そんな光景が思い出される、昼下がり。
私が糸をつま弾く度に、滴り落ちる、不協和音。
三下がりに合わせたつもりが、調子っぱずれの三味線の音。

768声 自己養生

2010年02月06日

眼精疲労。
原因はこれだと思うのだが、全身倦怠感が甚だしい。
終日、目を酷使していたからであろう。
先程まで、PCモニターを見つつ、現在製作中の本の校正をしていた。
幾度目の校正か、忘れる位、校正作業が捗らない。
一重に、私の文章内容が問題なのである。
その都度、加筆、訂正を加えなければならない部分が見つかり、
いよいよ泥沼化の様相を呈して来た。
その合間に、気を紛らわそうと、文庫本を手に取り、頁を捲る。
敬愛する作家の文章は、蜜の味。
気付けば、時間を忘れ、夢中で読み進めており、ミイラ取りがミイラに、
こちらも辿り着いたのは、泥沼であった。
やっとの思いで、栞紐を差し込んで、本を閉じる。
目をつぶると、ドライアイの感覚。
机の隅に転がっている、使用期限の怪しい目薬を点眼してみた。
容器の内側、水滴が無数に付着している所が、一層、怪しい。
幾らか、潤いは取り戻したが、未だ倦怠感は払拭できない。
こう言う時は、養生の為、風呂に入って早めに寝るのが良いのだろう。
しかし、風呂に入って、麦酒を一缶開けて、文庫本の続きを読むつもりである。
そして、また、一缶。
それが、私にとっての養生であり、現に養生になる。
養生とは、けっして一面的でないと、思う。

767声 潮目

2010年02月05日

時化ていた胸中が、穏やかな小波になっているのは、
風呂上がりに飲んだ麦酒の所為、ばかりではない。
今日、高崎市に在る一軒の銭湯へ行って来た。
入浴、でなく、話に、である。
結果、一寸した誤解が、解けた。
これで、現在、私が製作している「群馬伝統銭湯大全」は、名実共に、
群馬伝統銭湯大全になり得る。
四番打者の様な、その素晴らしい銭湯を、なんとか滑り込みセーフで、
加えられそうである。
波風を立てている、あるいは、これから波風を立てようとしている。
その張本人である私は、潮目が変わる事を願っている。

766声 価値ある文章

2010年02月04日

非常に不安である。
その内容の全貌を、この場で吐露するつもりはないが、
不安を抱えつつ、毎晩、書いている。
それは、今に始まった事ではない。
毎日、この場所に現れてくる文章に、どれだけの価値があるのか。
価値とは常に相対的なものであるから、その対象物が、
文章の場合は読者と言う事になるけれど、
どれだけ有益であるかと判断する事で、値打ちが決まる。
しかし、相対的でもあり、絶対的なものでもある。
仮に読者の大半が有益でないと判断した文章は、値打ちが無いと言う事になる。
しかし、有益であると判断している、ほんの一握りの読者にとっては、
十分に値打ちがある文章なのだ。
つまりは、「頼まれても読みたくない」と言う人も居れば、
「頼んででも読みたい」と言う人だって居る、と言う事。
前者が多く居れば、相対的価値は低いけれども、その文章に全く値打ちが無い、
と言う訳では無い。
一人でも後者がいる限り、その文章には絶対的価値があり、
表面的に流れていても、根本的な価値は損なわれていない。
夜半に、そんな酒の不味くなる様な事を、悶々と考えている。
今宵は、立春のくせに随分と冷える。
春の始まりの日が、今年の最低気温とは、これ如何に。
しかし、始まっちまったものは仕様が無い。
また、相も変わらず四季が巡って行く。
然るから、「価値ある文章を書きたいな」、と言う事なのである。

765声 裏通りへの誘い

2010年02月03日

1億7,400万円。
これはラーメン店の1年間の最高売り上げ。
驚くなかれ、チェーン全店でなく、1店舗あたりの売上なのである。
その店は、「博多一風堂」と言う。
現在、日本一流行っているラーメン店、と言っても過言ではない。
私の友人、知人等も行列して食べて、その都度、「美味い、美味い」と言っている。
私はと言うと、ラーメン店のみならず、流行りの店には疎いので、食べた事が無い。
群馬県では、高崎市に1店舗あり、とても盛況な様子。
この一風堂、来店者の4割を女性が占めていると言う。
「女性一人でも気軽に来れる」
ってのが、近年、飲食店繁盛のキーワードになっているようだ。
そう言えば巷の繁盛店を見るに、店舗から料理まで一貫して、洗練かつ清潔な印象である。
翻って、巷の伝統的な銭湯等も、このキーワードに則した経営方針を、
などと、無責任な考えを持つが、それでは味気ない。
それはまた、所謂、昔の銭湯とは違った商売なのだろう。
遠くない未来。
街には、「女性一人でも気軽に入れる」式の店が増えて行く。
それは、「男性一人では気軽に入れない」店と言う事になると思う。
そうなると、そこからあぶれた男たちが、小汚ない食堂で肩寄せ合って、
ラーメンを啜り、楊枝で歯を突いている。
と言う光景を、容易に想像し得る。
その件で言えば、私などは、流行最先端の往来を、大手を振って、
歩いていると言う事になる。
しかし、やたらと男ばかりが目立つその往来は、やはり裏通りである。
時代に誘導されるが如く、どうしても、裏通りに足が向いてしまう。