スーパームーンの晩は、
雲に隠れて残念だったってみんな言ってますよ。
僕が呟く。
実際に見たら、みんなに見えるのは同じ私よね。
でも隠れて見えなかったら、
10人いれば10通りの私がいるの。
中には本当の私よりも大きくて美しい月を
思い浮かべた人もいるはずよ。
だから、それはそれでいいのよ。
まだふくよかな明けの月が、そう答えました。
2016年11月16日
スーパームーンの晩は、
雲に隠れて残念だったってみんな言ってますよ。
僕が呟く。
実際に見たら、みんなに見えるのは同じ私よね。
でも隠れて見えなかったら、
10人いれば10通りの私がいるの。
中には本当の私よりも大きくて美しい月を
思い浮かべた人もいるはずよ。
だから、それはそれでいいのよ。
まだふくよかな明けの月が、そう答えました。
2016年11月15日
僕は友達が少ない。SNSで何人繋がっているとか、そんなことは関係なくて、「今夜(おちょこをくいっとする仕草をして)飲みに行かない?」と声をかける友人もいないし、仕事とボランティア以外あまり何もしていない。でも人が嫌いなわけじゃない。むしろ、好きな方だと思う。
この年になると、嫌な人とは無理に一緒にいることもない。財布は年中寒波が訪れているが、会って酒を飲む程度なら東京くらいまで行ける。うまが合う人はだいたいすぐにわかるし、会って数年たってより興味をもつ友人知人もいる。人に会う時に邪魔をしていた、あれだけ過剰だった自意識も、たまごの殻のようにぽろぽろと剥がれてしまった。
つまりは、会いたい人には、会いに行ける。
それはもしかしたら、人生において今がその機会のピークなのではないか。
あと5年もすれば逆に誰にも会いたくなくなるのかもしれない。あるいは、実際会う時間も機会もなくなるのかもしれない。でも今は、興味がある人に会いたい。そしてそれは、長年いいわけのように繰り返し言ってきた「ドキュメンタリーを作りたい」という興味にも繋がっている・・気がする。
来年は動くかもしれない。声かけたら断らないでね、寂しいから。
2016年11月14日
最近の月半分は、21時に帰宅して23時に就寝。3時過ぎに起床し、ブーンと新聞代配。7時頃に帰宅し朝飯を食べ、9時位まで炬燵でうつらうつらして、再び仕事に出かける。そんな生活も、ある程度は慣れた。
朝飯終わりにはたまにNHK連続テレビ小説を見る。あれは週ごとに一区切りになるので、週の前半に問題が起きて、週の後半にめでたしになるパターンが多い。ので、わりと週の後半のみを見ることが多い。ドラマ内のいざこざすら見るのを回避する程度に、つかれているらしい。
一緒に炬燵に入った母は、テレビ小説のすぐ後に始まる韓国ドラマをよく見ている。今やっているのはパン屋の話で・・とは言っても、親が火事を偽装して殺されるとか、死んだはずのフィアンセが実は生きていて執着してくるとか、親子のように暮らした2人がほんとに親子だったとか、幸不幸がてんこもり、恋愛サスペンス人情コメディ料理ドラマなのだ。んな、アホな・・などと思いながら、わりと見ている自分がいる。
今までは、母と炬燵でテレビを見る時間もあまりなかった。母は、テレビ小説でも幸不幸てんこもりドラマでも、見ていてよく泣く。炬燵を出てテレビのとこのティッシュを取りに行くからすぐわかる。昔はこんな泣かなかったよな・・などと思いながら、うつらうつらしている自分がいる。
2016年11月13日
「花ゆかり」。それが、中之条町のブランド米の名称。
群馬では、川場村の「雪ほたか」が有名だろうか。あれはあれで、道の駅で少し高めのおにぎりなどで売っているが、確かにおいしい。おいしいお米は最強である。
数年前より、中之条町ではブランド化の促進事業として、町内の生産者が作る米の中からその年一番おいしい米を選ぶこめコン、つまりはお米のコンテストを行うようになった。花の駅美野原のその会場に、初めて行ってみた。
野外ではポーン!という音と共にはじけた「ポン菓子」の無料配布や、その場で焼く焼き餅の無料配布が行われている。室内では茶碗一杯のご飯が提供され、地元農協が販売する「沢田の漬物」のほぼ全種を食べ比べできるコーナーもある。
メインのこめコンテストは、町長など審査員による審査だけじゃなくて、我々一般も参加することができる。10個の炊飯器が並べられ、中之条高校生物生産課の学生の手伝いのもと、ひとくちずつを試食し、最もおいしいものに1票入れるのだ。
米の違いがわかるって、カッコいいよね。僕はあんまりわからなかった。水かげんから炊き時間までピタッと合わせて炊かれるお米、甘さがあるなとか、気持ちモチっとしてるかなとか、確かに違いはあるものの、どのお米も美味しかったのだ。僕の予想は・・きちんと外れた。
繰り返すが、おいしいお米は最強である。おいしいお米を食べて、しみじみできる瞬間があるだけで、生まれて良かったニッポンに。とさえ思う。
2016年11月12日
めっかった群馬に書き始めたのはいつからだったか。
抜井さんと堀澤さんは、ほぼほぼ一日の終わりに、
その多くは酒も飲んでいるのだろうが、きちんと書いている。
偉い偉くないではなくて、習慣化されているんだろう。
今月こそはと、僕も枕元に自分のPCを置きっぱなしにし、
寝る前の数分にパチパチしていた。11/11までは。
疲れたからちょっといいよね、とパスをして、
気付けば月末最終日である。ここまで酷いのは2度目か。
その他も、まるで「夏休みの宿題」のように、
月末頃になってヒーコラキーボードを打つ月が多い。
思えば実際の夏休みの宿題も、そうだった。変わらんのだ。
というわけで、今日以降の投稿は速読ならぬ速書になる。
月を跨いだ時もあるけどそれでなんとかやってきたのだから、
それはそれで才能ではないのか・・
などと思っているから、繰り返すんだいね。人間だいね。
2016年11月11日
アメリカ大統領選の結果で世はてんやわんやである。
めっ かった群馬で政治の話は御法度なので・・うそ、語る言葉をもっていないので書かないけど、リーダーシップについては少しは書ける気がするので書いてみるこ とにする。僕の周りにはいわゆる社長さん達もいて、仕事に限らず先頭をきって事を成している人たちがいるのだけれど、リーダーと言って一番に思いつくのは 築地魚河岸・山治の山﨑康弘社長である。(僕は一時期、今の会社で築地の山治から届く魚を吾妻の家庭に配達する仕事をしていた。ほんと何屋なんですか ね・・)
築地の中でも大手 の魚河岸の社長である。一方の僕は仕入れ量は目刺しまでもいかない程度の地方のペーペー顧客である。けれど、河岸に行ってぞんざいに扱われたことがない。 自らが売り場に立ち、声を枯らして魚を売っている社長。僕を見つけると、「おおー」と手を上げ社長のお母さんに言って紙コップに入れた温かいコーヒーをく れる。その見下さない態度は社員にも同じなようで、築地全体がそういう職場ということもあるかもしれないが、まるで家族のように社員に声をかけ、各々を ちゃんと見ている。その一方では世界をまたにかけ魚を流通させ、河岸の移転反対の声が高まった際には先頭をきって皆の意思を代弁し、常に先を見据えてい る。
つまりは、「部下やお客さんの立場まで下りてこられる柔軟な心をもち、けれど志は常に高みを見ている」ということに尽きるのかもしれない。そういうリーダーがいる場所には、「この人と一緒なら、自分はもっとやれるかもしれない」という気持ちが育つ。
優 しさと意思の高さ、そのどちらかだけだと「あの人俺等に優しくしてくれるけど、何がしたいかわからないんだよね」とか、「ずんずん先へ行こうとしてるけ ど、俺等のこと見てないよな」とか、愚痴が出てくる。そして彼はその自分のやり方を口で語るのではなく、一つ一つ実際の行動で示していくのである。それは 誇張すれば背中で語る、ってことかもしれない。一度、社長の車で築地界隈のお得意さんのところに一緒に回った時は、会う人会う人の彼に対する思いが熱く て、それは仕事や三社祭りを通して利益や気持ちを通わせてきた年月がそうさせるんだろうけど、「この人のためなら人肌脱ぐぜ」って気持ちが目に見えるんだ よね。そんな場所に立ち会うだけで、とても気持ちが良い。
何年たっても僕にそんなリーダーシップがとれるとは思わない。けれど、先を切り開いていく人はそういう人であって欲しいと思う。
2016年11月10日
アーツ前橋で行われた展示「表現の森」の一部に、映像記録として関わらせていただいた。めっかった群馬のすーさんが観に来てくれたことを書いていて、それを読んだ時は嬉しかった。
この展示の参加作家さんである群馬在住の後藤朋美さん(Gottonさん)が挿絵を描いた吉本ばななさん著「おとなになるってどんなこと?」を、この展示の関連のコーナーで買った。吉本ばななさんの本はそこそこ読んでいて、中でも短編集の「デットエンドの思い出」「体は全部知っている」は、おじさんが読むには抵抗あるかもしれない吉本さんの本の中にあって、読まないのはもったいない名作だと思っている。
「おとなになるってどんなこと?」は、ちくまプリマ-新書から出ているエッセイ集で、この新書シリーズは「こどもたちに向けて、その筋の先駆者が、わかりやすい言葉で深いことを語る」シリーズなようで、この本でも勉強のこと、友達のこと、生死について、生きる意味などがこどもにも伝わるようなやさしい言葉で書かれている。でも、僕のようなずいぶんな大人が読んでも発見があるよい本だった。ページをめくる手をやさしく後押ししてくれるようなGottonさんの線画も良い。
発見があると言っても大半は「そうなんだよ」とある程度しったかぶれるものなのだが、自分では考えもしなかったことでひとつ心にひっかかった箇所がある。引用すると
「大人になるということは、つまりは、子どもの自分をちゃんと抱えながら、大人を生きるということです。」
子どもの頃の出来事がこの年になっても影響しているな、と思い当たることは多々あるのだけれど、今の自分の中に子どもの自分が《まだ》いるなんてことは考えたこともなかった。ああ、僕は(ある程度)子どもの自分を過去のものとして、そこにふたをしてやってきたのかもしれないな、と。(ある程度)と書いたのは、周りをみると僕よりもっと頑丈にふたをしている人は多い気がするからだ。自己啓発に興味はないが、このあたりのことは今後ぼんやり考えたいなと思った。ちなみに、僕が魅力的に感じる人の共通点もまた「子どもの自分をちゃんと抱えながら大人を生きている人」と言えなくもない。
あなたはどうですか?
2016年11月09日
新米が炊きあがる。
釜を開け、立ち上がる湯気。
茶碗によそり、食卓へ。
そこにはすでにこんがり焼けた秋刀魚がある。
まずはご飯を一口。
はふはふ言いながら、大根おろしに醤油を垂らす。
秋刀魚に箸を当てる。ぱりっと音がして身があらわになる。
大根おろしを乗せて、口に運ぶ。
じゅわっと脂が広がり、大根おろしが絶妙に押さえる。
すかさず、すかさずご飯を口に。
秋刀魚とご飯とが、輪になって踊る。
まあまあ落ち着けと、大根の味噌汁をすする。
秋刀魚、ご飯、味噌汁、秋刀魚、ご飯、たくわん、味噌汁・・
全てを、まんべんなく食べ終わる。
そのタイミングで運ばれてくるお茶。細くゆれる湯気。
ずずずとすする。もろもろが、すーっと下りる。
深呼吸ひとつ。
多面的にむかれた柿を口に運ぶ。ふに、ふに。
そうしてようやく、食卓から解放されて。
顔を上げると、窓の外には赤や黄色の紅葉。
ごちそうさま。
2016年11月08日
風邪の治りかけということもあり、10月が急がしかったせいもある。
ここ数日やることなすことに身が入らない。
ここめっかった群馬も、なんだか以前のように言葉が繋がっていかない、気がする。
でも一番の理由は「本気でないから」だということも気付いている。本気でないと、そうなる。
せっぱつまった時に、人は力が出せるという。そうだろう。
僕は締切があって初めて動ける人間でもあるので、尻に火がつけばそれなりには動く。
そういう期限の問題ではなくて、日頃動けるかどうかには、本気かどうかが関係している気がする。
どんな些細な事でも、クリエイティブではなくルーティンワークな作業でも、嫌な事でも、
本気になればやれる。上達する。本気でないと、身が入らない、つまらない。
理想としては、気付いたら本気で手や頭を動かしていた、という状態が良いけど、
身が入らないことを本気でやってみる、という実験もある程度はうまくいく気がする。
若さとはつまり、本気の対象を移り変えながらその時その時にのめり込むことかもしれないが、
今本気になれるものがないとしたら、それだけ周りに気をとられ病んでいるのかもしれない。
「いつやるの?今でしょ」
一昔前にそんな言葉が流行ったなと思い出し、口に出してみたけど・・よけいに気が萎えた。
本気になれない時はそう、そのうち本気になれるさ、と特になにもしないという手もある。
などと申してもう眠い。昔も今も寝るのは好きだなー。今夜は本気で寝よう。
2016年11月07日
はい、そうなんです。昨日商工祭においてごほうびの白菜などが当たるダーツ目的のために町民らの手によってむかれた柿は、翌日にはJR吾妻線中之条駅のホームに、駅員さんらによって干し柿になるべく吊されるのです。
たいして大きくない素朴な駅のホームに干し柿が連なる様子は、上毛新聞などで取り上げられることもあるのでご存じの方もいるかと思うけど、実は数年前からこのような仕組みが出来上がっていたそうです。それまでは、むくところも駅員さんがやってかなりの大事だったそうな。
手際よく柿に紐が結わえられ吊されている様子を撮影していると、話題は昨夜のテレビ東京のバラエティー番組の話に。中之条町六合出身のお笑いコンビ、M-1グランプリ出場も果たした「タイムマシン3号」の関太さんが、中之条町観光大使として六合を紹介していたのだ。関さんと僕は会ったことはないけれど同い年で、学生時代に多分どこかですれ違ってはいると思われる。その六合の紹介の一節、とても良かった。
尻焼き温泉に始まり、野反ライン山口での熊・鹿ランチ。喜久豆腐店で厚揚げを食べて関さんの祖母であるこね鉢職人の関千代衛さんも出演、京塚温泉にも入り、「白根の見える丘」に宿泊し、最後は僕も先日撮影に行った芳ヶ平が見渡せる絶景ポイントを紹介。熊・鹿ランチを常食していたかどうかはわからないが、彼の紹介は「観光大使になったから、今までは知らなかったけど紹介しまーす」というものではなく、実際自分の過去をさかのぼるような場所であるように思え、それが良かった。それくらい、六合は地理的にも人間関係的にも狭いということでもあるのだけれど・・
「故郷をPRする」とは何だろうか。僕の知り合いにも、町づくりを声だかに掲げ、あるいは自分のやりたいことをやっているだけさ、というそれぞれのスタンスでその地で発信している人は多い。なにか突飛なことはしなくてもいいと思う。ただ毎年恒例になるくらい、あまり無理なくしっくりと継続させていることに対しては、ある日外からブロガーなり取材なりが訪れて、世に広まっていくことは確かなように思う。
中之条駅の干し柿は、1ヶ月ほどして食べ頃になると駅利用者に配られます。残念ながらその御利益は、まだいただいたことがない。
2016年11月06日
秋まっさかりの日曜日。中之条町町内をはしごした。
まずは「商工祭」が行われているツインプラザ。お目当ては、柿の皮むきの撮影。柿の皮むき?
人が列をなして柿を求める。それを食べたり持ち帰ることはなく、それぞれが包丁片手に皮をむく、むく。
丸テーブルの上には皮が山積みになり、また人が列をなしてむいた柿を係に戻す。
そうした人はダーツに参加でき、白菜やらティッシュやらが無料でもらえる。皮むきの報酬だ。
「なんでそんなことをするの?」に対する答えは明日にとっておくとして・・
軽トラでの野菜売り、鮎の塩焼き、バーゲン、吹奏楽部の演奏・・商工祭は尋常じゃない人出だった。
次いで中之条町と渋川市の境近くに今年オープンした「うた種」へ。
僕が働く店が入っていた「ふるさと交流センターつむじ」で働いていた曽根原さんが、
長年使われていなかったレストランを旦那さんとリノベーションし開く小物販売とお茶の店だ。
今日は「もみじ祭り」というイベントで、はるカレー、Agenn、飯塚ファームといった
それぞれにファンがつくような店の店主が、野外、もみじの下に集まっていた。
お客さんにも見知った顔が多く、早くも人気店になりつつあるうた種を嬉しく思う。
ここも撮影目的があり行ったのだが、カレー・スープ・ケーキと平らげてしまった。
そして今日が開催最終日となった「秋、酒蔵にて」。
こちらも大変な混みようで、白いのれんの奥ではこのめっかった群馬の堀澤さんが
忙しそうに料理を皿に並べていた。その20種の料理が一度に味わえる御膳は先日食べた。
こちらは撮影目的ではなく、最後にもう一度器や皿、小物などの展示を見たかったのだ。
今回のテーマである凸凹。各作家が作るものはとても個性的で良かったのだけれど、
人の光と影を表わしたかったという、草と皮を使った森之手仕事家の桑原さんの作品が
良くて、彼女が作った皮のキーケースを買った。
中之条町は小さな町ではあるが、今日はこのように各所で人が集っていた。
無料で何かもらえる、安く買える、お気に入りの店が出る、毎年楽しみにしている・・
理由は様々なれど、いい天気と紅葉時期とも重なり、どの場所も幸せで満ちていた。
「人が集まる場所というのは、永遠に続くわけじゃないから、儚くていいんだ」
枝を離れ地に落ちる葉を見て、そんなことが脳裏に浮かんだ僕は、
確実に年を重ねているのだろう。
さあ、11/18-19-20は、僕が長年関わっている「伊参スタジオ映画祭」です。
2016年11月05日
六合地区を北から南に流れる白砂川。吾妻橋から眺める北の山々は、派手な彩りではないけれど、確かに紅葉していた。
中之条町の観光映像を1年を通して撮影している。秋は、完全に出遅れてしまった。今は町なかで紅葉は見頃。ひとやま越えた六合ではすでに終わりかけているところも多い。後悔とともに、それでもと場所を定めてRECボタンを押す。橋の対岸にいくと、南には村道にかかる吾妻橋がかわいらしいサイズで望める。ふと見た時に見えた軽トラが1台通っていく様が良くて、さあ来い来いとビデオで待ち構えていたら、それ以降ずっと車が通らない。ええいならばと、回るカメラを放置し、自らの車でぶいーっと道を回り橋を通った。そういうカットはだいたいが使わないこととなる。
フリッツアートセンターで古書を扱うsuiranの土屋君から、「この本には僕が本を売る上で大切なことが全部書いてあるんです」と勧めてもらった詩人の長田弘さん著「なつかしい時間」の中に、「眺めの大切さ」という文章がある。一部を引用すると
【目の前の風景を眺めていて、気がつくと、自分の人生の風景を眺めている。そうした「思い」を深くするのが「眺め」です。】
という一節がある。雄大な自然を映像に撮る時に、その場で感じる感覚と映像に残るものの差があまりに大きく。これはカメラの性能というよりは映像の限界なのだろう、などと思っていたものだけれど、それだけではなくてそこには「その景色を見ている自分の心象」が残せない、ということが影響しているのかもしれない。それであればむしろ絵画の方が、それを残せるのではないか・・
などとぼんやり考えていたら、大きなくしゃみが出た。もう、そんな寒さだ。
2016年11月04日
世では「君の膵臓を食べたい」なるタイトルの小説が流行ったらしいが(ハンニバルな内容でななさそう)、「鯨の膵臓」をもらって食べた。希少かつ高級品である。ごま油と塩をつけ口に含む。レバ刺しのような食感で、後に甘さがくる。美味しいのだけれど、言葉にしにくい味。鯨の本皮も食べさせてもらった。酢味噌をつけてペロリ。肉とも魚とも違う絶妙なあぶら感。
最近、地味な風邪をひいていて、体調が停滞していたのだけれど、それら鯨を食べた翌日はよく体が動いた。精がつく、ということなのかもしれない。バッと想像を広げれば、山で暮らす先人は熊でも鹿でも食べて精をつけた(今でも六合のてっぽうぶち(猟友会)の人は食べてるけど)イヌイットの人は、過酷な環境下においてアザラシも食べるらしい。そういった生命力のある動物の命を体に取り入れると、命がたぎる、ということを知っていたからではないのか。
ちなみに、僕個人で「これは効く」という食べものは、行者ニンニク。大量にもらった時に炒め物にしたら、翌日勢いがとまらなかった。人は年を経てそういった食べものに惹かれていくのかもしれない。そうだ思い出した、おならもとまらなかった。
2016年11月03日
岩櫃(いわびつ)。今年は何度この言葉を口にしたのだろうか。
会社のある東吾妻町のシンボルともいえる岩櫃山。源頼朝が狩りの途中に「あの山はお櫃に似てるじゃないか、ご飯食べたい腹減った」みたいなことを言ったのが起源とされるその山は、現在放送されているNHK大河ドラマ「真田丸」のタイトルバックにもなっており、東吾妻町は町を上げてのPR作戦を決行。僕はお仕事としても各種印刷物や横断幕、自動販売機のデザインをさせてもらい、ボランティアとしても「岩櫃城忍びの乱」という変わった名の実行委員会に身を置き、先月末には大きなイベントも行った。
11/3の文化の日は、岩櫃山のふもとにて「紅葉祭」という地元住民によるお祭りが行われる。祭り自体はささやかなもので、餅をついて太鼓を叩いて豚汁と焼きまんじゅうを売る程度の小さな祭りだ。今年は真田丸効果だろうか、近くの駐車場は満車。賑わった。仕事以外で体を動かすことのない僕ではあるが、今日はローカルなCM撮影の手伝いで岩櫃山を登った。数日前には「岩櫃忍び登山競争」の撮影で登ったばかりだというのに・・・。けれど岩櫃山は、僕が暮らす中之条町の嵩山(たけやま)のように整理された緩やかな登山道が続くわけではなく、沢を登ったり岩場を進んだり若干アスレチック感があるので楽しい。
山はいいなぁ。今頃であるが、そんな気持ちが芽生えつつある。
2016年11月02日
5年くらい前か、堀澤さんが「年をとるとあれこれ出来なくなって選択肢が少なくなるから迷わなくて良い」というようなことを言っていた。その当時僕も冗談で「年だから」と言うことはあったが、身につまされだしたのはこの2年くらい。先月は前半半分寝不足を続けたら、後半はずーっと調子が悪かった。で、今はコホンコホンと咳までしている。
映画『ルパン三世 カリオストロの城』で、瀕死の状態になったルパンが、手当たり次第に肉だ何だと飯を食らい、直後にパタリと眠り、目覚めた時には全快して敵に挑んでいくシーンがある。僕もいい年まで(現に今もちょっとは)そんなもんだと思っていた。どんなに疲れていても、豚骨らーめん替え玉2回してガーっと寝れば翌日はピンピンしていた。でも最近は、疲れる原因の上位に「食べ過ぎ」がくる気がするのだ。恐ろしい。腹八分目が良い、ということは子どもでも知っているものだが、満腹=健康を地でいっていた僕は、36を過ぎた今でも年齢による体質の変化を認めることができないでいる。
今日などは「風邪気味だからいつもより腹が減る」という思い込み?から、朝は厚切りのトーストを2枚食べて、昼は近所で行われている「秋、酒蔵にて」という展示会の限定ベーグルサンドとチョコベーグルを食べ、夜はカレーとナンを食べた。小麦粉ばかりである。お腹の中が粉でいっぱいな気分。まあ多分、食べ過ぎを後悔している年頃ならまだかわいくて、食べ過ぎにすらなれなくなった時に僕はやっと、自分の変化を認める・・の・・だろう。
県内のクラフト作家が集まる毎年恒例の「秋、酒蔵にて」は、11/6(日)までの開催で、期間中の昼には堀澤さんによる酒蔵ランチも食べられます。とても気分が良い展示会なので、ぜひとも足を運んでください。
https://www.facebook.com/events/306957382997707/
2016年11月01日
抜井さんが句集「真青」を出した。と聞き、その快挙はひとまず置いておいて(!)、共通の知人であるTさんが「ネット俳句?で有名なクズウさんて方が岡安さんの事知ってましたよ」という連絡をくれた。クズウさんとは葛生淳一さんのことで、僕は過去に面識がある程度なのだが、その時に「強面で真面目」な印象しかなかったので「俳句もやるの?」と驚いた。で、検索したらクズウ氏の俳句はすぐに見つかり、なるほどユーモア抜群で実感もこもっており、言葉の並べ方が面白い。まさに句作を楽しんでいる句のように思えた。
そんなことをメール上で抜井さんに送ったら、「私などは真逆で、いわば、ピルスナーばかりを何種類も…。身につまされます。」という返事が返ってきた。彼は実際ハイカラなビールよりもサッポロやモルツ、一番搾りといったピルスナーを好みそうだし、奇をてらった句も少ないに違いない。けれどこの返事は必ずしもへりくだっているわけではなくて、そんな自分にある種の自信を持っていることも感じさせた。
めっかった群馬に今書いている4人は、誰かに選ばれたわけでもなく、抜井さん堀澤さんがはじめた日々の投稿に、「気軽にやってみない?」とすーさんと僕が騙されて(!)入っただけのことである。でももしかすると4人とも、「派手な起伏はなくて、一見すると変わらないけれど、小さく変化していくこと」が好きかもしれないと思う。日ごとに味を変える発酵食とか、同じビールなのに今日ななぜ苦いのだろうとか、普通の顔してるけど心は泣いてるとか。
今日、大きな本屋でふと「ヌクイリョウイチ」と検索したら、「真青」が検索結果に出て、「在庫0。お取り寄せになります」という表示が出た。失礼な話だが、お取り寄せなところがいいな、と思った。読んでもいないので乱暴な推測だが、「真青」はきっと、すっと天を仰いで「空が青いな!」という本ではなくて、1度1度顔を上げて、たまに3度顔を落として、また少しずつ顔を上げて、ようやく空の青さが視界に入るような本に違いない。出版、おめでとうございます。
2016年10月31日
最終日の本日はハロウィン。
福島県からの帰路、偶然に立ち寄った栃木県のスーバーでは、
ハロウィンイベント真っ最中であった。
店員の方々が、頭に小さな角をつけたり、マントを着ていたり、
ごく控え目に仮装していた。
角をつけたおじさんが豆腐を並べていたり、
魔女に扮したおばさんが、レジを打っていたり。
期間中のイベントであるじゃんけん大会の時間に、
丁度居合わせ、魔女のおばさんとじゃんけんをすることになった。
残念賞でみかんの二つ入った袋をもらった。
袋の中には、みかんと一緒にクリスマスケーキのパンフレットが入っていた。
さて、明日からは岡安氏です。
吾妻渓谷が綺麗な時期でしょうね。
2016年10月30日
亀の形をした遊覧船に乗船し、猪苗代湖を回った。
船の名は「かめ丸」である。
強風の為、出航が危ぶまれたが、かめ丸は湖へ出た。
時期によるものだろうが、湖に霧は無く、水も空も、
澄み切っていた。
湖底を覗くと、水草などもなく魚もなく、
水の青がおそろしいくらいに澄んでいた。