今日は飲んだ。
友人のファッションイベントに行った。
そのまた友人がそこでワインと料理をだしていて飲んだ。
そのあと近くの燗酒の店に行った。
旭菊綾花、日置桜先祖返り強力、弁天娘玉栄を飲んだ。
帰ってきてさらに飲んでしまった。
僕ビールよりみち、セゾン、よなよなエール、月面画報。
いろいろ考えた。
思い出せない。
メモがある。
メモを見返して、ここに書き写す何かがない。
お酒おいしかったです。
2016年05月15日
今日は飲んだ。
友人のファッションイベントに行った。
そのまた友人がそこでワインと料理をだしていて飲んだ。
そのあと近くの燗酒の店に行った。
旭菊綾花、日置桜先祖返り強力、弁天娘玉栄を飲んだ。
帰ってきてさらに飲んでしまった。
僕ビールよりみち、セゾン、よなよなエール、月面画報。
いろいろ考えた。
思い出せない。
メモがある。
メモを見返して、ここに書き写す何かがない。
お酒おいしかったです。
2016年05月14日
夕べは帰宅が明け方になり、昼近くまで寝ていて、起きてから申請書作り。
ビールの醸造は日本では今までにない市場だから、設備を整えるにしても既存のものがない。
加えて自分の経験知識がまだ浅いから一つずつ確認するのにも時間がかかる。
根気が必要。
大事なのは毎日そのことを考えていることだが、それはそうしないと身につかないタイプなだけだが、やっとそういうモードになってきた。
庭に植えたナスとピーマンの苗も順調。
昼間の風も夜の風もそれぞれに心地よい。
季節がいい。
生き物なんだから、動くときに動いたほうがいい。
2016年05月13日
白鵬のダメ押しのニュース。
以前は、2、3年前まではこういう話はなかった気がしている。
白鵬は自律的な横綱だった。
年齢から考えればありえないくらいに。
一人横綱を長く勤めてきて、タガが外れたのか。
相撲協会の息苦しさや体力的な余裕のなさもあるかもしれない。
こうなると、白鵬だけの問題にしていてもなかなか解決しない。
相撲協会のわけのわからない窮屈さを、それはもう現代っ子にはわけがわからないものになってしまっているんだということを相撲協会が気がついて、ひょっとしたら自分たちもよくわかってないんじゃないかと疑って、何か手を打たないと、力士は萎縮するか開き直るかするしかない。
親方衆は世間知らずだから難しいに違いないが、そんなことを言っている場合ではないので、やらないと。
立川談志が落語を内容から疑ったように。
自分にも他人にも説明が必要な時代になっているのは日に日にそうなっている気がするけれど、それが幸せかどうかはわからないが、残すためには必要、なのだと思う。
伝統文化にまつわる行動基準の説明や、なぜそうでなければいけないのかはあまり語られない。
なぜそうでなければいけないかには説得力がないとならないわけだけれど、もしかしたらその理由は説得力をもはや失っていて、君たちにはわからないかもしれないけれどこの行動基準にはこれこれこういう理由があるんだけど私は残したい、というような、それが願望になってしまっているような場合だって、伝統を背景にした行動基準の説明にはもはやよくある話だと思う。
行動基準とは、脳的に言えば了見である。
了見を理解できなければ、なぜダメ押しがダメかはわからない。
その前に、この了見は適切か、という、そんな議論も必要なのかもしれない。
だから伝統文化にまつわる行動基準の話をするならば、ということもそうだがそればかりでなく、そんな格式のある場合でなくたって、人一人40年も生きれば行動基準はできてくるわけで、この後に及んで何かを残したいならば、了見を伝えないと、大事なところが残らない。
大事なところが残っていない、ということは、残っていない、ということと同じである。
2016年05月12日
晴天の一日。
部屋の中にいても、爽やかな風が入り込んでくる。
窓から見える観音山の新緑が美しい。
腰の痛みはまだある。
けれども天気がよすぎてその気持ち良さで痛みが相殺されたかのよう。
少しずつよくなっているのかもしれない。
たいして仕事もしていないから、体力的には余裕があるはず。
体力の他に脳的な余裕もほどほどに必要で、脳的に余裕があると心身ともに痛みが和らぐ、ということは実際にあると思う。
体と脳は不可分だとしても。
昨日のような日の脳はもろに腰の痛みを感じやすく、あるいはダメージも受けやすい。
人の話を聞くのも大変だし、言動に左右されやすくもなる。
脳的な余裕のためには、たとえば腸を元気にするとか、体を冷やさないようにするとか、ちゃんと愛されるとか、いろいろあるだろう。
南の国に移住するなんていうのは、まさにそういうことだと思う。
私はやらないが。
結局人間は自然の生き物であり、自然環境に左右される。
同時に、やっぱり関係の生き物で、ある程度の健康管理のその先は、他人とのやり取りの中で脳の余裕は決まってしまう、というのが、ごく普通、だと思っている。
自分が脳的に余裕が持てる他人だけが周りにいる人生なんて、そうはない。
そのことに私は7、8年前に気が付いて、あるいは若かったから、脳的な余裕欲求過多のみっともなさにも気づいてしまって、なんだかよくわからなくなった。
わからなくなって、けれども目の前の様々な人間関係の問題は大小しっかりあって、そこにひたすら向き合っているうちに、暗いところへ行ってしまう人間、になってしまった。
このままではきついな、と実際に思ったかどうか、まずいな、とは思った。
暗闇で溺れるかもな、とか。
今も思っているけれど。
暗いところへ行ってしまうのがまずいんじゃなくて、それは逆に大事なのはわかっていて、何がまずいって、一人で暗闇にいるのがまずい。
正確には、暗闇にただいるのではなくて、そこに光を当てる作業をずっとしているのだけれど、時々しんどくなって闇のまま放置してしまうのがまずい。
そうして、何をしてきたかと言うと、闇と他人をつなごうとしてきた。
闇と他人をつなぐためには、まず他人の闇を認めなければならない。
可能な限り。
そこの、闇に光が当たると、ときに脳的な余裕を他人が私に与えてくれる。
そのとき私の闇に、光が当たる。
そうやって、どうにか溺れずにいる。
2016年05月11日
朝起きて、まだ痛い。
午前中に一つ打ち合わせをして、午後は市役所に行って証明書などを発行してもらい帰宅。
不備があってまた市役所に行ってまた戻ってきて。
その後市役所から電話が来て、再び不備があって今度は職員がうちに来て。
近いからいいが、腰が痛いからまた複雑に疲れる。
頭もあと少しはっきりとしない。
低気圧だからか。
こういう時の対処法はいくつかある。
そして、全部やってもダメなときがある。
その時残された対処法は一つ、諦める、である。
2016年05月10日
やはり腰が痛い。
歩けるから昨日よりはずいぶんいい。
午前中さくらの湯に行ってきて、少しはよくなるといいが、よくわからない。
生姜湿布をして横になっている。
夜まで寝ていた。
座れるし動けるが、歩くと痛い。
仕事に行けるかどうか。
行けるだろうが仕事になるか。
2016年05月09日
昨日深夜にストレッチをしていたら腰が痛くなり、今朝になって、まるで身動きがとれない位悪化してしまった。
小便がしたいのに動けず、けれども漏らす訳にはいかないからどうにか立ったら、腰の痛みで吐き気がした。
ストレッチでここまで痛くなるのは、どれだけ手遅れなのかという話かもしれない。
2016年05月08日
午後4時を過ぎて駅前の温度計は27℃。
今日の営業もそろそろ終わりで、俺はなんにもしてないけれど、スズランで缶ビールを買って、城址公園のベンチに座って飲む。
そよ風が心地いい。
知り合いの21歳の女の子が親と揉めていて、それがどうにか収束の兆しを見せていると聞き、安心した。
肉親と、闘ってまで縁を切ることが一件落着とはやりきれないだろう。
いつかそれを乗り越えて、明るく、幸せを感じられるようになって欲しい。
若いのだから、自分の明るさを大事にして欲しい。
闇は闇で、持っていて悪いものではない。
持っていれば、他人の闇を理解してやることもできる。
俺なんか最近、闇にしか興味がない気すらする。
深夜の仕事になってるからそうなのか、陽の当たってるところはまぁいいやと思ってしまう。
夜にしか、闇でしか見えないものがあって、そういう時でないと大事なことに気づけないものだから、つい暗い方へ暗い方へと足が向く。
昼間は、できることなら木や花ばかり見ていたい。
せいぜい蟻とか。
せいぜいでは蟻に怒られるか。
人間には夜会うことにして。
陽が傾いてきた。
そろそろ飲み屋も始まる時間だから何処かに入ろうかと思う。
さっきからこの公園のベンチに座っているのは、俺の他にくわえ煙草に野球帽のおじさんだけである。
もうかれこれ一時間になる。
2016年05月07日
GWも残り2日。
GWは忙しいという感覚でいるから、世の中とは逆。
自分が働いているかどうかよりも、世の中が休みという雰囲気が好きで、盆や正月が落ち着く。
連休中休みだった幾つかの酒屋から酒が届く。
明日も届く。
この一月くらい酒をどんどん購入していて、梱包用のダンボールが玄関に山積みになっている。
いい加減片付けないといけない。
今までは、酒は足りなくなったら補充するやり方だったのだが、仮に購入してもそれが飲み頃だとは限らず、あるいは他の酒とのバランスを考えて、例えば軽めの酒が欲しいのにそれがない、ということのないように、多めに買って自宅で保管、熟成させることにした。
常温保存できるものは、茶箱に入れて保管している。
今ぐらいの時期は、茶箱の中はちょうどいい温度だと思う。
冷蔵が必要なものは冷蔵庫で保管する必要がある。
そのために今うちには冷蔵庫が3台あって、酒で埋まっている。
実家に2台。
これもそろそろ埋まりそうだ。
これ以上はちょっともう増やせない。
部屋全体が温度の低い地下倉庫みたいなのが欲しい。
2016年05月06日
体が重くて起きられず、ずっと寝ていた。
月に一度くらいこういうことがある。
飲み過ぎだけではあまりこうはならない。
疲れと、気圧が関係しているように思う。
店は連休二度目の平日だったが、そこそこ忙しかった。
ありがたい。
お客さんとのやりとりで、疲れもするが、充電もする。
それがこの仕事のいいところ。
仕事が終わって松屋に寄って、近所のバーでビールを飲んできた。
帰り道、薄暗い路地の民家の前で、小さい鯉のぼりがぶら下がっていた。
鯉のぼりを、ほんと見なくなった。
2016年05月05日
昨日までとは打って変わり、閑散とした町の中。
ならばと早じまい。
ちょっとゆっくりしたかった。
酒を飲む時間を噛み締めて帰宅。
2:39。
いろいろ考えていた気がするが、忘れてしまった。
飲んで帰り道、どうしても何か食べたい欲求を落ち着かせるにはどうしたらいいかを考えていた。
どういう答えになったのかは忘れた。
視点定まらず、足元おぼつかず、ふらふら。
お堀端を帰って来た。
鯉がちゃぽんとはねると、お堀の泥臭い水の匂いが波と一緒に、漂って来た。
今夜は少し肌寒い。
ストーブをつけた。
グランドキリンを開けて、魚肉ソーセージにかじりついている。
2016年05月04日
夕べ店に行く途中の公園で、夜ももうそろそろ22時という時間、若い女性(確認していない)が二人、ブランコに座っておしゃべりをしていた。
そしたら、今日も同じくらいの時間にやはり女性が二人、ブランコに。
昨日とは違う二人だと思う。(確認はしていない)
夜になっても暖かいし、友達同士でGWだからのんびりしているのか。
久しぶりの再開なのか。
普段はあまり人のいない公園なものだから、GWなんだなぁと思った。
街で飲み歩いている人も、いつもと違って若者が多い。
飲み方を知らないから、でかい声は出すわ、路上には座ってるわ。
中には寝入っちゃってるのもいて。
そのくらいでいいと思うが。
ブランコの女性は、恋の話をしていた。
「恋愛感情って、長くて、もって・・・」
長くて、の後、もって、と言い換えて、それが妙に丁寧に聞こえて、立ち止まってしまいそうになった。
その後を聞きたい気もしたが、怪しいからそのまま歩き去った。
持って、どれくらいなんだろう。
彼女たちの見立てでは。
公園を過ぎてチェーン店の焼き鳥居酒屋のあたりを歩いていたら、呼び止められた。
振り向くと知り合いのカフェの女主人の娘が、友達数人とこっちを向いていた。
これから焼き鳥食べます、という顔で。
確かまだ高校生だったはず。
焼き鳥だけ食べるのか、はたまた酒も飲むのか。
真面目な子だからそれはないか。
GWくらい不真面目でいい。
あのあと恋の話で盛り上がったのかね。
2016年05月03日
早く目が覚めたのでお酒の入れ替えに店へ。
暖かくなってきて、この頃ワインがよく出る。
日本ワインのサンスフルなんて、日常に飲んでいる人はほとんどいるまい。
ならば地道に仕入れて地道に売って行くしかない。
とにかくたくさんの人に飲んでもらって、自然と体がこの味を求めるようになるまで、飲ませ続けるのが役目だと思っている。
色々飲んでもらいたいからグラス売り。
そしてどんどん、例えば亜硫酸や人工炭酸ガスの違和感や重さが気になる人が増えて、私、普通のワインはよくわからないけれど重くて飲めないんです、という人が増えたらいいなと思う。
それが幸せかどうかは、わからない。
2016年05月02日
連休の谷間。
風もなく、穏やかな曇り空。
スズランで牛丼を買って、城址公園で昼飯とする。
ビールは一寸迷ったがやめた。
人はまばらで、昨日の上野公園とはまるで別の国、別の時代でもあるかのよう。
ツツジが散るのと交代で、サツキが満開。
コンクリの隙間から、タンポポが顔を出している。
鳥の声もなく、芝生の上をカラスが一羽、ウロウロしている。
こういうのをずっと見つめて、見尽くしたと思ったところで、絵を描き始めるのだという。
伊藤若冲は。
その時対象に「神気」が宿るらしい。
カラスの散歩を見ている位ではそんなことはちっともわからない。
これからここで幾つか資料を整理して、あとは、終わってから考える。
2016年05月01日
まぶしい陽気。
上野の都立美術館で開催中の伊藤若冲展に行った。
若冲は300年前の、江戸時代の画家。
ビビッドな色から水墨まで、いろんなタッチで、いろんなものを書く。
菩薩も如来も犬もカラスも大根も、トウモロコシも。
鯛もメバルも鯖もタコも甘鯛もフグも。
300年前のそれらが、さしずめ江戸時代の生き物図鑑のようだった。
とくに鶏の絵が多い。
トサカとくちばし周りのビラビラが生々しくて、羽根はゴージャスで、緻密だった。
ときにゴージャスだったりひなびていたり。
緻密なり大胆なり。
自在だな。
惹きつけられて、その振れ幅に圧倒される。
人の多さにも圧倒された。
違う種類だけれど。
外に出た時の、新緑の上野公園の空気のうまかったこと。
そのあとの生ビールの、うまかったこと。
2016年04月29日
日本語が流暢なバリのタクシー運転手と話していると
「日本では警察官になるのにいくらかかるの?」と聞いてきた。
試験はあるが金はかからないと答えたところ、バリでは
おおよそ200万~400万だせば警察官になれると彼は言った。
違反者をお客さんと呼び、懐事情に応じて違反金も柔軟に設定される。
バリで交通事故をして警察を呼ぶ者はいないそうである。
2016年04月28日
カラバッジョは、対象の美化を廃し、リアリズムを追求した。
一方向からの光を光源として段階的な陰影によって対象物を浮かび上がらせる
表現はカラヴァッジョが絵画技法として確立したものである。
これが、光と影を主題とした印象派へと脈々と続いていく流れとなった。