日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和8年度は4月(坂)5月(ぬ)6月(岡)7月(す)8月(堀)9月(坂)10月(ぬ)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(坂)3月(ぬ)の順です。

3503声 菖蒲田

2016年06月11日

定例の句会で原宿へ行ってきた。
毎度のことながら、周辺の往来はどこも人とすれ違えぬ程の混雑である。
梅雨の晴れ間で青空が出ていたせいもあろう。
この時期恒例の、明治神宮の菖蒲田での吟行。
あわただしく見ただけなので、句の出来などはさんざんだったが、
ここの田の花菖蒲は品種が多いので、見ごたえはあった。
しゃがみ込んで見ていると、肩を叩く人がある。
振り返ると、にこやかに立つ大きな白人男性である。
写真を撮ってくれ言う。
スマートフォンのボタンを押し、チェックするよう言葉を添えて返した。
同じようなことが、小一時間で三回。
花菖蒲をまじまじと見つつ、メモ(俳句)を記していたので、
園丁の一人に見えたのだろうか。
菖蒲田と言うと、平坦な場所にあるものが多いが、
明治神宮の森の木洩れ日が差し込むここの菖蒲田は、幽玄な光であった。

3502声 路地の煙

2016年06月10日

雲は多くも、朝から青空が見えた。
見えるのは良いが夏日になり、べったりと暑さがまとわりついてきた。
昨夜の麦酒の水分が体から抜け切らぬのか、倦怠感が濃い。
おまけに、先延ばしにしていることばかりなので、
どうも胸中の陰雲は晴れぬ気がする。

 

帰りがけ、駅の裏路地に差し掛かると、宵闇の中、
なんだか香ばしい匂いが立ち込めていた。
その発生源は、路上に置いてあるプランターの植木裏から漂う煙らしい。
すれ違いざまに目を向けると、屈みこんだ老女が一人、七輪で目刺を焼いていた。
七輪はダブルで、もう一網は輪切りの烏賊など魚介系である。
これからの来客と、焼き物をつまみに、一杯やろうというのか。

 

ビルが立ち並ぶ、都内の駅裏に取り残されたようにある、小さな民家の前であった。
有楽町のガード下なども、やたらと七輪の煙を路地にたなびかせている。
夜になると、照明の中、ビルの谷間に流れる白煙がありありと見える。
路上に裏返したビールケースに座り、老若男女、ジョッキを上げている。
なんだか、落語的光景である。

3501声 蟹の抜け殻

2016年06月09日

土砂降り、であった。
派手に濡れながら駅へ到着すると、それ以降は小降りになり、
昼前には止んでしまった。
通勤時間帯だけ降られてしまい、なんとも巡り合わせが悪いが、
梅雨とはこういうものであろう。
じめじめした衣服や靴で過ごす一日は、気が滅入るものだ。
気散じに炭酸飲料でも買おうと入ったコンビニで、
「クロワッサン」なる女性誌を手に取った。
私に似つかわしくない雑誌と言うことはひとまず置いて、
中の一つの記事に目が留まった。
それは、古美術鑑定士である中島誠之助氏のインタビュー記事であった。

 

「お宝紹介」のような企画で、氏のそれは「蟹の抜け殻」とのこと。
写真も掲載されおり、いくつもその完全に近い抜け殻を保管しているのである。
しかも抜け殻は一匹の蟹、つまり、利根川の河口で捕まえて中島家でペットとして飼われていた、
「ニーカちゃん」のものなのである。

 

蟹の脱皮は、毎年一度夏至の時分で、脱皮した殻を直ぐに「収集」し、
ティッシュで水気を切って乾燥させていたらしい。
直ぐに、というのは蟹の殻はカルシウムで出来ているので、
脱皮した殻を自身で食べてしまう習性があるからなのだ。
このニーカちゃん、なんと十七年間も生きていたとのこと。
そして、いまも中島家の冷凍庫に安置されているのである。

 

停電になったと思うと、と言う氏の心配を読み、思わず噴出してしまった。
女性誌を読んで、こんなにも笑えるとは。
しかも、心地よい笑いである。
大いに清々しい気持ちになり、炭酸飲料を買うのも忘れ、コンビニを後にした。

3500声 いざと云うとき

2016年06月08日

朝こそ小雨だったが、日中の東京の空は梅雨の晴れ間が広がっていた。
体調もいまだ不安定だが、それは私だけでなくて、
今朝の通勤列車内のことである。
いつもどおり、満員の人の中、私の隣でつり革に掴まっていた男性が、
ゆるやかに傾斜してゆき、どすっと後ろの人にぶつかりつつ、倒れた。
意識はあって、私を含めた周辺の人たちで抱きかかえ、着席してもらった。

 

顔面蒼白、しかも坊主頭のため、玉のような冷汗が流れている。
苦しそうな表情を浮かべつつ、二つ先の駅でふらふらと降りて行った。
梅雨時で不快指数の殊更高い車内なので、気持ちはよく分かる。
年に一度は見る光景であり、周りの人もそうなのか、
座っていた人は席をゆずり、実に手馴れた調子ですみやかに介抱が進んだ。
私も三年間で二度、貧血を起こして席を譲られた経験があるので、
他人事ではない。

 

東京の人は冷たいというが、満員列車では皆が眉間に皺を寄せているが、
たしかに優先席を頑なに譲ろうとせぬ若者もいるにはいるが。
いざと云うときは、思いやりがある。

3499声 底の物体

2016年06月07日

呼吸が苦しい。
昨日あたりからなんだか肺に圧迫感がある。
梅雨の愚図ついた天気のせいだと思うが、
この時期は体調が芳しくない。
それに加えて、心を挫くようなものを今朝見てしまった。
 
年中、麦茶を作っている。
薬缶で水を沸かして、ティーパックを入れて作る、あのお馴染みのタイプである。
麦茶が冷めたら、薬缶から冷水筒に移し冷蔵庫で保存している。
今回の一件は、「それが、幾日くらい保存可能か」と云う意識が薄いので、
起こってしまった事態であろう。
 
今朝、いつものように給水筒からコップに麦茶を入れて飲んだ。
最後の一杯を注いだところで、給水筒は空になった。
スポンジに洗剤をつけ、給水筒の中に手を入れたその瞬間。
「ぎょっ」となって手を引き抜いた。
給水筒の底部分が、なにやらあやしい。
とても、怪奇な状態になっているではないか。
よく見ると、底部分に付着している蛙の卵と形容すべきか、
毬藻の出来損ないと形容すべきか、得体の分らぬ黴のような半透明の物体。
得体は分らぬが、決して体内に摂取してはいけないことくらいは分かる。
 
そう言えば、作ってから随分と時間が経っているし、
前回は冷水筒をぞんざいに洗ったことが、走馬灯のように浮かんできた。
考えつつ落ち着いてくると、だんだん胃のあたりがむかむかしてきた。
おまけに、肺の違和感もこの物体に起因するような気がしてきた。
体調は一挙に悪化し、自らの不精を呪った。
それから十数時間たった今、まだ病院には担ぎ込まれていない。

3498声 祭りの気配

2016年06月06日

梅雨らしい曇天の月曜日である。
朝の通勤時間帯、道行く人たちの顔もどんよりとしている。
私の前を歩いている初老の男性。
よれた背広に猫背が拍車をかけて、朝からとても疲れて見える。
駅前の公園に差し掛かると、作業服の男衆が祭りの舞台を組んでいた。
その風景を振り返る初老の男性の顔が、ふわりと明るくなったように見えた。
歩きつつ、次の瞬間には、また疲れた猫背になってしまった。
おじさん、きっと祭り好きなのだろうな。

3497声 ピルスナーの利

2016年06月05日

天気予報では関東も梅雨入りしたとの報。
昨夜から朝まで降っていた雨は上がって、
午後からはけろっと晴れ上がってしまった。
二日酔いの顔を洗って、家から出たのはもう青空の見える午後だった。
悔やんでも仕方ないが、香辛料の効いたスナック菓子を深夜に食べたせいで、
食道から胃にかけて、化学調味料特有のもたれ感がまとわりついている。
紫陽花を観る時もそうだが、二日酔いのときは雨が降っているくらいの方が、
心安らぐ。
ひとたびリズムを失うと、休日の予定というのは総崩れで、
昨日から棚上げしていることも棚に乗っかったまま、深夜にこれを記している。
昨夜の深酒で少々胃が疲れていたが、缶麦酒は美味しく飲めた。
これが麦酒の、ことピルスナーの良いところだと思う。

3496声 紫陽花の道

2016年06月04日

一切のことを放擲して、紫陽花を観に行くことにした。
紫陽花と言えば鎌倉や飛鳥山が思い浮かぶが、混雑を思うと足が遠のく。
近場で調べたところ、松戸市に「本土寺」なる名所があり、
別名は「紫陽花寺」である。

 

咲きはじめではあったが、まず、境内を埋め尽くす紫陽花の数に圧倒された。
紫陽花もさることながら、幾千本あるかという花菖蒲の田も見事であった。
天気は快晴であったが、小雨でも降っていた方がこの時期の花々は、
本来の風情が醸し出されるであろう。
照りつける日のためか、どうも花に疲れの色が見えてしまう。

 

ひとしきり観て、自宅に帰って来たころは夜であった。
天気は下り坂で、小雨が降りだしていた。
信号待ちの車窓から、電話ボックスの光に浮かぶ、道端の白い紫陽花が見えた。
ぞくっとするほど、可憐であった。

3495声 地底の部屋

2016年06月03日

この間から句集の校正をしている。
現在、まだ初校の段階だから仕方ないが、
原稿は赤文字だらけである。
これは、間違いだらけの原稿を入れていること、
収録する句をあれこれと決めあぐねていること、
つまりは、全て自分せいなのである。
しかしながら、やはり少しでも良いものにしようと、
意欲だけはあるので、やらねばなるまい。
 
引っ越してから、二階の部屋はすり硝子になっているのをいい事に、
面倒なので、まだカーテンを付けていない。
よって、いま煌々と灯りの点いている部屋の硝子窓には、
夜の闇が殺到している。
まるで、地底にいるようである。
机に向かっていると、どうも落ち着かず、
昔の俳句を眺めている時間が合ったら、
外へ出て新しい俳句を作りたくなってしまう。
外へ出たって藪蚊に刺されに行くようなものなので、やめた。

3494声 一瞥

2016年06月02日

一月ほど前に引っ越した。
徒歩三分程度の場所への住み替えなのだが、
近場とは言え、生活環境を変えるのには、とても骨が折れる。
今度もまた賃貸物件だが、ごく狭小な古い一軒家である。
一軒家なのでアパートやマンションなどと違い、
まず狭庭の草刈からやらねばならぬので、大変であった。
蚊取り線香をもくもくと焚き、庭に蔓延っていた、
どくだみやら得体の知れぬ葉を刈り込んだ。
中年となったいま、こども時分の好奇心などは消え失せ、
草いきれのする鬱蒼とした草むらは、ただただ気味が悪かった。
「草刈」や「草取」は夏の季語だが、自分で草を刈っている最中は、
到底、俳句など詠む余裕は無い。
つくづく、こういう季語は傍観者として作るのが賢明であると感じた。
旺盛な草や蔓などに小言念仏を唱えつつ、一心に枝切鋏を動かしたのだが、
中途で挫折し、あとはもう半ば自棄になって除草剤を撒き散らした。
 
蚊取り線香もそろそろ灰になる頃に手を止め、夕風の中で缶麦酒を開けた。
缶麦酒片手に、乱雑に草が散らかる庭を眺めていると、
するすると蜥蜴が一匹、庭先に出てきた。
「余計なことしやがって」
そう言わんばかりの一瞥をくれ、
またするすると倉庫の下の暗がりに消えて行った。

3493声 湿り気

2016年06月01日

二三日前から、近所の紫陽花が色づき始めました。
今日は晴れていても空気は湿っぽく、梅雨の気配を感じる陽気。
そして、今日から一月のお付き合いは、私、抜井となり、
この章はさらに湿っぽくなる予定です。

 

それはそうと、堀澤さん、松屋に行き過ぎです。
腰の激痛、ガールズバーの呼び込み、他人の闇、隣人の狂気、
保険屋と市役所の板ばさみ。
伊藤若冲展からさわやかに始まった五月の章が、店が暇すぎて飲み過ぎ、
二日酔いで終わるなんて、こちらがやや焦りを覚えるほどの完成度です。
ひとまず、一月の間、お疲れ様でした。

3492声 今日でおしまい

2016年05月31日

5月も今日で終わり。
雲が多いが晴れ間も見えた。
私は二日酔い。
夕べ店が暇すぎて、飲み過ぎてしまった。
保険屋と市役所のせいではない。
5月のひとこえを一ヶ月担当して、5月はいい陽気の日が多いんだな、ということがあらためてわかった。
昨年までは主に4月だったのだが、4月の私は5月よりも調子がよくない。
それも今回改めてわかった。
天候によってこんなに違うんだなと思いながら、そういう、今その年その時を綴って行くことの中にも、このひとこえを書く意義みたいなものがあるのかもしれないとも思った。
後から読み返して、あの時はあぁだったと、誰かが確認できるように。
明日からまた抜井。
正月以来会っていないが元気だろうか。

3491声 いろいろある

2016年05月30日

終日曇り空。
少し肌寒い一日だった。
朝保険屋から連絡があり、補償費の計算根拠を提示される。
その根拠も額も、これがよくわからない。
「こういう事故の補償の場合は根拠がありそうでない」と、この後に及んでそんなことを言う。
だからその根拠をすり合わせるのが仕事だろうに、彼は何もしていないんだが、私にはそうとしか思えないんだが、なんでそう言えるのか。
事故は7ヶ月前。
そういう計算式ならば、最初からその計算式で提示してくればいい。
その間必要な根拠について何度も聞いた。
聞いて、時間をかけて根拠を準備して計算して提示したら、電話一本でおかしな結論を持って来た。
考えれば考えるほど、共感を見つけられない。
不幸の結末だ。
額の問題ではない。
全部肩透かし。
猫だまし。
そのつもりが案外なさそうなところが、余計に恐怖心を誘う。
払いたくない!とでも言ってくれれば、それをまず言ってもらった方がまだいい。
困ったなしかし。
昼過ぎに銀行へ行って、帰りに市役所へ。
Aの部署から連絡があり、市税の滞納があるようだから市役所へ来て、Bの部署に確認してくださいと言われて行ってきた。
Bの部署に行って確認したら納入済みということで、なんでそうなったのかと言うと、市民の税金納入確認システムが部署によって違うかららしい。
それをAの部署に伝えたら、わかりました、こちらで確認します、とのこと。
だったら最初から確認してくれたら、市役所まで行かなくて済んだのだけど。

毎日いろいろある。

3490声 舞台「不幸の家族」

2016年05月29日

落語家の立川志らく原作の舞台「不幸の家族」を見てきた。
元海上自衛隊の男2人とその家族の物語。
家族であることと男2人の友情が交錯したところに生まれる不幸の物語。
そこに恋が重なって、全員の関係が揺らぐ。
話の展開が現実的すれすれのところで進むのは、落語的だった。
あくまで現実を基軸としながら、その逸脱が絶妙に大きくなったものがイリュージョン。
私が勝手に考えた。
これが非現実となってしまうとファンタジー。
いずれにしても、逸脱感が大きくなればなるほど感情移入が難しくなる。
話のつなぎ目に感情が着いてゆけないから。
ましてやそこに笑いを盛り込めば尚更に。
文字通りてんこ盛りな内容だった。
なのに後半話が一気にシンプルになる。
プライドと優しさに挟まれた、どちらもリアルな葛藤と、その葛藤を飲み込みたくても飲み込めない切なさが、落語的了見の琴線を刺激してくる。
そのまた描き方が、シンプルなフレーズに乗っかるから余計に。
優しいってこういうことだ、というのに気づかされた時には時すでに遅し。
涙腺崩壊。
師匠のブルースハープがまた、よかった。

3489声 隣家から

2016年05月28日

隣の家のご主人が朝から怒鳴っている。
自己制御がまるで効いていないのはその音量でわかる。
2月位から時々こういうことがあって、4月が最もひどかった。
普通の時もある。
数日前にうちに町内会費の話をしに来た時はごく普通だった。
孫と遊んでいるのを見たことがあるが、ただの優しいおじいちゃんである。
これまでどんな人生だったのか知るべくもないが、今になって自分の尊厳を自分で保つための何かが足りないのだろう。
本人は苦しいのだろうか。
奥さんは苦しいと思う。
人間の脳はその基本構造として、自己認識機能を備えていない。
他人のことはわかるのに自分のことはわかりにくいという皮肉な構造をしている。
せめて最低限の浄化機能だけでもつけておいてくれたらよかったのに。
最近よくあるエアコンのお掃除機能みたいなのでいい。
神様は気が利かない。
この頃子猫の泣き声をよく聞く。
夕暮れ時に、明け方に。
仮に猫であっても、子供の泣き声はとても悲しく響く。
おじさんの怒鳴り声も、ある面においては悲しい。
二つの違いは、子猫の声は聞いている方にエネルギーを誘発するのに対して、おじさんの怒鳴り声はエネルギーを奪うばかり、というところか。
おじさんの尊厳を、おじさん自信が取り戻せることを祈りながら、怒鳴り声を聞いている。

3488声 メモ

2016年05月27日

この2週間の沈酔メモ。
・辛さは諦めを要求する
・他人の闇に興味がないとは、ミッキーの袋を膝の上に置いて終電に乗っている、みたいなことである
・酒を飲んでいると、誰も隣に座らない。ちーかまを食べていれば尚更
・なくなったらすぐに注いでくれるところがいい(ワイン会にて)
・子供は寝ていた(ワイン会にて)
・回避したさは自意識を強くし、欲しさは被害意識を強くする

・良識は黄身よりも白身の方にある

3487声 琴線のありか

2016年05月26日

久しぶりに伊勢崎へ。
駅前区画整理に伴う、公園整備の会議。
いろいろ形になってきた。
けれども、パッとする案もドキドキする案も、ほぼ出ない。
私も出ない。
そうすると、放っておくと、やっぱり流れはとても伊勢崎っぽくなる。
ディテールの違和感に対して無頓着なままことが進んでゆく。
琴線のありかが違う。
違和感を感じても、話し合いは代替案を出さなければただの文句になってしまう。
なので私につべこべ言う資格はあまりない。
それでもつべこべ言ってみたりはしたけれど。
あの会議に出ると、自分の能力のなさと体力のなさを思い知らされる。

3486声 板挟み

2016年05月25日

観音山の清水寺に行った。
参道の両脇には下から上まで紫陽花が植えられていて、花が咲くのを今かと待っているようだった。
日に日に緑が深くなる。
蚊も出はじめた。
夏ももう少しなのかもしれない。
銀行からちょくちょく電話が来る。

どうも保証協会が、保証を渋っているらしい。

税務署の、酒類製造免許許可見込み証明がほしいと。
ちゃんと免許出しますからお金を貸して大丈夫ですよ、という証明が。
税務署は税務署で、資金繰りが万端でなければ免許を出さないと言っている。
どちらもリスクを負いたくないのだろう。
俺に信用がなさすぎるだけか。
人間の闇にスポットを当て続けることをやめない、という性質に信用を見出して、金を貸してくれる人がどこかにいないだろうか。