日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

2252声 田に空

2014年05月23日

田んぼの畔に腰かけた麦わらのおばあさん。

何をするでもなく、じっと田んぼを見ていた。

田植えが済んだばかりの田んぼ。

稲はまだ細く、そのほとんどは張られた水。

―――水鏡。

今日のような天気の良い日は、田んぼ一面に反射した青空が映る。

おばあさんはその光景をじっと見ていたのだろうか。

秋には秋で、田んぼ一面は黄金色に輝く。

それもまた、見入ってしまうほどに美しい光景。

しかと目に焼き付けておかないと、季節はひゅんと過ぎ去ってしまう。

2251声 青くさい

2014年05月22日

「誰々ちゃんが結婚するから、メッセージ書いて」

と連絡があった。

もう何年も会っていない誰々ちゃんは、10代のころ好きだった子だった。

好きになったきっかけは、彼女の声が良い声だったから。

青くさい。

その頃もその後も、告白できなかった。

すれば玉砕していただろうし、むしろ今となっては

しなくて良かったと思っている。

なんとも青くさい。

 

メッセージを書きに行く車の中で

ちょっと泣いた。

メッセージを掲げて写真を撮ると聞いてたから、

鼻毛のお手入れをしたのだ。

どうだ!年相応だろう!

 

幸せになってほしい。

2250声 はじめてしまえ

2014年05月21日

5/14の投稿に書いた、

「日本映画大学による中之条町六合ドキュメンタリー合宿」が

約1週間の撮影期間を経て、昨晩無事に終了した。

上毛新聞でも取り上げられた「めんぱ」という木製の弁当箱を作る職人、

膨大な手作業で木を削りうどんをこねる「こねばち」を作る職人、

暮坂芸術区という場所で長年陶芸を続ける陶芸家、

ネット販売などを駆使し農業で地域を活性化させたい若手農家、

彼ら4人の日々の仕事、人生についてのインタビューを

撮り終えた学生たち。全て出し切った、という顔をしていた。

作品完成の後には、ぜひ六合での上映も行いたいと思っている。

 

映像制作に限らない話と思うが、

迷って踏み出さぬままよりは、はじめてしまった方が良いことがある。

出会い、心を決めて、行動すれば、物事は進んでいく。

自分の中の必然性が満ちるのを待つのも良いが、

誰かと関わり約束をすれば、やらざるを得ない。

はじめてしまえ、の精神である。

 

最終日の昨晩、酒も入り、出来たこと出来なかったことに喜び、泣く学生をみて、

僕らのころと何も変わらないな、と思った。それと同時に、

合宿初日に合った彼らの顔とは、ずいぶん違って見えるぞ、と嬉しくなった。

2249声 揚げもん

2014年05月20日

野菜の次はまんまと肉の話。

会社で使うバイクのライトが玉切れで、修理に出した。
バイクを預けるので修理の工場まで片道は歩かねばならない。
時間にして10分ほどの距離。

・・・それならば仕方ない、と、
今日のお昼は、その通り道近くにある
群馬原町駅前の「ほづみ畜産」で揚げもんを買った。
鳥ささみフライ、豆腐カツ、揚げギョーザ4つ。
白い油紙の袋に入る茶色い面々。
頼めば、そこにソースをたらーっとかけてくれる。
これを食べ歩きしながら、工場へバイクを取りに向かった。

 

どの商店街にもある、あった光景だろうが、
肉屋の揚げたての揚げもんは、安くておいしい。

 

僕が住む中之条町にも、中心商店街の側に
「若竹食肉店」という肉屋があり、こどもの頃親と通った。
ここのコロッケは、コロッケと名ばかりで
イモが一切入っておらず、ひき肉ぎっしり。
揚げたては肉汁がじゅわっと滲む。

母は普通に買い物をし、コロッケ1個だけを別注して、
店の人が小さな油紙でそっと包んで
僕に渡してくれるのが常だった。歩きながら食べた。

そんな幼少期を経て今の揚げもん体型があるとも言えるが、
それはなんとも幸福な帰り道だったと今は思う。

2248声 ごちそうレタス

2014年05月19日

「レタス何個分の食物繊維入り」
と書かれた飲み物や食べ物を見ることがある。
僕は圧倒的に野菜不足なので、
それもいいのかなと思いつつ、手は伸びない。

 

高崎市中居町に「BIOSK(ビオスク)」という
変わった名前の店がある。
ドイツが本場の「BIO」(有機)と
「KIOSK」(売店)を合わせた造語。
なるほど、小さな店内には、無農薬・無肥料の新鮮野菜や、
その野菜を使ったケーキ、ソースの瓶詰などが並ぶ。

・・と、ここまで書いた時点で
「自然食品店ってお高くとまってる気がして嫌い」
という方はいませんか?僕もわりと苦手なタイプ。

店主の櫻井さんは、農家もしながらこの店を
奥さんらと切り盛りしている。このBIOSKは、
「もっと気楽に、健康でおいしいものに出会ってほしい」
という櫻井さん夫婦の思いから、2012年にオープンした。
そんな店内は、風の抜けが良い。

 

昨年、ここで1個のレタスを買った。
甘い。みずみずしい。えぐみとか青臭さがない。
・・何だこれは!僕にとっては完璧なレタスだった。

肉肉大好きだった小学生の僕が、このレタスを
食べていれば今頃野菜大好きスリムボディ
・・になっていたかどうかは甚だ疑問だが、
この店では、そんな食べものとの出会いがある。

明日大事な人たちに食べさせようと、二個買った。

2247声 死ぬふりだけでやめとけや

2014年05月18日

草津温泉の繁華街から少し離れた山の中、
熊笹に囲まれた静かな区域に、
ハンセン病療養所、栗生楽泉園はある。

 

日本映画学校在学時に、同ゼミ生が
ここを舞台に『熊笹の遺言』という
ドキュメンタリーを制作した。
その作品の主人公でもあり、
ハンセン病原告団会長でもあった
谺雄二さんが今月亡くなったことを受け、
『熊笹の遺言』の今田監督と共に久しぶりに
栗生楽泉園を尋ねた。

 

ハンセン病には差別と闘いの歴史がある。
「重監房」と呼ばれた特別病室・・
いや、刑務所よりひどい隔離小屋というか、
その「重監房」を再現した資料館も
今年の春から開館していた。
今からおよそ100年前、
ここに隔離されたハンセン病患者が、
コンクリートの無機質な狭い部屋に
閉じ込められ、冬はマイナス18度にもなる中、
次々に死んでいったという現実を
建物として再現された「重監房」や
再現VTRなどとともに知ることができる。

 

この資料館の完成は、自身が先頭になって
自らの病やそれに対する偏見、記憶の風化に
立ち向かってきた谺さんの念願だったという。

 

『熊笹の遺言』は、差別や闘いの悲しみを
映すとともに、彼らの日常生活にも注目し、
ハンセン病が対岸の火事ではないことを
知らせようとしたドキュメンタリーであったと思う。
10年前に比べ入所者が半分近くに減った
楽泉園には、今日も穏やかな時間が流れていた。

 

谺さんの活動を最も近くで支えていた方より、
この春刊行された谺雄二詩文集をいただいた。
細かい文字で381ページ、ずっしり重い。
そのタイトルは、

 

「死ぬふりだけでやめとけや」

 

天気の良い午後だった。熊笹が、風に揺れた。

2246声 露天風呂活用法

2014年05月17日

最近、まあなんとも快晴な日が多く、

暑くもなく寒くもないこの時期、至福の時間が流れている。

月明かりの下もいいし、雪降る中もいいが、

こんな日の露店風呂もまた格別。

 

草津温泉の西の河原露天風呂は、

500平方メートルの露天風呂。ただただ広い。

その中央あたりに、温泉の水面やや下の高さの、

大きくまっ平らな岩がある。

横になり空を仰げば、日頃使わない感覚が開く。

 

目を見開いても、視界すべてに映るのは空。

すっぱだか。背中やおしりは、ひたひたと温泉で温められる。

水の音、鳥の声、雑木林が風になびく音・・・

 

昔、ドイツの「オイリュトミー」(精神性を重んじた運動)

の超初歩を習う機会があり、もう全く覚えてもいないのだが、

それを対露天風呂用に勝手に応用?した技も記したい。

露店風呂に腰までつかり目を閉じて、

ゆっくり息を吸う時に、周りの自然から、

新鮮できらきらしたものを上半身全てで吸い込むイメージをして、

ゆっくり息を吐く時に、お湯の中に、

ストレスとかどろどろしたものを下半身全てから出すイメージをする。

 

精神世界とかまるで無頓着な僕ではあるが、

これをやると案外すっきりした気分になる。

あ、でもその際、決して尿意その他をもよおしてはいけませんぜ。

2245声 顔のみえる町

2014年05月16日

「TAKASAKI CIVIC VISION RUN」

というかっこいい名前の活動がある。
市民主体のまちづくり活動、をスマートにした感じかな。

そのなかで、高崎市民ボランティアの有志が集まり、
高崎のCMを作ろう、という動きがあり、
感心もあったので打ち合わせの席にちょこんと
同席させてもらった。

その班は「音楽のまち高崎」をテーマにした
CMを作ろうと案を出し合っていて、
なるほどアントニン・レーモンド作の
高崎音楽センターや、まちかどでの生演奏など
高崎において「音楽」は大切なカテゴリーながら、
それが市外一般にまで伝わっているかというと
まだその段階ではないのかもしれない。
見知った顔が多いそのグループでも
基本楽しそうに、けれど真剣に話し合いを進めていた。

 

その帰りには、明日(17日)が現在の場所での
最後の営業となる(ほ)の人の立ち飲み屋
「ザブン」にも顔を出した。運転で酒も飲めないのに・・

明日の一旦最終営業を惜しむ人たちがおり、
ただの飲み屋ではなく
「その場所とそこにいる人を必要とする人たち」
の場ができていた。

女川直送のホヤ、美味しかった。

また、そのホヤをつまみに日本酒をクーッと飲む

格好いい女性とも顔見知りになれた。

 

いろいろな縁があり、高崎は見知った顔が多い。
どの場所にいれば誰がいるのかも、だいたいわかったりする。

東京を例にするのもどうかと思うが、
いくら町がきらびやかで娯楽にあふれていても、
見知った顔がなければそこに根は張りにくい。

 

顔のみえる町。そこから、何かが始まってゆく。

2244声 決断

2014年05月15日

決断を迫られている。

昨年買ったスーツのズボンは別として、他のズボンみなウエストがきつい。
ベルトなしでも全く問題ない。むしろ、ズボンによっては食後、
「一番上のボタンを外してベルトでやんわり閉める」
という上級レベルの技で凌いだこともある。素人は真似しないでね。

決断とはつまり、
ウエストに余裕のあるズボンを買うか、
痩せて今までのズボンをはき続けるか、
の二択である。

今日は、自分の弱さと向き合いながら、唐揚げ弁当を食べた。

実に難しい決断だ。

2243声 映るものは

2014年05月14日

昨日より、神奈川県川崎市にある日本映画大学の学生が、

中之条町六合地区にある使われていない入山小学校で合宿をはじめた。

目的は、六合に住む人々のドキュメンタリーを撮ること。

映画大学の前身である日本映画学校は僕の母校でもあるので、

今回、取材対象者や六合の人たちとの橋渡し役で

協力をさせてもらっている。

 

書き始めると膨大になるが、僕は学生時も今も

ドキュメンタリーにつくづく興味がある。

例えば、ビデオカメラを間において映るものは、

カメラのこちら側とあちら側の関係性しかない気がする。

親しければそのように、距離があればそのように、

それは対人に限らず、自然や食べ物を映す時もしかり。

時と共に変わってしまう関係性を残すというその行為は、

10年そこらでは掴みきれない魅力がある。

 

取材対象の一人で、六合で木の切り出しから始め、

うどんなどをこねる「こねばち」を作っている老職人がいる。

若い学生たちをみて、一から削ってやろうと意気込んでくれている。

どんな関係性が映り込むのだろうか。応援したいと思う。

2242声 かえるの唄が

2014年05月13日

夜。うちの裏のあぜ道で、かえるの合唱が聞こえる時期になった。

グワグワグワグワ・・・

夜のあぜ道を歩くなんてのは、考え事があったり寂しかったりする時くらいなもので、

かえるの唄に包まれると、十代後半のあの頃に、すっと気持ちが戻る。

グワグワグワグワ・・・

過去に戻ってやり直したいとはあまり思わないたちなのだけど、

そんな時は、あの頃にかえることが出来たなら・・と思ったりもする。

 

2241声 ザブン

2014年05月12日

追記

体調不良につき今夜の「ザブン」はお休みだそうです。

 

「めっかった群馬」読者の方には説明不要かもしれないが、

料理家・堀澤宏之さんの店「ほのじ」と並ぶ夜の店「ザブン」が、

店移転に伴い、現在の場所での営業があと5日となる。

 

「ザブン」を知らない方に簡単に説明をすると、

「めっかった群馬」立ち上げ人である料理家・堀澤さんが

高崎市元紺屋町の「MOTOKONYA」という貸スペースで

夜限定のクラフトビールとつまみの立のみ屋を営んでいる。

その名が「ザブン」。

「どうすれば旨いビールが飲めるかしか考えていない店」

「そういうことが好きな人が集まる店」とも言える。

このサイト読者の方にはぜひ今のかたちも見ていただきたいと思い、

頼まれてもいないのに勝手に書いてみた。

 

ところで、店の名前の由来をまだ聞いていない気がする。

「え~い、飛び込んでしまえ!」ということなのかな。

ネクタイなんぞポーンと投げ捨て、

ビールの泡にうきわを浮かべ、

ザブンとのまれる夜があってもいいと思う。

 

「ザブン」FBページ

https://www.facebook.com/tachinomizabun

移転閉店までの営業日

12日(月)営業(19:00~23:00)
13日(火)営業(19:00~23:00)
14日(水)休み
15日(木)営業(19:00~23:00)
16日(金)営業(19:00~23:00)
17日(土)営業(19:00~23:00)

2240声 母への

2014年05月12日

今日は母の日。
スマーク伊勢崎にて、
「ちょっと買い物したお客さまに、
お母さんやおばあさんへのありがとうを
その場でビデオ撮影してその場でDVDにして
プレゼントする」という初の試みがあり、
その技術パートのまとめ役をした。
道行く人は、シャイである。
いやいやそんな恥ずかしい、という人が多いなか、
ノリが良く、または真っ直ぐに、メッセージをくれる方もいた。
いやいやムリ、と言っていた女子高生は、
お母さんいつもありがとう勉強頑張るね、
といい表情を見せた。
一見マイルドヤンキー的な?女性は、
実は事前のSNSを見てやりたいと思ってくれて、
健康に気を付けて何時までも元気でね、
と手を振った。
僕も事前サンプルとして、
母へのメッセージ的なものを撮って関係者に見ていただいたのだが、
その映像は残念!未公開のようで・・
今夜も何も用意していないから、
明日甘いもんでも買って来ようと思う。

2239声 迎えほにゃらら

2014年05月10日

「水と緑と詩のまち」前橋市では、面白そうなイベントが開催されています。

ひとつは今日明日敷島で開催の「A Day in the park」。

おいしい珈琲とセレクトされた古本、店主の思いが見える食べ物屋さんなどが並ぶ

気持ち良さそうなイベント。

もう一つは、前橋文学館や煥乎堂で今日から25日まで開催の「前橋ポエトリー・フェスティバル」

萩原朔太郎の詩を歌うライブや、前橋周辺の詩人のポエトリーリーディングなど

知性が香るイベント。

 

大型連休、疲れましたよね。仕事した人も、遊んだ人も。

この週末は、寝て過ごそう。それもごもっともな過ごし方と思います。

でも、行ってもないですけど、先に上げたようなイベントに行って癒されるものもあるのではと。

つまりは、イベント疲れを癒す、迎えイベント。

これ、対人関係に疲れた時にも同じことが言えます。人疲れを癒すのもまた、人。迎え人?

 

馬鹿野郎、俺は迎え酒だ!というそこのあなた。それもまた、正しい。皆さん良い週末を!

2238声 ごほうび

2014年05月09日

午後、暗雲ののち突如雷鳴、大粒の雨。

あっと言う間に止んで、見わたす限りの青空、あたりは琥珀色の光に包まれた。

塗れたアスファルトが、なんとも言えない淡い色に光った。

その道を走っているだけで、気持ちが洗われるようだった。

「あ、ごほうびだ」と呟いた。

 

よしもとばななさんの「体は全部知っている」という小説の中に「黒いあげは」という短編がある。

深い悲しみがあり、人生の岐路にたったのちの主人公の前に、1羽のアゲハが舞う。

それを見た主人公が、その美しさに「あ、ちょっとしたごほうびだ」と言葉を漏らすシーンがある。

 

群馬に限らないが、自然の中に、まちの中に、

はっと息を飲むような美しさを見ることがある、そんな瞬間に遭遇することがある。

そんな時ぼくは、「あ、ごほうびだ」と呟き、小説の主人公の真似をする。

2237声 山椒の味

2014年05月08日

先日、映画『月とキャベツ』の舞台となった分校がある

中之条町栃窪という場所のとある家に、バーベキューに呼んでもらった。

中之条町民ならおなじみの中央食堂のホルモンや、旬のウドも美味しかったが、

一番美味しかったのは、摘みたての山椒の葉のかき揚げだった。

衣の中身は山椒の葉のみ。味噌をちょっと加えるのがコツらしい。

 

満腹になった後は、斜面を登って山椒の若木を掘りに行った。

小さなトゲがちくりと刺さりつつ、案外根が長いのねと呟きつつ、

嬉しいおすそ分けをいただいた。庭に植えた。葉も身も食べたい。

 

いいかげんな食事を繰り返していると、翌日何を食べたのかも覚えていない時がある。

ピリッとした山椒の味は、味覚、を意識させてくれる。

年をとるにつれ、好きになっていく味。

2236声 遊び方

2014年05月07日

群馬県内で知らない人もいないと思うが、
富岡製糸場が世界遺産に登録される見通しになった。
大型連休中の人出は例年の3倍だったと言う。
テレビのニュースでは、近くの飲食店が
盆と正月が一緒に来たような大繁盛ぶりを見せていた。
今年は山登りやバーベキューなど、
実に大型連休的な過ごし方をしたが、
ここ数年は、ここが稼ぎ時とばかりに
働きまくっていたように思う。
遊ぶことと働くこと、
どちらがしっくりくるかと考えた時に
後者の方が充実感があったと思ってしまう僕は、
働き者なのではなく、
ほんとうの遊び方を知らないだけなんだと思う。

2235声 サザエさん症候群

2014年05月06日

的な言葉があるかなと思い検索したらあった。

Wikipediaによると

『日曜日の夕方、「サザエさん」を見た後、
翌日からまた通学・仕事をしなければならない
という現実に直面して憂鬱になり、
体調不良や倦怠感を訴える症状の俗称である。』
とある。

 
大型連休も今日でおしまい。
山に登ったりバーベキューをしたりと、
今年はそれらしいことをしたので、
明日からどう気持ちを切り替えていくか考えていて、
ふと、こどもの頃のサザエさんを思い出した。

 
学校が好きではなかった。
「ほーらほーらみんなのーこえがーすーるー」
という箇所になると、心の底がひゅっと冷える気がしていた。
それは僕一人ではなかったらしい。

 
サザエさんの終わりの歌は、最後サザエさんが小さな家に
入っていくところで終わっていた。
休み終わりの寂しさを感じると同時に、
その最後を見て「我が家」というものをなんとなく意識していた気がする。
帰る家がある、一家団欒がある、ということ。
今、各家庭から「お茶の間」が消えたと言われている。
家族みんなで「サザエさん」を見る一家は、希少価値モノなのだろう。

 
大人になっても気持ちの切り替えなんてできない。
仕事が始まって、それなりに体が馴染むのを見届けるしかない。
サザエさん症候群にもめげずにね、
みなさん、元気出していきましょう。

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抜井より追記
連休中にメッセージを頂いた方々、ありがとうございました。