日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

394声 銭湯の闖入者 前編

2009年01月28日

先週の日曜日。
路地裏銭湯記に書く為、高崎市新町へと銭湯捜索に出かけた。
手持ちの、「上州いきいき湯ったり銭湯マップ」によると、2軒存在。

市内の路地を右往左往。
まず1軒目の場所へと辿り着くが、無い。
通り沿いの商店街の外観から推察するに、
区画整理等あり、商売を止してしまったのだろう。

そして、2軒目。
商店街から路地を縫って進むと、瓦屋根の向こうに煙突を発見。
目指した先に辿り着くと、住宅街にひっそりと、懐古的銭湯が佇んでいた。
歴史時計の針が止まってから、久しい印象を受ける。
草臥れて全体的にくすんだ外観と言い、
店舗横の敷地で風化している、半ば朽ち果てたシトロエンと言い、
「デカダンス」と言う言葉が、自然と脳裏に浮かぶ。

時刻は3時前。
まだ来るのが早すぎたのか、入口には暖簾が掛っておらず、人気もない。
何時から開店なのかを確認しようと、入口から脱衣場へと顔を覗かせる。
番台には誰おらず、脱衣場も午後の陽が影を落として、静まり返っている。
しかし、置いてある脱衣籠の一つには衣類が入っており、
浴室のすりガラスの向こうに、なにやら人影が見える。

さて、その人影とは一体!?
明日へと続く。

393声 知らずに影響

2009年01月27日

夜風になびく街柳
枯木にふらふらしがみつき

テレビ、新聞などに目をやれば、連日、焦燥感を助長するような報道ばかり。
知らずに影響されてか、自然と心許無い歌を詠んでしまう。

392声 鼻水黙想

2009年01月26日

一日を過ごし、床に就いて寝る間際。
「よし書こう」ったって、総じて文章など紡ぎ出せないのである。
思考の入口辺りから、手頃な発想を引き摺り出そうと、
椅子の上に座して黙想にふける。
そして、うとうと眠りこける。
「はっ」と気付くと、鼻水が垂れている。
「ずっ」と鼻を啜って、袖口で目を擦る。
すっかり冷たくなってしまった、足のつま先。
両手で温めながら、虚ろな夜は更けてゆく。

391声 薄紫色

2009年01月25日

今日は快晴、風もなく穏やかな一日。
傾いた陽が、赤城山の長い裾野を薄紫色に染め、
夕日と青空が綺麗に溶けあう。
楽しそうに、南へ帰る雁が2羽。

「おーい、今日は何処へ行ってきたんだい」

390声 四畳半の決闘

2009年01月24日

昼間から、机に向って書き仕事をしていると、
一日の短さを痛切に感じる。
そして、日々の単調さを再認識する。

起きてファンヒーターの電気を入れる。
「コー」っと、ぶっきら棒に温風を吐き出しす声が、部屋に響く。
新聞を斜め読みし、食パンに何を塗って食べようかと考えていたら、
時刻は正午になってしまった。
朝昼食合同食をひとしきり食べ終え、目下の仕事をこなそうと机に向かう。

食べ過ぎによる満腹感により、なかなか集中できない。
読みかけの本に手を伸ばす。
どこまで読んだのかが分からず、頁を右往左往している間に夕暮れ。
「冷蔵庫に缶麦酒はあったか」
確認したい気持ちを峰打ちにして、再度、机に向かう。

ようやく、書き始めた。
矢先、確認したい気持ちが、飲みたい気持ちを連れて仇打ちにやって来る。
真剣勝負の末、仕事したい気持ちを、手打ちにされる。

一連の決闘を、すぐ横で見守ってたファンヒーター。
やはりぶっきら棒に「コー」っと、その声はいささか呆れ気味である。

389声 養蚕文化を懐古

2009年01月23日

今日は、一日高崎市内を取材撮影。
その行程で訪れた、「日本絹の里」。
前日に、新聞やNHKなどの露出により、館内は大入り。
貴重な展示品の数々で、県内の養蚕文化を辿り、絹の神秘に触れる。
その中、見学にいらしていた地元のお婆ちゃんとしばし会話。

掌に、生きた蚕の幼虫の幼虫を乗せ、「ほら、おカイコさん」。
お婆ちゃんはニッコリしながら、見せてくれる。
「懐かしいのよねぇ、おカイコさん」
と、目を細めていらっしゃる。

お婆さんに、地域の養蚕文化についての盛衰を教えてもらう。
会話中、その「おカイコさん」という呼び方が、
何よりも、地域に根付いていた養蚕文化の歴史を感じさせる。
時代を生きてきた人は、尊い。

388声 或る視点からの博奕渡世

2009年01月22日

世相が半。
なら、私は長に張る。
ただ、それだけのことだ。

387声 ノリにのった観光客 後編

2009年01月21日

新しいアメリカ大統領が本日就任。
そして、昨日の続き。

「あれっ」と思った。
着物娘と礼服のお母さんのいる周囲に、時折閃光。
断続的に、ピカピカ光っているではないか。
何かと思い、ひょいと背伸びして、昼時の混雑する雑踏を見下ろす。
すると、アジア系の外国人観光客の方々なのだろう、周りを取り囲んで、激写。
パパラッチさながら、フラッシュの嵐なのである。

浴びせられる閃光の中に、明らかに困惑が浮かんだ、晴れの日の母子の顔。
周囲の人々は、事なかれ主義を重んじ、曖昧な表情で過ぎ行く。
かく言う私も、団子にかじり付きながら、遠巻きから傍観。

TVニュースに映っていた、築地市場の場長に注意される外国人観光客と、
浅草で我武者羅にフラッシュをたいていた、この外国人観光客。
両方に共通していたのは、修学旅行の中二男子学生さながらの、ノリ。
それはまさに、ワルノリ。

ワルノリと言えば、このサイトでも掲載している、
隔月県内吟行の「ワルノリ俳句ing」。
もちろん、正しく(かどうかは怪しいが)俳句を詠みつつ、
「ワルノリ俳句」も詠んで行く。
自分の、あるいは、他者のワルノリ感を、五・七・五で表現すると言う、
逆説的な俳句への取り組み(かどうかも、またもや怪しいが)。
そして、ワルノリの無常感を肴に、赤提灯で一献傾けるのである。

そこで、ワルノリしがちな外国人観光客の方々にも、
ワルノリ俳句を普及させ、俳句を詠む事よって、
ワルノリの無常感及び寂寥感を味わって頂く。
そうすれば、観光地でのワルノリも減少するのではないか。

しばし書手を止めて、想像。
赤提灯のカウンターで、隣に居合わせた外国人観光客数名。
皆一様に押し黙って、ワルノリの無常感を肴に、一献傾けていたとしたら。
思わず私の方が、フラッシュをたいてしまうだろうな。

386声 ノリにのった観光客 前編

2009年01月20日

毎日せっせと送りつけられて来る、携帯電話の迷惑メール。
近頃はやけに、「エロ」一辺倒だったものが、
「就職」だとか「派遣」だとか、誘い文句に変化が見られる。
こんなものにでも、近年の不況の影響と言うべき、
世相が反映されているのかと、関心かつ寒心。

さて、今朝のTVニュースから、とりとめもなく、ひとつ。
今月15日から中止されていた、築地市場のマグロ競り場見学が昨日再開された。
中止の主な理由は、写真撮影時にフラッシュをたいたり、
競りのマグロに触れる等、外国人観光客のマナー悪化によるもの。

このニュースで思い出されるのが、先日の成人の日である。
その日私は、浅草をぶらついていた。
仲見世通り辺りを冷やかしていると、雑踏の中に一際目を引く着物。
新成人と思しき娘が、まるで日本人形の如く華麗な振り袖姿で、
はんなりと歩いているではないか。
隣には、付き添いのお母さん。

しかし、その周囲が時折光っている。
何かと思い、ひょいと背伸びして、昼時の混雑する雑踏を見下ろす。
すると、外国人観光客の方々なのだろう、周りを取り囲んで、激写。
パパラッチさながら、フラッシュの嵐なのである。
浴びせられる閃光の中に、明らかに困惑が浮かんだ、晴れの日の母子の顔。
周囲の人々は、事なかれ主義を重んじ、曖昧な表情で過ぎ行く。
かく言う私も、団子にかじり付きながら、遠巻きから傍観。

と、今日はここまで。
掲載できる文章量を超過して書いてしまったのである。
はんなりとした着物娘はどうなったのか、また明日へ。

385声 ムーミン谷にはある

2009年01月19日

今年は読書に興を得ている。
例年になく、強く惹きつけられるのだ。

それはなぜかと考える。
までもないのである。
読みたい本、あるいは読み終えたの傾向から、
潜在的に自らが得ようとしている事柄は、顕在化してくる。

とすれば、部屋の隅に積んである、読み終えた本の背表紙は、
求める自分を映し出す鏡。
今日はその一番上に乗っている、
「ムーミン谷の仲間たち」を、床で読みつつ就寝。
ムーミン谷には、得ようとする物がある。

384声 銭湯の意義

2009年01月18日

「寄り合い」ってな、例会が「和のカルチャースクールほのじ」で開催されている。
昨日がその開催日。
近隣住民が集まり、交流する事で、地域社会の発展を目指す。
とまで、杓子定規な集まりではないが、少なくとも、文化的意義のある会である。

文化的意義の薄れる夕暮れ。
日が暮れると、どこからともなく湧いて出てくるのが、酒徒の面々。
酒瓶抱えて、満面の笑み。
かく言う私もその一人。

宴もたけなわ。
飛び交う、整合性の欠落した酔っぱらいの会話。
掻い潜って抜け出し、夜の街をひとっ走り。
辿り着いた先は、閉まる間際の銭湯。

息を弾ませつつ、入口ドアを引いたら番台。
「今日は随分と寒ぅございましたねぇ」
と、いつも声をかけてくれる、店主のおやっさん。
入浴料を払って脱衣場、急ぐあまりに、手拭いを忘れてしまった事に気付く。

「すんません、手拭いを忘れてしまったのですが、タオルか何か売っていますか」
「はいはい、じゃ、どうぞ、このタオルを使ってください」

街に薄れゆく文化的意義を噛み締めつつ、タオルをお借りした。
銭湯から出て、帰り路。
火照った頬を撫でる夜風が心地よい。
たけなわを過ぎた宴で、また一杯。

383声 間抜け空

2009年01月17日

調子が良い。
と、感じる時が稀にある。
神経が張り詰めて、胃が締めあげられて、気分が重たい時でも、感じる。
それは、間抜けな位、空が青い日だったりする。

382声 藪入りで背水一滴

2009年01月16日

今日は藪入りの日である。
一年に二回ある内の一つ、正月の方の藪入り。
もう一つは盆の時期。

その、盆の藪入り時期、私は上野は鈴本演芸場で落語を聞くべく、
真夏の真昼の炎天下、蟻の行列で並んでいた。
そう、去年の事である。

やっとこ席にあり付け、その日の寄席は大入りで、立ち見が出るほどの活気。
トリを飾ったのは、三遊亭金時。
演目はもちろん「藪入り」。

恥ずかしながら、時節に疎い私。
その落語を聞いて、初めて藪入りと言う日の存在と、
一体どういう日なのかを知ったのである。
銭湯もそうだが、市井の慣習と娯楽と言うものは、
古くから結びついているものだと感じた。

金時師匠、迫真の落語で、それまで漠然と漂っていた会場の空気は、
みるみるうちに、感動を誘う、張り詰めた明瞭な空気に変わる。
その空気を打ち破る、割れんばかりの拍手。
深々と頭を下げ、ゆっくりと閉まって行く緞帳。
飛び交う掛声と、こぼれる満足気な笑顔。

此処まで辿り着いた読者。
「ところで、さっきから言ってる、藪入りって何んなの」
ってな、私と同じ様な弛緩した表情を浮かべている人が、中にはいるかも知れん。
この機会に、落語の「藪入り」。
背水一滴。
つまりは、弛緩した表情が、引き締まる。
そして、心を打たれるかも知れん。
まさに、背中に冷水が垂れるかの如く。

381声 食事メニューの習慣性

2009年01月15日

私には、食事メニューに対して、習慣性がある。
つまりは、同じ物ばかり食べてしまうのである。
顕著なのが、昼めし。

頻繁に行く定食屋などでは、それぞれ、注文するメニューが決まっている。
この店はラーメン定食とか、この弁当屋はからあげ弁当とか。
そして、飽きる事無く、何度行っても同じ物を注文する。
飽きる事無く。
どころか、むしろ、そのメニューでなくてはならないのである。

何か、自らの気分を上気させる様な事があった日。
いつもの定食屋において、「じゃあ今日は奮発して」って、
普段のメニューでない、ミックスフライ定食なんて豪奢な物を注文する。
注文を終えて、待っている間に、
もうじわじわと後悔が忍び寄って来て、耳元で囁き始める。

「ちょいと旦那ぁ、いくらなんでもぉ、昼めしで950円は高いんじゃないですかぃ」
「値段の割にぃ、なんて事もありますからねぇ」
「フライは、カロリーが気になりますからねぇ」
「やっぱぁ、ラーメン定食にしておけば良かったんじゃあ、ねぇ」

囁きを無視しつつも、複雑な心持で海老フライにかじりつく。
ってな具合に、食事メニューの習慣性から逸脱すると、
厄介な結果が待ち受けているのである。

この様な状況から察するに、毎日、
決まった銘柄の安物のペットフードを食べている、家猫。
主の気まぐれな奮発で、高級なペットフードなんかを時々出されても、
猫にとって、非常に迷惑なのではなかろうか。
思えば、猫と自分を一緒にして考えているが。

380声 都会の人波に紛れる感覚

2009年01月14日

正月風情を残したアメ横を歩く。
声、匂い、眼光、が混ざり合う人海。
人波に洗われていると、気が紛れる感覚。

日暮里からバスで浅草。
観音通りからメトロ通りへ歩く。
往来の脇に、JA全農ぐんまの店舗である「グッドぐんまの旬の市」。
店頭で焼いている、焼き饅頭の香り。
味噌の焦げる匂いを嗅ぐと、故郷が甦る感覚。

379声 回顧的悔恨

2009年01月13日

会社の帰りに、古本屋に寄り道。
この古本屋、地元ではなかなか長寿な店。
この店には、中・高学生の頃から、下校の寄り道で訪れていた。

まさか、社会人になった自分が、
会社の帰りに古本を漁ってから家路に着くとは。
しかも、100円の棚にへばり付いて、
背表紙を指でなぞっているとは。
あの頃の自分には、けっして見られたくない光景である。

そんな事を考えつつ、学生服を着た、自らの回顧的幻影から逃れる様に、
古本を数冊かかえて、店を後にした。
家に帰り、本の包みを空けて愕然。
同じ文庫本を、2冊買ってしまったのである。
長い時期を経て、以前買ったのを忘れて、同じ本を買ってしまう事はあるが、
同時には今回が初めて。

愕然と同時に、悔恨。
非常に悔しくて堪らないのである。
だって、同じ本なのに、一つが100円でもう一つが157円なのだ。

378声 流れる落ち葉の様に

2009年01月12日

今日は成人の日である。
高崎線の電車内でも、振り袖姿の新成人たちが、
赤ら顔で小さな群れをなしていた。

自分もそうであったが、故郷から離れて暮らしており、
今日、久しぶりに故郷の友人たちと会う。
ってな、新成人たちも多いだろう。
同級生の話で持ち切りの、華やかな車内の一群。

そんな光景を見ていて思う。
成人までの道のりを振り返ると、川の流れに浮かんでいる落ち葉。
の様であったなと。

川の流れに乗る沢山の落ち葉。
起伏ある川の流れは、所々渦巻き、滞留している。
渦に集まる落ち葉たち。
そしてまた流れ出して、渦に集まって滞留。
そしてまた、流れに乗って。

学生時代、仲間と群れ、そして流れ、また別の仲間の群れが出来る。
その繰り返し、その流れの中を生きる。
そして、滞留している落ち葉の群れは、必ず流れて行くのである。

377声 湯船の目

2009年01月11日

天竺を見ている。
かの様に見える。
朧なる視線。
悠久の目線。
くたびれた銭湯。
隣の湯船の御爺さん。