日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。現在の担当者は堀澤、岡安、すーさん、抜井です。この4人が月替わりで担当しています。平成30年前半は、5月(堀)6月(抜)7月(岡)8月(す)9月(堀)10月(抜)11月(岡)12月(す)1月(堀)2月(抜)3月(岡)の順です。

27声 浸酔の果てに心酔

2008年01月27日

枕元には、空いたビール瓶がひいふうみい…。

只今、自宅上映作品である日曜洋画劇場・特別企画「男はつらいよ 寅次郎恋やつれ」を観終えコレを書いている。
なぜか若干ニヤケながら書いている。
いや、なぜかなんて回りくどい事は無い。
つまりは、酔っているのである。
ビールに浸酔そして映画に心酔。

えーっと、ビールもう一本残ってたっけなぁ…。

26声 冷めた珈琲と冷たい珈琲

2008年01月26日

年々、市街地から映画館が消えている。
その最大の要因として挙げられるのは、郊外に乱立するシネマコンプレックス人気である。
シネコンと呼ばれこの複合映画館、その多くは大型ショッピングモール内の一テナントとして営業されている。
充実した設備と広々綺麗な館内。
全席指定席の券売システムなので、座席にあぶれる事無く観賞できる。
これに、ショッピングがてら映画鑑賞が出来るとあらば人気の出ない筈が無い。

その上映システムは、基本的に一スクリーンでの上映は一作品で完全入替制。
もちろん市街地の「ナントカ座」みたいな、商店街内にあるチビ映画館の、
動員数不振作品の2・3本立て抱き合わせ上映や、
一度入場すれば複数の作品を連続して観賞できる、気が済むまで観賞制とは一線を画す。

思えば確かに、この気が済むまで観賞制と言うのは観客回転効率が悪い。
座席も指定されていないので、人気作品などは決まって立ち見が出る。
それはまさに、市井の人々の映画熱を象徴している様で、
その頃の映画館には、回転効率やら上映環境やらを度返しにした、娯楽を求める人達の混沌とした温度があった。
実際に、あの重たい扉を開けて薄暗い講堂に入ると、そこに蠢く人達から生まれる「モワッ」とした熱気を感じた。

そして、キレイサッパリとしたシネコンからその温度は感じられないのである。
下手ながらに例えてみると、アイス珈琲は冷やされる事によりホット珈琲の持つ豊かな薫りは失ったが、
それと引き換えに、爽やかな涼を得た事に似ている。
真の珈琲好きは、珈琲はホットである事を実と考えるかもしれない。
しかし、注いだ時はホットでも、一旦冷めてしまった珈琲ほど後味の悪いものは無い。
冷めた珈琲と冷たい珈琲。
どちらを取るかと問われれば、それはもちろん…。

25声 いつの間にやら古女房

2008年01月25日

もう完全に逆転してしまった。
気付いてみれば、ここ何年かでTVを見る時間とPCを見る時間が逆転してしまったのだ。

私の部屋では、「アイワ製14インチ型ブラウン管テレビデオ」を使っている。
もう、私の所に来てから10年程経っている古女房である。
つい先程、ふと思い立ち、昔録画したVHSを観ようとビデオテープをテレビ本体へ入れると、
何やら不気味な機械音をキリキリを立てて受け付けてくれない。
何度やっても駄目である。
これは弱ったと思い、
「お願いだからさ、そうへそを曲げないでおくれよ」
と、猫なで声でお願いしても効果なし。
「ムスッ」とした態度を断固として変えようとしない。
遂には私も頭にきて、「パチン」と右スピーカーにビンタ一発。
「この分からず屋め!ずっとそうしてなさい」
埃のたまったモニターを真っ直ぐ見ながら言い放ってやった。

私は「プイッ」と踵を返して、反対側にあるPCの電源を入れた。
PCは嫌な顔一つせずに「ササッ」とOSを起動させ、
「DVDを観賞します?インターネットにします?それとも…」
とやさしく私を迎えてくれた。
「そうだなぁ…」と、私が答えようとした瞬間、背中に刺さるような殺気が伝わった。
恐る恐る振り返ると、
仁王立ちしている古女房のブラウン管モニターに、私達の姿が映っていたのだった。

24声 挨拶無垢

2008年01月24日

私が保育園の敷地を通ると、向こうから4.5歳位の女の子が駆け寄ってきた。
近くまで来ると、真っ赤なほっぺを揺らしながら、大きな声で「こんにちわ」と元気に挨拶してくれた。
私は少し身体を屈めて、ゆっくりと丸い声で「こんにちわ」と返事をしてあげる。
すると女の子は少しふわっとはにかんで、可愛らしいつむじ風となって行ってしまった。

膝を伸ばしてその後ろ姿を見ながら、
「私はいつの頃から、あんな風に気持ちの良い挨拶が出来なくなってしまったんだろう」
とぼんやりと考える。
無意識に小さなため息を一つついた事に気付き、鼻を一回啜ってからまた歩き出したのだった。

23声 幻の「じんころ」 後編

2008年01月23日

一口食べてみると、コロッケなのに中面のポテト部分はモチモチ食感。
断面を覗くと、ポテトに青海苔が練り込んである。
ジャガイモをすり潰して、青海苔やら何やら混ぜてから揚げるのか、その製法に疑問が残る。
そして味付けはやはり、全体的ソース潜らせ型らしい。
その風貌や佇まいが醸し出すアヤシイ雰囲気や風味が、何処となく駄菓子を連想させた。
幼少時分より駄菓子などで培われた私の粗野な味覚は、
その様な懐古的な味わいを感じていたのだった。

とまぁ、味の感想ぐらいでついつい大袈裟な表現になってしまった。
己の野暮ったさには、書いていてつくづく閉口してしまう。

その製法に代表される様に、謎が多い分あまり断定的な事は言えないが、
この「じんころ」が伊勢崎市民土着食物である事は間違いない。
私の周りにいる伊勢崎市民氏からは、「えっ高崎なのにじんころ知らないんですか」と驚かれてしまった。
ここは断言するが、知っているわきゃーないよ。
鼻水を垂らした小僧から、杖を突いたお年寄りまで、
伊勢崎中心市街地人はみんな「じんころ」もとい「神コロ」を知っているらしい。
たしかに、おやつとしても酒のつまみとしてもイケそうだ。
現に、私が呑んでいるオンザロックの焼酎とも相性が良い。

「懐かしくなる味」と言うのは、この様ないつまでも変わらぬ手作りの味の食物なのだろう。
とりわけ「おふくろの味」なんて言われている食物である。
それらは、作り手の手から魂の成分が染み込み、食事で摂取する事により、
食べた人の血の中に魂の成分が溶け込むのだろう。
血液に流れるその成分こそが、度々味を懐かしがるのである。
と、私は信じて疑わない。

今、ここまで書き進めてきて思ったのだが、
この「神コロ」現在は伊勢崎市のどこに売っているのか聞きそびれてしまったなぁ。

22声 幻の「じんころ」 前編

2008年01月22日

先日の新年会での事。
いよいよ陽も傾いてきて、そろそろ酒でもと言う様な雰囲気。
皆での乾杯を待たずに、フライングしてビールを飲んでいる私。
テーブルの上に並んだつまみを迷い箸していると、何やら怪しげな物体があるではないか。
いや、食べ物を「物体」なんて呼んではバチが当たりそうだが、それにしても奇妙な姿形をしている。
コロッケを平べったくしてソースの中に潜らせた様な、薄黒いその揚げ物。

疑問に思った私は、隣に座っていた人に尋ねた。
「なんですかねぇ、コレ」
「なんでしょうかねぇ、コロッケみたいですけどねぇ」
瞬間、ハテナマークが出ている私達に割って入って来た威勢の良い声。
「じんころだよ、それ」
すると、周りの人も口を揃えて、
「じんころ、じんころ!」
「懐かしいねぇ〜そう言えばじんころのおじいちゃんとおばあちゃんは…」
なんて具合に、話の花が「じんころ」の一声で一斉に開花した。
良く見てみると、その誰もが伊勢崎出身者。

話を総括すると、どうやらこの「じんころ」と言う食べ物の正式名称は「神社コロッケ」。
隣の人はてっきり生姜のコロッケ、つまり「ジンジャーコロッケ」だと思っていたらしい。
むか〜しむかし、群馬県伊勢崎市におじいさんとおばあさんがいました。
と、日本昔話調で遊んでいる場合でいるから、文章がモタついてしまう。
そのおじいさんとおばあさんが、
伊勢崎神社周辺でリヤカーを引きながら販売していたのがこの「神社コロッケ」なのだ。
それもだいぶ前の話で、現在はリヤカー販売はされおらず、製法を受け継いだ店舗のみの販売らしい。
まさしく、昭和ノスタルジー感がビンビン伝わって来る「地コロッケ」。
もちろん私が住んでいる高崎市では、今まで見た事も聞いた事も無い。
どうりで、普通に「じんころ」なんて言われても、知っている筈が無かったのである。
なんだか、都市伝説を聞かされている様な気もする。
いや、その当時の神社コロッケは、もはや都市伝説化しつつある幻のコロッケなのだろう。

明日に向って続く

21声 ダザイ君は戻らない

2008年01月21日

「あーーーどーーーしょ」
と、一日中迷っていた。
先日或る所に本を忘れたので、本日取りに行こうかどうか迷っていたのである。
問題はその忘れた場所にあって、実はネットカフェに本を忘れてしまったのだ。
少し前までは「マンガ喫茶」なんて言われていた、この「ネットカフェ」。
もちろん店内にはマンガ本が豊富にあるのだが、その日は本を持参して行った。
金を払って行っているのに、インターネットもマンガ本も読まずに、持参した本を読み耽っている。
途轍もなく無駄な出費と思われるだろう、当然「だったら家で読め!」とつっこまれるだろう。
「イーんだイーんだ」、金を払って束縛してもらっているのであるから。
「金を払って束縛してもらう」なんて書くと、いささかマズイ印象になってくるが、あくまで「時間を」ね。

ここで、時間を束縛される事によってもたらされる安心感方面に文脈を掘り進めて行くと、
朝になってしまいそうなので話を戻す。

さて、ネットカフェに忘れた本であるが、運が悪い事にその日持って言ったのは「太宰治」である。
しかも全集。
「全集」ってのは図書館なんかによく全巻セットで置いてある、
背表紙が『日本の文学全集第六集「太宰治」』と言った具合の分厚いハードカバーの本。
相当昔、古本屋の105円コーナーで見つけて購入した。
「ネットカフェで持参した太宰治全集を読んでいる男性」
改めてこう書くと、いささか気味が悪い。
そして、果てし無く暗い。
「おい大丈夫か!」と問いたくなる。
私が問いたくなる位だから、忘れ物の本を発見した店員さんは、
「大丈夫か!」を通り越して「駄目だな…」と思っているに違いない。

もし取りに言ったら、「ほら、ダザイの人キタヨ、ほらあのゼンシュウのさ」なんて、ヒソヒソ言われるに違いない。
そうだ、やっぱり取りに行くのは止めよう。
すまないダザイ君。
いやしかし、それが一体何だって言うんだ。
良いじゃないか、ダザイ読んだって。
そうだそうだ…。
いやいや、やっぱ止めとこ。

20声 流れ着いた朝

2008年01月20日

気付けば一夜明けて朝。
もう昼に片足を突っ込んでいる朝。
深夜のカラオケの歌声が、耳の奥の方に微かに残っている。
寝る間際に食べたカップラーメンの方は、確実に胃に残っている様である。
そして、寝起現在位置はほのじ。
寝ていた部屋を出ると、主は厨房で格闘中。
それもそのはず、今日は日曜ランチの営業日なのである。
客間の方、テーブルに載っていた昨夜の残骸などがキレイさっぱり片付いている。
厨房に置いてある空になった無数の酒瓶。
その生々しさにいささか驚く。
「波打ち際で来た道を振り返った時、そこにはもう自分の足跡が波にさらわれて消えている」
昨夜の喧騒がまるで夢だったかの様にキレイに片付いている客間を眺めていると、その様な映像を連想させる。
なんて、大袈裟な比喩表現を使って小生意気な文章を書いているが、私がグータラなだけ。
唯、酒と言う波にさらわれ溺れ漂い、流れ着いただけ。
もちろんここは波打ち際ではないので、ちゃんと掃除をしてくれた人がいるのである。
帰り際に食った駅の立ち食いうどんが、昨日から酷使してきた胃袋に沁みる。

19声 寄り合いしま商家

2008年01月19日

今日は第三土曜日。
ほのじの「寄り合いの日」である。
「寄らば大樹の陰」という言葉があるが、
おそらく大樹がめっかんなかった人達の集まる、この寄り合い。
伊勢崎駅から早足で2.3分。
設計工房「福」と和のカルチャースクール「ほのじ」が入っている、
築120年の古い商家で毎月第三土曜日に行われているこの寄り合い。
考えてみれば、「福」と「ほのじ」自体が既に寄り合っているのである。
「寄り合い商家で寄り合いましょうか」
ってな具合。
この瞬間、「はいはい」と冷たい視線に変わった方々。
「おやじギャグの持つ、笑いの原子的パワーに関する考察」
というタイトルで、四百字詰め原稿用紙13枚に亘って書いた、
私のレポートを是非提出させて頂きたい。

18声 鼻頭寒中

2008年01月18日

寒中お見舞い申し上げます。
厳寒の折、皆様元気でお過ごしでしょうか。
今年の冬はいつになく厳しい寒さが続いております。
街では、「はにわスタイル」の女子中高生達を見かける事も多くなりました。
制服のスカート下にジャージを着用し、その姿が出土した武人埴輪に似ている事から、
いつしか「はにわスタイル」と呼ばれる様になったこの着こなし。
埴輪が多く出土している群馬県特有の呼び方なのだろうと思っておりましたが、
どうやら全国区な呼称らしいです。
ならば、シャツなどの袖を背中の方から回してへその下辺りで縛る、
あの「上着腰巻スタイル」は、何に例えられるのでしょうか。
呆然としばしその様なくだらない事を考えていると、鼻の頭が冷た〜くなってきました。
くれぐれも、お身体を大切にお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。

17声 朝の駆け引き

2008年01月17日

私は現在、車通勤者である。
毎朝、車を運転して会社ないしは目的地まで通勤する。

私が朝出勤する時間と言うのが、ちょうど通勤ラッシュ時間とぶつかり、
自宅脇の道から国道へ出る時には、びっちり渋滞している。
したがって、国道へ左折するのにはいつも苦労するのである。

そして、あのクソ女にはいつも辟易させられるんだチクショウまったく!
と、綺麗に穏かに書き進めて来たつもりだが、突発的に取り乱してしまった。
もうこうなったら乱そうではないか。

まぁ、通勤と言うのは大半の方がそうである様に、毎朝決まった時間に家を出る。
なので、道に出て渋滞している車中の運転手の顔ぶれと言うのは、毎朝おのずと決まってくる。
その中に、「ファンデーションのクソ女」と言うモノがいるのである。

信号が無い交差点であるから、車間距離が開いている所を見計らい、
素早く左折して本線へ入らなければならない。
しかし、朝はみんな寝ぼけ眼を血走らせつつ急いでいるので、なかなか出られない。
「よし、開いたな!」と思い、左折しようと本線にいる車に眼をやると、ヤツである。
そのクソ女は毎朝、ちょうど私が国道へ左折するタイミングに限って、渋滞の列にいる。
決まって、ファンデーションを顔にパタパタやっているので、車間距離が開きがちになるのである。
こっちは「今のうちだ!」と、車体を少し前へ出した瞬間、
目尻で左折車(私の事)を察知したのか、急発進して車間を詰めるクソ女。
出られない私を尻目に、またパタパタ。
私は努めて冷静に、穏かな口調で「くたばりなさいね」と呟くのであった。

16声 麦酒溺愛者の生殺し

2008年01月16日

待ちに待った風呂上りの一杯。
缶ビール(350ml)を一気に喉の奥に流し込んで、「今日はほんとにすまないことを…」と冷蔵庫の前で低く呟く、
午後十時の冷えた台所であった。

なぜ関西弁なのかは別として、なぜ呟きを発しなければならないのか。
昨日の事、頻繁に昼食を取るパスタ屋に入った。
いつも座っている席に座り、カルボナーラを注文。
待っている間、斜向いの席に来たのは、「PTAでは役員やっていますのよ」と言う様な風体のおばちゃん3人組。
その中の一人がかけている眼鏡の、薄紫のグラデーションがかかったレンズがそれを象徴していた。

ココまでは良かった。
問題はその後。
そのおばちゃん3人組、真っ先に注文したのが「生2つ」。
その言葉に思わず耳が「ピクリ」と反応し、「やりやがったな」と言う言葉が脳裏にこだました。
程なく、私が注文したカルボナーラより先に、おばちゃん3人組のテーブルに生ビールが運ばれ、
「かんぱ〜い」している。
それからそのおばちゃん3人組、ちょこっとビールの上澄みの泡を飲んだかと思えば、
堰を切った様に、ビールはお構い無しで雪崩式にしゃべることしゃべること。
私は食事の間中、ほったらかしのビールが気になってしょうがなかった。
みるみる泡が減って、気が抜けて、ぬるくなって行くビールを生唾を飲み込みながら眺めていた。

「オバタリアン達よ!まぁグイッと飲みなさい!」
私はあえて死語を交えて、力強く言った。
姿を夢想した。
食べ終えて席を立とうとした時、おばちゃん3人組はやっとこパスタを注文していた。
悲しい事に、ビールはそのままだった。
「ありゃ残すな」と思った。
愛しの生ビールを見殺しに、店を出たのであった。

15声 触覚

2008年01月15日

昨日、ゴキブリを見た。
昼に入ったうどん屋のカウンター席での事。
天ぷらうどんを独りで黙々と啜っていると、しょうゆ卓上瓶の裏でじっと隠れているゴキブリを発見。
体長約5cmぐらいで、瓶からはみ出している2本の触覚だけを、怪しくヌラヌラと動かせていた。

「ゴキブリは触覚が長い」と言う、鮮烈な印象を受けた事がある。
それは、私がまだ小学5年だった頃。
夏休み真っ只中のその日、私は近所に住む「ゴッチー」とカブトムシを取りに行った。
ゴッチーは私の一つ下の学年で、いかにも野生児と言う言葉が良く似合うガキだった。
早朝から、近所の「さくらやま」と呼ばれている小さな雑木林に出かけた。

カブトムシやクワガタが良くいる木と言うのは、どこでも大体決まっていて、
さくらやまでは、中心部にある一番大きなクヌギの古木がそれだった。
一目散にその古木まで来ると、二人で幹をなめ回す様に見たり、助走を付けて思いっきり何度も蹴ってみた。
しかし、その日は一向に捕れなかった。
あきらめかけたその時、私は覗いた穴の奥に微かに蠢いた、黒い物体を見逃さなかった。
「おい!ゴッチーいたぞ!」
興奮は一気に沸点に到達し、私は喚きつつ、一心不乱に枝を突っ込んで掻き出す作業に取り掛かった。
幹に開いた穴や、朽ちた木の中にいるのは決まってクワガタだった。
「ゴッチー代われ!もうちょっとだ!」
私は一つ年が上であるから、最初のクワガタはゴッチーに譲ろうと思い、最後の最後で代わってあげた。
「よし!触覚つかんだ!」
と、ゴッチーが力強く咆哮した次の瞬間。
「クワガタにつかめるだけの触覚なんてあったっけ」などど考える間も無く、
眼に飛び込んで来たのは、ゴッチーにその長ーい触覚をつかまれてぶら下がっている特大ゴキブリの姿だった。

それから、どんな風にしてさくらやまから帰って来たかのか、今となっては記憶もおぼろげだ。
ただ、二人の、特にゴッチーの猟奇的な叫び声が森全体に響き渡った事は覚えている。

「ズーーッ、ゴッホァ!」っと、一つ飛ばした席に座っているオヤジのうどんにむせる声で、思い出から我に返った。
ふと、しょうゆ卓上瓶に眼をやると、ゴキブリはもういなかった。

14声 血だらけのせーじん

2008年01月14日

本日は「成人の日」である。
おそらく街の居酒屋チェーンでは、新成人の方々が「せーじんだかんな」と喚きつつ、
生ビールをがむしゃらに飲んでいる。
そして、ビールと同じ様な色をした髪の毛の青年は、くわえたマイルドセブンで狼煙をあげ、
「せーじんだかんな」と高らかに宣言。
やがて、すっかりマイルドセブンの様な顔色になった青年は、便器に顔をうずめつつ、
「せーじんだかんな」と弱弱しくつぶやくのであった。
なんて言う具合であろう。

まぁ良いではないか。
と思う。
便器にゲロを吐いている事だし。
特にこの時期、居酒屋の便所で良く目にするのが、洗面台やら小便器やらにゲロを吐く輩がいて…。
思い出したら、なんだか気分が悪くなって来た。

ゲロ話は止めて、私が数年前の成人の日に飲んだビールの話。
その日の夜、仲間数人と、お決まりのコースである大型居酒屋チェーンに入り、生ビールを注文。
すると、出てきたビールジョッキがキンキンに凍っているではないか。
全体的に白く粉が吹いている様な、氷細工のグラスと見間違うぐらいに。
しかし一刻も早くビールが飲みたかったので、あまり気にかけずに冷たい取っ手を掴んで乾杯。
「ウグッウグッ」っと喉を鳴らすと、何かおかしい。
良く見てみるとビールを見てみると、半分凍ってシャーベット状になっているではないか。
慌ててジョッキを口から放すと、「ベリッ」っと唇が引っ張られる様な感触。
触ってみると手には血が付く。
そうなのだ、キンキンに冷えたジョッキである為、唇がへばり付いてしまったのだ。

まったく、その日はそれでも生ビールを飲み続け、口の周りを血だらけにしながら、
私もやっぱり「せーじんだかんな」と、喧騒の居酒屋で喚いていたのであった。

13声 おぼろ豆腐だよ脳みそは

2008年01月13日

やってしまった。
本日、今年最初の大掛かりな失敗をしてしまった。
まったく、自分の間抜けさにあきれ返りながら、脳みそが入っているか確かめる為、
頭をノックしつつ書いている。

本日午後1時20分、私は慌てて家を出た。
車を走らせる行き先は伊勢崎市に在る、和のカルチャースクール「ほのじ」。
「少し遅れてしまったなぁ」と思いつつ、午後2時15分には到着。
駐車場に車を止めると、なにやら様子がおかしい。
駐車場内の車が少ないのだ。
「どこか別の場所に臨時駐車場でも作ったのかな」と思いつつ、ほのじの中へ入る。
しかし、これまたどうも様子がおかしい。
ほのじの中は、見慣れないセンスの良い和風な内装で、テーブルが並んでいるではないか。
その中央の席に、ほのじの主と着物を着た女性が座っており、なにやら料理を食べつつ、
「ゴボウがちょっとカタかったですね」などど言っている。

これはいよいよおかしい。
私は意を決して、力強い口調で主へ尋ねた。
「あの〜、今日って〜着物で映画会&新年会じゃなかったんじゃ〜」
するとあっさり、「あっ、来週だよソレ」「今日はランチの初営業日」

なるほど、おかしいのは自分の記憶中枢であった。
どこでどう間違えたのか、本日1月13日の「ほのじランチ営業開始日」と、
来週1月19日の「着物で映画会&新年会」の記憶を取り違えて来てしまったようである。
まったく、自分の脳みそがおぼろ豆腐みたになっていないか心配である。
自戒の念を込め、今ココに自らの馬鹿行動の顛末を記す。

12声 ナメクジ人間の弁解

2008年01月12日

今日は土曜日、朝から冷たい雨がシトシト降っている。
こう言う日は、外へも行かずに家の中でジメジメとナメクジ化してしまう。
せっかく家にいるのだから、この「めっかった群馬」に載せる文章でも書けば良いのだが、
中々そう都合の良いようにはならないのが、ナメクジ人間の悲しい性なのである。
では何をやっているのかと言えば、ストーブにあたりながらコーヒーを飲んでいる。
日が傾いてきたら、コーヒーがビールになる。
やがて、ネル。

どうにもヨロシクナイ。
現状において一番ヨロシクナイのは、この様なナメクジ文章を「鶴のひとこえ」などと言う名の下、
世間の方々(と言っても極々一部ではあるが)の目に付く場所に載せると言う事ではなかろうか。

そもそも、この「鶴のひとこえ」。
ことわざとして聞いた事はあるが、正確にはどういった意味であるのかと思い、辞書をめくってみた。

【つるの一声】
おおぜいでいろいろ議論してもきまらなかったことを、ひとこえできめてしまう、
えらい人の発言。  〜三省堂 例解新国語辞典〜

なんだか、己に塩を振りかけたい気分である。

あっ!それと、なんて言うおおよそえらい人の発言とは思えないルーズな文体だが、
「言っておかねば」と思っていた事を唐突に思い出した。
この「鶴のひとこえ」でたまに、前編後編などと非常にコザカシイ二部構成にする事がある。
しかしそれは、一回の更新で掲載できる最大文字数が1.000文字までとシステムの構造上決まっているらしく、
一回では載せ切れない為なのである。
決して、更新引き伸ばしの常套手段では無い。
これは一体、誰に向けた弁解なのか。
定かでは無いが「これでいいのだ!」。
と、最後だけでも「鶴のひとこえ」っぽくしめようではないか。

11声 黄昏の喫茶店空間

2008年01月11日

「モーニングセット」と言う画期的なシステム。
そして、「モーニング習慣」を楽しむ優雅な人達や、
その背中から「ドラマ」を感じる人達などなど、喫茶店における魅力的な点を数多く発見。
「ナニか」起こりそうな気配漂う、妙に黄昏ていて不思議な雰囲気の喫茶店空間。
そこはあくまで、「CAFE」でなく「喫茶店」でなくてはならないのだ。
かくいう私も、喫茶店に行ってこの「鶴のひとこえ」を書いてみたらどうだろうか。
さぁ、妄想ジェットコースターが頭の中を駆け回って行く。

いつものカウンター席に座り、おもむろにノートパソコンを広げると、
いつもと変わらぬ微笑みを浮かべながら注文を聞きに来る、えりちゃん(仮名)23歳。
「おはようございます」
「おはよう」
「今日は何になさいますか」
「いつものブレンドを」
「はい、かしこまりました」
「ところで、いつもこうやってノートパソコンを広げて、
一体どんなモノを書いてらっしゃるんですか」
「あー、これかい」
「これはね、『めっかった群馬』と言うサイトにあるコンテンツで、
『日刊鶴のひとこえ』と言うモノなんだ」
「そんなくだらないモノだったら家帰って書きなさいよ、このとうへんぼく!」

えりちゃん(仮名)23歳の逆上する顔が目に浮かぶので、
喫茶店で優雅に、この「鶴のひとこえ」を書くのは止めておいたほうが良さそうだ。
良く考えたら、ノートパソコン持ってないし。

10声 憧れの喫茶店空間

2008年01月10日

仕事などの打ち合わせで、極々たまに喫茶店を利用する。
今日がその、極々たまにだった日であった。
木曜日の朝10時である。
店内で打ち合わせをしていると、驚いた点が二つあった。

まず一つ目は、「モーニングフリー」と言うその店舗独自のシステムである。
これは、珈琲(ドリンク)を一杯注文すれば、モーニングタイムの午前11時まで、
無料でパンとゆで卵がいくらでも食べられると言うシステム。
「11時ギリギリに来て食べれば昼食が浮くなぁ」
などと、即座に貧相な思考回路が働いてしまった。

そして二つ目、「モーニング習慣」な人達の存在である。
カウンター横の席で打ち合わせをしていると、
60年配と見受けられる、ハンチングを被った初老の男性が一人入って来た。
カウンターの席に腰掛けたその男性に、席を一つ飛ばした左隣に座っている、
これまた初老でタートルネックを着た男性が声をかけた。
「おはようございます」
「今朝は随分暖かかったですねぇ」
など、二人で世間話を始めたのである。
するとすぐに、カウンター内の黒エプロンを着けたマスターらしき男性が、
ハンチング氏に「本日はいかがいたしましょう」と低い声で言った。
そこでハンチング氏、「いつもの」とこれまた低い声で言ったのであった。

そうなのだ、このハンチング氏とタートル氏は間違い無く、
この喫茶店での「モーニング」が「習慣化」している人達なのだ。
なんと優雅な生活。
店内よく見渡せば、スーツを着たサラリーマン風の人は意外と少ない。
顔を寄せてヒソヒソ話をしている30代後半風、素性がしれないあやしげ男女。
店内の奥で背中を丸めてノートパソコンに噛り付いている、清潔感のない若い男。
地方都市版セレブ妻と言ったいでたちの、生活臭が感じられない奥様三人組。
意外と様々な人達がいる中、モーニング珈琲を飲みながら小説を読んでいる、
正統派優雅生活を送っていらっしゃる方もいて、羨ましい限りである。

私もいっその事、休日などはこの「鶴のひとこえ」を喫茶店で書いてみようか。
明日はその辺りを検証、いやもとい妄想してみよう。