日刊鶴のひとこえ

この鶴のひとこえは、「めっかった群馬」に携わる面々が、日刊(を目指す気持ち)で記事を更新致します。担当者は堀澤、岡安、すーさん、坂口、ぬくいです。この5人が月替わりで担当しています。令和6年度は4月(ぬ)5月(岡)6月(す)7月(堀)8月(坂)9月(ぬ)10月(岡)11月(す)12月(堀)1月(坂)2月(ぬ)3月(岡)の順です。

1748声 利き店

2012年10月18日

「高崎バル」。
まず簡単に説明すると、「バル」てぇのは、立ちのみ酒場を意味するスペイン語で、
近年、「なんとかバル」式に、全国の街でこの「街バル」行われている。
その一環である「高崎バル」へ行って来た。

5枚つづりのチケットを購入して、スタート。
私はチケットを持っていなかったので、一緒に行った仲間に着いてゆく。
この機会でなければ、まず扉を開けないような店。
私の場合で例えれば、勘定が高くつくそうな店などにも、安心して入れる。
そして、チケット1枚分の料理を食べ終えたら、気がねなく店を移れる。
この2点がとても快適だった。

どんどんはしご酒をして、「利き酒」ならぬ「利き店」が出来る。
好きな店には、3日間の高崎バル開催期間が終わった後にでも、
ゆっくりと行けばよいのである。
こう言うシステムに則る、と言う飲み方も面白いものであった。

【天候】
曇りのち雨。

1747声 せつない温度

2012年10月17日

日中の晴天が一転して、午後から雨になった。
朝、稲刈りの準備をしていた人たちは、大丈夫だったろうか。
農業のプロなので、素人の心配など無用だろう。
そう言えば、稲刈りが終わった田圃が増えてきて、案山子を見なくなった。
あの案山子たちは時期が終わるとどうなるのだろうかと、ふと思った。
専用のケースや袋に収まって、また来年の実りの時期を待つのだろうか。
それとも、所定の場所に打ち捨てられてしまうのだろうか。

あたたかな案山子を抱いて捨てにゆく  内藤 吐天

そんな事を考えているのは、この句が脳裏をよぎったからかもしれない。

【天候】
午前中は秋晴れ、午後は一転して雨。

1746声 下心

2012年10月16日

今日が締め切りの句稿をいま送信し終え、一息ついている。
考えていたことは大抵うまく運ばぬもので、結局、
作り溜めていた句から見繕って数を揃えた。
せめて今月作った句を出したかったのだが、それも致し方あるまい。

これでゆっくり、句が作れる。
この締め切りに間に合わせる為に詠んだ句もあるが、
そう言うのはいま見返すと、下心がちらついていてボツにした。
「夜寒」、などで寝る前に一句作ってみようかしら。
しかし、作るにしてはちと緊張感が足りない。

【天候】
終日、秋晴れ。

1745声 悪魔

2012年10月15日

月曜の朝から、すこしハードな二日酔いである。
まだ日も暮れ切らぬうちから麦酒に始まり、
ふらつく足で高崎駅から終電に乗り込んだ時も、片手に缶麦酒。
麦酒に始まり麦酒に終わり、
日本酒やハードリカーの類は口にしていないのだが、
二日酔いになってしまった。

おそらく、その要因は間に飲んだ、
「デュベル」と言うベルギービールにあるとふんでいる。
「魔性を秘めた麦酒」、と言われるこの麦酒は、見た目はピルスナーに酷似している。
「ストロング・ゴールデンエール」と言うスタイルに分類され、その見た目に反して、
アルコール度数8.5%が織り成す味は、なるほど、ストロング。
ピルスナーのように喉越しを楽しむ、と言う訳にはいかない。
そんなことをしたら、「デュベル」、英語で「デビル」。
そう、悪魔に憑かれてしまう。
昨日から憑いていた私の悪魔に、
今朝から苦しめられ、正午近くなってやっと出て行ってくれた。

【天候】
終日、秋晴れ。

1744声 コスモスの香り

2012年10月14日

午前中、あまりにも爽やかな朝だったので、近所の古墳へ出かけた。
この前方後円墳は秋季になると、鍵穴の形の周りにコスモスが群生する。
ちょっとした見所になっているので、休日などは見物客で賑わう。

子供と散策に来ている夫婦。
小型犬を散歩させている家族。
ベンチで日に当たっている老夫婦。
寝そべりながら、一眼レフカメラを構えているおやっさん。
そして、ぶつぶつ呟きながら俳句を作っている怪しい男。

ここは旧群馬町と言う地域だが、
まさに私の中の群馬町のイメージに合う、穏やかな景色であった。
風が止んで、コスモスの揺れが止んだ時、ふと。
コスモスの香りがした。

【天候】
朝から秋晴れ、午後より曇り。

1743声 紅葉遊山

2012年10月13日

十月中旬の週末。
すっきりと晴れた秋晴れの一日。
とくれば、吾妻線に乗って吾妻渓谷。
はたまた、わたらせ渓谷鉄道に乗って高津戸峡など。
紅葉遊山に行きたい心を掻き立てられる。

しかしながら体調もいまいち芳しくからぬし、
来週が締め切りの俳句も出来ていないし。
そんな調子で何かと理由を付けて、いま、机の前にいる。
俳句などは文章で無いので、作り溜めているものを出せばよいのだが、
多くの人の目が触れる場所には、新鮮なものを出したいと言う気持もある。
逆に、狭い、例えば何か雑誌の企画とか、賞とか、
熟達した俳人の目に触れる場合は、熟成させた句を出したい。

そんな事を考えていて、いつしか日暮て、また、何やらおさまらぬ気持がでてくる。
そして、とぼとぼと酒場に行くのだろう。
今年初の熱燗とおでん、なんてやってみようかしら。

【天候】
終日、秋晴れ。

1742声 赤城おろしの試運転

2012年10月12日

午後になるとごうごうと、風が吹いて来た。
そろそろ、赤城おろしの試運転が始まったようである。
からっ風が吹くと、大気が澄んで
空が綺麗になるのはよいのだが、空気が乾燥していけない。
そしてなにより、今の紅葉時期は良いのだが、冬場は寒くて寒くて。
このからっ風の音を聞くと、何だか無性におでんが食べたくなる。
それも、うらぶれた路地にある紺か縄の暖簾が掛けてあるような店で。

【天候】
終日、秋晴れ。

1741声 一粒の爽快感

2012年10月11日

鼻と喉の分岐点。
そんな部分が明確にあるのかどうか分からんが、
感覚的には鼻の奥の方のその部分に、違和感がある。
おそらく炎症を起こしているのだろうが、麦酒がしみし、鼻水も出ている。

メントール成分の含まれたものを食べると、一時的にこの不快感から解放され、
爽快感が味わえる。
いま机の上にあるのは「フリスク」であるが、これをがりがりと齧りつつ、
ぐびぐびと麦酒を飲んでいる。
鼻腔の調子は一時的に良くなるのだが、同時に麦酒の味が分からなくなるので、
あまり面白味が無い。

何かの為に飲む。
例えば、鬱屈を忘れる為、睡眠導入を円滑にする為など。
日々、何か理由を付けて酒を飲むと依存しやすいと、読んだ事がある。
今の私のこのフリスクの礼で言うと、鼻腔の違和感を忘れる為に一粒が二粒になり、
三粒が四粒になりと言う有り様で、プチ依存状態である。
ふと、飲む時には決まって正露丸を飲んでいた友人を思い出し、
フリスクくらいなら大丈夫かと、安心させ、またチャッチャッとフリスクの箱を振る。
この「チャッチャッ」と言う音まで、小気味よく思えて来た。

【天候】
終日、秋晴れ。

1740声 日銭に合った飲み方

2012年10月10日

先の連休中、毎日美味しい麦酒を鱈腹飲んでいたせいか、
今になって、体調を崩している。

都内で美味しい麦酒を飲む為には、やはり若干の銭がいる。
気の利いたクラフトビールや、輸入の樽生麦酒は、
概ね一杯700円から1300円はする。
一杯、と言ってもハーフパイント(300mlを少し欠けるくらい)だったりするので、侮れない。

「日銭に合った飲み方をすればいい」
てぇのは、昔、酔街のカウンターで堀澤さんが言っていた。
今回、銭湯ナイトで本を行商させてもらい、好調な売れ行きだった。
しかし、収支など付けておらぬが、およそその額の二倍は麦酒へ変わってしまった。
つまり、日銭からずいぶん足が出ている。
日銭に合った飲み方と言うのは、難しいものである。

【天候】
終日、秋晴れ。

1739声 現代のコスモス

2012年10月09日

すっきりとした秋晴れの一日であった。
車で郊外を通りかかったら、コスモスの群生地を見つけた。
高崎市井手町の「二子山古墳」である。

ここは旧群馬町で、私の郷里の町でもあるので、
子供時分から遊んでいた場所である。
そう言えば、中学一年生の夏休みの自由研究は、
郷土の古墳を研究して、この前方後円墳にも訪れた。

古墳の外周を埋めつくす、コスモスまたコスモス。
車を停めて少し歩いてみると、蜂や飛蝗の多いこと。
もう夕方だったので、虫の音も響いていおり、
その中に野生の鈴虫の音を見つけた。

朔太郎の俳句に、こんな句がある。

コスモスや海少し見ゆる邸道

この頃は海辺の高台にある瀟洒なお邸(やしき)道に揺れるコスモスが、
朔太郎で言う「のすたるじあ」を誘っていた。
現代ではコスモスも随分と身近になって、
こんな洒落た景観とは「つかなく」なっている。
しかし、時代感覚は変われど、コスモスの内包している「のすたるじあ」は、
今尚、風に揺れ続けている。

【天候】
終日、秋晴れ。

1738声 朝食風景

2012年10月08日

歌舞伎町のど真ん中のホテルの一室。
目覚めて、カーテンを空けると、眼前にビル。
その隙間から青空が見えたので、ようやくほっとした。

いささかの二日酔いを感じつつも、1Fロビーとやらで朝食をとる。
窓際に座ってしまったためか、往来を行く欧米人が私を凝視している。
気にせず、パサついたサラダをフォークでつつきながら、目を移すと、
往来にはまだその御仁。
右手には、銀ピカのアサヒスーパードライの缶。
そして、左手をよく見るとハンディカムを持っているようなので、
東洋人の朝食風景を撮影しているのであろうか。
麦酒党のよしみとして、殊更気にもせず、豪快になっとうをかき混ぜてやった。
その後は、各駅停車の車窓で、麦酒と駅弁を楽しみつつ群馬へと帰って来た。

【天候】
終日、秋晴れ。

1737声 第8回目の銭湯ナイト

2012年10月07日

これを書いているのは、もう、7日の「銭湯ナイト」が終了した8日である。
そのまま歌舞伎町で泊まって来たので、いま自宅でこれを書いている。

蓋を空けて見れば、例年の如く、満員御礼状態。
新宿のロフトプラスワンには、このイベント以外で訪れたことがないのだが、
座る席がないくらいの客入りなので、堂々と人気イベントのひとつに、
名を連ねているのではないかと思う。

今回は書籍の販売だけではなく、主催陣の御厚意により壇上で、
群馬の銭湯を幾つか紹介させてもらった。
4軒紹介して来たが、中々渋い銭湯をチョイス出来たのではなかろうかと思う。
また、毎年のことながら実際に自分の手で本が売れると言うのも、
とても貴重な体験であった。

これも毎年のこと、会場で銭湯ナイトの各プログラムを観ていると、胸が打たれる。
それは、みなひたむきに銭湯が好きだからである。
感動を起こさしめるものは、いつでも、ひたむきでなければならぬと、改めて確認できた。

【天候】
朝から雨、夕方には晴れ。

1736声 ラガーとデュンケル

2012年10月06日

東京のお台場でも、横浜の赤レンガ倉庫でも。
今日はオクトーバーフェストが開催されている。
もう、喉から手が出るほど、ドイツビールとソーセージで一杯やりたいのだが、
オクトーバーフェストはやはり「ビール祭り」なので、大勢で行かねば面白くない。
そんなことを考慮して、丸の内にあるビアレストランに行って来た。
名を「カイザーホフ」と言う。

この段落から、ドイツビールの蘊蓄をこんこんと書きたいのだが、
飲み屋のカウンターで隣になったのでもあるまいし、そこは飛ばす。
要は、樽生のドイツビールと本格的なドイツ料理が楽しめる店なのである。
やはり、美味い。
最終的に、一人でラガーとデュンケルのジョッキを一杯ずつ注文し、
同時に飲み比べつつ杯を空けていた。
こんなラガーとエールが手軽に飲める日が来たら、
自分の人生の円グラフの麦酒の割合が、極端に増えると感じた。

【天候】
晴れのち曇り。

1735声 向けての用意

2012年10月05日

ここ最近、である。
一挙に、極私的ではあるけれど銭湯熱が上がっている。
週末の銭湯ナイトに向けて、どたどたといま写真を揃え、
明朝には家を出ようと思う。
銭湯ナイトは7日。
明日は6日。
つまり、「前のり」ではあるけれど、気の利いた店で、
気の利いた麦酒が飲みたいのである。

【天候】
終日、秋晴れ。

1734声 リフレイン

2012年10月05日

まとまった俳句作品を作らねばならぬ。
考えているのは、一つの題で、例えば、「秋桜」だったら秋桜で、10句くらい揃える。
山村暮鳥作「風景 純銀もざいく」の「ひちめんのなのはな」の詩みたいに、
並べてリフレインさせることで醸し出る、一面の菜の花感。
そう言いう俳句の連作。
すでにあるけれど、作ってみたいと思う。
思ってはいるのだが、中々、難しい。
庭の直ぐそこに、秋桜が揺れているのが、もどかしい思いである。

【天候】
終日、秋晴れ。

1733声 曼珠沙華

2012年10月04日

久方ぶりに二日酔いである。
昨夜の酒席では、同席した方が日本酒党だったため、
私も麦酒党と言うことはひとまず露わにせず、合わせて飲んだ。

最近、殊に麦酒ばかり飲んでいるせいもあって、
乾杯の麦酒の速度をそのまま受け継いで、お猪口を口に運んでしまった。
二合、三合と飲む間に、だんだん脳内にも日本酒が浸透してきて、
いい心持になってくる。
そうなったらもう駄目で、気がつけば翌朝の蒲団である。

「わっ」
と、寝床で驚いたのが、真っ赤なのである。
真っ赤でも、よくよく見れば、ジーンズのポケットが綺麗に赤い。
その赤いのを持ち上げて見ると、彼岸花であった。
昨夜の帰路、酔っ払って畦道の彼岸花をポキリと一本折りとった記憶が、
おぼろげながら残っている。
あの妙に「ポキリ」とした感触がいささか不気味だった。
いま、こうやって朝日の中で眺めると、別段、感興を魅かれるでもないので、
庭へ出て土に刺しておいた。
遠目には、あたかもそこに咲いていたかのように、しっかりと見えた。

【天候】
晴れのち曇り。

1732声 山廬忌

2012年10月03日

今日は山廬忌。
甲斐の俳人、飯田蛇笏の忌日である。
朝刊の上毛新聞に目を通していると、一面の「三山春秋」に、
この蛇笏の句がいくつか引いてあり、思わずニヤリとしてしまった。

没後50年らしい。
そんなものかと、意外と近く感じた。
その句業の大きさから、漠然と、もっと古い時代の俳人。
と言う、印象を持っていたのである。

俳句の世界では、高齢の方々が一線で活躍している。
主流はまだまだ、旧かなづかいで文語体の句である。
それらも時代を感じさせないことに起因しているだろうが、
一番の大きな要因は、蛇笏の句が古びていないことにあろう。
つまり、50年やそこらでは色褪せない、硬質で清新な詩。
それが、少なくとも私の感じている蛇笏俳句である。

くろがねの秋の風鈴鳴りにけり  蛇笏

【天候】
終日、曇り。宵の口に小雨。

1731声 撮り手

2012年10月02日

胸の内が微かにふるえるような、写真。
例えば、その写真の構図は、花弁に乗る露の一粒。
その一葉には、もはや浮世とは思えぬ清浄な世界が写し出されている。
そんな写真を観ると、自分もすぐさま、何某かの一眼レフカメラを購入して、
野山へ出掛けたい衝動に駆られる。

しかしながら、仮にそんな立派なカメラを手に入れたところで、
私の撮る写真など、たかが知れている。
つい先日のことである。
酒席で出された料理を、座の隣人が熱心に一眼レフで撮り始めたので、
自分も釣られて、愛用の、と言うかそれ一台しか持っていないカメラで撮ってみた。

料理を撮る。
てぇのは、意外と難しくて、室内の光の具合などの関係だろうが、
なかなか素人では美味しそうに撮れない。
自分の例外でなく、がちゃがちゃとボタンを押すのだが、一向にうまく撮れない。
「あっ、それGRDじゃないですか」
と、先の一眼レフの隣人。
どうやら同じ機種のカメラを持っていらっしゃるようで、丁度よいので、
私のカメラを渡して一枚撮ってもらった。

何かのボタンを2、3回押して、焦点を合わせてパチリ。
「はい」と返されてモニターをのぞくと、美味しそうに照る、
鯛の刺身が写っているではないか。
撮り手によってこんなにも写りが違うものかと、愕然とした。
このカメラを購入してから、もう4、5年経つのである。
野山へ出掛ける際は、カメラよりも俳句帖のほうが、
自分に合っているとつくづく感じた。

【天候】
終日、雲多くも快晴。宵の口に一時的に小雨。