日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

4607声 迷うor迷わない

2020年11月30日

というわけで(どんなわけで)四十になっても迷うばかりの最中にある。もっと言えば、仕事の仕方はこれでいいのか、もっと言えば、生き方はこれでいいのか、とも思い、それを真剣に考えて、もし変えるのであれば変えられるのが今しかないのではないか、という気もしている。

 

・・が、そうは簡単にいかないのが自分である。四十年も付き合えばそのくらいのことはわかる。やれやれと思いつつ、四十一年目も飽きずに付き合ってあげたいと思う。

4606声 家族と暮らすor暮らさない

2020年11月29日

僕は実家に暮らしている。母親と姉と3人暮らしである。この歳でこの状況が長く続くと(しかも結婚のけの字も見えないと)今更県外で暮らす(家族と離れる)という選択肢は考えなくなってくる。

 

僕の姉は軽度の障害をもっていて、外での仕事はハードルが高いのでしばらく内職を続けていたが、その洋装工場がなくなってからはずっと家事を手伝う程度だった。けれど今年、運が良いことにとても親切な作業場とつながることができた。現在も内職に変わりはないのだが、コーヒーを入れたあとに残る通常は捨てる挽かれた豆を使った消臭剤や、カラフルな色紙を使った飾りなどの作ったものは(姉は昔から手先が器用で几帳面)、中之条駅の売店やつむじで販売されている。気になるのかその売り場を見に行くこともあって、売れていたりするととても嬉しそうだ。

 

その作業場のおきまりとして、月に一度の給料日には作業場に行って直接受け取るというものがある。毎月僕が姉を乗せていくのだが、先日のその日のこと。職員さんが「このお給料は何に使うの?」と姉に聞いた。姉は、僕の顔をちょっと見た後に

 

「弟の誕生日が近くて、パンツがボロボロなので、買ってあげようと思っています」と言った。

 

僕は実家に暮らしている。母親と姉と3人暮らしである。

4605声 よそものorよそものじゃない

2020年11月28日

リモートでの中之条旅行「旅ルミネ」で個人的に一番思ったことは、13年という年月のすごさだった。旅の案内人となったのは、地域おこし協力隊として中之条ビエンナーレスタッフになり、今は「中之条クラフト」というブランドを立ち上げ手作りチョコレートを製造・販売している西岳くんとそのチーム。中之条に移住してから絵を描きながら日頃農業に従事しているほっしーと飯澤さん。そして昨年移住してきたカナダ人男性と群馬出身女性によるアートユニット・クレモモの3組。彼ら彼女らが、自分がつとめる農家や、興味を持っていたという地元の石工・木工職人などを訪ねて回った。

 

僕は本番前日、エンディングでのDamaDamTalのパフォーマンスの準備で、伊参スタジオ(木造校舎)で映像の仕込みをしていて、その様子をさくっとインスタグラムに挙げた。するとそれを見た中之条ビエンナーレの初期メンバーから「懐かしい。思い出深い始まりの場所ですね。」というコメントが投稿された。それで、そうか!と思ったのだ。

 

 

中之条ビエンナーレがはじまったのは2007年。はじまりの年は、今もディレクターをとつめる山重徹夫氏が中心となり、その友人を中心に芸術祭がはじまった。「用意された場所の依頼でアーティストが作品を飾るのではなく、アーティスト自身が自ら発表する場を作る」というのがそも目的だった。今でこそ全国的な認知になり、町おこしのくくりで語られることも多いと思うが、その軸は変わっていない。

 

それで、印象的なのは開始当初、山重さんらは「当初、使わなくなった廃校によそから来た若者が集まって何か変なことをしている」的なことを言われていたそうだ。それから13年・・状況は変わった。それは簡単に言えば、アーティストが町になじんだ、町がアーティストになじんだ、ということかもしれない。

 

僕は近年、個人的には「アーティストとは、絵や彫刻を作る人じゃなくて、生き方の一つだ」と思っている。それはつまり、社会生活を送りながら、何かを作らずにはいられない人、ということだ。それがアートだと急に別物感が出てくるが、別の仕事をしながら野菜を育てている人と違いはないのでは、という気もする。創作一本を生業としているアーティストもいるが、それが全てではない。

 

中之条ビエンナーレから13年経った今、「旅ルミネ」で実に自然に在住アーティスト達が立ち振る舞っているのを見て、僕はその13年という年月のすごさを思った。その先に何があるのか、期待している一人である。

4604声 旅をするorしない

2020年11月27日

ルミネ、といえば知らない人は少ないデパートであり大企業というイメージもある。そのルミネが、簡単に言うと「これからは地方とつながることが必要」という指針を掲げ「旅ルミネ」という事業を展開している。昨年はその一環として中之条特集が組まれ、僕も他の町民と共に映画祭のPRのために新宿のルミネ0へ行き催事に加わった。

 

しかし今年このコロナ禍である。何もできないかなと思っていたらルミネの熱血担当Yさんから「リモートによる旅をします」という提案があった。中之条町観光協会の原沢さんが中心となり、僕もそのリモート旅がどんな風なら魅力的になるか、微力ながらお手伝いをすることになった。(そして、そのリモート中継のメインカメラマンもつとめることとなった)

 

勉強になることが多かった。まずやはりルミネ、広告の打ち方がかっこよくて、強い。「中之条在住のアーティストたちが、自分の目線で中之条を案内する旅」という切り口もルミネ側による提案だったが、それがあっという間にパッケージとして告知された。そして何よりルミネという大手企業がこのようなある意味ミニマムな旅・事業を本気でやっている、ということに今時代性も感じた。撮影する側だったので、PC越しに中之条町のあれこれを見た人がどう思ったのかはまだ一部しか聞けていないのだが、概ね好評で、なにより関わった中之条サイドのアーティスト、農家、商店、学生などが楽しそうだったのが印象的だった。こういう事は、一方が摩耗するだけだと続かないからね。町内外のこの関係がまだ続くことを願っている。

4603声 いいねor悪いね

2020年11月26日

NIKEのCMが物議を醸しているらしい。その話の前に、僕はこのCMをフェイスブックのシェアで知った。その人は「いいね」という意味で挙げていた。で実際見てみる。かっこいい、と、難しいことを表現しているな、という感想。単純にいえば「いいね」。

 

いつもの癖でコメントまでざっと見たところ、韓国語、英語のコメントが多く、それはどうやら世界的ブランドNIKEだから世界から賞賛の声があがっている・・わけではないらしいことは日本語のコメントでわかる。それでふと動画の評価を見ると、「いいね」の数と競るくらいに「悪いね」の数が多い。おおーと。

 

すぐ見られる動画を言葉で説明するのはナンセンスなのでまず見てほしい。そして「悪いね」が票を集める原因は、ざっくり調べたところ海外の人からの「悪いね」の理由は「日本人は差別的な人間だ」。そして日本人からの「悪いね」の理由は「日本人が差別的な人間だと見られるCMを作るんじゃない」ということが主なようだ。簡単な話ではない。

 

その是非についてここで書くつもりはないが、人は時に「いいね」と「悪いね」を判断せざるを得ない時がある。大学を取材していて今の若い人はディベートやアクティブラーニングなどでそもそも「反対の意見に身をおくこと」「自分だけで決めずに相手との対話で答えを探る」ということを意識的に行っている。それはとても良いことだと思う。

 

スパゲティを無駄に茹でてみました〜、みたいな動画は論外だが、深い意味があるのであれば「悪いね」が多いものに対しても、興味を失わないでいたい。

 

4602声 めっかったorめっからない

2020年11月25日

このめっかった群馬というサイトは、そもそもは当時群馬在住であった堀澤氏と抜井氏が、群馬のこんな場所や店を見つけましたとログしていくサイトであった。ということを僕はよく忘れる。そんないい加減な状態でよく今まで書いてきたなと自分でも思う(もう何年前から書かせてもらっているのかも忘れてしまった)。

 

今、めっかった、って言う人あまりいないよね。でもいい言葉だよね。発見というのはいつもドラマチックだよね。そういえば、今は経済番組の司会、という認知しかされていなそうな作家・村上龍氏の代表作「コインロッカーベイビーズ」の最後のセリフは

 

「聞こえるか?僕の、新しい歌だ。」

 

だったね。かっこいいよね。でもそれだけ聞いても意味がわからないよね。支離滅裂な投稿って、一番書いてはいけないことなんだけど、そうそうネタもないので書いてみました。

4601声 はじめての店に入るor入らない

2020年11月24日

群馬原町駅前にタイ料理屋ができた。名前は覚えていない。一見さんは入りにくい簡素な店構え。でも僕はタイ料理好きだし、変な店だったら逆に喜ぶような気質なので(どんな気質だ)ずいっと、ちわーっと入る。中はカウンターもカラオケもあって、なるほどスナックっぽい店でもあるのねと。着席し、タイカレーやトムヤムクンやガパオでは面白くないので、見たことも聞いたこともないらーめんを頼んでみた。可もなく不可もなく。でもお店のお姉さんは優しそうだった。

 

可もなく不可もなくって、一番書きにくいことなんだけど、そうそうネタもないので書いてみました。

4600声 らーめんを歩きながら食べるor食べない

2020年11月23日

深夜近く、仕事がひと段落したので、腹が減っていたことに気づき、あるいて10分くらいだしコンビニまで歩いていこうと思い立つ。ついて、何も考えずにレンジでチンをするらーめんを買う(セブンイレブンのこのシリーズは、どれも美味い)。会社にレンジはないのでレジでチンしてもらい、外に出てからでも帰ってからだと麺がのびるよなとその場で食べることにする。が、もう11月の深夜近くである、寒い。ので、歩きながららーめんを食べる。悪くなかった。いやむしろ、普通に食べるより美味しいんじゃないか、この経験は。

4599声 青春or青春でない

2020年11月22日

会社のある東吾妻町の中学校から「このコロナ禍なので例年と違う文化祭を行う、それはつまり父兄の参加を一切なくして、踊りや合唱を映像に収めてそのDVDを配布したい。撮影をお願いできるか?」という依頼があった。それは人肌脱がねばなるまいと引き受けた。

 

僕自身、映画学校に入るずっと前に、なぜ「創作」に興味を持ったかと聞かれれば、「中学校の文化祭の演劇発表で、うちのクラスは既存のものではないものを作ろうという話になって、僕が中心となってその劇のシナリオを作ったから」と答える。それは当時はやっていた映画をパクったような幼稚な劇ではあったが、僕にとってはとても大切な出来事だった。

 

2020年の中学生たちはすごかった。僕らの時代と明らかに違うのは、学校のカリキュラムに(多分)ダンスが加わるようになっている事なのだが、それを地元でダンスを教える(かつ、プロミュージシャンのバックダンサーでもある)ZEROSENが教えていた。ダンスが苦手な子も多いだろうに、大勢で動きを合わせキレッキレに踊る姿には素直に感動した。そこには明らかに、コロナであってもなくすことはできない、青春があった。

 

ちなみに、何の説得力もないが、僕は今だに「青春だな」と思える瞬間が年に1回くらいはある。それは幸せなことだ。

4598声 体が丈夫or丈夫ではない

2020年11月21日

11月は本当に地べたを這うような生活だったが、体調を崩すことはほぼなかった。それは「ここで崩したら締め切りに間に合わない」というような危機感もあったと思うが、ひとつには「マスクや手消毒をしていたから」というものもある気がするのは2020年らしさというものだろう。

 

それに加えるようにして、僕はたぶんそこそこ体が丈夫である。年が年なのでできればやりたくないが、睡眠不足が続いても生活や仕事はできる。風邪も2年に一度ひくかひかないかで、今のところ心臓の心配をのぞいて(それ一番大事なとこ!)怪我や入院をしたこともない。心臓というのはまあ、数年前に医者から動脈に脂肪がたまっていますな、と指摘をされたのだが・・それはここでは言及せずに。

 

よくある話だが「こういうある程度丈夫な体に産んでくれた母親に感謝する」という気持ちがいつ頃からか芽生えるにようになった。世の中には、年齢に関係なく、やりたいことはあっても体がいうことを効かないのでできない、という人も大勢いる。

 

まあでもその過信が本当に過信だったと気づくのが今の年齢時期だよね。はい、生活を正します!(説得力ゼロ)

4597声 電話をすぐかけるorかけない

2020年11月20日

仕事のできる人の条件は色々あると思うが、真似しようと思ったのは「かけるべき電話はすぐかける」である。あの人にこれを確認せねばならない、でもちょっと面倒だな、などと思った時にそれを先延ばしにしてもいい事はない。例えば、あるちょっと面倒なお願いをしに行った時に、仕事のできるその人はその場で電話をしアポをとってくれた。仕事ができる人は、すぐやる人なのだなと思った。

 

・・が。2020年の今になると、むしろ電話は相手の都合を考えずに一方的にすることが主なので迷惑という考えも出てきた。LINEやメールであれば、相手は都合の良い時に読めるではないかと。それも確かに一理あって、今僕は電話がかかってくるとまずドキっとするし(あまり電話来ないんだよね)、LINEなどで文字で残してもらった方が後での数字や日時の振り返りも容易。僕もよっぽどの時以外は電話では連絡をしなくなった。

 

すぐに電話をかけるのは、仕事ができない人。などという意識もあるのだろうか。仕事のできる大人に、僕はなりたい・・とはあまり思わない(何それ

4596声 携帯のマップアプリを頼るor頼らない

2020年11月19日

自車にはナビがついているのだが、会社の車でスマホのナビしか使えないから・・というかスマホばかりいじっているから、どこかへ行く時もスマホのマップアプリを使うことが常になってしまった。

 

これ、多くの人から聞く話だが、スマホのマップアプリは道の広い狭いとかじゃなくて近道かどうかで指示を出してくるので、けっこう頻繁に「こんな細い道、マイナーな道行く?」という状況になる。それが嫌な人はきちんとしたナビを使うのだろうが・・

 

僕などはそれを楽しんだりもしている。「ほうほうほう、スマホさんよ、この道を俺に行かせるか、おうおう、行ってやろうじゃないか」みたいな一人ごとを呟きながら。ただ、今までに3回くらい「到着しました」と言われた場所が目的地と全然違うということがあった。それはさすがに(仕事の集合場所だったりしたから)スマホ相手にキレそうになった。

 

これも良く言われることだけど、スマホがない時代はどんな場所移動を、あるいは待ち合わせをしていたのか、忘れかけている。それはそれで悪くなかった、という気持ちだけは忘れていないのだけれど。

4595声 踊るor踊らない

2020年11月18日

今年になって前橋文学館の映像仕事を引き受けさせていただくことになった。魅力的な場所だと思ってはいたが、文学館の看板ともいうべき萩原朔太郎はなかなか読みが進まなかったし、同じ前橋のアーツ前橋の文学館との共同企画の撮影で足を運んだことはあったが、それ以外には1度2度行ったかどうかという場所だった。

 

が、やはり仕事で行って記録をするから、という理由が大きいとは思うが、実に魅力的な取り組みをしている場所なのだと知った。僕が関わってからも詩人の和合亮一氏、映像作家の安藤紘平氏、作詞家であり詩人であった佐藤惣之助氏、そして現在展示がされている絵描きの田村セツコ氏、朔太郎の娘であり作家・ダンサーでもあった萩原葉子氏とさまざまな表現者たちを紹介し続けている。

 

現在、1階では「なぜ踊らないのー生誕100年記念 萩原葉子展」に合わせて、太田市在住の演出家・加藤真史さんが葉子さんの手記を題材とした創作劇「わたしはまだ踊らない」の映像が上映されている。その撮影を担当した。劇の撮影はこれまで機会がなく、文学館の仕事がはじまってから撮るようになった気がするが、実に面白い。

 

劇では、偉大な詩人の娘として比較され肩身の狭い思いをしてきた葉子が、作家として自立していくそのきっかけと葛藤が描かれている。「これからも亡き父(朔太郎)のことを書き続けるべきだ」と諭す文化人の言葉を遮るように、葉子は「わたしは自分が書きたいものを書く」と言い放つシーンがある。すこぶるカッコ良い。

 

踊る、という言葉が展示に、この劇に使われているのは葉子さんが後に身体表現も行うようになったからなのだが、実際の踊るという行為を指す以外に「無我夢中になってやる」という言葉の代わりとして「踊る」が使われることがあるように思う。その言い回しもとても格好が良い。

 

あなたは、なぜ踊らないの?

4594声 濃厚or濃厚ではない

2020年11月17日

今のコンビニエンスを見てごらん。カップラーメンの多くには「濃厚」という文字が踊っている。濃厚ってのはさ、体に悪そうだよね。僕も40歳になりさすがに「着丼から10分経つとスープが凝固する」ような超濃厚とんこつラーメンを食べようとは思わなくなったよ。カップラーメンも数年前に比べれば全然と言っていいほど食べなくなったさ。でもね、目が止まってしまうんだな、その「濃厚」という一言に。

 

それはあるいは、「まだ若い」ということなのかもしれないね。

4593声 桜木町で人を探すor探さない

2020年11月16日

日本画家の谷保玲奈さんの展示は、横浜の三溪園のお堂で行われた。巨大な日本画と共に飾られる映像の撮影・編集を担当した僕は展示の設置も行った。自前のモニターやプロジェクターを設置し、その日のうちには納得のいくかたちにできなくて、翌日は空いていたので近場に泊まることにした。

 

谷保さんに勧めてもらったホテルはJR桜木町駅にくっついたJRのホテルだった。go toで3000円くらい安くなっていたかな、めちゃくちゃおしゃれなホテルでひいた。カーテンを開けると、窓が大きくて・・大きいというか床のギリギリまで窓になっている。眼下に見える道路は深夜の時間であったが(コロナの今であるが)タクシーが走っていて、ああここは都会なんだなと思った(単純)。

 

中之条町で撮影され、のちに映画祭ができるまでになったきっかけには、山崎まさよしさん主演の『月とキャベツ』という映画の存在がある。その映画を見たことのない人でも、主題歌である「One more time, One more chance」という歌は聞いたことがあると思っていて、その中に「いつでも探しているよ どっかに君の姿を 明け方のまち 桜木町で こんなとこにいるはずもないのに」的な歌詞がある。本人も映画祭で何度か来ていただいているがそういえば「なんで桜木町なんですか?」と聞いたことはない。まあ、聞いたところで意味はないと思うが。

 

男はたぶんいつまでも、過去知った女性の姿をどこかに探している。気がする。いま何してるかなーと気になる女性なら5人くらいいるが(多い?)、むろん、桜木町にはいそうもない。

4592声 地元に帰るor帰らない

2020年11月15日

映画学校を出て、一応テレビのゴールデン番組も作る制作会社に入った。けれどあまりの多忙さに口実をでっちあげて逃げるように辞めた。それで、簡略化するとぼんやりとしたまま地元に返ってきた。逃げてきたのだ、僕はまたあそこに戻るのだとも思っていた。けれどずるずると地元にいて、映画学校の同期に会うことさえ「今の自分を見せたくない」と消極的な気持ちを持ち続けた。

 

映画祭の実行委員長をしていて「しかもこの町の出身なんです」というと大概「それはいいね、すごいね」という返事が返ってくる。ただ、映画祭は第一回開催時は僕はただの観客の1人だったし、実行委員長も長いあいだスタッフをやっていて、映画が好きだから、というような成り行きであることも確かだ。けれど、最近映画祭のやりがいもそうだし、映像が仕事の主軸になったこともあって

 

地元に帰ったことを後悔しなくなった。

 

むしろ、母校に行って「地方に行っても映像は必要とされるぞ」と講演したい気分である(おいおい)。それは冗談として、これから僕がやるべきなのはそのように「地元に帰ったけど、むしろ良かった」と思える人を増やすことなのかもしれないと思っている。それには、仕事をつくるとか、色々ハードルはあるのだけれど、僕が何をする以前に、今中之条町は魅力的なことをはじめる移住者も多く、大きな変化の時にある。先輩面をするのではなく、何ができるのだろうか。

4591声 頭を下げるor下げない

2020年11月14日

20周年を迎えた伊参スタジオ映画祭実行委員会で、初のクラウドファンディングに挑戦した(すでに終了)。その内容は、2003年から行っているシナリオ大賞(全国から映画シナリオを公募し映画化させる試み)の過去作品34作品を、1冊のシナリオ本にする、というものだ。

 

地方の小さな映画祭の挑戦だし、映画のシナリオ本というのはとても珍しい部類に入りはするが、僕が関わる以前から20年続いてきた映画祭だし、ファンディングを始めたことは新聞にも載ったし、ある程度集まると油断をしていたことは事実。残り2週間をきって、半分集まっていないという現実が見えてきた。ファンディングの担当者から焦りの電話が入る。

 

映画祭スタッフの役員の一人はすでに、ネットを使ったぼんやりしたお願いだと拉致があかないと、地元企業などに応援をしてもらうお願いに回っていた。足を使って顔を合わせてお願いするその方法は一番効くとは思うが、僕はできる限りこの本に、映画に興味を持ってもらえる人に知ってもらい応援してもらいたいと思った。

 

そこで、忙しさを理由に避けていた「SNSを使って、応援してくれそうな友人知人に一言メッセージを添えて直で連絡する」ということを、出張先の喫茶店で5時間かけておこなった。考えられる人にはほぼほぼ送った。これを読んでくれているであろうあの人にも、実際に応援をしていただいた。本当にありがたい。

 

それが効いたから、というだけではないが希望額を大きく上回る応援額でフィニッシュを迎えることができた。これはこれから完成させるその本の価値を認めていただいたから、だと思っている。よい本を作らねばならない。

 

僕はけっこう簡単に頭を下げてお願いする方だと思う。けれど、なるべくは「相手にとってもそれを聞き入れることがプラスになる」お願いをしたいと思っている。ファンディングでは、そのラインを越えて厚かましくお願いしてしまったとも思う。それも色々返していかないといけない。

4590声 一言いうor言わない

2020年11月13日

常連というほど足を運べていないが、オープンから間もなくて、とても気に入った店がある。フレンチ仕込みのホットサンド(もっと洒落た名前があったが忘れた)を初めて食べた時に「うわ、めっちゃセンス良い」と思い、次の次の来店時に同じものを頼んでみた。

 

一口食べて、体が固まる。肯定的に考えてザワークラフトでも入れたのかなとも思ったが、チーズとは違う発酵の味がする。口に合わない。その瞬間に思ったのは、もしかしたら作り置きのものを焼いているのか・・というまさかの疑問と、先日店の記事も目にしたし、それを見た人がこれを食べてどう思うかなという心配だった。が、友人も一緒だったし店主兼料理人も忙しそうなので口にはしない。そして食べ終えて、そのまま店を出た。

 

友人と別れて、車で出る。しばらくして・・その店に戻った。昼の時間は過ぎていたので、もう店主兼料理人だけだった。僕はそこで、「今日食べたやつ、前回とても美味しくて、でも今回味に違和感があった。失礼とは思うけど、応援しているのでわざわざ言いに来ました」と言った。すると彼は嫌な顔ひとつせず「伝えてくれてありがとう!」と言ってくれた。

 

わかったことを話すと、彼は「彼が知るもっと高級でもっととんがったチーズに変えた」だけだった。そうだったのか!でも日本人には合わないのかもね、元に戻すようにするよ、という会話が続いた。それらを終えて、

 

この店にまた来よう。と思った。(まだ行ってないから今月絶対行く!)