そんな年に1回の儀式、今年はインフルエンザのため初めて欠勤をした。
社会人になって初めて大病をしてしまった。
都合1週間、家に謹慎する羽目に。伝染病だから仕方ないのだが。
流石に1週間高熱にうなされて床に伏せっていると
体力の減退が著しい。体力がなくなると、色々な日常の作業が
雑になってくる、もしくはどうでも良くなって放棄してしまう。
朝の体操はすっかりやらなくなり、歯磨きも雑になっている。
というか生きることすら雑になるから困ってしまう。健康は大事である。
2016年04月02日
そんな年に1回の儀式、今年はインフルエンザのため初めて欠勤をした。
社会人になって初めて大病をしてしまった。
都合1週間、家に謹慎する羽目に。伝染病だから仕方ないのだが。
流石に1週間高熱にうなされて床に伏せっていると
体力の減退が著しい。体力がなくなると、色々な日常の作業が
雑になってくる、もしくはどうでも良くなって放棄してしまう。
朝の体操はすっかりやらなくなり、歯磨きも雑になっている。
というか生きることすら雑になるから困ってしまう。健康は大事である。
2016年04月01日
4月1日は毎年、職場の異動がある。
昨日まで毎日顔を会わせたいた幾人かの同僚が去り
新たな同僚が緊張した面持ちで出勤してくる。
この1年を占うため、5感を研ぎ澄まして、周囲をそっと伺うのだ。
2016年03月31日
皆さんはGNNをご存じだろうか。群馬日産中之条ではない。GUNMA News Networkである。youtubeを使って群馬の魅力を県内外しいては海外にもPRしようというこのプロジェクトに、次にバトンタッチするすーさんは主軸として関わったらしい。本人は直接は書かないと思うので、直接書いてリンクまで貼ってみた。
http://www.pref.gunma.jp/01/b2101106.html
堀澤さんの高崎の店「ザブン」も営業を再開し、またビールの季節がやってくるのだろう。いい酒を飲むために、来年度もそれなりに頑張りたいものです。では、また。
2016年03月30日
月に2度は行く会社で、ティッシュを忘れてマスクの下は鼻水垂れていて、あー参ったなーどうしようかなーと背中を丸めていたら、新入社員とおぼしきフレッシュなスーツに身を包んだ若者たちが入ってきた。大きな会社なので15人はいたろうか。先輩社員が話す内容をまっすぐに見つめている。
大きな組織で上に立ったこともないので、こと後輩との付き合いというのもあまりなく生きてきたけれど、そういった新しい人たちを見ると背筋が伸びる。トイレに駆け込み鼻をチーンとして、文字通り背筋を伸ばし、社会人として先輩ですけどオーラを発しながらその会社を後にした。人間ちっさ。
2016年03月29日
上越新幹線で北上する。
窓の外を眺めている。
明るい日差しが注ぐ関東平野。
黄色く行き過ぎるのは菜の花だろう。
桜色に行き過ぎるのは桜ではなく山桃か。
河原では年配の夫婦が散歩していた。
どこかの犬も庭でくつろいだ様子。
それらは足早に行き過ぎる。
僕の場合はいつも、
心より先に景色が移り変わる。
それに3歩遅れるようにして、
春なら春を、迎え入れる。
2016年03月28日
もう慣れる年になったけど、東京駅へ行くと店の数、人の多さに圧倒される。1件1件が美味しいのだろうなと思いつつ、こじゃれたシュークリームを8人体制でばらまくように売る様子を見ては、錬金術だな、と呟き、その仕事に関わる意義って何だろうと余計なお世話まで考えてしまう。
つい数年前まで、「自分のお金だものどこで誰に使ったっていいじゃないか」と思っていた。もちろん間違いじゃない。でも、未だにコンビニも良く使うけど、「応援したい店、人にお金を使った方が幸せなんじゃないか」と思うようになった。地域通貨とかまでいかなくてもね。一度店をやる側に立ったせいもあるのかもしれない。商店街を使わない人が商店街が無くなることを嘆いても、説得力がないのだと思う。そして実際顔見知りの店でお金を使い「ありがとう」と言ってもらうのは、こっちもあっちもとても嬉しい。
コロッケとメンチカツ1個ずつと唐揚げ100gください。僕は少額ではあるがわりと頻繁に、道路向かいの塚田精肉店でお金を使っている。茶色いものが好きなんじゃないよ。応援しているんだよ。
2016年03月27日
突如東京での撮影仕事が入り、せっかく東京さ来ただということで、前々から見たかった小林茂監督によるドキュメンタリー『風の波紋』を観に渋谷に寄った。
新潟県越後妻有。積雪が家を飲み込むような山里の暮らしを5年かけて撮影した今作。茅場から刈りだした茅で屋根を葺いたり、桜の枝で生糸を染め娘の成人式の着物生地を手織りしたり、よくわからねぇから使わねえと無農薬で田んぼをやったり、かわいがってきたヤギをしめて皆で食べたり。それら暮らしに肉薄しながらも、所々では寸劇が入ったり、田んぼを背に獅子舞が舞ったり、地に沿ったファンタジーとでもいうべき印象的なシーンが重なり合う。傑作だった。
東京だけが未来じゃない。経済の成長を追うことに疑問を感じ、地方を見直そう、地方の方がいいじゃないか、という声は年々強くなってきているように思う。こと映像についても、地域が自らブランディングをかかげ、かっこいい映像や音楽と共に美しい農村風景がコマーシャルされることもある。そういったものも必要とは思うが、たとえセンスとしては古いところがあっても『風の波紋』のように踏み込んだ作品は、強い。大げさに言えば、これを観た誰かが、越後妻有の未来に関わる予感さえする。
越後妻有といえば、大地の芸術祭でも知られる。この映画の登場人物の一人である、芸術祭を機にこの地へ移住してきた天野季子さんが歌う主題歌「めざめ」が良い。エンディング近く、この曲と共に神々しく、日に照らされていく山々を見て、僕も何か目が覚めた気がしている。
風の波紋
http://kazenohamon.com/
2016年03月26日
たいしたことはしてないけど叔父馬鹿です。
姪っ子が二人いて、上の子が小学校卒業を迎えた。
たいしたことはしてないけど叔父馬鹿なので、
プレゼントは何がいいかと考えた。
きっともうすぐ年頃の女の子だから、
友達と出かける時に使い勝手が良くてかわいいバック
があると、出かけるのも楽しくなるに違いない。
頭も良くて岡安家の血を継いでいるわりに運動ができて
すでに人への気遣いができる子だから(この辺り叔父馬鹿)、
大人になっても付き合える友達との出会いもあるだろうな。
ということで、outdoorのショルダーバックを買った。
思っていた以上に喜んでくれて、嬉しかった。
あと5年もしたら、嫌われずに一緒に映画を観に行きたいな、
観終わった後に悩み相談とか乗ってあげたいな、
と思う程度の叔父馬鹿である。
2016年03月25日
僕も齢36歳にもなり、昔のようにラーメンを主食とはしなくなった。20代の中頃は、高崎の「響」へ行き、着丼(ラーヲタは、出来上がったラーメンが自分の席に届く瞬間のことをこう呼ぶ)してからものの3分で表面に油の層が固形化しはじめるような超濃厚豚骨ラーメンを嬉々として食べていた。さすがに今だと翌日に響く。
それでも、ラーメン激戦区相模原市に住んでいたころは、手書きのラーメンマップを自作し誰に見せるともなく日々のラーメン情報をログし続けた僕である。普通の人以上にはラーメンを食べているように思う。それで、最近のお気に入りは高崎市八千代町の「フタツメ」である。
ここの売りは鳥と豚骨のスープを用いた「濃厚タンメン」。野菜もどっさり乗っているのだが、この手のラーメンは「野菜も接種することによりドカ食いの後悔を軽減するもの」として考えた方が良いかもしれない。店に行くと、このタンメンにさらに拳大の大きな唐揚げ3個とご飯がついたセットを頼むのが常である。食い過ぎである。
前のラーメン屋の居ぬきで入ったこの店。よく行く会社の側なので、前を通っては「店変わったんだ」「なんか車が多く停まるようになったな」「行ってみるか」という順を経てそのおいしさに気付いた。決して立地場所がいいとは思わないが、今や人気店と言っていいだろう。
・・などと書いているうちに、また食べたくなってきた。今日の昼に食べたばかりなのにね。
2016年03月24日
日の出が早くなった。
僕の会社の母体は東吾妻町の原町新聞販売所なので
昨年から人手が足りない時は新聞配達を手伝っている。
「僕は夜派なもので・・」と断っていたりもしたのだが、
やっているうちにそれほど嫌な仕事でもないと思うようになった。
朝早くに、手足を使いながら、
覚えてしまえばさほど頭を使わず、
配り終わるまでに必ず3時間弱の時間を要するのだ。
それは、「適度な考え事をするのにもってこい」だと気づいた。
考えることは日によって違って、
その日にやらねばならない仕事の先回りとか、
前の晩に見た映画についてとか、食べた美味しいものだとか、
最近では「六合ドキュメンタリー映画祭」の展開の仕方について、
ほぼほぼ新聞配達をしながら考えた。
じーっと机に座っていてもなかなか考え事ができない性格でもある。
そうして最近考えることの一つに、
「現実の出来事をもとに小説を組み立てる」というものがある。
その手の妄想は、夜明け前の時間に向いている。
実は頭の中にはすでに3本くらいの短編小説がある。
それを、高崎で定期開催されているハンドメイド小冊子の祭典
「ZINPHONY」に小冊子として出したいという魂胆がある。
あと20回くらいの夜明け前を経れば、形にできるかもしれない。
2016年03月23日
桜の開花と共にやってくるのが、「高崎映画祭」。もう30年目の開催なんですね、すごい。前々回の28回より、僕が関わる「伊参スタジオ映画祭」のシナリオ大賞作品も上映してくださっており、今年も4/8(金)に『弥勒のいと』(松井香奈監督)、『正しいバスの見分けかた』(高橋名月監督)の上映が行われます。僕も行くので、伊参スタッフ特有のつなぎを着た男を見たら声をかけください。
初めて高崎映画祭に行ったのは18歳位だったろうか。当時の学校の先生の一人が「私はフリーパスポートを買って浴びるように映画を観ます」と言っていて、お金もちだねーそんなに時間があるもんなのかねーと思ったことを覚えている。今思えば、あれだけの映画を観られるフリーパスは全然安いし、映画を観る時間は自分で作るもんなんだな、と思えるけれど。
誰にもあると思うが、僕にもその時々の女優さんブームがあって、市川準監督『大阪物語』で池脇千鶴さんが彗星のごとく現れた際は、まるで初恋の人に会いに行くかのごとくに胸を熱くしながら県道、チャリを漕いで高崎映画祭の授賞式に彼女を見に行った。会場でわりと遠方に彼女を見て、同じ空気を吸っているだけで「可能性はゼロじゃないかもしれない」と意味不明な事を思った。まあ、ただの馬鹿ですな。例年豪華な受賞者が高崎ダルマを抱える姿も、見慣れた春の一幕となった。
僕はずっと「高崎映画祭に行けば、その年1年間の主要な映画を網羅できるぜ」と言い続けている。桜の開花と共に、映画に浸る時間を作ってみてはいかがでしょうか?
2016年03月22日
高崎の映像制作会社からの依頼で、高崎の保育園の卒園式を撮影した。ここの卒園式を撮影するのは2度目だ。他の保育園がどうかはわからないが、ここの保育園は卒園式の後に園の先生たちをレストランに招いて謝恩会を行う。それも撮影するのだ。
保護者が作ったフォトムービーの上映や、園児も混じってのビンゴ大会など、謝恩会らしい内容が続くが、会の最後、卒園児の母親たちによる一言ずつの挨拶が印象に残った。「共働きでなかなかこの子の面倒も見ていられないんですが、保育園に行って日に日に物事を覚えていい子になっていくこの子を見てきました。先生たちにはとても感謝しています」と涙ながらに語るお母さん。今時代のリアルなんだと思う。
撮影も終わり車を出そうと思ったら、急いだ様子の自転車が入ってきた。脇にチラシの束を抱えた主婦らしき女性が、レストランやその向かいの家々のポストにチラシを投函している。僕も学生時代に似たような仕事をしたことがあるが、地味で、その割にわりと大変で、それほど報酬もない仕事だ。それも、今時代のリアルなんだと思う。
お母さんたち、ファイト。お父さんたちも、ついでにファイト。
2016年03月21日
久しぶりにほか弁を買って、車の中でがっついていた。
駐車場の隅に、荷物が入る手押し車の上にちょこんと腰掛け、
頭をうな垂れたお婆さんの姿を見つけた。
一瞬えっと思ったが、ただ日向ぼっこをして眠っているのだと気づいた。
ほか弁を食べ終わった後も、しばらくボケーっとお婆さんを見ていた。
ふと頭を上げたお婆さん。ゆっくりと立ち上がり、手押し車を押しながら、
自分の家とおぼしき方向へてくてくと歩いていった。
そんなくらい、暖かくて穏やかな日だった。
2016年03月20日
「スタンさんの通夜に行く時、僕が彼のドキュメンタリー制作で100%力を出し切っていなかったら、行けなかったと思います」
上映後の挨拶で、学生の一人が語った。「六合ドキュメンタリー映画祭」での上映作品のひとつ、芸術家のスタン・アンダーソンさんを取材した学生である。
僕がスタンさんに会ったのは、中之条ビエンナーレがきっかけだった。彼は六合の暮坂芸術区に住んでいて、初めて行った時に見せてもらった「樹皮を紙のように漉いて、その中に猪の骨を埋め込んだ作品」にギョッとした記憶がある。芸術といっても作るカタチは人それぞれだが、スタンさんは必要なものを全て森から採取し、近年では山を分け入って作る「道」そのものが自分の作品だと語っていた。その大らかな性格と流暢な日本語で、彼を慕う町民や中之条ビエンナーレ作家も多かったと思う。
「六合の山奥で長年に渡りアメリカ人がアート作品を作っている」。その不思議は学生にもわかりやすかったようで、昨年の候補選びの際にスタンさんは外せない人になっていた。結果学生たちが作ったスタンさんのドキュメンタリー『陽春の道』は、スタンさんの生き方を通して「豊かさって何だろう」という事まで考えられる素晴らしい作品となった。
その撮影から3か月ほどしてだろうか。急な病気によりスタンさんは亡き人となってしまった。花の駅美野原の上映会場には、中之条ビエンナーレディレクターの山重さんをはじめ、スタンさんと関わりのあった方も多く足を運んでくれて、改めて彼の存在の大きさを感じたようだった。
スタンさんの事に限らず、今回学生たちがドキュメンタリーで残した六合の暮らしは、それを知る人がいなくなってしまえば、昔ばなしとなってしまう。僕は、過去の暮らしを忘れるな!と啓蒙する気はないが、過去の暮らしを知れば今がもっと豊かになる、とは確信を持って言える。それだけのヒントが、六合にはある。
皆さんのおかげで、「六合ドキュメンタリー映画祭」は無事に終わりを迎えた。作品の大部分は今後、六合のローカルテレビ「六合っこチャンネル」でも放送される予定だ。他で見られる機会も作りたい。
2016年03月19日
「六合ドキュメンタリー映画祭」初日は、六合入山の「よってがねぇ館」で行われた。当日僕が会場入りすると、調理室には地元のお母さんたちにお願いしてあった「六合かりんとう」が山のように置かれていた。映画を観ながら六合かりんとうを食べてもらう、そんな事も面白さのひとつではないかと思ったのだ。
100人も入れば満員に近い会場がほぼ満員となった。見知らぬ場所の見知らぬ俳優が出ている映画ではない。ごく身近にいる(そのほとんどが知り合いの)六合の人々が主人公となったドキュメンタリー作品を見に来たお客さんだもの、登場人物の一言一言に笑い、共感し、懐かしみ、感動してくださったようだ。
中之条町との合併後、僕が六合を訪れる機会が増えたころに、前橋の煥乎堂で30年以上前に出版された六合の風土について書かれた雑誌を買った。村の女衆が、農具や草履の材料となる菅などの植物をとりに野反池までの山道を行く話。今なお残るおんべえやという村祭りで、燃えた木々の炭を手にとって人の顔に塗りつける風習など、絵に描いたような「山村の暮らし」が僕が育った町から山ひとつ越えた近所で繰り返されていたことに、ちょっとしためまいを覚えた。
今回の映画祭では、それらの暮らしがまさに生きた声として語られる。炭焼きが収入源だった当時は女でも30キロの荷を担いだとか、自分の祖父は農機具もないままに田代原の開墾から始めたとか。日本むかし話しのような牧歌的なものではなく、その言葉には血が滲むような苦労が含まれており、けれどそんな暮らしをしてきたという強さ、自信を持っているようでもあった。
上映が終わり、ドキュメンタリーを制作した日本映画大学の学生たち10数人が横並びになり、挨拶をした。学校外の人に作品を見せるのは初めての学生ばかりだ。どっぷり六合という会場の雰囲気が後押しし、皆とても熱い言葉を発していた。この経験は、彼らの今後に大きな影響を与えることだろう。
明日は六合地区を離れ、中之条町「花の駅 美野原」での上映となる。六合でできた作品を六合で観てもらう必要性は高いが、六合以外で観てもらう必要性も非常に高い。多くの人に来てもらえたら良いな。
2016年03月18日
いよいよ明日から「六合ドキュメンタリー映画祭」が始まる。
当日は日本映画大学の学生や、六合・中之条の伊参スタジオ映画祭スタッフに手伝ってもらうが、わりと多くを自分一人で用意している。それが無理なくできるようにコンパクトに、を心掛けた。それであってもFMぐんまでのイベント紹介や、NHK群馬放送局のほっとぐんま640での紹介など、この映画祭の趣旨を理解してくださった方々に助けていただいた。多分?ぬかりはないはずだ。
話しは変わるが、一昨年あたりから、有り難いことに「仕事がないなー」という事があまりない。昨年携わった仕事は今年もご依頼いただき、近年はイベントなどの映像撮影の仕事が増えてきた。知人やお客さんからお客さんを紹介していただくこともある。その合間をぬっての映画祭準備だった。
今回の映画祭では、六合地区の作品だけではなく、20日の上映では10年前に撮影された中之条町のドキュメンタリーも上映する。嵩山の地蔵修復を行った斎木三男さんや、伝統芸能を継承する山田實さんの話も面白いが、その中でもマルキン鉄工を営む小栗金平さんのドキュメンタリーがすこぶる面白い。
戦争に赴き、実家である中之条に戻った際には見る影もなくやせ細っていて「あんたはうちの子じゃありません」と母親に言われてしまったという壮絶な人生を送った金平さん。町のゴミ収集の鉄の檻を器用に溶接する彼は言う。
「人さまに喜んでもらえる仕事をして、それに見合っただけのお金をいただいて。そうやっていれば見捨てないよ、世間は」
戦後の厳しい生活から好景気を経て現代まで、実直に仕事を続けてきた彼の実感だと思う。それを聞きこのドキュメンタリーを作った学生たちはこの作品に、「金言(きんげん)」というタイトルをつけた。大げさに言えば、一昨年あたりから自分の仕事が増えた理由をひとつ挙げるとすれば、この小栗さんの金言が僕の中に残っているからだと思っている。
上映の許可をいただきに、ほぼ10年ぶりにマルキン鉄工を訪れた。金平さんは一昨年亡くなったとのことだった。悲しいが、随分と長生きをされた。「上映してもらえて、親父も喜んでいると思います」と、工場を継ぐ息子さんが言ってくださった。また、ドキュメンタリーの必要性を感じた。
さてさてそれでは、「六合ドキュメンタリー映画祭」でお会いしましょう。
2016年03月17日
人んちの本棚を見るとわくわくする。
あ~この人やっぱこの本好きそうだよね、とか。
へ~意外、この人こんな本読むんだ、とか。
その人の心の内を見るようだからである。本棚紹介の本もある位だからね。
前橋高崎を中心に、店やイベント、場所に合った古書を置いて、
その場を瞬時に小さな言葉の森に変えてしまう「suiran」の土屋さんは、
前橋フリッツアートセンター内「The place」で本屋をしている。
美術館帰りに、そういう事が好きそうな知人と共に立ち寄った。
山ほどではないが、たくさんの本が並ぶ中で、
どんな本に目がいくかもその人次第なのだと思うけど、
谷川俊太郎や暮らしの手帳、伊丹十三やSWITCHなど、
ああこういう本を読んで自分に馴染ませれば、
もう少しまともな暮らしができるんじゃないだろうか、
と思うような個性的な古書が並んでいた。
帰り際、一冊の本を買い、土屋さんから
「岡安さんのフェイスブックへの書き込み面白いです」
と言われてしまった。
日ごろ膨大な言葉に囲まれている彼にそう言われるのは、
嬉しかった。
いい言葉を発するために、くだらない言葉を発するために、
もっと本を読みたい。そう思うだけの10年が過ぎてしまった。
2016年03月16日
群馬県立美術館で行われている「群馬NOMOグループの全貌」を見に行った。1960年代に前橋を中心にとんがった美術を展開していた作家グループの軌跡を追った展覧会だ。
多くの作家が出入りする中、初期からずっと在籍する中心人物もいて、金子英彦氏が描く広げた地図に顏があるような絵のモチーフは、「あ、またこいつが出てきた」と、出てくる度に愛着のようなものが沸いてくる。年を追うごとに作品が作家然としてきて、実際に活躍の場を広げていったという方もいた。
けれど個人的に気になったのは、少しの間グループに参加し消えていった作家たちについてであった。職業作家ではなく、けれど芸術に身を焦がし、また生活者に戻っていったであろう彼ら。人に理解されにくい前衛芸術である、周囲の反応も冷ややかだったかもしれない。それでもなお筆をとった情熱、筆を置いたなら置いた時の心境を知りたいと思った。
僕自身、未だ生活者と表現者の狭間をゆらゆらしているせいかもしれない。