日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

4633声 年年歳歳

2021年10月11日

すっきりとした秋晴れ。生活上、今月はいろいろと変化することが多い。毎年咲く花は同じように見えるが、それを見に来る人は、年々同じではなく、すぐに白髪になってしまう。そんな中国の詩があったことをふと思い出した。

4632声 PCの脇

2021年10月10日

遅めに起床。一日の始まりが遅れると、何かと上手くいかない。朝にWEB句会の選を済ませて、書評の原稿を書く。どういうわけか、リレーのバトンのようにAからBというように書評の連載の担当がシフトしているようで、今の雑誌の最終回と次の雑誌の初回の句集が届き、PCの脇に本が積みあがってきた。午後は頭を休めるというか、無為に過ごして終わる。

4631声 乗り換え

2021年10月09日

朝から吟行のため、神代植物公園へ出かけた。寝不足のため取り立てて句はできなかったが、久しぶりの植物園そして深大寺の自然に癒された。新蕎麦の時期で、参道は小さく賑わっていた。ここへ来ると、五七五の中に「武蔵野」という固有名詞を織り込みたくなる気持ちもわかる気がする。句会を中座して、用事のためにとんぼ返り。バスやら列車の乗り換えが多い経路。疲労が出たのか、乗り換えの御茶ノ水駅で総武線に座ったとたん寝てしまい、しかも逆方向に乗車しており、起きたら、さっき乗り換えたばかりの新宿駅であった。再度乗り換えて、用事の時間には大幅に遅れ、「こんなことなら句会は最後まで居れた」という気持ちを噛み殺し、午後の日の当たる車内で、睡魔と闘っていた。

4630声 さよならだけが人生だ

2021年10月08日

秋晴れ。本日は別れがあった。なので、『花に嵐の例えもあるさ、さよならだけが人生だ』という一文を書きたくなってしまった。つらいね、別れというのは。根が軟弱にできている私は特に、つらい。さて、明日は早朝から吟行だ。麦酒が胃にしみる。大丈夫か、心身ともに、私は。

4629声 遠い昔

2021年10月07日

曇りのち雨。秋冷の一日。新型コロナウイルス関連の報道で、東京都内では昨日6日、新たに149人の感染が確認されたとの記事を目にした。だいぶ少なっている印象であるが、誰一人としてマスクをはずす気配はない。早く外せればそれに越したことはないが、まだ先になりそうである。テレビなどのロケ番組で、往来に人が沢山歩いている映像などが流れると、「マスクつけてない」ということが、まず新鮮に映る。そして、感染症蔓延以前が、しみじみと遠い昔のように感じるのである。

4628声 もがく

2021年10月06日

副反応なのか定かではないが、倦怠感の一日。いやな汗をかきつつの一日。こういう日が続くと疲弊していく。どうにか乗りこなそうとするも、波にもまれてもがいている一日。

4627声 乾いた青

2021年10月05日

秋晴れ。空が乾いた青さになってきた、着実に冬が近づいている。体感的にはワクチンの副反応で暑いか寒いか判然とせず、倦怠感を引きずっていた一日。Prime Videoのドラマ『翳りゆく夏』 全五話を観終える。夜は句集のお礼でもらった入浴剤を入れて、ゆっくりと風呂に浸かった。ゆっくり風呂に浸かるなんて、やはり冬が近づいている。

4926声 二回目接種

2021年10月04日

午前中に二回目となるファイザー社の新型コロナワクチンを接種してきた。丁度、十二時間ほどたった今、体感的には微熱程度の倦怠感と腕に軽い痛みが出ている。しかし、ぐんぐん眼球が重たくなってきているので、急激に副反応が現れているのかも知れない。帰宅したら、句集が一冊届いていた。或る結社の主宰のものである。昨年から今年にかけて、句集を上梓する俳人が多いと感じている。自分もそう。つまり、感染症の蔓延でいろいろの予定が飛び、この機に取り掛かろうという人が多いのであろう。句集をまとめるということは、一つの区切り。感染症もこれで一区切りとなり、新たな段階に進めるとよいのだが。

4925声 荒廃

2021年10月03日

昨晩は胃痛にも関わらず飲みすぎてしまい、今朝の目覚めは悪かった。のどが痛いが、逆流性食道炎か何かの類であろう。秋暑し、といえる穏やかな一日。買い物くらいで無為に過ごす。俳句の関係でいろいろ溜まっているが、一旦、放擲して荒れた胃にまた麦酒を流し込む。

4924声 水郷のコスモス

2021年10月02日

野分晴、爽やかな暑さの一日。昨晩はZoomでの打ち合わせがいささか引き、姿勢が悪かったのか胃が悪いからなのか、今朝起きたら肩甲骨の下あたりに鈍痛が走っていた。花壇に一輪植えてあるコスモスは、風雨にやられて自立できないくらいへこたれていた。ビニールテープで柵に括り付けてあるので倒れてはいないが、もうくたくたである。午前中は雑事をこなし、午後は佐原方面へ出かけた。毎年、この時期に出かけている。コスモス揺れる水郷ののどかな光景にこころがほぐれた。

4923声 緊急事態宣言解除初日

2021年10月01日

本日より(ぬ)と相成り。そして本日より緊急事態宣言が解除された。都内などの繁華街にはそれまで同様とはいかないが、暖簾の奥から賑やかな声が溢れていた。今の時期はどの店舗も入り口の戸をあけ放っているので、尚更、賑やかに感じた。颱風の縦断によって大荒れの一日であったが、各地の被害は少なかった模様。公共交通機関の乱れには参ったが、夜半には平常に戻っていた。私はと言えば、夏ごろから胃の痛みが続いており、朝食が胃薬という暮らしぶりである。辛気臭いはじまりになってしまったが、明日は台風一過の好天らしく、楽しみである。

4922声 緊急事態宣言最終日

2021年09月30日

緊急事態宣言最終日。8/8から2ヶ月近く続いた休業要請も今日まで。朝市場に行き、挨拶代わりにいろいろ買ってきた。穴子、太刀魚、小肌、黒むつ、うに、生しらす、ほっき貝。小肌が脂が乗ってうまくなった。魚を終えて伊勢崎へ。明後日土曜日にナカコンヤでライジのライブをやることになって、そのリハーサル。ライジは腹が出たが、歌声は健在。きっといい会になると思う。お客さんの前で歌うのは昨年の2月以来らしい。ミュージシャンも大変だったんだな。明日からまた、少しずつ前へ進もう。

4921声 副反応

2021年09月29日

朝起きて、ワクチンを打った方の腕が痛かったがそれ以外はいつもと変わらなかったので仕込みをすることにした。今日はラガーの仕込み。6時から始めて順調に進み、あとはワールプールと移動を残すのみ、と、そのくらいになったところで、急にだるくなってきた。頭がボーッとして、フラフラする。。まずいな、あと少しなのに。そういえば、副反応のピークは接種24時間後だとばっちゃんが言っていた。ちょうどその時間である。仕込みを途中でやめるわけにはいかないので、集中だけ切らさないようにして、どうにか終えた。

4920声 ワクチン2回目

2021年09月28日

朝からタンクを洗って麦芽粉砕。明日の仕込みの準備をする。正午から2回目のコロナワクチンがあり、車で10分程の内科へ。ワクチンは左手に打つものだと思っていたら、どちらの手にしますか?と聞かれた。選べるらしい。右利きだが、左手の調子が良くないため、右に打ってもらうことにした。私の周りは2回目で高熱を出している人が多い。さてどうなるか。

4919声 底辺にいた1ヶ月

2021年09月27日

ケグがいくつか戻って来て、やることができた。土曜日の食中酒百席も満席となり、準備を進める段階となった。ザブン再開の準備もそろそろ。9月の売上計算をしながら、過去にない低い数字を見て、いろいろあったこの1ヶ月を振り返り、忘れないようにしようと思った。腹筋を続けていたことだけが救いで、腹に力が入る。できることを惜しみなく、無理せず、やっていきたい。

4918声 急展開

2021年09月26日

たち消えとなった物件の大家さんから10日前に連絡があった。大家さんは貸さないと決めたわけではなかったようだ。その後一度お会いして話をしたがうまくまとまらず、やはりここでやるのは難しいかと思っていたら、今日、急展開となった。ほとんど無条件で、それどころかとても気遣ってもくださり、改めて契約へ向かうこととなった。本当に何が起こるかわからない。最初から、できる限り正直に丁寧に進めていたつもりだったが、結果的にはそのことでぶつかりもし、最終的に、そこを受け入れてくれたのかもしれない。感傷はないが、あの物件に縁を感じていたので、これからも丁寧に進めていきたい。

4917声 本寸法

2021年09月25日

朝起きて棟梁の会社から石動駅まで歩く。「石動」と書いて「いするぎ」と読むらしい。石が揺らぐ、ということだろうか。両脇に稲刈りの終わった田んぼを見ながら川に沿って、駅まで4km。「遠いよ」と言われたが、歩くことにした。彼岸花の咲く水辺を、鴨の大家族が朝早くから散歩している。改めて、なんで棟梁に頼みたかったのか考えてみた。年月をかけて磨いた技術のみを目の前の木材に注ぐ。宮大工には一般的な大工以上に、そんなところがあるように感じる。仕事に自分を投影しないことを常々棟梁は語る。人間的にはとても自分の強い人だと思うが、だからこそのそういう宮大工という仕事が、大きな意味を持つのかもしれない。本寸法という言葉が落語で使われる。型を崩さない、という意味である。歳をとってきて、そろそろ脇見せず本寸法の人生を行かなきゃいけないと思っている。バッタが一匹、横から頭にぶつかってきた。しっかりやれよと言われた気分だ。

4916声 南砺へ

2021年09月24日

秀ちゃんと南砺へ。棟梁に会いに。たくさん話を聞いて、たくさんもてなしていただいた。宮大工という技術者の矜持も葛藤も、南砺という町の、風土に根差した雰囲気も、どちらもディテールへの丁寧さが生活自体に筋を通している、そんな感覚を持った。張りが欲しいなら真剣であればいい。少し必要以上に、器用に生きようとしすぎていたのかもしれない。