日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。現在の担当者は堀澤、岡安、すーさん、抜井です。この4人が月替わりで担当しています。平成30年前半は、5月(堀)6月(抜)7月(岡)8月(す)9月(堀)10月(抜)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(抜)3月(岡)の順です。

68声 吹けば飛ぶように

2008年03月08日

今日は晴天。
絶好のお出掛け日和となる筈だが、そう都合良くもいかないのがこの時期の群馬県。
上州名物からっ風である。
空はカラッと晴れて、寒さも緩んだ良い日なのだが、
こうからっ風が「ゴーゴー」音を立てて吹き荒れていちゃあ出掛ける気も起きない。
特に、自転車生活者の人達はめっぽう大変だろう。

私は群馬生まれの群馬育ちなので、我人生においてからっ風との付き合いは長い。
小学生時分は、からっ風が吹いていると、よく風吹いてくる向きに背中を向けて後ろ歩きで帰ったものだ。
中学生になって自転車通学するようになると、
吹きすさぶからっ風に向って「るせー負けねーぞ」と絶叫しながら立ち向かって行った。
実際に立ち漕ぎで向かって行ったのだ。
高校生ともなると、もう戦意も喪失気味になり、「はやく車を所有したい」と思う様になった。

こう思う様になった動機は、交通の便の悪い群馬で「足」に使うと言う部分が大きく起因しているのだが、
もう一方で「風よけ」という部分もあった。
車に乗れば、からっ風の影響を受けずに出掛けられる。
これは非常に魅力的であった。
高校を卒業して、他県で生活する事になったのだが、その頃はもう全然車なんてどうでも良くなってしまった。
これは、電車網が発達していた他に、「からっ風が吹かない」と言う部分がやっぱり少なからずある。

この様に考えていると、からっ風と車所有願望との密接な関係が浮き彫りになってきた。
個人の車所有率が非常に高い群馬県。
その大きな要因となっているからっ風。
そんな、あまり面白味の無い地味な事柄を長時間考えてる間に、
さっきまで吹き荒れていたからっ風はいつの間にかピタッと止んでた。
夜の底、ちょいとそこまでビールを買いに、さて。

67声 まぜろ!

2008年03月07日

論争にね、なった事がある。
場所は車の中で、お題は「ジャム&マーガリン」。
コンビニなんかで良く見かけるが、「超ロングセラー商品」と包装のビニール袋にキャッチコピーが印刷されている、
山崎パンのコッペパンを見かけた事が一度はある筈。

まぁ特定のメーカーでなくても良いのだけれど、パンを半分に切って、ジャムとマーガリンを塗ったモノね。
私はアレが好きなのだけれど、同乗者はアレが嫌いだと言う。
確かその時、運転主を含め4人乗車していて、その内3人は否定派。
私は、後部座席で一人肯定派として孤軍奮闘。
運転手以外は酒が入っていたので、論争は激化。
一向に付かない決着。

一寸、冷静になって否定派の言い分を聞いてみると、どうやらジャムに限らず、
つぶあんやらハチミツやらの「&マーガリン」系全体において否定的な見解。
もっと言うと、それは食べ物における「ミックス」系全体に及ぶのだと言う。
「シーチキンマヨネーズ」やら「まぐろ納豆」やらの「ミックス」系ハイブリット食品への激しい糾弾が、
私に降りかかって来る。

このサイトに、食品ミックス部ハイブリット食品推進課部門の設立を企む者としては、
何としてでも否定派を叩いておきたいトコロだ。
しかし、酔っ払いのグループディスカッション程始末の悪いものは無い。
バッタに徒競走させるかの如く、話が彼方此方飛び跳ねて行ってしまう。
「ミックスカルチャー、そこに人類の進歩が懸かっているのだ!」
と、私が咆えたトコロで目的地に到着。

66声 もし、猫町へはどうやって

2008年03月06日

しっぽの短い猫を良く見かける。
その長さはまちまちで、しっぽが長く先が傘の柄の様になってるヤツや、
7部丈、ともすると3部、2部なんてヤツもいる。
二部のヤツなんてのはもう、ウサギのしっぽみたいになっている。

つい先程の事なのである。
それらの猫が、生まれつきしっぽが短いのだと知ったのは。
つまり、猫のしっぽにそう言ったいくつかの種類があると知った。

私が幼い頃、誰に聞いたのか、しっぽの短い猫はみんな長いモノが短くなったと思っていた。
それは、成長する過程でドアに挟んだり、ケンカをして負傷したりの後天的要因だと思っていたのだ。
しかし、フト気になって先日調べてみたら、見事崩壊。
先天的に長さは決まってるんだって、猫ら。
二十代も半ばを過ぎた、今の今まで信じていたのに。

あと、ペットボトルに真水を入れて置いておく、猫よけの「猫水」ってのがあるでしょう。
あれは私、信じてないんだ。
そんでもって、猫の喉の下を撫でてやると、「ゴロゴロゴロゴロ」って喉の奥の方で鳴ってるけど、
あれはどこの器官の何がなっていて、どういった状況なのか。
まぁ、気持ち良さそうだが。
なぜ、座る時に足を折って、戦車の様な形になっているのか。
なぜ、寝てばっかいるのか。
なぜ、夜中に集会するのか。
なぜ、死に際に旅立つのか。

いっそ、猫町にでも行って聞いてこようか。

65声 食って 読んで 排泄(だ)す

2008年03月05日

すなわち、ウンコなのである。
唐突に、下品な話を結論先出方式で書き始めているが、つまりはウンコなのである。

この第二段落から、何が、どうして、ウンコと言う結論に達したのかと言う、
経緯と言うヤツを分かり易く書いて行く。
つもりであったが、この「めっかった群馬」のサイト内には、
文化的な内容のコンテンツが多いので、清潔な水洗便所式にサラッと進めよう。
「和のカルチャースクール ほのじ」の先生及び生徒さんやら閲覧者の方々に、
「あの、日刊鶴のナントカで、ウンコのコトばかり書いている人ヤダ」なんて言われては敵わない。
私は、ウンコ論争の平和的解決を心より願っているのだ。

さて、私は毎日活字を読んでいる。
それが、毎朝読む新聞だったり、寝る前に読む小説だったり、形態は様々である。
そして、毎日活字を書いてもいる。
こうやってPCに向ってキーボードを叩いたりが主だが、これも形態は様々。

と考えると、活字を読んで書く事は、私の生活習慣の一つと言う事になる。
これは、食習慣のサイクルと似ている。
活字も食事も、基本サイクルは「食って排泄(だ)す」だ。

すなわち、私が毎日ココに書いている事と言うのは、生活習慣サイクル(活字部門)上において、
ウンコであると言う結論に達する。

「快食快便」と言うのは、人間の生活習慣サイクルで最も重要な事。
適度に食って、適度に排泄(だ)す。食事部門はこれが大事。
食ってないが、無理に排泄(だ)す。活字部門はこれが現状。

64声 心境が同化して神経が老化

2008年03月04日

昨日は、至る学校で卒業式が行われていた様。
夕暮時間のレストランやらカラオケに、学校の鑑札ステッカーを貼った自転車が、
駐輪場におびただしく止まっている光景を目にした。

おそらく、卒業式後の送別会だろう。
自分にも経験があるが、友達と別れる寂しさ、新しい環境への期待と不安など、
様々な気持ちが交錯し、複雑な心境で参加していた事を思い出す。

「また絶対連絡するから」
と言って、それっきりになってしまったり。
「またいつの日か会おう」
と言って、翌日にバッタリ会って遊んだり。

そして、若者達はカラオケなどに行って卒業関連ソングを熱唱するのだろうか。
そんでもって、思いで話に花を咲かせる為、ちょこっとアルコールなんぞを飲んでみるのだろうか。
自転車のペダルを漕いで、青春に向って加速して行くのだろうか。

夕焼けが差し込む廊下。
を思い出すのだろうか。
考えつつまた一つ老化。

63声 摂氏十度の冷視線

2008年03月03日

私はこれでも社会人の端くれだと思っている。
ホントに社会人なのだが、まぁそんな訳で、社会人に有るまじき日常行為に対しては敏感なのである。
その上位に位置している、「昼間っから酒」と言う行為を先日、
公衆の面前で恥ずかしげも無くやってしまった。

場所は土曜日の鈍行列車内。
同じ電車でも、新幹線、特急などでは、「特急料金」なるものを免罪符の様にかざした方々が、
昼間っから酒を飲んでいる光景が良く見られる。
しかし、こと鈍行列車ともなると話は違う。
昼間っから酒なんて、余程の地方線にでも行かない限り、日常的には見られない光景である。
そんな日常色の濃い鈍行列車内、しかも四人掛けのBOXシートでは無くて、横長シートで、
陽の高い内から飲酒。
向いに座っている、部活に向うのであろうジャージ女子高生の視線を、
出来る限り無視しながら缶ビールを開ける。

早春の朝時間、伊勢崎駅構内の気温は10度
電車に即乗車、ビール渇望症状は既に重度
缶ビール開け、頭を倒して飲む角度は10℃
人々がチラ見、向けられる視線は摂氏十度
知らん振りで、頭の中流れてるのはHeyJude

するってぇと、一缶飲み干す頃にはもう、罪悪感は電車の揺れと曖昧に中和。
隣に座ってる、お母さんに抱っこされている赤ちゃんと不意に眼が合う。
まん丸の眼だ。

62声 第二回ワルノリ俳句ing結果報告

2008年03月02日

3月1日に開催された、第二回ワルノリ俳句ing。
今日は結果をばひとつ。
特選、ワルノリ賞とも私の詠んだワルノリ俳句が獲得。
詳細はまた「クレインダンス情報」にもUpされるのだが、うかれついでにちょこっと紹介。

・特選
水が無い
俳句も出ない
遊水地

・ワルノリ賞
井上や
眉毛書かずに
俳句書け

9時56分、缶ビール片手に伊勢崎駅を出発。
栃木を経由して、昼には板倉東洋大前駅へ到着。
駅からトボトボ歩き、渡良瀬遊水地まで俳句ing。
昼食は駅前スーパーの休憩コーナーで、慌しく済ませる。

以降、風の吹くまま気の向くまま流れ着いたのは夕方、大田駅前のベトナム料理屋。
生ビールと生春巻きなどを摂取しながらの俳句発表と言う、節操の無い連中。
ガランとした店内に響く五・七・五。
レジの奥から向けられる、ベトナム人ウエイトレスの警戒的視線が刺さる。
しかし一同、朝から世間の方々の警戒的視線を一身に受けてきたので、既に麻痺。

マヒっているのか、マイっているのか、人としておぼろげな状態になりつつ岐路へ着く。
伊勢崎駅に着き、構内にある立ち食いうどん屋でこしの無い麺を鼻水と一緒に啜る。
しょっぱさがやけにうまく感じ、しみじみと温まってきたトコロで閉会、解散と相成り。

61声 したたかにしたたかに

2008年03月01日

明日、起きられるか心配である。
と言う事は、コレを書いているのは現在は29日。
今回は前日収録編。

三寒四温、日々春に近づいている事を実感する毎日。
などと、天気の話から導入する辺りから、内容が軽薄である事が如実に現れている。

毎日、禅問答の様な話を書き綴っては、ビールを飲んで月に吠える。
と、そんな生活を細々と営んでいる。
そして、脈絡も突拍子もなく大雑把な話は始まって行く。

初めて会った時は、目玉焼きしか焼けない人だと思った。
しかし、その予想は外れる事になる。
付き合って行くにつれ、厚焼き玉子やスクランブルエッグ、はたまたオムレツまで焼けるではないか。
実は、「焼けない」のではなくて「焼かない」人だったのだ。
あらゆる調理方法を、誰よりも知っているに違いない。
その人は、したたかに装っている。

とまぁ、こんな風に比喩表現をグルグル巻きにして書くから分かりづらい。
でも、こんな人に共通する特徴は、「必ず面白い」と言う事。
一方私は、したたかに酔っている。

60声 ワルノリ俳句ing直前情報

2008年02月29日

明日の3月1日(土)は第2回ワルノリ俳句ing開催日。

参加希望者の方々は、伊勢崎駅改札口にam9:45までに缶ビールとつまみを携えジャージ着用で集合。
am9:56伊勢崎発下り列車に乗車し、向かう先は群馬の最東南端「板倉町」。

「ジャージ着用で」ってな所からして、既にワルノリ感が伺えるこの企画。
しかも、行く先は板倉町。
電車で行くと結構遠いのである。

少ないながらもチラホラと、「ジャージじゃなきゃだめなのかコノヤロウ」とか、
「缶ビールは好かん、ワシはワンカップなんじゃバカモノ」と言った温かい質問を頂いた。
「結構毛だらけ猫灰だらけ、ケツの周りはクソだらけ」
と、私も丁重に返答。

「お好きなようにしなしゃんせ」
ってのが、「ワルノリ」の良い所でもある。
したがって、お好きなように。

そうだ、お好きなようにしちゃぁならねぇ事が二つだけ、
切符を買う為に、某かの銭は持って来なくちゃいけねぇよ。
そんで車で来る人、アルコールを摂取したら運転しちゃあいけねぇよ。

そんじゃ、明日に向って寝ましょうかね。

59声 六畳一間の戒厳令

2008年02月28日

先程から、いささか迫り出してきた自分の下っ腹を見つめている。
決断の時が、刻一刻とにじり寄って来る様な感覚に捕われているのだ。

そして、背中を丸めて座っている男は決断を下す。
二月二十七日午前零時。
群馬県は高崎市の隅っこにある家の六畳一間に、戒厳令はしかれたのだった。
そもそも、何でこの様な未曾有の事態に陥ってしまったのか。

上州は赤城山と榛名山の麓、丁度真ん中辺りの小さな町に…
ってな具合に、折り目正しく述べている余裕は無い。
戒厳令下の現状において、一刻も早くこの文章にオチを付けて終息に導く必要がある。

私の下っ腹が迫り出してきた、重大な要因は「ビール」にあると言う結論に達した。
これは、「そりゃ、あんたビールっ腹じゃねぇのー」と言う、私の周りの的確な助言により決定された結果である。

この様な状況を鑑みて、自らに麦酒戒厳令をしき、
日々の晩酌によって引き起こされた下っ腹クーデターの沈静を試みる。

しかし現在。
「ビール」やら「麦酒」やらと言う文字を、キーボードで打っているだけで、呻吟。
嗚呼、「ゼロカロリー」だったらまぁ良しとしよう。そうしよう。
などと、じわりじわりとハードルを下げる。
発令より24時間。
儚くも泡と共に消えて行く、六畳一間の戒厳令。

58声 功すれば罪 その後

2008年02月27日

テクノロジーの悪い所を思い出しちまったんで、引き続いて述べている。

まったく、月に向って吠えたってな件でスッキリ文章を終わりにしとけば良いのだが、
ダラダラと間延びさせてしまう。
これは私の悪い癖で、まぁ無くて七癖あって四十八癖と言う位だから…、
とますます悪化の一途を辿る気配。
気配を感じたので、今なら戻れる。

テクノロジーの悪い所と言うか、使う人間にとって具合の悪い所は、その「依存性」である。
つまり、使っている内にドンドン「依存癖」が付いてしまう。
コレが良くない。

例えば、ペンで紙に文章を書いていて、分からない漢字が出て来たとする。
その漢字をどうやって調べるか。
大半の人がまず、携帯電話の機能で調べるか、近くにパソコンが起動していれば、それで調べる。
分厚い辞書を出して、頁をパラパラなんてやっている人は少ない。
職業的に文章作成をする人や、一般公開型の文章作成をする人等の手の込んだ文章作成家は除くとして、
大半の人が使えるテクノロジーを使うだろう。

この様に、テクノロジーの術中にハマった現代人各位は、
「アタイもう、テクノロジー無しじゃ生きていかれないの…」
と、夜な夜なか細い声で囁くのだろう。

ペンで文書作成する機会の減少は、必ずしも現代人の漢字記憶力の減退に比例しないが、
テクノロジーを使用する機会の増加は、現代人の便利依存性の進行に比例していると感じている。
そして、「この話のオチ部分だけ妙に真面目腐ってしまったなぁ」とも感じている。

57声 功すれば罪

2008年02月26日

そうは思わない事がある。

パソコンや、携帯電話のメール等で文章を作成する機会が増えたので、漢字を覚えなくなった。
つまりは、ペンを使って字を書く機会が減ったから。
ってな事を言っている人が、良くいる。

コレに対して私は、もっともだと思う。
と言ったら話が始まらないので、そうは思わないと言っておく。
まぁ、本当にそうは思わないのである。

その方々の言い分はと言うと。
パソコンや携帯電話等で文章を作成する場合、
その機械の機能が打ち込んだ文章を漢字に変換してくれるので、
自分はそれを選ぶだけだから漢字を覚えなくなると言う。

キッパリと言おう、そんな事は無い。
むしろ、この変換機能で、逆に文章を覚えるとさえ思う。

だって、「更新」(まだ引っ張っている)の場合。
「こうしん」と打ち込んで変換キーを押すと、「更新」やら「行進」やら「交信」やら、数多出てくる。
その中から自分で選び決定するのである。
これは、覚えなくなるリスクよりも、逆に様々な同音異義語を覚えるキッカケが生まれ、
漢字のボキャブラリーが豊富になるのではと思えてならない。
パソコンなどに至っては、その言葉の意味まで出てくる事もある。

そして、パソコンや携帯電話の普及によって、
現代人は以前よりも圧倒的に文章を作成する機会は増えている筈である。

「テクノロジーは悪くないんだぞ!」

こんな事を月に向って吠えているってぇと、一つだけ悪い所を思い出した。
しかしそりゃまぁ、明日にしましょうや。

56声 振りてしゾロ目の更新人生

2008年02月25日

未だ引っ張るけれど、「更新」の事。
寝て起きて、一日を更新しながら生きて行く我々。
しかし、キチンと更新出来ているんかいってな一抹の不安もある。

特に、昨日の事が今日の事を侵食してくる様な場合。
現在書いているこの内容も、昨日の因果によって、今日も昨日と同じ様な事を書いている。
キチンと更新出来ていないが為の因果関係。

まぁ、それが出来れば人生苦労はしない。
サイコロ振ったって、時にはゾロ目が出るではないか。
そしたら、明日に向ってまた振れば良い。

そう言えば、と話は変わる様で変わらないけれど。
先日、同級生に久しぶりにバッタリ出くわした。
自分内の「同級生と出くわすと決まって言われる言葉ランキング」で、
高い位置にランキングされている言葉が、「変わって無いねぇ〜」だ。
非常に高い確率で言われる。
これはつまり、鼻たれ小僧時分から現在の大人になるまで、キチンと更新が成されていないのではないか。

いやいや、私もそれなり人並みに毎日を更新してきたつもりである。
時には厳しい局面で、祈るようにして人生のサイコロを振ってきた。
ただ一つ言える事は、もしかしたら、ゾロ目が出っぱなしだったかもね。

55声 更新生活

2008年02月24日

この時期、様々な「更新」が重なる。
現に、私の机の上にはそれを知らせる葉書が散乱。
え〜、「レンタルビデオ保障更新のお知らせ」やら「自動車保険更新のお知らせ」、
「運転免許更新のお知らせ」などなど。
おまけに、「携帯電話料金ご入金のお願い」なんてモノまである。

それはさておいて、「更新」である。
考えてみれば、このコンテンツも毎日「更新」しているし、自身のブログやら、その他多数。
まさに、「更新」づくめの「更新生活」を営んでいると言うわけだ。

なんだか恐ろしくなってきた。
よし、早めに寝ちまおう。
いや待てよ、この日々「寝る」ってのも、一日を「更新」するって事だ。
そうかそうか。
先程飲んだビールが拍車をかけて、どうやら早めに「今日更新のお知らせ」が届いたようだ。
さてさて、更新は早めにするに限る。

54声 ビバノンノン

2008年02月23日

顔は寒みぃし、湯は温りぃし。
背中越しの女湯からは、ババアの上州弁しか聞こえてこねぇし。
混んでて岩は空いてねぇし。

などとぼやきつつ、先程まで日帰り温泉の露天風呂に入っていた。
お気に入りの岩ってのは、露天風呂の縁に設置されている岩の事で、
体をもたれ掛けるのに丁度良い具合の岩が、たまたま空いていなかったのである。
岩が空いていないと、風呂の中で座っていてもなんだか具合が悪い。

風呂の中で体育座りをしていると、斜め横のおやっさんが立ち上がったので、
すかさず岩位置を確保。
体をもたれ掛け湯に浸かっていると、しだいに「のほほ〜ん」としてきた。
これは非常に描写が難しいのだけれど、ともかく「のほほ〜ん」状態。

岩にもたれかかって目を閉じて浸かっている。
すると、顔が寒くて湯が温いのも、だんだん気持ち良くなって来た。
背中越しの女湯から聞こえてくる声も、良く聞けば若々しく艶かしいではないか。
何事もうまく運んでいるのだ。
ババンババンバンバン、ハァ〜ビバノンノン♪

風呂から上がると、背中が若干痛かった。
打たせ湯に打たれすぎたのかなぁ。

53声 懐古的焦燥映画

2008年02月22日

現在、私の部屋にあるテレビでは金曜ロードショー「耳をすませば」を放映中。

レンタルビデオ店で借りた映画や、テレビのロードショーで観た映画と言うのは、
映画の内容は覚えているが、それがいつどんな状況で観たのかは覚えていない。
しかし、映画館で見た映画と言うのは、大抵どんな状況で観たのか覚えているものである。
自分が何歳の時、誰と、何処でなど。
感銘を受けた映画なら尚更の事。

そして現在、私はそれを思い出している。
1995年夏、友人と高崎中央銀座通り商店街の映画館で観た。
私は当時、中学2年生。

はい、そこのアナタ指を折って数えなくてもよろしい。

ともかく、だるんだるんに中だるみしていた中二の夏休み。
その時分は郊外に大型店舗もそれほど出来ておらず、商店街には人手が多く、
特に夏休み期間はいつも映画館は満員だった。
そんな折、この高純度青春ジブリアニメ映画である「耳をすませば」を大入りの映画館で観終え、
不純な中学生は高崎市中心商店街の路上に呆然と立ち尽くしていた。
蝉時雨を浴びながら、「このままではイカン」と焦燥。

その後、商店街の甘味処でカルピス味のかき氷を突付きつつ、
さっきから頭内に流れている「カントリーロード」に、ぼんやりと耳を傾けていた。
入り口の外、藍色の暖簾がダルそうに揺れていた。

52声 ポテチの前には埋まらぬ溝

2008年02月21日

子供時分、友達の家に遊びに行っておやつを食べていた。
テレビゲームをしながら、ポテトチップスを二人でつついていたのだけれど、
私だけつつくペースが早いのである。
友達は、テレビゲームの合間に「パクッ」
一方私は、テレビゲームそっちのけで「パクパクパクパクッ」
友達は一枚ずつチップスを取るのに、私は三枚取りである。
「育ち」と言う埋まらない溝を、薄っすら感じていた。

青年時分になってからは気を配る事を覚え、
遠慮がちにセーブしながら食べる事もしばしば。
しかし、胸中ではいつも三枚取りを渇望していた。

そんな事を思い出して、書いている現在。
ここまで書き進めるまで、結構時間を費やしてしまった。
それは、ポテトチップスを食べながら書いているから。
三枚取りで、一心不乱に「パクッ」
未だに溝は埋まらず。

51声 第二回ワルノリ俳句ing 開催決定!

2008年02月20日

「あ〜あ〜日本のどこかに〜私を〜待ってる〜人がいる〜♪」
と言う誇大妄想に、たびたび取り付かれる私。

「日本のどこかに、この日刊鶴のひとこえの更新を心待ちにしている人がいるんだ」
と言う自己暗示を、たびたび自分にかける私。

旅から旅へと言う、浮雲思想に憧れている私。

さぁ、旅立ちの日は来る3月1日(土)。
「第二回ワルノリ俳句ing」開催決定なのである。
詳しい内容はまた後日、このサイトのコンテンツ「クレインダンス情報」やら、ココにアップ予定。

それでも、ちょこっと言っておこう。
第二回と言う事は、もちろん第一回があったこの「ワルノリ俳句ing」。
2007年8月の事、それも「クレインダンス情報」から閲覧可能。

電車に乗って県内各地のどっかに行って、(もはや川柳に近い)ワルノリ俳句を詠みまって帰って来る。
ただそんだけの会。
「旅の恥は書き捨て」と「旅は道ずれ世は情け」を足して二で割ってない様な会。

誰でも参加可なので、気が向いた方がいらしたら。

しかし、なんでそんなしょうもない事をやらなければならないのだろう。
人生において何の役に立つんだろう。
まぁきっと、その答えを探す気も無い様な連中がやっているのだろう。