日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

5536声 閉店

2023年08月05日

4年ぶりの桐生祭り。2才の娘はデビューとなる、妻の実家でそれぞれ浴衣に着替える。ちなみに妻の実家は着物屋なので、家族全員美しい和装の着付けができる。着慣れた人のシャンとした和装は見ていて気持ちが良い。桐生祭りの始まりは、堀さんや抜井さんに教えてもらった屋上ビアガーデン。5丁目の櫓を見下ろす絶好のロケーションであったが…残念ながら4年の月日は長く閉店してしまったよう。

5535声 怒濤

2023年08月04日

とある国家的会議開催のため政府幹部の来県。一部予想外のアクシデントがあったが、無事に終了。その後の幹部協議と怒濤のように1日が終わった。とりあえずホッとした。今日が金曜日で良かった。夜は家族でイラン人のやっているケバブ屋に。いつもながら空いていて、娘は店内ではしゃいでいた。イラン人のマスターと中央アジアの情勢について意見交換。

5534声 オープン

2023年08月03日

今日は同じ職場の上司が韓国へ、隣の課の先輩がバンコクに旅立った。明らかに海外から情報を得たり、一緒に物事を進める機会が増えている。私は外に開いている環境が好きなので、この状況は良いと思う。井の中の蛙では、確かな未来は描けない。

5533声 折衝

2023年08月02日

連日の幹部協議。目下の課題は財源の手当。運が良いのか悪いのか政権幹部が来県する。ここで折衝のシナリオを想定。まぁ陳情レベルなので具体的な何かが決まる訳ではないが、幹部が知っている案件にしたという実績が、この後の事務方での調整で重みを持つ。

5532声 スタート

2023年08月01日

毎日身の危険を感じるほどの暑さ。朝6時半ですでに日差しが相当熱い。先月の海外出張からプロジェクトが加速度的に前に進んでいる。ここまで立ち止まってじっくり考えるよう時間を引き延ばしてきたが、もう限界。堤防は決壊し、奔流として流れている。こうなったら流れに乗るしかない。激動の半年、もしくはさらに1年の始まりだ。

5531声 茄子のステーキ

2023年07月31日

相変わらず月日が、今日の超久しぶりの夕立ちのように、ざーっとあっという間に流れるので(うまい事言いたいけど言えてない)先月はおろか数日前に何をしていたのかも覚えられないのだが、めっかった群馬の日刊鶴のひとこえの担当月になりこのように日々の記録を書き少し読み返すと、毎日それなりにやっているんだなと思えたりする。でも、誰かの何かの役に立つ文章でもない気がするので最後に有益な情報を。

世間に料理人数多くあれど、もちろんここの執筆者の堀澤さんのように尊敬する料理人も数あれど、自分もその料理作ってみようと思わせる料理人は(僕にとっては)そんなにいない。簡単で、ある程度ジャンク、というのが僕がそう思わせる理由なようで、学生時のグッチ裕三(テレビで歌ってた人という印象かもしれないが、料理も得意でレシピ本を持っていた)以来久しぶりによく見ているのがyoutubeである程度しられている「リュウジ」さんのレシピだ。知っている人もいるかな。簡単で、ある程度ジャンク。検索すれば大量のレシピが出てきます。

茄子2本をラップで包み、3~4分レンチンする。熱々になるが、ヘタを落としたら手でむにゅっと茄子を開く(包丁で切らず、こうすると味の染みが良いとのこと)。アジの開きのようになった茄子の開きを、バターを溶かしたフライパンで焼く。身の方からしゃもじなどで押しつけながらこんがり焼き、その後に皮目も焼く。そこに、みりん・酒・醤油を各大匙1、砂糖1つまみ、にんにくのすりおろし少々を入れる(正式では味の素も振る)。煮詰めながら茄子にかけ、こってりしたら完成。黒コショウを振っても良い。

これ、けっこう美味い。簡単で、ある程度ジャンク。作る過程のジュ―ジューも面白いが、自分の中の何かが満たされる。

今年の夏は例年より暑いんじゃないだろうか。みなさんご自愛ください。それではまた。

5530声 真ん中を行く

2023年07月30日

常連ではないが、よく行っていたお店のご主人が急逝した。まだ60歳前、いつも朗らかで、数日前までいつものように仕事をされていて、こんな田舎町で店も繁盛させていた方なので、通夜に参列した人たちの顔は皆納得がいかないような悲しい顔だった。つらい通夜だった。

決算直後だからというわけではないが、ふと仕事や経営について考えることがいつもよりは多い月だった。楽しい仕事しかしていないように外から見られているんだろうなと思いつつ、実際そういう仕事が多いから感謝しかないのだが、何をやるべきかの選択、そしてお金を稼ぐことの難しさは頭から離れることがない。同じようなメディア個人事業をしている若い知人が、今の仕事では立ち行かないとSNSに書き込んでいるのを見て、僕は何もできないのだが(彼が、というわけではなく社員を増やすスタミナや指針は今持ち得ていない)、才能がある人がやっていけない世の中はきついなと思う。

仕事について考えると、たまに浮かぶ話がある。以前所属していた経営者団体が行った講演会で、成功した経営者が話していた内容だ。映像記録もしていたのでより覚えている。ざっくり思い出すと「経営と人助けを混合している経営者がいる。これが大変いけない。仕事をきちんとせずに、東北のボランティアに精を出す男がいた。利益も出せず会社はボロボロ、税金もろくに払えない。私はこの男を叱りたい。道の真ん中を歩かず、端っこを歩けと言いたい。利益を求めない経営者は悪です。」

聞いてから5、6年が経っているから僕の悪意?も混じってるかもしれず、内容が少し違うかもしれないがキツメの口調で講師はそう話していた。聞いていた経営者たちからは是も非も伺えなかったが、僕は非常にその考えが<嫌>だと思ってしまった。そして、それが嫌だと思う僕はやはり経営者にはなれないのだろうな、と思った。

人の生き死にを目前にすると、そんな経営講演会の話など関係ねえなと思ってしまう。であるから今後も弱小会社の域を出られないのかもしれないが、人は誰しも真ん中を歩いていけると思う。様々なつらさやボロボロの内情を抱えながらも、死ぬその日が来るまでは生きたいのである。

5529声 浅間山

2023年07月29日

最近、マスクをする人を目にする機会が減った。家族の付き添いで病院に行けばマスクはまだ必須だが、学校へ取材に行っても学生はマスクをしていても(顔を隠したい年頃でもあるのだろう)外している先生も多い。未だコロナにかかると身体的にしんどいらしいが、世間の空気としては「アフターコロナ」になるのだろうか。

今日は、アーツ前橋の仕事で大変お世話になった今井さんが北軽井沢に来るというので、2つの話し合いに同席するためにルオムの森で合流した。ルオムの森、キャンプ場であるスウィートグラス、自社で持つ二度上山の木材を加工するあさまのぶんぶん、そして吾妻郡各所でその場所場所の採蜜を行い混ぜずに味の違う蜂蜜を販売する百蜜(ももみつ)・・それらを経営するのが有限会社きたもっく。数年前に1年以上映像撮影で通い、今は特に仕事はしていないが親近感を感じている(僕は相変わらずインドアだが)。社長の誠さんと、彼と共にきたもっくのブランディングを考えてきた写真家の田淵章三さんのコンビに会うと、背筋も多少伸びるのだが、普通に嬉しくなってしまう。

夏の繁忙期である。昼前の時間だが家族連れが多く、ルオムのピザセクションは忙しそうだった。話し合いはピザを食べながら行われ、肉団子とレモンが乗ったピザが美味しかった。キャンプ場と併設する、団体研修などに特化したTAKIVIVAではブランドバイクがずらーっと並び、何かのイベントだったのだろうか。多くの人で賑わっていた。話し合われた2つの事は、今は書けないが後に、数年後に開花するかもしれない楽しみとなった。

聞くと、コロナ禍はキャンプ場にとって(多分きたもっくに限らず)追い風となっていたようだ。密な場所は行きたくないが、キャンプであればいくらか安心という考えがあったのだろうか。コロナ禍が落ち着いた昨年あたりから訪れる人は減ったと聞いて、そういうものかと思った。キャンプ場に限らずだが、アフターコロナに対してどう向き合うかが問われている。

ふと、数年前まで家にこもって、それこそ全世界が家にこもって、感じたあの不安感(僕なんぞはちょっとした安心感も感じてしまったのだが)は何だったのだろうかと思う。忘れたくないが、そんなものは忘れて早く今現在に対応セヨ、と言われている気がしてしまう。・・忘れたくないな。

夏の浅間山は、北軽井沢の短い夏をひなたぼっこのように楽しんでいるように見えた。

5528声 演劇と映像

2023年07月28日

演劇と映像。これもここに何度か書いていることかもしれない。太田市在住の劇作家・加藤真史さんによる劇団微熱少年の舞台を、その第一作からずっと映像で記録している。もともとは、前橋文学館で加藤さんが演出した『わたしはまだ踊らない』という朗読劇を撮影したことに始まった。僕は映像化された演劇を多数観てきた、というわけではないが、都度ごとに会場もキャストも変わる演劇をどう撮影しどう編集するか、についてその頃から今に至るまで関心をもっている。

例えば人物が3人いる。できれば、3人すべてが映っている絵と、それぞれが映っている絵がほしい(カメラの用意できる数で3人別々ではなく、2人、1人という場合もあるが)。話される会話。その時に、Aさんが話している時にどこを見せるのか。

舞台観劇であれば、客席から3人すべてを見ていることだろう。けれど、観客1人1人がそれぞれに、その時誰に注視していたか、誰の声を聞いたいたかには違いがあるのではないか。

映画で使われる手であるが、話している人だけを映像で見せるのは面白くない。聞いている顔の芝居もある。役者は、そして演出家は、もちろんそこ(話していない人の挙動)まで稽古をして本番に挑むのだが、映像でもそんな<今この瞬間に見せるべき場所はどこだ>という絵で繋いでいく。

あるいは、言い合いのような両者のセリフが応酬する場面ではカットは短めにぱっぱっと繋ぎ、余韻がほしい場面ではカットを長めに繋げる。

それが映画とどう違うかと言われたら(実際、演劇をほぼ映画のように記録する映像作家もいると聞く)、<より生なものを映像でも残したい>という希望がある。それが今まででやれたかというと・・100%の自信はない。けれど、考える楽しさがある。

コロナ禍が軽減し、演劇に限らず人が入れるようになったことはとても喜ぶべきことだが、開催のための、そして映像化のための補助金が難しくなるということでもある。劇団微熱少年の新作『すべて重力のせいだ』『構造なり力なり』の映像化にあたって、加藤さんが中心となりクラウドファンディングを行っている。関心のある方はぜひとも応援いただきたい。

演劇/微熱少年『すべて重力のせいだ』『構造なり力なり』を映像化して届けたい!

5527声 かっこいいバッグ

2023年07月27日

以前も書いた気がするが、中之条町に移住したアーティスト・西岳拡貴くんが、地元の商店会(伊勢町睦会)と地元の高校生(吾妻中央高校)と共に「バックプロジェクト」を昨年立ち上げ、9月の「中之条ビエンナーレ2023」では地元作家・地元団体としてではなく、正式なアーティスト枠で出展を行う。昨年から始まったこのプロジェクトを映像で記録してきた。

4月以降、学年の入れ替えもあったが、毎回10~12人ほどの学生(正確には、測量などを部活動でも学んでいる環境工学研究部の学生)が参加している。測量技術を活かし、商店会会員の店店の緯度や経度、標高を計測した昨年。今年はそのデータを活かして数式を立て「数値をもとにバッグを作る」というユニークな活動を進めている。

その世界に1つだけのバック、の他展開として、測量から生まれた図柄をプリントしたトートバックとコサッシュも作成された。コサッシュはビエンナーレ期間中に関連ショップで、トートは8/5(土)10~15時にビエンナーレの展示会場でもある伊勢町の旧もりやま(伊勢町843)で先行販売をする(1500円)。このバック2種がとても良い出来。

今日は、睦会会員の女性2人にモデルになってもらい、中之条町の最古店とも言えるであろう久保田旅館や割烹金幸前で写真撮影を行った。

もとは、睦会よりの「何かをしたい」という要望を受け、西岳くんに相談して始まったプロジェクトだった。巻き込み人数が増え形になってきたのは彼や高校生、協力者の力ゆえであるが、とても良いことだと思っている。

5526声 美ヶ原

2023年07月26日

朝の5時に北軽で目覚め、早めの朝食を取った。向かったのは「うつくしがはら・・確か、昔、うつくしがはら美術館ってあったよね?」という知識しかない美ヶ原。仕事が趣味みたいだった僕も、パートナーができて休日を設けるようになった。

美ヶ原高原美術館は現在も存在し、入場料を払わずとも、野外のどでかくて色もどえらい(高原の中に巨大な真っ赤や真っ黄色の彫刻作品が連なっているんだから、どえらいという感想しかない)作品を眺めることができる。その間の無料で通れる木道を歩いて、終わりかと思った・・

ら、その先になだらかな斜面が遠くまで続いている。黒と白のホルスタイン種、こげ茶のジャージー種(多分)、牛たちもいる。まだ早い時間だったが、歩いた先にあった山小屋風の休憩所の駐車場は多くの車で埋まっていた。さらに奥に進むと、遠く遠くに巨大な電波塔を背に持つ大きな建物が見えて(世代的にわかる人しかわからないが、魔界村のステージ1のようであった)、歩いた先で石塔の鐘も見上げた。さあ、終わりかと思った・・

ら、その先に道が続いている。すぐに、高原的な場所から、雄大な山々を見下ろす稜線や連なる山が見える。僕等はピクニックみたいな革のサンダル履きだったが、このエリアになるとリュックに登山靴、ガチな登山者の姿しかなくなってくる。すれ違う登山者の「お前ら何その舐めた格好」な目線を交わしつつ(あくまで僕がそう思われているのかなと思った妄想です)、無理のない範囲で行けるところまで歩いた。絶景に次ぐ絶景。登坂はスタート時から数えても少なめ。とても良かった。遠く遠くに見えていた電波塔の裏に出て、来た道を戻った。

先がわかって行く場所も良いが、先を知らずその先に、その先に、というのがとても良いなと思った夏の日。

5525声 黄色い瓜

2023年07月25日

そんなことを書いた翌日には、売り上げとは関係ない事に足を運ぶ。昨年あたりに知り合い何かしらの縁?で顔を度々合わせているyamanofoodlaboの古平夫婦に付き添う形で六合を回った。(yamano~は六合の赤岩に移住し、とてもユニークなことをしているのでインスタ見てみてください)

何度か足を運んでいる、田代原地域の山口英義さんを訪ねる。入山きゅうりや高原花豆などの農業を継ぐまでは東京でエンジニアをしていた英義さん。群馬県の農家で唯一という、ハイテクノロジーを活用する農業の機械や話を聞いて驚いた。六合の山奥と最先端の農業技術。尊敬しかない。

それはそれとして、古平夫婦や、今回都心から訪れたゲストに対し英義さんは丁寧に野菜の話をしてくれた。入山きゅうりは熟れると黄色くなる。収穫量も少ない。見た目が悪いとか、作っても儲からないとか、英義さんが就農した頃は言われていたきゅうりだ。けれど、黄色くなるのは「きゅうりがヨーロッパから日本に渡ってきた時の原種に限りなく近い」証拠なのだそうで、少し黄色くなりはじめの頃が美味いという話。そして、その原種の種を守るために、種取用の畑の周囲にはほかの作物をつけないという話(入山きゅうりは他の農家も作っているが、へちまなどと交配しまざっているものが多いのだそうだ)。ハイテクノロジーよりも個人的にはこちらの方が興味深い。

黄色い瓜。黄瓜。きゅうり。がきゅうりの語源という説もあるとも聞いた。何十回、何百回と繰り返されてきた種の保存の時を思うと気が遠くなる。「売上とは関係ない」と思うことを僕が今も続けてしまうのは、経営者としてはダメな部分であるが、それが先の何かに繋がると思っているからでもある。そうやって今まで生きてきた。

yamanofoodlaboインスタ

5524声 決算報告書

2023年07月24日

合同会社岡安映像デザインとして独立して1年が経った。自分の苗字を入れるという恥ずかしい社名は(とはいえそれが一番と思った)、昔も今も個人のフリーランスみたいな仕事の関わり方なのであまり口にすることはなく、それはともかく僕と経理の2人の給料を1年間払えたことに少しほっとした。


今日は伊勢崎から、お世話になっている会計事務所の代表が来社してくれて、「決算報告書」をもとに話をした。どうにもこのお金に纏わる数字というやつが苦手なのだが、いち経営者として聞かねばならない。聞かねば。

開業資金はとかくかかっていない小さな小さな会社だが、概ね好調という評価をいただき・・けれど全く安心できない。現に今は請求書を出すまでが長い仕事を複数抱えていてキャッシュが少ない。会計事務所代表からは「どうすれば効率良く稼げるかを考えましょう」とアドバイスをいただき、それな!と思う以上に、突飛なビジネスではなく今やっていることをコツコツ・・と思ってしまう自分がいる。

僕は多分、トップで動くタイプの人間ではない。それをここ何年も承知の上で、ただ目先の事を続けていく、という行為のみによって生きている。経営者として、という心構えはまだまだ足りない。

5523声 凡庸の先

2023年07月23日

来月末に富士山に登りながらの撮影があり(若い時に1度登っているが、体力的に無理かなと思いつつ、長く付き合ってきたグループ関連の撮影なので引き受けた)、付け焼刃であることは十分わかりつつ、仕事前に地元の嵩山に登ってみた。小学生でも登れる低山だが、太ももきついとか、山頂付近では息も荒かったりして先が思いやられた。

下山していてふと何気ない木の枝を見つけた。夏、やや逆光で葉がゆらゆらと揺れている。これを写真に撮る場合、引き画で撮ったのでは凡庸だし味気ない。寄りで撮ることを考えた時に、一部に蜘蛛の巣が張っているのが気になった。これを避けて、逆光でシルエットのようになった葉だけを撮れば映える写真に、あえて蜘蛛の巣をアップで撮れば不快に思う人もいるとは思うがなぜこれを撮る?という疑問符が残る写真となる。

僕の今のニュートラルな撮影したい絵としては、凡庸で味気ない引き画であった。むしろ、その引き画で勝負できなければ(何かに)負けるような気さえしていた。・・と、こんなことを考えていられるのだから今日は余裕があった。来月末までに・・鍛え・・無理・・いやいや・・

5522声 およぐひと

2023年07月22日

前橋文学館で行われている「ちぎらまりこのはりえぐらし」に関連した公開制作の様子をライブ配信する。という希望があり、昼前に到着、セッティングを行った。どうせだったら全体の絵と手元、2カメを切り替えられるようにしようと思い、三脚を二脚立てて、小型のスイッチャーも設置する。

午後に、どうしてもという撮影が同市内であり、セッティングとスタートだけを僕がして、あとは文学館スタッフにお願いする形になってしまった。が、文学館のスタッフはとてもやる気があり(ちぎら展もそうだが、様々な企画展においては文学館スタッフが設営はもちろんディスプレイ装飾なども作成している)何ら心配はなかった。

ちぎらさんが今日制作したのは、萩原朔太郎の「およぐひと」という詩から連想した切り絵だった。その詩は三階の催しをするホールの入り口奥に(多分)開館当時から)壁に詩文字が書かれていて、その壁の余白を切り絵で埋めていく制作となった。はさみで切って、糊で貼って。独自なタッチと、優し人柄も感じさせる詩世界を拡張する絵になったと思う。

制作の様子は今は文学館youtubeでも見られるが、ぜひ足も運んでいただきたい。

5521声 立ち会うこと、記録すること

2023年07月21日

今日は9/9から始まる「中之条ビエンナーレ2023」のオープニングに関する仕事だった。このオープニングプロジェクトは昨年から始まっており、今日は今まで関わってきたアーティストたちが一堂に会した。

コロナ禍が影響した最たるものは「直接人と会うことを禁じられた」ことであったように思う。それにより「(主に映像を通じて)リモートで会ったり、記録を見たりする機会」は増えた。

未だ、学校でコロナが流行りだして不安、などという声も聴くが、2023年はアフターコロナ元年と言っても良いのかもしれない。そんな時に、何が、できるか。

事を終えた場所には、夏の合間、蝉の声が鳴り響いていた。こうご期待。

5520声 未来戦略ミーティング

2023年07月20日

中之条町は昨年、都丸茂樹町長に変わった。それが発端となり、中之条町役場の若手が中心となって、意欲のある町民の自主的な参加を求め「未来戦略ミーティング」というグループを立ち上げた。

3年前くらいまでの僕であれば、ふーんとそれ留まりであったように思うが(そもそも仕事だけでも手が回らない状況、仕事以外にがっつり関わるのは映画祭だけと決めており、田舎ならではの伝統芸能やらない?という誘いなども断り続けてきた)参加者募集の情報を見つけ参加してみた。

僕ももう40歳半ばに近づく年であり、映画祭では町に対して感謝の念もあり、自分ができる範囲で恩返しができればという思いがあった。参加してみると、上から3人目くらいの年齢で(上限45歳という決まりがあったような)老害にならないように気をつけねばと思っている。

今夜は図書館などが併設するツインプラザに30人近くが集まり、中之条町に関して関心があることをひたすら挙げる、というワークショップを行った。今日は年代別に分かれたが、この集まりには、介護関係者、移住コーディネーター、旅館業者、小売業者、印刷業者、大学生、税理士、兼業主婦など色々な人たちがいる。

例えば今夜出た「美味しい田舎料理を作れるおばあちゃんの技を残したい」という意見と「兼業主婦で忙しく手軽に惣菜が買える場所がほしい」という意見とは組み合わさる余地がある。まだ始まったばかりだが、話し合うだけではなくて何かしらの行動が生まれ、仕事や制度が生まれると良いなと思っている。

5519声 集落の学び舎

2023年07月19日

昨日に続き学校撮影である。今日は暮坂峠を越えて、六合中学校での撮影だった。同じ中之条町ではあるが、旧中之条町エリアと旧六合エリアは峠をはさみ、土地の雰囲気も、そこに住む人々のルーツも違うような印象を受ける(中之条町は四万温泉をもつ観光地であり、吾妻郡の生糸の流通ターミナルでもある商業地だった。一方の六合の木工細工などの文化は長野方面から伝わってきたのではないかという話を聞いたことがある。)

昨日の中之条中学校と同じく、中之条ビエンナーレに出展するタップダンス奏者のLilyさんによるワークショップだったのだが、昨日は体育館にそこそこいっぱい中学生があつまり学年ごとに3回に分けて行ったそれが、今日は全学年集まっても1回、講師を囲んで間近でできる程度の少人数ワークショップとなっていた。

六合に限らず、現金収入を得るための仕事が少なく交通の便も悪い地方ではこのような子どもの減少は見られるのだと思う。そのあたりを真面目にここで考えることはしないが、僕みたいな立場から見ると「少人数学校、良いな」と思う事の方が多い。

高学年は低学年のお兄さんお姉さんになり、先生たちにもゆとりがあるように感じる。体育館の外を見れば、蝉の大合唱、大自然である。最先端の何か、には触れにくいのだと思うが、昔からある何か、はすぐ側にある。

そんな環境から、豊かな発想で現金収入を得られるような大人が、あるいは現金収入は少なくともあるもので豊かに暮らせる大人が育てば、とても良いことだと思うのだ。