日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

851声 新しき心でおでかけ

2010年04月30日

今日、県下広域に店舗を持つ書店に、まとまった数の本を納品して来た。
これによって、ゴールデンウィーク明け頃には、今よりも少しばかり、
群馬県内広域圏で買えるようになる。
と言う算段。
ともあれ、世間は黄金週間真っ只中。
高速道路上り、渋滞ピークは明日らしい。
渋滞を避けて、海外は無理だが、国内のどこかローカルな場所へ行ってみようかと、
漠然と考えている。
いささか、ならず、大分、出遅れ気味の黄金週間だが、抜き差しならぬ予定もあるので、
仕様が無い。
新しいシャツでも着て、最寄りの駅から、適当な切符でも買って、出掛けてみよう。
こう、机上で旅への空想と戯れている時間が、旅の甘美である。
朔太郎も、フランスへの旅に胸を焦がしながら、
「せめては新しき背広をきてきままなる旅にいでてみん」
と空想していたのだろう。
「新しき背広」
が重要なのだ。
ローカル線の車窓。
窓を少し開けて、心地好い五月の風を受けながら飲む、缶麦酒。
新緑の山渓は、きらきらと萌え輝いている。
と言った、空想ならぬ妄想を抱きつつ、一向に計画は進捗しない。

850声 バス停の誓い

2010年04月29日

正午過ぎのまどろみ時間。
ほのじ店内の隅で、こそこそやっていたら、御客さん2名来店。
二人とも、70代に入ったかどうかと言う年頃の、女性。
横目でその挙措を見るに、どうやら、一見さんらしい。
比較的、空いている店内、微かに聞こえてくる2人の会話を聞いていた。
「あー美味しかったわ、また会ったらさ、きっと来ようね、奥さん」
「そうだいねぇ」
バスの時間を気に掛けながら、満足して店を後にして行った、ふたり。
その会話から推察すると、つまりはこう言う事らしい。
伊勢崎駅前からバスへ乗ろうと、停留所で待っていた2人。
2人は、他人同士。
公共交通機関に不慣れなであり、一向に来ないバスに不安を抱き、
どちらかが声をかけたのであろう。
改めてバスの時刻表と腕時計を照らし合わせると、2人が乗ろうとしている次のバスは、
来るまでに1時間ほど掛かる模様。
落胆の共有から、自ずと2人の話が弾んだ。
時刻は昼時、俄かに意気投合した2人は、「何なら昼御飯でも」と言う話の運びで、
ほのじを見つけ、暖簾をくぐったと言う訳である。
威勢の良い奥さんと、控え目な奥さんのコンビであり、威勢の良い奥さんが、
気前良くおごっていた。
人気の無い駅前のバス停。
偶然会った見知らぬ人と、昼飯を食いに、見知らぬ店の暖簾をくぐる。
そして、「また会ったら、きっと来ようね」と、誓い合って別れる。
このなんとも粋な心意気が、昭和の日の今日に、相応しい光景であった。
昭和の時代を力強く生きて来た、彼女らの様な人たちがいるから、今の時代が面白い。

849声 昭和の抜け殻

2010年04月28日

明日は祝日、昭和の日。
天気予報は晴れだが、言われなくったって、分かっている。
過去3年、つまりはこの「めっかった群馬」が立ちあがってからは、
雲一つなき五月晴れであった。
そして、毎年、気温が20度を超え、夏を感じさせる濃い日差しを、
伊勢崎市の路地裏で受けていた。
今年は、その路地裏へ出掛ける用事も無かったのだが、因果因縁とは侮りがたきもので、
急遽、伊勢崎市へ出掛ける用事が出来てしまった。
しかし、それまでの年と違う点は、クレインダンス事務局(と言っても、ほのじであるが)
へ逼塞して、日がな一日、作業する事になりそうだ。
「いせさきアーティストフェスタin路地裏」
と言う、毎年、昭和の日に開催されていたそのイベントも、
この「めっかった群馬」と言うサイトも、多分に「昭和色」が強い。
それもあってか、このサイトなどを贔屓にしてくれている方から、時折、
質問される機会がある。
「昭和文化の保存ですか」
と、直球勝負。
こちらも、その方が質問内容の芯を捉えやすいが、私の打ち返す球は、
きまってファールボール。
三振覚悟で、説明をつけるならば。
昭和から平成に時代は移った。
あるものは、地中から這い出た蝉の如く、古い殻を脱いで、
美しい羽を持つ成虫へと脱皮し、大空へ飛びたって行った。
また、あるものは、蛇や蜥蜴の如く、古い皮を脱ぎ棄てた。
脱ぎ捨て、その本体は確実に成長しているのだが、体表面に目立った変化はない。
日盛りの中、大きな止まり木にしがみ付いて、ミンミンと蛙鳴蝉噪しているものよりも、
私は何故か、脱皮を繰り返しながらも、未だに、ジメジメとした日陰で、
ひっそりと蠢いているものに魅かれるのだ。
とまぁ、ここらで三球三振バッターアウトって、場面だろう。

848声 県民としての実感

2010年04月27日

今週末から、いよいよゴールデンウイークに突入するらしい。
らしい、と言うのは、どうもその実感が薄いのである。
今年は、連休の並び具合が良く、中には11連休や7連休なんて人も多くいるらしい。
また、らしい、と言うのは、カレンダー通りに休もうかと考えているので、
これも実感が薄い。
実感が薄い事もあり、ゴールデンウイークは予定など立てず、家でゆっくりと、
渋滞情報を肴に昼麦酒でも呑もうか。
などと、連休中は安穏な生活を送ろうと、決め込んでいた。
しかし、日一日と連休が迫って来るにつれ、何だか強迫観念めいた旅行欲求が、
湧いて来ている。
この時期、友人知人と会話しようものなら、二言目には、
ゴールデンウイークの予定を聞かれる。
テレビの電源を入れれば、各地の行楽情報。
雑誌を捲れば、「GW特集」と、日常生活の中、こうも波状攻撃されては、
自ずと、「旅行に行かぬは損」と言う心持になってしまう。
私も、何処かしらの地方都市ないしは首都圏を、
ほっつき歩いてこようとは思っているが、今年の高速道路は、前例を遥かに凌ぐ渋滞が、
懸念されているらしい。
この、らしい、と言うのも、車で遠出する予定がないので、実感が薄いのだ。
ゴールデンウイーク明けは毎年、カーディーラーにある整備工場の予定が、
目一杯に埋まってしまう。
その大半が、事故車の修理。
総人口に対して、免許取得率が全国一位の群馬県民は、特に注意すべきであろう。
その実感があるので、連休中、電車で出掛けようと考えている私は、
無意識に車での遠出を避けているのかも知れない。

847声 俳句ing 〜その題材と演出について〜

2010年04月26日

「ワルノリ俳句ing」と言う活動を始めて、気付けばもう、丸2年以上が過ぎている。
群馬県内の小都市、或いは山村へふらりと出掛け、川柳以上俳句未満の様な、
しかし、時に真面目に俳句を詠んで愉しむ。
と言うのが、この活動の概略。
そして、約一年前、ワルノリ俳句ingが新聞に載った際、紙面に出ていた、
「題材求め旅 居酒屋で発表」
と言うコピーが、この活動の骨子を端的表現していて、気に入っている。
「俳句ing」
と言うのは、つまり「吟行」の事で、この吟行を始めて、更なる俳句の深みを知った。
何だか、まともな句も詠めないくせに、一丁前なセリフを吐いているが、
及ばずながらも、そう思った事は確かである。
それを再認識させたのは今日、知り合いから、我が携帯電話に届いた、一通のメール。
題は「さくら」。
本文には、著名な俳人の句が、ずらりと添えられていた。
全て桜に関する句だが、詠むと、句に認められた風景が、
脳裏に活動写真の如く映像化される。
そして、その映像の演出が素晴らしいのである。
喧騒な花見酒宴を見下ろす、桜並木。
月夜に照らされる、森閑とした山の桜。
そこには、雨が降っていたり、犬が歩いていたり、花の香りがしたり。
つまりは、自然の演出がある。
その演出を、やはり、「生」つまりは、実際に見て、体感する事が重要なのだ。
別の側面から見れば、その演出が、句を喚起すると言える。
その体験が、自らに俳句を詠まし得ると言っても良い。
その題材を、自然はどう演出するか、またその風景を自分はどう感じるか。
それを求めて、吟行の旅へ出て、結局は居酒屋へ辿り着く。
「むしろ、居酒屋へ辿り着く為に旅へ出るのでは」
と言う声も、聞こえてきそうだ。
同じ風景を見て、他人がどう詠むのかも、吟行の醍醐味と言える。
秋の夕暮れの電車内に居た、綺麗な女性。
当日、俳句ingに参加していた、私とTさん、その女性を題材に、
全く同じ様な句を、図らずとも二人して詠んでいた。
発表して思わず苦笑だが、そんな事だって少なからずある。
さて、次回、第14回を数えるワルノリ俳句ingを、5月末あたりに計画している。

846声 無きにしも非ず

2010年04月25日

今でも、井戸水で湯を沸かしている銭湯が多数ある。
今日、訪ねた大間々の銭湯も、その一つ。
湯上り、番台のおばちゃんと話していて、興味深い話を伺った。
それは、もしや何か温泉に相当する成分が、湯の中に含まれているのではなかろうか。
と言うもの。
そう思うようになった発端は、常連の湯客たちの声。
「すごく、あったまる」
「肌の調子も良い」
と言う、「井戸水」で得られる効能。
その域を出る、反響の声が多いのである。
私の鋭敏でない皮膚感覚では、その効果を判別出来なかったが、
そう言われてみれば、そこはかとなく、湯上りの「ぽかぽか感」が持続している。
この体の芯から湧く様な、温かさは、温泉に入った後のそれではなかろうか。
そして、大間々と言う赤城山麓の水系を引く立地と言う事も、背中を押している。
じゃあ、湯の成分を計ろう。
と、話はこう簡単なものではないのである。
まず、然るべき機関での成分調査も安価ならぬ、と言った具合なので、難しい。
しかし、温泉成分などなくとも、広い湯船に入るだけで、十分な効能がある。
その証拠に、心身ともに、あったまる。

845声 月夜、呑んだくれ

2010年04月24日

半額値札の、刺身皿
机に並べて、低級酒
呑んでる男、空しさよ
侘びしさよ、切なさよ
夜の底から、月を見る
侘びしさよ、切なさよ
呑んでる男、半笑い

844声 ほっかむりをした御婆さん

2010年04月23日

午後三時と言えど、雨降りの道には薄闇がかかっている。
霧雨降りしきる、路肩、ガードレールの脇に、ほっかむりをした御婆さん。
傘をささずに二本、抱きかかえ、路の先をじっと見ている。
私は信号待ち。
バックミラーから御婆さんの視線の先を確認すると、そこに豆粒大の影。
黄色い帽子を被った、小学生の男の子が一人、走って向かっている。
御婆さんは二本、傘を抱えたまま、路の先をじっと見ている。

843声 道草で一杯 後編

2010年04月22日

昨日の続き
花の蜜を吸ったり、蓬をそのまま食べたり、蒲公英の茎の中に付着している、
得体の知れぬ白い液体を舐めたり。
その中で、食べられるものと言ったら花の蜜くらいなもので、後は全部もれなく苦く、
とても食えたものではなかった。
ともかく、好奇心の赴くまま、様々な草を食べてみた。
草、つまり「葉菜」に飽き足らず、「根菜」にまで手を出していた。
その代表格が、「のびる」。
この野草は、葱と玉葱を合わせて、手のひらサイズにしたような形状をしており、
地上に生えている葉の部分は細長い葱の様で、その下に直径1?くらいの、
小さな白い球根が付いている。
古事記や万葉集にも歌われて来た、由緒正しい野草らしいが、当時は露知らず、
やみくもに引っこ抜いて食べていた。
主に球根の部分を、「カリッ」と食べていたが、葉の部分も葱の要領で調理すれば、
美味しく食べられるのだろう。
葱系統の独特な刺激臭と、瑞々しいさが相まって、これは結構食えた。
結構食えたどころか、道草の中では一番好きだった。
引っこ抜いたまま、泥も良く落とさずに食っていたので、
よく胃腸が大丈夫だったと思う。
後で調べたら、胃腸の働きを良くする効能があるらしい、と言う事が分かった。
だから大丈夫だった。
と言う単純な話ではあるまい。
道草を食っていて、胃腸に免疫力が付いていたのかも。
書いていて、何だかその味が思い出されて、ふと思ったのだが、
あの独特の味は、酒のつまみに最適であろう。
洗ったものを、水で冷やして、味噌を付けて食べたら、
これはもう立派な酒のあてになる。
刻んで薬味に使っても、美味しそうだ。
道草を居酒屋で食う日も、近い。
かも知れん。

842声 道草で一杯 前編

2010年04月21日

眠気を誘われる春の陽気も、今日の如く温暖であると、
暑さがまとわり付く様で一向に心地好さが損なわれる。
それもその筈、東京都では気温25℃を越え、今年初となる夏日を観測した。
因みに、群馬県の前橋市は、今日の最高気温、22.7℃。
午後4時頃、すれ違った小学生などは、既に半袖半ズボンだった。
そのランドセルを背負った小学生が、二人、道端でうずくまってこそこそやっていた。
私は運転中、すれ違い様、横目で見ると、
なんと生えている雑草を食べているではないか。
「道草を食う」
と言う慣用句は、本来が馬から由来するものだが、まさに自ら実体験している彼ら。
しかし本人たち、そんな事は考えずに友達と、なりゆきで、
「食ってみようぜ」と言う事になっただけなのだろう。
道草を食った経験は、私にもある。
小学生時分、担任の先生から、遅刻を怒られる場合の言い訳の傾向は、
二つに大別できた。
「こら、お前たちどこで道草食ってたんだ」
「いえ、僕等、道の草なんか食べてません」
などと、低俗なギャグで小憎たらしく反論する者。
「こら、お前たちどこで道草食ってたんだ」
「はい、僕等、信号脇の所で食べてました」
と、計画的な天然ボケで、煙に巻こうとする者。
私は、後者の方で、今日道端で見かけた小学生たちの如く、
本当に道草を食っていた思い出がある。
道草を食う癖が、大人になっても顔を出し、まとまりの無く、
だらだらと長文になってしまった。
続きは、また明日。

841声 丸めては、捨て

2010年04月20日

丸めては捨て、また丸めては捨て。
屑籠の周りは、丸めた書簡便箋が散らかっている。
頂いた書簡の返事を書いているのだが、思わぬ箇所で誤字が出て、一向に捗らない。
おそらく、生活の中で、電子メールに頼りきっている弊害だろう。
しかし思ったのだが、別に書き損じた便箋を、丸めて捨てる必要はない。
裏返して二つに折るかして、メモ帳にでもすれば、再利用できるのである。
「書き損じた」と思ったら直ぐに「丸めてポイ」。
このパブロフの犬の如き動作は、一体、何処から刷りこまれたのか。
それは、テレビ映像なのではなかろうか。
テレビドラマなどでよく出てくる、昭和の純文学作家の仕事風景。
と言えば、大抵、裸電球の下、作家は文机に向かっており、
苛立ちながら頭を掻き毟り、書いた原稿を丸めては捨ている。
紫煙渦巻く薄汚い四畳半は、丸められた原稿で、散らかり放題。
この光景が意識の中に刷り込まれ、書き損じた時に条件反射を引き起こす。
と言う線が濃い気がする。
しかし実際のところ、多くの作家が、この「丸め捨て」の動作を反射的にしていたのか、
気になる。

840声 一里塚のヒッチハイク

2010年04月19日

今日、ヒッチハイクを見た。
高崎市から安中市へと向かう、昼下がりの国道。
盛る陽射しを避け、一里塚の脇に聳えている榎の大木の影に、立っていた。
背の高く、サングラスをかけて、金髪をなびかせている、二人の男女。
その傍らに、大きなバックパックが置かれているので、どうやら、
「バックパッカー」なのだろう。
白人男性が、掲げている紙には、行く先の都市名がローマ字で太書きされている。
私の走る対向車線からは、その行く先までは確認できなかった。
しかし、旧中山道に在る一里塚を目印に、ヒッチハイクするとは、
中々、旅慣れているではないか。
日本古来の文化を学んだか、はたまた、旅人の直感がそうさせたか。
ともかくも、GoodLuck。

839声 前橋映画漫歩

2010年04月18日

今朝起きたものの、ぽっかりと、午後の時間が空いていたので、
突発的に映画館へ行く事にした。
そうと決まれば、まず、インターネット。
と言う事務的な手続きが、日曜日の漫ろな雰囲気を壊すのだが、
映画や公共交通機関のような、時間が決まっているものは、
やはり下調べが必要である。
場所は、決まった。
「シネマまえばし」、と言う事に。
この映画館。
昨年末に開館した事は知っていたのだが、中々、行く機会に恵まれなかった。
以前にあった、前橋テアトル西友の頃、私は学生時分と言う事もあり、よく出掛けた。
持て余していたおぼろげな時間を潰すべく、平日の昼間から潜り込んで、
邦、洋問わず色々な映画を観た。
そんな場所で、懐古的な気持を携えながら、観て来た映画は、「座頭市物語」。
名画座の映画館。
なので、上映している作品は、過去の名作。
館内には、古参の映画フリークと思しき観客が多い。
勝新の座頭市は初めて観たが、聞きしに勝る、痛快な映画であった。
良い映画を観た後は、家路を急ぎたくない。
何故か、寄り道して時間を潰したい、心持になる。
そんな訳で、ぞぞろに商店街へと足を伸ばし、ふらりと入った店で、
チョコレートパフェを食べた。
三十(いや、未だ二つ若いが、それに近い)男が独りで、喫茶店の隅の席。
薄明かりの下、柄の長い銀スプーンで、チョコレートパフェを突いている姿と言うのも、
痛々しい侘びしさがある。
知り合いに見られたら、と言うリスクを背負う事は分かっていたが、
食べたい衝動を抑制できなかった。
そそくさと食べて、そそくさと勘定を済まし、すまし顔で、そそくさと帰って来た。
駐車場まで着いて、一安心。
車に乗り込み、ふとバックミラーを見ると、唇の端にクリームの付いた、
三十男の間抜けな顔。

838声 前後不覚

2010年04月17日

「お先に失礼します」
ひと声かけて出て行ったのは、常連のおじいちゃん。
その佇まいから推察するに、傘寿と米寿の間くらいの御歳だろう。
私との年の差、約半世紀。
「歩く銭湯の入浴マナー」とでも言う様なおじいちゃんの、その「精神」を、
文化財登録する術はないものか。
などと考えつつ、湯船の熱い湯に、必死に浸かっていた。
いささか風邪気味であったが、汗と一緒に風邪の野郎も叩き出しちまおうってんで。
その行為から、思わず文面が落語付いてしまうが、
ともかく、そう言う事で銭湯へ行った。
そして帰る時は、足取り覚束かず、前後不覚。
熱が上がって前後不覚なんだか、湯あたりして前後不覚なんだか。
おそらく、両方だと思う。
とんだ療法になってしまった。
駄洒落も前後不覚。
ならば今度は、麦酒を飲んで、小便と一緒に風邪の野郎も叩き出しちまおうってんで。

837声 美人と思しき赤城山

2010年04月16日

裏の顔を見てしまった。
そこにあったのは、普段見慣れている優しい顔ではなく、とても険しい顔だった。
その顔の持ち主は、赤城さん。
いや、赤城山である。
先週末、マラソンの用事があって、伊勢崎市街地から旧境町方面へと足を伸ばした。
広瀬川のサイクリングロード、春爛漫の沿道を走る。
頬を撫で行く心地好い春風が、額に浮かんだ汗を冷やす。
快走していながらも、何だか気になるのが、遠くに見える赤城山。
険峻なのである。
私の記憶に馴染みある赤城山と言えば、高崎市方面から眺める赤城山。
頂上から緩やかに弧を描いて伸びる、稜線が印象的な、
そこはかとなく女性的な「美」を連想させる赤城山。
そこには、伊勢崎方面から眺めた時の様な、険しさがないのである。
一緒に走っていた、伊勢崎地元民に訪ねてみた。
「こちらから眺めると、赤城山が、随分と険しいようです」
「いや、これが伊勢崎市民が見慣れた、いつもの赤城山だよ」
「そうですか、しかし、私の知る赤城山はもっと美人です」
そうなのである、以前にも書いた事があるが、私が見ている赤城山が、
県内で一番美人だと思っている。
つまりは、赤城山が一番美人に見える場所を知っている。
と言う事だ。
その場所とは、いや、ここで筆を止め置こう。
「美人薄命」
なんて、縁起の悪い言葉もあるから。
上毛かるたにもある、「裾野は長し赤城山」。
赤城山のみならず、頭に思い浮かべる故郷の山、その容姿は人それぞれなのだ。
私はどうやら、赤城山とは、良い出逢い方をしたようである。

836声 べそかきっ子

2010年04月16日

4月も、後半戦に差し掛かる。
新入生あるいは新社会人も、そろそろ、新しい環境に慣れて来た頃ではなかろうか。
とは言え、私の家の近所の、あれは小学校低学年生、と思しき男の子。
まだ毎朝、べそをかきながら、お母さんに手を引かれて、往来まで送り出されている。
毎朝すれ違う、駄々をこねるその男の子を、
何故か他人事でない様な心持で、見つめている。
それも、ゴールデンウィークくらいまでの辛抱だろう。
すぐに、友達ができるさ。
負けるなよ、少年。

835声 春の嵐

2010年04月14日

今日は、上越線、高崎駅から北の一部区間で運休が発生。
県内に限らず、列島各地に吹き荒れた強風の影響である。
巷の桜も、もはや葉桜。
舞い散る桜も、ここまで強風に吹かれていると、風情もへったくれもない。
風情どころか、花粉の飛散量が尋常ではなく増加し、私などに至っては、
いささか体の具合が悪い。
今朝、起床した瞬間から、鼻水がタラーッと垂れている始末。
更に始末が悪いのが、咽の痛み。
寝ている時、鼻が詰まって口で息をしていた為か、はたまた、
鼻水が咽に垂れて来て、炎症を起こしたか。
何れにせよ、鼻腔と咽が交差するY字路付近に、不快感かつ痛みを感じるのだ。
全く、春の嵐と言うのは、「はな」に悪い。

834声 郊外の日帰り温泉

2010年04月13日

郊外の日帰り温泉
湯上り午後の陽盛りに
生麦酒を飲んでいる
よちよち歩きの男の子
可愛いおべべは桜色
丸いおめめは硝子玉
よちよち歩きの男の子
優しき空気に包まれて
白き時間と戯れる
郊外の日帰り温泉
湯上り午後の陽盛りに
生麦酒を飲んでいる