日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

399声 社務所の瓶麦酒

2009年02月02日

小さな祭りから、大規模な映画祭。
ここ最近、不思議な縁あって、多種多様な土地の祭事に出かける事が多い。
そして、訪れた先で持て成してもらう、つまりは御馳走になる事がしばしば。
私はそれが嬉しく、また秘かな楽しみの一つでもある。

昨日参加した、節分祭。
打ち上げには参加しなかったのだが、色々御馳走になった。
中でも、神社に併設されている社務所の片隅で、土地の奥さん方が漬けた沢庵を、
ポリポリやりつつ、飲む瓶麦酒。
これには趣深い味わいがあった。
神棚の横、麦酒を継ぐ時、瓶と硝子のコップが触れる「チン」と言う音に、
反射的に両手を合わしてしまいそうになりながら、一献。
持て成して下さった、土地の方々に多謝。

398声 第98回豊武神社追儺節分祭

2009年02月01日

雨は止んで。
とキーボードを打ったつもりが、
尼は病んで。

ともかく止んで、快晴の本日。
伊勢崎市で行われた、「第98回豊武神社追儺節分祭」に参加。
この節分祭は、豊武地区(富塚町、除ヶ町、大正寺町、下道寺町)に出生や居住あるいは、
生来などの関わりがある、満40歳の男が、42歳の厄を払うと言う儀式。
地区住民全員を招いて、大々的かつ盛大に行う、伝統的な祭りである。

私、生まれも育ちも伊勢崎豊武。
豊武神社で産湯を使っている訳では、もちろん無い。
むしろ、本日まで縁もゆかりも無かった。

尾瀬の寅さん。
と言う人がいる。
この人に声を掛けて頂き、いつもの事ながら、
ひょんな経緯でギター演奏を行ってきた。
私の演奏はともかく、縁日に寅さん。
いつ見ても、心打たれる光景であった。

節分祭のメインイベントの一つが、福引き。
これもまた、神社に福引きと言う、揺るぎ無い興趣。
福引券を購入して、早速挑戦。
「さんとーう」
カランカランって鐘の音と共に、俄かに盛り上がる会場。
3等の景品として当たったのは、缶珈琲1ケース。
緊張による神経性胃痛が、ちょっぴり疼いた。

397声 モラトリアムの季節

2009年01月31日

雨は降り続いて、今日。
今、この2月時期の観光情報に関する原稿を書いていた。
思考の底に溜まっている材料を、おたまで鍋を掻き回す様に、
掬い上げようと骨を折っていた所。

しかし、2月と言う季節は難しい。
厳冬でもないし、早春でもない。
どっちつかずで、なんだか「モラトリアム」ってな言葉を連想させる時期。

翻って考えると、生活。
このモラトリアムの時期に何をやっていたかで、
春の迎え方も変わってくるのではなかろうか。
学生じゃないけれども。

だとすれば、2月は重要な季節。
分かっちゃいるけど、何をすれば良いのか分からない。
いや、分かっているのだけども。
って、髪の毛を掻きむしっている間に終わってしまう。
差し当たり、目下の原稿。
書き回しの使い回しだけは避けたい。

396声 In The Rain

2009年01月30日

今日は久しぶりの雨。
乾いて淀んだ空気を雨が洗い流し、潤いのある清浄な空気に入れ変わった。
深呼吸すれば、心地が良い。
先日、此処群馬県で発令された「インフルエンザ警報」も、
これで幾らか緩和されるだろう。

雨は様々な物を洗い流す。
然るに、私の車にこびり付いた鳥の糞だけでなく、
日本経済の「不況警報」の方もいっそ、洗い流してくれないものだろうか。
それが叶わなければ、せめて憂いだけでも。
しかしまぁ、憂いだけなら麦酒でなんとか。

395声 銭湯の闖入者 後編

2009年01月29日

昨日の続き。

一二歩進んで、人影の方へと視線を注ぐ。
すると、脱衣場の奥、直線位置にある男湯湯船に浸かっている、
御爺さんと目が合った。
御爺さん、私の姿を目を細めて確認しているので、私も軽く会釈。
そしておもむろに、「おーい、郵便屋さんが来てるよー」と、
お爺さんの声が若干エコーを含みつつ、浴室に共鳴。
直ぐに女湯から帰って来たのは、
「おばさーん、郵便屋さんだってー」と、お婆さんの大声。

慌てて私、御爺さんに、
「違いますー、郵便屋じゃないんですよー」と大声で訂正。
またもや御爺さん、
「郵便屋さんじゃなくてー、牛乳屋さんだとー」と大声で女湯に連絡。

こりゃ、えらい事になってきた。
「牛乳屋」なんて、私は一言も言ってないのである。
訂正しようとした矢先、女湯から帰ってくる声。
「何言ってんだよー、牛乳屋さんは日曜は来ないんだよー」

一呼吸二呼吸置いて、湯船からゆっくり上がり、こちらへ歩いてくるお爺さん。
浴室のドアを開けて、私の顔をまじまじ見ながら、
「アンタ、どちらさん」と、腑に落ちない表情で問う。
ようやく弁解の余地を与えられた私は少し安心し、とりわけ明瞭な口調で答えた。
「お風呂に来た客です」
合点がいった御爺さん、再度、女湯へ声をかける。
「あのねー、郵便屋さんがお風呂入りに来たんだってー」
「あーそうー郵便屋さんねー」

私はもう、番台に360円を置いて、そそくさと服を脱ぎ浴室へ入る。
湯船に浸かると、すりガラスの向こうに人のいない番台が見える。
右斜め横、丹念に歯を磨いている御爺さん。
窓から西日、束になって降り注ぐ。

394声 銭湯の闖入者 前編

2009年01月28日

先週の日曜日。
路地裏銭湯記に書く為、高崎市新町へと銭湯捜索に出かけた。
手持ちの、「上州いきいき湯ったり銭湯マップ」によると、2軒存在。

市内の路地を右往左往。
まず1軒目の場所へと辿り着くが、無い。
通り沿いの商店街の外観から推察するに、
区画整理等あり、商売を止してしまったのだろう。

そして、2軒目。
商店街から路地を縫って進むと、瓦屋根の向こうに煙突を発見。
目指した先に辿り着くと、住宅街にひっそりと、懐古的銭湯が佇んでいた。
歴史時計の針が止まってから、久しい印象を受ける。
草臥れて全体的にくすんだ外観と言い、
店舗横の敷地で風化している、半ば朽ち果てたシトロエンと言い、
「デカダンス」と言う言葉が、自然と脳裏に浮かぶ。

時刻は3時前。
まだ来るのが早すぎたのか、入口には暖簾が掛っておらず、人気もない。
何時から開店なのかを確認しようと、入口から脱衣場へと顔を覗かせる。
番台には誰おらず、脱衣場も午後の陽が影を落として、静まり返っている。
しかし、置いてある脱衣籠の一つには衣類が入っており、
浴室のすりガラスの向こうに、なにやら人影が見える。

さて、その人影とは一体!?
明日へと続く。

393声 知らずに影響

2009年01月27日

夜風になびく街柳
枯木にふらふらしがみつき

テレビ、新聞などに目をやれば、連日、焦燥感を助長するような報道ばかり。
知らずに影響されてか、自然と心許無い歌を詠んでしまう。

392声 鼻水黙想

2009年01月26日

一日を過ごし、床に就いて寝る間際。
「よし書こう」ったって、総じて文章など紡ぎ出せないのである。
思考の入口辺りから、手頃な発想を引き摺り出そうと、
椅子の上に座して黙想にふける。
そして、うとうと眠りこける。
「はっ」と気付くと、鼻水が垂れている。
「ずっ」と鼻を啜って、袖口で目を擦る。
すっかり冷たくなってしまった、足のつま先。
両手で温めながら、虚ろな夜は更けてゆく。

391声 薄紫色

2009年01月25日

今日は快晴、風もなく穏やかな一日。
傾いた陽が、赤城山の長い裾野を薄紫色に染め、
夕日と青空が綺麗に溶けあう。
楽しそうに、南へ帰る雁が2羽。

「おーい、今日は何処へ行ってきたんだい」

390声 四畳半の決闘

2009年01月24日

昼間から、机に向って書き仕事をしていると、
一日の短さを痛切に感じる。
そして、日々の単調さを再認識する。

起きてファンヒーターの電気を入れる。
「コー」っと、ぶっきら棒に温風を吐き出しす声が、部屋に響く。
新聞を斜め読みし、食パンに何を塗って食べようかと考えていたら、
時刻は正午になってしまった。
朝昼食合同食をひとしきり食べ終え、目下の仕事をこなそうと机に向かう。

食べ過ぎによる満腹感により、なかなか集中できない。
読みかけの本に手を伸ばす。
どこまで読んだのかが分からず、頁を右往左往している間に夕暮れ。
「冷蔵庫に缶麦酒はあったか」
確認したい気持ちを峰打ちにして、再度、机に向かう。

ようやく、書き始めた。
矢先、確認したい気持ちが、飲みたい気持ちを連れて仇打ちにやって来る。
真剣勝負の末、仕事したい気持ちを、手打ちにされる。

一連の決闘を、すぐ横で見守ってたファンヒーター。
やはりぶっきら棒に「コー」っと、その声はいささか呆れ気味である。

389声 養蚕文化を懐古

2009年01月23日

今日は、一日高崎市内を取材撮影。
その行程で訪れた、「日本絹の里」。
前日に、新聞やNHKなどの露出により、館内は大入り。
貴重な展示品の数々で、県内の養蚕文化を辿り、絹の神秘に触れる。
その中、見学にいらしていた地元のお婆ちゃんとしばし会話。

掌に、生きた蚕の幼虫の幼虫を乗せ、「ほら、おカイコさん」。
お婆ちゃんはニッコリしながら、見せてくれる。
「懐かしいのよねぇ、おカイコさん」
と、目を細めていらっしゃる。

お婆さんに、地域の養蚕文化についての盛衰を教えてもらう。
会話中、その「おカイコさん」という呼び方が、
何よりも、地域に根付いていた養蚕文化の歴史を感じさせる。
時代を生きてきた人は、尊い。

388声 或る視点からの博奕渡世

2009年01月22日

世相が半。
なら、私は長に張る。
ただ、それだけのことだ。

387声 ノリにのった観光客 後編

2009年01月21日

新しいアメリカ大統領が本日就任。
そして、昨日の続き。

「あれっ」と思った。
着物娘と礼服のお母さんのいる周囲に、時折閃光。
断続的に、ピカピカ光っているではないか。
何かと思い、ひょいと背伸びして、昼時の混雑する雑踏を見下ろす。
すると、アジア系の外国人観光客の方々なのだろう、周りを取り囲んで、激写。
パパラッチさながら、フラッシュの嵐なのである。

浴びせられる閃光の中に、明らかに困惑が浮かんだ、晴れの日の母子の顔。
周囲の人々は、事なかれ主義を重んじ、曖昧な表情で過ぎ行く。
かく言う私も、団子にかじり付きながら、遠巻きから傍観。

TVニュースに映っていた、築地市場の場長に注意される外国人観光客と、
浅草で我武者羅にフラッシュをたいていた、この外国人観光客。
両方に共通していたのは、修学旅行の中二男子学生さながらの、ノリ。
それはまさに、ワルノリ。

ワルノリと言えば、このサイトでも掲載している、
隔月県内吟行の「ワルノリ俳句ing」。
もちろん、正しく(かどうかは怪しいが)俳句を詠みつつ、
「ワルノリ俳句」も詠んで行く。
自分の、あるいは、他者のワルノリ感を、五・七・五で表現すると言う、
逆説的な俳句への取り組み(かどうかも、またもや怪しいが)。
そして、ワルノリの無常感を肴に、赤提灯で一献傾けるのである。

そこで、ワルノリしがちな外国人観光客の方々にも、
ワルノリ俳句を普及させ、俳句を詠む事よって、
ワルノリの無常感及び寂寥感を味わって頂く。
そうすれば、観光地でのワルノリも減少するのではないか。

しばし書手を止めて、想像。
赤提灯のカウンターで、隣に居合わせた外国人観光客数名。
皆一様に押し黙って、ワルノリの無常感を肴に、一献傾けていたとしたら。
思わず私の方が、フラッシュをたいてしまうだろうな。

386声 ノリにのった観光客 前編

2009年01月20日

毎日せっせと送りつけられて来る、携帯電話の迷惑メール。
近頃はやけに、「エロ」一辺倒だったものが、
「就職」だとか「派遣」だとか、誘い文句に変化が見られる。
こんなものにでも、近年の不況の影響と言うべき、
世相が反映されているのかと、関心かつ寒心。

さて、今朝のTVニュースから、とりとめもなく、ひとつ。
今月15日から中止されていた、築地市場のマグロ競り場見学が昨日再開された。
中止の主な理由は、写真撮影時にフラッシュをたいたり、
競りのマグロに触れる等、外国人観光客のマナー悪化によるもの。

このニュースで思い出されるのが、先日の成人の日である。
その日私は、浅草をぶらついていた。
仲見世通り辺りを冷やかしていると、雑踏の中に一際目を引く着物。
新成人と思しき娘が、まるで日本人形の如く華麗な振り袖姿で、
はんなりと歩いているではないか。
隣には、付き添いのお母さん。

しかし、その周囲が時折光っている。
何かと思い、ひょいと背伸びして、昼時の混雑する雑踏を見下ろす。
すると、外国人観光客の方々なのだろう、周りを取り囲んで、激写。
パパラッチさながら、フラッシュの嵐なのである。
浴びせられる閃光の中に、明らかに困惑が浮かんだ、晴れの日の母子の顔。
周囲の人々は、事なかれ主義を重んじ、曖昧な表情で過ぎ行く。
かく言う私も、団子にかじり付きながら、遠巻きから傍観。

と、今日はここまで。
掲載できる文章量を超過して書いてしまったのである。
はんなりとした着物娘はどうなったのか、また明日へ。

385声 ムーミン谷にはある

2009年01月19日

今年は読書に興を得ている。
例年になく、強く惹きつけられるのだ。

それはなぜかと考える。
までもないのである。
読みたい本、あるいは読み終えたの傾向から、
潜在的に自らが得ようとしている事柄は、顕在化してくる。

とすれば、部屋の隅に積んである、読み終えた本の背表紙は、
求める自分を映し出す鏡。
今日はその一番上に乗っている、
「ムーミン谷の仲間たち」を、床で読みつつ就寝。
ムーミン谷には、得ようとする物がある。

384声 銭湯の意義

2009年01月18日

「寄り合い」ってな、例会が「和のカルチャースクールほのじ」で開催されている。
昨日がその開催日。
近隣住民が集まり、交流する事で、地域社会の発展を目指す。
とまで、杓子定規な集まりではないが、少なくとも、文化的意義のある会である。

文化的意義の薄れる夕暮れ。
日が暮れると、どこからともなく湧いて出てくるのが、酒徒の面々。
酒瓶抱えて、満面の笑み。
かく言う私もその一人。

宴もたけなわ。
飛び交う、整合性の欠落した酔っぱらいの会話。
掻い潜って抜け出し、夜の街をひとっ走り。
辿り着いた先は、閉まる間際の銭湯。

息を弾ませつつ、入口ドアを引いたら番台。
「今日は随分と寒ぅございましたねぇ」
と、いつも声をかけてくれる、店主のおやっさん。
入浴料を払って脱衣場、急ぐあまりに、手拭いを忘れてしまった事に気付く。

「すんません、手拭いを忘れてしまったのですが、タオルか何か売っていますか」
「はいはい、じゃ、どうぞ、このタオルを使ってください」

街に薄れゆく文化的意義を噛み締めつつ、タオルをお借りした。
銭湯から出て、帰り路。
火照った頬を撫でる夜風が心地よい。
たけなわを過ぎた宴で、また一杯。

383声 間抜け空

2009年01月17日

調子が良い。
と、感じる時が稀にある。
神経が張り詰めて、胃が締めあげられて、気分が重たい時でも、感じる。
それは、間抜けな位、空が青い日だったりする。

382声 藪入りで背水一滴

2009年01月16日

今日は藪入りの日である。
一年に二回ある内の一つ、正月の方の藪入り。
もう一つは盆の時期。

その、盆の藪入り時期、私は上野は鈴本演芸場で落語を聞くべく、
真夏の真昼の炎天下、蟻の行列で並んでいた。
そう、去年の事である。

やっとこ席にあり付け、その日の寄席は大入りで、立ち見が出るほどの活気。
トリを飾ったのは、三遊亭金時。
演目はもちろん「藪入り」。

恥ずかしながら、時節に疎い私。
その落語を聞いて、初めて藪入りと言う日の存在と、
一体どういう日なのかを知ったのである。
銭湯もそうだが、市井の慣習と娯楽と言うものは、
古くから結びついているものだと感じた。

金時師匠、迫真の落語で、それまで漠然と漂っていた会場の空気は、
みるみるうちに、感動を誘う、張り詰めた明瞭な空気に変わる。
その空気を打ち破る、割れんばかりの拍手。
深々と頭を下げ、ゆっくりと閉まって行く緞帳。
飛び交う掛声と、こぼれる満足気な笑顔。

此処まで辿り着いた読者。
「ところで、さっきから言ってる、藪入りって何んなの」
ってな、私と同じ様な弛緩した表情を浮かべている人が、中にはいるかも知れん。
この機会に、落語の「藪入り」。
背水一滴。
つまりは、弛緩した表情が、引き締まる。
そして、心を打たれるかも知れん。
まさに、背中に冷水が垂れるかの如く。