「形あるものに心のよりどころを求めようとするが、そういうものが満たしてくれるものはほんの一部。目に見えないもの、風や光、誰かの思い、亡くなった人の面影とか…そういうものに心の支えを見つけたとき、たった一人でも立ってていられる。」
2007年06月19日
「形あるものに心のよりどころを求めようとするが、そういうものが満たしてくれるものはほんの一部。目に見えないもの、風や光、誰かの思い、亡くなった人の面影とか…そういうものに心の支えを見つけたとき、たった一人でも立ってていられる。」
2007年06月18日
バカという。
不確定要素というのは、
楽しさの素であり、
嬉しさの素である。
もちろん、
悲しさの素でもあり、
腹立たしさの素でもある。
これ全部ひっくるめて、
’面白さの素’ってのはどうでしょう。
面白素(もと)の詰まった人は、
面白味(あじ)のする人。
面白味(み)のある人。
これは、
確定要素や予定調和では味わえない味ですな。
ダイナミックで繊細な味ですな。
2007年06月16日
次回の‘ものづくり自慢’の取材に、
前橋在住版画家の仕事場にお邪魔した。
遊び心満載の工房。
「このいちばん右側のヤツが‘絶好鳥’、こっちが・・・」
こんな大人がいたら、子供は非行に走らないだろうなぁ。
相当グレた子供にはなるでしょうけどね。
2007年06月15日
週刊「モーニング」の人気連載。
大人になって唯一読んでいる漫画です。
たまたま読んでいた情報誌のなかに、
これについてのミゴトな説明がありました。
『時代は信長でも秀吉でも家康でもなく、織部である。と、きちんと書いておきたい。・・・「へうげもの」は、戦国時代、「武」ではなく「美」に重点を置いた茶器などを言い表す。「へうげ」とは「ヒョウ(票にリットウと書く)軽」という意味。なので、圧倒的な美というよりも、遊び心が重要。古典的仮名遣いでHyouge-monoと読む。そして、その心こそ、茶の席における「余裕」なのではないか、などと勝手に解釈している。
その遊び心だけれども、誰にでも通じるものでもないし、何より絶対的な価値などではない。その遊び心を持った人の感覚の中でしか通じない。というより、通じることに意味がある。例えば乳首をモチーフにした茶碗を粋に感じることができるかどうか。けれども、そこにこそ、モチーフを選んだ織部の存在があるし、メッセージがある。
その主人公、古田左介は下級武士の出身だが、数寄に対する人並みはずれた情熱と物欲が彼を動かし、やがて重臣となり織部を名乗る。武力ではなく「ノリ」あるいはひょうきんさで生き延びてしまう武将として描かれている。・・・
「へうげもの」が持つ余裕こそ、時代が求めているものではないか、だからこそ信長でも秀吉でも家康でもない、そう思う。ぼくはそうやって自分が生き延びることができる、そう思っている。』
2007年06月14日
中之条に住む老夫婦と暮らす金魚。
金魚というより銀魚という趣き。
人生ならぬ魚生の垢も抜けて、
ロマンスグレーを悠々自適、
といった感じ。
こんなにも長く生きられるんですねぇ。
2007年06月09日
自由が幅利かせすぎると、
不自由になるんですかねぇ。
こんなとき最初にダメージを受けるのは、
弱くてゆるい部分なんですよねぇ。
商店街ですとか、
個人店ですとか、
若者ですとか、
年寄りですとか・・・。
介護も教育も、商品ですからねぇ。
ハタラキザカリの了見が問われる時代に、なりましたねぇ。
2007年06月08日
「電話の下の引き出しの中だよ」
(引き出しにはニッパーが・・・)
「これニッパーだよ」
「なに?」
「ニ・ッ・パ・ー!」
「ペンチもニッパーも大して変わらないでしょ」
2007年06月07日
「やらないって何を?」
「(酒を飲む手振りで)これに決まってるだろ?」
「あー、酒ね。俺も飲んでないからどうも調子よくて。」
「‘どうも’ってあのさ、調子がいいのに‘どうも’ってこたぁねぇだろ?」
「いや、まぁそうなんだけどさ。調子いいとほら、なんだか生きてる感じしなくて。」