午前は在宅勤務。午後から都内へ出張し、経産省主催の中堅企業フォーラムに参加。
サンリオ社長の基調講演が印象的だった。社訓は「みんななかよく」。ライセンスビジネスを軸にしながら、海外展開とリアルのパーク事業を強化し、売上5兆円、いまの5倍を目指すという。柔らかい言葉の裏に、したたかな成長戦略がある。
少しだけ株価を調べてみたくなる午後だった。
2026年02月06日
午前は在宅勤務。午後から都内へ出張し、経産省主催の中堅企業フォーラムに参加。
サンリオ社長の基調講演が印象的だった。社訓は「みんななかよく」。ライセンスビジネスを軸にしながら、海外展開とリアルのパーク事業を強化し、売上5兆円、いまの5倍を目指すという。柔らかい言葉の裏に、したたかな成長戦略がある。
少しだけ株価を調べてみたくなる午後だった。
2026年02月05日
木曜は娘のピアノの日。保育園に迎えに行き、そのまま自転車で教室へ。だいたい毎回ぎりぎりに滑り込む。今日は妻の帰りが遅いので、そのまま串カツ田中で夕食にした。
注文はQRコード方式。あの駅近で現金のみだった昭和のシステムの店が、いつのまにかカード決済にも対応している。
1カ月有効のアルコール半額パスを500円で購入。今日だけで元は取れた計算だ。来月も来るかは、酔いがさめてから考えることにする。
2026年02月04日
毎週水曜は定例会議が二つ。会議はできるだけ火水木に集め、月金は予定を入れない。休みを取りやすくするための工夫だ。全LGの開講が決まり、業務もひとまず落ち着いた。いまは絶賛、有休消化中である。
係員3人も含め、全員が取得日数2桁に到達。私と3年目の係員は夢の20日に届きそうだ。20数年勤めて、年間付与の20日を使い切れそうなのは初めて。
2026年02月03日
今日はトップによる当初予算の発表。昨年は目玉事業だったが、2年目となり位置づけは主要事業のひとつに落ち着いた。マスコミからの大きな質問もなく、淡々と進む。主戦場は常に移ろうものだ。
この職場も異例の6年目。来年度は間違いなく異動になるだろう。不安はあるが、そろそろ新しいことに挑戦してもよい頃合いかもしれない。上から求められたことは一通りやり切った。その達成感はまぁそれなりにある。
2026年02月02日
土日出勤の振替で休日。どこへ行こうか迷った末、高崎線で大宮へ向かう。缶ビール片手に『ゴールデンカムイ』シーズン2を見始めたら止まらなくなり、そのまま大宮駅の回転すしへ。寿司をつまみながら、ひたすら続きを見る。
結局、他にはどこにも寄らず、そのまま高崎線で戻り、保育園へ娘を迎えに行く。どれだけ昼に飲んでも、誰にも気づかれないのは自分の特技かもしれない。
2026年02月01日
今日はOMUTでイベント。Netflixでアニメ部門のチーフを8年務め、その後アニメ制作会社を立ち上げた方の講演会。3年前にも前橋に来てもらっており、今回が2度目。
東大卒という肩書きからは少し構えてしまうが、実際はとても気さく。子どもたちの反応も良く、次々と質問が飛ぶ。宮崎駿や押井守といった巨匠とのエピソードはやはり鉄板で、会場の空気が一段と熱を帯びる。
普段は画面の向こうにあるアニメの世界。その裏側を少しだけ覗いたような時間だった。
2026年01月31日
アーティスト中島佑太による、群馬朝鮮初中級学校におけるワークショップももう3、4年続いているだろうか。それの撮影の縁で、お子さんが学校に通う里香さんの家に何度もお呼ばれをしている。今夜は、色鮮やかなナムル、優しい味のチャプチェ、豚ロースをレタスで包むやつ、鳥の骨や香味野菜で出汁をとったスープなどをいただいた。どれもめちゃくちゃに美味しい。
里香さんは料理教室を開くことはあるが、お店はやっていない。これが店なら通うな、と思う一方で、お金で買えない美味しい料理があることを尊く思う。 それが家庭料理であるとも言える。
幸せな気持ちで食べる料理がある。食べた料理で幸せになることもある。その両方が同時に起きることもある。魔法のようだ。
2026年01月30日
道の駅小栗の里で車を降りた。ここで売っている「小栗まんじゅう」を三輪途道さんに持っていったところ、いたく気に入ってくれたのでまた買おうと思ったのである。残念、今日は置いていなかった。何も買わずに車に戻ると、駐車場のアスファルトの上ひとつぶのいちごが落ちている。
なんでだろうと思いつつ、インスタ投稿用に写真を撮る(そういう変なアカウントです)。
きっと、買った人が車に乗る際にいちごころりんとばかりにこぼれ落ちたのだろう。そのいちご、その後どうなったかというと・・と書くということは・・想像のとおりでございます。
2026年01月29日
目が見えなくなった彫刻家、三輪途道さんのドキュメンタリーを作る。
三輪さんが代表を務めていた(一社)メノキの福西敏宏さんから提案をいただき、3年前から撮影を続けてきた。木彫作家として名を馳せていた三輪さん、目がみえなくなり粘土での制作に切り替え、その作品もここ数年県内外あちこちで展示されている。それが凄いね!というドキュメンタリーではない。三輪さん本人も了解のもと、うまくいかないことも含めて色々を撮影している。
今は、夏の展覧会に向けて光明皇后を制作している。三輪さんは学生時、東大寺の仏像の模刻をしており、そのつながりから光明皇后像を作ることになった。光明皇后は、日本で初めて福祉を行った、民の病に向き合った人として知られているらしい。(以下引用)
光明皇后でよく知られる話は、浴室での施療です。奈良市の平城京跡に隣接して、光明皇后が病人の治療のために建てたとされる法華寺がありますが、このなかに浴室が残されています。これは古くから「からふろ」と呼ばれており、サウナ風呂のような蒸し風呂だったのでしょう。光明皇后は「からふろ」で、千人の民の汚れを拭うという願を立てました。ところが、千人目の人は全身の皮膚から膿を出すハンセン病者で、皇后に膿を口で吸い出してくれるよう求めたため皇后が病人の膿を口で吸い出すと、たちまち病人は光り輝く如来の姿に変わったという逸話が残されています。(引用ここまで)
三輪さんのことはある程度撮ったと思っているが、知らないことはまだ多い。三輪さんはもう何年も、朝飯は抜き、昼はりんごと人参のすり下ろし、生野菜をミキサーにかけ絞った青汁、夜は昼と同じものと玄米、という食生活を続けている。とても真似できたものではないが、それを続けると睡眠時間も5時間あれば良く、すこぶる体調が良いのだそうだ。
と、そこまでは知っていたのだが、今日はその食事を作る様子をたまたま初めて撮影することができた。そこで三輪さんは「この食事を続けられる人は2つの条件がある。1つは、生きるためにこの食事が必要な人、もう1つは食べること以外に必死になれるものがある人」と話した。後者はわかる。彼女にとっては制作が、彫刻がそれにあたる。「1つめはどうなんですか?」と聞くと「目が見えなくなるとわかった時、医療でも針でも色々試してみた。この食事もその時に始めたの」と三輪さん。いつも気丈な人であるから、そういう弱さを忘れてしまうのだが、当時は藁にもすがる気持ちだったのだろう。この食事によって目が良くなることはなかったが、劇的に体が快調になる経験をし、それが今も残っているのだ。
いい場面が撮れた。そういう場面を集めたドキュメンタリーを作りたい。
2026年01月28日
PC作業のBGM的に、AmazonのPrime Videoで映画を流しておくことがある。今まさに、これを書きながらなんとなくドキュメンタリーを流している。多分アメリカのドキュメンタリーで東洋医学(というよりはスピリチュアル系?)で人生が変わったという方たちへのインタビューを素直に組み立てた作品だ。
あまり周囲にはいないが所謂 スピ系 と呼ばれる人たちに反感はない。自らそこに入ろうとも思わないが。なんとなく、このドキュメンタリーに出ている人は共通点がある気がする。目だ。少し瞳孔が開いている・・とは違うと思うが、目に特徴がある人が多い。目以外の顔、肌や頭髪や唇や顎が、若さや老化を他者に見せるものだとしたら、目はその人の内面を他者に見せている部分である。
工業高専に通っていた時。機械工学の何一つ今となっては覚えていないのだが、講師が言った(名前は忘れた)「目を殺してはいけない。目は大事。好奇心をもって成長していって欲しい。」と的な言葉を今も覚えている。内面だけではない、目には生き方も出てしまうのだ。
僕もあなたも、目は、まだ死んでいないだろうか。
2026年01月26日
伊参スタジオ映画祭のシナリオ大賞(全国から映画シナリオを募集し映画化させる取り組み)関連作品の撮影が行われている。前回、中編の部で大賞を受賞した『(蕾が)綻ぶ』(押山大智監督)だ。
演劇を志す大学生たち。その中の立花と小松は恋人関係でありながら劇作のライバルでもある。恋と表現の間で揺れる。わかりやすい恋愛映画ではない。うまいこと言語化できないのだけど、ずっと優しくてずっと寂しいような、独特の余韻があるシナリオであるように思う。
監督自身が札幌に住みその時にこのシナリオを考えたからなのだろうか、冬の撮影となった。みなかみで雪が降ったと知って下見に行き、本番の撮影に向かったら大雪で撮影ができなかったらしい。寒さに震えながら、けれど若いスタッフや演者の多い和気藹々としたチームで、上手に撮影を重ねている(中之条町役場の映画祭担当の関くんの献身的な頑張りもここに記しておきたい)。
僕はといえば、カップ麺やいちごを差し入れし、エキストラで2度参加した程度だ(2度も出たの?)。自分自身、映像を仕事にしていながらもワンオペの現場が多く、人数が多く1カット1カットを時間をかけて撮影する劇映画とは大部分が違う。ついつい「映画って大変だな」と口に出してしまうのだ。
『(蕾が)綻ぶ』は今年11月の伊参スタジオ映画祭で初上映となる。ぜひとも観に来ていただきたい。
2026年01月25日
中之条町の旧廣盛酒造で毎年開催されている「秋、酒蔵にて」の反省会が桐生の「すし処さいとう」で行われた。期間中にはさいとうの親方の寿司を食べる会も行われるのだが、反省会は毎年ここで行われている。参加できる年もあればできない年もあり、今年は参加した。
人と同じように、イベントも成長をする。2009年の始まりからクラフト作家を牽引してきた吉澤良一さん(指物)、綿貫哲雄さん(陶芸)らベテランがいる一方で、新代表の閑野淳くん(陶芸)や副代表の佐藤遥果さん(ガラス)といった中堅作家が意欲を見せる。その一方、食のイベントという認識もされており、普段イベント出店はしない腕のある料理人たちが毎年特別な料理を提供している。
僕はフライヤーのデザインや、年によっては映像の展示で参加をしている。物で勝負する世界ではあるが、僕の関心は人に向きがち。昨年は、会場内に「メンバーで霞ヶ浦まで鰻を食べにいく映像」を展示した。ただそれだけの映像だが、それにより作家の人間性(の一部)が見せられると思ったからだ。
秋、酒蔵にて2025「モノづくりたちは何を求め霞ヶ浦に分け入るのか(仮)」
僕も長い付き合いになってきて、やる気のある若いデザイナーが見つかれば僕は交代時期だと思っていた。現に今もそう思っているのだが(なかなかあのグループに飛び込もうというデザイナーもいないと思うが)、一回り回って最近、面白くもなってきた。今年もまた関わるだろう。
さいとうの親方の鮨は江戸前。噛めば噛むほどに味も気持ちも馴染んでくる。その一方で、えびと穴子は、口に入れ咀嚼すると口の中いっぱいに味が広がる。物も人も鮨も、様々だ。
2026年01月24日
机の上にひとつの黄色いりんごがある
いつ買ったのかも忘れてしまった
ずいぶん昔に買ったものではあるが
今も腐らずてかてか光っている
明日あたりには食べようかな
2026年01月23日
岡安賢一noteより転載
昨年、日経プラス1の「薪ストーブの宿ランキング」で全国1位を獲得した長野原町北軽井沢のキャンプ場「スウィートグラス」には、ツリーハウスビルダーの稲垣豊さんによるものすごく背の高いツリーハウス「ノッポ」が建っている(一番高いテラスは地上10メートル!)。この建物には、昨年中之条ビエンナーレ2025にも出展した中川浩佑くんの風で振動し音を鳴らす弦も張られており(彼は先に書くきたもっくの社員でもある)、ツリーハウス命名コンテストで僕は「風の灯台」という名を応募したのだが・・多分箸にもかからなかった(余談だが、海なし県群馬にあって「灯台」という言葉は「場所を知らせるための場所」という意味で、近年個人的に大切な言葉になっている)。
命名コンテストでは落ちたが、群馬県観光情報サイトECOぐんまが県内で環境への配慮に優れた企業としてスウィートグラスを運営する「有限会社きたもっく」を選出し、僕は「まちの編集社」からお声がけいただき、そのサイト用の映像制作を担当することになった。方々にとって好都合なことに、僕は4年前にきたもっくの仕事で四季折々様々な事業を撮影していた。今回の県の仕事では、それら過去映像も素材として使い、新たにきたもっくに勤める7人と福嶋誠代表、計8名のインタビューを行った。
主に若手スタッフへのインタビューで、県が情報として欲しいサーキュラーエコノミーへの取り組み(廃棄物をできるだけなくし、資源を循環させながら活用していくこと)や、きたもっくの理念が表せるのではないか、と提案をしてくれたのはきたもっく事業戦略室の土屋慶一郎さんだった。きたもっくはキャンプ場以外に林業、薪・炭製造業、ストーブ販売、カフェ・ギャラリー運営、養蜂業など多岐に渡る事業を展開している。その様々な仕事に1本の道筋を作る事が今回の映像の柱となった。
自社で所有している二度上山の木を切り、木材として使用できない部分を薪や炭にする。それらを燃料としてストーブを(キャンプ場を)暖め、熱は養蜂にも利用し、焚火にすればそれはミーティング施設「TAKIVIVA」のコミュニケーションツールとしても利用できる。インタビューは基本、各自が普段行っている仕事についてのインタビューだったのだが、編集で繋いでいて個人の必然性と会社の必然性とが重なる瞬間が多々あった。サーキュラーエコノミー等の横文字は僕は未だに苦手意識があるのだが、理想論ではなく現実の話として映像が組めることに手応えを感じた。
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インタビューの最後には結局、福嶋誠さんにも出ていただいた。彼は年始の対外プレスの中で「生成AI(人工知能)の技術的発展によって、現代社会の過半の産業や事業所の消滅が予想されているが、何も恐れることはない。働く場など自然の中にいくらでもある。むしろ急ぐべきは未来を指し示す“誇りある労働”が組織されるか否かにかかっている」と述べている。
ここからは僕の解釈を含める。パソコンやスマートフォンを操作し、娯楽を得たりマネーゲームを行ったり、身の丈以上の自分を見せようとしたり、身の丈以下に自分を卑下してしまったりする。そういう世界にAIが投入されることで、自分のアバターとも呼べる一部は拡張したり縮小したり捏造されたりする時代がやってくる。私は何? という疑問は、より加速していくのだろう。
その一方で、確かに自然の営みの中では人は等身大でいられる。それは個人個人が体感として気付くしかないものではあるが、自分を顧みても、狩猟の撮影で無力さを知った時や、雄大な浅間山のふもとに立つ時、温泉に浸かって指先までじんじんした時、リアルを感じる。映像の中では、フィンランドに滞在経験があり、木や皮や様々な工芸もできるTAKIVIVAスタッフの桑田瞳さんが「薪を燃やしてご飯を作る、暖を取るとか、人間の生活の中に当たり前にあった行為を私たちはビジネスとして行っている。当たり前にあった流れの中の行為だから自然な行為なのかなと思います」と語っているが、その先にあるのがきっと、生きて、生きていくことを支える、誇りある労働なのだろうと思う。
AIと向き合い孤立する人の集団と、自らを使って生活を共にする集団、どちらが幸福かは言わずもがなという気がする。きたもっくのこれからとして、家族ではなく事業体として、個性ある人々の生き方を束ねていくことは可能なのだろうか。この先が問われている。
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ここからは今回の仕事から離れるが、きたもっくとの仕事を考えた時、昨年末に亡くなった写真家の田淵章三さんを思い出さずにはいられない。田淵さんは北軽井沢に移住後、福嶋誠さんと意気投合をし、誠さんの書籍「未来は、自然の中にある。」(上毛新聞社)の制作や、社のブランディングに関わった。
4年前の映像制作でもアドバイスに入っていただき、よく「岡安はまじめでつまらん」とダメ出し・・アドバイスをくれた。見せることが出来なかった今回の新たな映像もきっとそう言われただろうなとは思いつつ、浅間山やそこで暮らす・暮らした人々に負けないように、僕も自分なりの誇りある労働を探していきたいと思う。
ECOぐんま 山の恵みを循環させ自然と共生する産業モデル【有限会社きたもっく】(映像は下記リンク先から見られます)
https://ecogunma.pref.gunma.jp/news/145.html
田淵さんとの共作 有限会社きたもっく ー未来は自然の中にあるー
https://youtu.be/uPQssqP5szY?si=3Il1G0A_BFcuNheM
2026年01月22日
「温泉」をユネスコの無形文化遺産に登録を。という動きが県にあり、中之条町がその協力に手を挙げた。中之条町は温泉が多く、ざっくり「四万温泉」「沢渡温泉」「六合温泉郷」に分かれるのだが、町の観光協会でそのPR映像を作る流れとなった。四万は昨年別の会社が手がけたのだが、沢渡はマニアック・・既存の関係している映像会社もないので、僕に任せていただけることになった。
そういう話をいただく以前から、沢渡の湯はとても好きだった。共同浴場は誰でも気軽に入れる。一度行った人であればあの「熱い湯」を思い出すかもしれない。小ぶりで、3人入れば満員の浴槽が2つ。どちらもけっこう熱い(43度くらい)。うち手前の方はさらに熱い。地元の常連は熱い湯に慣れているので、手前を水で薄めると怒られる、というほんとか嘘かわからない話まで聞いた気がする。
沢渡の湯の何が良いかというと、きりっと熱く、湯冷めをしない。聞くと、体の芯まで温まるかららしい。温泉によっては、出てぐったりと疲れる温泉もあるが、沢渡は出てバリバリ元気になる感じ。下手な栄養ドリンクより断然効く。現に、地元の常連たちは早朝に入る。それから一日の仕事を始めるのだ。
映像には「嗚呼、沢渡温泉が呼んでいる」というコピーを考えた。文字は、中之条町で開催されている「秋、酒蔵にて」のメンバーの宮森庸子さんにお願いした。今はまだ動画1つだが、今後何本かが公開される。
嗚呼、沢渡温泉が私を呼んでいる 〜しみじみ編〜
2026年01月21日
以前、下里見の「富久樹園」によく出入りしていた。梨やプラムを前の会社で扱ったことがきっかけだったが、個性的な園主の登さんとウマがあい、行くのが楽しみでもあった。登さんはその後、「高崎クリスマスローズガーデン」も作り、それはあっという間に県外に知られる事業となった。やり手なのである。
その富久樹園で働いていたのがなほちゃんだった。はきはきして働き者。高崎CIPという起業支援で富久樹園を手伝っていた彼女はその後介護系の仕事に転職し、ずっとそっちなのかなと思っていたら、近年あたりにまた農業を始めたらしい。米作りまで手を広げながら、昨年彼女が一番やりこんだのは「サトウキビの栽培」だった。
日本の南、なんなら沖縄じゃないとサトウキビなんて育たない、という偏見を持っていたが、群馬でもきちんと育つらしい。サトウキビ作ったらどう? と言ったのは登さんということだが、なほちゃんは友人知人への声かけをして協力を得ながらサトウキビを刈ると、その樹液を煮詰めて「きび蜜(黒蜜みたいなもの)」を作った。すごいねーとすぐに注文をした。正月はきなこと一緒に餅にかけたし、砂糖の代わりに使ってコクだしに使っても良いらしい。
やり通す意思があれば、サトウキビも育てられる。甘い話ではないが、大事な話だと思う。
2026年01月20日
忙しいと太るのなんでだろう。
新年明けて、寝る時と飯を食べる時以外はずっと仕事をしていられるくらい仕事がある。有難い。と思う一方で、昨年の今頃に結構続けていた夜の散歩などを一切しなくなってしまった。そしてお正月、例年以上にたくさん食べた。結果、ずいぶんと体重が元に戻ってしまった。
そういえば、僕は何か食べ物を好きになると飽きるまでそれを食べる癖があるのだが、ひと時「フライパンに油をひかずに餃子の皮を並べ、皮の上にケチャップをペイッと塗って、溶けるチーズを乗せて、加熱した(ある程度ふたをしておくとチーズが溶けやすい)ただそれだけのもの」を好んで食べていた。帰宅した21時くらいから。具材も何もないのだが、それがやたらと旨かった。いも焼酎の水割りと食べていた。今はそれを食べようとは思わない。
以前「太り気味でも、それでずっと横ばいなのなら、それが岡安さんの生活の適正体重なんだよ」と言われたことがありなるほどと思った。確かに太り続けているわけではないし、小手先でちょっと減らしても生活を戻せば体重も戻ってしまう。だからその横ばいな体重のままでいるという選択肢もある。と同時に「本当に痩せたいのであれば、生活自体を変える必要がある」ということも何となくわかってきた。それもあっての夜の散歩だった(それだけではカロリー消費は低いと思うが、散歩することによって他のことも多少は気を付けるようになり、一応は7キロくらい痩せた)。
明日からは! と思って2週間が経つ。
2026年01月19日
自分が使うSNSのメインはインスタグラムである。Xはなんだか物騒でどうでもいい情報ばかり流れてきて、そうとわかっていながら見るとずっと見てしまう。Facebookはそれでしか繋がっていない人もいるからたまに見るがほぼ投稿しなくなってしまった(僕がフォローしている人も、投稿している人は全体の1割程度なのではないか)。書くことが好きなので写真メインのインスタは軟派だなとか思っていたが、使い慣れると違和感はない。
わりといつもどうでも良いことを投稿しているのだが、 #遺失物写真家 というハッシュタグを自分で発案して度々投稿している。これは、道端に落ちている誰かの落とし物(僕の範囲では捨てたものも含まれる)でグッとくるものがきたら撮って投稿するというものである。宇多田ヒカルさんも似た投稿を度々しているが、それに影響されたわけではない。道端に落ちているものには哀愁が含まれることが多いので、面白いなと自然発生的にはじめたものだ。
榛名の山道を歩いている時には、革靴の片方だけが道端に落ちていた。なにをどうすればここにそれが置かれる状況になるのかわからない。今日は、「不法投棄ダメ!!」と書かれた看板の手前に、電動鉛筆削りが落ちていた。確信犯なのだろうか。もう勉強したくないという誰かの意思表示なのだろうか。
近くの公園におじさんが被るようなハンチング帽が落ちていて(何かのポールにひっかける感じで)、散歩でそこを通る度に度々スマホで写真を撮り投稿したこともあった。雨の日も晴れた日も、帽子はそこにあった。ある日、それは忽然と消えた。持ち主が気付いて持ち帰ったとは考えにくい。誰かが、きたなくなるからと捨てたのだろうか。
興味ない人には全く興味がないことだが、僕はなんだか遺失物が気になる。自分自身が今にばかり意識がいくタイプなので、過去に何かを落としてきた、とずっと思い込んでいるからかもしれない。